東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年10月7日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年10月7日(火曜日)

「9月」がおわわりました。
「10月」。
「秋」もしずかに。
しずかに。ふかまりつつあります。

暗い朝の早朝には南天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高い。
金星に毎日「おはよう」のあいさつを
します。

早朝には
「秋の虫の音」がそぞろ聞こえます。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
鳴き声の合唱がきこえます。

毎朝の暗いうちの「音色」は。
毎日違います。

こおろぎの鳴き声が「ソロ」から「合唱」に
なってきました。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一匹一匹の
「こおろぎ」の鳴いている場所がわかるように。
なってきました。

虫たちも
「もっと深い秋」の季節にむけての
ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

陽ののぼる時刻は遅くなりました。
そして
夕暮れは明らかにはやくくなりました。

朝の04:30amにはふたたび「真っ暗」
の時期になりました。
あさの05:30amにほんのり暗く明るい東空
です。

これからは太陽は。
「秋」そして「冬」に向かいます。
「秋」も「中秋」になりました。

あさは曇っていて。
さらに昼間でもまだまだ「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とても寒いです。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「秋」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。
夏至もおわり。
真夏もおわり。
ゆたかなみのりの
「秋」の「9月」がはじまり。
そして「おわり」。「10月」。

このような。
「実りの秋」に向けて
「若実」をまもる
真夏の太陽から「木の実」をまもる
「ソフトフイルター」の役目を.
秋夏の朝の「おぼろくもりそら」が
しているようです。

自然とは。
とてもよくできたものです。
変幻自在でいて規則正しい。
なおかつにして。
自由が自在。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境が。

とてもよくわかります。

街路樹もそうそうたる。
羽振りのよい木々になってきました。
そして紅葉の秋をむかえようとしています。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

とどのつまり
四季のリズムをつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって「からまつ」をうえられても
あいません。

私の「大好き」な北原白秋の「からまつの詩」
の「からまつ」は
街路樹にはそぐいません。

やはり野におけ蓮華草と同じく。
「からまつ」も蓮華草と同じく華やかさとはかなさを
もっています。

秋の「からまつ」です。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
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      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
紅葉の「秋」は間近いです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。
まるで。
大きな里山の森の秋のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえがとてもとても
鮮烈です。
紅葉も「鮮烈」なことと見守ります。

街角の雑草も花はおわり。
夏の草花・
「ひるがお」「つるくさ」が
秋草に変貌して。
ますます姿を大きくしています。
けれども。
「秋風」もあり「遠慮がち」になりました。

雑草も。
秋草へと変貌しつつあります。

朝暗いうちは。
はださむい気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。真夏竹。
とおくからもみえます。

風にふかれる秋竹(あきたけ)の
みどりのいらかをかぜはやみ
あきの陽うつすやうつろひの
生まれし月日のはやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらき
みどり木秋空
天高くひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり秋

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわちました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

-------------------------------
麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
泣く子も黙る天才物理学者。
「アルバート・アインシュタイン*」に
「文句」をいった
やはり天才物理学者。

また
量子論の解き明かした「粒子と波の二面性」
位置と速度の不確定性などの世界像を。
「相補性」と名付け。

後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとした
物理学者。

「ノーベル物理学賞」である
1885年 - ニールス・ボーア、物理学者(+ 1962年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア
(Niels Henrik David Bohr
デンマーク語ではネルス・ボア[nels ˈb̥oɐ̯ˀ]と発音,
1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、
デンマークの理論物理学者です。

量子論の育ての親として、
前期量子論の展開を指導致しました。

量子力学の確立に大いに貢献致しました。

++++++++++++++++++++++

ヨーロッパ時代には。

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは
1903年にコペンハーゲン大学に入学致しました。

1911年にイギリスへ留学、キャヴェンディッシュ研究所の
ジョゼフ・ジョン・トムソンのもとでの研究致しました。

後、1911年にマンチェスター大学の
アーネスト・ラザフォードの元で
原子模型の研究に着手致しました。

++++++++++++++++++++++

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは
コペンハーゲン大学に戻り、
マックス・プランクの量子仮説を
ラザフォードの原子模型に適用して、
1913年に「ボーアの原子模型」を確立致しました。

