東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年9月17日(水曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年9月17日(水曜日)

今朝早朝は
暗いうち晴れて。

久方ぶりに星をみました。
そして西の空高くひさしぶりに「満月」の
かがやきをみました。

こうろぎの合唱もなかなか面白い。
オーケストラを聴いているようです。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「9月」の朝焼けと夕焼けどきに。
ひそやかながらもあきらかに。
「しずかな初秋」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はまだあつい陽射しを感じることも
あります。

五月(さつき)がおわり。
六月がおわりました。
七月もうおわりました。
「8月」もおわりました。
夏はおわりました。

そして「あきの「秋」「9月」です。

そして。
「今年も半分+2ヶ月」おわりました。

8月の真夏の気配が
あっというまに。
秋の「秋霞」に「霊気」のように変化して。
次第に夏の気配が消えていく。

「秋の登場」が威風堂々と。
感じられるような気がします。

そしてさらに。
初秋そしてさらに
「もっと深い秋」のしのびよる気配が
かんじられます。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の
空にはそらいろとピンクのレースのような
あやにしきの「あきいろ」が感じられます。

陽射しの秋空は高くはれ。
秋の大気がひそみ。
そらにみちあふれれば。
吐息(ためいき)となり。
吐息が霧雨か霞になり。
おりてくるような感じです。
「秋」になりました。

「8月おわり」そして「秋」
になりました。

木々のめぶきは
夏の息吹から秋の息吹への
変化(へんげ)を力強く感じます。

早朝は「肌寒い」です。
今年は「寒い」です。

百姓のうまれなので「冷秋」が心配です。

街路樹はしっかりと
枝木の穂先もたわわにつよく
秋の萌黄色から秋の若葉そして
秋のあおい「木」にかわりました。
そしてあきのあおい「木」は。
「実りの秋」のおとづれを。
むかえようとしてています。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
秋にも若葉はそだち。
秋若葉は秋の若枝となり。
秋若枝は天高くすこやかにのび。
秋のふかまりにますますすこやかに。
秋山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
秋空に燃えるが如くの炎葉です。

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

秋来たれり(きたれり)
空たかく秋あやにしき
みどり木さんしょう木
秋陽をあびてかがやけり
いざいまこそは
黄金の実なりて
赤き秋空に燃えたたむ

さんしょう木
もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
わかば葉はいずるは花ならむ
夏(なつ)こす枝は幹ならむ
いざいまこそは
空(そら)たかくもえたたむ
黄金色(こがねいろ)なる
さんしょう木秋(あき)

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

秋ふく草浮く水面(おも)に
めだかのむれはひそみたり
むれておよげるひめだから
みずのなかなるちいさないのち
みずのなかなるおおきないのち
あまたにとほときいのちこそ
いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
まだ早朝は本当にはだ寒いのです。

小さななつみつけたから
しだいに大きな夏みつけた
大きな大きな夏みつけたから
小さい秋みつけた・は。

ちょっと「うれしい気」がします
「秋」です

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
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GWの予定ですが。
平成20年4月29日(火曜日)
は祝日です。(はおわりました)
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平成20年5月 3日(土曜日)
平成20年5月 5日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
(4・29 5・3 5.5)
=>

平成20年5月 6日(火曜日)
は同じく祝日ですが
は「お休み」を頂く予定です。
は終わりました。
5月7日(水曜日)より「定常どおり」
になります。
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7月21日(月曜日)は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
=>
は終わりました。

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「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
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9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は

独学で。
専門教育も受けず。

ロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、
軌道エレベータなどの着想を提示したことで知られ。
現代ロケット工学の基礎的理論を構築致した。
この業績から
「宇宙旅行の父」「宇宙開発の父」「ロケット工学の父」
などと呼ばれる「ロケット工学者」。

1857年 -
コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー、宇宙工学者(+ 1935年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー
(Константин Эдуардович
Циолковский,
Konstantin Eduradovich Tsiolkovskiy
1857年 9月17日 - 1935年9月19日)は、
ソビエト連邦の科学者、ロケット研究者、数学教師です。

++++++++++++++++++++++

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーは
ロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、
軌道エレベータなどの着想で知られます。

