東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年10月3日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年10月3日(金曜日)

初秋から中秋です。
「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」も「3日」たちました。

「夏」はとうにおわりました。
「初秋」「9月」もおわり。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
恐怖さえをも。
感じます。

大気は「秋」。
地には「こおろぎ」。

木々の若葉のいろは秋の深緑に。
秋緑がますますあざやかになり。

そして「黄色」の紅葉葉も混じるようになり。
「秋」の気配ははっきりと。
葉木に感じられます。
「金木犀:きんもくせい」の花はみえません。
けれども「金木犀:きんもくせい」の香りが
ほのかに漂います。

空の色も。
まさしくも
「秋」の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

陽ののぼるのは遅くなりました。
陽がくれるのは早くなりました。

あさの05:30AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

今の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
「なにかが深まりゆく」。
そして秋の訪れから。

さらにさらに。
深い秋に向かい。
そしてさらに。
深い秋の向こう側にむかう
気配のあることが。
良くわかります。

池面(いけも)の水面(みずも)
おさなき小さなわかみどり
なもしらぬ
小さな緑の浮き草
若草うきつあつまりて
つらなり水面(みずも)
水面(みずも)をおおいたり
水面(みずおも)にて
風にきそいてさまよえり
ちひさきわらべのごとし
池面の水面(みずおも)の。
小さきちひさなわかみどり

いざいまこそは
よき季節にあらむ
秋水面(みずも)なるそら
ふと空をみる

早朝(はやあさ)に
けふもはだのさむけれど
ぬくもりのあさ
陽のありがたき
われあゆむがごと
陽はあたかくなりけり
葉木は秋木にかわりたり
秋みちをあかるくてらせ
秋がいだく木
秋はぐくむ木
みどり木あおし
実りの木紅し
秋来(きた)るらむ

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
みかんのわか実
みかんの木の秋
みかんぎいらかをかぜはやみ
あきかぜひるむやうつろひの
みかん木つきひははやいくとせ

地にも木にも
みどり葉ひらき
みどり木ときわ木
ひろがりて
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり秋

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「秋はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝です。

「今日は何の日」は

「合衆国USA」の現代音楽の作曲家として有名な。

1990年・グラミー賞最優秀現代音楽作品賞

2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の
音楽部門を受賞。
2008年度「武満徹作曲賞」審査員。

1936年 - スティーヴ・ライヒSteve Reich、
作曲家
の生誕日です。
++++++++++++++++++++

スティーヴ・ライヒSteve Reich、
,1936年10月3日 - )は、
ミニマルミュージックを代表するアメリカの作曲家です。
ドイツ系ユダヤ人です。

フレーズの繰り返しを多用したり。
ミニマリストであるという見方が一般的です。
けれども
純粋なミニマリストのスタイルには
収まらない作品も多いです。

++++++++++++++++++++++

ライヒの音楽スタイルは
デヴィッド・ラングのような、
ニューヨークのBang On A Canフェスティバルに参加している
作曲家のグループを含む
多くの作曲家たちに影響を与えています。

++++++++++++++++++++++

ライヒの音楽は、現代音楽において。
徐々にフェーズしていくパターンを作るために
サンプリングしたテープ・ループを用いたり
( -この手法はライヒの初期の作品群、
『イッツ・ゴナ・レイン』(1965)
、『カム・アウト』(1966)、『ドラミング』(1971)
などで多用されている-)

、曲のコンセプトを創り出し、
掘り下げるための手法を用いる
(『振り子の音楽』、
『フォー・オルガンズ』などの作品で見られる)
といったようなアイディアを探求しました。

++++++++++++++++++++++

なお、ティーヴ・ライヒSteve Reichは
日本国内ではドイツ語式に「ライヒ」と表記されているが、
本国アメリカでは一般的に
「ライシュ」または「ライク」と発音されます。

