東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年8月21日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年8月21日(木曜日)

ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月も3週間たちました。
秋まで「十日間とちょっと」。
もうすぐ。
もうすぐに。
「秋」になります。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

今年も「半分以上」終わりました。
毎朝早朝と午後4時以後にに「たくさんのせみ」が
ないています。

芭蕉の句

「しずかさやいわにしみいるせみのこえ」*。

山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。

 閑さや岩にしみ入蝉の声

まさしく。
1−2匹の遠くでなく。
とりわけ「にいにいせみ」のこえは。
「硬き巌(いわお)に水のごとく
しみいるようです。
幽玄の世界を彷彿させます。

せみしぐれになると
岩面からは「しみいらず」
反射してしまいます。

「しみいる」が風情(ふぜい)であり「幽玄」。
「せみしぐれ」は「物音(ものおと)」であり「響き」。
「幽玄」はきこえず「響き」は聞こえます。

それにしても
「せみしぐれ」とは。
「とてもよい言葉」です。

多分私達が今きいているのは
本物の「せみしぐれ」ではないのでは
ないか。
このようにおもえます。

このセミしぐれの
8月がもう到来して「8月後半」です。

これからは次第に陽は短くなる。

しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしい
やすらぎと。
安堵感をかんじます。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかったような雲空です。

「つつじ」の「花」がおわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

繊細さはないが。
若々しい草色の葉を木一面に広げ。
若葉の潅木としてとてもとても奇麗です。
ある意味では威風堂々です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。

私は森山を分け入ると。
木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花さく
「やまつつじ」が「大好き」です。
「くさぼけ」もかわいらしく「大好き」
です。
けれども
時期はとうにすぎました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
リズムにひっぱられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきそして聴こえます。
自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ・ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」*です。

この「自然のフイルハーモニー」の。
指揮者は太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出すのはオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国の自然は。
「音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。
「真夏」をすぎると
再び「若葉」がみられることに
きずきました。
「ため息」がでるほど木々の「若葉」の
「たば」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。

これからは
「秋」をまちます。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えています。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

里山(さとやま)をさまよい。
里山(さとやま)をあるきたい。
里山(さとやま)の季節。
昔々里山(さとやま)であそび。
昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
昔々里山(さとやま)でまなんだ。
昔々のその日々の思い出は。
黄金(こがね)なののあるいは。
銀かいぶし銀か。
今は鉛のような重さとなり
心の奥深くに埋もれて感じられます。

けれども
まだ早朝ははだ寒いです。

やま中さまよい分けいらば
大樹の根元に隠れさける
あけぼの色のちひさき花
みつけたりやまの花 
草ぼけの花。
やますみれの花。

くさぼけの
花かくしてや
やまつつじ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな春みつけた」
から
「春がすぎてて真夏間近い」
「小さな真夏みつけた・。」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
美智子皇后の御愛読書である。
「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」
1920年 - クリストファー・ロビン・ミルン、
『クマのプーさん』の
クリストファー・ロビンのモデルとなっ。
たA・A・ミルンの息子さん(+ 1996年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

『クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")』は。
1926年に発表されたミルンの童話。

そしてその童話の主人公である
クマのぬいぐるみであるテディベアの名前です。
「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」の
童話の挿絵は。
E・H・シェパードによって描かれました。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」
は本作を原作とした。
ディズニー社のアニメーション作品が存在致します。

ディズニー版のタイトルは『くまのプーさん』、
英語原題は"Winnie the Pooh"。

主人公はしばしば、プーさん、プーとも呼ばれます。

原作の童話を指す場合は「クマのプーさん」。
ディズニー版を指す場合は「くまのプーさん」。
キャラクターを単独指す場合は「プーさん」で統一
されています。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」
『クマのプーさん』は世界中に翻訳されています。

作者の本国であるイギリスのみならず。
世界中の。
多くの読者に愛され親しまれています。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」の歴史
クマのプーさん(くまのプーさん)の歴史は。
1・
原作の発表から翻訳を経て世界各地に広まった段階と。
2・
ディズニー社によるアニメーション化以降の段階に。

2大別されます。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」の
名前の由来

Winnie-the-Poohとは、ミルンの息子である、
クリストファー・ロビン・ミルン(クリストファー)
が持っていたテディベアの名前であるWinnipegと。

