東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年8月7日(木曜日)

「ここをおして」をクリックされてください。

東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年8月7日(木曜日)

ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
そして
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月も一週間たちました。
秋まで「3週間とちょっと」。

はやいものです。
ときのたつのははいものです。

今年も「半分以上」終わりました。
毎朝ににせみが「何匹かないています」
芭蕉の句

「しずかさやいわにしみいるせみのこえ」*。

山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。

 閑さや岩にしみ入蝉の声

まさに
1−2匹の遠くでなく。
とりわけ「にいにいせみ」のこえは。
「硬き巌(いわお)に水のごとく
しみいるようです。

せみしぐれになると
岩面からは「しみいらず」
反射してしまうのでは
ないでしょうか。
「しみいる」が風情(ふぜい)であり
「せみしぐれ」は「物音(ものおと)です。

このセミしぐれの
8月がもう到来しています。

これからは次第に陽は短くなる。

しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしい
安堵感があります。

朝空は
陽ははるかに天高く空色はミルク色です。
クリームのかかったような雲空です。

「つつじ」の「花」がおわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

若々しい草色の葉を木一面に広げ。
若葉の潅木としてとてもとても奇麗です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物はあじさいです。
うすぼんやりした花木です。

私は森山を分け入ると。
木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花さく
「やまつつじ」が「大好き」です。
「くさぼけ」もかわいらしく「大好き」
です。
けれども
時期はすぎました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームのように「あゆみ」を
感じさせます。
この「あゆみ」の「質量」は高いです。
重力のように。
リズムにひっぱられる感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお。
なお確実な「リズム」を感じます。
ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきそして聴こえます。
自然は
自然の
「ヴィルトオーゾ・ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」*です。
この自然のフイルハーモニーの
指揮者は太陽なのか大地なのか人なのか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。
古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判る。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる成分ではありません。

また音楽であるために。
三要素が絶対必要という意味
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つ。

大和の国の自然は。
「音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。
「ため息」がでるほど木々の「若葉」の
「たば」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり初夏のおとずれを
伝えています。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうな青葉。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

里山(さとやま)をさまよい。
里山(さとやま)をあるきたい。
里山(さとやま)の季節。
昔々里山(さとやま)であそび。
そして里山(さとやま)でおぼえ。
里山(さとやま)でまなんだ。
昔々のその日々の思い出が
黄金(こがね)のあるいは鉛のような重さとなり
心の奥深くに感じられます。

けれども
まだ早朝ははだ寒いです。

やま中木々中分けいらば
若木の根元に隠れさけり
あけぼの色のちひさき花
みつけたりやまの花 
草ぼけの花。

くさぼけの
花かくしてや
やまつつじ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけすかすみあおし
ほのほもかすみもただよひて
かがやきたり
あざやかなりけり 
さとやまみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな春みつけた」
から
「春がすぎてて真夏間近い」
「小さな真夏みつけた・。」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は

水彩という画材の持ち味を存分に生かしたもので、
卓越した技術をもたれたマエストロ。
また理由はあるのですが。
戦時中ドイツの画壇から「画家停止」で「画材購入」
まで禁止され。
極少サイズの「水彩画」をかき終戦まで
しのいだことでも有名な。
1867年 - エミール・ノルデ、画家(+ 1956年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++
エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867年8月7日
- 1956年4月15日)は、
19世紀末〜20世紀のドイツの画家です。