ただし最近のTV番組などでは、
あえて「ライヒ」と発音しているケースも
あります。

++++++++++++++++++++++
スティーヴ・ライヒSteve Reichの略歴

ライヒは1957年にコーネル大学哲学科で
芸術の学士号を取得した後。

1958年から1961年までニューヨークの
ジュリアード音楽院に在籍致しました。

1961年から1963年までは、カリフォルニア州のオークランドにある、
ミルズカレッジでルチアーノ・ベリオと
ダリウス・ミヨーの元で学びましだ。

ライヒの作品、特に『ドラミング』(1971) では、
アフリカ音楽の影響が色濃く。

ライヒは特にAM・ジョーンズによる、
ガーナのエヴェ族に関するアフリカ音楽の研究
から影響を受けていました。

やがてライヒは、
ドラミングの研究のためにガーナを訪れるようになり、
1970年にはガーナ大学アフリカ研究所で
ドラミングを集中して学びました。

また、ライヒは1973年から1974年にかけてシアトルで
バリ島のガムランの研究も行いました。

+++++++++++++++++++++
スティーヴ・ライヒSteve Reichは。

『ドラミング』以降、ライヒは自分自身が先駆者であった

"フェイズ・シフティング"の技法から離れていきます。

より複雑な楽曲を書き始めました。

スティーヴ・ライヒSteve Reich
は他の音のオーグメンテーション
(あるフレーズやメロディの一部の音符を一時的に増幅させ、
繰り返したりすること)
のようなプロセスを用いる方へ移行致しました。

『マレット楽器、声およびオルガンのための音楽』(1973)
のような作品を作曲したのはこの時期です。

++++++++++++++++++++++
スティーヴ・ライヒSteve Reichは。

特に『フォー・オルガンズ』では、
オーグメンテーションが用いられており、
1967年に作曲された Slow Motion Sound は
そのプロトタイプともいえます。

この曲は演奏されたことはないのですが。
録音された音や声を、音程も音質も変えずに、
音を元の長さの数倍になるまで遅く再生するアイディアは、
『フォー・オルガンズ』でも採用されています。

+++++++++++++++++++++

スティーヴ・ライヒSteve Reichは
その結果。

4台のオルガンがそれぞれ特定の8部音符を強調しながら、
11thの和音を奏で。

マラカスがテンポの速い8部音符のリズムを刻む立体的な
音の空間を持った曲が出来上がりました。

リズムが変化し、繰り返される手法が使われています。

この曲は、初期のライヒの作品が循環的であるのに対し、
直線的である点が異質で特徴的です。

++++++++++++++++++++++

1974年には、
スティーヴ・ライヒSteve Reich
はライヒを知る大多数の人々から重要であると位置づけられる作品、
『18人の音楽家のための音楽』を書き始めました。

初期の作品の持つ作風へ戻りつつも、
この作品には多くの新しいアイディアが含まれています。

曲は11のコードのサイクルを基本としており、
それぞれのコードには短い曲がそれぞれ割り当てられ、
曲の終わりには元のサイクルへと戻っていきます。

セクション(楽曲内の区切り)は
"Pulses"、 Section I-X、再び"Pulses"
と名づけられています。

++++++++++++++++++++++

スティーヴ・ライヒSteve Reichの
『18人の音楽家のための音楽』は。

ライヒにとっては、
大人数のアンサンブルのために書いた初の試みであり、
演奏家が増えることによって音響心理学的な効果
はより大きなものとなります。

その効果に夢中になったライヒは
「もっとこのアイディアを探求したい」と語っています。

またスティーヴ・ライヒSteve Reich
は。
この作品は過去に書かれたどの作品よりも、
最初の5分間に含まれるハーモニーが豊かであるとも語っています。

++++++++++++++++++++++

スティーヴ・ライヒSteve Reichは。
同じ年に、ライヒは
彼自身の哲学、美学、1963年から1974年の間に作曲した
作品についてのエッセイが収録された本、
"Writings About Music"を出版致しました。

2002年には"Writings On Music (1965-2000)"として、
新しいエッセイが収録された本も出版されています。

1976年から1977年にかけては、
ライヒはドイツ系ユダヤ人である自らのルーツを探るように、
ニューヨークとイェルサレムにて、
ヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学びました。

