東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年6月28日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年6月28日(土曜日)

「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」が「4週間」たちました。
あさってから「7月」です。
早い。早いものです。

木々の若葉のいろ。
緑がますますあざやかになり
深緑(ふかみどり)になりました。

まさしく空は
初夏ばれの「空色」になってきました。
けれども。
朝暗いうちはミルクのはいったコバルトのような
カフエ・オレの空色です。

あさの03:30AMころは東の空
ほのかにあかるく
くらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
にうつろうように。
しらんできます。

野路はたに真紅く咲ける
ビロードの如し葉もてる
名知らぬ花ありてめずらしき
いざいまこそは
こころよき季節にあらん
ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に「日はたかくなり
葉木の樹木は「木」にかわり
ました。

外路樹の若葉は
御茶の葉のわかばのように
つみとりたくなる
ほどにきれいです。

街(まち)深緑にいろどりて
木々のわか葉かがやけり
せみなく夏のちかからむ
いまだみどりはやわらかし

道端の初夏の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

今年の初夏の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
バロックの稀代の天才画家。
バロックの稀代の芸術家。

有名な童話小説にある。
『フランダースの犬』*に登場する
主人公のネロが見たがっていた
絵画(アントワープ大聖堂にある
「キリストの昇架」と「キリストの降架」
の作者として有名です。


フランダースの犬
(ふらんだーすのいぬ、
原題:A Dog of Flanders)は、
イギリスのウィーダ (Ouida) の書いた童話です。

また『フランダースの犬」にて
ネロが祈りを捧げていた
アントワープ大聖堂のマリアも作品(「聖母被昇天」)
である。

1577年 - ピーテル・パウル・ルーベンス、画家(+ 1640年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ピーテル・パウル・ルーベンス
(Pieter Paul Rubens,
1577年6月28日 - 1640年5月30日)は、
バロック期のフランドルの画家及び外交官です。

現地音は「リュベンス」に近い発音です。

++++++++++++++++++++++
ピーテル・パウル・ルーベンスの生涯

シュザンヌ・フールマンの肖像 
1622頃 ナショナル・ギャラリー17世紀。

ピーテル・パウル・ルーベンスは
バロック時代のヨーロッパを代表する画家です。
この一語につきます。

ルネサンス期絵画の。
均整のとれた構図や理想化された人物表現とは
一線を画します。

ルーベンスの絵画は、
動きの多い劇的な構図、人物の激しい身振り、
華麗な色彩、女神像などに見られる豊満な裸体表現など。

バロック絵画の特色が十二分に発揮されたものです。

人物のまとう毛皮の色などに、
黒を色彩のひとつとして積極的に用いていることも。
特筆されるべきことです。

++++++++++++++++++++++
ピーテル・パウル・ルーベンスは。

1577年、アントワープ(アントウェルペン)
出身だった両親が亡命していた
ドイツのジーゲンに生まれました。

ルーベンスが10歳の時に父親が没し、
母親はルーベンスを連れて故郷へ戻ります。

絵の修業を始めたのは14歳頃からです。
師匠の一人であったオットー・ファン・フェーンは、
ギリシア・ローマの古典に造詣の深い、教養ある人物でした。

ルーベンスはこの師から多大な影響を受けています。

++++++++++++++++++++++

ピーテル・パウル・ルーベンスは
1600年にはイタリアへ渡り、
マントヴァ公の宮廷画家となりました。

イタリアで約8年間活動した後に。
1608年にはアントワープに戻っています。

1609年、長らく争っていた隣国オランダとの間に休戦協定が結ばれ、
平和が戻ったフランドルでは絵画の需要が急増致しました。
イタリア帰りのルーベンスには注文が殺到しました。

