東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年8月11日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年8月11日(月曜日)

真夏の夏のかおりが。
ただよいはじめています。

早朝にはせみの鳴き声が今日も聞こえました。
(にいにいせみとあぶらせみ)
けれども朝もやからは「秋のおとずれ」も
まじかいことがわかります。

五月(さつき)がおわり。
六月がおわり。
そして「7月」
「7月」も終わりました。
「8月」の「11日目」です。
はやいものです。
はやいものです。

真夏には
「特有の独特の気配と香り」が感じられるような
気が致します。

木々の「夏の先」までの(秋への実りに向けての)
息吹を力強く感じます。

けれども早朝は不思議にまだまだ「肌寒い」です。
今年は「寒い」です。

街路樹はしっかりと
枝木の穂先もたわわにつよく
萌黄色から若葉そして
夏の「木」の青葉に
かわりました。

「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です。

木々がへったため。
せみの声も少なくなりました。
けれども去年よりは鳴き声は多い
かもしれません。

遅夏の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
若葉にすくすくとそだち。
若枝も天高くすこやかにのび。
ますますに。ますますに。
山椒(さんしょう)の葉の。
みどりがとても。
奇麗です。

山椒のことを
「きのめ」=木の芽とはなるほどと
かんがえる。

さんしょう木
萌黄鮮やかなり芽葉(めは)
みどりわか葉いずる花のごと
夏(なつ)まつわか枝は幹ならむ
たゆまずとまらず
あゆみそだち幹たかくなりけり
いざいまこそは
夏空(そら)にもえたたん
金色(こがね)の炎
さんしょう木

けれども
まだ早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな夏みつけた」から
しだいに「大きな夏みつけた」
「大きな大きな夏みつけた」はまだです。
そして「小さい夏」みつけた・は。

ちょっと「怖い気」が致します。
もう夏です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
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GWの予定ですが。
平成20年4月29日(火曜日)
は祝日です。(はおわりました)
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平成20年5月 3日(土曜日)
平成20年5月 5日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
(4・29 5・3 5.5)
=>

平成20年5月 6日(火曜日)
は同じく祝日ですが
は「お休み」を頂く予定です。
5月7日(水曜日)より「定常どおり」
になります。

7月21日(月曜日)は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
ヨハン・セバスティアン・バッハと
同じく盲人であり。

幼い頃に天然痘に罹った結果
(または種痘の副作用の結果)、
視力を奪われ、16歳までに完全に失明に到り。

そのため、少年時代は母親によって。
結婚してからは夫人によって。
左右の手(と、オルガンの場合は足鍵盤)の
パートをそれぞれ別個に演奏してもらい。

それぞれを
絶対音感によってしっかり記憶に焼き付けてから
一つの楽曲へとまとめ上げることで高名な。
有名なオルガニスト。

1991年 -
ヘルムート・ヴァルヒャ、オルガン奏者(* 1907年)
の没年です。

++++++++++++++++++++++

ヘルムート・ヴァルヒャ
(Helmut Walcha, 1907年10月27日 ライプツィヒ
1991年8月11日 フランクフルト・アム・マイン)は
旧西ドイツのチェンバロ奏者・オルガン奏者です。

オランダとドイツのバロック音楽を専門としていました。

とりわけヨハン・ゼバスティアン・バッハのオルガン曲を2度
(すなわち1947年-1952年のモノラル録音と、
1956年-1970年のステレオ録音)
全曲録音したことで極めて名高い方です。

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ヘルムート・ヴァルヒャの「録音」の
なかでも。

ドイツ・グラモフォンのステレオ録音による
12枚組のCD全集(2001年秋発売)は。

最新技術を用いて音像の修正が加えられ。
廉価になったこともあり、
好楽家必携の音源となっています。

その後モノラル録音も更に安価な価格で再発されました。

++++++++++++++++++++++

ヘルムート・ヴァルヒャは
幼い頃に天然痘に罹った結果(または種痘の副作用の結果)。
視力を奪われ、16歳までに完全に失明致しました。

そのため、少年時代は母親によって、
結婚してからは夫人によって、左右の手(と、オルガンの場合は足鍵盤)の
パートをそれぞれ別個に演奏してもらい、
それぞれを絶対音感によってしっかり記憶に焼き付けてから
一つの楽曲へとまとめ上げたということでも有名です。