1921年にコペンハーゲンに理論物理学研究所を開きました。
外国から多くの物理学者を招いて。
コペンハーゲン学派を成することになりました。

++++++++++++++++++++++

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは。
原子物理学への貢献により1922年にノーベル物理学賞を受賞
致しました。

その後も。
ヴェルナー・ハイゼンベルクらの後進とともに、
量子力学(行列力学)の形成を推進致しました。

++++++++++++++++++++++

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは。

エルヴィン・シュレーディンガーが波動力学を発表したときに
コペンハーゲンに招きよせました。

討論に疲弊して倒れたしまったシュレーディンガーの
病床で。
さらに議論を続けた「エピソード」は極めて有名です。

アルベルト・アインシュタインが
量子力学に反対するようになると勘違いして。
(反対というのは適切ではないのです)

尊敬するアインシュタインとも論争を続けて
説得しようとしたことも
ありました。

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは
「大天才」ですが。

「アルバート・アインシュタイン*」は「超天才」なので
「一刀両断」のもとに
ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアの「理論」
の盲点を突き破りました。

++++++++++++++++++++++

有名なエピソードにマックス・ボルン宛に
アインシュタインが
ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアの方法論に
関連して書いた手紙

1・
("Der Alte würfelt nicht.
"神はサイコロを振らない)
に反論した名言
2・
("Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor,
was er zu tun hat."
アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、
注文をつけるべきではない)
があります。

両方とも名言です。

++++++++++++++++++++++

ボーアは社交的な人柄だったので、
多くの物理学者から慕われ、
量子力学の形成に指導的役割を果たしました。

アメリカ時代
第二次世界大戦が始まり、
ナチス・ドイツがヨーロッパでの侵略を始めると、
ユダヤ人を母に持つボーアはイギリスを経由してアメリカに渡りました。

1939年に発表されたボーアの原子核分裂の予想
(ウラン同位元素235は分裂しやすい)は。
原子爆弾開発への重要な理論根拠にされました。

しかし、ボーアは軍拡競争を憂慮致しました。
西側諸国にソ連も含めた原爆の管理及び使用に関する
国際協定の締結に奔走した。

結局ボーアの願いは叶いませんでした。

(参照記事:広島原爆投下原爆投下阻止の試みと挫折)。

++++++++++++++++++++++

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアの。
彼の肖像は
現行のデンマーク王国の500クローネ紙幣に描かれています。

また、1997年に107番元素がボーアの名にちなみ
「ボーリウム」と命名されました。

なおボーアは若い頃サッカーが得意でした。

デンマーク代表としてオリンピックに出場し
銀メダルを獲得したのは弟のハラルト・ボーアです。
ハラルトは数学者で、
リーマンのゼータ関数を研究しまた概周期関数を発見致しました。

++++++++++++++++++++++

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアの
息子のオーゲ・ニールス・ボーアも
天才であり。
1975年にノーベル物理学賞を受賞致しました。

更に、ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアの
父のクリスチャン・ボーア(Christian Bohr)は、
ボーア効果で知られる生理学者です。

++++++++++++++++++++++

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは。
ボーアは、量子論の解き明かした粒子と波の二面性、
位置と速度の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、
後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして
東洋哲学を研究していました。

さらに、次のようにも言っています。

「原子物理学論との類似性を認識するためには、
われわれはブッダや老子といった思索家がかつて
直面した認識上の問題にたち帰り、
大いなる存在のドラマのなかで、
観客でもあり演技者でもある
我々の位置を調和あるものとするように
努めねばならない。」

その傾倒ぶりは、
偉大な功績により、デンマーク最高の勲章を受けた時、
「紋章」に選んだのが。
陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す、
「東洋の図面、太極図」
であったことからもうかがえます。