この年からスペインのイザベラ王女(
ネーデルラントの統治者でもあった)の
宮廷画家となったルーベンスは。

前世紀のヴェネツィアの画家同様、工房を設置し、
多くの弟子たちを動員して
大量の注文制作をこなすことになりました。

++++++++++++++++++++++

ピーテル・パウル・ルーベンスの
『マリー・ド・メディシスの生涯』

ピーテル・パウル・ルーベンスは。 
1622−25 ルーヴル美術館ルーベンスは1622年、パリに赴き
ました。

当時のフランス皇太后マリー・ド・メディシスの注文で。

彼女の生涯を題材とした連作の制作にとりかかりました。
マリー・ド・メディシスは
その名が示すとおり、フィレンツェのメディチ家の出身です。

フランス王アンリ4世の妃であり、ルイ13世の母でもあります。

マリー・ド・メディシスは、その権勢欲の強さから、
息子である国王ルイ13世と対立致しました。
ついには王宮から追放されてしまうのです。

この連作は、そのマリーが、
リュクサンブール宮殿に飾るために注文したものでした。

偉大な業績を残したわけでもなく、
ドラマ性に乏しいこの女性の一代記を絵画化するにあたり。

ルーベンスは
古代神話の神々や寓意の人物像などを巧みに画面に取り入れて
、壮大な作品に仕立て上げています。
まさに「偉業」の技・匠・といえます。

++++++++++++++++++++++

ピーテル・パウル・ルーベンスの
外交官としての一面

多くの言語に精通していたルーベンスは
イタリア、スペイン、英国にも足跡を残しました。
外交官としての一面もあったのは否めません。

オランダとフランドルの休戦協定の有効期間は12年間でした。
1621年にその期限が切れると。
フランドルは再び戦火にさらされました。

当時、
北部ネーデルラント(オランダ)は独立していました。

フランドル(今のベルギー)は
引き続きスペインの支配下にありました。

1628年、前述のイザベラ王女は和平のための外交使節として、
ルーベンスをスペインのマドリードに派遣しました。

ルーベンスはそこで
スペイン最大の画家ベラスケスに会っています。
またスペイン宮廷が所蔵していた
ティツィアーノ(ヴェネツィア派の巨匠)の絵画を模写するなど、
画家としての活動もしています。
++++++++++++++++++++++

ピーテル・パウル・ルーベンス

代表作

キリスト降架 1611−14 アントワープ大聖堂マリー・ド・メディシスの生涯(1622-25)(ルーヴル美術館)
キリスト昇架(1609−10)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)*
キリスト降架(1612−14)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)*
キリスト復活(1610−22)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)
聖母被昇天(1625−26)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)
レウキッポスの娘たちの略奪(1618頃)(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)
シュザンヌ・フールマンの肖像(1622頃)(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)
エレーヌ・フールマンの肖像(1630頃)(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)

その他
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フランダースの犬
(ふらんだーすのいぬ、
原題:A Dog of Flanders)は、
イギリスのウィーダ (Ouida) の書いた童話があります。

この有名な童話小説にある。
『フランダースの犬』*に登場する
主人公のネロが見たがっていた
絵画(アントワープ大聖堂にある
「キリストの昇架」と「キリストの降架」
の作者としてピーテル・パウル・ルーベンスは
有名です。

キリスト昇架(1609−10)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)*
キリスト降架(1612−14)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)*
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ピーテル・パウル・ルーベンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B9

ピーテル・パウル・ルーベンス(Pieter Paul Rubens, 1577年6月28日 - 1640年5月30日)は、バロック期のフランドルの画家及び外交官。現地音は「リュベンス」に近い。

目次
1 生涯
2 『マリー・ド・メディシスの生涯』
3 外交官としての一面
4 代表作
5 その他
6 関連項目

生涯

シュザンヌ・フールマンの肖像 1622頃 ナショナル・ギャラリー17世紀、バロック時代のヨーロッパを代表する画家である。ルネサンス期絵画の均整のとれた構図や理想化された人物表現とは一線を画し、ルーベンスの絵画は、動きの多い劇的な構図、人物の激しい身振り、華麗な色彩、女神像などに見られる豊満な裸体表現など、バロック絵画の特色が十二分に発揮されたものである。人物のまとう毛皮の色などに、黒を色彩のひとつとして積極的に用いていることも特筆される。

1577年、アントワープ(アントウェルペン)出身だった両親が亡命していたドイツのジーゲンに生まれた。ルーベンスが10歳の時に父親が没し、母親はルーベンスを連れて故郷へ戻る。絵の修業を始めたのは14歳頃からである。師匠の一人であったオットー・ファン・フェーンは、ギリシア・ローマの古典に造詣の深い、教養ある人物で、ルーベンスはこの師から多大な影響を受けている。

1600年にはイタリアへ渡り、マントヴァ公の宮廷画家となった。イタリアで約8年間活動した後、1608年にはアントワープに戻っている。1609年、長らく争っていた隣国オランダとの間に休戦協定が結ばれ、平和が戻ったフランドルでは絵画の需要が急増し、イタリア帰りのルーベンスには注文が殺到した。この年からスペインのイザベラ王女(ネーデルラントの統治者でもあった)の宮廷画家となったルーベンスは、前世紀のヴェネツィアの画家同様、工房を設置し、多くの弟子たちを動員して大量の注文制作をこなした。