現代ロケット工学の基礎的理論を構築致しました。
この業績から
「宇宙旅行の父」「宇宙開発の父」「ロケット工学の父」
などと呼ばれます。

++++++++++++++++++++++

コンスタンチン・E・ツィオルコフスキーの来歴
コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーは。
1857年9月17日モスクワ近郊のイジェーフスコイエ村で生まれました。

1865年9歳で猩紅熱に罹患して聴力のほとんどを失います。

13歳で独学をはじめ
16歳でモスクワに出て図書館の蔵書を濫読致しました。

1879年22歳で教師の免許を取得し
中学校で数学教師となりました。

1891年に流線型の金属飛行機を早くも論文で発案しました。

しかしアカデミーの審査会はこれを却下致しました。

++++++++++++++++++++++

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーは。
教員としての勤務の傍らに。

「月の上で」(1893年)、
「地球と宇宙に関する幻想」(1895年)などのエッセイを
著しました。

1897年、噴射ガスの速度が大きいほど。
またロケットエンジンの点火時と燃焼終了時の
質量比が大きいほど、
大きな速度が得られることを示した
「ツィオルコフスキーの公式」を数式化致しました。
これにより
最初のロケット理論を完成致しました。

++++++++++++++++++++++

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーは。
1903年「反作用利用装置による宇宙探検」の論文発表。

液体水素と液体酸素を燃料とする
流線型のロケットの設計図を発表致しました。

1911年、知人に手紙を出し、
その中に有名な一節
「The Earth is the cradle of the mind,
but we cannot live forever in a cradle」

(地球は人類の揺り籠だが、
我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう)
が含まれていました。

++++++++++++++++++++++

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーは。
帝政ロシアでは不遇でした。

ロシア革命後に初めて評価され、
1919年にソビエト連邦科学アカデミーの正会員に選ばれ、
共産党政府の下でロケット研究に専念致しました。

多段式ロケット(彼は「ロケット列車」と呼んでいた)の
検討を進めました。

1920年代には
多段式ロケットとジェットエンジンの理論を完成させ
世界で初めて宇宙ステーションを考案致しました。

75歳の時に労働赤旗勲章を受章致しました。

++++++++++++++++++++++

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー
は。

1935年9月19日死去。

享年78。
国葬が行われました。
死ぬ直前はブースターの可能性を論じていました。

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コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーと
スプートニク1号。

世界初の人工衛星・スプートニク1号は、
彼の生誕100年を記念して1957年に打ち上げられました。

月の裏側に彼の名を冠した
「ツィオルコフスキー・クレーター」があります。

++++++++++++++++++++++

セルゲイ・コロリョフ -
「私がロケット開発に取り組むようになったのは、
ツィオルコフスキーの研究を知ってからである」と語っており
22歳の時に会ったと言われています。

ロシア宇宙主義
栄光なき天才たち・第八巻(宇宙工学者特集)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC" より作成
カテゴリ: 1857年生 | 1935年没 | ロシアの学者 | ソビエト連邦の人物 | 宇宙工学者 | 障害を持つ人物
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コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー(Константин Эдуардович Циолковский, Konstantin Eduradovich Tsiolkovskiy、1857年 9月17日 - 1935年9月19日)は、ソビエト連邦の科学者、ロケット研究者、数学教師。

ロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、軌道エレベータなどの着想で知られ、現代ロケット工学の基礎的理論を構築した。この業績から「宇宙旅行の父」「宇宙開発の父」「ロケット工学の父」などと呼ばれる。

コンスタンチン・E・ツィオルコフスキーの来歴
1857年9月17日、モスクワ近郊のイジェーフスコイエ村で生まれる。

1865年、9歳で猩紅熱にかかり、聴力のほとんどを失う。

13歳で独学をはじめ、16歳でモスクワに出て図書館の蔵書を濫読する。

1879年、22歳で教師の免許を取得し、中学校で数学を教える。

1891年に流線型の金属飛行機を早くも論文で発案した。しかし、アカデミーの審査会は却下した。

教員としての勤務の傍ら、「月の上で」(1893年)、「地球と宇宙に関する幻想」(1895年)などのエッセイを著す。

1897年、噴射ガスの速度が大きいほど、またロケットエンジンの点火時と燃焼終了時の質量比が大きいほど、大きな速度が得られることを示した「ツィオルコフスキーの公式」を数式化し、最初のロケット理論を完成する。

