東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年9月12日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年9月12日(金曜日)

「9月5日」=初秋です。
「秋」になり「12日」もたちました。

「夏」はおわりました。

あまりにも
月日と。
時間のたつその速さに。
恐怖さえをも。
感じます。

大気は「秋」。
地には「こおろぎ」。
木々の若葉のいろは秋の深緑に。
緑がますますあざやかになり。
そして「黄色調」の葉も混じるようになり。
「秋」の気配がはっきりと
葉木には感じられます。

空の色も。
まさしくも
「秋」の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

陽ののぼるのは遅くなりました。
陽がくれるのは早くなりました。

あさの05:00AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

今の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
「なにかが深まりゆく」。
そして秋の訪れから。

さらにさらに。
深い秋の向こう側にむかう
ことが。
良くわかります。

池面(いけも)の水面(みずも)
小さきわかみどり
なをしらぬ
小さき緑の浮き草
若草うきつあつまり
あまねく水面(みずも)
をおおいたり。
水面(みずおも)にて
風にきそいてさまよえり
わらべのごとし
池面の水面(みずおも)
小さき小さきわかみどり

いざいまこそは
よき季節にあらむ
秋水面(みずも)なるそら
ふと空をみる

早朝(はやあさ)に
けふもはだのさむけれど
ぬくもりのあさ
陽のありがたき
あゆむごと
陽はあたかくなりけり
葉木は秋木にかわりたり
秋みちをあかるくてらせ
秋をいだく木
秋はぐくむ木
みどり木あおし
実りの木紅し
秋来(きた)るらむ

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
みかんのわか実
みかんの木の秋
みどりぎいらにをかぜはやみ
あきかぜひるむやうつろひの
橘香のつきひははやいくとせ

地にも木にも
みどり葉ひらき
みどり木ときわ木
ひろがりて
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり秋

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「秋はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝です。

「今日は何の日」は
ポーランドSFの第一人者であるとともに。
現代SF史上最高の作家の一人とされる。
ユダヤ系の作家。
1921年 - スタニスワフ・レム*、作家(+ 2006年)
の生誕日です。

(ロシア語読みをされて
スタニスラフ・レムと紹介されることが多かった。
注意。)
++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レム
(Stanis?aw Lem, 1921年9月12日 -
2006年3月27日)は、ポーランドの
小説家、SF作家、思想家です。

ポーランドSFの第一人者であるとともに。
現代SF史上最高の作家の一人とされます。
ユダヤ系の作家です。

日本での翻訳初期には
ロシア語版からの重訳での出版が多かったためか。
ロシア語読みのスタニスラフ・レムと
紹介されることが多かったのです。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レム の経歴

1921年、ポーランドのルヴフ
(現ウクライナのリヴィウ)に生まれました。

ギムナジウム時代に知能指数が180であることが分かり
当時の南ポーランドでは最も頭のいい子供として
マスコミの話題を呼びました。

1940年にルヴフ医科大学に入学し生物学を学ぶ傍ら。
数学や、
思想・哲学・サイバネティクスの研究も行いました。

ユダヤ系のため。
ルヴフがナチス・ドイツに占領された期間は
自動車工、溶接工として働きました。

大学卒業後は大学に研究員として勤務致します。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レム は。
1946年、ルヴフがソ連に割譲されると。
クラクフに移住致しました。

ヤギェウォ大学に進みます。

この頃から雑誌に詩や短編小説を発表致しました。

1948年にヤギェウォ大学を卒業し。
大学附属の科学研究院に勤めました。

月刊誌「科学生活」の科学顧問として
科学の方法論などに関する論文を発表致しました。

この年、長編小説『失われざる時』を執筆致しました。

これは現代小説で三部作のうち
第二、三部は社会主義リアリズム作品となっています。
出版されたのは「雪解け」後の1955年でした。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムは

