東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年8月29日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年8月29日(金曜日)

「8月29日」=晩夏です。
もう「夏ものこすところ2日」
でおわります。
「夏」がおわりました。
もう「秋」。

あまりにも
月日のたつその速さに。
恐怖さえ感じます。

木々の若葉のいろは深緑に。
緑がますますあざやかになり。
そして「秋」の気配が葉木には
感じられます。

空の色も。
まさしくも
夏から「秋」の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

陽ののぼるのは遅くなりました。
陽がくれるのは早くなりました。

あさの04:30AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

今の季節の大気からは。

まぢかいけれども。
「なにか深まりゆく気配。そして秋の訪れの近い」
ことが。
良くわかります。

池面(いけおも)なる水面(みずおも)
小さきわかみどり
なをしらぬ
小さき緑の浮き草
若草色にうきつあつまり
うかびはしり
ながれてとまりたり
水面(みずおも)にて
風にきそふがごとし
わらべのごとし
池面の水面(みずおも)に
小さきわかみどり

いざいまこそは
よき季節にあらむ
水面(みずおも)なるそら
ふと空をみる

早朝(はやあさ)は
いまやはだのさむけれど
ぬくもりのあさ
陽のありがたき
あゆむごと
陽はたかくなりけり
葉木は樹木にかわりたり
わかみちをあかるくてらせ
夏をいだく木
秋をはぐくむ木
みどり木あおし
わかみちをあかるくてらせ

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
木にみかんのわか実
みかんの木いろあざたかに
みどりぎいらをにかぜはやみ
なつかぜひるむやうつろひの
橘香つきひもはやいくとせ

地にも木にも
みどり葉ひらき
みどり木ときわ木
ひろがりて
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「夏はきぬ」。
「秋まぢかし」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝です。

「今日は何の日」は
17歳の時に世界的な大ヒット作品となる
『ベサメ・ムーチョ』(Bésame mucho)を作曲。

「女性作曲家」そして。
「ピアニスト」である。
私が大変に興味をもっている「音楽家」。
1924年 - コンスエロ・ベラスケス、
作曲家・ピアニスト(+ 2005年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

コンスエロ・ベラスケス
(Consuelo Velázquez,1924年8月29日
- 2005年1月22日)はメキシコの。
女性作曲家・ピアニストです。

17歳の時に世界的な大ヒット作品となる
『ベサメ・ムーチョ』(Bésame mucho)を
作曲致しました。

他の作品に「カチート」などがあります。

++++++++++++++++++++++

17歳の時に世界的な大ヒット作品となる
『ベサメ・ムーチョ』(Bésame mucho)を作曲

17歳の「少女」のコンスエロ・ベラスケスに。
よくこのメロディがかけるなあと
びっくり致します。

起承転結明確であらゆる旋律とリズムは明確かつ
「分解しやすい」。

『ベサメ・ムーチョ』(Bésame mucho)は
「原曲」は「ボレロ」でかかれているので。
「ジョゼフ=モーリス・ラヴェル:Joseph-Maurice Ravel」
にまかせれば。

「オペラ」の「アリア」か「前奏曲」にも編曲しうる
旋律の基本ができています。
ヨハン・セバスティアン・バッハに任せれば
対位法と和声を駆使して
「コンチエルト」か「オルガン曲」にも
したてられます。