1981年に作曲された『テヒリーム』は、
ヘブライ語で詩篇もしくは賛歌を意味するタイトルが示す通り、
ヘブライ語のテキストを女声が歌い上げる、4部に分かれた曲です。

++++++++++++++++++++++

1988年には、
クロノス・カルテットのため
に『ディファレント・トレインズ』を書き下ろしました。

この作品においてライヒは、インタビューで録音された
古い肉声を使用しており、
その肉声が奏でる音程に合わせて弦楽器のメロディーが反復され、
加速するといった新しい手法を用いています。

曲は3部に分かれており、
第二次世界大戦前のアメリカ、
第二次大戦中のヨーロッパでのホロコースト、
戦後のアメリカにおける汽車の旅が、
汽笛の音を散りばめながら描かれています。

1990年にスティーヴ・ライヒSteve Reichは
この作品により。
グラミー賞最優秀現代音楽作品賞を受賞致しました。

++++++++++++++++++++++

スティーヴ・ライヒSteve Reichは
1993年には、ライヒは妻で映像作家でもある
ベリル・コロットとオペラ『ザ・ケイヴ』に
おいてコラボレーションを行いました。

このオペラではスティーヴ・ライヒSteve Reichは
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のルーツを探っています。

ライヒとコロットは、
飛行船ヒンデンブルク号の惨劇、ビキニ環礁での核実験、
そしてより現代的な出来事、
特にクローン羊ドリーを取り上げたオペラ『スリー・テイルズ』(2002)
でも再度コラボレーションを行っています。

++++++++++++++++++++++

スティーヴ・ライヒSteve Reichは。

2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞。

2008年度「武満徹作曲賞」審査員。

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スティーヴ・ライヒ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%92

スティーヴ・ライヒ(Steve Reich, 1936年10月3日 - )は、ミニマルミュージックを代表するアメリカの作曲家。ドイツ系ユダヤ人。フレーズの繰り返しを多用したり、ミニマリストであるという見方が一般的だが、純粋なミニマリストのスタイルには収まらない作品も多い。ライヒの音楽スタイルは、デヴィッド・ラングのような、ニューヨークのBang On A Canフェスティバルに参加している作曲家のグループを含む、多くの作曲家たちに影響を与えている。

ライヒの音楽は、現代音楽において、徐々にフェーズしていくパターンを作るためにサンプリングしたテープ・ループを用いたり -この手法はライヒの初期の作品群、『イッツ・ゴナ・レイン』(1965)、『カム・アウト』(1966)、『ドラミング』(1971) などで多用されている- 、曲のコンセプトを創り出し、掘り下げるための手法を用いる(『振り子の音楽』、『フォー・オルガンズ』などの作品で見られる)といったようなアイディアを探求した。

なお、日本国内ではドイツ語式に「ライヒ」と表記されているが、本国アメリカでは一般的に「ライシュ」または「ライク」と発音される。ただし最近のTV番組などでは、あえて「ライヒ」と発音しているケースもある。

目次
1 略歴
2 代表曲
3 共演者および関連項目
4 ライヒの音楽の影響
5 外部リンク

略歴
ライヒは1957年にコーネル大学哲学科で芸術の学士号を取得した後、1958年から1961年までニューヨークのジュリアード音楽院に在籍した。1961年から1963年までは、カリフォルニア州のオークランドにある、ミルズカレッジでルチアーノ・ベリオとダリウス・ミヨーの元で学んだ。ライヒの作品、特に『ドラミング』(1971) では、アフリカ音楽の影響が色濃く、ライヒは特にAM・ジョーンズによる、ガーナのエヴェ族に関するアフリカ音楽の研究から影響を受けていた。やがてライヒは、ドラミングの研究のためにガーナを訪れるようになり、1970年にはガーナ大学アフリカ研究所でドラミングを集中して学んだ。また、ライヒは1973年から1974年にかけてシアトルでバリ島のガムランの研究も行った。

『ドラミング』以降、ライヒは自分自身が先駆者であった"フェイズ・シフティング"の技法から離れ、より複雑な楽曲を書き始める。彼は他の音のオーグメンテーション(あるフレーズやメロディの一部の音符を一時的に増幅させ、繰り返したりすること)のようなプロセスを用いる方へ移行する。『マレット楽器、声およびオルガンのための音楽』(1973) のような作品を作曲したのはこの時期である。

