東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年6月26日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年6月26日(木曜日)

ひなまつりがおわり。
春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
そして
「5月」もおわりました。
6月に・「夏」になりました。セミのなく
7月まであと5日たらず。
夏至も過ぎました。

これからは次第に陽は短くなる。
しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議な安堵感があります。

朝空は
陽ははるかに天高く空色はミルク色です。
クリームのかかったような雲空です。

「つつじ」の「花」がおわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

若々しい草色の葉を木一面に広げ。
若葉の潅木としてとてもとても奇麗です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。
「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。

私は森山を分け入ると。
木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花さく
「やまつつじ」が「大好き」です。
「くさぼけ」もかわいらしく「大好き」
です。

四季の歩みの春夏秋冬の
メトロノームのような「あゆみ」を
感じます。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお確実な「リズム」を感じます。
ここに「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
が。くわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じ・。

草花や草木につつまれた自然は「音楽」と同じように
ひびきそして聴こえます。
自然は
自然の「ヴィルトオーゾ・ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」*です。

古代より芸術家が「この自然」を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判る。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる成分ではありません。

また音楽であるために。
三要素が絶対必要という意味
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つ。

大和の国の自然は。
「音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。
「ため息」がでるほど木々の「若葉」の
「たば」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から「みどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎える葉束」になりました。

「若葉」の「新緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり初夏のおとずれを
伝えています。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうな青葉。

明らかなる。
「冬から春」とは全く違う
「春から夏」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

「里山(さとやま)をあるきたい」季節です。

けれども
まだ早朝ははだ寒いです。<

やま中もり中分けいらば
若木の根元に隠れさく
あけぼの色のちひさき花あり
みつけたりやまの花 草ぼけ。

くさぼけの
花かくしてや
やまつつじ

たかくひろくなりけり空(そら)
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
かがやきてあざやかなりけり 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな春みつけた」
から
「春が来て初夏間近い」
「小さな夏みつけた・。」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

その「神童」ぶりから
10歳でグラスゴー大学入学。

21歳でケンブリッジ大学を次席卒業。

22歳の若さでグラスゴー大学の教授。

イギリスの大学で初めて物理学の研究室を作ったことで有名な。
また
古典的な熱力学の開拓者の一人であり。
電磁気学や流体力学などをはじめ
古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文を発表したことでも
高名であり。

世界で始めて
電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた人物。
ルニョーの実験結果と
カルノーの研究結果を発展させ、
1848年に、「温度が物体中のエネルギー総量を表す」という
絶対温度の概念を導いた。
(この単位は後に彼にちなんで
ケルビン(K)と呼ばれるようになりました。)
絶対温度の発見者。
1824年 - ウィリアム・トムソン
(ケルビン卿)、物理学者(+ 1907年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ウィリアム・トムソン
(William Thomson、
ラーグスのケルヴィン男爵(Baron Kelvin of Largs)、
1824年6月26日 - 1907年12月17日)は、
イギリスの物理学者です。

ケルヴィン卿(Lord Kelvin)の通称で知られています。

++++++++++++++++++++++
ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)は。

特にカルノーの理論を発展させた絶対温度の導入、
クラウジウスと独立に行われた
熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見、
ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見
などといった業績があります。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)は
これらの貢献によって、
クラウジウス、ランキンらと共に
古典的な熱力学の開拓者の一人と見られています。

このほか電磁気学や流体力学などをはじめ
古典物理学のほとんどの分野に
600を超える論文を発表しました。

電磁誘導や磁気力を表すために
ベクトルを使い始めた人物でもあります。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)の生い立ち

生い立ち
ウィリアム・トムソンは1824年6月26日、
北アイルランドのベルファストで
二人兄弟の次男として生まれました。

父親のジェームズ・トムソンはスコットランド系
アイルランド人の農家の生まれで、
教師として働く傍ら独学でグラスゴー大学へ入学し
、ベルファスト大学の数学教授となりました。

