東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年8月24日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年8月24日(日曜日)

「8月」の最後の一週間です。
堂々たる「9月」まであと「1週間」になりました。

せみの声も「わずか」に今朝はきこえます。

霧雨とこおろぎの「なきごえ」が
「そぞろに旅愁」を感じさせます。

日の出直後はいつも一瞬は晴れています。
まさしく夏・真夏です。
けれどもそろそろとしのびよる秋の大気。
「秋」の気配も「確かに」。
そして確実に。
感じられるようになりました。
「9月」まであと「1週間」です。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々になってきました。

街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先がろうそくの
明かりのように「炎様」になっていました。

あたかも
ゴッホの絵画の「夜の糸杉」のように。
早朝はみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇のごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

これからは落ち着いた。
「秋」の木々の「葉」
へと変化していくのでしょう。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
とても獰猛な気配を放つ。
初めて気づきました。

濃い緑の葉。

桜の木は木の下で。
心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。

ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹がすっかりみえません。
桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ。
この
桜の木の下で木陰で心安らかにやすもうという
気はおきません。

やはり桜の木は
シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」

ではないのです。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
針葉樹から常緑樹に「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。
いにしえの古代の時代にも
恐竜を始めとする
「大型」の草食動物にもかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のよう
「冬も葉を持つ常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の午後の陽射しにもにあいません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな初夏の萌黄色です。
まるで大きな竹山の竹のうねりのようです。
今年は木々のわかばのめばえが非常に鮮烈
です。
木々は「夏樹」の役目をおえて
「秋木」とかわろうとしています。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となり
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。
夏草のたたずまいをしています。
そして秋草へと黄金色に転ずる
街角の雑草もあります。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。
もう。
はださむいような気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

「蓮(ハス)」があります。
ハスの花がさき。
「はすの花」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。

日曜の朝晴れて
はじめて気づく
にわの小ささ

にちようのあさはれて
はじめてきづく
にわのちいささ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

きらきらラピス・ラズリの空(そら)
紺碧のカクテルいろの空(そら)
ミルクをそそそいだ空(そら)
トルコいしのプリンの空(そら)
はるかにとほくたかい空(そら)
ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
プリンの上のクリームのような空(そら)
睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
空(そら)の向こうにまた空(そら)
そのまたむこうにもさらに空(そら)

夏のうららのこもれびに
緑木いらかにをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびの
緑木いらかにかぜさやか
秋風たわむるうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

椎木(しいのき)の枝高し
そらに吼える若葉が穂束
獅子のごとし
木にも地にもみどりがさける
秋のあさ
陽の光ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
いふこともなし
ゆたかなるかな秋

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

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平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
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7月21日(月曜日)は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
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「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
私の「大好き」な。
日本文壇の「名筆」。
1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。
同級生の北原射水(後の白秋)。
中林蘇水と親交を厚くし。
「早稲田の三水」と呼ばれる。

自然と自然のうつろいを心より愛し
「するどく詠んだ」歌人。

1885年 - 若山牧水、歌人(+ 1928年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

若山 牧水(わかやま ぼくすい、
1885年(明治18年)8月24日 -
1928年(昭和3年)9月17日)は、
明治から昭和初期の歌人です。

本名・繁(しげる)。

++++++++++++++++++++++

若山牧水の略歴
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の
医師・若山立蔵の長男として生まれました。

1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。

短歌と俳句を始めました。
18歳のとき、号を牧水と致しました。

1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。
同級生の北原射水(後の白秋)、
中林蘇水と親交を厚くし。

「早稲田の三水」と呼ばれます。

++++++++++++++++++++++

若山牧水は。
1908年(明治41年)早大英文学科卒業
致しました。

7月に処女歌集『海の声』を出版致しました。

翌1909年(明治42年)中央新聞社に入社。
5ヶ月後に退社。

1911年(明治44年)創作社を興し
詩歌雑誌「創作」を主宰致します。

この年。
歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた
後に妻となる太田喜志子と
水穂宅にて知り合いました。