その紋章は、
デンマークのフレデリック城に、世界の王室・元首の紋章
とともに飾られています。
++++++++++++++++++++++

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ニールス・ボーア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(Niels Henrik David Bohr デンマーク語ではネルス・ボア[nels ˈb̥oɐ̯ˀ]と発音, 1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。

ヨーロッパ時代
1903年にコペンハーゲン大学に入学。1911年にイギリスへ留学、キャヴェンディッシュ研究所のジョゼフ・ジョン・トムソンのもとでの研究後、1911年にマンチェスター大学のアーネスト・ラザフォードの元で原子模型の研究に着手した。コペンハーゲン大学に戻り、マックス・プランクの量子仮説をラザフォードの原子模型に適用して、1913年にボーアの原子模型を確立した。1921年にコペンハーゲンに理論物理学研究所を開き、外国から多くの物理学者を招いてコペンハーゲン学派を成することになる。原子物理学への貢献により1922年にノーベル物理学賞を受賞。

その後も、ヴェルナー・ハイゼンベルクらの後進とともに、量子力学(行列力学)の形成を推進。エルヴィン・シュレーディンガーが波動力学を発表したときには、コペンハーゲンに招きよせ、討論に疲弊して倒れたシュレーディンガーの病床で議論を続けたことは有名である。アルベルト・アインシュタインが量子力学に反対するようになると、尊敬するアインシュタインとも論争を続けて説得しようとした。有名なエピソードにマックス・ボルン宛にアインシュタインが書いた手紙("Der Alte würfelt nicht."神はサイコロを振らない)に反論した名言("Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat."アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、注文をつけるべきではない)がある。ボーアは社交的な人柄だったので、多くの物理学者から慕われ、量子力学の形成に指導的役割を果たしたのである。

アメリカ時代
第二次世界大戦が始まり、ナチス・ドイツがヨーロッパでの侵略を始めると、ユダヤ人を母に持つボーアはイギリスを経由してアメリカに渡った。

1939年に発表されたボーアの原子核分裂の予想(ウラン同位元素235は分裂しやすい)は、原子爆弾開発への重要な理論根拠にされた。しかし、ボーアは軍拡競争を憂慮し、西側諸国にソ連も含めた原爆の管理及び使用に関する国際協定の締結に奔走したが、結局ボーアの願いは叶わなかった。

(参照記事:広島原爆投下#原爆投下阻止の試みと挫折)。

備考
ウィキメディア・コモンズには、ニールス・ボーア に関連するマルチメディアがあります。彼の肖像は現行のデンマーク王国の500クローネ紙幣に描かれている(英語版w:Danish five-hundred-kroner billを参照のこと)。

また、1997年に107番元素がボーアの名にちなみ「ボーリウム」と命名された。

なお、ボーアは若い頃サッカーが得意だったが、デンマーク代表としてオリンピックに出場し銀メダルを獲得したのは弟のハラルト・ボーアである。ハラルトは数学者で、リーマンのゼータ関数を研究し、また概周期関数を発見した。

また、1975年には、息子のオーゲ・ニールス・ボーアもノーベル物理学賞を受賞した。

更に、父のクリスチャン・ボーア(Christian Bohr)は、ボーア効果で知られる生理学者である。

ボーアは、量子論の解き明かした粒子と波の二面性、位置と速度の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学を研究していた。 さらに、次のようにも言っている。 「原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」 その傾倒ぶりは、偉大な功績により、デンマーク最高の勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す、東洋の図面、太極図であったことからもうかがえる。 その紋章は、デンマークのフレデリック城に、世界の王室・元首の紋章とともに飾られている。