バッハの鍵盤作品は
40歳頃までに異稿まで暗記致しました。

++++++++++++++++++++++

ヴァルヒャの演奏は当時、
新たな規範的演奏とみなされました。

のちに古楽器による演奏が全盛時代を迎えても。
彼に取って代わる演奏は。
いまだ現れていないと評価されます。

その理由は。
1・
利用可能なバロック・オルガンの探求。
当時ヴァルヒャは近代的な
シンフォニック・オルガンを使用していました。

けれども。
バッハ・オルガン作品全集録音には
最も状態の良いバロック・オルガンを2台使用しました。
(アルクマールの聖ローレンス教会のオルガンと、
ストラスブールのサン・ピエール・ル・ジューヌ教会のオルガン)

2・
声部進行が容易に聴き分けられるような
鮮やかなレジストレーション
(注意深く選択されたストップの組み合わせはを
ヘルムート・ヴァルヒャは
けっして公表しませんでした)。

3・
足鍵盤の演奏技巧と鍵盤の演奏技巧。
聴き終わってからも、バランスの取れた、
完成された音の印象が残ります。

4・
精神的な音楽観。盲人の内面的な
想像力については文字による記録が多く残されてはいます。
けれども。
ヴァルヒャの録音ほどそのことを
雄弁かつ感動的に訴えかけるものはありません。

ヴァルヒャの録音は彼の人間性や音楽ばかりか、
その精神力の実例でもあるからです。

++++++++++++++++++++++

ヘルムート・ヴァルヒャのオルガン演奏
ヴァルヒャのバッハ演奏は。

ポリフォニックな旋律線を。
一本一本
くっきりと際立たせて聴き手に聴かせる
「テクニック」を用います。

不要なストップ増強による
大音響で各旋律線を混濁させることはありません。

バッハの音楽のもつドラマ性そのものを。
壮大な建築を思わせる
天才的な構成観をもって再現す致しました。

その演奏はつねに対位法の
各声部があざやかに聴き取れます。

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ヘルムート・ヴァルヒャとオrツガン曲の作曲

ヴァルヒャはオルガン曲の作曲家でもあり、
自作のコラール前奏曲をペータース社から4巻出版しています。

また
ほかの作曲家の管弦楽作品をオルガン独奏用に編曲、
出版もしています。

++++++++++++++++++++++

ヘルムート・ヴァルヒャは
フランクフルト音楽大学でオルガンと作曲の教授を務め。
自ら模範演奏を行ないました。

ほかにヴァルヒャの音楽研究上の貢献として、
バッハ未完の遺作《フーガの技法》の「最終フーガ」を
補筆・完成させる試みが挙げられます
(上記出版譜にふくまれている)。

++++++++++++++++++++++

ヘルムート・ヴァルヒャは。
ヴァルヒャは、
フルブライト奨学金を得てドイツに留学した。

アメリカ人オルガニストを数多く育成致しました。

なかでも、ロバート・アンダーソン、
マーガレット・ディッキンソン、
メルヴィン・ディッキンソン、
デイヴィッド・マルベリーらは。

アメリカの国内外で教師や演奏家・研究者として活躍しています。

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ヘルムート・ヴァルヒャの語録

「バッハの音楽は宇宙へと目を開いてくれます。
ひとたびバッハ体験をすれば、
この世の生にはなにがしかの意味があることに気づきます」。

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ヘルムート・ヴァルヒャ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%A3

ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha, 1907年10月27日 ライプツィヒ 1991年8月11日 フランクフルト・アム・マイン)は旧西ドイツのチェンバロ奏者・オルガン奏者。オランダとドイツのバロック音楽を専門として、とりわけヨハン・ゼバスティアン・バッハのオルガン曲を2度(すなわち1947年-1952年のモノラル録音と、1956年-1970年のステレオ録音)全曲録音したことで名高い。なかでも、ドイツ・グラモフォンのステレオ録音による12枚組のCD全集(2001年秋発売)は、最新技術を用いて音像の修正が加えられ、廉価になったこともあり、好楽家必携の音源となっている。その後、モノラル録音も更に安価な価格で再発された。