「本名:エミール・ハンセン。
「ノルデ」は出身地の地名です。」

++++++++++++++++++++++

エミール・ノルデの作風

ノルデの作風は。
同時代のドイツ表現主義の画家たちに
共通するものがあります。

けれども彼自身は特定の
グループに属することを好みませんでし。

終始独自の道を歩みまし。

++++++++++++++++++++++

エミール・ノルデは。

1867年、デンマークの北シュレスヴィッヒ地方のブルカル(Burkal)
のノルデに生まれました。

はじめ木彫を学びました。
続いてカールスルーエの工芸学校で学びました。

1899年パリに出ました。
アカデミー・ジュリアンに学んだこともあります。

1904年頃から「ノルデ」と名乗るようになりました。
「本名:エミール・ハンセン。
「ノルデ」は出身地の地名です。」

++++++++++++++++++++++

エミール・ノルデ
「本名:エミール・ハンセン。
「ノルデ」は出身地の地名です。」。

ノルデは1906年1月、ドレスデンのアルノルト画廊で
個展を開ました。

エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーら
「ブリュッケ」のグループの画家たちは。

みな
ノルデに自分たちのグループに参加するように
言い寄りました。

しかしノルデは元来孤独を好む性格であり。
「申し出」を「お断り」致しましたが。

「ブリュッケ」には1年ほど所属しただけで脱退し。
独自の道を歩みましただ。

++++++++++++++++++++++

エミール・ノルデは。
1909年には北ドイツのルッテビュルという村に
定住致します。

以後『キリストの生涯』連作など
宗教的な画題に取り組みました。

ノルデの作品は原色を多用した強烈な色彩と
単純化された形態が特色です。

ファン・ゴッホやオセアニア美術の影響が感じられる。

木版画や水彩画の名手でもありました。

特に水彩は北ドイツの風景、草花などを題材にして。

水彩という画材の持ち味を存分に生かしたもので、
卓越した技術をもたれたマエストロです。

++++++++++++++++++++++

エミール・ノルデとナチス。

エミール・ノルデは。

第一次世界大戦の敗戦に伴い、
彼の故郷はデンマークに割譲されました。

また彼はまだ「当時は弱小政党だったナチスの政策」
に共感するところがあったようです。
1920年にはナチ党員となっています。

ヨーゼフ・ゲッベルスは彼の水彩の花の絵を好んで
いたということです。

++++++++++++++++++++++

エミール・ノルデへの批判

エミール・ノルデの
非常に強烈な宗教画はしばしば
「宗教への冒涜」「退廃芸術」という批判を浴びました。

ついに1937年彼の作品はドイツ中の美術館から押収され
て「退廃芸術展」に出展されさらし者にされました。

ノルデはドイツ社会から非難を浴び。
美術院から除名されて絵画制作や画材購入まで
禁止・制限されるにいたりました。

++++++++++++++++++++++

エミール・ノルデは。

彼はこの間、
極小サイズの水彩画「描かれざる絵」を
秘密のうちに描きながら
戦時下を過ごしていました。

戦後はこれらの絵を改めて
大きく描きなおす画業を再開し1956年に没しました。

++++++++++++++++++++++
代表作
学者と少女(1912)(デュッセルドルフ美術館)

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
エミール・ノルデ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%87

エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867年8月7日 - 1956年4月15日)は、19世紀末〜20世紀のドイツの画家。本名:エミール・ハンセン。「ノルデ」は出身地の地名である。

ノルデの作風は同時代のドイツ表現主義の画家たちに共通するものがあるが、彼自身は特定のグループに属することを好まず、終始独自の道を歩んだ。

1867年、デンマークの北シュレスヴィッヒ地方のブルカル(Burkal)のノルデに生まれる。はじめ木彫を学び、続いてカールスルーエの工芸学校で学んだ。1899年パリに出て、アカデミー・ジュリアンに学んだこともある。1904年頃から「ノルデ」と名乗るようになる。
ノルデは1906年1月、ドレスデンのアルノルト画廊で個展を開いた。エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーら「ブリュッケ」のグループの画家たちは、ノルデに自分たちのグループに参加するよう要請した。しかし、元来孤独を好む性格のノルデは、「ブリュッケ」には1年ほど所属しただけで脱退し、独自の道を歩んだ。
1909年には北ドイツのルッテビュルという村に定住し、以後『キリストの生涯』連作など宗教的な画題に取り組んだ。

ノルデの作品は原色を多用した強烈な色彩と単純化された形態が特色で、ファン・ゴッホやオセアニア美術の影響が感じられる。木版画や水彩画の名手でもあり、特に水彩は北ドイツの風景、草花などを題材にし、水彩という画材の持ち味を存分に生かしたもので、卓越した技術をもっている。

