東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年6月15日(日曜日)

6月15日です。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々になってきました。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が獰猛な気配を放つ。
初めて気づきました。

濃い緑の葉。
桜の木は木の下で。
心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。

ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹がすっかりみえません。
桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ。
この
桜の木の下で木陰で心安らかにやすもうという
気はおきません。

木々でもいちょうや。松や。杉などの針葉樹
は「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
針葉樹から常緑樹に「進化」のはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い」です。
硬ければ
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。
街路樹が「松や杉」のような「常緑樹」では
冬はうっそうとして道端では
暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱから日の光を
さえぎれません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう
「ざっくり感」のリズムが
ありません。

木々の初夏の萌黄が早朝くらい中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
木や植物はすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな初夏の萌黄色です。
まるで大きな竹山の竹のうねりのようです。
今年は木々のわかばのめばえが非常に鮮烈
です。

街角の雑草も花は咲き終わり。
初夏の姿よなり
「ほとけの座」やはこべが
ますます姿を大きくして。
夏草のたたずまいをしています。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。
まだまだ。はださむいような気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

日曜の朝晴れて
はじめて気づく
にわの小さき

早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

きらきらラピス・ラズリの空(そら)
紺碧のジュースの空(そら)
ミルクをそそそいだ空(そら)
トルコ石のプリンの空(そら)
はるかにとほくたかく空(そら)
ぽかぽか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
プリンの上のクリームの空(そら)
にわあじさい花(はな)はアイスクリーム空(そら)
あじさいのうえに空(そら)

初夏のうららのこもれびに
緑木いらかはかぜはやみ
夏風ひるむやうつろひの
四季のつきひのはやいくとせ

椎木(しいのき)の枝高し
そらに吼える若葉が穂束
木にも地にもみどりがさける
初夏のあさ
陽がゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

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平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
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7月21日(月曜日)は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
私がすきなメロディの「ピアノ協奏曲」イ短調

(このピアノ協奏曲は
ピアノ・コンクールでは「課題」にえらばれることもないし。
またピアノコンクールの
自由課題で「協奏曲」とあっても「選択不可」とされます)

の作曲家
1843年 - エドヴァルド・グリーグ、作曲家(+ 1907年)
の生誕日です。
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エドヴァルド・グリーグ
(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 -
1907年9月4日) は、ノルウェーの作曲家です。
2007年で没後100周年となりました。

現地語での発音は「エドヴァール」に近い。
また「g」が単語の最終文字の場合「k」と発音する
ドイツ語読みの影響で、
「グリーク」と表記される事が多いものです。

グリーグはノルウェーの民族音楽から着想を得て、
国民楽派の作曲家として注目されました。

彼の民族音楽からの深い影響は組曲
「ペール・ギュント」1曲目で。
三大「朝」の旋律として有名なメロディの場合。

「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である
ハリングフェーレの共鳴弦を
端からつま弾いた時の旋律から始まっていること
からもうかがうことができます。

なお、彼の肖像は旧500クローネ紙幣に描かれていました。

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エドヴァルド・グリーグの
生涯。

グリーグは、スウェーデン統治下のノルウェーで、
ベルゲン市街の家に
5人きょうだいの第4子(兄1人、姉2人、妹1人)
として生まれました。

1858年(15歳)、ヴァイオニスト、オーレ・ブル
(Ole Bull, 1810年 - 1880年)に才能を見出されました。
3年半の間ライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学ぶことができました。

1863年から3年間、デンマークのコペンハーゲンに居住し。
作曲家ニルス・ゲーゼに学びましだ。

ここで、交響曲(作品番号なし)、
ピアノ・ソナタ(作品7)、
ヴァイオリン・ソナタ第1番(作品8)など
初期の作品が作られました。

また、従妹でソプラノ歌手の
ニーナ・ハーゲルップ
(Nina Hagerup, 1845年 - 1935年)と出会い
、1867年に結婚致します。
後の歌曲は、ほとんどニーナ夫人のために作曲されました。