1903年、「反作用利用装置による宇宙探検」を著し、液体水素と液体酸素を燃料とする流線型のロケットの設計図を発表。

1911年、知人に手紙を出し、その中に有名な一節「The Earth is the cradle of the mind, but we cannot live forever in a cradle」(地球は人類の揺り籠だが、我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう)が含まれていた。

帝政ロシアでは不遇だったが、ロシア革命後に初めて評価され、1919年にソビエト連邦科学アカデミーの正会員に選ばれ、共産党政府の下でロケット研究に専念する。多段式ロケット(彼は「ロケット列車」と呼んでいた)の検討を進める。

1920年代には多段式ロケットとジェットエンジンの理論を完成させ、世界で初めて宇宙ステーションを考案した。

75歳の時に労働赤旗勲章を受章する。

1935年9月19日死去。享年78。国葬が行われた。死ぬ直前はブースターの可能性を論じていた。

関連事項
世界初の人工衛星・スプートニク1号は、彼の生誕100年を記念して1957年に打ち上げられた。
月の裏側に彼の名を冠した「ツィオルコフスキー・クレーター」がある。
セルゲイ・コロリョフ - 「私がロケット開発に取り組むようになったのは、ツィオルコフスキーの研究を知ってからである」と語っており、22歳の時に会ったと言われている。
ロシア宇宙主義
栄光なき天才たち・第八巻(宇宙工学者特集)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC" より作成
カテゴリ: 1857年生 | 1935年没 | ロシアの学者 | ソビエト連邦の人物 | 宇宙工学者 | 障害を持つ人物

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9月17日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8817%E6%97%A5

できごと
1631年 - 三十年戦争: ブライテンフェルトの戦い。

1894年 - 日清戦争: 黄海海戦

1945年 - 枕崎台風上陸。

1952年 - 明神礁出現。

1964年 - 東京モノレール開業。

1968年 - 江夏豊(阪神)が甲子園球場での対巨人戦で
王貞治から日本記録となる354個目の奪三振を記録。

1982年 - 上海の空港で、日本航空のDC-8型機が着陸後にオーバーラン。

1988年 - 第24回夏季オリンピック、ソウルオリンピック大会開催。10月2日まで。

1991年 - 韓国と北朝鮮が国際連合に同時加盟。
エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国も国連に加盟。

1996年 - ロサンゼルス・ドジャースの
野茂英雄が対ロッキーズ戦でノーヒット・ノーランを達成。

2002年 - 日本国の小泉純一郎首相が訪朝。
日朝首脳会談が行われ、朝鮮民主主義人民共和国の
金正日総書記が拉致事件を公式に認める。

2004年 - プロ野球再編問題 (2004年)での労使交渉が決裂。
日本プロ野球選手会がプロ野球史上初のストライキ決行を発表。

2005年 - みんなの滋賀新聞廃刊。

2006年 - スウェーデン議会の総選挙が行なわれ、
フレドリック・ラインフェルト率いる穏健党を中心とする中道右派連合が勝利。

誕生日
1192年(建久3年8月9日) - 源実朝、鎌倉幕府第3代将軍(+ 1219年)

1552年 - パウルス5世、ローマ教皇(+ 1621年)

1826年 - ベルンハルト・リーマン、数学者(+ 1866年)

1857年 - コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー、宇宙工学者(+ 1935年)

1869年(明治2年8月2日)- 江見水蔭、小説家(+ 1934年)

1903年 - 男女ノ川登三、第34代横綱(+ 1971年)

1904年 - フレデリック・アシュトン、バレエダンサー・振付師(+ 1988年)

1907年 - 東野英治郎、俳優(+ 1994年)

1914年 - 金丸信、政治家(+ 1996年)