第一次世界大戦の敗戦に伴い、彼の故郷はデンマークに割譲された。また彼は弱小政党だったナチスの政策に共感するところがあり、1920年にはナチ党員となっており、ヨーゼフ・ゲッベルスは彼の水彩の花の絵を好んでいたという。

だが彼の非常に強烈な宗教画はしばしば「宗教への冒涜」「退廃芸術」という批判を浴び、ついに1937年、彼の作品はドイツ中の美術館から押収されて「退廃芸術展」に出展されさらし者にされた。ノルデはドイツ社会から非難を浴び、美術院から除名されて絵画制作や画材購入まで禁止・制限されるにいたる。

彼はこの間、極小サイズの水彩画「描かれざる絵」を秘密のうちに描きながら戦時下を過ごしていた。戦後はこれらの絵を改めて大きく描きなおす画業を再開し1956年に没した。

代表作
学者と少女(1912)(デュッセルドルフ美術館)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
8月7日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%887%E6%97%A5

できごと
1801年(享和元年6月28日) -
富山元十郎らが千島列島のウルップ島に「天地長久大日本属島」の標柱を立てる

1819年 - ボヤカの戦い(Battle of Boyacá)

1821年(文政4年7月10日)-
伊能忠敬らによって作られた史上初の日本地図が江戸幕府に献上される。

1942年 - アメリカ軍がガダルカナル島に上陸(太平洋戦争)。

1944年 - IBM製作による
世界初の大規模自動デジタルコンピュータHarvard Mark Iがハーバード大学に到着。

1955年 - 東京通信工業が世界初のトランジスタラジオを発売。

1960年 - コートジボワールがフランスから独立。

1964年 - ベトナム戦争:
トンキン湾事件を受けアメリカ上・下院が『トンキン湾決議』を採択し
ジョンソン大統領に戦時大権を付与、本格的な軍事介入が始まる。

1977年 - 有珠山大噴火。

1982年 - ワシントン・スター廃刊。

1985年 - 土井隆雄・毛利衛・向井千秋の3名が日本人初の宇宙飛行士に選ばれる。

1996年 - 俳優・渥美清(8月4日歿)の訃報が松竹から公表される。

1997年 - パンパシフィックホテル横浜が横浜市西区みなとみらいに開業。

1998年 - ナイロビでアメリカ大使館爆破事件が起こる。

1999年 - ロシア連邦において、チェチェン独立派テロリストが
停戦協定を破りダゲスタン共和国へ侵攻。第二次チェチェン紛争の引き金となる。

2004年 - 北京のサッカーアジアカップで日本が優勝するが、試合終了後、
中国人ファンが反日騒動を引き起こす。

2005年 - 横浜ベイスターズの佐々木主浩投手が現役引退を表明。

2006年 - 兵庫県丹波市の篠山層群より、
白亜紀の恐竜であるティタノサウルスのほぼ全身の化石が発見され、後に丹波竜と命名される

誕生日
1622年(元和8年7月1日)- 松平頼重、高松藩主(+ 1695年)

1742年 - ナサニエル・グリーン、アメリカ独立戦争における大陸軍の少将(+ 1786年)

1751年 - ヴィルヘルミーネ、オラニエ公ヴィレム5世の妃(+ 1820年)

1779年 - カール・リッター、地理学者(+ 1859年)

1802年 - ジェルマン・アンリ・ヘス、化学者(+ 1850年)

1841年 - アンドリュー・コンモン、天文学者(+ 1903年)

1842年(天保13年7月2日)- 伊藤忠兵衛 (初代)、
実業家、伊藤忠商事・丸紅創業者(+ 1903年)

1862年 - ヴィクトリア、スウェーデン王グスタフ5世の妃(+ 1930年)

1867年 - エミール・ノルデ、画家(+ 1956年)

1870年 - グスタフ・クルップ、実業家(+ 1950年)

1877年 - ウルリッヒ・サルコウ、フィギュアスケート選手(+ 1949年)

1878年 - 2代目野村徳七、実業家(+ 1945年)

1891年 - 鳩彦王妃允子内親王、日本の皇族(+ 1933年)

1896年 - 赤松要、経済学者(+ 1974年)

1904年 - 武見太郎、元日本医師会会長(+ 1983年)