特に『フォー・オルガンズ』では、オーグメンテーションが用いられており、1967年に作曲された Slow Motion Sound はそのプロトタイプともいえる。この曲は演奏されたことはないが、録音された音や声を、音程も音質も変えずに、音を元の長さの数倍になるまで遅く再生するアイディアは、『フォー・オルガンズ』でも採用されている。その結果、4台のオルガンがそれぞれ特定の8部音符を強調しながら、11thの和音を奏で、マラカスがテンポの速い8部音符のリズムを刻む立体的な音の空間を持った曲が出来上がった。リズムが変化し、繰り返される手法が使われている。この曲は、初期のライヒの作品が循環的であるのに対し、直線的である点が異質で特徴的である。

1974年には、ライヒはライヒを知る大多数の人々から重要であると位置づけられる作品、『18人の音楽家のための音楽』を書き始めた。初期の作品の持つ作風へ戻りつつも、この作品には多くの新しいアイディアが含まれている。曲は11のコードのサイクルを基本としており、それぞれのコードには短い曲がそれぞれ割り当てられ、曲の終わりには元のサイクルへと戻っていく。セクション(楽曲内の区切り)は"Pulses"、 Section I-X、再び"Pulses"と名づけられている。ライヒにとっては、大人数のアンサンブルのために書いた初の試みであり、演奏家が増えることによって音響心理学的な効果はより大きなものとなり、その効果に夢中になったライヒは「もっとこのアイディアを探求したい」と語っている。また、ライヒはこの作品は過去に書かれたどの作品よりも、最初の5分間に含まれるハーモニーが豊かであるとも語っている。

同じ年に、ライヒは彼自身の哲学、美学、1963年から1974年の間に作曲した作品についてのエッセイが収録された本、"Writings About Music"を出版した。2002年には"Writings On Music (1965-2000)"として、新しいエッセイが収録された本も出版されている。 1976年から1977年にかけては、ライヒはドイツ系ユダヤ人である自らのルーツを探るように、ニューヨークとイェルサレムにて、ヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学ぶ。1981年に作曲された『テヒリーム』は、ヘブライ語で詩篇もしくは賛歌を意味するタイトルが示す通り、ヘブライ語のテキストを女声が歌い上げる、4部に分かれた曲である。

1988年には、クロノス・カルテットのために『ディファレント・トレインズ』を書き下ろす。この作品においてライヒは、インタビューで録音された古い肉声を使用しており、その肉声が奏でる音程に合わせて弦楽器のメロディーが反復され、加速するといった新しい手法を用いている。曲は3部に分かれており、第二次世界大戦前のアメリカ、第二次大戦中のヨーロッパでのホロコースト、戦後のアメリカにおける汽車の旅が、汽笛の音を散りばめながら描かれている。1990年に、ライヒはこの作品においてグラミー賞最優秀現代音楽作品賞を受賞する。

1993年には、ライヒは妻で映像作家でもあるベリル・コロットとオペラ『ザ・ケイヴ』においてコラボレーションを行う。このオペラでは、彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教のルーツを探っている。ライヒとコロットは、飛行船ヒンデンブルク号の惨劇、ビキニ環礁での核実験、そしてより現代的な出来事、特にクローン羊ドリーを取り上げたオペラ『スリー・テイルズ』(2002) でも再度コラボレーションを行っている。

