東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年7月22日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年7月22日(火曜日)

「7月22日」です。
7月になりました。
7月の三分の一が終わりました。

夏至も6月にすぎました。

だから。
陽は短くなり始めます
短くなり始めています。

正確にはこれからは太陽は「秋」「冬」に向かいます。

7月=真夏に近くなります。
梅雨(つゆ)は終わりました。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しも強いはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな7月のひざしです。

ふとかんがえれば・・。
夏至もおわり。

真夏の太陽から若葉をまもる
「ソフトフイルター」の役目の
「おぼろくもりそら」。

自然とは・。
よくできたものです。
大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境が。

とてもよくわかります。

街路樹もそうそうたる。
羽振りのよい木々になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。
街路樹が「松や杉」のような「常緑樹」では
冬はうっそうとして。
夏場は枝ぶり葉っぱから日の光を
さえぎれない。
とどのつまり
四季のリズムがあいません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」には木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉針葉樹で
強いからといって「からまつ」をうえられても
困ります。
私の「大好き」な北原白秋の「からまつの詩」
の「からまつ」は
街路樹にはそぐいません。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
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      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。
まるで。
大きな里山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばのめばえがとてもとても
鮮烈です。

街角の雑草も花はおわり。
7月の草花・
「ひるがお」「つるくさ」が
ますます姿を大きくしています。

雑草も。
同じく夏草へと変貌しつつある。

朝暗いうちは。
まだまだ。はださむい気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。真夏竹。
とおくからもみえます。

風にうかれし夏竹(なつたけ)や
みどりのいらかのかぜはやみ
なつの陽ひるむやうつろひの
竹(たけ)のつきひもはやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらき
みどり木夏空
ひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
夏ゆたかなりけり

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわちました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は

大学教育を受けなかったにも関わらず。
恒星の視差を用いてその星までの距離を初めて計算を可能にした
科学者・数学者・天文学者のかたがいます。

1830年代は恒星の正確な視差を最初に測定しようとする
天文学者達の熾烈な競争の舞台の中でした。

1838にはくちょう座61番星の視差が
0.314秒角であることを発表し。
この値と地球軌道の直径の値から、
この星が約3パーセクの距離にあることを明らかしました。
また
はくちょう座61番星の視差が決定されただけでなく、
シリウスとプロキオンの運動にずれがあることも明らかにし。
これらの恒星のずれは「目に見えない
伴星の重力によるものではないか」と推定した天才。

1841年シリウスの「見えない伴星」について発表し。
これは観測されていない伴星の存在を位置測定によって
正しく指摘した最初の例となりました。
その後のシリウスBの発見へとつながるもの
であったのです。

1784年 - フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル、
数学者・天文学者(+ 1846年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル
(Friedrich Wilhelm Bessel, 1784年7月22日 -
1846年3月17日)はドイツの数学者、天文学者です。

恒星の年周視差を発見し、
ベッセル関数を「分類したこと」で知られます
(関数の発見者はダニエル・ベルヌーイです)。

++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルは
ヴェストファーレン地方のミンデンに生まれました。

ケーニヒスベルク
(現在のロシアのカリーニングラード)で
癌のために没しました。

同じく数学者で天文学者でもあった
カール・フリードリヒ・ガウスと
同時代を生きた人物です。

++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル

ベッセルは公務員の息子として生まれました。

14歳で貿易関連のクーレンカンプ社に
徒弟として入りました。
入って間もなく彼はその会社の経理係となりました。

その会社は輸送手段として貨物船に頼っていたため、
彼はその数学の能力を航海上の様々な問題を解くために
使うようになりました。

このことからさらに海上での経度を決める手段として使われた
天文学にも興味を持つようになったのが
「数学者」+「天文学者」
の「いきさつ」です。

++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルの「仕事ぶり」は。

ハレー彗星の軌道計算を改良した仕事で、
当時のドイツ天文学界の大物であった
ハインリヒ・ヴィルヘルム・オルバース
に注目されるようになりました。

その2年後に彼はクーレンカンプ社を辞めます。
ブレーメンの近くにある
リリエンタール天文台の助手となりました。

++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルは。
彼はここで、
ジェームズ・ブラッドリーが観測して
精密な位置を与えた3,222個の恒星データの研究を
行いました。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルの
この研究は多くの注目を集めることとなりました。