1911年 - ニコラス・レイ、映画監督(+ 1979年)

1920年 - 塚本邦雄、歌人(+ 2005年)

1921年 - カレル・フサ、作曲家

1921年 - 二瀬山勝語、大相撲の力士(+ 1975年)

1923年 - 司馬遼太郎、小説家(+ 1996年)

1923年 - 池田敏雄、コンピュータエンジニア(+ 1974年)

1925年 - フリアン・オルボーン、作曲家(+ 1991年)

1927年 - 杉山光平、元プロ野球選手

1928年 - ジェームズ・ランディ、奇術師・疑似科学批判者

1931年 - 藤田元司、元プロ野球選手・監督(+ 2006年)

1932年 - アベベ・ビキラ、マラソン選手(+ 1973年)

1932年 - ジャック・ブルーム、元プロ野球選手

1933年 - ジェリー・パーネル、SF作家

1936年 - 増岡弘、声優

1942年 - マサ斎藤、元プロレスラー

1942年 - 高池勝彦、弁護士

1942年 - 平野眞一、工学者

1942年 - トビン・ベル、俳優

1943年 - ヴァレリー・ニポムニシ、元サッカー監督

1943年 - 山本圭子、声優

1943年 - アラン・コルノー、映画監督

1947年 - ソフィーヤ・ロタール、歌手

1953年 - 小野次郎、自民党衆議院議員
1954年 - 中井康之、元プロ野球選手
1955年 - ウラジーミル・ソローキン、小説家
1956年 - 大谷千正、作曲家・音楽学者
1957年 - 尾花高夫、元プロ野球選手、コーチ
1957年 - アレクサンドル・ディチャーチン、体操選手
1958年 - 高橋俊昌、漫画雑誌編集者(+ 2003年)
1958年 - ブルース・ディッキンソン、ミュージシャン(アイアン・メイデン)
1959年 - 内田春菊、小説家
1960年 - デイヴィッド・ドゥカヴニー、映画俳優
1962年 - 小林泰三、小説家
1963年 - 平田広明、声優
1963年 - 未知やすえ、お笑い芸人・吉本新喜劇
1964年 - ギュウゾウ、パフォーマンス集団電撃ネットワークメンバー
1965年 - 佐藤真一、元プロ野球選手、コーチ
1965年 - ジョニー・スミス、プロレスラー
1966年 - ジミー・ウェールズ、ウィキペディア創始者
1967年 - シャーロット・ルイス、女優
1967年 - エフゲニー・プラトフ、フィギュアスケート選手
1969年 - アレクセイ・スルタノフ、ピアニスト(+ 2005年)
1973年 - 大上邦博、お笑い芸人(ハリガネロック)
1975年 - シャーリーズ・セロン、女優
1975年 - ハンス・マシソン、俳優
1975年 - エドガー・レンテリア、プロ野球選手
1975年 - 石原英康、プロボクサー
1978年 - 高橋信二、プロ野球選手
1979年 - 古賀誠史、サッカー選手
1979年 - 笹田貴之、声優
1980年 - 梶原雄太、キングコング(お笑いコンビ)
1980年 - 巻誠一郎、サッカー選手
1981年 - 朝赤龍太郎、大相撲力士
1982年 - ウーイェイよしたか、スマイル(お笑いコンビ)
1982年 - ヤナ・クロチコワ、競泳選手
1986年 - 五十嵐隼士、俳優
1988年 - カイル・ボタ、野球選手
1989年 - 絹川愛、陸上競技選手
年齢非公表
- ごあきうえ、ファッションデザイナー
- 水野十子、漫画家
- 松岡恵美、歌手・モデル
- あち、ミュージジャン(ホイフェスタ)

忌日
1106年 - ハインリヒ4世、神聖ローマ皇帝(* 1050年)

1284年(弘安7年6月25日)- 足利家時、御家人(* 1260年)

1336年(延元元年/建武3年6月30日)- 名和長年、武将

1359年(正平14年/延文4年7月13日)- 武田信武、守護大名(* 1292年)

1491年 - ジャック・バルビロー、作曲家(* 1455年)