ヴァルヒャは幼い頃に天然痘に罹った結果(または種痘の副作用の結果)、視力を奪われ、16歳までに完全に失明した。そのため、少年時代は母親によって、結婚してからは夫人によって、左右の手(と、オルガンの場合は足鍵盤)のパートをそれぞれ別個に演奏してもらい、それぞれを絶対音感によってしっかり記憶に焼き付けてから一つの楽曲へとまとめ上げたという。バッハの鍵盤作品は40歳頃までに異稿まで暗記したらしい。

ヴァルヒャの演奏は当時、新たな規範的演奏とみなされた。のちに古楽器による演奏が全盛時代を迎えても、彼に取って代わる演奏はいまだ現れていないと評価する者も多い。それは以下の理由による。

利用可能なバロック・オルガンの探求。当時ヴァルヒャは近代的なシンフォニック・オルガンを使用していたが、バッハ・オルガン作品全集録音には最も状態の良いバロック・オルガンを2台使用した(アルクマールの聖ローレンス教会のオルガンと、ストラスブールのサン・ピエール・ル・ジューヌ教会のオルガン)。
声部進行が容易に聴き分けられるような鮮やかなレジストレーション(注意深く選択されたストップの組み合わせは、けっして公表しなかった)。
足鍵盤の演奏技巧と鍵盤の演奏技巧。聴き終わってからも、バランスの取れた、完成された音の印象が残る。
精神的な音楽観。盲人の内面的な想像力については文字による記録が多く残されてはいるが、ヴァルヒャの録音ほどそのことを雄弁かつ感動的に訴えかけるものはないだろう。ヴァルヒャの録音は、彼の人間性や音楽ばかりか、その精神力の実例でもあるからである。
ヴァルヒャのバッハ演奏はポリフォニックな旋律線を一本一本、くっきりと際立たせて聴き手に聴かせる。不要なストップ増強による大音響で各旋律線を混濁させることなく、バッハの音楽のもつドラマ性そのものを、壮大な建築を思わせる天才的な構成観をもって再現する。その演奏はつねに各声部があざやかに聴き取れる。

ヴァルヒャはオルガン曲の作曲家でもあり、自作のコラール前奏曲をペータース社から4巻、出版している。また、ほかの作曲家の管弦楽作品をオルガン独奏用に編曲、出版もしている。

フランクフルト音楽大学でオルガンと作曲の教授を務め、自ら模範演奏を行なった。ほかにヴァルヒャの音楽研究上の貢献として、バッハ未完の遺作《フーガの技法》の「最終フーガ」を補筆・完成させる試みが挙げられる(上記出版譜にふくまれている)。

ヴァルヒャは、フルブライト奨学金を得てドイツに留学したアメリカ人オルガニストを数多く育成した。なかでも、ロバート・アンダーソン、マーガレット・ディッキンソン、メルヴィン・ディッキンソン、デイヴィッド・マルベリーらは、アメリカの国内外で教師や演奏家・研究者として活躍している。

語録
「バッハの音楽は宇宙へと目を開いてくれます。
ひとたびバッハ体験をすれば、
この世の生にはなにがしかの意味があることに気づきます」。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%A3" より作成
カテゴリ: 1907年生 | 1991年没 | チェンバロ奏者 | オルガニスト

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
8月11日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8811%E6%97%A5