ミルン親子が休日に見た白鳥の名前Poohから。
ミルンがヒントを受けて名付けたものです。

『クマのプーさん』に登場する。
プーさん以外のキャラクターも。

クリストファーが所有していた
種類のテディベアがモデルとなっています
(一部例外あり)。

これらのテディベアは
ニューヨーク公共図書館の2階に展示されています。

(ただし、ルーのテディベアは、
クリストファーが紛失したため展示されていません。)

またクリストファー自身も登場キャラクターである
クリストファー・ロビンのモデルとなっています。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」の。
クリストファー・ロビン・ミルンの持っていた。
テディベアの。

「Winnipeg」の名前は。

ミルン親子がロンドン動物園で見かけたクマ
(the Royal Winnipeg Rifles
(カナダ軍の部隊)のマスコットとして
イギリスにやってきていた クマのウィニー)から。
=>
クリストファー・ロビンが名付けたものです。

++++++++++++++++++++++

クマのプーさんの舞台である100エーカーの森は。

ミルンの故郷である
イギリスのイースト・サセックス州にある
500エーカーほどの森林である
アッシュダウンフォレストをモデルにしています。
作中にも同じ名称がいくつか登場しています。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」の出版物

1926年に1作目『クマのプーさん』、
1928年に続編の『プー横丁に建った家』が発表されました。

これらの話のほか。
プーさんを題材としたいくつかの童話があります。
その挿絵はすべてE・H・シェパードによって描かれました。

日本では、石井桃子の訳により
1940年に岩波書店から出版されました。

また、1957年、岩波少年文庫より訳を改めて出版しています。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」の出版物
の相続。

ミルンの没後(1956年)『クマのプーさん』に関する権利は。
イギリスの紳士クラブ、
ウェストミンスター・スクール、
王立文学基金、
ミルンの家族に
分割されて相続されました。

『クマのプーさん』の著作権はベ
ルヌ条約に基づき。

カナダやニュージーランドでは
ミルンの没年から50年後の2006年に失効致しました。

ただし、日本は戦時加算のため2016年5月末まで。
また。
イギリス本国を始めEU域内やオーストラリアでは
2026年まで有効です。

また、E・H・シェパードの挿絵に関する著作権は
2026年〜2046年(国・地域により異なる)
まで有効であるため「大変なもの」です。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」の売り上げ

Methuen社版の『クマのプーさん』の単行本の売上は
1996年末までに2000万部を超えました。

この売上にはDutton社版や英語以外の
翻訳版の売上は含まれていません。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」のキャラクター

クリストファーのテディベアがモデルのもの
(クリストファー自身も含む)

プー (Winnie the Pooh)
主人公のテディベア。蜂蜜が好物。詩や歌を作ったりする。
今考えていたことをすぐに忘れてしまう。

ディズニーアニメの。
「くまのプーさん」ではプーの
家の表札にサンダース(Thunders)とかいてあります。

これは
ナレーター曰く。
かってに自分で名乗って表札をつくったものです。

まわりのみんなはその名で
プーのことを呼ぶことは決してありません。

++++++++++++++++++++++

「クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")」

クリストファー・ロビン (Christopher Robin)
森の動物たちから頼りにされている、5歳ぐらいの男の子。

ピグレット(コブタ)
(別名:ヘンリー・プーテル) (Piglet, Henry Pootail)
プーの親友の子ブタ。とても気が弱い。
ドングリを食べている。デ
ィズニー版での口癖は「どどど、どうしよう」。

家の前にある立て札から祖父の名前を
「侵入者ウィル(trespasser will)」と思い込んでいるが。
ウィルは人名ではなく未来系の助動詞です。
実際は「侵入者はいずれ—
(続きが欠けている be prosecutedと繋がり、
“侵入者は訴追される”となるのが普通)」
というただの文章であるのです。

モデルのテディベアはクリストファーの隣人からのプレゼント。

イーヨー (Eeyore) 陰気なロバ。アザミが主食。
しっぽをすぐに無くしてしまうのと。
木の枝の家がすぐに壊れてしまうのが悩み。
ある意味、いちばんの常識人。
とても想像力に長けるという面もある。

