東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年6月9日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年6月9日(月曜日)

初夏のかおりがただよいはじめています。
五月(さつき)がおわり。
六月の初夏独特の気配が感じられるような
気が致します。

木々のめぶきの息吹を力強く感じます。

けれども早朝はまだまだ「肌寒い」です。
今年は「寒い」です。

街路樹はしっかりと
枝木の穂先もたわわにつよく
萌黄色から若葉そして
夏の「木」にかわりました。

「6月」です。
もう「6月」が「9日目」です。
あと「3週間」で「7月」=せみのなく夏です。

遅夏の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
若葉にそだち。
そして若枝も天高くすこやかにのび。
ますますに
山椒(さんしょう)はみどりの葉がとても。
奇麗です。

山椒のことを
「きのめ」=木の芽とはなるほどと
かんがえる。

さんしょう木
芽葉(めは)のもえぎあざやかなり
わかば葉いずるは花ならむ
夏(なつ)まつわか枝は幹ならむ
とどまるをしらず
そだちあゆみけり
いざいまこそは
空(そら)にもえたたん
さんしょう木

けれども
まだ早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな夏みつけた」から
しだいに「大きな夏みつけた」
「大きな大きな夏みつけた」はまだです。
そして「小さい夏」みつけた・は。

ちょっと「怖い気」が致します。
もう初夏です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
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GWの予定ですが。
平成20年4月29日(火曜日)
は祝日です。(はおわりました)
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平成20年5月 3日(土曜日)
平成20年5月 5日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
(4・29 5・3 5.5)
=>

平成20年5月 6日(火曜日)
は同じく祝日ですが
は「お休み」を頂く予定です。
5月7日(水曜日)より「定常どおり」
になります。

7月21日(月曜日)は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
北欧デンマークの「最大の作曲家」であり
「同年生まれ」に
フィンランドのジャン・シベリウスがいます。
(ちなみにグラズノフも同年生まれです。)

1865年 - カール・ニールセン、作曲家(+ 1931年)
の生誕日です。
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カール・ニールセン
(またはニルセン、またはカルル・ネルセン、
Carl August Nielsen, 1865年6月9日 - 1931年10月3日)は、
デンマークの作曲家です。

デンマークではもっとも有名な作曲家です。
同国の作曲家に
ルドルフ・ニールセン
( Ludolf Nielsen, 1876年1月29日 - 1939年)
がいるが全くの別人です。

同年生まれの北欧の作曲家に、
フィンランドのジャン・シベリウスがいます。
(ちなみにグラズノフも同年生まれです。)
++++++++++++++++++++++
カール・ニールセンは
現在のデンマーク100クローネ紙幣に
その肖像が描かれています。

代表曲に、
6つの交響曲(特に第4番や第5番が有名。)、
3つの協奏曲などがあります。

これらの協奏曲は
カール・ニールセン国際音楽コンクールで
競われています。
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カール・ニールセンの
生涯

1865年 フュン島のノーレ・リュンデルセに生まれました。
アンデルセンの出身地オーデンセから12kmほどはなれた
農村地帯です。

父ニルス・ヨアンセンはペンキ職人で、
兄弟は12人の大世帯で貧しい生活でした。
カール・ニールセンは音楽の趣味があるいました。

1871年(6歳) この頃から、
父の楽団に入りヴァイオリンを弾くようになりました。

1879年(14歳) オーデンセの軍楽隊に欠員が出たため応募し、
わずか1ヶ月の練習で合格をはたしました。
この時はホルンとトランペットを扱いました。

1884年
カール・ニールセンは
コペンハーゲンの音楽院を受験したが不合格でした。

けれども作曲家のニルス・ゲーゼに作品を見せることに
よって合格が許されました。

音楽院時代には
ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲などの
習作を手がけました。

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カール・ニールセンは
1888年 卒業後に「弦楽四重奏曲第1番」、「弦楽五重奏曲」
などの作品を発表し、続く「弦楽のための《小組曲》」
では好評を得ることができました。

