東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年9月20日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年9月20日(土曜日)

「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」はおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「20日」たちました。

初秋です。
初秋から深まりいく「秋」。
これから深まりいく秋の。
日々の足音が。
街中に聞こえるような。
初秋です。

早いです。
速いものです。
速いのか早いのか。
はやいのか。

こうろぎののなきごえが早朝
きこえました。

今日の朝暗いうちは。
初秋の暗闇で。

「早朝にこおろぎの合唱」が聞こえました。

不思議な「秋の虫」の鳴き声が。
いろいろときこえます。

秋の虫は早朝になくものである
ことがわかります。
そして当然のように。
昼には鳴きません。
午後4:00ころからまたなきはじめます。

秋の虫たちの声と。
「秋かぜ」のこえに。
「秋の足音」がきこえます。

ときには「こうろぎ達」が
話をしているかのごとくに
「みえます」から。
絵に描ければ。
面白いような気が致します。

木々の若葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
秋におちついて。
考えるが「ロダンの彫塑」の色合いです。

深緑(ふかみどり)になりました。
そして「秋」をむかえて。
「秋緑」のいろあいに
うつろいできました。

秋の夜明(よあけ)の空から。
秋の陽がのぼり。
秋の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く秋雲です。

あさの05:30AMころに。

東の空
ほのかにあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかな質量ある。
「秋の気配」を感じます。

野路はた見たり
若しだのビロード
わらびのごとく輝けり
山奥にひそむしのぶの羊歯(しだ)
めずらしき羊歯
緑のほのほ
山奥のしだの街にもいきる
たくましくもけなげなり
生い立ちをしらず
そのちからこそとほとし

いざいまこそは
よき季節にあらむ
ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は短くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
夏の木から「秋の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「秋」の気配がうつろいて。
うつります。

街並(まちなみ)蒼く(あおく)
いろどりて
木々の榛葉のかがやけり
せみなく夏をうつろひて
ふかまるみどりの秋木なり
みのりの秋こそありがたし
秋虫なきてささやけり
木々は榛葉にかがやけり

道端の夏の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は
今現在問題になっている
「食の安全」を世界で最初に
具体的に問題化した小説家。

「食品検査法」の思想の生みの親
であり。

1906年に出版した小説
『ジャングル』The Jungle によって、
アメリカ精肉産業での実態を告発し食肉検査法の可決に
至らしめた「正義の小説家」。

1878年 - アプトン・シンクレア、小説家(+ 1968年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

アプトン・シンクレア
(Upton Sinclair, 1878年9月20日 -
1968年11月25日)は、アメリカ合衆国の小説家です。

多くのジャンルでの題材を
社会主義者の視点から著作を行い。
相当の人気を得ました。

1906年に出版した
『ジャングル』The Jungle によって。
アメリカ精肉産業での実態を告発致しました。

これに触発されて。
「合衆国USA」議会で「食肉検査法の可決」に
至らしめに至りました。

++++++++++++++++++++++

アプトン・シンクレアの家族

アプトン・シンクレアの両親は南部上流階級の
出身です。

父方の家族はアメリカ独立戦争から至る
海軍軍人としての伝統を持っていました。

曾祖父はアーサー・シンクレア准将(1831年没)で、
米英戦争で功績を挙げました。

祖父のアーサー・シンクレア大佐は
初めアメリカ海軍に勤務し、
南部連盟軍に入隊するためアメリカ海軍を退役致しました。

++++++++++++++++++++++

アプトン・シンクレアの幼年期と教育

一家は南北戦争後経済的に困窮致しました。
したがって、アプトン・シンクレアは
富と貧困が入り交じった
異常な躾けを持っていました。

父親はアルコール依存症で肉親は貧しかったのです。
けれども
彼はしばしばニューヨークの裕福な母の親類の家に滞在
致しました。
アメリカ社会の両極端を経験して育った
稀有な幼年期体験を
もっています。

++++++++++++++++++++++

アプトン・シンクレアは。
ニューヨーク市立大学シティカレッジに通うために。
ジョークとフィクションを雑誌や新聞に書き始め、
三文小説をストリート&スミス社に執筆致しました。

シティカレッジを卒業後彼はコロンビア大学の大学院に通いました。

++++++++++++++++++++++

アプトン・シンクレアの政治的・社会主義活動

『ジャングル』の執筆後。

シンクレアはヘリコーン・ホーム・コロニー
(ニュージャージー州に設立されたユートピア共同体)
へ同書の売り上げおよそ
30,000ドルを投資致します。

けれども不運にもそれは4か月後に火災で全焼してしまいました。

++++++++++++++++++++++

アプトン・シンクレアは。
彼はカリフォルニア州知事選へ二度出馬致します。

最初はアメリカ社会党の候補として出馬したが
投票はほとんど得られませんでした。
二度目は1934年に民主党候補として出馬しました。

++++++++++++++++++++++

アプトン・シンクレア(Upton Sinclair,
1878年9月20日 - 1968年11月25日)が。
多くのジャンルでの題材を社会主義者の視点から著し、
相当の人気を得ていたアメリカ合衆国の小説家として。

1906年に出版した『ジャングル』The Jungle
によって、アメリカ精肉産業での実態を告発し
食肉検査法の可決に至った
という。
元祖「食の安全」の発起人です。

「食の安全」の
テーマで「アメリカ精肉産業での実態を告発」
してから
「数十年」たちました。

今現在なお「人間」は。
「食の安全」の「困難」で悩み苦しんでいます。

++++++++++++++++++++++

各国における輸入国別の食品違反件数
各国における輸入国別の食品違反件数(2006年) 順位
米国 EU 日本

1位 中国 1,877件 中国 263件 中国 530件
2位 インド 1,762件 トルコ 254件 米国 239件
3位 メキシコ 1,600件 イラン 244件 ベトナム 147件
全件数 14,918件 2,874件 2,874件

出典:2007年9月4日号 週刊エコノミスト

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アプトン・シンクレア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A2

アプトン・シンクレア(Upton Sinclair, 1878年9月20日 - 1968年11月25日)は、アメリカ合衆国の小説家。多くのジャンルでの題材を社会主義者の視点から著し、相当の人気を得た。1906年に出版した『ジャングル』The Jungle によって、アメリカ精肉産業での実態を告発し、食肉検査法の可決に至った。