モデルのぬいぐるみはクリストファーのクリスマスプレゼント。
カンガ (Kanga) カンガルー。ルーの母親。ルーから片時も目を離さない。
ルー (Roo) カンガルー。カンガの子供。ティガーと仲良くなる。
ティガー(トラー) (Tigger)
陽気でお調子者のトラ。
カンガルーの家に住むようになる。
思い込みが激しく繊細な一面も持つ。
ジャンプが大好きだが高所恐怖症という弱点がある。
はちみつが大嫌い。

カンガ、ルー、ティガーのモデルのぬいぐるみは。
「クマのプーさん」の物語を書く際に必要になったため
A.A.ミルンが購入したものです。

++++++++++++++++++++++

アッシュダウンフォレストに実在した
動物がモデルのもの(ぬいぐるみは存在しない)
ラビット(ウサギ) (Rabbit)
ちょっと神経質なウサギ。畑で作物を作るのが日課。
ティガーにいつも跳ねとばされている。

オウル(フクロウ) (Owl) 物知りなフクロウ。難しい言葉を幾つも知っており。
クリストファー・ロビン以外では
唯一文字が書ける。
お喋りで話がとても長い。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
クマのプーさん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93

『クマのプーさん(原題"Winnie-the-Pooh")』は、1926年に発表されたミルンの童話、及びその童話の主人公であるクマのぬいぐるみであるテディベアの名前である。童話の挿絵は、E・H・シェパードによって描かれた。

また、本作を原作としたディズニー社のアニメーション作品が存在する。ディズニー版のタイトルは『くまのプーさん』、英語原題は"Winnie the Pooh"。

主人公はしばしば、プーさん、プーとも呼ばれる。本記事においては、原作の童話を指す場合は「クマのプーさん」、ディズニー版を指す場合は「くまのプーさん」、キャラクターを指す場合は「プーさん」で統一する。

『クマのプーさん』は世界中に翻訳されており、作者の本国であるイギリスのみならず、多くの読者に愛され、親しまれている。

目次
1 歴史
1.1 名前の由来
1.2 出版物
1.3 商品化権の変遷とディズニー社との関係
1.4 使用権をめぐる訴訟
2 登場人物
2.1 クリストファーのテディベアがモデルのもの(クリストファー自身も含む)
2.2 アッシュダウンフォレストに実在した動物がモデルのもの(ぬいぐるみは存在しない)
3 トリビア
3.1 プーさんの誕生日
3.2 その他
3.3 ディズニー版長編作品
3.4 日本でのTV放映作品
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク

歴史
クマのプーさん(くまのプーさん)の歴史は、原作の発表から翻訳を経て世界各地に広まった段階と、ディズニー社によるアニメーション化以降の段階に大別される。

名前の由来
Winnie-the-Poohとは、ミルンの息子である、クリストファー・ロビン・ミルン(クリストファー)が持っていたテディベアの名前であるWinnipegと、ミルン親子が休日に見た白鳥の名前Poohから、ミルンがヒントを受けて名付けたものである。『クマのプーさん』に登場する、プーさん以外のキャラクターも、クリストファーが所有していた種類のテディベアがモデルとなっている(一部例外あり)。これらのテディベアは、ニューヨーク公共図書館の2階に展示されている。(ただし、ルーのテディベアは、クリストファーが紛失したため展示されていない。)また、クリストファー自身も、登場キャラクターであるクリストファー・ロビンのモデルとなっている。
Winnipegの名前は、ミルン親子がロンドン動物園で見かけたクマ(the Royal Winnipeg Rifles(カナダ軍の部隊)のマスコットとしてイギリスにやってきていた クマのウィニー)から、クリストファー・ロビンが名付けたものである。
クマのプーさんの舞台である100エーカーの森は、ミルンの故郷であるイギリスのイースト・サセックス州にある、500エーカーほどの森林であるアッシュダウンフォレストをモデルにしており、作中にも同じ名称がいくつか登場している。