表・話・編・歴 ノーベル物理学賞受賞者

ヴィルヘルム・レントゲン (1901) - ヘンドリック・ローレンツ / ピーター・ゼーマン (1902) - アンリ・ベクレル / ピエール・キュリー / マリ・キュリー (1903) - ジョン・ウィリアム・ストラット (1904) - フィリップ・レーナルト (1905) - ジョゼフ・ジョン・トムソン (1906) - アルバート・マイケルソン (1907) - ガブリエル・リップマン (1908) - グリエルモ・マルコーニ / フェルディナント・ブラウン (1909) - ヨハネス・ファン・デル・ワールス (1910) - ヴィルヘルム・ヴィーン (1911) - ニルス・グスタフ・ダレーン (1912) - ヘイケ・カメルリング・オネス (1913) - マックス・フォン・ラウエ (1914) - ヘンリー・ブラッグ / ローレンス・ブラッグ (1915) - チャールズ・バークラ (1917) - マックス・プランク (1918) - ヨハネス・シュタルク (1919) - シャルル・エドゥアール・ギヨーム (1920) - アルベルト・アインシュタイン (1921) - ニールス・ボーア (1922) ロバート・ミリカン (1923) - マンネ・シーグバーン (1924) - ジェイムス・フランク / グスタフ・ヘルツ (1925)

1901年 - 1925年 | 1926年 - 1950年 | 1951年 - 1975年 | 1976年 - 2000年 | 2001年 - 2025年

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2" より作成
カテゴリ: デンマークの物理学者 | ノーベル物理学賞受賞者 | ユダヤ人 | 1885年生 | 1962年没 | 紙幣の人物 | マンハッタン計画の人物

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10月7日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%887%E6%97%A5

できごと
1571年 - レパントの海戦

1757年(宝暦7年8月25日)-
川柳という文芸発祥。柄井川柳、川柳評万句合を初めて開催。

1879年 - 音楽取調掛設立、後に東京音楽学校(現東京芸術大学)に発展する。

1888年 - 宮城(皇居)の明治宮殿が落成。

1906年 - イラン・イスラム共和国独立

1919年 - KLMオランダ航空創設。

1939年 - 石巻線・石巻 - 女川間が開通(全線開通)。

1949年 - ドイツ民主共和国(東ドイツ)建国。

1950年 - 神の愛の宣教者会設立。

1950年 - 中国人民解放軍がチベットに侵攻

1959年 - ソ連の月探査機「ルナ3号」が世界で始めて月の裏側の撮影に成功。

1960年 - 日本女子登山隊がヒマラヤ山脈のディオ・ティバ岬に初登頂。

1973年 - 恋愛バラエティ番組『パンチDEデート』(関西テレビ制作)スタート
(当初は関西ローカル、翌年にフジテレビ系列の全国ネット番組に昇格)。

1984年 - グリコ・森永事件で青酸カリ入りの森永製品発見。

1985年 - 『ニュースステーション』スタート。

1990年 - 1990年アジア大会北京が幕を閉じた

1994年 - フェルマーの最終定理証明。

2000年 - 福岡ダイエーホークスが、パシフィック・リーグ連覇を決める。

2001年 - アメリカ軍によるアフガニスタン侵攻開始。

誕生日
1885年 - ニールス・ボーア、物理学者(+ 1962年)

1900年 - ハインリヒ・ヒムラー、ナチス親衛隊の指導者(+ 1945年)

1901年 - 村野四郎、詩人(+ 1975年)

1901年 - 坂本太郎、歴史学者(+ 1987年)

1902年 - 宮地政司、天文学者(+ 1986年)

1922年 - 山本義正、著述家

1923年 - イルマ・グレーゼ、
アウシュヴィッツおよびベルゲン・ベルゼン強制収容所の看守(+ 1945年)

1931年 - デズモンド・ムピロ・ツツ、ケープタウン大主教・
ノーベル平和賞受賞者・人権活動家

1933年 - 羽佐間道夫、俳優、声優

1937年 - 室田日出男、俳優(+ 2002年)

1938年 - アン・ヘイドン・ジョーンズ、テニス選手

1939年 - 小川真由美、女優

1941年 - 坂田利夫、コメディアン

1946年 - 荻島真一、俳優(+ 2004年)

