東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年7月17日(木曜日)

「ここをおして」をクリックされてください。

東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年7月17日(木曜日)

ひなまつりがおわり。
春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
そして
「5月」もおわりました。
6月に・「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月も15日。7月が半分終わりました。

今年も「半分+少し」終わりました。
毎朝ににせみが「何匹かないている」
芭蕉の句

「しずかさやいわにしみいるせみのこえ」。

まさに
1−2匹の遠くでなく「にいにいせみ」のこえは。
「硬き巌(いわお)岩にしみいるようです」。

せみしぐれになると岩に反射してしまうでしょう。

セミしぐれの
8月まであと2週間たらず。
夏至も過ぎました。

これからは次第に陽は短くなる。

しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議な安堵感があります。

朝空は
陽ははるかに天高く空色はミルク色です。
クリームのかかったような雲空です。

「つつじ」の「花」がおわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

若々しい草色の葉を木一面に広げ。
若葉の潅木としてとてもとても奇麗です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物はあじさいです。

私は森山を分け入ると。
木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花さく
「やまつつじ」が「大好き」です。
「くさぼけ」もかわいらしく「大好き」
です。

四季の歩みの春夏秋冬の
メトロノームのような「あゆみ」を
感じます。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお確実な「リズム」を感じます。
ここに「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
が。くわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じ・。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきそして聴こえます。
自然は
自然の
「ヴィルトオーゾ・ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」*です。
この自然のフイルハーモニーの
指揮者は太陽なのか大地なのか。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判る。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる成分ではありません。

また音楽であるために。
三要素が絶対必要という意味
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つ。

大和の国の自然は。
「音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。
「ため息」がでるほど木々の「若葉」の
「たば」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から「みどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎える葉束」になりました。

「若葉」の「新緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり初夏のおとずれを
伝えています。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうな青葉。

明らかなる。
「冬から春」とは全く違う
「春から夏」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

里山(さとやま)をあるき。
歩きたい季節になり。
昔々里山(さとやま)で遊び。
そして里山(さとやま)遊んだ。
日々の思い出は
黄金や鉛のような重さとなり
心の奥深くに感じられます。

けれども
まだ早朝ははだ寒いです。

やま中木々中分けいらば
若木の根元に隠れさけり
あけぼの色のちひさき花
みつけたりやまの花 
草ぼけの花。

くさぼけの
花かくしてや
やまつつじ

たかくひろくなりけり空(そら)
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
かがやきてあざやかなりけり 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな春みつけた」
から
「春がすぎてて真夏間近い」
「小さな真夏みつけた・。」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
古典力学における最大の法則であり。
アインシュタイン方程式ですら、
重力場のラグランジアンと
この法則を用いて導出されることで。
「有名な」原理である
『最小作用の原理』を最初に唱えたかたがいます。
またこのかたは。
ダーウインより先に「進化論」を唱えた「数学者」です。
このひとこそ。

「今日は何の日」は
1698年 - ピエール・ルイ・モーペルテュイ、
数学者(+ 1759年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

最小作用の原理(さいしょうさようのげんり)は
解析力学の基礎となった最初期の力学の原理です。

「運動は。
作用と呼ばれる量を最小にするような軌道にそって行われる」
ということ。

古典力学における最大の法則です。
アインシュタイン方程式ですら、
重力場のラグランジアンと
この法則を用いて導出されることになります。

この法則そのものは、
ファインマンの経路積分の考え方によって
理解ができます。

++++++++++++++++++++++
「最小作用の法則」

物体は運動において様々な
運動経路(軌道)をとる事が可能である。
けれどもいずれの軌道においても。

「作用が極値(鞍点値)をとる…
すなわち最小作用の原理を満たす…
経路」

最も量子力学的な
確率密度が高くなる事が知られています。

++++++++++++++++++++++

ピエール・ルイ・モーペルテュイ
(Pierre-Louis Moreau de Maupertuis、
1698年7月17日 1759年7月27日)は
フランスの数学者、著述家です。