出版物
1926年に1作目『クマのプーさん』、1928年に続編の『プー横丁に建った家』が発表された。これらの話のほか、プーさんを題材としたいくつかの童話があり、その挿絵はすべてE・H・シェパードによって描かれた。
日本では、石井桃子の訳により1940年に岩波書店から出版された。また、1957年、岩波少年文庫より訳を改めて出版された。
ミルンの没後(1956年)、『クマのプーさん』に関する権利は、イギリスの紳士クラブ、ウェストミンスター・スクール、王立文学基金、ミルンの家族に分割されて相続された。
『クマのプーさん』の著作権はベルヌ条約に基づき、カナダやニュージーランドではミルンの没年から50年後の2006年に失効した。ただし、日本は戦時加算のため2016年5月末まで、イギリス本国を始めEU域内やオーストラリアでは2026年まで有効である。また、E・H・シェパードの挿絵に関する著作権は2026年〜2046年(国・地域により異なる)まで有効である。
Methuen社版の『クマのプーさん』の単行本の売上は1996年末までに2000万部を超える。この売上にはDutton社版や英語以外の翻訳版の売上は含まれていない[1]。

商品化権の変遷とディズニー社との関係
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キャラクターライセンス事業の先駆者である、ステファン・スレシンジャーは、スレシンジャー個人と彼の会社であるスティーブン・スレシンジャー社(後の米国著作権管理会社であるスレシンジャー社)の権利として、演劇・朗読・楽曲・アニメ・グッズ製作及び広告に関するクマのプーさんの商品化権を、1930年に取得した。この権利は大きい利益を生み出すこともなく[要出典]、1953年にスレシンジャーが亡くなった後には、商品化権はスレシンジャーの妻である、シャーレイ・スレシンジャーに相続された。
シャーレイは、スレシンジャーの没後も『クマのプーさん』の商品製作を続けたが、1961年、ディズニー社がスレシンジャー社に権利料を支払うことを条件に、ディズニー社に演劇などの権利使用を認めた。また同年、ミルンの妻であるダフニ・ミルンも、アニメ化を含む権利使用をディズニー社に認めた。
ディズニー社の作品は、初期には原作を元にしたストーリーであったが、後にディズニーオリジナルのストーリーが使われるようになった。ゴーファー(「プーさんとはちみつ」〜)、ケシー(「新くまのプーさん」〜)、ランピー(「はじめまして、ランピー」〜)などのオリジナルキャラクターも登場する。絵も本のイラストに近いものから現代的なものへと変わっていった。
1977年『くまのプーさん』(The Many Adventures of Winnie the Pooh)が劇場公開された。ゴーファー(Gopher)が始めて登場するこの映画は1966年から1974年の間に制作されていた3作品からなる。1983年に4番目の短編映画「プーさんとイーヨーの一日」が公開。その後、新くまのプーさんや、ザ・ブック・オブ・プーなどの、テレビシリーズも制作。
2000年にティガーが主人公の『ティガー・ムービー プーさんの贈りもの』(The Tigger Movie)、2003年にピグレットが主人公の『ピグレット・ムービー』(Piglet's Big Movie)が公開。
2005年12月、ディズニー社は「くまのプーさん」の新作テレビアニメを全世界のディズニー・チャンネルで2007年に放映すると発表した。同シリーズでは新たなメインキャラクターとして、ダービーという6歳の少女が登場する予定という。
1998年にはアメリカでのプーさんのキャラクター商品の売上がミッキーマウスを上回り、ディズニーキャラクターで1位となった。
2005年度のディズニー社の「くまのプーさん」関連商品の小売市場は年間60億ドルで、ディズニー社ではミッキーマウスに次いで第2位である(ディズニー社発表による)。
キャラクター・データバンクの調査による日本におけるキャラクター商品の販売額において「くまのプーさん」は2002年から2005年まで4年連続1位を獲得した。日本ではプーさんのキャラクター商品は、子供だけではなく女子高生や大人世代にも人気があり、「癒し系キャラクター」と呼ばれることもある。

