東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年8月15日(金曜日)

「ここをおして」をクリックされてください。

「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

平成20年8月15日(金曜日)

猛暑が続いています。
「8月」=盛夏です。
もう「夏も四分の三」がすぎました。
「夏も四分の三」がおわりました。

あまりにも
月日のたつその速さに。
恐怖さえ感じます。

木々の若葉のいろは深緑に。
緑がますますあざやかになり。

空の色も。
まさしくも
夏の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

あさの04:00AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

今の夏の大気からは。

まぢかいけれども。
「深まる秋の訪れの近い」ことが。
良くわかります。

池面の水面(みずおも)に
小さきわかみどり
なをしらぬ
小さき緑の浮き草
若草色にうきつあつまり
うかびうごき
ながれてとまりたり
水面(みずおも)にて
風をきそふがごとし
わらべのごとし

いざいまこそは
みどりよき季節にあらむ
水面(みずおも)なるそら
ふと空をみる

早朝(はやあさ)は
いまだはだのさむけれど
ぬくもりのあさ
陽のありがたき
あゆむごと
陽はたかくなりけり
葉木は樹木にかわりたり
わがみちをあかるくてらせ
夏をいだく木
みどり木あおし

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
みかんのわか実
みかんの
みどりぎいらををかぜはやみ
なつかぜひるむやうつろひの
みかんのつきひもはやいくとせ

地にも木にも
みどり葉ひらき
みどり木ときわ木
ひろがりて
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり夏

今年の夏の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「夏はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

-------------------------------

平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
黛敏郎氏も。
大変興味をもっており楽曲にも
よく用いられた。
た不思議な楽器。

世界初の電子楽器である「テルミン」を製作した
ロシアの物理学者。
1896年 -
レフ・テルミン、物理学者・テルミン開発者(+ 1993年)
の生誕日です。

テルミンはテルミンヴォックス以外にも
1926年に当時最高水準の機械・光学式テレビジョンの
開発に成功しています。
科学技術史に重要な功績を残した物理学者です。

レフ・テルミンは
1970年代の半ばに、9歳の姪リディア・カヴィーナに
テルミンの奏法を仕込みました。
彼女は現在、世界で最高のテルミン奏者の一人と
認められています。

++++++++++++++++++++++

レフ・セルゲーエヴィチ・テルミン
(キリル文字:
Лев Сергеевич Термен、
ラテン文字・Lev Sergeyevich Termen,
1896年8月15日
サンクトペテルブルク ? 1993年11月3日)は
ソ連の物理学者です。

アメリカ合衆国で
発明家や音楽家として活躍し致しました。

世界最初の電子楽器である
テルミン(テレミンヴォックス)の
開発者として著名です。

ユグノーの末裔であると言われ、
西側ではフランス語風に
レオン・テルミン(またはテレミン)
(Leon Theremin)と名のっていました。
++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンの前半生
法律家の父セルゲイと母エフゲーニャの間に生まれました。

母の影響で音楽に親しみ、
高校在学中にペトログラード音楽院でチェロを
本格的に学びました。

1914年にペトログラード大学に入学致します。
物理学と天文学を専攻致しました。

第一次世界大戦の影響で
高等軍事技術専門学校に送られました。

テルミンはそこで
軍事技術士の資格を得て少尉に任命されました。

1917年のロシア革命では赤軍に参加致します。

++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンは
ロシア内戦の収束後、
ペトログラード工業大学内に新設された
ペトログラード物理工科大学で主任研究者として働きます。
そこでテルミンは
テルミンヴォックスの元となる現象を発見致しました。

1920年にテルミンを発明。
1922年には全国の電化をモットーにしていた
ウラジミール・レーニンに招かれました。

レーニンの前でテルミンを演奏し、
感激したレーニンもテルミンを演奏致しました。

++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンは
この時期、テルミンはテルミンヴォックス以外にも
1926年に当時最高水準の機械・光学式テレビジョンの
開発に成功しています。

科学技術史に重要な功績を残しました。

私生活では1921年に同僚の妹で医学生であった、
エカテリーナと結婚致しました。

ヨーロッパでテルミンヴォックスの
デモンストレーションのために演奏旅行を行なった後に渡米し、
1928年にニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団と
共演致しました。

1929年に米国で特許を取得した後、
製造・販売権をRCAに譲渡致しました。

++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンは。
1930年代にニューヨークに研究所を設立致しました。

