東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年6月10日(火曜日)

もう「6月10日」です。
6月になりました。10日たちました。
6月=初夏になりました。
もう梅雨いりしたようです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

昨今。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しも強いはず。
けれども空には
「雲がいっぱい」=「空はくもりそら」
です。ふしぎな六月のひざしです。

ふとかんがえれば・・。
夏至もちかい。
真夏の太陽から若葉をまもる
「ソフトフイルター」の役目の
「おぼろくもりそら」。

自然とは・。
よくできたものです。
大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという
仙人の心境がとてもよくわかる。

街路樹もそうそうたる。
羽振りのよい木々になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。
街路樹が「松や杉」のような「常緑樹」では
冬はうっそうとして。
夏場は枝ぶり葉っぱから日の光を
さえぎれない。
四季のリズムがあいません。

「枯れ葉」のシャンソンや
フランツ・シューベルトの「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

強いからといって「からまつ」をうえられても
困ります。
私の「大好き」な北原白秋の「からまつの詩」
の「からまつ」は
街路樹にはそぐいません。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
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      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

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木々の若葉の房が早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。
まるで大きな里山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばのめばえがとてもとても
鮮烈です。

街角の雑草も花はおわり。
6月の草花・
「ひるがお」「つるくさ」が
ますます姿を大きくしています。

雑草も。
同じく夏草へと変貌しつつある。

朝暗いうちは。
まだまだ。はださむい気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

たわわなり
うめのみ(実)うめのき(木)
みどりぎいらかにかぜはやみ
なつかぜひるむやうつろひの
けふのつきひもはやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらきたり
みどり木ときわ木ひろがりけり
いふことのなし
いふことがなし

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

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平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわちました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
私の好きな画家
の一人である
また美術史のなかで「初めて「個展」」
を自ら「開催」した画家である。

1819年 - ギュスターヴ・クールベ、画家(+ 1877年)
の生誕日です。

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ギュスターヴ・クールベ
(Gustave Courbet 1819年6月10日 -
1877年12月31日) は、
フランスの写実主義の画家です。

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ギュスターヴ・クールベの

生涯
1819年、
スイス国境に近いフランシュ・コンテ地方の山の中の村、
オルナンに、裕福な地主の子として生まれました。

1840年、
21歳の時にパリへ出て、ソルボンヌ大学法学部に入学するが、
本人を法律家にさせたかった父親の意図に反し、
彼自身は画家を目指しました。

ルーヴルに通っては巨匠たちの作品を模写致しました。

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ギュスターヴ・クールベは。

1844年、25歳の時には
3点の絵画がサロンに入選しています。
これは当時の画家としては遅咲きのデビューでした。

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ギュスターヴ・クールベと大作と「個展」

1855年、パリにおいて世界で2番目の
万国博覧会が開催されました。

クールベは、この万国博覧会に
大作『画家のアトリエ』と『オルナンの埋葬』
を出品しようと致しました。

ところが。
彼自身が描いた他の作品は審査を通過したにも関わらず。

これらの大作は落選してしまったのです。

そこでクールベは。
博覧会場のすぐ近くの建物を借りました。

「ギュスターヴ・クールベ作品展。
入場料1フラン」という
看板を立て、1855年6月28日から公開しました。

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ギュスターヴ・クールベの
当時は。

画家が自分の作品だけを並べた「個展」を開催する
習慣はありませんでした。

このクールベの作品展は、
世界初の「個展」だと言われています。

そして
この個展の目録に記されたクールベの文章が、
後に「レアリスム宣言」と呼ばれることになる、
美術史上著名なものになります。

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ギュスターヴ・クールベの
「レアリスム宣言」において
、クールベは
「自分は生きた芸術をつくりたいのだ」
と言っています。