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エドヴァルド・グリーグの作風。

1867年には、クリスチャニア(現オスロ)の
フィルハーモニー協会の指揮者に就任し、
民謡蒐集家リンネマンや、国民的詩人ビョルンソンと
親交を持ちました。

『十字軍の王シーグル』のための劇音楽が作曲されました。
グリーグの重要な作品である『抒情小曲集』第1集を出版。

1877年から1880年まで、ベルゲン東方のハダンゲル
(ハルダンゲル)地方に住んだ。

次第に、民族音楽、民族楽器へ傾倒していきます。

1884年にベルゲン近郊のトロールハウゲン(妖精の丘)
に住家を建築致します。

ベルゲン出身でデンマークで活躍した劇作家ルズヴィ・ホルベア
(Rudwig Horberg, 1684年 - 1754年)の生誕200年のために
ピアノ組曲『ホルベアの時代から』
(翌1885年に弦楽合奏に編曲)を作曲。

1901年(60歳)、次第に健康状態が悪化。
『抒情小曲集』第10集を出版。

1905年のノルウェー独立を見届けたあと、
1907年、ベルゲンで没しました。

因みに
兄ヨーンも、ライプツィヒ音楽院で学び、チェロを演奏したが、
職業的音楽家にはならなかった。

兄のために作曲したチェロ・ソナタがあります。

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エドヴァルド・グリーグのピアニストとしての
「テクニック」

グリーグの銅像(ノルウェー・ベルゲン)
グリーグの墓(ノルウェー・ベルゲン)をみると。
北欧生まれにしては珍しいくらい身長が低い。

妻ニーナと共に眠るグリーグはとても小柄でした。

その体格に見合わず壮大な音楽を世に送り出したと思います。

また生前は卓越したテクニックのピアニスト
としても著名であったようです。

けれども
私は北欧のピアニスト或は北欧の「ピアノ」 
の「テクニック」の意味が
他のヨーロッパ地域とは異なるように思えます。

自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行しています。
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エドヴァルド・グリーグは。

生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの
自然と海をこよなく愛しました。

よって
彼の死後、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む
岩壁に墓が設けられ、
一部の遺灰は湖に撒かれました。

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エドヴァルド・グリーグ
なお、作品番号の付されていない習作である交響曲は
、同じノルウェーの作曲家
ヨハン・スヴェンセンの交響曲を聴いて
封印したというエピソードがあります。

グリーグは終世、
手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、
寝る時も一緒だったらしい。

演奏会の時は、あがらないように、
ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうである。
なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家
(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。

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エドヴァルド・グリーグの作品
グリーグはピアノのために数多くの小品を作曲しており、
「北欧のショパン」*と呼ばれることがある。
(注釈:北欧のシューベルトが正しいです)。
また、ピアノとヴァイオリンのために3曲のソナタを書きました。

数あるグリーグの作品の中で、ヘンリク・イプセンの
戯曲『ペール・ギュント』への付随音楽と
イ短調のピアノ協奏曲が日本に於いては最
も有名であると考えます。

しかしグリーグの本領は、
『抒情小曲集』と多数の歌曲に代表される小品に遺憾なく
発揮されています。
ピアノ曲や歌曲を管弦楽や弦楽合奏に編曲した作品も多いです。

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ロシアの「5人組」やピョートル・チャイコフスキー*が
ヨハン・セバスティアン・バッハや
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
のことをよく知らず。

(*
ピョートル・チャイコフスキーは。
まだ音楽家として「駆け出し時代」に
ヨハン・セバスティアン・バッハが
どのような音楽を作曲した音楽家か知りませんでした。
また
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが交響曲
をいくつかいたか全く知りませんでした。*)
(*ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲は
いくつある?は意外と難問です。
正確には「交響曲1.2.3.・・9。
10・11・12番-いずれも未完成)

