東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年7月26日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年7月26日(土曜日)

「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」も「26日」たちました。
あと「5日」で「8月」です。

早いです。早いものです。

先々週(土曜日)に。
7月5日に。
はじめてせみのなきごえが早朝
きこえました。

今日は午後もせみの鳴き声がしています。

木々の若葉のいろ。
緑がますますあざやか
になり
深緑(ふかみどり)になりました。

夏の夜明(よあけ)の空は。
夏ばれの「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいったコバルトのような
カフエ・オレの空色です。

あさの03:30AMころは。

東の空
ほのかにあかるく
くらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
にうつろうように。
しらんできます。

野路はたに
わらびのごとく
ビロードの如し葉いだきて
名知らぬ
しのぶの羊歯(しだ)
めずらしきものなり
いざいまこそは
よき季節にあらん
ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に「日はたかくなり
葉木の樹木は「木」にかわり
ました。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉ののように
つみとりたくなる
ほどにきれいです。

街(まち)蒼く(あおく)にいろどりて
木々の榛葉はがやけり
せみなく夏のちかかりて
ふかまるみどりのたくましき

道端の夏の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

今年の初夏の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は
精神病の患者さんに。
「民話」の「エピソード」のような
「症状・症候」に気づき。
精神病を「なおそうとした精神科医師・心理学者」
である。

1875年 -
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)
、心理学者(+ 1961年) の
生誕日です。

++++++++++++++++++++++
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)
は。

ジークムント・フロイト精神医学を
更に高い次元に置き換えました。

精神科疾患の「なおす」「治療戦略」を確立した
のです。

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、
1875年7月26日 -
1961年6月6日)は、
スイスの精神科医・心理学者。

深層心理について研究し、分析心理学の理論を
創始した精神科医です。

スイス
ボーデン湖畔のケスヴィルで
プロテスタント牧師の家に生まれました。

1948年に共同研究者や後継者たちと共に、
スイス・チューリッヒにユング研究所を設立致します。
ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立しました。

またアスコナで開催されたエラノス会議において、
主導的役割を演じました。

深層心理学・神話学・宗教学・哲学など
多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と
研究の場を拓きました。

++++++++++++++++++++++

概説
精神科医であったユングは
当時の精神医学ではほとんど治癒出来なかった
各種の精神疾患に対する療法の確立を目指ました。

ピエール・ジャネや
ウィリアム・ジェームズらの理論を元にした
心理理論を模索していました。

フロイトの精神分析学の理論に
自説との共通点を見出したユングは
フロイトに接近し、一時期は蜜月状態となりました。

徐々に方向性の違いから距離を置くようになるのは
時間の問題でした。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は
フロイト精神医学を離れました。

人間心理はフロイト式の抑圧感情に
還元され得る部分も存在する事は認めつつも、
それは局面の一つ以上ではないと考えたのです。

フロイトが想定したよりも遙かに広く大きいものとして
無意識を再定義致します。

++++++++++++++++++++++

ユングの患者であった精神疾患者らの語る
イメージに不思議と共通点がある事に気づきました。

また、それらは、
世界各地の神話・伝承とも一致する点が多い事を鋭敏にも。
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は見出しました。

人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)
が存在すると考えました。

この共通するイメージを想起させる力動を
「元型」と名付けました。

また、晩年、
共時性(シンクロニシティー)の概念を提起しました。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)心理学の特徴

ユング心理学(分析心理学)では個人の意識、無意識の分析をするのは
フロイトの精神分析学と共通しています。

けれどもさらに普遍的無意識の分析へと段階を移し、
能動的想像法も取り入れられることが大きな特徴です。

。能動的想像法とは、自発的な心的構えを準備して待ち、
イメージが表れるのを促すものです。

思考よりもイメージ化を得意とする芸術家等に勧められました。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)の
ユング心理学は、他派よりも心理臨床において
夢分析を重視しています。

夢は集合的無意識としての
「元型イメージが日常的に表出している唯一の現象」
でもある。
また個人的無意識の発露でもあるとされるかもしれません。

夢の分析はフロイトが既に重視していたことでもありました。

しかしユング心理学の夢解釈が
フロイトの精神分析と異なる点があります。

「無意識を一方的に杓子定規」で解釈するのではなく。

対等な立場で夢について話し合ってみる。
その多義的な意味・目的を考えることによって、
患者さんの心の中で巻き起こっていることを
治癒的に生かそうとする点です。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)の
ユングがそのキャリアの前半において発表した
「連想実験」は。
フロイトの「自由連想」法を応用したことです。