彼の意図は、単なる古典絵画の模倣ではなく、
今の時代の風景、人々、現実を自分の感じたままに
描くということでした。

21世紀の今日から見れば当然のこのような考え方
です。

けれども
19世紀の保守的な市民たちにとっては、
驚くべき革新的なものであった
のです。

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クールベはプルードンらの社会主義者とも交際し、
伝統的な価値観に対する挑戦と。
急進的言動が目立ちました。

1870年にはパリ・コミューンに参加し、
反乱に荷担したかどで投獄までされています。

その後スイスに亡命し、1
877年、亡命先で58歳の生涯を閉じました。

なお、
オルナンの生家はクールベ美術館になっています。

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ギュスターヴ・クールベの
代表作『オルナンの埋葬』と『画家のアトリエ』

オルナンの埋葬 1849 オルセー美術館。

今ではクールベの代表作とされていますが。

大作『オルナンの埋葬』も、発表当時の評判はさんざんでした。
この絵にクールベが付けた題名は
『オルナンの埋葬に関する歴史画』というものでした。

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当時のフランスの人々にとって
「歴史画」とは。

古代の神々、殉教者、英雄、帝王などを
理想化された姿で描いた格調高い絵画のことであったのです。

これに対し、オルナンという、
山奥の田舎町の葬式に集まった名もない人々という主題を、
まるで歴史上の大事件のように扱った。

このような巨大な画面(縦約3.1メートル、横約6.6メートル)
に表して「歴史画」と称するのは当時としては常識はずれのことと
考えられました。

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ギュスターヴ・クールベの
もう一つの代表作『画家のアトリエ』も大作です
(縦約3.6メートル、横約6メートル)。

この作品には「私のアトリエの内部、
わが7年間の芸術的な生涯を要約する現実的寓意」
という長い副題が付せられています。

「寓意画」とは、たとえば「愛」「真実」「信仰」「死」
のような目に見えないもの、形のないものを擬人化したり、
静物画で表したりするものです。

西洋絵画の伝統的な主題の一つです。

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クールベは、
アトリエで制作する自分自身の姿と、
周囲に集まる30人ほどの人々を描写したこの絵を
「寓意」だと言っています。

画中に描かれた人物たちは、
全員が何らかの「寓意」を表しているとされます。

おおむね画面の向かって
右半分は
クールベのレアリスム絵画を理解し支持する人々の
グループであり、
画面左側の人々は、
クールベの芸術を理解しない
不幸で悲惨な人々だと理解されています。

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クールベは、上記2作品のようなグループ肖像画のほか、
森の中の動物を主題にした風景画や、
官能的な裸婦像などにも傑作を遺しています。

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ギュスターヴ・クールベ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%99

ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet 1819年6月10日 - 1877年12月31日) は、
フランスの写実主義の画家。

生涯
1819年、スイス国境に近いフランシュ・コンテ地方の山の中の村、
オルナンに、裕福な地主の子として生まれる。
1840年、21歳の時にパリへ出て、ソルボンヌ大学法学部に入学するが、
本人を法律家にさせたかった父親の意図に反し、
彼自身は画家を目指し、ルーヴルに通っては巨匠たちの作品を模写した。

1844年、25歳の時には3点の絵画がサロンに入選しているが、
これは当時の画家としては遅咲きのデビューである。

1855年、パリにおいて世界で2番目の万国博覧会が開催された。
クールベは、この万国博覧会に
大作『画家のアトリエ』と『オルナンの埋葬』を出品しようとするが、
彼自身が描いた他の作品は審査を通過したにも関わらず、
これらの大作は落選してしまった。

そこでクールベは、博覧会場のすぐ近くの建物を借り、
「ギュスターヴ・クールベ作品展。入場料1フラン」という
看板を立て、1855年6月28日から公開した。

当時、画家が自分の作品だけを並べた「個展」を開催する習慣はなく、
このクールベの作品展は、世界初の「個展」だと言われている。

また、この個展の目録に記されたクールベの文章が、
後に「レアリスム宣言」と呼ばれることになる、
美術史上著名なものである。