1925年 - 杉下茂、元プロ野球選手

1929年 - スターリング・モス、F1レーサー

1931年 - 曾野綾子、小説家

1935年 - 杉浦忠、元南海ホークス選手・監督(+ 2001年)

1939年 - 金基洙、ボクサー、韓国初の世界王者(+ 1997年)

1941年 - 橋爪功、俳優

1944年 - ラインホルト・メスナー、登山家

1947年 - 小坂敏彦、元プロ野球選手

1948年 - ちあきなおみ、歌手

1959年 - 大島さと子、女優
1960年 - デイモン・ヒル、1996年F1ワールドチャンピオン
1963年 - 蝶野正洋、プロレスラー
1965年 - ブライアン・シンガー、映画監督
1965年 - 三浦将明、元プロ野球選手
1966年 - フッキー、ものまねタレント(ノブ&フッキー)
1968年 - 翁虹、女優
1969年 - ビスマルク、サッカー選手
1969年 - 三瀬真美子、タレント(シェイプUPガールズ)
1971年 - 田之上慶三郎、プロ野球選手
1972年 - 花島優子、女優、タレント
1972年 - 上杉宏樹、元スキージャンプ選手
1973年 - 蔡少芬、女優、タレント
1974年 - 徳山昌守、プロボクサー
1975年 - いわおかめめ、漫画家、イラストレーター
1976年 - 本多小百合、中京テレビアナウンサー
1976年 - 小島可奈子、グラビアアイドル、女優
1978年 - なかやまきんに君、タレント
1978年 - 紺野沙織、AV女優
1979年 - 青山草太、俳優、タレント
1980年 - 加山由衣、AV女優
1980年 - 坂本昌也、FREENOTEギター
1981年 - 虎、ミュージシャン(アリス九號.)
1982年 - 播磨裕美、タレント
1983年 - 松崎伸吾、プロ野球選手
1984年 - 小島祥子、タレント
1984年 - 嵐優子、タレント
1984年 - もりちえみ、タレント
1984年 - 円谷英俊、プロ野球選手
1985年 - 北山宏光(ジャニーズJr./Kis-My-Ft2)
1985年 - 美咲沙耶、AV女優(+ 2007年)
1985年 - 長谷川未来、タレント
1988年 - ステファン・サンデー、サッカー選手
1988年 - フィッツジェラルド・マイケル・ジェームズ、サッカー選手
1988年 - 加藤雷也、タレント
1988年 - 田中優夏、モデル
1988年 - 黛実希、タレント
1989年 - JUNICHI、画家
1990年 - ケンドラ・モイル、フィギュアスケート選手
1991年 - 石川遼、 ゴルフ選手
1991年 - 田井中蘭、女優
生年不明 - 安孫子真哉、銀杏BOYZ
生年不明 - 葉月ゆら、歌手、ネットアイドル

忌日
1611年 - バルトロメウス・スプランヘル、画家(* 1546年)

1786年(天明6年8月25日)- 徳川家治、江戸幕府第10代征夷大将軍(* 1737年)

1924年 - ジョン・マーチン・シェバーリ、天文学者(* 1853年)

1928年 - 若山牧水、歌人(* 1885年)

1936年 - アンリ・ルシャトリエ、化学者(* 1850年)

1949年 - 岡田資、大日本帝国陸軍陸軍中将、
第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官親補(* 1890年)

1963年 - エドゥアルト・シュプランガー、哲学者・心理学者・教育学者(* 1882年)

1979年 - 吉田満、小説家(* 1923年)

1994年 - カール・ポパー、哲学者(* 1902年)

1994年 - 中川勝彦、歌手・俳優・タレント中川翔子の父(* 1962年)

1997年 - 会田雄次、歴史学者(*1916年)

2005年 - アルフレッド・リード、作曲家・指揮者(*1921年)

2006年 - 曽我部和恭、声優(* 1948年)

2007年 - 犬塚稔、脚本家・映画監督(* 1901年)

記念日・年中行事
モノレール開業記念日(日本)
1964年9月17日に東京浜松町〜羽田空港間に
日本初の旅客用モノレールである東京モノレール羽田線が開通したことを記念して、
これを運営する東京モノレール株式会社が制定。