使用権をめぐる訴訟
「くまのプーさん」の映像や、ぬいぐるみなどの商品はディズニー社に莫大な利益をもたらした(未就学児童向け商品及びビデオソフトの売上が絶大である)。このため、ディズニー社は自作の商品に加え、オリジナル童話のシェパードの挿絵により近い「クラシック・プー」を商品化した。ディズニー社における「くまのプーさん」関連の収入は推定で毎年30億〜60億ドルともいわれ、ミッキーマウス・ミニーマウス・ドナルドダック・グーフィー及びプルートによる収入の合計額に匹敵すると見積もられる。なお、2005年時点ではプーさんの売上はミッキーマウスに次いでディズニー社で2位である。
スレシンジャー社は、ディズニー社が同社と1983年に結んだ契約に違反し、「くまのプーさん」にかかる売上を偽って報告し、加えて、商品収入にかかる一部の権利料を払っていなかったとして、1991年にディズニー社に対して訴訟を起こした。この契約によれば、「くまのプーさん」にかかる売上のうち、98%がディズニー社の収入、残り2%がスレシンジャー社の収入となっていた。ディズニー社は2億ドル以上の商品化権に対する権利料を払うべきなのに、金額を実際より低く見せかけて6600万ドルしか払っていないというのが同社の主張であった。この訴訟において、ディズニー社は莫大な書類を破棄し、証拠隠滅を図ったと認定されたが、一方でスレシンジャー社も調査会社を使って、ディズニー社のゴミの中から証拠を不正に入手していたことが明らかになったため、2004年5月、ロサンゼルス上級裁はスレシンジャー社の訴えを棄却し、最終的にディズニー社が勝利した。
一方、ディズニー社は、ミルンの娘であるクレア・ミルンの名義により、アメリカにおけるスレシンジャー社の「クマのプーさん」に関する一切の権利を、将来にわたって破棄することを裁判所に訴えた。これは、原作者一族に権利を戻した上で、ディズニー社がミルン家と独占契約し、「くまのプーさん」関連のビジネスを自由に展開しようとして行ったものである。しかし、連邦地方裁判所はスレシンジャー社の権利を認め、さらに2006年6月26日、米国最高裁判所は原告の訴えを棄却したため、原告の敗訴が確定した。
シェパードの孫もディズニー社の後押しを受けて、スレシンジャー社から著作権を取戻すべく1991年に提訴したが、連邦地裁は2007年2月、原告の訴えを退け“権利はスレシンジャー社にあり”の判断を下した。

登場人物
ディズニー版のキャラクターについては、くまのプーさんキャラクター一覧を参照。

クリストファーのテディベアがモデルのもの(クリストファー自身も含む)
プー (Winnie the Pooh)
主人公のテディベア。蜂蜜が好物。詩や歌を作ったりする。今考えていたことをすぐに忘れてしまう。
ディズニーアニメの「くまのプーさん」ではプーの家の表札にサンダース(Thunders)とかいてあるがこれはナレーター曰く、かってに自分で名乗って表札をつくったものであり、まわりのみんなはその名でプーのことを呼ぶことは決してない。
クリストファー・ロビン (Christopher Robin)
森の動物たちから頼りにされている、5歳ぐらいの男の子。
ピグレット(コブタ)(別名:ヘンリー・プーテル) (Piglet, Henry Pootail)
プーの親友の子ブタ。とても気が弱い。ドングリを食べている。ディズニー版での口癖は「どどど、どうしよう」。
家の前にある立て札から祖父の名前を「侵入者ウィル(trespasser will)」と思い込んでいるが、ウィルは人名ではなく未来系の助動詞であり、実際は「侵入者はいずれ—(続きが欠けている be prosecutedと繋がり、“侵入者は訴追される”となるのが普通)」というただの文章である。
モデルのテディベアはクリストファーの隣人からのプレゼント。
イーヨー (Eeyore)
陰気なロバ。アザミが主食。しっぽをすぐに無くしてしまうのと、木の枝の家がすぐに壊れてしまうのが悩み。ある意味、いちばんの常識人。とても想像力に長けるという面もある。
モデルのぬいぐるみはクリストファーのクリスマスプレゼント。
カンガ (Kanga)
カンガルー。ルーの母親。ルーから片時も目を離さない。
ルー (Roo)
カンガルー。カンガの子供。ティガーと仲良くなる。
ティガー(トラー) (Tigger)
陽気でお調子者のトラ。カンガルーの家に住むようになる。思い込みが激しく繊細な一面も持つ。ジャンプが大好きだが高所恐怖症という弱点がある。はちみつが大嫌い。
カンガ、ルー、ティガーのモデルのぬいぐるみは、「クマのプーさん」の物語を書く際に必要になったためA.A.ミルンが購入したものである。