『マリー・ド・メディシスの生涯』

マリー・ド・メディシスの生涯:マリーのマルセイユ到着 1622−25 ルーヴル美術館ルーベンスは1622年、パリに赴き、当時のフランス皇太后マリー・ド・メディシスの注文による、彼女の生涯を題材とした連作の制作にとりかかる。マリー・ド・メディシスはその名が示すとおり、フィレンツェのメディチ家の出身で、フランス王アンリ4世の妃であり、ルイ13世の母である。マリー・ド・メディシスは、その権勢欲の強さから、息子である国王ルイ13世と対立し、ついには王宮から追放されてしまう。この連作は、そのマリーが、リュクサンブール宮殿に飾るために注文したものであった。偉大な業績を残したわけでもなく、ドラマ性に乏しいこの女性の一代記を絵画化するにあたり、ルーベンスは古代神話の神々や寓意の人物像などを巧みに画面に取り入れて、壮大な作品に仕立て上げている。

外交官としての一面
多くの言語に精通していたルーベンスはイタリア、スペイン、英国にも足跡を残し、外交官としての一面もあった。上述したオランダとフランドルの休戦協定の有効期間は12年間で、1621年にその期限が切れると、フランドルは再び戦火にさらされた。当時、北部ネーデルラント(オランダ)は独立していたが、フランドル(今のベルギー)は引き続きスペインの支配下にあった。1628年、前述のイザベラ王女は和平のための外交使節として、ルーベンスをスペインのマドリードに派遣した。ルーベンスはそこでスペイン最大の画家ベラスケスに会っており、またスペイン宮廷が所蔵していたティツィアーノ(ヴェネツィア派の巨匠)の絵画を模写するなど、画家としての活動もしている。

代表作

キリスト降架 1611−14 アントワープ大聖堂マリー・ド・メディシスの生涯(1622-25)(ルーヴル美術館)
キリスト昇架(1609−10)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)
キリスト降架(1612−14)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)
キリスト復活(1610−22)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)
聖母被昇天(1625−26)(アントワープ、聖母マリア大聖堂)
レウキッポスの娘たちの略奪(1618頃)(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)
シュザンヌ・フールマンの肖像(1622頃)(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)
エレーヌ・フールマンの肖像(1630頃)(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)

その他
『フランダースの犬』において主人公のネロが見たがっていた
絵画(アントワープ大聖堂にある「キリストの昇架」と「キリストの降架」)の作者として有名。

ネロが祈りを捧げていたアントワープ大聖堂のマリアも、ルーベンスの作品(「聖母被昇天」)。

関連項目
ウィキメディア・コモンズには、ピーテル・パウル・ルーベンス に関連するカテゴリがあります。フランダースの犬
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B9" より作成
カテゴリ: フランドルの画家 | 17世紀の美術家 | 1577年生 | 1640年没

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6月28日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8828%E6%97%A5

できごと
1098年 - 第一次十字軍がアンティオキア包囲戦でモスルのケルボガを破る。

1193年(建久4年5月28日) - 曾我兄弟の仇討ち。

1333年(正慶2年/元弘3年5月8日) -
新田義貞が上野国で北条氏討伐の為に旗揚げする。

1858年 - ヴィクトリア女王の戴冠式が行われる。

1859年(安政6年5月28日) -
江戸幕府が、米・英・蘭・仏・露に対し、神奈川・長崎・箱館で自由貿易を許可する布告を出す。

1866年 - ダービー伯エドワード・ジョフリー・スミス・スタンレーがイギリス首相に就任、
3度目の組閣。

1875年 - 新聞紙条例・讒謗律を布告。

1881年 - オーストリアとセルビアが密約を結び、セルビアはオーストリアの保護国化される。

1886年 - カナダ太平洋鉄道の営業が開始され、初の大陸横断列車がモントリオールを出発。

1894年 - 労働者の日がアメリカ合衆国の公式の祝日に制定される。

1914年 - サラエボ事件。

1919年 - ドイツが連合国とヴェルサイユ条約を締結する。

1922年 - アイルランド自由国軍がダブリンのフォー・コーツを砲撃、アイルランド内戦が勃発。

1942年 - 第二次世界大戦でドイツ軍がブラウ作戦を発動する。

1948年 - 福井地震。

1948年 - ユーゴスラビアがコミンフォルムから除名される。

1950年 - 巨人の藤本英雄が日本プロ野球史上初の完全試合を達成。

1950年 - 朝鮮戦争: ソウルが陥落、北朝鮮の占領下に置かれる。

1956年 - ポーランドのポズナンで労働者による暴動。

1969年 - ストーンウォールの反乱が起きる。

1979年 - 第5回主要国首脳会議が東京で開催される。

1991年 - 経済相互援助会議解散。

1997年 - 神戸連続児童殺傷事件で14歳の少年を逮捕。

2005年 - ひまわり6号が気象観測機能の本格的運用を開始。

2005年 - カナダで市民結婚法案が可決、異性間の結婚と同性間の結婚が
法的にまったく同一となる。

2006年 - モンテネグロが国際連合に加盟。

誕生日
1243年(寛元元年6月10日) - 後深草天皇、第89代天皇(+ 1304年)

