東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年9月16日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年9月16日(火曜日)

「夏」はおわわりました。
「9月」もしずかにふかまりつつあります。

早朝には「秋の虫の音」がそぞろ聞こえます。
はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
鳴き声の合唱がきこえます。
毎朝の暗いうちの「音色」は。
毎日違います。

虫たちも
「もっと深い秋」の季節にむけてのころもがえをしている
ことがわかります。

陽ののぼるのは遅くなりました。
そして
夕暮れは明らかにはやくくなりました。

朝の04:30amにはふたたび「真っ暗」
の時期になりました。
あさの05:30amにほんのり暗く明るい東空
です。

これからは太陽は。
「秋」そして「冬」に向かいます。
「秋」「9月も半ば」になりました。

あさは曇っていて。
さらに昼間でもまだまだ「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とても寒いです。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「秋」「9月」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。
夏至もおわり。
真夏もおわり。
ゆたかなみのりの
「秋」の「9月」がはじまり。

このような。
「実りの秋」に向けて
「若実」をまもる
真夏の太陽から「木の実」をまもる
「ソフトフイルター」の役目を.
秋夏の朝の「おぼろくもりそら」が
しているようです。

自然とは。
とてもよくできたものです。
変幻自在でいて規則正しい。
なおかつにして。
自由が自在。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境が。

とてもよくわかります。

街路樹もそうそうたる。
羽振りのよい木々になってきました。
そして紅葉の秋をむかえようとしています。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

とどのつまり
四季のリズムをつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって「からまつ」をうえられても
あいません。

私の「大好き」な北原白秋の「からまつの詩」
の「からまつ」は
街路樹にはそぐいません。

やはり野におけ蓮華草と同じく。
「からまつ」も蓮華草と同じく華やかさとはかなさを
もっています。
秋の「からまつ」です。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
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      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
紅葉の「秋」は間近いです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。
まるで。
大きな里山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえがとてもとても
鮮烈です。
紅葉も「鮮烈」なことと見守ります。

街角の雑草も花はおわり。
夏の草花・
「ひるがお」「つるくさ」が
秋草に変貌して。
ますます姿を大きくしています。
けれども。
「秋風」もあり「遠慮がち」になりました。

雑草も。
秋草へと変貌しつつあります。

朝暗いうちは。
はださむい気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。真夏竹。
とおくからもみえます。

風にふかれる秋竹(あきたけたけ)の
みどりのいらかにかぜはやみ
あきの陽うつすやうつろひの
たけの月日やはやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらき
みどり木秋空
天高くひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり秋

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわちました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

-------------------------------
麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
作曲に関しても非凡であり。
指揮者・ピアニストとしても名音楽家
であり。
作曲でローマ賞の2位を獲得するほどであった。

けれども
妹リリの才能を見て
「よく書けているだけでは傑作とはいえない。」として。
作曲の筆を折り。

その後は生涯を音楽教育に捧げた「稀代の天才音楽教師」。

1887年 - ナディア・ブーランジェ、
音楽教師・指揮者(+ 1979年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ナディア・ブーランジェ(Nadia Boulanger,
1887年9月16日 - 1979年10月22日)は、
フランスの音楽教師、指揮者、作曲家です。

音楽教育の分野で20世紀最大の功績を残しました。

6歳下の妹に作曲家のリリ・ブーランジェがいます。

++++++++++++++++++++++

ナディア・ブーランジェの略歴
パリ生まれ。
ナディアの父エルネストは
1835年にローマ賞を受賞した作曲家でした。

1897年、パリ音楽院に入学。
1904年、パリ音楽院を卒業。
和声科、対位法科、オルガン・フーガ科、ピアノ伴奏科で1等。

1908年、ローマ賞で2位。パリ音楽院の和声科クラスを受け持つ。
1918年、妹リリ・ブーランジェ没。
1921年、フォンテーヌブロー・アメリカ音楽院教授。
エコール・ノルマル音楽院でポール・デュカスの助手となる。