++++++++++++++++++++++

若山牧水は。
1912年(明治45年)友人であった石川啄木の
臨終に立ち合います。

同年、喜志子と結婚。
1913年(大正2年)長男・
旅人(たびと)誕生。
その後、2女1男をもうけました。

++++++++++++++++++++++

若山牧水は。
1920年(大正9年)沼津の自然を愛しました。

特に千本松原の景観に魅せられて、
一家をあげて沼津に移住致します。

大正11年10月御代田駅より岩村田へ向かい
佐久ホテルに逗留し数々の作品をのこしました。 

1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。

この年、
静岡県が計画した千本松原伐採に対し
新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち
計画を断念させました。

++++++++++++++++++++++

若山牧水は。
1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、
約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが
体調を崩し帰国致します。

翌年夏頃より病臥し自宅で死去。享年43。

沼津の千本山乗運寺に埋葬されました。
戒名は古松院仙誉牧水居士。

牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・
喜志子により受け継がれ
ました。

++++++++++++++++++++++

自然と自然のうつろいを心より愛し「するどく詠んだ」
若山牧水の名歌

幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく

吾木香(われもかう)すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ

瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花

海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり
など
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若山牧水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B1%B1%E7%89%A7%E6%B0%B4

若山 牧水(わかやま ぼくすい、 1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、明治から昭和初期の歌人。本名・繁(しげる)。

目次
1 略歴
2 作家評
3 作品
3.1 歌集
3.2 紀行
4 外部リンク

略歴
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。

1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし「早稲田の三水」と呼ばれる。 1908年(明治41年)早大英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌、1909年(明治42年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。

1911年(明治44年)創作社を興し詩歌雑誌「創作」を主宰。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。1912年(明治45年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。

1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住。 大正11年10月御代田駅より岩村田へ向かい佐久ホテルに逗留し数々の作品をのこす。 1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち計画を断念させる。1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが体調を崩し帰国。翌年夏頃より病臥し自宅で死去。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。戒名は古松院仙誉牧水居士。

牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。

作家評
旅を愛し旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に彼の歌碑がある。大の酒好きで一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死因の大きな要因となったのは肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにも関わらず、死後暫く経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。自然を愛し特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。

また、情熱的な恋をしたことでも知られており喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛は有名なエピソードである。出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、1996年(平成8年)より毎年、短歌文学の分野で傑出した業績を挙げた者に対し「若山牧水賞」を授与している。

牧水は埼玉県秩父地方を数度訪れて歌と紀行文を残している。秩父市の羊山公園には「牧水の滝」と名づけられた滝があり、そこには

「秩父町出はづれ来れば機をりのうたごゑつゞく古りし家竝に」

という秩父の春を歌った碑がある。

作品

歌集
第一歌集「海の声」(1908年7月出版)
第二歌集「独り歌へる」(1910年1月出版)
第三歌集「別離」(1910年4月出版)
第四歌集「路上」(1911年9月出版)
第五歌集「死か芸術か」(1912年9月出版)
第六歌集「みなかみ」(1913年9月出版)
第七歌集「秋風の歌」(1914年4月出版)
第八歌集「砂丘」(1915年10月出版)
第九歌集「朝の歌」(1916年6月出版)
第十歌集「白梅集」(1917年8月出版)
第十一歌集「さびしき樹木」(1918年7月出版)
第十二歌集「渓谷集」(1918年5月出版)
第十三歌集「くろ土」(1921年3月出版)
第十四歌集「山桜の歌」(1923年5月出版)
第十五歌集「黒松」(1938年9月出版)

紀行
「みなかみ紀行」
「木枯紀行」

外部リンク
若山牧水 -Official Web Site-
沼津市若山牧水記念館
宮崎県日向市
若山 牧水:作家別作品リスト(青空文庫)
ウィキクォートに若山牧水に関する引用句集があります。"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B1%B1%E7%89%A7%E6%B0%B4" より作成
カテゴリ: 歌人 | 宮崎県出身の人物 | 1885年生 | 1928年没 | 延岡市

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8月24日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8824%E6%97%A5