1951年
『金星応答なし』で本格的にSF作家としてデビュー致しました。

この時期の作品は社会主義リアリズム影響下にあり、
レム自身その価値を否定しています。

1955年に金十字功労賞受賞。
1957年、クラクフ市文学賞受賞。
1959年、ポーランド復興十字勲章受章。
1965年、ポーランド文化芸術大臣賞第二席。

1959年から64年に書かれた
『エデン』『ソラリスの陽のもとに』『砂漠の惑星』は。
後にファーストコンタクト三部作と呼ばれ。

異星人とのコミュニケーション不可能性が
テーマとなっています。

『ソラリスの陽のもとに』は代表作の一つとされています。
『惑星ソラリス』
(1972年、監督アンドレイ・タルコフスキー)および
『ソラリス』 (2003年、監督スティーブン・ソダーバーグ)
として2度映画化されました。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムは。
1969年、外務省から外国でのポーランド文学普及に対して
表彰状を受けました。
1970年代になると、
研究書『SFと未来学』や、
メタフィクション『完全な真空』『虚数』などを発表致しました。
1976年、文化芸術大臣賞第一席。
1979年、ポーランド復興上級十字勲章受章。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムは。
戒厳令の敷かれた1982年、
西ベルリンの高等科学研究所の研究員として招聘されました。

この同僚であったオーストリア文学研究所所長
ヴォルフガング・クラウスの招待で1983年にウィーンに移り、
1988年帰国致しました。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムは。

2005年、レム著作集(ポーランド語版、34巻)
完結を記念して
クラクフにて出版元「文学出版社(Wydawnictwo Literactkie)」
による「レム会議(Kongres LEMologiczny)」が開催されました。

県立図書館での展示会、ヤギェウォ大学天文台での見学ツアーと講演、
町の中央広場での地球外生命大集合と宇宙ファッション・コンクール、
シンポジウム「私とレム」などが行われました。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムは。
2006年3月27日、ヤギェウォ大学病院にて死去。享年84。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムの受容と評価

社会主義リアリズム時代の著作
『金星応答なし』『マゼラン星雲』は
ソ連で100万部以上出版されました。

その後社会主義国全域で出版されるようになりました。

60年代にはポーランドで最も有名な現代作家となりました。

日本では『金星応答なし』が1961年、
『ソラリスの陽のもとに』が1965年に邦訳、
『砂漠の惑星』が1968年に『世界SF全集』に収録されました。
高い評価を得ました。

1970年に日本で開かれた国際SFシンポジウムにおいて、
日本以外の西側諸国において初めてレムの存在が認知されて、
レム・ブームが起こりました。

1973年にアメリカSF作家協会の名誉会員とされるが。
アメリカSFへの批判が元で76年に資格を剥奪されました。
いわゆるレム事件が起きました
(ただしレム自身は相手にしていませんでした)。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムの
1984年にはレムの代表的論考を集めた
『Microworlds』が英語圏で出版されて評価を得ました。
1987年に出版された『大失敗』は、
95年までに欧州13ヶ国語に翻訳出版されています。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムの作品
作品には、
初期作品も含む現代小説、
『ソラリス』などのシリアスなSF、
泰平ヨン・シリーズや
『宇宙創世期ロボットの旅』などの寓話的SF、
評論やメタフィクションなどがあります。

++++++++++++++++++++++

スタニスワフ・レムの作家活動期
レムの作家活動は、1984年の自伝で述べられる三つの時代[2]と、
それ以降の二つの時代[3]でおおざっぱに分けられます。
1・
初期(1946-58)
当時の社会主義リアリズムが支配的な出版状況下で書かれた、
『失われざる時』などの現代小説、
『金星応答無し』『航星日誌』などのSF小説。
自身は「楽天主義」「二流の作品ばかり」と述べるが、
これらによって国内、東欧における名声を得たのです。

2・
第2期・SF小説の時代(1959-69)
ファーストコンタクト三部作と言われる
『エデン』『ソラリス』『砂漠の惑星』
などのSF小説の傑作を書く。
自身「すでに他の者達に全面的に占拠されている
領土の果てにまで達した」
と述べ、またこれらの作品によって
西欧でも高く評価されるようになりました。

現代SFの最高峰と見なされています。
並行してメタ・ミステリ作品
『捜査』『浴槽で発見された手記』など、
人間の認識の限界に挑む作品や、『技術大全』
などの評論集も書きました。

3・
第3期・超フィクションの時代(1970-80)
架空の本の書評集『完全な真空』、
実在しない未来の本の序文集『虚数』
といったメタフィクションに挑む。

4・
第4期・SF回帰の時代(1981-87)
メタフィクション『挑発』『二十一世紀図書館』、
SF小説として『現場検証』『地球の平和』『大失敗』、
その中間的な『GOLEM XIV』など。
最後の長編小説となった『大失敗』は
「二十世紀SFの巨匠の創作活動の掉尾を飾るにふさわしい集大成」
と評されました。