目次
1 家族
2 幼年期と教育
3 政治的・社会主義活動
4 主な著書
5 外部リンク

家族
彼の両親は南部上流階級の出で、父方の家族はアメリカ独立戦争から至る海軍軍人としての伝統を持っていた。曾祖父はアーサー・シンクレア准将(1831年没)で、米英戦争で功績を挙げた。祖父のアーサー・シンクレア大佐は初めアメリカ海軍に勤務し、南部連盟軍に入隊するためアメリカ海軍を退役した。

幼年期と教育
一家は南北戦争後経済的に困窮した。したがって、アプトン・シンクレアは富と貧困が入り交じった異常な躾けを持っていた。父親はアルコール依存症で肉親は貧しかったが、彼はしばしばニューヨークの裕福な母の親類の家に滞在し、アメリカ社会の両極端を経験した。

ニューヨーク市立大学シティカレッジに通うために彼はジョークとフィクションを雑誌や新聞に書き始め、三文小説をストリート&スミス社に執筆した。シティカレッジを卒業後彼はコロンビア大学の大学院に通った。

政治的・社会主義活動
『ジャングル』の執筆後、シンクレアはヘリコーン・ホーム・コロニー(ニュージャージー州に設立されたユートピア共同体)へ同書の売り上げおよそ30,000ドルを投資したが、不運にもそれは4か月後に火災で全焼した。

彼はカリフォルニア州知事選へ二度出馬した。最初はアメリカ社会党の候補として出馬したが投票はほとんど得られなかった。二度目は1934年に民主党候補として出馬した。

主な著書
『春と収穫』 - Springtime and Harvest (1901)
『ジャングル』 - The Jungle (1906)
『石油!』 - Oil!(1927)

外部リンク
プロジェクト・グーテンベルク
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A2" より作成
カテゴリ: アメリカ合衆国の小説家 | アメリカ合衆国の社会主義 | 1878年生 | 1968年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
食の安全
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E3%81%AE%E5%AE%89%E5%85%A8

食の安全という言葉は以下のような意味で用いられている。

食品の安全性のこと[1]。
食事文化や食べ物の食し方も含めた安全性のこと[2]。
食の安全性[3]、食の安全問題[4]、食の安全確保[5]といった表現、あるいは食の安全と安心、食品の安全・安心といった表現も用いられている。[6]

目次
1 概論
2 食品の安全
2.1 食品事故の恐ろしさ
3 食の安全にかかわる食環境
4 安全と安心の関係
5 歴史
6 米国
6.1 米国の輸出入食品に対する対応等
7 EU
7.1 EUの輸出入食品に対する対応等
8 中国
8.1 概要
8.2 原因
8.2.1 環境問題
8.2.2 消費者、企業問題
8.2.3 政府
8.3 中国政府の輸出入食品に対する対応等
9 日本
9.1 歴史
9.2 行政の対応
9.3 飲食店の対応
9.4 報道機関の対応
9.5 日本国内産食品
9.6 日本国外産食品
9.7 原因
9.7.1 企業側
9.7.2 消費者側
9.7.2.1 家庭、親
10 疑義を呈されるもの
11 各国における輸入国別の食品違反件数
12 参考書籍
13 関連項目
14 脚注
15 関連書

概論
人は健康に生きるために、呼吸し、食べて、生活を営む[7]。食をめぐる問題は、生存にとってもっとも基本的な問題[8]であり、「食は命である[9]」とも表現される。安全でない食料が流通する社会は人間存在を根底から危うくする[10]。1年365日、毎日とる食事に、安全なものを望むのは当然である[11]。

ところが、食の安全に関係する大事件は、過去から現在まで洋の東西を問わず頻繁に発生しており[12]、後を絶たない。

食の安全を考える上で欠かすことができないのは、食品公害を振り返り、その被害と犠牲に思いを馳せ学ぶことである[13]、ともされる。

食の安全に関しては、生産・流通・消費のどの一つがつまづいても深刻な事態となりうる[14]のであり、生産者、流通業者、生活者のすべてを巻き込んだ問題となっている[15]。

現代では食生活の環境や文化が、かつての様式から変化し、生鮮野菜・肉・魚を買ってきて調理するだけでなく、加工食品が一般家庭に普及し、また惣菜や調理済みの食材も利用されており、食品が人の口に入る経路・経緯が多様化しているので、食品の安全性を確保することは以前に比べると複雑で難しい問題となってきている[16]。

食の安全の確保のために必要な仕組み・取り組み方としては、事故後の後処理を行うだけではなく、有毒物質の評価・管理等といった、食の安全に影響を与える要因について事前にリスク管理を行うことが重要だということが、国際的な共通認識となっている[17]、ともされる。

食品の安全
食品に危険なものが入っていれば健康に重大な危害が出る[18]。我々は毎日食べる食事(食品)に関心を持ち、十分に注意をはらわなければならない[19]。

食品によって起こる危害を以下のように区分することが可能である[20]。

急性的危害:薬物や化学物質による急性食中毒などの健康被害
短期的危害:微生物や細菌が増えることによる食中毒などの健康被害
中期的危害:生活習慣病などの栄養素の偏りによる健康被害
長期的危害:環境ホルモンなどの影響による健康被害

食品事故の恐ろしさ
食品は口から入り、食道・胃・十二指腸を通り小腸・大腸で消化吸収されるので、毒物や微生物など危険なものが入っていると、人体にその影響は直接に出てくる[21]。 急性のものであれば、一部は、口に入れた時に即時吐き出したり、嘔吐や下痢となって吐き出されることもある。細菌性の食中毒では潜伏期間があり、数時間から数日後に発症する。だが、慢性のものでは徐々に身体に影響(健康被害)が出てくることがある。 また、食品事故で命を落とすこともある[22]。

食品事故のタイプとしては以下のような分類がされることがある[23]。

公害に含まれる化学物質による食中毒事故 (日本では水俣病や第二水俣病などがこれに当たる[24])
食品メーカーの製造工程上で混入した化学物質による食中毒事故 (日本では森永ヒ素ミルク事件やカネミ油症事件がこれに該当[25])
最近の細菌性食中毒菌による食中毒事故 (日本では1996年に岡山や堺で起きたO157事件や雪印乳業の集団食中毒事件が該当[26])
故意などの犯罪的要素の食中毒事故 (和歌山毒物カレー事件などが該当)
食中毒の原因・要因は以下の3種類に分けられることがある[27]。