彼は26歳でプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世から
ケーニヒスベルク天文台長に任命されました。

ここで彼は
ブラッドリーの観測データに基づいた大
気差表を発表致します。
この業績によってフランス学士院の
ラランド賞を受賞しました。

++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルは
この研究を元にして、ケーニヒスベルク時代に
彼は50,000個以上の恒星の位置を測定
致しました。

この研究で経験を積んだことで彼は、
今日最も良く知られている
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルの偉業
を成し遂げることができました。

すなわち、
恒星の視差を用いてその星までの距離を
初めて計算を可能にしたのです。

++++++++++++++++++++++

天文学者は
以前から視差を観測すれば恒星間空間スケールでの
距離を初めて正確に求めることができると考えていました。

実際、1830年代は恒星の正確な視差を最初に測定しようとする
天文学者達の熾烈な競争の舞台となりました。

1838年、ベッセルがはくちょう座61番星の視差が
0.314秒角であることを発表し、
このレースに勝利したことになります。

この値と地球軌道の直径の値から、
この星が約3パーセクの距離にあることが明らかになりました。

++++++++++++++++++++++

因みに
現代のヒッパルコス衛星の観測結果では、
この恒星の視差は0.28547秒角となっています。

ベッセルに僅かな差で敗れたものの、
同じ年に
ドイツのフリードリヒ・ゲオルグ・ヴィルヘルム・ストルーべと
イギリスのトーマス・ヘンダーソン
がそれぞれ、
こと座のベガとケンタウルス座α星の
視差の測定に成功しています。

++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル
ベッセルの正確な測定によって。

はくちょう座61番星の視差が決定されただけでなく、
シリウスとプロキオンの運動にずれがあることも
明らかになりました。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルは
このことから彼は、これらの恒星のずれは目に見えない
伴星の重力によるものではないかと推定致しました。

++++++++++++++++++++++

1841年に彼はこの
シリウスの「見えない伴星」について発表したが、
これは観測されていない伴星の存在を位置測定によって
正しく指摘した最初の例とまりました。

その後のシリウスBの発見へとつながるもの
であったのです。

++++++++++++++++++++++

ベッセルは大学教育を受けなかったにも関わらず。

当時の天文学界で大きな位置を占める存在となりました。

後に彼はイギリス王立協会の会員に選出され、
また月の晴れの海にある最も大きなクレーターに
彼の名が付けられています。

++++++++++++++++++++++

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルは
彼は1841年にイ
ギリス王立天文学会のゴールドメダルを受賞しています。

また小惑星(1552)ベッセル
は彼の功績にちなんで命名されました。

++++++++++++++++++++++

その他の功績
自然科学の様々な分野で彼の名前が付けられた事物が
存在しています。

ベッセル楕円体(地理学)
ベッセルの微分方程式の解としてのベッセル関数(数学)
ベッセルの補間公式(数学)
ベッセル点(計測工学)
ベッセル年初、ベッセル年(天文学)

+++++++++++++++++++++

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フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル
(Friedrich Wilhelm Bessel, 1784年7月22日 -
1846年3月17日)はドイツの数学者、天文学者。恒星の年周視差を発見し、ベッセル関数を分類したことで知られる(関数の発見者はダニエル・ベルヌーイである)。ヴェストファーレン地方のミンデンに生まれ、ケーニヒスベルク(現在のロシアのカリーニングラード)で癌のために没した。同じく数学者で天文学者でもあったカール・フリードリヒ・ガウスと同時代を生きた人物である。

ベッセルは公務員の息子として生まれ、14歳で貿易関連のクーレンカンプ社に徒弟として入った。入って間もなく彼はその会社の経理係となった。その会社は輸送手段として貨物船に頼っていたため、彼はその数学の能力を航海上の様々な問題を解くために使うようになった。このことからさらに、海上での経度を決める手段として使われた天文学にも興味を持つようになった。

その後、彼はハレー彗星の軌道計算を改良した仕事で、当時のドイツ天文学界の大物であったハインリヒ・ヴィルヘルム・オルバースに注目されるようになった。その2年後に彼はクーレンカンプ社を辞め、ブレーメンの近くにあるリリエンタール天文台の助手となった。彼はここで、ジェームズ・ブラッドリーが観測して精密な位置を与えた3,222個の恒星データの研究を行った。