できごと
1492年 - アレクサンデル6世がローマ教皇に選出。

1584年 - 天正遣欧少年使節がリスボンに到着。

1711年 - イギリスのアスコット競馬場で初のレースが行なわれる。

1914年 - 第一次世界大戦: フランスがオーストリア・ハンガリー帝国に宣戦布告。

1919年 - ドイツでヴァイマル憲法が制定される。

1920年 - ラトビアとロシアのボリシェヴィキ政権が平和条約を締結。

1933年 - ソビエト連邦でT-35重戦車が制式化。

1936年 - ベルリンオリンピックの女子200メートル平泳ぎで前畑秀子が優勝。

1938年 - 張鼓峰事件: モスクワで停戦合意が成立する。

1952年 - ヨルダンでタラル国王が軍部により廃されフセイン国王が即位。

1960年 - チャドが独立を宣言。

1965年 - ロサンゼルスでワッツ暴動起こる。

1966年 - インドネシア・マレーシア両国が国交樹立。

1984年 - ロナルド・レーガン米大統領が演説前のマイクテストで
『我々は5分後にソ連への爆撃を開始する』とジョーク発言、波紋を呼ぶ。

1987年 - アラン・グリーンスパンが連邦準備制度議長に就任。

1989年 - 潜水調査船「しんかい6500」が宮城県沖での試験潜航で
6527メートルの海底に到達し、世界記録を樹立。

1999年 - ヨーロッパやアジアで皆既日食が観測される。

2006年 - イスラエルのレバノン侵攻の停戦を求める
国連安保理決議1701が満場一致で承認される。

誕生日
1833年 - インガーソル、無神論者・演説者(+ 1899年)

1833年(天保4年6月26日) - 木戸孝允、政治家(+ 1877年)

1837年 - マリー・フランソワ・サディ・カルノー、
フランス第三共和政第4代大統領(+ 1894年)

1872年 - 幣原喜重郎、第44代内閣総理大臣(+ 1951年)

1892年 - 吉川英治、小説家(+ 1962年)

1897年 - イーニッド・ブライトン、児童文学作家(+ 1968年)

1909年 - 古関裕而、作曲家(+ 1989年)

1919年 - ジネット・ヌヴー、ヴァイオリニスト(+ 1949年)

1929年 - 近藤鉄雄、政治家

1932年 - 小林亜星、作曲家

1936年 - 古谷三敏、漫画家

1942年 - 中尾彬、俳優・タレント

1943年 - 神田武幸、アニメーション監督(+ 1996年)

1944年 - イアン・マクダーミド、俳優、演出家

1944年 - 柴田猛、元プロ野球選手

1950年 - スティーブ・ウォズニアック、パーソナルコンピュータの開拓者

1951年 - 田中和実、声優(+ 2007年)
1953年 - ハルク・ホーガン、プロレスラー
1957年 - 孫正義、実業家
1957年 - イネス・ド・ラ・フレサンジュ、スーパーモデル、ファッションデザイナー
1959年 - 村上世彰、投資家
1960年 - 上北ふたご、漫画家
1961年 - 手塚眞、映像作家
1963年 - 吉田戦車、漫画家
1963年 - 槙原寛己、元プロ野球選手(読売ジャイアンツ)・野球解説者
1963年 - 井田國彦、俳優
1963年 - 友道康夫、調教師
1965年 - 山本昌、プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
1965年 - 山口昌人、ミュージシャン(FEEL SO BAD)
1967年 - 松村邦洋、タレント
1967年 - 前島正義、元いんぐりもんぐりヴォーカル
1968年 - 黒沢健一、ミュージシャン(L⇔R)
1971年 - アンドレアス・スボリッチ、騎手
1972年 - 喜多嶋舞、女優
1972年 - 廣瀬陽子、政治学者
1972年 - 小林綾子、女優
1972年 - 厚沢和幸、元プロ野球選手
1974年 - 山本浩司、俳優
1975年 - 福田充徳、お笑いタレント(チュートリアル)
1975年 - 谷山紀章、声優、歌手(GRANRODEO)
1977年 - 佐藤宏志、プロ野球選手
1981年 - 森山周、プロ野球選手
1982年 - 美景、ファッションモデル・女優
1983年 - 松尾翠、フジテレビアナウンサー
1986年 - 福原香織、声優
1988年 - 浜崎りお、AV女優
1988年 - 河原亜依、歌手
1989年 - 中島ファランパリス、サッカー選手
1994年 - 山上佳之介(山上兄弟)、マジシャン
生年不明 - SHODAI(GOLLBETTY)、ミュージシャン

忌日
1456年 - フニャディ・ヤーノシュ、ハンガリーの摂政(* 1387年?)