1946年 - 諸星裕、桜美林大学副学長、ミネソタ州立大学特別功労教授

1947年 - 久田恵、作家

1947年 - 安田富男、JRA元騎手
1951年 - 川端義明、NHK元アナウンサー
1951年 - 桐野夏生、小説家
1952年 - ウラジーミル・プーチン、元ロシア大統領
1952年 - 三原順、漫画家(+ 1995年)
1953年 - ティコ・トーレス、ボン・ジョヴィのドラマー
1955年 - 金井たつお、漫画家
1955年 - ヨーヨー・マ、チェリスト
1958年 - 金指誠、毎日放送元アナウンサー
1959年 - ブラソ・デ・オロ、プロレスラー
1959年 - 清家政和、元プロ野球選手
1960年 - 氷室京介、ミュージシャン(元BOØWY)
1961年 - 佐々木倫子、漫画家
1961年 - 鹿島忠、元プロ野球選手
1962年 - 我孫子武丸、推理作家
1962年 - 叶恭子、タレント
1962年 - タイラー・バン・バークレオ、元プロ野球選手
1964年 - 藤本茂喜、元プロ野球選手
1965年 - 渡辺久美子、声優
1966年 - 神山一義、元プロ野球選手
1967年 - 愛河里花子、声優
1967年 - 青田典子、タレント・元C.C.ガールズ
1967年 - 阿部渉、NHKアナウンサー
1968年 - トム・ヨーク、ミュージシャン(Radioheadヴォーカル)
1969年 - 井上信治、衆議院議員
1970年 - 和田孝志、元プロ野球選手
1970年 - ティム・アンロー、元プロ野球選手
1972年 - 戸塚貴久子、フリーアナウンサー
1973年 - 石田燿子、歌手
1973年 - サミ・ヒーピア、サッカー選手
1973年 - ヂーダ、サッカー選手
1975年 - 立川隆史、元プロ野球選手
1975年 - 森岡隆三、サッカー選手
1975年 - 青木誠、声優
1977年 - 若林史江、自称経済アドバイザー
1978年 - 木元邦之、プロ野球選手
1978年 - 三東洋、元プロ野球選手
1978年 - ファン・ランダエタ、ボクシング選手
1978年 - 浮雲(長岡亮介)、東京事変ギター
1979年 - 椎名令恵、女優
1980年 - 塩谷朋之、ミュージシャン(12012ベース)
1980年 - 植大輔、元プロ野球選手
1982年 - ユンディ・リー、ピアニスト
1984年 - 生田斗真、俳優、タレント(ジャニーズJr.)
1984年 - 加藤和樹、俳優、歌手
1985年 - 小嶋達也、プロ野球選手
1985年 - 大城祐二、プロ野球選手
1987年 - 松岡由紀、AKB48
1988年 - 澤田亜紀、フィギュアスケート選手
1989年 - 横野純貴、サッカー選手

忌日
336年 - マルクス、第34代ローマ教皇

929年 - シャルル3世、西フランク王(* 879年)

1072年 - サンチョ2世、カスティーリャ王(* 1040年)

1242年(仁治3年9月12日)- 順徳天皇、第84代天皇(* 1197年)

1331年(元弘元年/元徳3年9月5日)- 足利貞氏、鎌倉幕府御家人(* 1273年)

1405年(応永12年9月14日)- 伊達政宗 (大膳大夫)、室町時代の武将(* 1353年)

1553年 - クリストバル・デ・モラーレス、作曲家(* 1500年)

1631年(寛永8年9月12日)- 加藤嘉明、戦国武将・会津藩主(* 1563年)

1637年 - ヴィットーリオ・アメデーオ1世、サヴォイア公(* 1587年)

1684年(貞享元年8月28日)-
堀田正俊、江戸幕府大老・安中藩主・古河藩主(* 1634年)

1684年(貞享元年8月28日)- 稲葉正休、青野藩主(* 1640年)

1697年(元禄10年8月23日)- 水野勝種、福山藩主(* 1661年)

1725年(享保10年9月2日)- 山内豊常、第7代土佐藩主(* 1711年)

1790年(寛政2年9月23日)-
柄井川柳、川柳の祖として知られる前句付の点者(* 1718年)