細菌やウィルスなどの、いわゆる「ばい菌」(微生物)によるもの
化学物質によるもの(薬品など)
自然の毒によるもの(毒きのこ や ふぐ毒など)

食の安全にかかわる食環境
健康的で安全な食生活を送るためには、健全な食をめぐる環境(食環境)が欠かせない[28]。食の安全にかかわる環境は自然環境だけではない。作物や家畜や魚が栽培・採取・飼育・捕獲され、加工・運搬・調理されて、食卓に上がるまでのプロセスが食環境と定義されるべきである[29]。また、行政組織や規格や国際関係なども食環境とされている[30]。

情報も食の安全を実現するために欠かせない要因である。消費者が食材を手にしつつ直接確認できる唯一の情報は食品の表示である[31]。また、食教育がなければ、消費者の食の安全に対する関心が薄れ、適切な情報も耳に入らない[32]。

食環境の重要な要因に倫理がある。例えば、食品企業が食品を製造するにあたって法令を遵守しようとしているのか、社会的使命をどう考えているのか、ということは食の安全と直結する[33]。

食生活のライフスタイルの変化も食の安全に影響を与えている[34]。

科学技術の「発展」も食環境に変化・影響をもたらしている。より安価な食料供給を可能にしている一方で、遺伝子組み換え食品などの新奇な食品を作り出したり、重金属、PCB、ダイオキシン、環境ホルモンなどの環境汚染を作り出し、食品汚染をもたらしている[35]。

食の安全を左右する食環境(出典:『食環境科学入門』p.1) 食環境の要因 内容
自然環境 土壌、水、大気、環境汚染物質、微生物
食料供給システム 栽培、飼育、製造・加工、流通、供給
政策、行政、法体系 法律、規格・基準、監視、検査、リスク評価
情報 リスクコミュニケーション、情報公開、表示、食教育
食文化、食のライフスタイル 食べ物の選択、食べ方
国際関係 輸出・輸入、WTO協定[36]、多国籍企業
倫理 環境、企業[37]、生命倫理

安全と安心の関係
食の「安全」という表現とともに、食の「安心」という言葉も用いられている。「安全」と「安心」の違いが学術的に明確に定義されているわけではないが、およそ以下のように言える、ともされる[38]。

安全:具体的な危険が物理的に排除されている状態

安心:心配・不安がない主体的・主観的な心の状態

このように定義されると、自然科学系の人間などは、つい「安心」を軽視してしまう傾向があるが、そのような態度・判断は間違っている[39]。「安心」は重要な問題なのである。

安心の問題が重要視されるのは、個々の人々は社会サービスに依存して暮らさざるをえない状態にあり、状態を自分でコントロールすることができず、全体状況を知ることも困難なためである。一連の不祥事によって、不安が発生している。[40] 人々の安心を得るためには、システムが安全でなければならないことは言うまでもないが、それだけでは十分ではなく、関係者からシステムが安全である、との信頼が得られていなければならない。「安心」とは安全についての信頼感である。

安全と安心の関係については、ISOにおける定義・考え方が参考になる。 ISO8402(1984)においては「品質保証」の定義は以下のように与えられた。

 品質保証とは、品質が確保されているという信頼感を購入者に与えるための計画的・体系的な活動である。

品質保証とは、evidenceにもとづいて品質が規格に適合していることを示して、購入者の信頼を獲得するための活動である[41]。

ISO9000では、「安心」とは、安全の保証である。「安全保証」とは、関係者にそれが安全であることについて十分な信頼感を与えるための計画的・体系的な活動、と言える[42]。

歴史
食の安全に関する古い記述としては古代ローマ時代のものがある。それによると、古代ローマにおいて、「ワインの味がおかしい」と苦情を述べる市民たちの人数が増えた時に、調査官にその問題を調べさせた。するとワイン製造者らがワインを(正規の原料だけでなく)アロエや他の薬を使って人工的に熟成させていたことが明るみに出た。また、(古代)ローマのパン屋が、パンに「白い土」と当時呼ばれた炭酸塩や酸化マグネシウムを混ぜたことが発覚し告発された、という記録も残っている[43]。

イギリスにおいては中世の時代まで、社会が農業を中心として成り立っており、人々のほとんどが小さな村で暮らしていたので互いに知り合いであり、食物に混ぜ物をされる危険はほとんどなく、食品は、まずまず健康的で安全だった。ところが産業革命が始まって、人々が農村から街に移り住むようになるとともに、インチキな食品が横行するようになった。ひとたび大きな街ができると、金儲けの為なら道徳や倫理のことを何とも思わないような食品製造業者や商人が集まってきたのである[44]。

1819年には100人以上の醸造業者やその関係者が、黒ビールの材料として、正規の麦芽やホップでなく、様々な代用物を混入した罪で有罪の判決を受けた。[45]

1820年にはイギリスのフレデリック・アークムが、インチキ食品および料理に入れる毒についての科学的な論文を発表した。タイトルは『鍋の中に死がある』である。当時のイギリスとしては基本的な食べ物であるパン、ビール、紅茶、ワイン、さとう菓子、香辛料の多くに混ぜ物が入れ込んであることを、アークムは科学的に証明してみせた。この論文で最多とされているのはパンへの不正な混ぜ物であり、ロンドンのパン屋はパンにみょうばんを混ぜるという不正を行っていた。そうすれば安い材料でも白くて高級そうに見えるのである。だが、このみょうばんは(毒とまでは言えないにしても)消化不良などを伴った。[46][47]

食品への不正な物質の混入はありとあらゆる種類の食品で行われていた。例えば砂糖には、銅や炭酸鉛を混ぜるなどということも行われていた。こうした不正があまりに広範囲に行われたので、都市部の住民は健康や生命に深刻な打撃を受けていた。子供たちは混ぜ物を入れたパンや、水で薄めたミルクを口にしていたので、感染症や胃の病気にかかりやすくなってしまった。幼児(子供よりも抵抗力の弱い存在)にいたっては、死亡率は驚くほど高かった。唐辛子などに不正に鉛が混ぜられたために、大人ですら体が麻痺した。影響は短期間では済まず身体に蓄積した。鉛、銅、水銀、ヒ素などの元素が、微量ずつではあっても長期間にわたって人々の体内に蓄積してゆき、多くの人が慢性胃炎になり(慢性胃炎は当時のイギリスの都市住民に蔓延した病気となっていた)、また死にかけたり、実際に死んだりした。[48]