テルミンの更なる発展と、
その他の電子楽器などの発明に乗り出しました。

中でもヘンリー・カウエルのために
リズミコン(Rhythmicon)を発明致しました。

1930年に十人のテルミン奏者が
カーネギーホールに集って演奏会を行ないました。

それから2年後にはテルミン自身が、
テルミンや、チェロに用法の似た
フィンガーボードテルミンなどの
電子楽器からなる、
世界初の電子楽器オーケストラを指揮致しました。

++++++++++++++++++++++

テルミンは、
ジョセフ・シリンガー(Joseph Schillinger)や
アルバート・アインシュタインなど、
当時の進歩的な知識人や作曲家・音楽理論家から
助言を受けていました。

ロシアからの移民仲間で、テルミン演奏の
ヴィルトゥオーサのクララ・ロックモアとも
緊密に活動を行ないました。

舞踊音楽におけるテルミンの利用にも興味を寄せました。

ダンスによる全身の動きで音を奏でる
電子楽器テルプシトンの発明も有名です。

これを機に知り合った
アメリカ・ネグロ・バレエ団のプリマである
ラヴィニア・ウィリアムズと恋仲になり結婚致しました。
(最初の妻のエカテリーナとは離婚させられた)

テルミンのサークルに波紋を呼び、
中にはこの結婚に反対する者もいました。

テルミン夫妻は村八分にされたまま生活を続けました。

++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンの後半生
1938年にソ連に戻るが、
当時はどのような状況で帰国したかが謎であるのです。

1・
ホームシックからの帰国とする説と、
2・
ソ連政府による誘拐とする説の両方が唱えられました。

ラヴィニア夫人は後者の説を信じておりました。

後年になって実際にテルミンがKGBのスパイによって拉致され、
祖国に送還されていたとの事実が明るみに出ました。

(テルミン本人は「戦争間近だった祖国に戻り、
自らの科学技術で役に立ちたいと訴えており、
1938年にその願いがかなって密かにソ連船でニューヨークを離れた。
妻のラヴィーナも同行させたかったが、
妻は数週間後に来るといい含められ、
一人で故国へ向かった」と1989年に発言している)

++++++++++++++++++++++
レフ・テルミンは。
ソ連に着いてしばらくはレニングラード内では
自由に行動できたが、
1938年3月、滞在中のホテルで
「反革命組織への参加」の罪で逮捕されました

ブトイルカの収容所に投獄され、
その後シベリアの金山コルイーマで強制労働に就いていました。

西側ではテルミン処刑のうわさが広く出回ったにもかかわらず、
実は数ヶ月で強制労働の免除の後、
科学者や技術者が研究開発に使役されることになりました。

特殊収容所内で
アンドレーイ・トゥーポレフやセルゲイ・コロリョフらの
科学者や技師とともに、
数々の研究開発(爆撃機や盗聴装置の開発)を命ぜられていたのです。

1947年にテルミンの刑期は終了したが、
引き続きMGB(KGB)管轄の秘密研究所での
仕事を強いられました。

この年にテルミンは当時26歳のマリアと結婚し、
双子の娘をもうけました。

++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンの晩年

スターリン死後の1956年まで名誉回復はなされませんでした。

晩年は自動ドアの最初の自動検知器を発明し、
初期の盗難警報機の開発に取り組んだ一方で、
「レーニン蘇生計画」を作成して
理解者だったレーニンを蘇生しようと考えていました。

1964年に秘密研究所を去り、
モスクワ音楽院の音楽音響研究所で研究員として働きます。

++++++++++++++++++++++
レフ・テルミンは。

1967年にアメリカのジャーナリストに見つかり、
ニューヨークタイムズにより西側にテルミンの
生存をスクープされると。

モスクワ音楽院はテルミンから職を奪うが、
同年に教え子の援助によりモスクワ大学物理学部の
音響学研究室で実験機器の製作をする仕事に就きました。

++++++++++++++++++++++
レフ・テルミンは
1970年代の半ばに、9歳の姪リディア・カヴィーナに
テルミンの奏法を仕込みました。

彼女は現在、世界で最高のテルミン奏者の一人と
認められています。

++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンは

ペレストロイカにより再び国外にでることが可能になり、
1989年6月にフランスのブルージュで開催されたコンサートに参加。

1991年にアメリカ合衆国を再訪し、
クララ・ロックモアとの再会を果たして
数々の演奏会を行いました。

かつての妻
ラヴィーナ・ウィリアムズは、
1989年にすでにこの世の人でなくなっていました。

その後ロシアに帰り、
ソ連崩壊から約1年後の1993年にモスクワにて他界。
享年97歳でした。

なお、彼はソ連崩壊直前に共産党に入党したが、
これはレーニンの生前に入党の約束があったらしく、
その約束を果たすという意味合いの入党であり、
政治的意味合いは薄いものです。