5・
第5期・小説からの撤退(1988-2006)
評論集、対談、書簡集などを出版。

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スタニスワフ・レム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%A0

スタニスワフ・レム (Stanis?aw Lem, 1921年9月12日 - 2006年3月27日)は、ポーランドの小説家、SF作家、思想家。ポーランドSFの第一人者であるとともに、現代SF史上最高の作家の一人とされる。ユダヤ系である。[1]

日本での翻訳初期にはロシア語版からの重訳での出版が多かったためか、ロシア語読みのスタニスラフ・レムと紹介されることが多かった。

目次
1 経歴
2 受容と評価
3 作品
3.1 作家活動期
3.2 長編
3.3 短編集
3.4 『ロボット』シリーズ (ツィベリアダ)
3.5 『泰平ヨン』シリーズ
3.6 評論集・随想集
4 脚注
5 参考文献
6 関連リンク

経歴
1921年、ポーランドのルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)に生まれる。ギムナジウム時代に知能指数が180であることが分かり、当時の南ポーランドでは最も頭のいい子供だったという。1940年にルヴフ医科大学に入学し生物学を学ぶ傍ら、数学や、思想・哲学・サイバネティクスの研究も行う。ルヴフがナチス・ドイツに占領された期間は自動車工、溶接工として働いた。大学卒業後は大学に研究員として勤務。1946年、ルヴフがソ連に割譲されると、クラクフに移住、ヤギェウォ大学に進む。この頃から雑誌に詩や短編小説を発表する。1948年にヤギェウォ大学を卒業し、大学附属の科学研究院に勤め、月刊誌「科学生活」の科学顧問として科学の方法論などに関する論文を発表する。この年、長編小説『失われざる時』を執筆、これは現代小説で三部作のうち第二、三部は社会主義リアリズム作品となっているが、出版されたのは「雪解け」後の1955年だった。

1951年、『金星応答なし』で本格的にSF作家としてデビュー。この時期の作品は社会主義リアリズム影響下にあり、レム自身その価値を否定している。1955年に金十字功労賞受賞。1957年、クラクフ市文学賞受賞。1959年、ポーランド復興十字勲章受章。1965年、ポーランド文化芸術大臣賞第二席。1959年から64年に書かれた『エデン』『ソラリスの陽のもとに』『砂漠の惑星』は後にファーストコンタクト三部作と呼ばれ、異星人とのコミュニケーション不可能性がテーマとなっている。『ソラリスの陽のもとに』は代表作の一つとされ、『惑星ソラリス』(1972年、監督アンドレイ・タルコフスキー)および『ソラリス』 (2003年、監督スティーブン・ソダーバーグ)として2度映画化された。

1969年、外務省から外国でのポーランド文学普及に対して表彰状を受ける。1970年代になると、研究書『SFと未来学』や、メタフィクション『完全な真空』『虚数』などを発表。1976年、文化芸術大臣賞第一席。1979年、ポーランド復興上級十字勲章受章。

戒厳令の敷かれた1982年、西ベルリンの高等科学研究所の研究員として招聘される。この同僚であったオーストリア文学研究所所長ヴォルフガング・クラウスの招待で1983年にウィーンに移り、1988年帰国。2005年、レム著作集(ポーランド語版、34巻)完結を記念して、クラクフにて出版元「文学出版社(Wydawnictwo Literactkie)」による「レム会議(Kongres LEMologiczny)」が開催され、県立図書館での展示会、ヤギェウォ大学天文台での見学ツアーと講演、町の中央広場での地球外生命大集合と宇宙ファッション・コンクール、シンポジウム「私とレム」などが行われた。2006年3月27日、ヤギェウォ大学病院にて死去。享年84。