1940年、渡米し、ボストン交響楽団やニューヨーク交響楽団を指揮。

1946年、パリ音楽院ピアノ伴奏科教授。

1950年、フォンテーヌブロー・アメリカ音楽院院長。

++++++++++++++++++++++

ナディア・ブーランジェの「厳格」な教育者
ブーランジェが教えた音楽家は、

アーロン・コープランド、エリオット・カーター、
レナード・バーンスタイン、

フィリップ・グラス、ピエール・アンリ、ディヌ・リパッティ、
イーゴリ・マルケヴィチ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、
アストル・ピアソラ、キース・ジャレット、ダニエル・バレンボイム、
ミシェル・ルグラン、クインシー・ジョーンズなど多数の名音楽家達が
弟子にいます。

ジョージ・ガーシュインも
師事を望んだが果たせなかったということです。

++++++++++++++++++++++

ナディア・ブーランジェの弟子
これらの音楽家たちを見れば明らかですが。

アメリカや南米など
非ヨーロッパの音楽についても、
その魅力を見出してその
才能を開花させていることが特徴的です。

カーターの東海岸アカデミズムへ繋がる
「ピッチクラスセット理論」や
ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』の採譜に。

驚くほどの整合性がとられているのは。
ブーランジェの影響抜きには語れません。

++++++++++++++++++++++

ナディア・ブーランジェの音楽教育の厳格さ

ナディア・ブーランジェの音楽教育については
厳格で知られます。

とはいえその厳格さは。
一方的或は一面的であることではありません。

次のようなブーランジェの言葉に
そのなにほどかが示されています。

「教師とは、生徒の資質いかんによる。
その役割は、世間の評価を期待するほど絶大でも絶対的でもない。」
「私は正しく、あなたは間違っているではなく、
あなたが間違っているように思うけれど、
それは決して私が正しいという意味ではない。」

++++++++++++++++++++++

ブーランジェの音楽的才能
ナディア・ブーランジェは、12歳のときには
バッハの『平均律クラヴィーア曲集』を
すべて暗記していました。

のちに音楽教師となっても
「バッハは人生の良きパートナー」として、
音楽課題にも必ずバッハの曲を取り上げました。

作曲に関しても非凡で、
ローマ賞の2位を獲得するほどであったが、
妹リリの才能を見て
「よく書けているだけでは傑作とはいえない。」として、
作曲の筆を折ったといわれています。

その後は生涯を教育に捧げました。

また、指揮者として。
バッハ、師ガブリエル・フォーレや妹リリを初めとする
同時代の音楽を演奏し、録音も残されています。
ピアニストとして。
アレクサンドル・チェレプニンのピアノ協奏曲第2番の
2台ピアノ版の初演を作曲者と2人で手がけたこともあります。

++++++++++++++++++++++

ナディア・ブーランジェが
音楽的に最も影響を受けたのは、
パリ音楽院で作曲法を師事したフォーレです。
フォーレとは次のような逸話が残っています。

フォーレの晩年、雑談をしていたときに
フォーレが「君が作曲をやめて良かったかどうか疑問だ。」
と述べました。

ブーランジェが
「無意味な音楽を書いてなんになるでしょう。
教師として他人に情け容赦のないことをいうからには、
自分に対してはなおさら厳しくあるべきです。」
と答えたところ。