(竹内正実
『テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』などより)。

++++++++++++++++++++++

レフ・テルミンは、
ドキュメンタリー映画の主題となり、
この映画でスティーヴン・マーティン監督は
1994年のサンダンス映画祭の覇者となりました。

映画の登場人物は、
クララ・ロックモアやリディア・カヴィーナのほか、
電子楽器の発明家ロバート・モーグや、
音楽理論家ニコラス・スロニムスキー、
ビーチ・ボーイズの創設者ブライアン・ウィルソン、
そしてほかならぬテルミンその人であった
のです。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
レフ・テルミン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%B3
レフ・セルゲーエヴィチ・テルミン
(キリル文字:Лев Сергеевич Термен、
ラテン文字・Lev Sergeyevich Termen, 1896年8月15日
サンクトペテルブルク ? 1993年11月3日)はソ連の物理学者。
アメリカ合衆国で発明家や音楽家として活躍し、
世界最初の電子楽器であるテルミン(テレミンヴォックス)の開発者として著名。
ユグノーの末裔であると言われ、
西側ではフランス語風にレオン・テルミン(またはテレミン)
(Leon Theremin)と名のっていた。

レフ・テルミン目次
1 前半生
2 後半生
3 晩年
4 参考文献
5 関連事項
6 外部リンク

前半生
法律家の父セルゲイと母エフゲーニャの間に生まれ、母の影響で音楽に親しみ、高校在学中にペトログラード音楽院でチェロを本格的に学ぶ。 1914年にペトログラード大学に入学、物理学と天文学を専攻したが、第一次世界大戦の影響で高等軍事技術専門学校に送られた。テルミンはそこで軍事技術士の資格を得て少尉に任命された。1917年のロシア革命では赤軍に参加する。

ロシア内戦の収束後、ペトログラード工業大学内に新設されたペトログラード物理工科大学で主任研究者として働く。そこでテルミンはテルミンヴォックスの元となる現象を発見、1920年にテルミンを発明。1922年には全国の電化をモットーにしていたウラジミール・レーニンに招かれ、レーニンの前でテルミンを演奏し、感激したレーニンもテルミンを演奏した。この時期、テルミンはテルミンヴォックス以外にも1926年に当時最高水準の機械・光学式テレビジョンの開発に成功し、科学技術史に重要な功績を残した。私生活では1921年に同僚の妹で医学生であった、エカテリーナと結婚した。 ヨーロッパでテルミンヴォックスのデモンストレーションのために演奏旅行を行なった後に渡米し、1928年にニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団と共演。1929年に米国で特許を取得した後、製造・販売権をRCAに譲渡する。

1930年代にニューヨークに研究所を設立し、テルミンの更なる発展と、その他の電子楽器などの発明に乗り出し、中でもヘンリー・カウエルのためにリズミコン(Rhythmicon)を発明。1930年に十人のテルミン奏者がカーネギーホールに集って演奏会を行なった。それから2年後にはテルミン自身が、テルミンや、チェロに用法の似たフィンガーボードテルミンなどの電子楽器からなる、世界初の電子楽器オーケストラを指揮した。

テルミンは、ジョセフ・シリンガー(Joseph Schillinger)やアルバート・アインシュタインなど、当時の進歩的な知識人や作曲家・音楽理論家から助言を受けていた。ロシアからの移民仲間で、テルミン演奏のヴィルトゥオーサのクララ・ロックモアとも緊密に活動を行なった。舞踊音楽におけるテルミンの利用にも興味を寄せる。ダンスによる全身の動きで音を奏でる電子楽器テルプシトンの発明を機に知り合ったアメリカ・ネグロ・バレエ団のプリマであるラヴィニア・ウィリアムズと恋仲になり結婚(最初の妻のエカテリーナとは離婚させられた)するが、テルミンのサークルに波紋を呼び、中にはこの結婚に反対する者もいた。テルミン夫妻は村八分にされたまま生活を続けた。