言葉の錯誤と応答時間のズレ等を計測しました。
そして
無意識のコンプレックス(「劣等感」意味ではありません)
の存在を客観的な形にしたということです。

コロンブスの卵のようですが。
極めて科学的な価値を持っています。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)
ユングはフロイトとの決別以後。

しばらく方針を探しあぐねていたが、
それでも治療を続け、
徐々に、クライアントが無意識の流れに沿って
語るに任せること自体が。
治療的な意味をもつのだと見いだすに至りました。

又、彼が以前から抱いていた、
古代への学問的好奇心に端を発した
神学的な知識も、応用されました。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は
人生の方向を決めるのは自分ではなく、
患者さんであるとし患者さんの無意識的諸力の
創造性を信頼致します。

ユングは、東洋哲学からも影響を受けています。

特に、任地の中国で東洋哲学の影響を受けたキリスト教宣教師
リヒャルト・ヴィルヘルムに出会い、その影響を深めました。

++++++++++++++++++++++

実際、ヴィルヘルムとの共著には、
中国仏教に関して次のような記述もみられる。

「私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、
彼らの心的発展を研究して得たものは、
何千年来東洋の最もすぐれた精神の持ち主たちが
苦労して切り開いた教えと実によく対応していました。」

++++++++++++++++++++++

また、日本のユング心理学はそ
の心理臨床において
箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。

ユング心理学は芸術的・宗教的色彩の
濃い題材に切り込んで行ったため。

分析的・科学的でないと評価される事も多い
ニューエイジ運動に影響を与えました。

これらの運動のなかには、
ユングの考案した概念や用語を流用しているものの、
ユングの理論とは異なる
自己解釈を展開している事例もよく見られます。

ユングは宗教に心理学的な考察を加えたが、
あくまで個人の内的な経験という
側面における価値を認めるというものです。

++++++++++++++++++++++

彼は宗教組織のドグマや集団化には
強い懸念を表明しています。

ドグマは個人の内的体験から注意を背けてしまうきらいがあり、
また集団化はル・ボンの群衆心理に照らし合わせてみても、
むしろ個々の道徳的水準を低下させるものだとしています。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は
一方で彼は宗教を
考察の対象から外すことにも疑問を呈しました。

彼は諸々の宗教の中に、
無意識の象徴的表現をしばしば見いだしました。

++++++++++++++++++++++

ナチズムや反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢
ナチスが政権を取った1933年、
ドイツ精神療法学会が改編されることにな
りヒトラーに反対したユダヤ人のエルンスト・クレッチマー
がその会長を辞任。
新たに設立された国際精神療法学会の会長にユングが就任しました。

これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを
追い落としたと一部に言われることになりました。

後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので
非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと述べています。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)
彼は実際、ナチスからの影響を逃れるために
国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移し、
ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れ、
学会誌にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図ってもいます。

けれども、ナチスが国際精神療法学会に干渉して
ナチスへの忠誠を誓うマニフェストが学会誌に掲載されたために
会長のユングは激しく非難されました。ユ

ングはこの非難に対しては即座に反論したものの、
今日に至るまでユングとナチズムとを関係づけ、
非難する意見は存在致します。

++++++++++++++++++++++

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は
しかし、ユングはユダヤ系の師フロイトにも
支援の意図について打診[2]しており、
長年にわたってユングの秘書を務めた
ユダヤ人アニエラ・ヤッフェによれば、
「ナチスへの対応には甘いところがあった」が。

ユングはナチスの反ユダヤ人政策には明確に反対しており、
ユダヤ人のドイツ脱出支援活動にも関与していました。

また、ユングが戦前において、
人々の群衆心理への傾倒、及びそれに伴う暴力性の発現に対して
警鐘を鳴らしていた記録。
ヒトラーに関連した事象がもたらす危険性について警告していた記録
も残っています。