アッシュダウンフォレストに実在した動物がモデルのもの(ぬいぐるみは存在しない)
ラビット(ウサギ) (Rabbit)
ちょっと神経質なウサギ。畑で作物を作るのが日課。ティガーにいつも跳ねとばされている。
オウル(フクロウ) (Owl)
物知りなフクロウ。難しい言葉を幾つも知っており、クリストファー・ロビン以外では唯一文字が書ける。お喋りで話がとても長い。

トリビア

プーさんの誕生日
プーさんの誕生日は、公式設定では1921年8月21日とされているが、他にも諸説ある。

1921年8月21日
クリストファー・ロビン・ミルンが、1歳の誕生日である1921年8月21日に、プーさんのモデルとなったぬいぐるみを贈られたことを根拠とする。このことは、作中、クリストファー・ロビンの発言にも現れている。
1926年10月14日
1926年10月14日に、『クマのプーさん』が最初にイギリスで出版されたことを根拠とする。
東京ディズニーランドでは、2006年に原作デビュー80周年記念として、各種グッズが販売された。また、造幣局でも、2006年10月14日に、80周年記念の貨幣セット(「くまのプーさんとなかまたち 夢と冒険の80年 2006貨幣セット」)を発売した。
1966年2月4日
1966年2月4日に、ディズニーアニメ『くまのプーさん プーさんとはちみつ』(Winnie the Pooh and the Honey Tree)が劇場公開されたことを根拠とする。ただし、ディズニー社ではプーさんの誕生日は特に設定していない(元々ディズニー社のキャラクターではないため)。

その他

ポーランドの首都ワルシャワの中心街にある「くまのプハテック通り」の街路表示板
同じくワルシャワの「くまのプハテック通り」の別の表示板プーさんの絵のモデルにもなったといわれる、本のイラストを描いたE・H・シェパードの息子が持っていたテディベア「グロウラー」は、飼い犬に壊されてしまい、現存していない。また、「ルー」のテディベアは、野犬に持ち去られてしまい、これも現存していない。[2]
美智子皇后の愛読書である。
又、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)の愛読書でもあった。ブライアンは晩年、A・A・ミルンの元邸宅に住み、1969年庭のプールで死去している。
2006年4月11日、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前を刻んだ。
1966年にデビューしたイタリアのロックバンド「プー」(Pooh)の名前の由来になっている。
日本の中川いさみによる4コマ漫画作品『クマのプー太郎』とはいっさい関係はない。
ポーランドでは「くまのプハテック(Kubuś Puchatek)」と呼ばれて第二次世界大戦の前から親しまれ、首都ワルシャワの中心街には「くまのプハテック通り(Ulica Kubusia Puchatka)」がある。

ディズニー版長編作品
くまのプーさん 完全保存版(1977年)
くまのプーさん クリストファー・ロビンを探せ!(1997年)
ティガー・ムービー プーさんの贈りもの(2000年)
くまのプーさん みんなのクリスマス(2002年)
くまのプーさん 完全保存版II ピグレット・ムービー(2003年)
くまのプーさん ルーの楽しい春の日(2004年)
くまのプーさん・ザ・ムービー はじめまして!ランピー(2005年)
くまのプーさん ランピーとぶるぶるおばけ(2005年)

日本でのTV放映作品
新くまのプーさん
テレビ東京にて最初に1995年4月7日 - 1996年3月29日に本放送が放映され、ディズニー・チャンネルにて2004年11月15日 - 2007年9月30日。ほかTOKYO MXにて再放送の放映がされた。

脚注
^ Winnie the Pooh - History of Pooh
^ 日本語版童話のあとがきより。

関連項目
クマのウィニー

外部リンク
ディズニーストア公式サイト「キャラクターブック」 - くまのプーさん紹介サイト
くまのプーさん 殿堂入り
新くまのプーさん - TOKYO MX内アニメ公式HP

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8月21日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8821%E6%97%A5