1491年 - ヘンリー8世、イングランド王(+ 1547年)

1577年 - ピーテル・パウル・ルーベンス、画家(+ 1640年)

1644年(正保元年5月24日)- 徳川綱重、徳川家光三男・甲府藩主(+ 1678年)

1712年 - ジャン=ジャック・ルソー、思想家(+ 1778年)

1815年 - ローベルト・フランツ、作曲家(+ 1892年)

1890年 - 5代目古今亭志ん生、落語家(+ 1973年)

1895年 - シシリー・メアリー・バーカー、挿絵画家・児童文学作家(+ 1973年)

1909年 - 中島治康、元プロ野球選手・監督(+ 1987年)

1913年 - ジョージ・ロイド、作曲家(+ 1998年)

1916年 - 呉昌征、元プロ野球選手(+ 1987年)

1921年 - ナラシマ・ラオ、インドの首相(+ 2004年)

1928年 - ハンス・ブリックス、政治家

1930年 - 三波伸介、喜劇俳優・コメディアン(+ 1982年)

1937年 - 野口武彦、日本文学者・文芸批評家・神戸大名誉教授

1942年 - 土井正三、元プロ野球選手・監督

1943年 - 千田啓介、元プロ野球選手

1946年 - ロバート・アスプリン、SF作家

1948年 - 石川賢、漫画家

1949年 - 佐藤洋二郎、小説家

1952年 - 池谷公二郎、元プロ野球選手・コーチ
1953年 - 福田功、元プロ野球選手
1957年 - 根本敬、漫画家
1957年 - 青山久人、元プロ野球選手
1958年 - 弓岡敬二郎、元プロ野球選手
1960年 - 福良淳一、元プロ野球選手
1961年 - 西岡良洋、元プロ野球選手
1963年 - 長峰由紀、TBSアナウンサー
1965年 - 赤土眞弓、声優
1966年 - 田島裕和、騎手
1966年 - 中村あゆみ、ミュージシャン
1967年 - きたがわ翔、漫画家
1968年 - 三浦隆志、読売テレビアナウンサー
1971年 - 藤原紀香、タレント
1971年 - ファビアン・バルテズ、サッカー選手
1974年 - 水野美紀、女優
1974年 - 有坂美香、歌手
1976年 - 川口憲史、プロ野球選手
1976年 - 浅越しのぶ、元テニス選手
1977年 - DJ KOHNO、DJ(ケツメイシ)
1982年 - 早坂ひとみ、AV女優
1982年 - 椿隆之、俳優
1983年 - 平野将光、プロ野球選手
1985年 - 石垣大祐、 ジャニーズJr.(Question?)
1985年 - 中村中、シンガーソングライター
1988年 - 濱田岳、俳優
1986年 - 丸山貴史、プロ野球選手
1989年 - 木暮郁哉、サッカー選手
1989年 - 宮澤裕樹、サッカー選手
1990年 - 尾高杏奈、子役
1991年 - 小山ひかる、HINOIチーム

忌日
202年 - 袁紹、三国時代の武将

548年 - テオドラ、ユスティニアヌス1世の皇后(* 500年頃)

1389年 - ラザル、セルビア侯(* 1329年)

1616年(元和2年5月15日) - 下間仲孝、本願寺氏の坊官(* 1551年)

1836年 - ジェームズ・マディスン、第4代アメリカ合衆国大統領(* 1751年)

1914年 - フランツ・フェルディナント、オーストリア皇太子(* 1863年)

1945年 - ジョニー・ハイケンス、作曲家(* 1884年)

1951年 - 林芙美子、小説家(* 1903年)

1963年 - フランク・ベーカー、元メジャーリーガー(* 1886年)

1983年 - 沖雅也、俳優(* 1952年)

1992年 - ミハイル・タリ、第10代チェスの世界チャンピオン(* 1936年)

1996年 - 山形勲、俳優(* 1915年)

1997年 - 佐貫亦男、航空宇宙評論家(* 1908年)

2004年 - 野沢尚、脚本家、小説家(* 1960年)

2007年 - 宮澤喜一、政治家・元首相(* 1919年)

2007年 - 中江真司、声優・ナレーター(* 1935年)

記念日・年中行事
貿易記念日(日本)
安政6年5月28日(新暦1859年6月28日)、
江戸(徳川)幕府がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの
五か国との間に結んだ友好通商条約に基づき、
横浜・長崎・箱館(函館)の各航で自由貿易の開始を布告したことに因み、
1963年の閣議決定で制定。

雨の特異日(日本)