フォーレはピアノに向かって、
ブーランジェが14歳か15歳のときに書いた
練習課題の一部を弾いてみせました。

そして
「それでもやはり君には
ここには普通でないなにかがあったんだよ。」と
語ったということです。

++++++++++++++++++++++

ナディア・ブーランジェは。
ブーランジェは生涯独身でした。

詩人のポール・ヴァレリーは、ブーランジェを
「音楽の化身」と語っています。

++++++++++++++++++++++
ナディア・ブーランジェの
教え子たち

ピエール・アンリ
アンドレイ・ヴォルコンスキー
ラルフ・カークパトリック
クリフォード・カーゾン
エリオット・カーター
ジョン・エリオット・ガーディナー
ケネス・ギルバート
フィリップ・グラス
アーロン・コープランド
イダ・ゴトコフスキー
マリユス・コンスタン
クラウジオ・サントロ
エリー・シーグマイスター
タデウシュ・シェリゴフスキ
ヘンリク・シェリング
オリヴィエ・シャルリエ
キース・ジャレット
エグベルト・ジスモンチ
クインシー・ジョーンズ
スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ
カジミェシュ・セロツキ
デイヴィッド・ダイアモンド
ゲイル・トヴェイト
ヴァージル・トムソン
ヤン・パスカル・トルトゥリエ
ジネット・ヌヴー
レノックス・バークリー
レナード・バーンスタイン
マリオン・バウアー
ロイ・ハリス
ダニエル・バレンボイム
アストル・ピアソラ
ウォルター・ピストン
アーヴィング・ファイン
アルマンド・ジョゼ・フェルナンデス
カレル・フサ
ラファエル・プヤーナ
ジャン・フランセ
ロバート・ラッセル・ベネット
ガリー・ベルティーニ
ジョーゼフ・ホロヴィッツ
イーゴリ・マルケヴィチ
マルセル・ミュール
ダグラス・ムーア
ディヌ・リパッティ
ミシェル・ルグラン
バーナード・ロジャース
宅孝二
外山道子
大澤壽人
矢代秋雄
丁善徳

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ナディア・ブーランジェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7

ナディア・ブーランジェ(Nadia Boulanger, 1887年9月16日 - 1979年10月22日)は、フランスの音楽教師、指揮者、作曲家。音楽教育の分野で20世紀最大の功績を残した。6歳下の妹に作曲家のリリ・ブーランジェがいる。

目次
1 略歴
2 「厳格」な教育者
3 ブーランジェの音楽的才能
4 教え子たち

略歴
パリ生まれ。ナディアの父エルネストは、1835年にローマ賞を受賞した作曲家であった。

1897年、パリ音楽院に入学。
1904年、パリ音楽院を卒業。和声科、対位法科、オルガン・フーガ科、ピアノ伴奏科で1等。
1908年、ローマ賞で2位。パリ音楽院の和声科クラスを受け持つ。
1918年、妹リリ・ブーランジェ没。
1921年、フォンテーヌブロー・アメリカ音楽院教授。エコール・ノルマル音楽院でポール・デュカスの助手となる。
1940年、渡米し、ボストン交響楽団やニューヨーク交響楽団を指揮。
1946年、パリ音楽院ピアノ伴奏科教授。
1950年、フォンテーヌブロー・アメリカ音楽院院長。

「厳格」な教育者
ブーランジェが教えた音楽家は、アーロン・コープランド、エリオット・カーター、レナード・バーンスタイン、フィリップ・グラス、ピエール・アンリ、ディヌ・リパッティ、イーゴリ・マルケヴィチ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、アストル・ピアソラ、キース・ジャレット、ダニエル・バレンボイム、ミシェル・ルグラン、クインシー・ジョーンズなど多数。ジョージ・ガーシュインも師事を望んだが果たせなかったという。

これらの音楽家たちを見れば明らかであるが、アメリカや南米など非ヨーロッパの音楽についても、その魅力を見出し、才能を開花させていることが特筆される。カーターの東海岸アカデミズムへ繋がるピッチクラスセット理論やジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』の採譜に驚くほどの整合性がとられているのは、ブーランジェの影響抜きには語れない。

音楽教育については厳格で知られる。とはいえ、その厳格さは、一方的、一面的であることを意味しない。次のようなブーランジェの言葉に、そのなにほどかが示されていよう。

「教師とは、生徒の資質いかんによる。その役割は、世間の評価を期待するほど絶大でも絶対的でもない。」
「私は正しく、あなたは間違っているではなく、あなたが間違っているように思うけれど、それは決して私が正しいという意味ではない。」

ブーランジェの音楽的才能
ナディア・ブーランジェは、12歳のときにはバッハの『平均律クラヴィーア曲集』をすべて暗記していた。のちに音楽教師となっても「バッハは人生の良きパートナー」として、音楽課題にも必ずバッハの曲を取り上げたという。

作曲に関しても非凡で、ローマ賞の2位を獲得するほどであったが、妹リリの才能を見て、「よく書けているだけでは傑作とはいえない。」として、作曲の筆を折ったといわれている。その後は生涯を教育に捧げた。また、指揮者として、バッハ、師ガブリエル・フォーレや妹リリを初めとする同時代の音楽を演奏し、録音も残されている。ピアニストとして、アレクサンドル・チェレプニンのピアノ協奏曲第2番の2台ピアノ版の初演を作曲者と2人で手がけたこともある。