1850年ころ、イギリスの医師で、医学専門誌の編集者でもあり、検視官でもあるトーマス・ワクリーは、その仕事柄、数多くの人々が粗悪食品製造業者のせいで死んだり苦しんだりするのを目の当たりにしていた。ワクリーはこの問題に関して徹底的な調査を行うことを要求した。すると、アーサー・ハスル博士(ロンドンのロイヤル・フリー・ホスピタルの内科医兼講師)がその調査を担当することになった。この調査のために2400件の試験が行われた。これほどまで多品種の食品について、かつ厳密なやり方で系統だった試験が行われたのはおそらく世界で初である。その試験の結果明らかになったのは、当時のイギリスでは「基本食品をまともな状態で買うことは、ほぼ不可能」という結論だった。そして、その調査によって明らかになった粗悪品の製造や取引にかかわった悪人たちの名前は社会に公表されることになった。[49]

こうなってくると次第にイギリス議会もこの問題(食の安全問題)に注目しはじめ、議会内に複数の委員会が発足した。1855〜56年ごろに、医師、化学者、製造業者、商人などが、(議会で)議員らの前で証言を行った。もっとも、当時のイギリスの政治も(他国、他の時代同様に)腐敗しており、議員らは後援者から献金を受け取ると、後援者にとって都合の悪い法案はことごとく廃案にしつづけていたものだった。だが、この食品関連の問題に関しては(幸いにして)そうはならずに済み、1860年に「食物及び薬剤粗悪化防止法」が成立した。それ以後、性悪の製造業者や商人から大衆(消費者)を守る法律がいくつも制定されてゆくことになった。大衆が初めて「鍋の中の死」から法律によって守られるようになったのである。そしてその後、今にいたるまで悪徳業者との闘いは続いている。[50]

米国
食品の工業製品化により、加工業者の安全意識の欠如といった問題が発生している[51]。

他には、病原細菌汚染の摘発が多く、次いで重金属汚染が多い。これは、家畜等の屎尿の未処理や工業による土壌汚染によるもので、環境汚染と食の安全は密接に繋がっていることを示している[51]。

米国の輸出入食品に対する対応等
2007年には中国から輸入する食品の安全性が新聞で取り上げられたが、そもそも輸入食品が増加する中で、検査機関の人数が少なく、体制の不備が指摘されている。食品医薬品局(FDA)の検査員は、全米で700人しかおらず、以前と比べて人数が減少している。輸入食品全体に対する検査数の割合は、10年前の8.0%→0.6%まで低下している[51]。

輸出食品については、残留農薬の問題が指摘されている(ポストハーベスト農薬も参照)。

EU
2000年代に入り、EUは生産現場から食卓に到るまで、一貫した食品安全システムの構築を目指している。生産・流通業者に対しては安全性に関する規制を設け、規制を守ることを義務づけるとともに、EUも監視する体制を取っている[51]。

域内の安全性については、病原細菌汚染の摘発が多く、次いで重金属汚染が多い。米国同様、環境汚染による影響である[51]。

EUの輸出入食品に対する対応等
EU領域外から輸入される食品に対しても、EU内と同様の体制を求めているが、EU勧告を満たしている国は無い[51]。

中国
安全性については、「すでに対処のしようがない状態」[52]との指摘がある。

中国国内で生産される食品の大部分は、国内で消費されているが、一部は輸出されている。輸出食品については、2007年に日本、アメリカ、欧州やアジアで問題視され、ニュースとなった。

毎年の食中毒患者数は20〜40万人、そのうち、3分の1はガンになっているという指摘もある[52]。

事例等詳細は、中国産食品の安全性も参照のこと。

また、遺伝子組み換え作物については、中国政府は積極的な推進を行っている。

概要
食品は生産段階において、農薬及び重金属による汚染[53]や、危険な薬品(発癌性の高いもの、後遺症が出るものなど)による食品添加物[52]といった問題が指摘されている。

こういった状況に、中国人でさえ多数の者が食の安全に対し不安を抱え、安全問題の危機にさらされた経験があるという[52][53]

原因

環境問題
農薬や重金属による汚染については、中国の環境汚染がひどいため、その影響を受けているという[51]。

消費者、企業問題
危険な薬品の使用については、

消費者が見た目が良いものを求めるため、それに対応するために薬品を使用する
業者が自分の利益のため、成長促進等を目的として使用する
といったことが挙げられる[52]。

また、利益のために危険性の高い薬品等を使用している企業は、利益を守るために手を組み、マフィア的な存在になっているという。マフィア的な存在となったこれら企業は、お金によって地方自治体を買収し、実態の隠蔽を行っている[52]。

政府
縦割りによる管理体制が、食の安全問題への取り組みを阻害しているという[52]。

食品に関するそれぞれの部署(例えば、豚肉の生産・流通・販売には、8つの部門が係わっている)は、利権を奪い合う一方で、問題が発生したときにはそれぞれが責任を押しつけあうため、責任の所在が曖昧になってしまう。さらにそれぞれの部門における安全意識が低く、許認可等によりどれだけ利益を得られるかしか考えていない。問題が起これば逆に問題解決のための特別費用を請求できるため、問題が起こることを待ち望む傾向すらあるという[52]。

中国政府の輸出入食品に対する対応等
中国食品は世界中に輸出されているため、中国食品の深刻な汚染は、世界中に悪影響を及ぼすという[52]。

2007年に米国や欧州、日本などで中国産の食品に対する懸念が高まった際には、政府は強い危機感を持ち[54]、検査合格率の高さや安全性を強調し、ブラックリストの公表などを行っている。

日本

歴史
1945年頃、富山県神通川流域で、イタイイタイ病が発生した。神通川上流にある三井金属神岡工業所が川に流した金属廃液にカドミウムが含まれており、下流域の田畑を汚染、そこで収穫された作物や飲み水を利用した人々の骨がゆがんだり、ひびが入ったりした。(神通川流域では1998年にもカドミウム腎症が多発した、という)[55]

1955年6月(昭和30年)森永ヒ素ミルク事件が発生。森永乳業で製造された粉ミルクに多量のヒ素が含まれていた。死者131名。患者数12,159名(昭和31年2月時点)[56]。

1956年5月(昭和31年)熊本県で水俣病が発生。チッソ水俣工場の排水により汚染された水俣湾の魚介類を食べた住民に食中毒被害が生じた。死者157名、患者968名(昭和51年4月時点)[57]。