翌年にかけて交響曲に試みるが挫折致します。
その第1楽章が「交響的ラプソディ」
となりました。

1889年 王立劇場オーケストラの
ヴァイオリン奏者となり、
ヨハン・スヴェンセン(Johan Svendsen, 1840年 - 1911年)
のもとでオーケストラの活動が始まりました。

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カール・ニールセンは
1891年 パリでアンネ・マリー・ブローデルセン(彫刻家)
と出会い、結婚致します。

1892年 交響曲第1番を完成。
批評も良く、海外でも演奏され、作曲家として
順調な活動を開始致します。

1901年 4幕からなる歌劇『サウルとダヴィデ』を完成。
1902年 交響曲第2番『四つの気質』を発表致します。

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カール・ニールセンは
1903年 ギリシャを旅し、エーゲ海の日の出に感激して
序曲『ヘリオス』を作曲致します。

1906年 2作目の歌劇『仮面舞踏会』、
弦楽四重奏曲の頂点である「弦楽四重奏曲第4番」を発表
致しました。

1908年 スヴェンセンが王立劇場楽長を引退し、
その後を引き継ぎました。

1911年 交響曲第3番『ひろがりの交響曲』 、
ヴァイオリン協奏曲を完成致します。

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カール・ニールセンは
1914年 第一次世界大戦のため王立劇場楽長を辞任。

1915年 王立コペンハーゲン音楽院の理事に就任。
音楽協会で指揮者として活動致します。

1916年 交響曲第4番『不滅(滅ぼし得ざるもの)』
を完成。
また
ピアノ曲の頂点である「シャコンヌ」、
「主題と変奏」を発表致します。

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カール・ニールセンは
1922年 交響曲第5番、管楽五重奏曲を完成致しました。

このころより作風が変化し、
より難解で内向的なものになっていきます。

管楽五重奏曲はコペンハーゲン管楽五重奏団のために書かれ、
メンバー全員のために5つの協奏曲を書くことも計画していたが、
フルート協奏曲(1926年)とクラリネット協奏曲(1928年)
の2曲で終わりました。

1925年 交響曲第6番『素朴な交響曲』を完成。

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カール・ニールセンは
1931年 オルガン曲「コンモツィオ」完成。

王立コペンハーゲン音楽院の院長に就任。

逝去。
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カール・ニールセンの多彩な作曲。
主な作品
ニールセンは多作な作曲家に分類され、
歌劇を含むほとんどすべての分野の作品がある。
作品番号のないものが多く、
ダン・フォウ(Dan Fog)と
トーベン・スコウスボー(Torben Schousboe)が
1965年に作成した作品目録“Carl Nielsen kompositioner”
によるFS番号が分類番号として用いられています。
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カール・ニールセン国際音楽コンクール
(Carl Nielsen International Music Competitions)
があります。

デンマークのオーゼンセで開催される若手音楽家のための
音楽コンクールです。

デンマークの作曲家カール・ニールセンの名を冠し、
1980年に第1回が開催されました。

ヴァイオリン・コンクール、
フルート・コンクール、
クラリネット・コンクールの3種類があります。

(それぞれ、ニールセン作曲の
ヴァイオリン協奏曲、
フルート協奏曲、
クラリネット協奏曲
が「課題曲」です。)

1981年、
国際音楽コンクール世界連盟に加盟致しました。

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カール・ニールセン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%B3

カール・ニールセン(またはニルセン、またはカルル・ネルセン、 Carl August Nielsen, 1865年6月9日 - 1931年10月3日)は、デンマークの作曲家である。

デンマークではもっとも有名な作曲家である。同国の作曲家にルドルフ・ニールセン( Ludolf Nielsen, 1876年1月29日 - 1939年)がいるが別人である。同年生まれの北欧の作曲家に、フィンランドのジャン・シベリウスがいる。(ちなみにグラズノフも同年生まれである。)

現在のデンマーク100クローネ紙幣にその肖像が描かれている。

代表曲に、6つの交響曲(特に第4番や第5番が有名。)、3つの協奏曲などがある。これらの協奏曲はカール・ニールセン国際音楽コンクールで競われている。