「最小作用の法則」のほかにも。
地球の形状を調査するラップランド観測隊*の隊長として
指揮をとりましたしました。

南米の赤道の観測隊と南米の極地と「2つ」
の観測隊のうり「極地」のほうです。

++++++++++++++++++++++

意外としられていませんが。
ピエール・ルイ・モーペルテュイは。

生物の進化論の分野で
「ダーウィン以前に進化について述べた1人」
でもあります。
飛行機の初飛行は「合衆国USA」の
ライト兄弟ではなく実質的にはアルベルト・サントス・デュモン
であるように
「歴史の本物の「最初」のかた」は
えてして間違えられることが
あるように思えます。

++++++++++++++++++++++

ピエール・ルイ・モーペルテュイは
サン・マロの。
豊かな商人の家に生まれました。

家庭教師によって教育を受けた後、
軍に入り騎兵隊に加わりました。

軍務の傍ら数学を学び数学者として評判になりました。

一般にフランス人のかたは
数学的素養がある・生まれつき身に付けておられる
ように私には思えます。

++++++++++++++++++++++

ピエール・ルイ・モーペルテュイは。

1723年に科学アカデミーの会員になりました。

1728年にはロンドンに渡り、王
立協会の会員になり
ニュートンの重力理論をフ
ランスに普及することに貢献致しました。

++++++++++++++++++++++

当時地球の形に関して。
1・
ニュートンの理論から導びかれる
「南北に扁平な楕円形状」であるのか。
2・
「それまでのジャック・カッシーニの
子午線の測量からの南北に
長い形状であるのかが」が
論争になっていました。

この問題に決着をつけるために、
1736年に赤道近くのペルーと
極に近いラップランドに観測隊が組織され、
モーペルテュイはラップランド隊の隊長を務めました。

帰国後の1738年に
Sur la figure de la terre
(『地球の形状について』)を発表致しました。

++++++++++++++++++++++
ピエール・ルイ・モーペルテュイは
この業績などにより評価され。

1740年プロイセン王フリードリヒ2世にベルリンに招かれました。

オーストリア継承戦争ではプロシア軍に加わり
1741年のモルヴィッツの戦いでオーストリア軍の捕
虜となったが「有名人ゆえに」
釈放されました。

1742年にはパリに戻り科学アカデミーの会長になり、
翌年アカデミー・フランセーズの会員に選ばれました。

++++++++++++++++++++++

ピエール・ルイ・モーペルテュイは

1744年に再びベルリンに招かれました。

1746年プロシア科学アカデミーの会長になりました。

七年戦争でフランスとプロシアが戦争になったことは
モーペルテュイの立場を都合の悪いものではあったのですが。
結局
1757年に引退するまでその職にありました。

1758年にバーゼルに移り、翌年没しました。

++++++++++++++++++++++

ピエール・ルイ・モーペルテュイの
『最小作用の原理』は
1741年の論文Loi du repos des corpsや
1744年の論文Accord de plusieurs lois naturelles
qui avaient paru jusqu’ici incompatibles
に発表されました。

1751年に
ザムエル・ケーニッヒにより
「最小作用の原理は
すでにゴットフリート・ライプニッツによって
1707年に発見されていたという異議」
を述べて論争になりましたが。

モーペルテュイにプライオリティが認められました。

++++++++++++++++++++++

ピエール・ルイ・モーペルテュイの
また生物の進化に関しては。

1752年の著書Venus physiqueや
1754年の著書Systeme de la Natureで、
進化論の先駆けとなる概念を
述べたことが記録に残っています。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
ピエール・ルイ・モーペルテュイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%A5%E3%82%A4

ピエール・ルイ・モーペルテュイ
(Pierre-Louis Moreau de Maupertuis、1698年7月17日 1759年7月27日)はフランスの数学者、著述家である。『最小作用の原理』を最初に唱えたとされる他、地球の形状を調査するラップランド観測隊を指揮した。生物の進化論の分野でダーウィン以前に進化について述べた1人である。