++++++++++++++++++++++

確実なる偉大な芸術家 音楽家 作曲家 ピアニスト
 ヴアイオリニスト その他の偉大な演奏家
そして画家或は偉大な科学者 数学家 に
共通していることがあります。

恐らく彼ら自身も気がつかない。
潜在意識或は潜在思考のなかで。

「本質」を究める探索するための
「方程式」をもっていることです。

時にはこの「方程式」が「意識のした」で暴走して
「製作」にとりくみすぎて「方程式」を「無意識」が
思い出せなくなることです。

だから絵画や楽曲や相対性理論は。
「作品の「氷山の一角」のまた
「一角」の「また一角」に過ぎません。」

コンスエロ・ベラスケスの旋律には。
コンスエロ・ベラスケスの「天賦の方程式」
が見られます。
これは驚くべきことです。

++++++++++++++++++++++

コンスエロ・ベラスケスの作品は
日本人にとってこの曲の決定版は何と言っても
トリオ・ロス・パンチョスに由来致しました。

でもパンチョスにとって
このレパートリーは偶然の産物であった
ようです。

1945年に結成されたこのトリオは、
アメリカ発の対中南米ラジオ放送でスターダムにのし上がり。
1950年頃から中南米諸国を回る長期ツアーに出ていました。

ところが途中でトップ・ボイスのエルナンド・アビレスが
意見の対立から脱退することになりました。

残った2人は慌ててペルー滞在時に目をつけていた
ボリビア人ボレロ歌手、
ラウル・ショウ(シャウ)・モレーノを呼び寄せ、
残った公演を何とか新メンバーで消化することにしました。

++++++++++++++++++++++

すでに中南米諸国でのパンチョスの人気は高く、
長いツアー中でも
新しいレコードを出さないわけには行かないことになりました。

そこで苦肉の策として、すでにある程度知られた
レパートリーを入ったばかりの助っ人ラウル・ショウをトップに
アルゼンチンで録音を致しました。

それが偶然「ベサメ・ムーチョ」であり。
トリオ・ロス・パンチョスの「代名詞」にもなりました。

++++++++++++++++++++++

コンスエロ・ベラスケスは
日本では1920年8月21日生まれで84歳で亡くなったという
報道がなされています。

けれども
1916年のハリースコ西メキシコの州で
シウダードグスマン市で生まれであり。

亡くなった時は88歳だったと
息子のセルジオ・リベラが証言しています。

++++++++++++++++++++++

コンスエロ・ベラスケスの
『ベサメ・ムーチョ』は1995年に発売された
ザ・ビートルズ・アンソロジー1にも
収録されています。

++++++++++++++++++++++

Besame,besame mucho
Como si fuera esta noche la ultima vez
Besame, besame mucho
Que tengo miedo perderte, perderte desques
Quiero tenerte muy cerca
Mirarme en tus ojos
Estar junto a ti
Piensa rue tal vez manana yo estare
Muy lejos, muy lejos de aqui

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
コンスエロ・ベラスケス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9

コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez,1924年8月29日 - 2005年1月22日)はメキシコの女性作曲家・ピアニスト。17歳の時に世界的な大ヒット作品となる『ベサメ・ムーチョ』(Bésame mucho)を作曲した。他の作品に「カチート」など。

日本では1920年8月21日生まれで84歳で亡くなったという報道がなされているが、1916年のハリースコ西メキシコの州でシウダードグスマン市で生まれで、亡くなった時は88歳だったと息子のセルジオ・リベラが証言している。

『ベサメ・ムーチョ』は1995年に発売されたザ・ビートルズ・アンソロジー1に収録されている。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
http://hmika.hp.infoseek.co.jp/besame_mucho.htm
より引用させて頂きました。

Besame,besame mucho
Como si fuera esta noche la ultima vez
Besame, besame mucho
Que tengo miedo perderte, perderte desques
Quiero tenerte muy cerca
Mirarme en tus ojos
Estar junto a ti
Piensa rue tal vez manana yo estare
Muy lejos, muy lejos de aqui
++++++++++++++++++++++

++「続きを読むです3」++++++++++++++++++
http://www.cafe-mexico.com/ensayo_pages/panchito/panchito008.html
より引用させて頂きました。

発表当初はボレロではなかったともいわれるが、
この曲が世界的に広く知られるようになったのは、メ
キシコ本国よりアメリカで大きな評判をとったからでもある。

最初のヒットは1942年、「アマポーラ」「ブラジル」「グリーン・アイズ」など
新旧のラテン名曲に英語詞をつけてスウィング・アレンジで
次々にヒットさせていた
ジャズ畑のジミー・ドーシー・オーケストラのレコードだった。
スカイラーによる英語詞は原詞に比較的忠実で、

Besame, besame mucho... Each time I cling to your kiss, I hear music divine
Besame, besame mucho... Hold me, my darling, and say that you'll always be mine
といった具合。英語の副題は "Kiss me much" で、
全くの直訳だった。