できごと
1192年(建久3年7月12日) - 源頼朝が征夷大将軍に就任する。

1770年 - ジェームズ・クック、
オーストラリア東部に対するイギリス領有権を正式に主張、ニュー・サウス・ウェールズと命名。

1856年(安政3年7月21日) -
アメリカ合衆国初代駐日領事タウンゼント・ハリスが下田港に到着。

1862年 - ウィーン市営公園、開園。

1898年 - 共和演説事件、尾崎行雄文相が帝国教育界で行なった演説の一節、
「日本に共和政治があると仮定すれば、おそらく三井、三菱は大統領候補者となるだろう」
が不敬として問題になる。

1924年 - 天気図が初めて國民新聞に掲載される。

1948年 - 帝銀事件の被疑者として画家の平沢貞通が警視庁に逮捕される。

1959年 - ハワイがアメリカ合衆国50番目の州となり、これに伴い
星条旗のデザインが現行のものに変更された(それまでは49州だったため、
星の部分が7x7になっていた)

1968年 - ソビエト連邦軍を主力とするワルシャワ条約機構軍、チェコスロバキアに侵攻。

2004年 - 山陽電鉄本線の東二見駅〜播磨町駅間に西二見駅が開業。

2004年 - 長渕剛が桜島でオールナイトライブを敢行。
7万5千人を動員し、日本の音楽史上に残るライブとなった

2004年 - チェチェン共和国首都グロズヌイにおいて、
チェチェン独立派テロリストが大統領選投票所や警察署を襲撃。
治安部隊・武装勢力合わせて60人以上が死亡。

誕生日
1165年 - フィリップ2世、フランス王(+ 1223年)

1789年 - オーギュスタン=ルイ・コーシー、数学者(+ 1857年)

1816年 - シャルル・ジェラール、化学者(+ 1856年)

1872年 - オーブリー・ビアズリー、画家(+ 1898年)

1883年 - 正宗得三郎、画家(+ 1962年)

1891年 - エミリアーノ・メルカド・デル・トロ、
長寿世界一であったプエルトリコの男性(+ 2007年)

1904年 - カウント・ベイシー、バンドリーダー(+ 1984年)

1904年 - 奥野高廣、歴史学者(+ 2000年)

1916年 - 五島昇、実業家(+ 1989年)

1920年 - クリストファー・ロビン・ミルン、
『クマのプーさん』のクリストファー・ロビンのモデルとなったA・A・ミルンの息子(+ 1996年)

1923年 - シモン・ペレス、第9代イスラエル大統領

1932年 - 村上正邦、政治家

1933年 - 越部信義、作曲家

1939年 - ジェームズ・バートン、ギタリスト

1940年 - 斉藤安弘、ラジオパーソナリティ

1947年 - 稲川淳二、タレント

1947年 - 盛田嘉哉、元プロ野球選手

1951年 - グレン・ヒューズ、ミュージシャン
1952年 - ジョー・ストラマー、ミュージシャン(+ 2002年)
1953年 - 関根勤、タレント
1953年 - 円広志、歌手、作曲家、タレント
1957年 - 竹葉山真邦、大相撲力士・熊ヶ谷親方
1959年 - 新居昭乃、シンガーソングライター
1960年 - 池田晶子、哲学者・文筆家(+ 2007年)
1962年 - 宮崎勤、シリアルキラー(+ 2008年)
1965年 - 鈴木祥子、シンガーソングライター
1967年 - キャリー=アン・モス、俳優
1967年 - 皇名月、漫画家
1968年 - タフィ・ローズ、プロ野球選手
1969年 - グレン・ボス、騎手
1971年 - 中川素州、俳優
1971年 - 萩原聖人、俳優
1973年 - 野口健、登山家
1975年 - VERBAL、m-floのメンバー
1979年 - 逹瑯、ミュージシャン(ムック)
1980年 - 東出輝裕、プロ野球選手(広島東洋カープ)
1980年 - 小林正人、プロ野球選手
1982年 - 大前茜、声優
1982年 - 桟原将司、プロ野球選手(阪神タイガース)
1983年 - 夏木彩、女優
1984年 - 内山雄介、プロ野球選手
1986年 - 梶本達哉、プロ野球選手
1989年 - ヘイデン・パネッティーア、女優
1991年 - 高橋竜、ジャニーズJr.、M.A.D.のメンバー
1993年 - 安達直人、俳優・声優

忌日
699年 - 弓削皇子、皇族

1153年 - クレルヴォーのベルナルドゥス、神学者(* 1090年)

1157年 - アルフォンソ7世、カスティーリャ王(* 1105年)

1568年 - ジャン・ド・ヴァレット、聖ヨハネ騎士団総長(* 1494年?)