トムソンは兄とともに父から家庭で教育を受けました。
兄のジェームズ・トムソンも後に物理学者となり、
圧力による氷点降下や水の三重点を発見しています。

父は1832年にグラスゴー大学へ赴任するが、
幼い頃から神童ぶりを発揮していたトムソンは、
その2年後わずか10歳でグラスゴー大学への入学を許可されました。

1841年からはケンブリッジ大学で学び、
1845年に次席で卒業致します。

その後パリのルニョーのもとで学びましだ。

そして翌1846年に22歳の若さでグラスゴー大学
の教授に就任し、
イギリスの大学で初めて物理学の研究室を作りました。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)の
生涯
1824年 - 北アイルランドのベルファストに生まれる。
1834年 - グラスゴー大学へ入学。
1841年 - ケンブリッジ大学へ入学(1845年卒業)。
1846年 - グラスゴー大学の自然哲学教授となる(1899年まで)。
1848年 - 絶対温度目盛を導入。
1851年 - 熱力学の第二法則を定式化。
同年、王立協会会員となる。
1852年 - ジュール‐トムソン効果を発見。
1862年 - 地球の年齢を2000万年から4億年と概算。
1866年 - 大西洋横断海底電信ケーブルの敷設に成功。
この功績でナイトに叙せられ、サー・ウィリアムとなる。
1870年 - 絶対電位計を発明。
1883年 - 王立協会からコプリ・メダルを受賞。
1890年 - 王立協会会長に就任(1894年まで)。
1892年 - 男爵に叙せられ、ケルヴィン卿となる。
1896年 - ロイヤル・ヴィクトリア勲章を授けられる。
1902年 - メリット勲位を授けられる(創設時の12人の一人)。
1904年 - グラスゴー大学総長に就任。
1907年 - スコットランド、エアーシャーのラーグスで死去。ウェストミンスター寺院に葬られた。

++++++++++++++++++++++
ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)と電磁気

ケンブリッジ大学在学中の1842年からトムソンは
独自の研究を開始しました。

この年発表した、
熱の分布と静電気力の分布の比較研究による論文は、
電磁場と非圧縮性弾性体の間の類似点を指摘していました。

1845年の論文では、
電磁誘導を何らかの媒体(現在「場」と呼ばれているもの)
によるというファラデーの考えに数学的な表現を与えました。

これらは後の
マクスウェルに重大な示唆を与えるものとなりました。

1849年から10年間、
トムソンは
ファラデーが発見した常磁性と反磁性、およびその理論を
一般化するための研究を行いました。

ここで透磁率と磁気感受率という概念を導入致します。
、磁石のもつ全エネルギーを表す式を導きました。

電気においては、
電流の流れる回路のもつエネルギーを表す式を得、
1853年に振動回路の理論を発展させました。

これは1857年に実験で確かめられ、
後にヘルツによって電波を発生させるのに使われました。

1851年、
ヴェーバーが国際単位系の電磁気への拡張を提案したとき
、トムソンはこれを受けてダニエル電池の起電力や
ジュールの法則の計算を行い、
さらに英国学術協会に電磁気の標準を決定するように
働きかけました。

++++++++++++++++++++++
ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)と熱力学

1845年、
ケンブリッジ大学を卒業したトムソンは、
パリのルニョーのもとで実験技術を磨き、
同時にクラペイロンの論文を通じて
カルノーの研究を知りました。

トムソンはルニョーの実験結果と
カルノーの研究結果を発展させ、
1848年に、「温度が物体中のエネルギー総量を表す」という
絶対温度の概念を導いきました。

この単位は後に彼にちなんで
ケルビン(K)と呼ばれるようになりました。

また熱素説が残っていた当時、
ジュールが発表していた
「熱はエネルギーの一形態である」という論文を
高く評価致しました。

1851年に「熱を全て仕事にすることはできない(トムソンの原理)」
ならカルノーの理論と
ジュールの法則が矛盾しないということを示しました。

これは現在熱力学の第二法則と呼ばれています。

++++++++++++++++++++++
ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)は。

同じく1851年からは熱電気の研究を行い、
「温度勾配がある物質に電流を流すと
熱の移動が起こる」というトムソン効果を発見致します。

1847年のオックスフォードで初めて会ってから数年間、
トムソンとジュールは共同で研究を行いました。

1852年、二人は細いノズルから気体を噴出させる実験を行い、
ジュール=トムソン効果を発見致しました。

++++++++++++++++++++++
ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)と地球物理学

地球物理学
1862年、トムソンはフーリエ級数を用いて球の冷却速度を計算し、
地球の年齢が数千万年、
長くても4億年を越えることはないと結論しました。

これは地球全体がどろどろに融けた状態から
現在の温度になるまでの
時間を求めたものであったのです。

しかしこの論文は地球はできてからは
冷めるだけであるという前提に立っており、
当時発見されていなかった放射性元素の崩壊熱を
考慮していなかったため、
後にラザフォードによって計算された
正しい値からは大きくずれてはいました。

1863年にトムソンは
、地球の形状が太陽や月の潮汐力によって変形していること
(地球潮汐)
を利用して地球のかたさを求めました。
++++++++++++++++++++++

ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)と「海」
ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)は海が「大好き」
でした。