 さらに翌年メキシコ出身の美男歌手として1940年代のハリウッド映画にも
多数出演したアンディ・ラッセル(ルーセル)の英語バージョンもヒット、
折しも戦争真っただ中のアメリカでこのメキシコ発のロマンティック・ソングはヒットしたのだ
(アメリカ版楽譜表紙の隅にも「戦争債券を買って勝利に貢献しよう」なんて書いてある)。

 日本では、この戦争があったために
1941年以降のヒット曲は戦後しばらく経つまで輸入されず、
「ベサメ・ムーチョ」も5〜6年遅れで進駐軍放送(現在のFENのもと)を
通じて聞かれ始めたという。
やっと1950年になって日本語詞が付き「ベッサメ・ムーチョ」として黒木曜子が歌った盤
(タンゴ・バンドの早川真平とオルケスタ・ティピカ東京が伴奏、形式はルンバ)
が発売され、ヒットとなる(上写真右が当時の日本発売楽譜表紙)。

「ベサメ ベサメ・ムーチョ 燃ゆる接吻(くちづけ)を交す度 
ベサメ・ムーチョ いつもいつも流れる曲(しらべ)」

 同じ頃、それまで進駐軍放送でよく流れていたアメリカのラテン王、
ザビア・クガート・オーケストラの演奏も日本で発売された。
クガートのムーディなスタイルにニタ・デル・カンポが甘いスペイン語の歌を入れ、
後半には原曲にないテンポをあげたパートがくっついているもので、
戦前のルンバ演奏とは異なる流麗なスタイルはさぞ新鮮だったことだろう。

 しかし日本人にとってこの曲の決定版は何と言っても
トリオ・ロス・パンチョス。でもパンチョスにとってこのレパートリーは偶然の産物であった。
1945年に結成されたこのトリオは、
アメリカ発の対中南米ラジオ放送でスターダムにのし上がり、
1950年頃から中南米諸国を回る長期ツアーに出ていた。
ところが途中でトップ・ボイスのエルナンド・アビレスが意見の対立から脱退することになり、
残った2人は慌ててペルー滞在時に目をつけていた
ボリビア人ボレロ歌手、ラウル・ショウ(シャウ)・モレーノを呼び寄せ、
残った公演を何とか新メンバーで消化することにした。
とは言え、すでに中南米諸国でのパンチョスの人気は高く、
長いツアー中でも新しいレコードを出さないわけには行かない。
そこで苦肉の策として、すでにある程度知られた
レパートリーを入ったばかりの助っ人ラウル・ショウをトップに
アルゼンチンで録音した。
その中に偶然「ベサメ・ムーチョ」があったのだった。

 この時の録音には「キエレメ・ムーチョ」「ソラメンテ・ウナ・ベス」
などすでに知られ始めていたラテンの名曲が多く、
日本ではこれらのレコードがパンチョス初紹介のレコードとなった
経緯もあって大いにヒットした。 
1959年、ジョニー・アルビーノをトップ・ボイスに迎えたばかりの
パンチョスは初来日を果たし、
そこで「ベサメ・ムーチョ」を再録音、
日本のこの曲の人気を決定的なものにした。

最近のパンチョス(もうメンバーは変わっているが
トップ・ボイスはアルビーノが特別参加している)のコンサートでも、
パンチョス独自のイントロを弾き始めただけで拍手が来るのだから、
どれほど多くの人に知られていたか想像がつこうというものだ。

 有名になった曲は独り歩きを始めるものだ。パンチョス系のトリオはもちろんこぞってとりあげているが、フルバンド・オーケストラによるルンバ、マンボなどのアレンジ、タンゴやボサノヴァ・アレンジ、はたまた音楽のこぎり(ミュージカル・ソウ)や琴・尺八 による演奏まで、軽く300種類は越えようかという数の録音が残されている。アート・ペッパーの名演奏を始め、ジャズのスタンダード・ナンバーとしても通用している。