2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞。

2008年度「武満徹作曲賞」審査員。

代表曲
『イッツ・ゴナ・レイン』It's Gonna Rain (1965)
『カム・アウト』Come Out (1966)
『ピアノ・フェイズ』Piano Phase (1967)
『ヴァイオリン・フェイズ』Violin Phase (1967)
『振り子の音楽』Pendulum Music (1968)
『4台のオルガン』Four Organs (1970)
『フェイズ・パターンズ』Phase Patterns (1970)
『ドラミング』Drumming (1971)
『手拍子の音楽』Clapping Music (1972)
『木片の音楽』Music for Peices of Wood (1973)
『6台のピアノ』Six Pianos (1973)
『マレット楽器、声およびオルガンのための音楽』Music for Mallet Instruments, Voices and Organ (1973)
『18人の音楽家のための音楽』Music for 18 Musicians (1974-76)
『大アンサンブルのための音楽』Music for a Large Ensemble (1978)
『八重奏曲』Octet (1979) - のちに『エイト・ラインズ』Eight Lines (1983)としてリアレンジ
『管楽器、弦楽器と鍵盤楽器のためのヴァリエーション』Variations for Winds, Strings and Keyboards (1980)
『6台のマリンバ』Six Marimbas (1986) - 『6台のピアノ』のリアレンジ
『テヒリーム』Tehillim (1981)
『砂漠の音楽』The Desert Music (1984)
『六重奏曲』 Sextet (1985)
『ニューヨーク・カウンターポイント』Newyork Counterpoint (1985)
『オーケストラのための3つの楽章』 Three Movements for orchestra (1986)
『エレクトリック・カウンターポイント』Electric Counterpoint (1987)
『ディファレント・トレインズ』Different Trains (1988)
『ザ・ケイヴ』The Cave (1993)
『シティ・ライフ』City Life (1994)
『プロヴァーブ』Proverb (1995)
『トリプル・クァルテット』Triple Quartet (1998)
『スリー・テイルズ』Three Tales (1998-2002)
『チェロ・カウンターポイント』Cello Counterpoint (2003)
『ユー・アー』 You Are (Variations) (2004)
『ヴィブラフォン、ピアノ、弦楽器のためのヴァリエーションズ』 Variations for Vibes, Pianos,& Strings (2005)
『ダニエル・ヴァリエーションズ』 Daniel Variations (2006)

演者および関連項目
パット・メセニー - 『エレクトリック・カウンターポイント』演奏
クロノス・カルテット - 『ディファレント・トレインズ』、『トリプル・クァルテット』演奏
アンサンブル・モデルン - 『18人の音楽家のための音楽』演奏
ミニマルミュージック
20世紀のクラシック音楽作曲家一覧
近現代音楽の作曲家一覧

ライヒの音楽の影響
テクノミュージックやエレクトロニカのアーティストたちにも多大な影響を与えており、ライヒ自身もテクノに興味があることをインタビューの中で述べている。1999年には、ライヒ公認のプロジェクトとして、ライヒの楽曲を9人のテクノのアーティスト達がリミックスしたCD、"Reich Remixed"が発表される。日本からは、竹村延和("Proverb"をリミックス)、ケン・イシイ(『カム・アウト』をリミックス)が参加した。完成された楽曲は一旦ライヒの元へ送られ、曲によっては作り直しも命じられたこともあり、実質的にライヒが監修したCDであるともいえる。

外部リンク
www.stevereich.com (Official)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%92" より作成
カテゴリ: 現代音楽の作曲家 | ミニマリズム | アメリカ合衆国の作曲家 | ユダヤ人の作曲家 | 1936年生

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10月3日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%883%E6%97%A5

できごと
1789年 - ジョージ・ワシントンが同年11月26日を感謝祭として祝う事を提唱。

1863年 - エイブラハム・リンカーンが11月の最終木曜日を感謝祭として国民の祝日に制定。

1904年 - フランス・スペイン協定締結、これによって両国のモロッコにおける権益が画定される。

1906年 - ベルリンで開かれた万国無線通信会議においてSOSが遭難信号として採択。

1918年 - ボリス3世がブルガリア国王に即位。

1920年 - 凱旋門賞創設。

1929年 - セルビア・クロアチア・スロベニア王国が国号をユーゴスラビア王国に改称。

1932年 - イラクがイギリスの国連委任統治から独立。

1935年 - イタリアがエチオピアに侵攻。(第二次エチオピア戦争)