1965年6月(昭和40年)、新潟県で第二水俣病(新潟水俣病)が発生。昭和電工鹿瀬工場の排水に、アセトアルデヒド合成を行う際の有機水銀が含まれており、それによって汚染された川魚を食べた人々に被害が生じた。死者33名、患者数625名(昭和51年3月時点)[58]。

1968年3月(昭和43年)カネミ油症事件が発生。死者28名、患者数1,283名[59]。

1990年、埼玉県浦和市の幼稚園でO157食中毒事件が発生。死者2名、患者268名[60]。

1996年5月(平成8年)、岡山県岡山県邑久郡邑久町の学校給食でO157食中毒事件が発生。死者2名、患者数468名[61]。

1996年7月、大阪府堺市の学校給食でO157食中毒事件が発生。死者2名、患者数6,309名[62]。

1998年7月(平成10年)和歌山県のある地区での夏祭りに出されたカレーに毒物が混入され死者が出る事件(和歌山毒物カレー事件)が発生。死者4名、患者67名[63]。

2000年7月、雪印乳業の大阪工場で生産された低脂肪乳によって食中毒(雪印集団食中毒事件)が発生。死者1名、患者数14,849名[64]。

2000年7月、「農林物質の規格化及び品質表示の適正化に関する法律の一部を改正する法律」(通称、改正JAS法)が成立(2001年4月1日施行)。内容としては食品の表示について次の改良点を含んでいた。(1)全ての飲食良品に品質表示を義務化。全ての生鮮食品に原産地表示を義務化[65]。(2)有機食品の第三者認証制度の導入。(第三者が認証したものしか「有機」と表示してはならないことになった。) (3)遺伝子組み換え食品の表示の義務化。[66]

2001年4月1日、上記の「改正JAS法」施行。

2001年(平成14年)9月、日本でもBSE(牛海綿状脳症)が確認された。10月、肉骨粉の製造・出荷・輸入が停止され、在庫分は焼却処分する方針が日本政府によって打ち出された。政府はまた屠殺牛の全頭検査の対策をとった。

2002年、日本政府の牛海綿状脳症対策の「国産牛肉買い上げ制度」を悪用し、輸入肉を国産と偽装し助成金を詐取する詐欺事件が相次いで発覚した(牛肉偽装事件)。1月、雪印食品関西ミートセンターで偽装牛肉事件が発覚、その後の調査で関東ミートセンターや雪印食品本社のミート営業調達部でも同様の偽装が見つかった。詐欺容疑で一斉捜索を受け、その後は雪印食品は解散に追い込まれることになった(偽装と判明した量は約30トン)。6月、福岡市に本社を置く食肉加工会社が、輸入スジ肉を国産肉に偽装し、制度を悪用して不正な利益を得ようとしていたことが発覚した(偽装と判明した量は120トン余り)。8月、日本ハム(株)の牛肉偽装が内部告発によって発覚した。同社は、売上高が75%減少した。[67]

同2002年、BSE問題に関する調査検討委員会が報告書を提出[68]。

2003年5月、食品安全基本法が制定された。

2003年7月1日、内閣直属の食品安全委員会が発足。

行政の対応
「BSE問題に関する調査検討委員会報告」(2002)においては以下が「行政対応の問題点」として指摘された[69]。

危機意識の欠如と危機管理体制の欠落
生産者優先・消費者保護軽視の行政
政策決定過程の不透明な行政機構
農林水産省と厚生労働省の連携不足
専門家の意見を適切に反映しない行政
情報公開の不徹底と消費者の理解不足
現在の所管省庁は、農林水産省と、厚生労働省。また、全体のリスク管理を行う組織として、食品安全委員会(内閣府に設置)が置かれている[70]。

施策としては、農薬対策として残留農薬等に関するポジティブリスト制度、消費者の食品への信頼を増すための対策としてトレーサビリティの導入や、原料原産地表示の推進などを行っている[17]。しかし、この原産地表示が「日本」とされていても実際は「中国産」等の産地偽装や、原産地表示を拒む企業の問題もある。

2008年8月10日農林水産省の太田誠一大臣は、「日本国内は心配ないと思っているが、消費者がやかましいから、さらに徹底していく。」と消費者を軽視するような問題発言[71]を行った。

飲食店の対応
飲食店など外食産業では、多くの店でコスト削減のために安い輸入食材が使われている。その中で、比較的安全な国産の食材を使う動きがある。国産の食材を使うとコストが上がるが、「安全のための必要なコスト」だとしている[72]。

なお、外食産業における商品の原産地表示については、表示を求めるガイドライン[73]はあるが、義務とはなっていない[72]。

報道機関の対応
マスコミは、1980年代にはすでに社会問題として取り上げており、何かあるたびに繰り返し警告をしてる[74]。内容としては、「このままでは危ない」「農業を救え」「政府はもっと対策を」である[74]。

日本国内産食品
国内産の食品は無条件で安全かと言えば、そうは言い切れない。生産段階及び小売段階で、安全性を損なう危険性がある。 消費者において国内産を求める声が大きいのは、安心の追求、およびリスクの低減による可能性が高い。

生産段階では、農家による無許可農薬の使用や、農薬の規制を破るといった行為がある[51]。

小売段階では、要冷商品の非冷販売や表示の偽造などが行われる危険性がある。例えば、2007年には27都道府県で、表示偽造が発覚した[75]。他には産地偽装も参照されたい。

日本国外産食品
残留農薬の問題が指摘されている。ポストハーベストも参照。

原因

企業側
企業側は、コスト削減のために表示偽造[75]や、腐敗、細菌繁殖など問題のある原材料の再利用を行うケースがある(雪印集団食中毒事件も参照)。一方で、食品表示については、「本来まだ食べられるものなのに、小売店や消費者が新鮮なものを求めるから、安全な基準よりも短い期限を設定せざるを得ない」という意見もある[76]。

消費者側
根本的な原因は、消費者が食事に対して手抜きをし、安心を求める一方で自らがコストを負担することを回避する消費者エゴにある[74]。冷凍食品、コンビニエンスストア・ファミリーレストランの食事等、メーカーが安くて手軽で、ただし安全性に問題がある食品を提供するのは、消費者がそれを求めているからである[74]。また、消費者の態度については、「無農薬の方が安心との思いこみがありながら、形の良い野菜を選び」「農薬を使わない野菜を求めながら、農家から農作業を手伝ってと言われれば尻込みをする」といったことなどが挙げられる[74]。