1464年 - ニコラウス・クザーヌス、哲学者・数学者(* 1401年)

1563年 - バルトロメー・デ・エスコベド、作曲家(* 1500年頃)

1564年(永禄7年7月5日)- 長尾政景、戦国武将(* 1526年?)

1578年 - ペドロ・ヌネシュ、数学者(* 1502年)

1643年(寛永20年6月27日)-
東郷重位、薩摩藩士・示現流剣術流祖(* 1561年)

1705年(宝永2年6月22日)-
桂昌院、江戸幕府第3代将軍徳川家光の側室(* 1627年)

1772年(安永元年7月13日)- 酒井忠恭、江戸幕府老中・姫路藩主(* 1710年)

1798年 - ジョシュア・クレイトン、医師・政治家(* 1744年)

1833年(天保4年6月26日) - 池田斉政、第6代岡山藩主(* 1773年)

1846年(弘化3年6月20日) - 欣子内親王、光格天皇中宮(* 1779年)

1854年 - マセドニオ・メローニ、物理学者(* 1798年)

1900年 - 初代三遊亭圓朝、落語家(* 1839年)

1919年 - アンドリュー・カーネギー、実業家(* 1835年)

1927年 - 左右田喜一郎、経済学者(* 1881年)

1945年 - 松平頼孝、鳥類学者(* 1876年)

1953年 - タツィオ・ヌヴォラーリ、レーサー(* 1892年)

1955年 - ロバート・ウィリアム・ウッド、物理学者(* 1868年)

1956年 - ジャクソン・ポロック、画家(* 1912年)

1959年 - デイヴィッド・ピンスキ、劇作家・小説家(* 1872年)

1961年 - ヨハンナ・ゼンフター、作曲家(* 1879年)

1963年 - 武藤嘉門、元岐阜県知事(* 1870年)

1965年 - エセル・トムソン・ラーコム、テニス選手(* 1879年)

1966年 - 大下宇陀児、推理作家(* 1896年)

1971年 - 笠置山勝一、大相撲力士・元関脇(* 1911年)

1972年 - ウィリアム・ウェブ、極東国際軍事裁判裁判長(* 1887年)

1972年 - マックス・タイラー、ウイルス学者(* 1899年)

1973年 - カール・ツィーグラー、化学者(* 1898年)

1974年 - 北白川房子、明治天皇第7皇女(* 1890年)

1974年 - ヤン・チヒョルト、タイポグラファー(* 1902年)

1975年 - アンソニー・マコーリフ、アメリカ陸軍の准将(* 1898年)

1980年 - 片岡松之亟 (初代)、歌舞伎役者(* 1910年)

1983年 - 山本薩夫、映画監督(* 1910年)

1985年 - 荒川豊蔵、陶芸家(* 1894年)

1991年 - ヘルムート・ヴァルヒャ、オルガン奏者(* 1907年)

1991年 - 河野基比古、映画評論家(* 1932年)

1994年 - ピーター・カッシング、俳優(* 1913年)

1995年 - アロンゾ・チャーチ、数学者・論理学者(* 1903年)

1995年 - 城戸禮、小説家(* 1909年)

1996年 - ラファエル・クーベリック、指揮者、作曲家(* 1914年)

1998年 - 中村健也、自動車技術者(* 1913年)

1999年 - トミー・リッジリー、R&B歌手(* 1925年)

2003年 - アルマン・ボレル、数学者(* 1923年)

2005年 - 山本政弘、元日本社会党衆議院議員(* 1918年)

記念日・年中行事
ガンバレの日/スポーツ中継の日(日本)
1936年8月11日に、ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で
、ラジオの実況をしていた日本放送協会の河西三省アナウンサーが
前畑秀子選手に「前畑ガンバレ」と連呼し、日本中をわかせたことに由来。

前畑選手は優勝し、日本人女性として初めての金メダルを獲得した。

三国花火(福井県坂井市三国町)
例年8月11日に行われている北陸最大級の花火大会。