できごと
79年 - イタリアのベスビオ火山が大噴火し、ポンペイ市が火山灰に埋没する。

1572年 - フランスで多数のプロテスタントが殺害される(サン・バルテルミの虐殺)。

1853年 - ジョージ・クラムによってポテトチップスが発明されたとされる。

1945年 - 松江騒擾事件。

1953年 - 太東貿易株式会社(現タイトー)設立。朝鮮国際旅行社創立。

1964年 - 高島忠夫・愛児殺害事件(生後5ヶ月の長男が
家政婦に自宅の風呂で水死させられる)。

1985年 - ユニバーシアード神戸大会、108カ国3949人が参加し開催。

1991年 - ウクライナがソビエト連邦から独立。

2004年 - ロシア南部で、チェチェン独立派テロリストによる旅客機爆破事件発生。
80人以上が死亡。

2005年 - 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス 秋葉原〜つくば開業。
カリブ海に超大型ハリケーンカトリーナが発生。

2006年 - プラハでの第26回国際天文学連合総会で冥王星が惑星から除外される。

誕生日
1393年 - アルチュール・ド・リッシュモン、ブルターニュ公(+ 1458年)

1849年(嘉永2年7月7日) - 河野広中、政治家(+ 1923年)

1863年(文久3年7月11日) - 徳川家達、第16代当主・貴族院議長(+ 1940年)

1879年 - 滝廉太郎、作曲家(+ 1903年)

1885年 - 若山牧水、歌人(+ 1928年)

1899年 - ホルヘ・ルイス・ボルヘス、作家(+ 1986年)

1902年 - フェルナン・ブローデル、歴史学者(+ 1985年)

1929年 - ヤーセル・アラファート、
パレスチナ解放機構議長・パレスチナ自治政府元首(+ 2004年)

1932年 - 神崎安隆、元プロ野球選手(+ 1985年)

1935年 - 羽田孜、第80代内閣総理大臣

1938年 - 石黒昇、アニメーション監督

1945年 - ビンス・マクマホン、WWE会長

1951年 - オースン・スコット・カード、作家

1952年 - MOJO、歌手
1953年 - ルイス・サンチェ、元プロ野球選手(+ 2005年)
1956年 - ディック・リー、ミュージシャン
1959年 - 雨宮慶太、映画監督
1960年 - 三池崇史、映画監督
1960年 - カル・リプケン、アメリカの元・野球選手
1961年 - 銚子利夫、元プロ野球選手
1962年 - 中西寛、政治学者
1963年 - 小島秀夫、ゲームデザイナー
1964年 - 真船一雄、漫画家
1965年 - レジー・ミラー、バスケットボール選手
1966年 - 中西千枝子、元バレーボール選手
1968年 - 高嶋ちさ子、バイオリニスト
1968年 - きただにひろし、歌手
1969年 - 福島聡、漫画家
1969年 - 川島道行、ビッグ・ビート・ブンブンサテライツのメンバー
1970年 - ダン・ヘンダーソン、総合格闘家 
1970年 - 酒井ミキオ、シンガーソングライター
1970年 - 片桐順一郎、俳優
1973年 - グレイ・デリスル、シンガーソングライター、コメディアン、声優
1974年 - 岸紅子、美容アナリスト
1976年 - ダリオ・バルジュー、騎手
1977年 - ファブリシオ・ヴェウドゥム、柔術家、総合格闘家
1978年 - 松井光介、プロ野球選手
1979年 - トート・ゾルタン、フィギュアスケート選手
1980年 - 浜崎茜、女優・歌手
1980年 - 秦千香子、FREENOTEボーカル
1981年 - 赤松佳音、歌手
1982年 - キタキマユ、歌手
1983年 - 佐々木梨絵、グラビアアイドル
1984年 - 瀬畑茉有子、女性モデル
1985年 - デスティニー・デイヴィス、プレイメイト
1985年 - 大森美知、ファッションモデル
1985年 - 星野あかり、AV女優
1987年 - 三浦大知、歌手・ダンサー
1987年 - 右手愛美、ファッションモデル、歌手
1987年 - 高江洲拓哉、プロ野球選手
1988年 - ルパート・グリント、俳優
1988年 - 金成知佐子、女子プロレスラー
1988年 - 吉田麻也、サッカー選手
1992年 - 浅香航大、ジャニーズJr.
1992年 - 瓜屋茜、AKB48
1995年 - 月嶋ルナ、子役
19xx年 - D-stand、ラッパー・DisIzWarのメンバー