後半生
1938年にソ連に戻るが、当時はどのような状況で帰国したかが謎であり、ホームシックからの帰国とする説と、ソ連政府による誘拐とする説の両方が唱えられた。ラヴィニア夫人は後者の説を信じており、後年になって実際にテルミンがKGBのスパイによって拉致され、祖国に送還されていたとの事実が明るみに出た。(テルミン本人は「戦争間近だった祖国に戻り、自らの科学技術で役に立ちたいと訴えており、1938年にその願いがかなって密かにソ連船でニューヨークを離れた。妻のラヴィーナも同行させたかったが、妻は数週間後に来るといい含められ、一人で故国へ向かった」と1989年に発言している)ソ連に着いてしばらくはレニングラード内では自由に行動できたが、1938年3月、滞在中のホテルで「反革命組織への参加」の罪で逮捕された。ブトイルカの収容所に投獄され、その後シベリアの金山コルイーマで強制労働に就いていた。西側ではテルミン処刑のうわさが広く出回ったにもかかわらず、実は数ヶ月で強制労働の免除の後、科学者や技術者が研究開発に使役される特殊収容所内でアンドレーイ・トゥーポレフやセルゲイ・コロリョフらの科学者や技師とともに、数々の研究開発(爆撃機や盗聴装置の開発)を命ぜられていたのである。 1947年にテルミンの刑期は終了したが、引き続きMGB(KGB)管轄の秘密研究所での仕事を強いられた。この年にテルミンは当時26歳のマリアと結婚し、双子の娘をもうけた。

晩年
スターリン死後の1956年まで名誉回復はなされなかった。晩年は自動ドアの最初の自動検知器を発明し、初期の盗難警報機の開発に取り組んだ一方で、「レーニン蘇生計画」を作成して理解者だったレーニンを蘇生しようと考えていた。、1964年に秘密研究所を去り、モスクワ音楽院の音楽音響研究所で研究員として働く。1967年にアメリカのジャーナリストに見つかり、ニューヨークタイムズにより西側にテルミンの生存をスクープされると、モスクワ音楽院はテルミンから職を奪うが、同年に教え子の援助によりモスクワ大学物理学部の音響学研究室で実験機器の製作をする仕事に就いた。1970年代の半ばに、9歳の姪リディア・カヴィーナにテルミンの奏法を仕込む。彼女は現在、世界で最高のテルミン奏者の一人と認められている。

ペレストロイカにより再び国外にでることが可能になり、1989年6月にフランスのブルージュで開催されたコンサートに参加。1991年にアメリカ合衆国を再訪し、クララ・ロックモアとの再会を果たして数々の演奏会を行うも、かつての妻ラヴィーナ・ウィリアムズは、1989年にすでにこの世の人でなくなっていた。その後ロシアに帰り、ソ連崩壊から約1年後の1993年にモスクワにて他界。享年97歳であった。なお、彼はソ連崩壊直前に共産党に入党したが、これはレーニンの生前に入党の約束があったらしく、その約束を果たすという意味合いの入党であり、政治的意味合いは薄い(竹内正実『テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』などより)。

レフ・テルミンは、ドキュメンタリー映画の主題となり、この映画でスティーヴン・マーティン監督は1994年のサンダンス映画祭の覇者となった。映画の登場人物は、クララ・ロックモアやリディア・カヴィーナのほか、電子楽器の発明家ロバート・モーグや、音楽理論家ニコラス・スロニムスキー、ビーチ・ボーイズの創設者ブライアン・ウィルソン、そしてほかならぬテルミンその人であった。

参考文献
竹内正実・著『テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』(2000年、岳陽舎、ISBN 4907737157)

関連事項
ロシア・アヴァンギャルド
アレクサンドル・ボグダーノフ
モーリス・マルトノ
オンド・マルトノ
シンセサイザー

外部リンク
テルミン
- レフ・セルゲイビッチ・テルミン -
テルミン・竹内・猫暮らし
継承者クララとリディア
クララ・ロックモア インタビュー その4
帰ってきた・・・週刊買っとけ!DVD 第26回:マニアックな特典がたまらない 音楽CD付きの「テルミン コレクターズBOX」
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%B3" より作成
カテゴリ: ロシアの物理学者 | 楽器製作者 | 1896年生 | 1993年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
8月15日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8815%E6%97%A5