サン・マロの豊かな商人の家に生まれた。家庭教師によって教育を受けた後、軍に入り騎兵隊に加わった。軍務の傍ら数学を学び数学者として評判になり、1723年に科学アカデミーの会員になった。1728年にはロンドンに渡り、王立協会の会員になりニュートンの重力理論をフランスに普及するのに貢献した。当時地球の形がニュートンの理論から導びかれる南北に扁平な楕円形状であるのか、それまでのジャック・カッシーニの子午線の測量からの南北に長い形状であるのかが論争されていた。その問題に決着をつけるために、1736年に赤道近くのペルーと極に近いラップランドに観測隊が組織され、モーペルテュイはラップランド隊の隊長を務めた。帰国後の1738年にSur la figure de la terre(『地球の形状について』)を発表した。この業績などにより評価され、1740年プロイセン王フリードリヒ2世にベルリンに招かれた。オーストリア継承戦争ではプロシア軍に加わり1741年のモルヴィッツの戦いでオーストリア軍の捕虜となったが釈放された。1742年にはパリに戻り科学アカデミーの会長になり、翌年アカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。1744年に再びベルリンに招かれ、1746年プロシア科学アカデミーの会長になった。七年戦争でフランスとプロシアが戦争になったことはモーペルテュイの立場を都合の悪いものにしたが、1757年に引退するまでその職にあった。1758年にバーゼルに移り、翌年没した。

『最小作用の原理』は1741年の論文Loi du repos des corpsや1744年の論文Accord de plusieurs lois naturelles qui avaient paru jusqu’ici incompatiblesに発表された。1751年にザムエル・ケーニッヒが最小作用の原理はすでにゴットフリート・ライプニッツによって1707年に発見されていたという異議を述べて論争になったが、モーペルテュイにプライオリティが認められた。また生物の進化に関して1752年の著書Venus physiqueや1754年の著書Systeme de la Natureで、進化論の先駆けとなる概念を述べたことが記録に残っている。

関連項目
モーペルテュイ(ピエール・ルイ・モーペルテュイにちなみ命名された小惑星)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%A5%E3%82%A4" より作成
カテゴリ: フランスの数学者 | 1698年生 | 1759年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
最小作用の原理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%B0%8F%E4%BD%9C%E7%94%A8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86

最小作用の原理(さいしょうさようのげんり)は解析力学の基礎となった最初期の力学の原理。運動は作用と呼ばれる量を最小にするような軌道にそって行われるということ。

古典力学における最大の法則であり、アインシュタイン方程式ですら、重力場のラグランジアンとこの法則を用いて導出される。この法則そのものは、ファインマンの経路積分の考え方によって理解できる。物体は運動において様々な運動経路(軌道)をとる事が可能であるが、作用が極値(鞍点値)をとる…すなわち最小作用の原理を満たす…経路が最も量子力学的な確率密度が高くなる事が知られている。

目次
1 モーペルテュイの原理(Maupertuis' principle)
2 作用積分
3 計算上の注意点
4 関連記事

モーペルテュイの原理(Maupertuis' principle)
モーペルテュイの最小作用の原理とも言う。
1747年、モーペルテュイ(P. L. M. Maupertuis)によって考え出された。
一個の質点からなる系において、その質点が運動する経路を l とすると、

が成り立つ。この時、Kは運動エネルギー、dlは質点の運動する経路の微小片の長さ、dl / dt = vは質点の速度、mは質点の質量である。つまり、上式の最右辺の式=0より、質点の運動量mvと微小片dlの積の積分に関する停留値問題に帰着する。これが、モーペルテュイの原理である。

上式の最右辺の式は、系の全エネルギーをE、位置エネルギーをVとすると、

から、

と換言することができる。

この原理は、フェルマーの原理、

と対比される。ここで、nは屈折率、 l は光の通る経路である。

同様にラグランジアンにおける停留値問題、

の式で表される原理をハミルトンの原理(ハミルトンの最小作用の原理)と言う。

[編集] 作用積分
ラグランジアンの積分

を作用積分またはハミルトンの積分と言う。前節のハミルトンの原理は作用積分を用いて

と書くことができる。

ラグランジアンの変分は正準運動量 piを用いて

と表されるから

となる。また、

であるから、作用積分の時間による偏微分は

となる。( H はハミルトニアン)