++++++++++++++++++++++

ユングとオカルト
ユングはその学位論文『いわゆる
オカルト的現象の心理と病理』において、
従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを「霊媒」として
開かれた「交霊会」を扱ったこと
(ただしこの論文では神秘的要因ではなく
精神の病理的状態に帰されている)、
また錬金術や占星術、易などに深くコミットしたことにより、
オカルト主義的な傾向を見て取られ、
また新異教主義的な人々から
その預言者とみなされる傾向があります。

これにはおそらく
母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった
出自も影響していると思われる。

また「集合的無意識」や「元型」などの一般の生物学の知見とは
相容れない概念を提起することによって
、20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に
逆戻りしてしまったという批判がある。

。またフロイトもユングとまだ訣別する前に、
「オカルティズム」を拒絶するよう強く求めたようです。

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カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)
。(一方で、ユング自身は、夢に見られる元型に関して、
遺伝に関連づけて言及していたくだりがある《『分析心理学』》。

無意識に蓄えられている遺伝情報は莫大であり、
人の心性がそれを基礎にしているからには、その生み出すものも、
その起源をはるか過去に遡ることができるとする解釈も可能であり、
遺伝情報内の大量の経験データの中には、
人に平均して訪れる体験の体系も含まれていると考えた場合、
元型の普遍性も説明できるであろう。)

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カール・グスタフ・ユング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学の理論を創始した。

スイス、ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント牧師の家に生まれる。1948年に共同研究者や後継者たちと共に、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。またアスコナで開催されたエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。

目次
1 概説
2 ユング心理学の特徴
3 ナチズムや反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢
4 ユングとオカルト
5 著作
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目

概説
精神科医であったユングは、当時の精神医学ではほとんど治癒出来なかった各種の精神疾患に対する療法の確立を目指し、ピエール・ジャネやウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。

フロイトと別れた後は、人間心理はフロイト式の抑圧感情に還元され得る部分も存在する事は認めつつも、それは局面の一つ以上ではないと考え、フロイトが想定したよりも遙かに広く大きいものとして無意識を再定義した。

ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点がある事、また、それらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多い事を見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、共時性(シンクロニシティー)の概念を提起した。

ユング心理学の特徴
詳細は分析心理学を参照

ユング心理学(分析心理学)では個人の意識、無意識の分析をするのはフロイトの精神分析学と共通しているが、さらに普遍的無意識の分析へと段階を移し、能動的想像法も取り入れられる。能動的想像法とは、自発的な心的構えを準備して待ち、イメージが表れるのを促すものであり、思考よりもイメージ化を得意とする芸術家等に勧められた。ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している唯一の現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。

夢の分析はフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。

ユングがそのキャリアの前半において発表した「連想実験」は、フロイトの「自由連想」法を応用して、言葉の錯誤と応答時間のズレ等を計測し、無意識のコンプレックスの存在を客観的な形にしたということで、科学的な価値を持っている。

ユングはフロイトとの決別以後、しばらく方針を探しあぐねていたが、それでも治療を続け、徐々に、クライアントが無意識の流れに沿って語るに任せること自体が、治療的な意味をもつのだと見いだすに至った。又、彼が以前から抱いていた、古代への学問的好奇心に端を発した神学的な知識も、応用された。ただ、彼は人生の方向を決めるのは自分ではなく、クライアントであるとし、クライアントの無意識的諸力の創造性を信頼した。

ユングは、東洋哲学からも影響を受けている。特に、任地の中国で東洋哲学の影響を受けたキリスト教宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムに出会い、その影響を深めた。 実際、ヴィルヘルムとの共著には、中国仏教に関して次のような記述もみられる。

「私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、彼らの心的発展を研究して得たものは、何千年来東洋の最もすぐれた精神の持ち主たちが苦労して切り開いた教えと実によく対応していました。」