1942年 - ナチス・ドイツが開発していたV2ロケット、3度目の挑戦で初の打ち上げ成功。

1949年 - ソ連が中華人民共和国を承認。

1952年 - イギリスが初の原爆実験、アメリカ・ソ連に続く第3の核保有国となる。

1962年 - マーキュリー8が打ち上げられる。

1964年 - 日本武道館開館。

1971年 - 日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」が放送開始。

1981年 - IRAが10名の餓死者を出したベルファストの刑務所における
ハンガー・ストライキの終結宣言。

1983年 - 三宅島噴火、溶岩流によって約400棟の住宅が埋没・焼失。

1985年 - スペースシャトル『アトランティス』が初飛行。

1989年 - 日本テレビ系のバラエティ番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」が放送開始。

1990年 - 東西ドイツ統一。

1990年 - 中華人民共和国とシンガポールが国交樹立。

1990年 - フジテレビ系で22年間続いた
音楽番組「夜のヒットスタジオ」が終了(1968年11月4日〜、放送回数1133回)。

1993年 - ソマリア内戦でモガディシュの戦闘。(~10月4日)

1994年 - TBSが新社屋(ビックハット)に移転。

1995年 - O・J・シンプソン事件の刑事訴訟で陪審員全員一致で無罪表決。

2004年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が
オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世ならびにアンネ・カテリーネ・エメリッヒを列福。

誕生日
1791年(寛政3年9月6日)- 松平斉恒、第8代松江藩主(+ 1822年)

1804年 - タウンゼント・ハリス、外交官(+ 1878年)

1884年 - 下村湖人、小説家(+ 1955年)

1897年 - ルイ・アラゴン、小説家・詩人・評論家(+ 1982年)

1899年 - 山口華楊、日本画家(+ 1984年)

1910年 - 小川環樹、中国文学者(+ 1993年)

1923年 - スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、指揮者

1925年 - ゴア・ヴィダル、作家

1928年 - 牟田悌三、俳優

1928年 - アルビン・トフラー、評論家

1933年 - 河合保彦、元プロ野球選手(+ 1984年)

1936年 - スティーブ・ライヒ、作曲家

1938年 - エディ・コクラン、ロカビリー奏者。

1940年 - 渡辺省三、漫画家

1940年 - 小寺弘之、元群馬県知事

1941年 - 野田毅、政治家

1943年 - 山本耀司、ファッションデザイナー

1943年 - 長勢甚遠、政治家

1944年 - 末広真季子、タレント、元参議院議員

1949年 - 武田広、ナレーター
1950年 - 宮川大助、漫才師
1952年 - 白竜 (俳優)
1953年 - 永射保、元プロ野球選手
1954年 - デニス・エカーズリー、元メジャーリーガー
1954年 - 山口いづみ、女優
1957年 - 大沢誉志幸、ミュージシャン
1957年 - 星野知子、女優
1957年 - 矢野健太郎 (漫画家)
1959年 - 田口ランディ、小説家
1959年 - 塩見啓一、中部日本放送アナウンサー
1961年 - 藤田浩雅、元プロ野球選手
1965年 - 佐々木誠、元プロ野球選手(元阪神タイガース)
1967年 - 片平哲也、元プロ野球選手
1969年 - 石田ゆり子、女優
1969年 - tetsu、ベーシスト(L'ArcenCiel)
1969年 - グウェン・ステファニー、ボーカリスト(ノー・ダウト)
1969年 - 藤島誠剛、元プロ野球選手
1971年 - ケヴィン・S・リチャードソン、歌手(元Backstreet Boys)
1972年 - 真木蔵人、俳優
1972年 - ケンタロウ、料理研究家・イラストレーター
1973年 - ネーブ・キャンベル、女優
1974年 - 日本橋ヨヲコ、漫画家
1974年 - アレックス・ラミレス、プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
1975年 - 石嶺聡子、シンガーソングライター
1975年 - 剣太郎セガール、俳優
1975年 - 水谷健、俳優
1976年 - 森重卓、ベーシスト
1976年 - 森山栄治、俳優
1978年 - 阿智太郎、小説家
1978年 - 安美錦竜児、大相撲力士
1978年 - クラウディオ・ピサーロ、サッカー選手
1978年 - ジェラルド・アサモア、サッカー選手
1979年 - 蛯原友里、タレント、女優、モデル
1980年 - 八反安未果、歌手
1980年 - MEG、歌手、ファッションモデル、ファッションデザイナー
1981年 - 廣瀬智美、日本放送協会アナウンサー
1981年 - アンドレアス・イサクション、サッカー選手
1981年 - ズラタン・イブラヒモビッチ、サッカー選手
1981年 - 吉野元康、ファッションモデル
1982年 - 春日潤也、ファッションモデル
1983年 - 宮下真依、グラビアアイドル
1983年 - 鈴木裕樹、俳優(D-BOYS)
1983年 - 近藤直也、サッカー選手(柏レイソル)
1983年 - 海江田純子、タレント
1984年 - 小宮山尊信、サッカー選手(横浜F・マリノス)
1984年 - 谷澤達也、サッカー選手(柏レイソル)
1985年 - Agatha、ファッションモデル
1985年 - 大山未希、女子バレーボール選手(東レ)
1986年 - 北村友一、騎手
1988年 - 小西美希、ファッションモデル、女優
1988年 - 堂上静華、グラビアアイドル、女優
1988年 - 石原卓、サッカー選手(大分トリニータ)
1988年 - 中村宝子、陸上競技選手
1991年 - 高城亜樹、AKB48
1992年 - 橋本愛奈、THE ポッシボー