計算上の注意点
偏微分を計算する際に、違う経路を算出する場合がある。例えば、東京−大阪間を地表に沿って移動する計算をすると、名古屋付近を経由する最短経路でなく、対蹠点を通る解が出てしまう場合がある。

関連記事
変分原理
解析力学
力学
経路積分
物理学
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%B0%8F%E4%BD%9C%E7%94%A8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86" より作成
カテゴリ: 力学 | 自然科学の法則

++「続きを読むです3」++++++++++++++++++
7月17日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8817%E6%97%A5

できごと
180年 - 北アフリカのスキッリウムでキリスト教徒20人が殉教。

645年(大化元年6月19日) - 日本初の元号を大化とする。

1488年(長享2年6月9日)- 加賀一向一揆で、加賀国の守護の富樫政親が殺害される。

1589年(天正17年6月5日) - 摺上原の戦い。

1791年 - フランス革命: シャン・ド・マルスの虐殺

1841年 - イギリスで風刺漫画雑誌『パンチ』が創刊。

1853年(嘉永6年6月12日)-
ペリー率いるアメリカ艦隊が江戸幕府からの国書回答猶予要請を受けて浦賀を出港。

1880年 - 旧刑法と治罪法(現在の刑事訴訟法)が制定される。

1899年 - NECこと日本電気設立。

1917年 - ジョージ5世の命で英王室の家名がサクス=コバーグ=ゴータから
ウィンザーに改称、ウィンザー朝が始まる。

1918年 - ロシア・エカテリンブルクのイパチェフ館に監禁されていた
元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族が銃殺された。

1944年 - シカゴ港大災害

1945年 - ドイツのポツダムで、ハリー・S・トルーマン、
ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリンが出席した連合国首脳会議(ポツダム会談)が開かれる。

1945年 - 太平洋戦争: 沼津大空襲

1955年 - ディズニーランド(アメリカカリフォルニア州アナハイム)オープン。

1956年 - 経済白書が「もはや戦後ではない」と発表し、経済面での戦後は終わったと宣言。

1966年 - 『ウルトラマン』の放送がTBS系各局で開始。

1971年 - プロ野球オールスターゲーム第1戦(西宮)で、
全セ先発の江夏豊(阪神)が9者連続奪三振を達成(最終的に全セは継投による
ノーヒットノーランも達成)。

1975年 - ひめゆりの塔を参拝した明仁皇太子(当時)と美智子皇太子妃(当時)に、
左翼派が火炎瓶を投げる事件発生(ひめゆりの塔事件)。

1975年 - アポロ・ソユーズテスト計画:
アメリカの宇宙船アポロ18号とソ連の宇宙船ソユーズ19号が
地球を周回する軌道上でドッキングに成功する。

1976年 - 第21回夏季オリンピック、モントリオールオリンピック大会開催。8月1日まで。

1977年 - キャンディーズ、日比谷野外音楽堂でのコンサート中に突然の解散宣言。

1980年 - 鈴木善幸内閣成立。

1993年 - 信州博覧会開幕、会期は9月26日まで。

1996年 - ポルトガル語諸国共同体結成。

1996年 - トランスワールド航空800便墜落事故

1997年 - メモリースティックが発表される。

1998年 - 国連外交会議において国際刑事裁判所規程が採択された。
以後、「国際司法の日」(World Day for International Justice)となる。

2007年 - 日本が国際刑事裁判所ローマ規程に批准する。
規定により10月1日に105カ国目の締約国となる。

2007年 - TAM航空3054便オーバーラン事故

誕生日
1698年 - ピエール・ルイ・モーペルテュイ、数学者(+ 1759年)

1846年(弘化3年閏5月24日) -
徳川家茂、江戸幕府第14代征夷大将軍(+ 1866年)

1827年 - フレデリック・エイベル - 化学者(+ 1902年)