ヨットマンとして
トムソンはケンブリッジ大学在学中はスポーツにも取り組み、
オックスフォード大学とのボートレースにも参加致しました。

特にヨットに熱心であり。
海に関するあらゆるものに関心を持っていました。

++++++++++++++++++++++

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ウィリアム・トムソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%B3

ウィリアム・トムソン(William Thomson、ラーグスのケルヴィン男爵(Baron Kelvin of Largs)、1824年6月26日 - 1907年12月17日)は、イギリスの物理学者。ケルヴィン卿(Lord Kelvin)の通称で知られる。特にカルノーの理論を発展させた絶対温度の導入、クラウジウスと独立に行われた熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見、ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見などといった業績がある。これらの貢献によって、クラウジウス、ランキンらと共に古典的な熱力学の開拓者の一人と見られている。このほか電磁気学や流体力学などをはじめ古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文を発表した。また、電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた人物でもある。

目次
1 生涯
1.1 生い立ち
1.2 電磁気
1.3 熱力学
1.4 海底電信
1.5 地球物理学
1.6 流体力学
2 人物
2.1 ヨットマンとして
2.2 クリスチャンとして
3 関連項目

生涯
1824年 - 北アイルランドのベルファストに生まれる。
1834年 - グラスゴー大学へ入学。
1841年 - ケンブリッジ大学へ入学(1845年卒業)。
1846年 - グラスゴー大学の自然哲学教授となる(1899年まで)。
1848年 - 絶対温度目盛を導入。
1851年 - 熱力学の第二法則を定式化。
同年、王立協会会員となる。
1852年 - ジュール‐トムソン効果を発見。
1862年 - 地球の年齢を2000万年から4億年と概算。
1866年 - 大西洋横断海底電信ケーブルの敷設に成功。この功績でナイトに叙せられ、サー・ウィリアムとなる。
1870年 - 絶対電位計を発明。
1883年 - 王立協会からコプリ・メダルを受賞。
1890年 - 王立協会会長に就任(1894年まで)。
1892年 - 男爵に叙せられ、ケルヴィン卿となる。
1896年 - ロイヤル・ヴィクトリア勲章を授けられる。
1902年 - メリット勲位を授けられる(創設時の12人の一人)。
1904年 - グラスゴー大学総長に就任。
1907年 - スコットランド、エアーシャーのラーグスで死去。ウェストミンスター寺院に葬られた。

生い立ち
ウィリアム・トムソンは1824年6月26日、北アイルランドのベルファストで二人兄弟の次男として生まれた。父親のジェームズ・トムソンはスコットランド系アイルランド人の農家の生まれで、教師として働く傍ら独学でグラスゴー大学へ入学し、ベルファスト大学の数学教授となった。トムソンは兄とともに父から家庭で教育を受けた。兄のジェームズ・トムソンも後に物理学者となり、圧力による氷点降下や水の三重点を発見している。父は1832年にグラスゴー大学へ赴任するが、幼い頃から神童ぶりを発揮していたトムソンは、その2年後わずか10歳でグラスゴー大学への入学を許可された。1841年からはケンブリッジ大学で学び、1845年に次席で卒業した。その後パリのルニョーのもとで学んだ。そして翌1846年に22歳の若さでグラスゴー大学の教授に就任し、イギリスの大学で初めて物理学の研究室を作った。

電磁気
ケンブリッジ大学在学中の1842年からトムソンは独自の研究を開始した。この年発表した、熱の分布と静電気力の分布の比較研究による論文は、電磁場と非圧縮性弾性体の間の類似点を指摘していた。1845年の論文では、電磁誘導を何らかの媒体(現在「場」と呼ばれているもの)によるというファラデーの考えに数学的な表現を与えた。これらは後のマクスウェルに重大な示唆を与えるものだった。

1849年から10年間、トムソンはファラデーが発見した常磁性と反磁性、およびその理論を一般化するための研究を行った。ここで透磁率と磁気感受率という概念を導入し、磁石のもつ全エネルギーを表す式を導いた。電気においては、電流の流れる回路のもつエネルギーを表す式を得、1853年に振動回路の理論を発展させた。これは1857年に実験で確かめられ、後にヘルツによって電波を発生させるのに使われた。

1851年、ヴェーバーが国際単位系の電磁気への拡張を提案したとき、トムソンはこれを受けてダニエル電池の起電力やジュールの法則の計算を行い、さらに英国学術協会に電磁気の標準を決定するように働きかけた。