一方で、2007年に偽装表示の問題が相次いだ結果、価格よりも原材料等の表示を注視するようになった、といった姿も報道されている[77]。

家庭、親
消費者の中でも、親の責任は特に重大である。家庭における食生活及び食の安全は、親が担う部分が大きい。親が食事の手抜きをすれば、子供は手抜きをした食事が標準であると思いこむ。朝食を与えなければ、子供はその状態が基本となる[74]。

親が学校教育で食育の必要性を求める声は多いが、本当に食育が必要なのは親に対してであると、栄養士らは述べている[74]。また、給食が必要と答える親ほど、献立を見ないなど給食自体への関心は薄く、学校に丸投げ状態の傾向があるという[78]。

ただし、親に対し栄養学や食の安全に対する情報が不足しているかと言えば、必ずしもそうは言い切れない。以前は季節の素材や献立等の情報集積・発信地であった地元の八百屋や魚屋などがスーパーマーケット等に駆逐されはしたものの、雑誌等やインターネットでの献立や栄養学の紹介など、情報を入手する手段は十分提供されている[74]。

不足しているのは、親の意識である[74]、ともされる。

疑義を呈されるもの
遺伝子組み換え作物
詳細は、遺伝子組み換え作物を参照。
クローン食品
詳細は、クローン食品を参照。

各国における輸入国別の食品違反件数
各国における輸入国別の食品違反件数(2006年) 順位 米国 EU 日本
1位 中国 1,877件 中国 263件 中国 530件
2位 インド 1,762件 トルコ 254件 米国 239件
3位 メキシコ 1,600件 イラン 244件 ベトナム 147件
全件数 14,918件 2,874件 2,874件

出典:2007年9月4日号 週刊エコノミスト

参考書籍
米虫節夫『やさしい食の安全』オーム社、2002、ISBN 4274024873
山口 英昌『食環境科学入門』ミネルヴァ書房、2006、ISBN 4623047350
日本学術協力財団(編)『食の安全と安心を守る』日本学術協力財団、2007、ISBN 4939091171

関連項目
食中毒
残留農薬等に関するポジティブリスト制度
BSE問題
遺伝子組み換え作物
食品安全基本法
スーパーの女
産地判別技術
リスクコミュニケーション

脚注
^ 例えば、米虫節夫『やさしい食の安全』、、日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』など
^ 山口英昌編著『食環境科学入門 食の安全を環境問題の視点から』など
^ 例えば石田英雄『クレームに学ぶ 食の安全』など
^ 例えば日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』など。
^ 日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』など
^ 日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』など。
^ 『食の安全と安心を守る』p.147
^ (出典:『食の安全と安心を守る』p.125)
^ 『食の安全と安心を守る』p.147
^ 『食の安全と安心を守る』p.147
^ 『やさしい食の安全』p.172
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』第三章
^ 『食環境科学入門』p.6
^ (出典:『食の安全と安心を守る』p.125)
^ (出典:『食の安全と安心を守る』p.138)
^ 『やさしい食の安全』pp.3-4
^ a b 『第2節 安全な食料の安定供給と消費者の信頼確保』平成18年度食料・農業・農村白書(農林水産省)
^ 『やさしい食の安全』p.3
^ 『やさしい食の安全』p.3
^ 急性的・短期的・中期的・長期的危害の区分の出典:『やさしい食の安全』p.3
^ 『やさしい食の安全』p.6
^ 『やさしい食の安全』pp.22-23
^ 『やさしい食の安全』pp.7-9
^ 『やさしい食の安全』p.8
^ 『やさしい食の安全』p.8
^ 『やさしい食の安全』p.8
^ 『やさしい食の安全』p.12
^ 『食環境科学入門』p.1
^ 『食環境科学入門』p.1
^ 『食環境科学入門』p.1
^ 『食環境科学入門』p.2
^ 『食環境科学入門』p.2
^ 『食環境科学入門』p.2
^ 『食環境科学入門』p.3
^ 『食環境科学入門』p.3
^ 国際化の申し子の多国籍企業と米国が主導してまとめ上げたWTO協定によって、日本の食の安全基準は緩和されてしまった(出典:『食環境科学入門』p.3)、ともされている
^ これに関しては企業倫理の項も参照可。
^ 日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』p.11
^ 『食の安全と安心を守る』p.34
^ 日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』p.11
^ 『食の安全と安心を守る』p.12
^ 『食の安全と安心を守る』p.12
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』p.53
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』pp.53-54
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』p.54
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』p.54
^ イギリスの詩人、アルフレッド・テニスンも次のようにコメントしたという「白墨と みょうばんと しっくいが、貧乏人にパンとして売られている」(出典:ジョン・ハンフリース『狂食の時代』p.54)
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』p.55
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』p.55-56
^ ジョン・ハンフリース『狂食の時代』p.56
^ a b c d e f g h 2007年9月4日号 週刊エコノミスト
^ a b c d e f g h i 読売ウィークリー 2007年10月7日号『世界の健康を脅かす中国の食』
^ a b 2007年7月24日付配信 産経新聞『中国、安全を“輸入”する「食の国」』
^ 2007年7月9日付配信 時事通信『食品安全は「危険多発期」=異例の強い危機感−中国監督当局』
^ 石田英雄『クレームに学ぶ 食の安全』p.133
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 『やさしい食の安全』p.29
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 『やさしい食の安全』p.6〜9
^ 注. 同法以前は、生鮮食品のうち、9品目の青果物にしか原産地表示の義務はなかった。
^ 『やさしい 食の安全』p.68
^ 石田英雄『クレームに学ぶ 食の安全』p.196
^ 日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』p.22
^ 日本学術協力財団『食の安全と安心を守る』p.23
^ 食品安全委員会ホームページ
^ 太田農相:消費者軽視?…「やかましいから」安全徹底 2008年8月10日付配信 毎日新聞
^ a b 『便利の落とし穴:中国製ギョーザの警告/下 原産地、オープンに』2008年2月6日付配信 毎日新聞
^ 『外食における原産地表示に関するガイドライン』2005年7月28日 農林水産省
^ a b c d e f g h i 『日本の食と農』 神門善久著 NTT出版 2006年6月
^ a b 『27都道府県で発覚 毎日新聞まとめ』2007年11月18日付配信 毎日新聞
^ 『お菓子の違法表示問題、水面下で「鮮度にこだわりすぎ」の声』2008年2月6日付配信 日経ビジネスオンライン
^ 『食品偽装の余波ジワリ 買い物客、原産地や表示じっくり』2007年11月20日付配信 産経新聞
^ 2004年11月3日付配信 読売新聞『朝食も提供、食育の試み』