1905年 - エドガー・スノー、ジャーナリスト(+ 1972年)

1920年 - フアン・アントニオ・サマランチ、前IOC会長

1922年 - 丹波哲郎、俳優(+ 2006年)

1926年 - 小沢重雄、俳優・声優(+ 2008年)

1929年 - 工藤栄一、映画監督(+ 2000年)

1931年 - 木下秀雄、俳優、声優

1932年 - 青島幸男、タレント・前東京都知事(+ 2006年)

1935年 - 石井智、元東京放送(TBS)アナウンサー(+ 1995年)

1940年 - C・W・ニコル、作家

1941年 - 高木守道、元プロ野球選手

1943年 - 藤田恒美、元TBSアナウンサー

1947年 - 荒俣宏 、小説家

1953年 - 鈴木順、TBSアナウンサー

1954年 - アンゲラ・メルケル、ドイツ首相
1954年 - 佐々木正洋、テレビ朝日アナウンサー
1956年 - 中村秀昭、TBSアナウンサー
1957年 - 大竹しのぶ、女優
1958年 - ウォン・カーウァイ、映画監督
1959年 - 杉山清貴、歌手
1960年 - 木原実、気象予報士・舞台俳優
1963年 - マッチ・ニッカネン、元スキージャンプ選手
1964年 - 神坂一 、小説家
1967年 - 清宮克幸、元ラグビー選手
1969年 - 北村一輝、俳優
1970年 - 宅間孝行、俳優
1971年 - 山田喜久夫、元プロ野球選手
1972年 - ヤープ・スタム、サッカー選手
1973年 - 古坂大魔王、タレント・ミュージシャン(NO BOTTOM!)
1974年 - クラウディオ・ロペス、サッカー選手
1974年 - 牧野塁、プロ野球選手
1976年 - トシ、お笑い芸人(タカアンドトシ)
1978年 - ヒカルド・アローナ、柔術世界王者
1984年 - あさみ、歌手(カントリー娘。)
1985年 - 鈴木葉月、グラビアアイドル・女優
1988年 - 浅田舞、モデル・フィギュアスケート選手
1988年 - 瞳めい、AV女優

忌日
1790年 - アダム・スミス、経済学者(* 1723年)

1912年 - アンリ・ポアンカレ、数学者(* 1854年)

1918年 - ニコライ2世、ロシア皇帝(* 1868年)

1918年 - アレクサンドラ皇后、ロシア皇帝ニコライ2世の后(* 1872年)

1918年 - アレクセイ皇太子、ロシア皇帝ニコライ2世の子(* 1904年)

1935年 - ジョージ・ウィリアム・ラッセル、詩人(* 1867年)

1958年 - 加藤正二、元プロ野球選手(* 1914年)

1959年 - ビリー・ホリデイ、ジャズ歌手(* 1915年)

1961年 - タイ・カッブ、元メジャーリーガー(* 1886年)

1967年 - ジョン・コルトレーン、ジャズサキソフォン奏者(* 1926年)

1969年 - 市川雷蔵、映画俳優(* 1931年)(* 1930年)

1981年 - 水原秋桜子、俳人(* 1892年)

1987年 - 石原裕次郎、俳優(* 1934年)

1988年 - ブルーザー・ブロディ、プロレスラー(*1946年)

1994年 - 塩田剛三、武道家・養神館合気道開祖(*1915年)

1995年 - ファン・マヌエル・ファンジオ、元F1ドライバー (* 1911年)

2004年 - 鈴木義司、漫画家(* 1928年)

2005年 - エドワード・ヒース元英国首相(* 1916年)

2006年 - ミッキー・スピレイン、小説家(* 1918年)

記念日・年中行事
あじさい忌(日本)

石原裕次郎の命日。

制憲節(韓国)
1948年7月17日に、大韓民国憲法が制定されたことに由来。
この日に憲法が制定されたのは、朝鮮王朝の建国日が7月17日だったためであると言われている。

漫画の日
11月3日・2月9日も漫画の日である。

東京の日