 しかしこの曲、実は一般に思われているようなベタベタ・カップルの甘〜いラヴ・ソングではなかったのである。音楽レポーターの竹村淳氏があるCD解説にこう書いている−:「ところが数年前メキシコ市で耳にした話によると、『ベサメ・ムーチョ』はベラスケスさんの女ともだちの夫が入院中なので見舞ったとき、容態が思わしくなく、自分の最後が近いことを悟っていた病床の夫君が夫人に『たくさんキスして』とせがんだということを聞いて作った歌だというのである。」(かたりべしゃ CLS-002 ベサメ・ムーチョ〜ポ ンチョの新しい世界/レイ・アルフォンソ正田 CDライナーより)

 この曲には作者コンスエロ・ベラスケスによる自作自演も存在する。いずれも歌なしのピアノ演奏(リズム伴奏付き)のみで、1955年頃のRCA盤が最初だろう。かつて日本でも発売されたことはあったが、あろうことかジプシー・バイオリンの演奏とカップリングされ、ムード・ミュージックとして発売されていた。さらに1968年にメキシコのテレビ番組で彼女が演奏した映像が、1994年日本ビクター VIVP-59「ベサメ・ムーチョ/ラテン・ビッグ・スター夢の競演」というビデオに収録され発売されていた(現在廃版)。LPの時とは大分アレンジも異なり、力強いタッチによる大胆な展開が作者の豊かな創造力をかいま見せる。同じ68年にはやはりRCAでステレオによる再録音を行っているが、これもまた大胆なリズム変化を加えたアレンジで以前のバージョンとは異なる。3つの演奏に共通しているのはベタ甘ラテンのイメージとは大きく隔たったものであるという点。力強さと華麗さ、それが作者がこの曲に寄せたメッセージなのかも知れない。

 コンスエロ・ベラスケスはメキシコRCAビクターの社長と結婚したので、演奏活動はほんの余技程度だが、大変優れたピアニストである。観光や親善目的で数度来日したが、コンサート活動のために来日したことはない。息子の神前結婚式のため来日した際には「『ベサメ・ムーチョ』の作者来日」として写真週刊誌にまで報じられた。コンスエロ・ベラスケスの作品には他にも、「お幸せに」(Que seas feliz)、「愛することと生きるこ と」(Amar y vivir)、「苦い真実」(Verdad amarga)などいい曲がたくさんあるのだが、「ベサメ」の知名度はあまりに大きすぎる。

++「続きを読むです4」++++++++++++++++++
8月29日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8829%E6%97%A5

できごと
1756年 - プロイセン王フリードリヒ2世がザクセンに侵攻、七年戦争勃発

1842年 - 清国とイギリスの間で南京条約が締結され阿片戦争終結。

1842年(天保13年7月24日)- 江戸幕府が異国船打払令を廃止、薪水給与令制定

1871年(明治4年7月14日) - 廃藩置県

1885年 - 二輪車の史上初の特許をゴットリープ・ダイムラーが取得

1898年 - グッドイヤー創設

1907年 - 建設中のケベック橋が崩壊、75名の犠牲者を出す。

1910年 - 日本の韓国併合により朝鮮総督府設置

1911年 - 東京朝日新聞が「野球と其害毒」連載を開始、
9月22日まで22回に渡って野球に対するネガティブ・キャンペーンを展開する。

1918年 - 奈良県の生駒山に生駒鋼索鉄道(現在の近鉄生駒鋼索線の一部)開業、
日本初のケーブルカー

1949年 - RDS-1、カザフスタンのセミパラチンスクでソ連初の原爆実験

1952年 - ジョン・ケージ作曲の『4分33秒』がニューヨーク州ウッドストックで初演

1966年 - ビートルズがサンフランシスコのキャンドル・スティック・パークで最後のコンサート

1969年 - ノルウェー王太子・ハーラル(後の国王ハーラル5世)とソニア・ハーラルセンが成婚。

1974年 - 宝塚大劇場で『ベルサイユのばら』初演。
空前のタカラヅカブームの火付け役となる。

1993年 - 角川春樹が麻薬取締法違反で逮捕。

1996年 - 帝京大学副学長の安部英が薬害エイズ事件で
東京地方検察庁刑事部に逮捕される。

1997年 - 大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線 
大正駅〜心斎橋駅間・鶴見緑地駅〜門真南駅間が開業し、全通。