また、日本のユング心理学はその心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。

ユング心理学は芸術的・宗教的色彩の濃い題材に切り込んで行ったため、分析的・科学的でないと評価される事も多いニューエイジ運動に影響を与えたが、これらの運動のなかには、ユングの考案した概念や用語を流用しているものの、ユングの理論とは異なる自己解釈を展開している事例もよく見られる。ユングは宗教に心理学的な考察を加えたが、あくまで個人の内的な経験という側面における価値を認めるというものだった。彼は宗教組織のドグマや集団化には強い懸念を表明している。ドグマは個人の内的体験から注意を背けてしまうきらいがあり、また集団化はル・ボンの群衆心理に照らし合わせてみても、むしろ個々の道徳的水準を低下させるものだとした。一方で彼は宗教を考察の対象から外すことにも疑問を呈した。彼は諸々の宗教の中に、無意識の象徴的表現をしばしば見いだした。

ナチズムや反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢
ナチスが政権を取った1933年、ドイツ精神療法学会が改編されることになりヒトラーに反対したユダヤ人のエルンスト・クレッチマーがその会長を辞任。新たに設立された国際精神療法学会の会長にユングが就任した[1]これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたと一部に言われた。 後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと述べている。 彼は実際、ナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移し、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れ、学会誌にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図ってもいる。

けれども、ナチスが国際精神療法学会に干渉してナチスへの忠誠を誓うマニフェストが学会誌に掲載されたために会長のユングは激しく非難された。ユングはこの非難に対しては即座に反論したものの、今日に至るまでユングとナチズムとを関係づけ、非難する意見は存在する。

しかし、ユングはユダヤ系の師フロイトにも支援の意図について打診[2]しており、長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人アニエラ・ヤッフェによれば、「ナチスへの対応には甘いところがあった」が、ユングはナチスの反ユダヤ人政策には明確に反対しており、ユダヤ人のドイツ脱出支援活動にも関与していたそうである。[3]

また、ユングが戦前において、人々の群衆心理への傾倒、及びそれに伴う暴力性の発現に対して警鐘を鳴らしていた記録[4]や、ヒトラーに関連した事象がもたらす危険性について警告していた記録[5]も残っている。

ユングとオカルト
ユングはその学位論文『いわゆるオカルト的現象の心理と病理』において、従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを「霊媒」として開かれた「交霊会」を扱ったこと(ただしこの論文では神秘的要因ではなく精神の病理的状態に帰されている)、また錬金術や占星術、易などに深くコミットしたことにより、オカルト主義的な傾向を見て取られ、また新異教主義的な人々からその預言者とみなされる傾向がある。これにはおそらく母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった出自も影響していると思われる。また「集合的無意識」や「元型」などの一般の生物学の知見とは相容れない概念を提起することによって、20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判がある。[6]。またフロイトもユングとまだ訣別する前に、「オカルティズム」を拒絶するよう強く求めた[7]。(一方で、ユング自身は、夢に見られる元型に関して、遺伝に関連づけて言及していたくだりがある《『分析心理学』》。無意識に蓄えられている遺伝情報は莫大であり、人の心性がそれを基礎にしているからには、その生み出すものも、その起源をはるか過去に遡ることができるとする解釈も可能であり、遺伝情報内の大量の経験データの中には、人に平均して訪れる体験の体系も含まれていると考えた場合、元型の普遍性も説明できるであろう。)

ただし19世紀末から20世紀初頭の状況は、一方では精神医学を極めて機能主義的に捉えることのみが科学的であり「心の治癒」といったものを語ることは出来ないという流れがあった一方で、アカデミズム以外でオカルティズムの大流行があったのみならず、ウィリアム・ジェームズのような学者も心霊主義の実験に乗り出すなど、心の問題に関するアプローチは現在以上に定まらないところもあった[8]。こうした問題に関してユングに批判的であったフロイトも、そもそも性理論を打ち立てるのはオカルトの「黒い奔流」に対する「堅固な城塞」を築かねばならないからだという動機を口にしており[9]、こうした問題に必ずしも安定した姿勢で臨んだばかりいたわけではなかった。またユング自身はきわめて厳格に学問的な方法論を意識して研究を進めていたという主張もあり[10]、こうした点について決定的な評価を下すことはまだ難しいといえる。

著作
ユングの著作は、『ユング全集』にほぼ全ての重要な論文(単行本を含む)が網羅されている。全二十巻の構成となっている。ドイツにおいて、『 Gesammelte Werke von C. G. Jung 』 (Walter Verlag) として出版されている(「GW」 と略する)。英語版は、ユングの監修の元に翻訳が行われている(『 The Collected Works of C. G. Jung 』)。