この研究は多くの注目を集めることとなり、彼は26歳でプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世からケーニヒスベルク天文台長に任命された。ここで彼はブラッドリーの観測データに基づいた大気差表を発表し、この業績によってフランス学士院のラランド賞を受賞した。この研究を元にして、ケーニヒスベルク時代に彼は50,000個以上の恒星の位置を測定した。

この研究で経験を積んだことで彼は、今日最も良く知られている彼の偉業を成し遂げることができた。すなわち、恒星の視差を用いてその星までの距離を初めて計算したのである。天文学者は以前から、視差を観測すれば恒星間空間スケールでの距離を初めて正確に求めることができると考えていた。実際、1830年代は恒星の正確な視差を最初に測定しようとする天文学者達の熾烈な競争の舞台となった。1838年、ベッセルがはくちょう座61番星の視差が0.314秒角であることを発表し、このレースに勝利した。この値と地球軌道の直径の値から、この星が約3パーセクの距離にあることが明らかになった。現代のヒッパルコス衛星の観測結果では、この恒星の視差は0.28547秒角となっている。ベッセルに僅かな差で敗れたものの、同じ年にドイツのフリードリヒ・ゲオルグ・ヴィルヘルム・ストルーべとイギリスのトーマス・ヘンダーソンがそれぞれ、こと座のベガとケンタウルス座α星の視差の測定に成功している。

ベッセルの正確な測定によって、はくちょう座61番星の視差が決定されただけでなく、シリウスとプロキオンの運動にずれがあることも明らかになった。このことから彼は、これらの恒星のずれは目に見えない伴星の重力によるものではないかと推定した。1841年に彼はこのシリウスの「見えない伴星」について発表したが、これは観測されていない伴星の存在を位置測定によって正しく指摘した最初の例であり、その後のシリウスBの発見へとつながるものであった。

ベッセルは大学教育を受けなかったにも関わらず、当時の天文学界で大きな位置を占める存在となった。後に彼はイギリス王立協会の会員に選出され、また月の晴れの海にある最も大きなクレーターに彼の名が付けられている。

彼は1841年にイギリス王立天文学会のゴールドメダルを受賞している。また小惑星(1552)ベッセルは彼の功績にちなんで命名された。

その他の功績
自然科学の様々な分野で彼の名前が付けられた事物が存在している。

ベッセル楕円体(地理学)
ベッセルの微分方程式の解としてのベッセル関数(数学)
ベッセルの補間公式(数学)
ベッセル点(計測工学)
ベッセル年初、ベッセル年(天文学)

外部リンク
http://www-groups.dcs.st-andrews.ac.uk/~history/Mathematicians/Bessel.html
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB" より作成
カテゴリ: ドイツの天文学者 | 1784年生 | 1846年没

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7月22日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8822%E6%97%A5

できごと
1610年(慶長15年6月3日) - 加藤清正が名古屋城天守閣一円を普請する。

1795年 - フランス革命戦争:
フランスとスペインの間で第二次バーゼルの和約が締結され講和が成立する。

1805年 - ナポレオン戦争: フィニステーレ岬の海戦

1812年 - 半島戦争: サラマンカの戦い

1878年 - 太政官布告第17号として郡区町村編制法などの地方三新法が制定、
それまでの大区小区制に代わり郡区町村が設置された。

1896年 - 現在の新潟県燕市で信濃川の堤防が決壊、
水害により被害面積18000ha、床下床上浸水43600戸の被害。(横田切れ)