できごと
1519年 - ペドロ・アリアス・デ・アビラ(en:Pedro Arias de Avila)
によってパナマシティ建都。

1534年 - イグナチオ・デ・ロヨラ他7名によってイエズス会が結成。

1537年 - アスンシオン建都。

1549年(天文18年7月22日) -
フランシスコ・ザビエル、鹿児島に上陸。日本でキリスト教の布教が始まる。

1863年(文久3年7月2日) - 薩英戦争。

1869年(明治2年7月8日) -
明治政府が太政官・神祇官、および太政官の管轄下に民部省以下6省を設置。
同時に、百官・受領の廃止を布告。

1869年(明治2年7月8日) - 明治政府が蝦夷地に開拓使を設置。

1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。

1914年 - パナマ運河開通。

1929年 - 嘆きの壁事件、嘆きの壁においてシオニストとアラブ人が衝突、多数の死傷者を出す。

1945年 - 未明に宮城事件が鎮圧される。

1945年 - 昭和天皇による、いわゆる「玉音放送」が行われる。

1945年 - 鈴木貫太郎内閣が総辞職する。

1947年 - インド・パキスタンがイギリスから独立。

1949年 - 大韓民国の「府」を「市」に変更、人口が多い郡の邑も市に昇格。

1960年 - コンゴ共和国がフランスから独立。

1961年 - 京葉道路が全国初の自動車専用道路に指定される。
(名神高速道路の初開通より2年前)

1963年 - 日比谷公会堂で日本政府主催の全国戦没者追悼式が初めて行われる。

1964年 - 富士山頂レーダーが設置され、
太平洋で発生する台風の接近予知が可能となる(世界初の高所設置気象用レーダー)。

1968年 - 韓国・ソウル特別市で清渓高架道路の起工式。

1969年 - 米・ニューヨーク州サリバン郡ベゼルでウッドストック・フェスティバル開幕、
17日までの3日間ロックの野外コンサートが行われた。

1971年 - ニクソン米大統領が金とドルの交換の一時停止を発表。ニクソン・ショック

1971年 - 韓国・ソウル特別市の清渓高架道路が開通。

1974年 - 在日韓国人文世光による韓国の
朴正煕大統領暗殺未遂事件起こる(文世光事件)。

1975年 - 三木武夫首相が現職首相としては初めて終戦の日に靖国神社を参拝した。

1985年 - 中曽根康弘首相が閣僚17人とともに靖国神社に公式参拝。

1986年 - 新自由クラブ解散、多くの議員は自民党に復党する。

1993年 - 世界陸上選手権の女子マラソンで浅利純子が優勝する。
選手権・五輪を含め女子陸上では日本初の金メダル。

2006年 - 小泉純一郎首相が靖国神社に参拝。

誕生日
1171年 - アルフォンソ9世、レオン王国の王(+ 1230年)

1740年 - マティアス・クラウディウス、詩人(+ 1815年)

1661年 - 粛宗、李氏朝鮮王(+ 1720年)

1769年 - ナポレオン・ボナパルト、フランス皇帝(+ 1821年)

1771年 - ウォルター・スコット、詩人・作家(+ 1832年)

1785年 - トマス・ド・クインシー、評論家(+ 1859年)

1794年 - エリーアス・フリース、菌類・植物学者(+ 1878年)

1813年 - ジュール・グレヴィ、フランス共和国大統領(+ 1891年)

1856年 - イワン・フランコ、詩人・作家(+ 1916年)

1858年 - イーディス・ネズビット、児童文学作家(+ 1924年)

1859年 - チャールズ・コミスキー、野球選手(+ 1931年)

1865年 - 臼井甕男、臼井靈氣療法創始者(+ 1926年)

1872年 - オーロビンド・ゴーシュ、インドの反英独立運動家・宗教家・哲学家(+ 1872年)

1877年 - 太刀山峯右エ門、大相撲第22代横綱(+ 1941年)

1878年 - ピョートル・ヴラーンゲリ、ロシア内戦時の白衛軍司令官(+ 1928年)

1879年 - エセル・バリモア、俳優(+ 1959年)

1883年 - イヴァン・メシュトロヴィッチ、脚本家(+ 1962年)