受容と評価
社会主義リアリズム時代の著作『金星応答なし』『マゼラン星雲』はソ連で100万部以上出版され、その後社会主義国全域で出版されるようになり、60年代にはポーランドで最も有名な現代作家となった。日本では『金星応答なし』が1961年、『ソラリスの陽のもとに』が1965年に邦訳、『砂漠の惑星』が1968年に『世界SF全集』に収録され、高い評価を得る。1970年に日本で開かれた国際SFシンポジウムにおいて、日本以外の西側諸国において初めてレムの存在が認知されて、レム・ブームが起こる。1973年にアメリカSF作家協会の名誉会員とされるが、アメリカSFへの批判が元で76年に資格を剥奪される、いわゆるレム事件が起きる(ただしレム自身は相手にしていなかった)。1984年にはレムの代表的論考を集めた『Microworlds』が英語圏で出版されて評価を得る。1987年に出版された『大失敗』は、95年までに欧州13ヶ国語に翻訳出版されている。

作品
作品には、初期作品も含む現代小説、『ソラリス』などのシリアスなSF、泰平ヨン・シリーズや『宇宙創世期ロボットの旅』などの寓話的SF、評論やメタフィクションなどがある。

作家活動期
レムの作家活動は、1984年の自伝で述べられる三つの時代[2]と、それ以降の二つの時代[3]でおおざっぱに分けられる。

初期(1946-58)
当時の社会主義リアリズムが支配的な出版状況下で書かれた、『失われざる時』などの現代小説、『金星応答無し』『航星日誌』などのSF小説。自身は「楽天主義」「二流の作品ばかり」と述べるが、これらによって国内、東欧における名声を得た。
第2期・SF小説の時代(1959-69)
ファーストコンタクト三部作と言われる『エデン』『ソラリス』『砂漠の惑星』などのSF小説の傑作を書く。自身「すでに他の者達に全面的に占拠されている領土の果てにまで達した」と述べ、またこれらの作品によって西欧でも高く評価されるようになり、現代SFの最高峰と見なされている。並行してメタ・ミステリ作品『捜査』『浴槽で発見された手記』など、人間の認識の限界に挑む作品や、『技術大全』などの評論集も書いた。
第3期・超フィクションの時代(1970-80)
架空の本の書評集『完全な真空』、実在しない未来の本の序文集『虚数』といったメタフィクションに挑む。
第4期・SF回帰の時代(1981-87)
メタフィクション『挑発』『二十一世紀図書館』、SF小説として『現場検証』『地球の平和』『大失敗』、その中間的な『GOLEM XIV』など。最後の長編小説となった『大失敗』は「二十世紀SFの巨匠の創作活動の掉尾を飾るにふさわしい集大成」と評された[4]。
第5期・小説からの撤退(1988-2006)
評論集、対談、書簡集などを出版。

長編
『宇宙飛行士たち (Astronauci)』 1951年。
邦題『金星応答なし』(1981年、ハヤカワ文庫)ISBN 978-4150104177
『マゼラン星雲 (Ob?ok Magellana)』 1956年 (未訳)
『捜査 (?ledztwo)』 1959年。
邦題『捜査』(1978年、ハヤカワ文庫)ISBN 978-4150103064
『エデン (Eden)』 1959年。
邦題『エデン』 (1980年、早川書房)ISBN 978-4152020215,(1987年、ハヤカワ文庫)ISBN 978-4150107451
『ソラリス (Solaris)』 1961年。
邦題『ソラリスの陽のもとに』(1965年早川書房),『ソラリス』(2003年国書刊行会)ISBN 978-4336045010
『星からの帰還 (Powrot z gwiazd)』 1961年。
邦題『星からの帰還』(1977年、ハヤカワ文庫)ISBN 978-4150102449、(1980年、集英社)ISBN 4-08-773016-6
『発見された手記 (Pami?tnik znaleziony w wannie)』 1961年。
邦題『浴槽で発見された日記』(1980年集英社), 浴槽で発見された手記』(1983年サンリオSF文庫)
『無敵 (Niezwyci??ony)』 1964年。
邦題『砂漠の惑星』世界SF全集23巻収録(1968年),(1977年、ハヤカワ文庫)ISBN 978-4150102739
『汝は声 (G?os Pana)』 1968年。
邦題『天の声』(1982年、サンリオSF文庫)、『天の声・枯草熱』(2005年、国書刊行会)ISBN 978-4336045034
『枯草熱 (Katar)』 1976年。
邦題『枯草熱』(1979年、サンリオSF文庫)ISBN 978-4387795223
『GOLEM XIV (GOLEM XIV)』1981年(日本では『虚数』収録)
『地球の平和』1987年
『大失敗 (Fiasko)』 1987年。
邦題『大失敗』(2007年、国書刊行会)ISBN 978-4336045027