忌日
79年 - ガイウス・プリニウス・セクンドゥス、作家・博物学者(* 23年)

661年(斉明天皇7年7月24日)-
皇極天皇(斉明天皇)、第35・37代天皇(* 594年)

672年(天武天皇元年7月23日)- 弘文天皇、第39代天皇(* 648年)

993年(正暦4年7月29日)- 源雅信、公卿(* 920年)

1042年 - ミカエル5世、東ローマ皇帝(* 1015年)

1101年(建中靖国元年7月28日) - 蘇軾、詩人、書家、政治家(* 1037年)

1540年 - パルミジャニーノ、画家(* 1503年)

1572年 - ガスパール・ド・コリニー、ユグノー戦争プロテスタント派の軍人(* 1519年)

1572年 - クロード・グディメル - サン・バルテルミの虐殺で殺害される

1595年 - トーマス・ディッグス、天文学者(* 1546年)

1662年(寛文2年7月11日)- 井伊直勝、彦根藩主・安中藩主(* 1590年)

1683年(天和3年7月3日) - 松平忠輝、高田藩主(* 1592年)

1685年(貞享2年7月25日)- ジュゼッペ・キアラ、イエズス会宣教師(* 1602年)

1831年 - アウグスト・フォン・グナイゼナウ、プロイセン陸軍元帥(* 1760年)

1832年 - ニコラ・レオナール・サディ・カルノー、物理学者・数学者(* 1796年)

1842年(天保13年7月19日)- 柳亭種彦、戯作者(* 1783年)

1858年(安政5年7月16日) - 鷹見泉石、蘭学者(* 1785年)

1858年(安政5年7月16日) - 島津斉彬、第11代薩摩藩主(* 1809年)

1877年 - 小林虎三郎、越後長岡藩大参事(* 1828年)

1888年 - ルドルフ・クラウジウス、物理学者(* 1822年)

1897年 - 陸奥宗光、外務大臣(* 1844年)

1914年 - ヴィルヘルム・レキシス、統計学者・経済学者(* 1837年)

1923年 - 加藤友三郎、第21代内閣総理大臣(* 1861年)

1940年 - ポール・ニプコー、発明家(* 1860年)

1943年 - シモーヌ・ヴェイユ、哲学者(* 1909年)

1945年 - 田中静壱、日本陸軍の大将(* 1887年)

1954年 - ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス、ブラジル大統領(* 1882年)

1956年 - 肥田春充、肥田式強健術創始者(* 1883年)

1956年 - 溝口健二、映画監督(* 1898年)

1958年 - レオ・ブレッヒ、指揮者(* 1871年)

1957年 - ロナルド・ノックス、聖職者・推理作家(* 1888年)

1966年 - 老舎、小説家(* 1899年)

1979年 - 中野重治、小説家・詩人(* 1902年)

1979年 - ハンナ・ライチュ、テストパイロット(* 1912年)

1985年 - ポール・クレストン、作曲家(* 1906年)

1990年 - セルゲイ・ドヴラートフ、小説家(* 1941年)

1995年 - アルフレッド・アイゼンスタット、写真家(* 1898年)

2000年 - アンディ・フグ、K-1選手(* 1964年)

2004年 - エリザベス・キューブラー=ロス、精神科医(* 1926年)

2006年 - メイナード・ファーガソン、ジャズトランペット奏者(* 1928年)

2006年 - ジョン・ワインツワイグ、作曲家(* 1913年)

2006年 - ジェームズ・テニー、作曲家(* 1934年)

記念日・年中行事
大噴火の日・ポンペイ最後の日
紀元79年8月24日に、イタリアのベスビオス火山が大噴火し、
ふもとのポンペイ市を埋没させたことに由来。
これにより火山灰が8メートル積もり、2000人以上が死亡したといわれている。

イエス・キリストの弟子、使徒バルトロマイの記念日