1887年 - ポール・メリル、天文学者(+ 1961年)

1890年 - ジャック・イベール、作曲家(+ 1962年)

1890年 - エリザベス・ボールデン、長寿世界一の女性(+ 2006年)

1892年 - ルイ・ド・ブロイ、物理学者(+ 1987年)

1896年 - ゲルティー・コリ、生化学者(+ 1957年)

1896年 - レフ・テルミン、物理学者・テルミン開発者(+ 1993年)

1917年 - オスカル・ロメロ、カトリック司祭、(+ 1980年)

1925年 - 杉浦喬也、第10代日本国有鉄道総裁(+ 2008年)

1925年 - オスカー・ピーターソン、カナダ人ジャズピアニスト(+ 2007年)

1926年 - コンスタンディノス・ステファノプロス、ギリシャ大統領

1928年 - 出口裕弘、作家・フランス文学者

1928年 - ニコラス・ローグ、映画監督

1937年 - 嵯峨健四郎、元プロ野球選手

1938年 - フレデリック・フォーサイス、小説家

1939年 - 木村勉、政治家

1944年 - シルヴィ・ヴァルタン、歌手

1945年 - アラン・ジュペ、政治家

1945年 - カレダ・ジア、バングレデシュ首相

1948年 - 石田芳夫、囲碁棋士

1949年 - 正岡真二、元プロ野球選手
1950年 - アン王女、イギリス王室
1952年 - 渥美二郎、演歌歌手
1958年 - ゲイリー・ガイエティ、野球選手
1958年 - 河崎実、映画監督
1959年 - 山下和美、漫画家
1960年 - サンプラザ中野くん、ミュージシャン(爆風スランプ)
1960年 - 近藤康成、俳優
1960年 - 大野久、元プロ野球選手
1960年 - 菅野将晃、サッカー選手
1961年 - 川﨑聡、テレビ西日本アナウンサー
1962年 - 宇梶剛士、俳優
1962年 - 愛甲猛、元プロ野球選手
1963年 - 陳義信、元プロ野球選手
1963年 - 本田多聞、レスリング選手・プロレスラー
1964年 - 中村光一、ゲームクリエーター
1964年 - 椿鮒子、俳優
1964年 - 麻生祐未、俳優
1964年 - メリンダ・ゲイツ、ビル&メリンダゲイツ財団共同会長・ビル・ゲイツの妻
1966年 - 青木達之、ミュージシャン(東京スカパラダイスオーケストラ元メンバー)
1966年 - シャーリー・クァン、歌手、俳優
1968年 - 内山智之、元プロ野球選手
1968年 - デブラ・メッシング、女優
1970年 - クリス・バード、ボクシング選手
1970年 - 遠藤雅大、サッカー選手
1970年 - 李鍾範、野球選手
1972年 - ベン・アフレック、俳優
1972年 - ジェイソン・ブラック、総合格闘家
1972年 - 山田真弘、オートレース選手
1973年 - 背尾伊洋、元プロ野球選手
1973年 - ネボイシャ・クルプニコビッチ、サッカー選手
1975年 - 川口能活、プロサッカー選手
1976年 - ボウデヴィン・ゼンデン、サッカー選手
1977年 - 日高剛、プロ野球選手(オリックス・バファローズ)
1977年 - 岩堀せり、ファッションモデル
1977年 - 白仁裕介、俳優
1977年 - 西村卓朗、サッカー選手
1978年 - 秋山竜次、お笑いタレント(ロバート)
1978年 - 大橋未歩、テレビ東京アナウンサー
1978年 - 秋野しおり、AV女優
1978年 - サンティアゴ・ラミレス、プロ野球選手
1978年 - 松尾政寿、俳優
1979年 - 竹内洋輔、フィギュアスケート選手
1979年 - ?健、フィギュアスケート選手
1980年 - ズデネク・グリゲラ、サッカー選手
1980年 - マイケル・カティディス、ボクシング選手
1980年 - イリヤ・クリムキン、フィギュアスケート選手
1982年 - 林剛史、俳優
1982年 - マラト・イズマイロフ、サッカー選手
1983年 - 本多陽子、声優
1983年 - 中村剛也、プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)
1984年 - 桂夏丸、落語家
1984年 - ジェニファー・カーク、フィギュアスケート選手
1988年 - 萩原紀子、芸能人女子フットサル選手(FANTASISTA)
1989年 - 湯浅邦仁、フィギアスケート選手
1989年 - 岡田将生、俳優
生年不詳 - ハム、ミュージジャン(ホイフェスタ)