1560年 - アナスタシア・ロマノヴナ、モスクワ大公イヴァン4世の妃

1614年(慶長19年7月2日)- 奥平忠政、加納藩主(* 1580年)

1622年(元和8年7月1日)- 支倉常長、仙台藩士(* 1571年)

1636年(寛永13年7月7日)- 鳥居忠恒、山形藩主(* 1604年)

1643年 - ヘンドリック・ブラウエル、オランダ東インド会社総督(* 1581年)

1649年 - マリア・レオポルディーネ、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の妃(* 1632年)

1652年 - ジョン・スミス、哲学者・神学者(* 1616年)

1690年(元禄3年7月3日)- 慈山、僧(* 1637年)

1762年(宝暦12年6月18日)- 酒井忠与、小浜藩主(* 1721年)

1794年 - エトムント・アンゲラー、作曲家(* 1740年)

1795年(寛政7年6月23日)- 黒田斉隆、第9代福岡藩主(* 1777年)

1805年(文化2年7月13日)- 松平康乂、第6代津山藩主(* 1786年)

1820年 - エリザ・ボナパルト、トスカーナ大公(* 1777年)

1821年 - キャロライン、イギリス王ジョージ4世の妃(* 1768年)

1848年 - イェンス・ベルセリウス、化学者(* 1779年)

1893年 - アルフレード・カタラーニ、作曲家(* 1854年)

1900年 - ジャン=ジョゼフ・エティエンヌ・ルノアール、エンジニア・実業家(* 1822年)

1904年 - 市川左團次 (初代)、歌舞伎役者(* 1842年)

1913年 - ダーヴィト・ポッパー、チェロ奏者・作曲家(* 1843年)

1929年 - ヴィクター・L・バーガー、アメリカ合衆国下院議員(* 1860年)

1937年 - 北井正雄、プロ野球選手(* 1913年)

1938年 - コンスタンチン・スタニスラフスキー、俳優・演出家(* 1863年)

1941年 - ラビンドラナート・タゴール、詩人(* 1861年)

1944年 - 原嘉道、元司法大臣・枢密院議長(* 1867年)

1944年 - アグスティン・バリオス、ギタリスト・作曲家(* 1885年)

1958年 - 田中禎之助、プロボクサー(* 1903年)

1959年 - ハインリヒ・メンデルスゾーン、実業家(* 1881年)

1963年 - 大島みち子、書簡集「愛と死をみつめて」の登場人物(* 1942年)

1964年 - 島善鄰、農学者(* 1889年)

1969年 - ジョゼフ・コズマ、作曲家(* 1905年)

1970年 - 内田吐夢、映画監督(* 1898年)

1970年 - 加賀山之雄、第2代日本国有鉄道総裁(+ 1902年)

1972年 - アスパシア・マノス、ギリシャ王アレクサンドロス1世の妻(* 1896年)

1977年 - 村山長挙、元朝日新聞社社長(* 1894年)

1980年 - ジャクリーン・コクラン、パイロット(* 1906年)

1983年 - 鈴木安蔵、法学者(* 1904年)

1985年 - セゲー・ガーボル、数学者(* 1895年)

1985年 - カミール・シャムーン、元レバノン大統領(* 1900年)

1986年 - 長谷川四郎、元農林大臣・建設大臣(* 1905年)

1987年 - 岸信介、第56・57代内閣総理大臣(* 1896年)

1989年 - 伊藤律、元日本共産党政治局員(* 1913年)

1992年 - 金内吉男、俳優・声優(* 1933年)

1993年 - 福田篤泰、元郵政大臣(* 1906年)

1996年 - 村上寅次、教育学者(* 1913年)

2005年 - ピーター・ジェニングス、米ABCテレビ元ニュースキャスター(* 1938年)

2006年 - 国田栄弥、俳優(* 1930年)

記念日・年中行事
七夕 (日本)
七夕は7月7日に行われることが一般的だが、
北日本などの一部の地域では一月遅れのこの日頃に行われることもある。

鼻の日(日本)
8月7日が「はな」と読めることから。1961年に日本耳鼻咽喉科学会が制定。

共和国記念日(コートジボワール)
1960年8月7日にフランスから独立したことに由来。