1907年 - ロンドン地下鉄のウォーレン・ストリート駅が開業。

1917年 - 第一次世界大戦: シャム(現在のタイ)が
ドイツ帝国およびオーストリア・ハンガリー帝国に宣戦布告。

1933年 - アメリカの飛行家ウィリー・ポストによって
7日間19時間単独世界一周飛行の記録が打ち立てられる。

1943年 - 第二次世界大戦: 連合軍がパレルモ占領。

1944年 - 小磯内閣成立。

1944年 - 米ニューハンプシャー州において開かれていた
連合国金融通貨会議においてブレトン・ウッズ協定が締結される。

1944年 - ルブリンにおいてポーランド国民解放委員会(ルブリン政府)が結成される。

1946年 - エルサレムでキング・デイヴィド・ホテル爆破事件起こる。

1947年 - インドの国旗が制定される。

1952年 - 上野動物園の職員が同行してサイ(日本で初お目見え)・カバ・キリンなどを
乗せたオランダ船が、ケニアから横浜港に到着。

1954年 - キャセイ・パシフィック航空機撃墜事件

1962年 - マリナー計画: 惑星探査機マリナー1号が打ち上げられる。

1968年 - 鈴鹿国定公園が指定される。

1969年 - 米国人女性のシャロン・アダムズが
女性初のヨットによる太平洋単独横断を達成。横浜を出発し、72日目に米・ロサンゼルスに到着。

1969年 - スペイン総統フランコが元スペイン国王アルフォンソ13世の孫フアン・カルロスを
自らの後継者に指名する。

1974年 - 埼玉県熊谷市と比企郡滑川町に国営武蔵丘陵森林公園が開園。

1974年 - 横綱審議委員会が大関北の湖を横綱に推挙することを決め、
21歳2箇月の史上最年少横綱が誕生することとなる。

1986年 - 第3次中曽根内閣成立。

1993年 - 金丸信(元自民党副総裁)の脱税事件の初公判が東京地裁で開かれ、
金丸元副総裁は無罪を主張。

2000年 - 八掌渓事件。

2003年 - イラクのモスルでサッダーム・フセイン前イラク大統領の息子、
ウダイとクサイがアメリカ軍との銃撃戦の末に射殺される。

2006年 - 京浜急行電鉄横浜駅に上大岡・横須賀中央方面専用の新ホームが完成し、
上下線の乗降が分離される。

2007年 - フランス東部グルノーブル近郊の山道で、
ポーランド人巡礼者ら50人を乗せたバスが川に転落、26人が死亡、24人が負傷した。

誕生日
1510年 - アレッサンドロ・デ・メディチ、フィレンツェ公爵(+1537年)

1622年 - シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー、
イングランドの政治家(+ 1683年)

1705年(宝永2年6月2日) - 徳川宗勝、尾張藩の第8代藩主(+ 1761年)

1784年 - フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル、数学者・天文学者(+ 1846年)

1831年(天保2年6月14日) - 孝明天皇、第121代天皇(+ 1867年)

1856年(安政3年6月21日) - 浅井忠、画家(+ 1907年)

1878年 - リュシアン・フェーヴル、歴史学者(+ 1956年)

1882年 - エドワード・ホッパー、画家(+ 1967年)

1884年 - エミール・ヤニングス、俳優(+ 1950年)

1887年 - グスタフ・ヘルツ、物理学者(+ 1975年)

1892年 - アルトゥール・ザイス=インクァルト、ナチス・ドイツの高官(+ 1946年)

1892年 - 三宅周太郎、演劇評論家(+ 1967年)

1895年 - ハンス・ロスバウト、指揮者(+ 1962年)

1898年 - アレクサンダー・カルダー、彫刻家(+ 1976年)

1917年 - 浜口庫之助、作曲家(+ 1990年)

1920年 - 浦太郎、数学者

1938年 - 福田雅章、法学者

1938年 - 山本一義、元プロ野球選手

1943年 - 江本勝、『水からの伝言』の著者

1947年 - 江本孟紀、阪神タイガース元投手・元参議院議員

1947年 - ドン・ヘンリー、ミュージシャン(イーグルス)