忌日
423年 - ホノリウス、西ローマ帝国初代皇帝(* 384年)

1038年 - イシュトヴァーン1世、ハンガリー王国初代国王(* 969年または975年)

1040年 - ダンカン1世、スコットランド王(* 1001年)

1057年 - マクベス、スコットランド王(* 1005年)

1118年 - アレクシオス1世コムネノス、
東ローマ帝国コムネノス王朝初代皇帝(* 1048年)

1257年(正嘉元年7月5日)- 源在子、後鳥羽天皇の後宮(* 1171年)

1342年 - ピエトロ2世、シチリア王(* 1305年)

1498年 - イサベル、ポルトガル王マヌエル1世の妃(* 1470年)

1645年(正保2年6月24日)- 一柳直重、第2代西条藩主(* 1598年)

1665年(寛文5年7月5日)- 松前高広、第4代松前藩主(* 1643年)

1728年 - マラン・マレー、作曲家・ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者(* 1656年)

1744年(延享元年7月8日)- 一柳頼邦、第4代小松藩主(* 1696年)

1832年(天保3年7月20日)- 中田粲堂、儒学者・漢詩人・篆刻家(* 1771年)

1834年 - ウィリアム・クロウフォード、アメリカ合衆国陸軍長官・財務長官(* 1772年)

1852年 - ヨハン・ガドリン、化学者(* 1760年)

1907年 - ヨーゼフ・ヨアヒム、ヴァイオリニスト(* 1831年)

1910年 - 初代桐竹紋十郎、人形浄瑠璃の人形遣い(* 1845年)

1935年 - ウィリー・ポスト、パイロット(* 1898年)

1938年 - ニコラ・ロメオ、実業家、アルファ・ロメオ創業者(* 1876年)

1945年 - 阿南惟幾、陸軍大臣(* 1887年)

1945年 - 宇垣纏、大日本帝国海軍中将(* 1890年)

1949年 - 石原莞爾、軍人(* 1889年)

1951年 - アルトゥル・シュナーベル、ピアニスト(* 1882年)

1953年 - ルドウィッヒ・プラントル、物理学者(* 1875年)

1962年 - 雷鋒、中国人民解放軍の模範兵士として知られる人物(* 1940年)

1967年 - ルネ・マグリット、画家(* 1898年)

1974年 - オットー・ブラウン、中国共産党の軍事顧問(* 1900年)

1974年 - 陸英修、韓国大統領朴正煕の妻(* 1925年)

1975年 - ムジブル・ラフマン、初代バングラデシュ首相(* 1920年)

1981年 - 湯浅八郎、昆虫学者(* 1890年)

1989年 - 源田実、海軍大佐・航空幕僚長・参議院議員(* 1904年)

1992年 - 稲葉修、政治家(* 1909年)

1995年 - 仲根正広、元プロ野球選手(* 1954年)

1996年 - 丸山眞男、政治学者(* 1914年)

1999年 - 渡辺茂夫、ヴァイオリニスト(* 1941年)

2004年 - スネ・ベリストローム、生化学者(* 1916年)

2006年 - ファース・ヴィルケス、サッカー選手(* 1923年)

2007年 - 金丸三郎、鹿児島県知事・総務庁長官(* 1914年)

2007年 - 酒井敏明、元プロ野球選手(* 1934年)

記念日・年中行事
第二次世界大戦終結の日なので多くの関係国で記念日になっている。

終戦の日/戦没者を追悼し、平和を祈念する日(日本)

1945年8月15日の正午に、
天皇による終戦の詔書のラジオ放送(玉音放送)が行われた。
日本はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争は終戦。

1963年以降、毎年この日に「全国戦没者追悼式」が行われる。

大田区平和都市宣言記念事業「花火の祭典」(東京都)

光復節(韓国)・解放記念日(北朝鮮)
日本がポツダム宣言を受諾したことにより朝鮮が日本の統治から解放されたことから。

対日戦勝記念日(連合国)

盂蘭盆(日本)

精霊流し(長崎)

聖母の被昇天の祭日(世界各地) 聖母マリアが死ぬことなく、
生きたまま天にあげられたことを記念するカトリック教会の祝い日。