1597年(慶長2年7月9日)- 穂井田元清、戦国武将(* 1551年)

1614年 - バートリ・エルジェーベト、ハンガリーの貴族(* 1560年)

1627年 - ジャック・モーデュイ、作曲家(* 1557年)

1736年 - エマヌエーレ・ダストルガ、作曲家(* 1681年)

1836年 - アンリ・ナビエ、物理学者(* 1785年)

1838年 - アーデルベルト・フォン・シャミッソー、詩人(* 1781年)

1864年(元治元年7月20日)- 平野国臣、尊皇攘夷派の志士(* 1828年)

1864年(元治元年7月20日)- 古高俊太郎、尊皇攘夷派の志士(* 1829年)

1891年 - ハリー・ポウレット (第4代クリーヴランド公爵)(* 1803年)

1901年 - アドルフ・オイゲン・フィック、生理学者(* 1829年)

1917年 - 奥田義人、元文部大臣・司法大臣・東京市長(* 1860年)

1919年 - ローレンス・ドハティー、テニス選手(* 1875年)

1935年 - ジョン・ハートリー、テニス選手(* 1849年)

1935年 - 岡村金太郎、水産学者(* 1867年)

1937年 - ジョージ・ライト、メジャーリーグの野球選手(* 1847年)

1940年 - パウル・ユオン、作曲家(* 1872年)

1940年 - レフ・トロツキー、革命家(* 1879年)

1943年 - 伏見博英、伏見宮博恭王第四王子、伯爵(* 1912年)

1951年 - コンスタント・ランバート、作曲家(* 1905年)

1957年 - ハラルド・スヴェルドラップ、海洋学者(* 1888年)

1964年 - パルミーロ・トリアッティ、イタリア共産党の指導者(* 1893年)

1965年 - 浮谷東次郎、レーサー(* 1942年)

1971年 - 松村謙三、元厚生大臣・農林大臣・文部大臣(* 1883年)

1971年 - ジョージ・ジャクソン、ブラックパンサー党の活動家(* 1941年)

1976年 - 中山栄一、自由民主党衆議院議員(* 1895年)

1978年 - チャールズ・イームズ、デザイナー・建築家(* 1907年)

1979年 - ジュゼッペ・メアッツァ、サッカー選手(* 1910年)

1980年 - 大日方傳、俳優(* 1907年)

1982年 - ソブーザ2世、スワジランド国王(* 1899年)

1983年 - ベニグノ・アキノ、フィリピン上院議員(* 1932年)

1984年 - 後藤隆之助、政治運動家(* 1888年)

1986年 - サド・ジョーンズ、ジャズトランペット奏者(* 1923年)

1991年 - ヴォルフガング・ヒルデスハイマー、作家(* 1916年)

1993年 - 藤山一郎、歌手(* 1911年)

1993年 - タティアナ・トロヤノス、メゾソプラノ歌手(* 1938年)

1994年 - アニタ・リザナ、テニス選手(* 1915年)

1995年 - スブラマニアン・チャンドラセカール、天体物理学者(* 1910年)

1997年 - マルゼンスキー、競走馬(* 1974年)

1999年 - 寺尾五郎、歴史学者・評論家(* 1921年)

2001年 - 二階堂副包、経済学者(* 1923年)

2005年 - 内海英男、元建設大臣・国土庁長官(* 1922年)

2005年 - ロバート・モーグ、モーグ・シンセサイザー生みの親(* 1934年)

2006年 - 菅野壽、社会民主党参議院議員(* 1923年)

記念日・年中行事
献血の日/献血記念日(日本)
1964年8月21日、閣議によってそれまでの売血制度を改めて、
全ての輸血用血液を献血によって確保しようと決定されたことに由来。
日本赤十字社や厚生省などによって献血推進運動が展開されることになった。

静岡県民の日(日本)

福島県民の日(日本)

噴水の日(日本)