音楽的に最も影響を受けたのは、パリ音楽院で作曲法を師事したフォーレである。フォーレとは次のような逸話が残っている。フォーレの晩年、雑談をしていたときにフォーレが「君が作曲をやめて良かったかどうか疑問だ。」と述べた。ブーランジェが「無意味な音楽を書いてなんになるでしょう。教師として他人に情け容赦のないことをいうからには、自分に対してはなおさら厳しくあるべきです。」と答えたところ、フォーレはピアノに向かって、ブーランジェが14歳か15歳のときに書いた練習課題の一部を弾いてみせ、「それでもやはり、ここには普通でないなにかがあったんだよ。」と語ったという。

ブーランジェは生涯独身であった。詩人のポール・ヴァレリーは、ブーランジェを「音楽の化身」と語っている。

教え子たち
ピエール・アンリ
アンドレイ・ヴォルコンスキー
ラルフ・カークパトリック
クリフォード・カーゾン
エリオット・カーター
ジョン・エリオット・ガーディナー
ケネス・ギルバート
フィリップ・グラス
アーロン・コープランド
イダ・ゴトコフスキー
マリユス・コンスタン
クラウジオ・サントロ
エリー・シーグマイスター
タデウシュ・シェリゴフスキ
ヘンリク・シェリング
オリヴィエ・シャルリエ
キース・ジャレット
エグベルト・ジスモンチ
クインシー・ジョーンズ
スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ
カジミェシュ・セロツキ
デイヴィッド・ダイアモンド
ゲイル・トヴェイト
ヴァージル・トムソン
ヤン・パスカル・トルトゥリエ
ジネット・ヌヴー
レノックス・バークリー
レナード・バーンスタイン
マリオン・バウアー
ロイ・ハリス
ダニエル・バレンボイム
アストル・ピアソラ
ウォルター・ピストン
アーヴィング・ファイン
アルマンド・ジョゼ・フェルナンデス
カレル・フサ
ラファエル・プヤーナ
ジャン・フランセ
ロバート・ラッセル・ベネット
ガリー・ベルティーニ
ジョーゼフ・ホロヴィッツ
イーゴリ・マルケヴィチ
マルセル・ミュール
ダグラス・ムーア
ディヌ・リパッティ
ミシェル・ルグラン
バーナード・ロジャース
宅孝二
外山道子
大澤壽人
矢代秋雄
丁善徳
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7" より作成
カテゴリ: フランスの作曲家 | フランスの指揮者 | 近現代の作曲家 | 1887年生 | 1979年没

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9月16日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8816%E6%97%A5

できごと
1620年 - メイフラワー号が北アメリカを目指しイギリスのプリマスを出港。

1890年 - 和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が遭難。
(エルトゥールル号遭難事件)

1898年 - JR片町線の新木津駅〜木津駅が開業し、全通。

1948年 - 配給制だったマッチが自由販売となる。

1948年 - アイオン台風が上陸。関東地方と甲信越地方に大きな被害。

1954年 - 国営競馬を引き継ぎ、日本中央競馬会が発足。

1971年 - 東峰十字路事件

1975年 - パプアニューギニアがオーストラリアから独立。

1985年 - 3月17日から開催されていた国際科学技術博覧会(つくば科学技術博)が閉幕。

2000年 - シドニーオリンピックにて野村忠宏と田村亮子が金メダル。

2003年 - 新幹線100系電車が「ひかり309号」をもって東海道新幹線から引退。

2006年 - 中日ドラゴンズの山本昌広投手(登録名:山本昌
)がナゴヤドームで日本プロ野球史上最年長記録となる41歳1ヶ月(史上73人目)
でのノーヒットノーランを達成。

2007年 - プーケットでワン・トゥー・ゴーOG269便着陸失敗事故。

誕生日
1782年(乾隆47年8月10日)- 道光帝、第8代清皇帝(+ 1850年)

1797年 - アントニオ・パニッツィ、第6代大英博物館館長(+ 1879年)

1858年 - アンドルー・ボナー・ロー、イギリス首相(+ 1923年)