関連書
(出版年順)

高橋晄正『自然食は安全か』農山漁村文化協会,1989,ISBN 4540890735
工藤和子『おいしい安全食ガイド—安心できる食べものづくりに賭ける人々』鎌倉書房,1992, ISBN 4308005396
魚柄仁之助『「笑って死ねる」安全食実践講座』講談社,1999,ISBN 4062690853
増尾清『家庭でできる食の安全術—選び方3分、下ごしらえ3分。たった6分が決め手』祥伝社,2002,ISBN 4396410298
食料農業政策研究センター『食料白書〈2003(平成15)年版〉ライフスタイルの変化と食品産業—食の外部化と安全・安心志向』食料農業政策研究センター,2002, ISBN 4540021915
松本恒雄『21世紀の消費者政策と食の安全』コープ出版,2003,ISBN 487332193X
内田正幸『こんなモノ食えるか!?—「食」の安全に関する101問101答』講談社文庫,講談社,2003,ISBN 4062736365
渡辺宏『「食の安全」心配御無用!』朝日新聞社, 2003, ISBN 4022578149
梅津憲治『農薬と食:安全と安心—農薬の安全性を科学として考える』ソフトサイエンス社,2003,ISBN 4881711067
大島一二『中国産農作物と食品安全問題 (筑波書房ブックレット—暮らしのなかの食と農)』筑波書房,2003,ISBN 4811902432
村上直久『世界は食の安全を守れるか—食品パニックと危機管理』平凡社新書,2004,ISBN 4582852378
ジョスリング他『食の安全を守る規制と貿易—これからのグローバル・フード・システム』家の光協会,2004,ISBN 4259546678
日経BP社編『食品クライシス—「食」の質と量は安全といえるのか』日経BP社, 2004,ISBN 4822224627
野口玉雄, 村上りつ子『貝毒の謎—食の安全と安心』成山堂書店,2004,ISBN 4425881915
松田友義ほか『食の安全とトレーサビリティ—農場から食卓までの安全・安心システム作り』幸書房,2004,ISBN 4782102461
日経バイオビジネス編集『フードサイエンス&ビジネス—機能性食品の開発と食の安全』日経BP社,2004,ISBN 4822212270
堀田和彦『食の安心・安全の経営戦略』農林統計協会,2005,ISBN 4541032201
全国食健連『BSEからの警告—食の安全とBSE根絶をめざして』本の泉社,2005,ISBN 4880239216
松永和紀『踊る「食の安全」—農薬から見える日本の食卓』家の光協会, 2006, ISBN 4259546937
神門善久『日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉)』NTT出版,2006,ISBN 4757140991
冨島邦雄,米虫 節夫『食の安全を究める食品衛生7S 実践編 (ISO22000のための食品衛生7S実践講座)』日科技連出版社, 2006, ISBN 4817191732
池戸重信『よくわかるISO22000の取り方・活かし方—食の安全・安心への手引き』日刊工業新聞社,2006,ISBN 4526056855
大島一二『中国野菜と日本の食卓—産地、流通、食の安全・安心』芦書房,2007,ISBN 4755612039
岡田幹治『アメリカ産牛肉から、食の安全を考える』岩波書店,2007,ISBN 4000093967
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E3%81%AE%E5%AE%89%E5%85%A8" より作成
カテゴリ: 食品 | 食中毒 | 食の安全

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9月20日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8820%E6%97%A5

できごと
紀元前481年 - アテネ南西の水道でギリシャ軍が約2倍のペルシャ軍を撃滅。(サラミスの海戦)

1519年 - マゼランが5隻の軍艦・265人でスペインを出航、世界一周航海に出発。

1609年 - オランダ東インド会社が平戸に日本支社の商館を開設。

1792年 - フランスでヴァルミーの戦い、初の男子普通選挙による議会・国民公会が召集。

1854年 - クリミア戦争でセヴァストーポリ要塞の攻略を目指す
イギリス・フランスとオスマン帝国の同盟軍がアルマ河でロシア軍と対戦。

1875年 - 軍艦「雲揚」が朝鮮漢江河口の江華島附近で守備隊と交戦。(江華島事件)

1886年 - 大阪紡績が夜間照明に民間初の電燈となるアーク燈を使用。

1909年 - イギリスで「職業紹介所法」成立、失業保険制度が開始。

1925年 - 東京六大学野球リーグ戦が開幕。

1945年 - 文部省が教科書の戦時教育部分の削除を通達、
生徒に墨で塗りつぶさせた「墨塗り教科書」を使用。

1946年 - 第1回カンヌ国際映画祭を開催。

1948年 - 花森安治が『暮しの手帖』の前身『美しい暮しの手帖』を創刊。

1950年 - 配給制度による衣料切符を全面廃止、10年ぶりに自由販売に。

1951年 - 詩人・峠三吉が原爆詩集を発行。

1954年 - 第1期全国人民代表大会で「中華人民共和国憲法」を採択。

1955年 - 小・中高校の通信簿で5段階評価方式の採用を決定。

1957年 - 糸川英夫東京大学教授ら、
初の国産観測ロケット「カッパー4C型」の打上げ実験に成功。

1962年 - 鈴鹿サーキットが完成。

1973年 - 衆議院が、北方領土の返還に関する決議を全会一致で可決。

1979年 - 中央アフリカ帝国にてフランス軍による無血クーデターにより帝政が崩壊。

1983年 - 茨城県での第38回天皇賜杯全日本軟式野球大会決勝で、
延長45回・試合時間8時間19分の激闘が行われる。

1986年 - GATT閣僚会議で多角的新貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の開始を宣言。

1987年 - おニャン子クラブが代々木第一体育館でのライブを最後に解散。

1994年 - オリックス・ブルーウェーブのイチローが
日本プロ野球初の1シーズン200本安打を達成。

1998年 - ボルチモア・オリオールズのカル・リプケンが2632試合連続出場を達成。

2007年 - 新型PSP「PSP-2000」発売。
PSP用パソコン向けPLAYSTATION Storeが開設。

2007年 - 声優ユニットAice5が横浜アリーナでのラストコンサートを最後に解散。

誕生日
1778年 - ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン、
ロシア海軍大将・南極大陸発見者(+ 1852年)