熱力学
1845年、ケンブリッジ大学を卒業したトムソンは、パリのルニョーのもとで実験技術を磨き、同時にクラペイロンの論文を通じてカルノーの研究を知った。トムソンはルニョーの実験結果とカルノーの研究結果を発展させ、1848年に、「温度が物体中のエネルギー総量を表す」という絶対温度の概念を導いた。この単位は後に彼にちなんでケルビン(K)と呼ばれるようになった。また熱素説が残っていた当時、ジュールが発表していた「熱はエネルギーの一形態である」という論文を高く評価し、1851年に「熱を全て仕事にすることはできない(トムソンの原理)」ならカルノーの理論とジュールの法則が矛盾しないということを示した。これは現在熱力学の第二法則と呼ばれている。

同じく1851年からは熱電気の研究を行い、「温度勾配がある物質に電流を流すと熱の移動が起こる」というトムソン効果を発見した。

1847年のオックスフォードで初めて会ってから数年間、トムソンとジュールは共同で研究を行った。1852年、二人は細いノズルから気体を噴出させる実験を行い、ジュール=トムソン効果を発見した。

海底電信

地球物理学
1862年、トムソンはフーリエ級数を用いて球の冷却速度を計算し、地球の年齢が数千万年、長くても4億年を越えることはないと結論した。これは地球全体がどろどろに融けた状態から現在の温度になるまでの時間を求めたものであった。しかしこの論文は地球はできてからは冷めるだけであるという前提に立っており、当時発見されていなかった放射性元素の崩壊熱を考慮していなかったため、後にラザフォードによって計算された正しい値からは大きくずれていた。

1863年にトムソンは、地球の形状が太陽や月の潮汐力によって変形していること(地球潮汐)を利用して地球のかたさを求めた。

ヨットマンとして
トムソンはケンブリッジ大学在学中はスポーツにも取り組み、オックスフォード大学とのボートレースにも参加した。特にヨットに熱心で、海に関するあらゆるものに関心を持った。

(英語版より翻訳の予定)

クリスチャンとして
トムソンはキリスト教(非国教派)の敬虔な信者であった。以下の言葉は1889年5月23日のthe Christian Evidence Societyのannual meetingでのものである。

(英語版より翻訳の予定)

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6月26日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8826%E6%97%A5

できごと
684年 - ベネディクト2世が教皇に即位。

1284年 - ドイツ・ハーメルンで約130人の子どもが集団失踪(ハーメルンの笛吹き男の起こり)。

1332年(元弘2年/正慶元年6月3日) - 日野俊基が元弘の変で処刑される。

1483年 - イングランド王にリチャード3世が即位。

1900年 - 桂太郎が台湾協会学校(後の拓殖大学)を設立。

1936年 - 世界初の実用ヘリコプター、Fw61が初飛行。

1945年 - 国際連合憲章が加盟52ヶ国により調印される。

1945年 - 京都市上京区の西陣に空襲。

1948年 - ソ連の西ベルリン封鎖を受け、西側諸国によるベルリン空輸始まる。

1958年 - アメリカの人工衛星エクスプローラー4号打ち上げ。

1960年 - イギリス領ソマリランドが独立。

1960年 - マダガスカルがフランスより独立。

1968年 - アメリカの統治下にあった小笠原諸島が日本に返還される。

1976年 - アントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦が行われる。

1996年 - 民事訴訟法公布。

1997年 - バーティ・アハーンがアイルランド首相に就任。

2000年 - 国際ヒトゲノムシーケンス決定コンソーシアム、
ヒトゲノムドラフト配列の解読終了を宣言。

2000年 - 雪印集団食中毒事件。最初の被害。

2003年 - 最高裁が同性愛処罰法を憲法違反と判断。

誕生日
1730年 - シャルル・メシエ、天文学者(+ 1817年)

1824年 - ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)、物理学者(+ 1907年)

1859年(安政6年5月26日) - 柳原愛子、皇族・大正天皇の母(+ 1943年)

1862年(文久2年5月29日) - 箕作元八、歴史家(+ 1919年)

1892年 - パール・バック、小説家(+ 1973年)

1898年 - ウィリー・メッサーシュミット、航空機技術者(+ 1978年)

1911年 - 松平晃、歌手(+ 1961年)

1912年 - 高山辰雄、画家

1914年 - ヴォルフガング・ヴィントガッセン、テノール歌手(+ 1974年)

1925年 - パーヴェル・ベリャーエフ、宇宙飛行士(+ 1970年)