1884年 - 竹久夢二、画家(+ 1934年)

1886年 - ジャン・アルプ、彫刻家・画家・詩人(+ 1966年)

1887年 - ナディア・ブーランジェ、音楽教師・指揮者(+ 1979年)

1887年 - 本郷かまと、元世界最長寿記録者(+ 2003年)

1898年 - H・A・レイ、絵本作家(+ 1977年)

1923年 - 江見俊太郎、俳優(+ 2003年)

1927年 - 緒方貞子、元国連難民高等弁務官

1927年 - 坂本義和、政治学者

1927年 - ピーター・フォーク、俳優

1928年 - 古橋広之進、元水泳選手、元日本オリンピック委員会会長

1941年 - 渡辺秀武、元プロ野球選手(+ 2007年)

1943年 - 野田圭一、声優

1954年 - 安藤まさひろ、ギタリスト、T-SQUAREのリーダー

1956年 - ミッキー・ローク、俳優 ボクサー
1956年 - デビッド・カッパーフィールド、マジシャン
1957年 - 東国原英夫(そのまんま東)、宮崎県知事・元お笑い芸人
1957年 - 秋月りす、漫画家
1958年 - 寺島尚正、文化放送アナウンサー
1958年 - オーレル・ハーシハイザー、元メジャーリーガー
1960年 - メル・ホール、元プロ野球選手
1967年 - 奥浩哉、漫画家
1968年 - 内野聖陽、俳優
1972年 - 宮川大輔、お笑い芸人(元チュパチャップス)
1974年 - 吉高寿男、脚本家
1976年 - 川井貴志、プロ野球選手
1978年 - 杉田篤志、ミュージシャン(INSPi)
1979年 - 奥村愛、ヴァイオリニスト
1979年 - 坪井慶介、プロサッカー選手(浦和レッドダイヤモンズ)
1979年 - 中谷雄太、騎手(JRA)
1980年 - 徳井健太(平成ノブシコブシ)、お笑い芸人
1980年 - 押川カズヒロ、ミュージシャン(せきずい)
1982年 - 斧口智彦、俳優
1983年 - 坊(ぼう)、ギタリスト(元・アンティック -珈琲店-)
1983年 - 高木啓充、プロ野球選手
1983年 - 深沢和帆、プロ野球選手
1988年 - 多岐川華子、タレント
1988年 - 長谷川静香、声優
1993年 - 竹本慎平、ジャニーズJr

忌日
1573年(天正元年8月20日) - 朝倉義景、戦国時代の大名(* 1533年)

1701年 - イングランド王ジェームズ2世(* 1633年)

1736年 - ガブリエル・ファーレンハイト、物理学者(* 1686年)

1824年 - ルイ18世、フランス国王(* 1755年)

1869年 - トーマス・グレアム、スコットランドの化学者(* 1805年)

1896年 - カルロス・ゴメス、作曲家(* 1836年)

1909年 - 箕作佳吉、動物学者(* 1857年)

1923年 - 伊藤野枝、婦人解放運動家、アナキスト、作家、フェミニスト(* 1895年)

1923年 - 大杉栄、アナキスト(* 1885年)

1932年 - ロナルド・ロス、内科医、1902年ノーベル生理学・医学賞(* 1857年)

1946年 - ジェームズ・ジーンズ、物理学者・天文学者・数学者(* 1877年)

1977年 - マリア・カラス、ソプラノ歌手(* 1923年)

1977年 - マーク・ボラン、T.Rexリーダー(* 1947年)

1997年 - 坪内道典、元プロ野球選手(* 1914年)

1999年 - 市川右太衛門、俳優(* 1907年)

2000年 - 田部輝男、元プロ野球選手(* 1916年)

2001年 - 米森麻美、アナウンサー(* 1967年)

2006年 - 上之郷利昭、ノンフィクション作家・評論家(* 1936年)

記念日・年中行事
国際青少年デー

国際オゾン層保護デー

ハイビジョンの日
ハイビジョンの画面の縦横比が
9:16 (16:9)であることから通商産業省(現経済産業省)が制定。
他に11月25日が郵政省(現総務省)とNHKが制定。