1830年(天保元年8月24日) - 吉田松陰 、
武士・長州藩士、思想家、教育者(+ 1859年)

1853年 - ラーマ5世、タイ・チャクリー王朝第5代国王(+ 1910年)

1875年 - マティアス・エルツベルガー、政治家(+ 1921年)

1878年 - アプトン・シンクレア、小説家(+ 1968年)

1887年 - 黒田重太郎、画家(+ 1970年)

1890年 - 大野伴睦、政治家、第42・43代衆議院議長(+ 1964年)

1893年 - ハンス・シャロウン、建築家(+ 1972年)

1899年 - レオ・シュトラウス、政治哲学者(+ 1973年)

1905年 - 杉本健吉、画家(+ 2004年)

1910年 - 田中龍夫、政治家(+ 1998年)

1919年 - 白木義一郎、元プロ野球選手(+ 2004年)

1925年 - ラーマ8世、タイ・チャクリー王朝第8代国王(+ 1946年)

1932年 - 中村宏、画家

1934年 - ソフィア・ローレン、イタリア女優

1934年 - 末吉興一、前北九州市長

1937年 - モニカ・ゼタールンド、歌手、女優(+ 2005年)

1938年 - 守屋浩、歌手

1940年 - 麻生太郎、政治家、自由民主党幹事長

1944年 - 村井国夫、俳優

1944年 - 中田征男、厩務員

1947年 - 小田和正、アーティスト

1948年 - 南城竜也、元俳優

1952年 - 五十嵐淳子、女優
1958年 - ミヤコ、元非常階段(+1996年)
1959年 - 石川ひとみ、歌手
1960年 - 玉井たけし、漫画家(+ 2004年)
1961年 - 山口美江、元タレント、現在実業家
1964年 - 中田宏、横浜市市長、元衆議院議員
1964年 - マギー・チャン、香港女優
1967年 - 高橋真美、タレント、元わらべ
1971年 - ヘンリク・ラーション、スウェーデンのサッカー選手
1971年 - 加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)、ミュージシャン
1971年 - 有田洋之、声優
1972年 - 遠藤政隆、プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
1972年 - 鈴木砂羽、女優
1974年 - 新藤晴一(ポルノグラフィティ)、ミュージシャン
1975年 - ファン・パブロ・モントーヤ、F1レーサー
1975年 - アーシア・アルジェント、イタリア女優
1976年 - 倉橋ヨエコ、歌手
1976年 - 一青窈、歌手
1976年 - 堀江由衣、声優
1976年 - 徳元敏、元プロ野球選手
1977年 - 安室奈美恵、歌手
1977年 - 藤原一裕、お笑い芸人
1978年 - 梅田啓介(キャプテンストライダム)、ミュージシャン
1978年 - 滝本竜彦、小説家
1980年 - 入野久彦、元プロ野球選手
1983年 - 杏さゆり、女優
1983年 - 磯貝サイモン、アーティスト
1983年 - 伊藤由奈、歌手
1984年 - 高野和馬、騎手
1984年 - ブライアン・ジュベール、フィギュアスケート選手
1985年 - 山崎真実、タレント
1987年 - 夏川亜咲、AV女優
1987年 - 小林美佳(サンフラワー)、ローカルアイドル
1988年 - 大本彩乃、アイドル(Perfume)
1988年 - 浪江有里、アイドル(いもうと)
1991年 - 松川尚瑠輝、俳優
1992年 - 泉明日香、グラビアアイドル

忌日
1381年 - ルイージ1世、ナポリ王(* 1339年)

1460年 - ジル・バンショワ、作曲家(* 1400年頃)

1863年 - ヤーコプ・グリム、言語学者・グリム兄弟の兄(* 1785年)

1898年 - テオドール・フォンターネ、小説家・詩人(* 1819年)

1906年 - ロバート・ヒット、アメリカ合衆国下院議員(* 1834年)

1908年 - パブロ・デ・サラサーテ、ヴァイオリニスト・作曲家(* 1844年)

1943年 - 鈴木梅太郎、農芸化学者(* 1874年)

1948年 - 草川信、作曲家(* 1893年)

1957年 - ジャン・シベリウス、作曲家(* 1865年)

1971年 - イオルゴス・セフェリス、詩人(* 1900年)

1973年 - ジム・クロウチ、フォークソング歌手(*1943年)

1975年 - サン=ジョン・ペルス、詩人・外交官(* 1887年)

1980年 - 林家三平、落語家(* 1926年)

1987年 - 杉山龍丸、インドの緑の父(* 1919年)

1988年 - 東海林武雄、実業家(* 1900年)

1988年 - 中村汀女、俳人(* 1900年)

1989年 - リッチー・ギンサー、F1レーサー(* 1930年)

1993年 - エーリヒ・ハルトマン、ドイツ空軍のエース・パイロット(*1922年)

1996年 - ポール・エルデシュ、数学者(* 1913年)

1996年 - 佐野鋤、作曲家(* 1908年)

2000年 - 徳間康快、実業家(* 1921年)

2000年 - ゲルマン・チトフ、宇宙飛行士(* 1935年)

2004年 - 白石一郎、小説家(* 1931年)

2005年 - サイモン・ヴィーゼンタール、ナチス戦犯追跡家(* 1908年)

2006年 - スヴェン・ニクヴィスト、映画監督(* 1922年)

2006年 - アルミン・ジョルダン、指揮者(* 1932年)

記念日・年中行事
秋の彼岸(日本)
秋分とその前後3日を秋の彼岸という。

バスの日(日本)
1903年9月20日に、日本で初めての
営業バスが京都市内を走ったことに由来し、1987年に日本バス協会が制定。

空の日(日本)
1911年9月20日に、山田猪三郎が開発し
た山田式飛行船が東京上空を一時間にわたり初飛行で成功したことを記念して
1940年に「航空の日」として制定。
航空の安全と一層の成長を願い広く国民に親しまれるようにアピールしていくのが目的で、
1992年に運輸省(現在の国土交通省)航空局が「空の日」へ改称した。
動物愛護週間(日本、9月26日まで)