1928年 - 中松義郎(ドクター中松)、発明家

1931年 - コリン・ウィルソン、作家

1932年 - 石井連蔵、アマチュア野球指導者

1935年 - 白川澄子、声優

1937年 - レジー・ワークマン、ジャズベース奏者

1940年 - ジェリー藤尾、歌手・俳優

1940年 - 出崎哲、アニメ監督

1941年 - 渡辺茂夫、ヴァイオリニスト(+ 1999年)

1942年 - 斎藤努、元毎日放送アナウンサー

1950年 - 小堀勝啓、CBCアナウンサー
1950年 - 松井優典、元プロ野球選手
1951年 - 太田房江、大阪府知事
1955年 - 具志堅用高、ボクサー
1955年 - 堀場英孝、元プロ野球選手
1956年 - 角盈男、元プロ野球選手・タレント
1957年 - アンドレア・ピニンファリーナ、ピニンファリーナ社CEO
1957年 - あたか誠、声優
1962年 - 藤田勉(PERSONZ)
1964年 - トミ・マキネン、ラリードライバー
1965年 - 甲本雅裕、俳優
1966年 - 山本スーザン久美子、元アイドル
1967年 - 河村亮、日本テレビアナウンサー
1967年 - 麻生かほ里、声優
1968年 - 千葉一伸、声優
1968年 - パオロ・マルディーニ、サッカー選手
1970年 - 許斐剛、漫画家
1971年 - 仲村知夏、元歌手
1971年 - マッシミリアーノ・ビアッジ、オートバイレーサー
1972年 - 多治見麻子、バレーボール
1972年 - 川岡美由紀、バレーボール
1972年 - 奥田晃、バレーボール
1973年 - 養父鉄、元プロ野球選手
1974年 - デレク・ジーター、メジャーリーガー
1974年 - 砂川憲和、尺八奏者(+ 2006年)
1976年 - 藍田真潮、タレント
1977年 - 久保帯人、漫画家
1977年 - 小林美幸、アナウンサー
1979年 - 神崎ちろ、声優
1979年 - カレン、ファッションモデル
1979年 - ルイス・ゴンザレス、プロ野球選手
1980年 - 竹間淳一、作曲家
1980年 - 熊本梨佳(サンフラワー)、ローカルアイドル
1981年 - 杉山哲、サッカー選手
1981年 - 鳥谷敬、プロ野球選手
1981年 - 井本みさお、タレント・お笑い芸人・レースクイーン
1983年 - 豊ノ島大樹、力士
1984年 - 横山徹也、プロ野球選手(オリックス・バファローズ)
1984年 - 巻佑樹、サッカー選手
1988年 - 中西里菜、AKB48
1988年 - 田代真一、サッカー選手
1992年 - 内藤惟人、子役
2005年 - アレクシア・ファン・オラニエ=ナッサウ、オランダの王族

忌日
363年 - ユリアヌス、ローマ皇帝、「背教者」

822年(弘仁13年6月4日) - 最澄、僧(* 767年)

1332年(元弘2年/正慶元年6月3日) - 日野俊基、公家

1536年(天文5年6月8日) - 福島正成、北条綱成の父(* 1492年)

1541年 - フランシスコ・ピサロ、コンキスタドール(* 1471年)

1795年(寛政7年5月19日)- 長谷川平蔵、火付盗賊改役(* 1745年)

1830年 - ジョージ4世、イギリス王(* 1782年)

1877年 - 山田方谷、儒家・陽明学者(* 1805年)

1899年 - 大木喬任、政治家(* 1832年)

1919年 - ミハイル・ツヴェット、植物学者(* 1872年)

1934年 - 内藤湖南、歴史家(* 1866年)

1943年 - カール・ラントシュタイナー、病理学者(* 1868年)

1949年 - 金九、朝鮮の独立運動家(* 1876年)

1952年 - 福田正夫、詩人(* 1893年)

1954年 - 福井英一、漫画家(* 1921年)

1956年 - クリフォード・ブラウン、ジャズミュージシャン(* 1930年)

1967年 - フランソワーズ・ドルレアック、女優(* 1942年)

1986年 - 前川國男、建築家(* 1905年)

1993年 - ロイ・キャンパネラ、元メジャーリーガー(* 1921年)

1997年 - イズラエル・カマカヴィヴォオレ、ハワイアンシンガー(*1959年)

2003年 - マルク・ヴィヴィアン・フォエ、サッカー選手(* 1975年)

2005年 - 林由美香、AV女優(* 1970年)

2007年 - 時太山俊、大相撲力士(* 1989年)

記念日・年中行事
露天風呂の日
昭和62年6月26日に岡山県の湯原温泉で制定
。「ろ(6)てん(・)ぶ(2)ろ(6)」という語呂合わせ。

スティッチの日
626=6月26日