短編集
『宇宙飛行士ピルクス物語 (Opowie?ci o pilocie Pirxie)』 1968年。邦題『宇宙飛行士ピルクス物語』
『完全な真空 (Doskona?a pro?nia)』 1971年。邦題『完全な真空』
『すばらしきレムの世界 1・2 (Opowiadania)』1969年
『虚数 (Wielko?? urojona)』 1973年。邦題『虚数』
『レムの宇宙カタログ (The Best of Stanis?aw Lem)』1981年

『ロボット』シリーズ (ツィベリアダ)
『ロボット物語 (Bajki Robotow)』 1964年。邦題『ロボット物語』
『ツィベリアダ (Cyberiada)』 1965年。邦題『宇宙創世期ロボットの旅』
『完世音菩薩 (Kobyszcz?)』
『トルルの機械』
『みごとな青あざ』
『赤鉄王子と水晶王女の物語 (O Krolewiczu Ferrycym i krolewnie Krystali)』

『泰平ヨン』シリーズ
『恒星日誌 (Dzienniki gwiazdowe)』 1957年(1971年に加筆)。邦題『泰平ヨンの航星日記』・『泰平ヨンの回想記』(のちの2分冊版にもとづき刊行)
『現場検証? (Wizja lokalna)』 1981年。邦題『泰平ヨンの現場検証』
『未来学会議 (Kongres futurologiczny)』 1983年。邦題『泰平ヨンの未来学会議』

評論集・随想集
『対話 (Dialogi)』1957年
『軌道に乗る(Wejscia na orbite)』1962年
『技術大全 (Summa Technologiae)』 1964年 (未訳)
『高い城 (Wysoki Zamek)』 1966年。邦題『高い城・文学エッセイ』
『偶然の哲学 経験論の見地から見た文学 (Filozofia przypadku. Literatura w swietle empirii)』1968年
『SFと未来学(Fantastyka i futurologia)』1970年
『論争と論文(Rozprawy i szkice)』1975年
その他、短編小説、ノンフィクション、評論等多数。

脚注
^ Stanislaw Lem: Chance and Order, autobiographical essay, The New Yorker 59 (30 January 1984) 88-98; Obituary, Jewish Chronicle, 18 May 2006
^ 「偶然と秩序の間で-自伝」(『高い城・文学エッセイ』国書刊行会 2004年)
^ 久山宏一「訳者あとがき」(『大失敗』国書刊行会 2007年)
^ 山岸真(『本の雑誌』本の雑誌社 2006年11月号)

参考文献
「SFの本」第5号(新時代社、1984年7月:特集スタニスワフ・レム サイエンス・フィクションを超えて)
「ユリイカ」1986年1月号(特集 スタニスワフ・レム)
沼野充義「レムは一人でそのすべてである」、石川喬司「ソラリスの海に漂うSF」(「SFマガジン」誌2006年8月号)

関連リンク
Solaris 公式サイト(ポーランド語 / 英語)。レム自身が解説するレムの経歴などもあり。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%A0" より作成
カテゴリ: ポーランドの小説家 | ユダヤ系ポーランド人 | SF作家 | 未来学 | 1921年生 | 2006年没

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9月12日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8812%E6%97%A5

できごと
1571年 - 織田信長が延暦寺を焼き払う。

1880年 - 東京法学社が開校。現在の法政大学。

1910年 - ミュンヘンでマーラーの第8交響曲が作曲者の指揮のもとで初演。

1929年 - 武蔵高等工科学校が開校。現在の武蔵工業大学。

1959年 - 指揮者の小澤征爾がブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。

1973年 - 世界貿易機関(WTO)の前身である
GATT(関税および貿易に関する一般協定)の東京ラウンドが開幕。

1987年 - マイケル・ジャクソンの初来日公演が東京都文京区の後楽園球場からスタート。

1992年 - 毛利衛がスペースシャトルエンデバーに搭乗し、
ケネディ宇宙センターから宇宙に出発する。

2005年 - 香港ディズニーランド開園。

2006年 - 悠仁親王の命名の儀

2007年 - 安倍晋三首相が国会での代表質問を前に辞任を表明。

2007年 - 2007年スマトラ島沖地震。
マグニチュードは、初期値M7.9、改定値M8.2、
再改定値M8.4。2008年最終再改定値M8.5。
死者17名。翌日の明朝にM7.8の余震が発生。