1999年 - 横浜市営地下鉄ブルーライン(1号線)
 戸塚駅〜湘南台駅間が開業し、当時の日本の地下鉄としては、営業距離最長に。

2002年 - Netscape 7.0 がリリースされる。

2005年 - ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州に再上陸

2006年 - 三角島原フェリーが廃止

誕生日
1593年(文禄2年8月3日) - 豊臣秀頼、武将(+ 1615年)

1619年 - ジャン=バティスト・コルベール、重商主義者(+1683年)

1632年 - ジョン・ロック、思想家(+ 1704年)

1705年(宝永2年7月11日) - 徳川宗堯、常陸国水戸藩の第4代藩主(+ 1730年)

1755年 - ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ、ポーランドの軍人(+ 1818年)

1835年 - ジョージ・ワシントン・マクラリー、第33代アメリカ合衆国陸軍長官(+ 1890年)

1862年 - モーリス・メーテルリンク、小説家(+ 1949年)

1876年 - 金九、朝鮮の独立運動家(+ 1949年)

1905年 - ジャック・ティーガーデン、ジャズトロンボーン奏者(+ 1964年)

1912年 - 孫基禎、マラソン選手(+ 2002年)

1915年 - イングリッド・バーグマン、女優(+ 1978年)

1920年 - チャーリー・パーカー、ジャズサックス奏者(+ 1955年)

1923年 - リチャード・アッテンボロー、映画監督・俳優

1924年 - コンスエロ・ベラスケス、作曲家・ピアニスト(+ 2005年)

1928年 - 中園康夫、元四国学院大学学長(+ 2003年)

1931年 - 市川雷蔵、映画俳優(+ 1969年)

1939年 - ウィリアム・フリードキン、映画監督

1940年 - 山口敏夫、政治家

1941年 - スロボダン・ミロシェヴィッチ、前ユーゴスラビア大統領(+ 2006年)

1942年 - 谷岡ヤスジ、漫画家(+ 1999年)

1946年 - ジョン・シピン、元プロ野球選手

1947年 - ジェームス・ハント、F1レーサー(+ 1993年)

1949年 - スタン・ハンセン、プロレスラー

1950年 - 八代亜紀、歌手

1952年 - マーキー、ディスクジョッキー
1956年 - 谷山浩子、歌手・シンガーソングライター
1957年 - 鷺巣詩郎、作曲家、アレンジャー
1958年 - マイケル・ジャクソン、歌手
1960年 - 渡辺多恵子、漫画家
1962年 - 伊東勤、元プロ野球選手、元・西武ライオンズ監督
1963年 - 宮坂ひろし、俳優
1964年 - YOU、タレント
1967年 - 岡崎武士、漫画家、イラストレーター
1968年 - 小川輝晃、俳優、声優
1969年 - 椎名あゆみ、漫画家
1970年 - 濱田典子、フリーアナウンサー
1972年 - ペ・ヨンジュン、俳優
1972年 - 親富祖弘也、元プロ野球選手
1973年 - 広池浩司、プロ野球選手
1974年 - 川北桃子、元アナウンサー
1974年 - 辛酸なめ子、漫画家
1975年 - 高橋かおり、女優
1976年 - 岩瀬敬吾、歌手
1976年 - 山下敦弘、映画監督
1976年 - 大柴隼人、俳優
1978年 - 本田大輔、俳優
1978年 - 久保田誓、アニメーター
1979年 - 阿部智則、お笑い芸人 (POISON GIRL BAND)
1980年 - 二宮優、タレント
1980年 - 小泉まな、ストリッパー
1981年 - 武藤乃子、アナウンサー(GTV)
1983年 - 宮尾綾香、プロボクサー
1985年 - 濱口華菜里、女子バレーボール選手(東レ)
1987年 - 島本里沙、グラビアアイドル
1993年 - 加山しょうこ、ジュニアアイドル
1999年 - 井野誠大、スポーツ
生年不明 - ゆうき、キーボーディスト(アンティック−珈琲店−)
生年不明 - 前田直樹、元ジャニーズJr.