1792年 - ジョージ・メイソン、政治家(* 1725年)

1794年(寛政6年9月14日)- 伊達村候、第5代宇和島藩主(* 1725年)

1796年 - トマス・リード、哲学者(* 1710年)

1806年(文化3年8月26日)- 藤堂高嶷、第9代津藩主(* 1746年)

1821年(文政4年9月12日)- 塙保己一、国学者(* 1746年)

1848年(嘉永元年9月11日)-
八重崎検校、三味線・箏曲演奏家・作曲家(* 1776年頃)

1849年 - エドガー・アラン・ポー、作家(* 1809年)

1857年 - ルイス・マクレーン、
第10代アメリカ合衆国財務長官・第12代アメリカ合衆国国務長官(* 1786年)

1859年(安政6年9月12日)- 島津斉興、第10代薩摩藩主(* 1791年)

1884年 - ベルナール・プティジャン、カトリック教会の司祭(* 1829年)

1886年 - ウィリアム・バーンズ、言語学者(* 1811年)

1901年 - 中上川彦次郎、実業家(* 1854年)

1904年 - イザベラ・バード、旅行家(* 1831年)

1915年 - フリードリヒ・ハーゼノール、物理学者(* 1874年)

1918年 - チャールズ・ヒューバート・パリー、作曲家(* 1848年)

1919年 - アルフレッド・ディーキン、第2代オーストラリア首相(* 1856年)

1925年 - クリスティ・マシューソン、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1880年)

1926年 - エミール・クレペリン、精神医学者(* 1856年)

1939年 - ハーヴェイ・ウィリアムス・クッシング、脳神経外科医(* 1869年)

1943年 - イグネイシャス・ティモシー・トレビッチ・リンカーン、冒険家(* 1879年)

1944年 - 中川小十郎、貴族院議員、立命館大学創立者(* 1866年)

1949年 - 斎藤隆夫、衆議院議員(* 1870年)

1954年 - ジョーゼフ・オパトシュ、小説家(* 1886年)

1955年 - ルドルフ・ジルドライヤー、第4代国際サッカー連盟会長(* 1876年)

1957年 - 柳原極堂、俳人(* 1867年)

1959年 - マリオ・ランツァ、俳優・テノール歌手(* 1921年)

1969年 - 陳寅恪、歴史学者(* 1890年)

1969年 - ボリス・ド・シュレゼール、音楽学者(* 1881年)

1975年 - 小山富士夫、陶磁器研究家(* 1900年)

1976年 - ニコライ・ロパトニコフ、作曲家(* 1903年)

1978年 - 伊奈信男、写真評論家(* 1898年)

1983年 - 古池信三、元郵政大臣・KDD会長(* 1903年)

1985年 - ジェマル・レシット・レイ、作曲家(* 1904年)

1986年 - 石坂洋次郎、作家(* 1900年)

1986年 - 劉伯承、中華人民共和国元帥(* 1892年)

1991年 - レオ・ドローチャー、メジャーリーグのプロ野球選手・監督(* 1905年)

1994年 - ニールス・イェルネ、医学者(* 1911年)

1994年 - 三木鶏郎、作詞家(* 1914年)

1995年 - 平泉洸、歴史学者(* 1924年)

1999年 - 板東里視、プロ野球選手(* 1942年)

2004年 - 園田高弘、ピアニスト(* 1928年)

2004年 - 松原みき、歌手(* 1959年)

2005年 - 原笙子、舞楽家(* 1933年)

2006年 - アンナ・ポリトコフスカヤ、ジャーナリスト(* 1958年)

2006年 - 嗣子鵬慶昌、大相撲力士・元西前頭二枚目(* 1955年)

2007年 - 阿部典史、オートバイロードレースレーサー(* 1975年)

記念日・年中行事
ミステリー記念日(日本)
1849年10月7日に推理小説の先駆者といわれる
エドガー・アラン・ポーが亡くなったことに由来。

スーツの日
1666年10月7日にイギリス国王チャールズ2世が衣服改革を宣言したことに由来か。