忌日
1226年 - アッシジのフランチェスコ、宗教家、修道会フランシスコ会創始者(* 1181年)

1568年 - エリザベート、スペイン王フェリペ2世の妃(* 1545年)

1643年 - パウル・ギュルダン、数学者(* 1577年)

1895年 - ハリー・ライト、元メジャーリーガー(* 1835年)

1896年 - ウィリアム・モリス、詩人・デザイナー・工芸家(* 1834年)

1911年 - 鳩山和夫、第6代衆議院議長(* 1856年)

1927年 - 飯村丈三郎、実業家(* 1853年)

1929年 - グスタフ・シュトレーゼマン、ドイツ首相・外相(* 1878年)

1931年 - カール・ニールセン、作曲家(* 1865年)

1932年 - マックス・ヴォルフ、天文学者(* 1863年)

1945年 - 杉村楚人冠、ジャーナリスト、随筆家(* 1872年)

1951年 - 島津源蔵 (2代目)、発明家・島津製作所社長(* 1869年)

1953年 - アーノルド・バックス、作曲家(* 1883年)

1959年 - 栃木山守也、大相撲第27代横綱(* 1892年)

1962年 - 飯田蛇笏、俳人(* 1885年)

1967年 - マルコム・サージェント、指揮者(* 1895年)

1967年 - ウディ・ガスリー、フォークソング歌手(* 1912年)

1969年 - 市川左團次 (3代目)、歌舞伎役者(* 1898年)

1981年 - 十河信二、第4代日本国有鉄道総裁(* 1884年)

1981年 - 西尾末広、政治家、初代民社党委員長(* 1891年)

1983年 - 花登筺、小説家・脚本家(* 1928年)

1988年 - フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス、
バイエルン州首相・キリスト教社会同盟党首(* 1915年)

1998年 - ロディ・マクドウォール、俳優(* 1928年)

1999年 - 盛田昭夫、ソニー設立者(* 1921年)

2003年 - ウィリアム・スタイグ、漫画家・児童文学作家(* 1907年)

2004年 - ジャネット・リー、女優(* 1927年)

2006年 - 三浦小平二、陶芸家(* 1933年)

2006年 - ピーター・ノーマン、陸上競技選手(* 1942年)

2007年 - 若桑みどり、美術史学者(* 1935年)

記念日・年中行事
Tag der deutschen Einheit(ドイツ統一の日、ドイツ)
1990年10月3日に東西ドイツが45年ぶりに統一され、ドイツ連邦共和国が誕生したことに由来。

開天節(韓国)
韓国の4つの国慶日の一つで、韓国の建国記念日。
紀元前2333年、檀君王倹が平壌城に都を定め、古朝鮮王国を建国したことに由来。

登山の日
10(と)、3(ざん)である事に由来。