1949年 - 高杉俊介、俳優、歌手
1953年 - 藤原優、ラグビー選手
1953年 - 水谷啓昭、元プロ野球選手
1958年 - 家田荘子、作家
1958年 - 原辰徳、読売ジャイアンツ監督、元プロ野球選手
1959年 - 森公美子、オペラ歌手、タレント
1963年 - 只隈伸也、大東文化大学陸上部監督
1963年 - デニー・ゴンザレス、元プロ野球選手
1964年 - 内村光良、お笑い芸人(ウッチャンナンチャン)
1964年 - 藤本修二、元プロ野球選手
1965年 - 中舘英二、JRA騎手
1965年 - ショーン・マイケルズ、プロレスラー
1965年 - 津村まこと、声優
1965年 - 渡辺典子、女優・歌手
1965年 - 鈴木晶子、声優
1967年 - 水津邦治、アナウンサー
1968年 - 薬師寺保栄、元プロボクサーでタレント、俳優、ボクシング解説者
1968年 - 福田健吾、元プロボクサー
1969年 - 藤井恒久、日本テレビアナウンサー
1972年 - 伊藤利尋、フジテレビアナウンサー
1973年 - マイク・スウィーニー、野球選手
1973年 - 春野恵子(唐木恵子)、浪曲師・元タレント
1973年 - ソ・ヨンウン、歌手
1975年 - 藤本祐介、格闘家
1976年 - KOKIA、歌手
1976年 - アブドーラ小林、プロレスラー
1977年 - ライアン・ボーグルソン、プロ野球選手
1978年 - 長谷川京子、女優
1978年 - 松宮麻衣子、元タレント
1978年 - 小郷知子、NHKアナウンサー
1980年 - 領毛あゆみ(旧芸名:北上アミ)、タレント
1980年 - スコット・ディクソン、レーサー
1980年 - 朝長孝介、バレーボール選手
1980年 - 水鳥寿思、体操競技選手
1981年 - 澁谷良子、タレント
1982年 - 小庭康正、お笑い芸人(ぼれろ)
1982年 - トリスタン・クロフォード、野球選手
1983年 - 中丸シオン、女優
1984年 - 大津貴子、歌手
1984年 - 松本美千穂、女優
1986年 - 末永遥、タレント
1986年 - 邑野みあ、女優
1988年 - 典子女王、皇族
1988年 - 吉高由里子、女優
1988年 - 伊藤ゆりな、グラビアアイドル
1988年 - 保泉沙耶、女優
1988年 - 金廣鉉、野球選手
1992年 - セレナ・ゴメズ、女優、歌手
1993年 - 長与梨加、子役、女優

忌日
1461年 - シャルル7世、フランス国王(* 1403年)

1645年 - 第3代オリバーレス伯爵、スペイン首席大臣(* 1587年)

1676年 - クレメンス10世、第239代ローマ教皇(* 1590年)

1683年(延宝7年5月6日) - 徳川徳松、徳川綱吉の長男(*1679年)

1732年(享保17年6月1日) - 林鳳岡、儒学者(* 1645年)

1743年(寛保3年6月2日)- 尾形乾山、絵師・陶芸家(* 1663年)

1826年 - ジュゼッペ・ピアッツィ、天文学者(* 1746年)

1832年 - ナポレオン2世、ローマ王・ライヒシュタット公(* 1811年)

1852年 - オーギュスト・マルモン、フランス第一帝政期の軍人(* 1774年)

1870年 - ヨーゼフ・シュトラウス、作曲家(* 1827年)

1908年 - ウィリアム・ランダル・クリーマー、平和運動家(* 1828年)

1922年 - 高峰譲吉、化学者(* 1854年)

1926年 - フリードリヒ・フォン・ヴィーザー、経済学者(* 1851年)

1934年 - ジョン・デリンジャー、ギャング(* 1903年)

1950年 - 笑福亭松鶴 (5代目)、落語家(* 1884年)

1958年 - ミハイル・ゾーシチェンコ、小説家(* 1895年)

1967年 - カール・サンドバーグ、詩人(* 1878年)

1979年 - 細井日達、僧侶、大石寺第66代法主(* 1902年)

1979年 - シャーンドル・コチシュ、サッカー選手(* 1929年)

1980年 - フレッド・カップス、マジシャン(* 1926年)

1990年 - マヌエル・プイグ、作家(* 1932年)

1995年 - 小林孝三郎、実業家・コーセー創業者(* 1897年)

1998年 - ヘルマン・プライ、バリトン歌手(* 1929年)

2000年 - クロード・ソーテ、映画監督(* 1924年)

2000年 - 真木洋子、女優(* 1948年)

2002年 - 草柳大蔵、評論家・ノンフィクション作家(* 1924年)

2003年 - ウダイ・サッダーム・フセイン、イラク大統領の長男(* 1964年)

2003年 - クサイ・サッダーム・フセイン、イラク大統領の次男(* 1966年)

2004年 - 星セント、漫才師(* 1948年)

2005年 - 杉浦日向子、漫画家(* 1958年)

2007年 - ウルリッヒ・ミューエ、俳優(* 1953年)

記念日・年中行事
円周率の日
円周率の近似値が22/7であることから。

げたの日(日本)
伝統的なはきものである下駄のよさを見直してもらおうと、
全国木製はきもの業組合連合会が制定。
「七寸七分」など、下駄の寸法を表すのに7がよく使われることと、
雪道を下駄で歩くとその跡が「二二」に見えることから、この日を記念日に定めた。