忌日
737年(天平9年7月25日)- 藤原武智麻呂、奈良時代の公卿(* 680年)

886年 - バシレイオス1世、東ローマ帝国皇帝(* 827年頃)

1021年(治安元年7月19日)- 源頼光、武将(* 948年)

1093年 - ユーグ1世、ブルゴーニュ公(* 1057年)

1523年 - ウルリヒ・フォン・フッテン、思想家・人文主義者(* 1488年)

1526年 - ラヨシュ2世、ハンガリー・ボヘミア王(* 1506年)

1570年(元亀元年7月28日)- 三条の方、武田信玄の正室(* 1521年?)

1585年(天正13年8月5日)- 伊東義祐、武将(* 1512年)

1592年(文禄元年7月22日)- 大政所、豊臣秀吉の母(* 1513年)

1623年(元和9年8月4日) - 黒田長政、福岡藩初代藩主(* 1568年)

1799年 - ピウス6世、第250代ローマ教皇(* 1717年)

1842年(天保13年7月24日)- 矢部定謙、江戸南町奉行(* 1789年)

1865年 - ローベルト・レーマク、生理学者(* 1815年)

1866年(慶応2年7月20日)- 徳川家茂、江戸幕府第14代将軍(* 1846年)

1868年 - クリスチアン・シェーンバイン、化学者(* 1799年)

1872年(明治5年7月26日)- 浅野長訓、第11代広島藩主(* 1812年)

1891年 - ピエール・ラルマン、自転車開発者(* 1843年もしくは1844年)

1900年 - ヘンリー・シジウィック、思想家(* 1838年)

1904年 - ムラト5世、第33代オスマン帝国スルタン(* 1840年)

1913年 - フリードリッヒ・ポッケルス、物理学者(* 1865年)

1922年 - ジョルジュ・ソレル、哲学者(* 1847年)

1935年 - アストリッド・ド・スエード、ベルギー国王レオポルド3世の妃(* 1905年)

1949年 - 小日山直登、運輸大臣(* 1886年)

1952年 - 大河内正敏、物理学者(* 1876年)

1972年 - ララ・アンデルセン、歌手・女優(* 1905年)

1972年 - ルネ・レイボヴィッツ、指揮者・作曲家(* 1913年)

1975年 - イーモン・デ・ヴァレラ、初代アイルランド首相・第3代大統領(* 1882年)

1979年 - 竹鶴政孝、ニッカウヰスキー創業者・実業家(* 1894年)

1982年 - イングリッド・バーグマン、女優(* 1915年)

1987年 - リー・マーヴィン、俳優(* 1924年)

1990年 - ルイージ・ベッカリ、陸上競技選手(* 1907年)

1995年 - ミヒャエル・エンデ、作家(* 1929年)

1997年 - 大久保房松、騎手(* 1897年)

1997年 - 藤田敏八、映画監督(* 1932年)

2003年 - ムハンマド・バーキル・ハキーム、イラクのシーア派指導者(* 1939年)

2004年 - 種村季弘、ドイツ文学者、評論家(* 1933年)

2004年 - ハンス・フォンク、指揮者(* 1942年)

2006年 - 西尾武喜、名古屋市長(* 1925年)

2007年 - 三谷栄一、国文学者(* 1911年)

2007年 - ピエール・メスメル、フランス首相(* 1916年)

記念日・年中行事
焼き肉の日(日本)
8月29日の「829」が「焼き肉」と読めることから。
夏バテ気味の人に焼肉を食べてスタミナをつけてもらおうという日。
全国焼き肉協会が1993年に制定。

秋田県の記念日(日本・秋田県)
明治4年7月14日(新暦で1871年8月29日)の廃藩置県の際に、
初めて秋田県という名称が使われたことに由来。
秋田県が1965年に制定。

文化財保護法施行記念日(日本)
1950年8月29日に国宝や重要文化財の保護や文化の向上を目的とした法律
「文化財保護法」が施行されたことに由来し、1951年に制定。
この法律は1949年1月26日の法隆寺金堂の火災をきっかけに制定されたもの。