代表的な著作としては、以下のものがある。

『転換のシンボル』 Symbole der Wandlung, 1912, +1950, GW Bd.5.
『心理学的類型』 Psychologische Typen, 1921/1950, GW Bd.6.
『心理学と宗教』 Psychologie und Religion, 1940/1962 (GW Bd.11).
『アイオーン』 Aion, 1950, GW Bd.5-2.
『心理学と錬金術』 Psychologie und Alchemie, 1944/1952, GW Bd.12.
『ヨブへの答え』 Antworf auf Hiob, 1952/1967 (GW Bd.11).
『結合の神秘』 Mysterium Coniunctionis, 1955/1956 GW Bd.14.

脚注
^ エレンベルガー、1980年、下、308頁。
^ もっとも、これに関してはフロイトに「敵の援助を受けることは出来ない」と拒まれたのだが。
^ 以上の記述は、河合隼雄『ユングの生涯』第三文明社レグルス文庫100、1978年、pp.52-56に基づく。ヤッフェの評論については平田武靖「ユンク心理学の系譜 -ユンク・ナチス・ユダヤ人-」、『is No.1』ポーラ文化研究所、1978年で紹介されている。
^ C.Gユング『自我と無意識の関係』、人文書院、p.51,52以下。原文は1928年発表された。
^ C.G.ユング『ヴォータン』、1936。 ヒトラーに関して、扇動される群衆および扇動者自身の熱狂を指摘し、事態の危険性をユングは警告している。
^ リチャード・ノル 1998:201-2,382-3,415-7頁
^ 『ユング自伝』1、みすず書房、1972年、p.127。
^ 上山1989:483,488-491頁。
^ 『ユング自伝』。
^ 林道義『ユング思想の真髄』朝日新聞社、1998年。

参考文献
C.Gユング『自我と無意識の関係』野田  あきら訳、人文書院、1982年。
C.Gユング『現在と未来』松代洋一編訳、平凡社、1996年。
上山安敏『フロイトとユング - 精神分析運動とヨーロッパ知識社会』岩波書店、1989年。
アンリ・フレデリック・エレンベルガー、『無意識の発見: 力動精神医学発達史』木村敏・中井久夫訳、弘文堂、1980年。
小俣和一郎 『精神医学とナチズム—裁かれるユング、ハイデガー』講談社/講談社現代新書,1997年,ISBN 4061493639
リチャード・ノル『ユング・カルト』月森左知・高田有現訳、新評論、1998年。
リチャード・ノル『ユングという名の<神>』老松克博訳、新曜社、1999年

関連項目
ウィキメディア・コモンズには、カール・グスタフ・ユング に関連するマルチメディアがあります。分析心理学
集合的無意識
元型−アニマ
コンプレックス
シンクロニシティ
精神分析−ジークムント・フロイト
ヘルマン・ヘッセ
河合隼雄
林道義
秋山さと子
湯浅泰雄
ローレンス・ヴァン・デル・ポスト

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カテゴリ: 分析心理学 | スイスの医学者 | スイスの心理学者 | 精神科医 | 心理学者 | 1875年生 | 1961年没

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7月26日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8826%E6%97%A5

できごと
811年 - 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)皇帝ニケフォロス1世が殺害され、
息子のスタウラキオスは重傷を負う。

1788年 - ニューヨーク州がアメリカ合衆国に加入。11番目の州となる。

1847年 - リベリアが独立。

1887年 - ルドヴィコ・ザメンホフが作ったエスペラントの最初の学習書
Unua Libroが出版される。

1908年 - FBI設立。

1945年 - イギリス・アメリカ・中国がポツダム宣言を発表。

1946年 - 日本プロ野球の大阪タイガース対パシフィック戦が試合時間55分で最短記録。

1956年 - エジプトのナセル大統領、スエズ運河の国有化を宣言。

1963年 - 最初の地球同期通信衛星であるシンコム2号打ち上げ。

1963年 - OECD、日本の加盟を承認。

1965年 - モルジブが独立。

1981年 - 福岡市地下鉄空港線の室見駅〜天神駅間が開業。

1986年 - 映画「天空の城ラピュタ」が全国公開。

1996年 - アトランタオリンピックにて野村忠宏が金メダル。

1999年 - 国会改革法が成立。

1999年 - Bluetooth仕様書バージョン1.0発表

2003年 - イラク特措法成立。

2003年 - 宮城県北部地震発生。

2005年 - スペースシャトルディスカバリーが打ち上げ

誕生日
1778年(安永7年7月3日)- 貫名菘翁、儒学者・書家・文人画家(+ 1863年)