エクトル・ベルリオーズが「ロシア音楽の祖先」と
いわれています。

同じように。
「北欧」は「南欧」とは異なる「文化伝播」の地域であり
エドヴァルド・グリーグという音楽家につき。

結果論ではエドヴァルド・グリーグはピアニスト或は作曲家として
「マイナーな存在」とされているように思います。

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エドヴァルド・グリーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日) は、ノルウェーの作曲家である。2007年で没後100周年となった。現地語での発音は「エドヴァール」に近い。また「g」が単語の最終文字の場合「k」と発音するドイツ語読みの影響で、「グリーク」と表記される事もある。

グリーグはノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目された。 彼の民族音楽からの深い影響は組曲「ペール・ギュント」1曲目、「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器であるハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができる。なお、彼の肖像は旧500クローネ紙幣に描かれていた。

オペラ
『オーラヴ・トリグヴァーソン』(作品50、未完) 管弦楽組曲版 作品50aとピアノ曲版 作品50bがある
『アーンリョット・ゲッリネ』(スケッチ)

劇音楽
『十字軍の王シーグル』(作品22、1872年/1903年改訂)
『十字軍の王シーグル』組曲(作品56、1892年)
『ペール・ギュント』(作品23、1875年/1885年、1888年、1891年、1902年改訂)
『ペール・ギュント』組曲第1番(作品46、1888年)
『ペール・ギュント』組曲第2番(作品55、1892年)

管弦楽曲・協奏曲
ピアノ協奏曲 イ短調(作品16、1868年/1907年まで数次の改訂)
4つのノルウェー舞曲(作品35、ピアノ連弾版:1881年/ハンス・ジットによるオーケストラ編曲版:1888年頃)
『オーラヴ・トリグヴァーソン』組曲(作品50a、未完のオペラから管弦楽編曲)
抒情組曲(作品54、抒情小曲集第5集から4曲をオーケストラ編曲:1904年)
交響的舞曲(作品64、ピアノ連弾版:1896年/オーケストラ版:1898年)
交響曲 ハ短調(作品番号無し。)

弦楽合奏曲
2つの悲歌的旋律(作品34、2つの歌曲(作品33-3, 33-2)を編曲:1880年)
組曲『ホルベアの時代から』(作品40、ピアノ独奏版:1884年/弦楽合奏版:1885年) ※俗に『ホルベルク組曲』とも呼ばれる。
2つのノルウェーの旋律(作品63、1895年)

ピアノ独奏曲
ピアノ・ソナタ ホ短調(作品7、1865年)
抒情小曲集(ピアノ独奏曲、全10巻/合計66曲)
第1集(作品12、1864年 - 1867年)
第2集(作品38、1883年)
第3集(作品43、1886年)
第4集(作品47、1885年 - 1888年)
第5集(作品54、1891年)
第6集(作品57、1893年)
第7集(作品62、1895年)
第8集(作品65、1896年)
第9集(作品68、1898年 - 1899年)
第10集(作品71、1901年)
オペラ「オーラヴ・トリグヴァーソン」による2つの小品(作品50b、未完のオペラから編曲)

室内楽曲
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ長調(作品8、1865年)
ヴァイオリン・ソナタ第2番 ト長調(作品13、1867年)
ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調(作品45、1887年)
チェロ・ソナタ イ短調(作品36、1883年)
弦楽四重奏曲(第1番)ト短調(作品27、1878年)

歌曲
『君を愛す』(作品5-3、1864年 - 1865年)
『白鳥』(作品25-2、1876年)
『王女』(作品番号なし、1871年)
『モンテ・ピンチョより』(作品39-1、1870年)
『ソルヴェイグの歌』(作品22、1876年)『ペール・ギュント』の中の1曲。
『春』(作品33-2、1880年)
『傷ついた心』(作品33-3、1873年 - 1880年)
『世の中はそうしたもの』(作品48-3、1889年)
連作歌曲集『山の娘』(作品67、1896年 - 1898年)