誕生日
1737年 - リチャード・バチェ、第2代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1811年)

1894年 - 徳田球一、政治家、日本共産党書記長(+ 1953年)

1913年 - 豊田英二、トヨタ自動車最高顧問、元社長

1921年 - スタニスワフ・レム、作家(+ 2006年)

1939年 - 西尾徳、声優(+ 2005年)

1944年 - バリー・ホワイト、音楽プロデューサー、歌手(+ 2003年)

1945年 - 藤田弓子、女優

1948年 - 浅尾和信、プロボクサー経験者

1952年 - 堀之紀、声優・俳優

1954年 - 篠塚満由美、タレント
1956年 - レスリー・チャン(張國榮)、俳優(+ 2003年)
1957年 - ハンス・ジマー、作曲家
1957年 - 戸田恵子、声優、女優
1957年 - ホーク・ウォリアー、プロレスラー(+ 2003年)
1957年 - 石川武、俳優
1965年 - 岡本夏生、タレント
1967年 - 田中美奈子、タレント・女優
1968年 - 木田優夫、プロ野球選手
1969年 - 丸山茂樹、プロゴルファー
1970年 - 相馬裕子、シンガーソングライター
1971年 - 佐藤祐造、タレント(インスタントジョンソン)
1972年 - ゆっきー、タレント
1974年 - 森慎二、元プロ野球選手
1974年 - 鈴村健一、声優、ナレーター
1976年 - 浜島直子、ファッションモデル
1976年 - 光永泰一朗、シンガーソングライター
1979年 - 増田裕生、声優
1979年 - 川岸強、プロ野球選手
1979年 - クリス・ベッグ、野球選手
1979年 - 岡安章介、お笑い芸人、ななめ45°
1979年 - 服部整治、俳優
1980年 - 姚明、バスケットボール選手
1980年 - 白坂聡、騎手
1980年 - ガス・G、ギタリスト
1980年 - マシュー・サボイ、フィギュアスケート選手
1981年 - 葉山恵里、タレント
1982年 - 三船美佳、女優
1982年 - マリア・テレサ・ガウ、タレント
1982年 - 中里篤史、プロ野球選手
1983年 - 福田聡志、野球選手
1984年 - 松本まりか、タレント・女優
1984年 - 横川雄介、元プロ野球選手
1988年 - もりこ、オレスカバンド
1989年 - 小手川宏基、サッカー選手

忌日
1264年(文永元年8月21日) -
北条長時、鎌倉幕府第6代執権 (* 1230年)

1373年(応安6年/文中2年8月25日) -
佐々木道誉、武将、婆沙羅大名の代表格(* 1519年)

1690年 - フィリップ・ヴィルヘルム、プファルツ選帝侯(* 1615年)

1823年 - デヴィッド・リカード、経済学者(* 1772年)

1945年 - 杉山元、陸軍大臣(* 1880年)

1982年 - フェデリコ・モレーノ・トローバ、作曲家・指揮者(* 1891年)

1985年 - 源氏鶏太、作家(* 1912年)

1985年 - ジェレミー・ブレット、英国の俳優(* 1933年)

2000年 - 坂井三郎、大日本帝国海軍の戦闘機エースパイロット(* 1916年)

記念日・年中行事
鳥取県民の日(鳥取県)
鳥取県が1998年に制定。
1881年に鳥取県が再び設置され、現在の鳥取県が誕生したことに由来。

宇宙の日(日本)
1992年が国際宇宙年だったことを記念して、
科学技術庁や文部省宇宙科学研究所などからなる
日本国際宇宙年協議会が日本にとってふさわしい宇宙の日を公募し、
毛利衛がスペースシャトルで宇宙へ飛び立った9月12日が選ばれた。

水路記念日(日本)
明治4年7月28日(新暦の1871年9月12日)に
兵部省海軍部水路局が設置されたことに由来し、1947年に海上保安庁が制定。
水路業務について広く理解と協力を求めるために展示会などを開いている。

w:Programmer's day(アメリカ、閏年)
閏年の場合、今日が一年の256日目の日であることから。
(閏年でない場合は9月13日)