1782年 - ジョン・フィールド、作曲家(+ 1837年)

1791年 - フランツ・クサーヴァー・モーツァルト、作曲家(+ 1844年)

1856年 - ジョージ・バーナード・ショー、劇作家(+ 1950年)

1873年 - 野口遵、実業家・日窒コンツェルン創業者(+ 1944年)

1875年 - ユング、心理学者(+ 1961年)

1881年 - 小山内薫、作家(+ 1928年)

1891年 - 宇野浩二、作家(+ 1961年)

1893年 - ジョージ・グロス、画家(+1959年)

1908年 - サルバドール・アジェンデ、チリ共和国27代大統領(+ 1973年)

1928年 - スタンリー・キューブリック、映画監督(+ 1999年)

1928年 - 牧野茂、元プロ野球選手・コーチ(+ 1984年)

1933年 - 吉田義男、元プロ野球選手

1934年 - 森山周一郎、俳優

1939年 - ジョン・ハワード、第25代オーストラリア首相

1943年 - ミック・ジャガー、ミュージシャン(ローリング・ストーンズ)

1943年 - ピーター・ハイアムズ、映画監督

1947年 - 松岡弘、元プロ野球選手

1947年 - 尾瀬あきら、漫画家

1949年 - ロジャー・テイラー、ミュージシャン(クイーン)
1950年 - 鈴木直志、テレビ岩手アナウンサー
1950年 - 萩原健一、俳優
1950年 - 林忠行、国際政治学者
1957年 - ユン・ピョウ、アクション俳優
1958年 - 牧原俊幸、フジテレビアナウンサー
1959年 - 山沖之彦、元プロ野球選手
1962年 - 伊丹英子( ソウル・フラワー・ユニオン)、ミュージシャン
1962年 - ガリナ・チスチャコワ、陸上選手走幅跳世界記録保護者
1966年 - 村上亜希子、北海道テレビアナウンサー
1967年 - サンドラ・ブロック、俳優
1968年 - 小島奈津子、元フジテレビアナウンサー
1970年 - 内田博幸、騎手
1971年 - 桜庭一樹、作家
1973年 - くまだまさし、お笑い芸人
1973年 - ケイト・ベッキンセイル、俳優
1976年 - 三輪敬司、元プロ野球選手
1979年 - 佐野優子、バレーボール選手
1979年 - ミヤ、ミュージシャン(ムック)
1980年 - デイヴ・バクシュ、ミュージシャン(Sum 41元メンバー)
1980年 - 升望、声優
1981年 - かわはらなつみ、漫画家
1983年 - 板垣龍佑、仙台放送アナウンサー
1984年 - 丘みどり、演歌歌手
1985年 - 加藤夏希、タレント
1985年 - 中土居宏宜、歌手、Leadのリーダー。
1988年 - 原田百合果、ファッションモデル
1990年 - 日美野梓、ジュニアアイドル
1994年 - 都倉秀城、関西ジャニーズJr.
1994年 - 木内梨生奈、子役タレント
1999年 - 遠藤由実、子役
生年不明 - アルコ、漫画家
生年不明 - 瀬尾公治、漫画家

忌日
811年 - ニケフォロス1世、東ローマ皇帝(* 760年?)

1380年(天授6年/康暦2年6月24日)- 光明天皇、北朝第2代天皇(* 1322年)

1471年 - パウルス2世、第211代ローマ教皇(* 1417年)

1566年(永禄9年7月10日)- 近衛稙家、公卿(* 1503年)

1597年(慶長2年6月12日)- 小早川隆景、戦国武将(* 1533年)

1611年(慶長16年6月17日)- 堀尾吉晴、松江藩主(* 1544年)

1616年(元和2年6月13日)- 池田利隆、姫路藩主(* 1584年)

1630年 - カルロ・エマヌエーレ1世、サヴォイア公(* 1562年)

1735年(享保20年6月7日)- 蜂須賀宗員、第6代徳島藩主(* 1709年)

1802年(享和2年6月27日)- 松本幸四郎 (4代目)、歌舞伎役者(* 1737年)

1806年 - カロリーネ・フォン・ギュンダーローデ、詩人(* 1780年)

1863年 - サミュエル・ヒューストン、テキサス共和国大統領(* 1793年)

1867年 - オソン1世、ギリシャ王(* 1815年)

1872年 - アレクサンダー・ウィリアムズ・ランドール、
元ウィスコンシン州知事・第25代アメリカ合衆国郵政長官(* 1819年)

1872年(明治5年6月21日)- 山内容堂、第15代土佐藩主(* 1827年)

1889年 - 木村安兵衛、実業家・木村屋總本店創業者(* 1817年)

1925年 - ゴットロープ・フレーゲ、数学者・論理学者・思想家(* 1848年)

1929年 - 山崎直方、地理学者(* 1870年)

1934年 - ウィンザー・マッケイ、漫画家・アニメーター(* 1871年)

1939年 - ジョエル・E・スピンガーン、文芸評論家・教育者(* 1875年)

1941年 - アンリ・ルベーグ、数学者(* 1875年)

1941年 - ベンジャミン・ウォーフ、言語学者(* 1897年)

1944年 - レザー・シャー、イラン・パフラヴィー朝初代国王(* 1878年)

1944年 - 伊藤健太郎、プロ野球選手(* 1916年)

1947年 - 増田淳、橋梁設計者(* 1883年)

1952年 - エバ・ペロン、アルゼンチンのファン・ペロン大統領夫人(* 1919年)

1969年 - 平良辰雄、沖縄群島知事・沖縄社会大衆党初代委員長(* 1892年)

1971年 - ダイアン・アーバス、写真家(* 1923年)

1977年 - オスカー・モルゲンシュテルン、経済学者(* 1902年)

1986年 - W・アヴェレル・ハリマン、元ニューヨーク州知事・外交官(* 1891年)

1992年 - 大山康晴、将棋の棋士(* 1923年)

1992年 - メリー・ウェルズ、アメリカの歌手(* 1943年)

1993年 - マシュー・リッジウェイ、アメリカ陸軍の将軍・GHQ第2代総司令官(* 1895年)

1994年 - 吉行淳之介、小説家(* 1924年)

1995年 - ジョージ・ロムニー、元ミシガン州知事(* 1907年)

1997年 - 小平邦彦、数学者(* 1915年)

2000年 - 川端民生、ベーシスト(* 1947年)

2003年 - ハロルド・C・ショーンバーグ、音楽評論家(* 1915年)

2004年 - 山口光秀、元大蔵事務次官・東京証券取引所理事長(* 1927年)

2004年 - 中島らも、小説家(* 1952年)

2005年 - 岡八朗、喜劇俳優(* 1938年)

記念日・年中行事
幽霊の日(日本)
文政8年(1825年)7月26日に
鶴屋南北作の東海道四谷怪談が江戸中村座で初演されたことに由来。

現在でも四谷怪談が演じられると怪我人が出るとの言い伝えがあり、
関係者は必ず四谷町の御岩稲荷にお参りしている。

ポツダム宣言記念日(日本)
1945年7月26日に、日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」が発表されたことに由来。
当初日本はこれを黙殺したが同年8月14日に受け入れて終戦した。

モンカダ兵営襲撃記念日
(Anniversary of the Moncada Barracks Attack Day:キューバ)
1953年7月26日に
キューバ解放運動の端緒としてカストロ指揮下の学生らがモンカダ兵営を襲撃したことに由来。

独立記念日(リベリア・モルジブ)
リベリアは1847年にアメリカから、モルジブは1965年にイギリスから、それぞれ独立を獲得。

エスペラント(日本における記念日の名称は不明)
1887年7月26日に、ポーランドのルドヴィコ・ザメンホフ医師が
エスペラントの学習書Unua Libroを刊行したことに由来。
これと関連して、コンピュータ・ウイルスの『Esperanto』は毎年この日に発病するようにプログラムされている。