東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年10月9日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年10月9日(木曜日)

ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月もおわりました。
夏はすぎました。
9月の秋はおわりました。
中秋10月です。

「秋」になりました。
「9月」の初秋がおわり。

「10月」になり「9日目」です。
「10月中旬」です。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「星空」がみえました。

日があければ。
朝日を背に西のコバルトの空高くの。
高い成層圏近くの高い高度に。

「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」が
西のコバルトの空高に
描かれていました。
見事な筆裁きです。ためらいがない。

さながらにして。
皇室の赤坂迎賓館の。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画の世界。
そのものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば
今年も「9ヶ月」が
終わりました。
そして中秋です。

病院の庭園に「4本」ある
「金木犀:きんもくせい」の大木の
いずれもがこがねの花をたんぽぽのように
枝にみのらせています。
まだ「はつはな」で初々しい。

「金木犀:きんもくせい」の香りが
致しました。

ふと野草の花は香らないこよに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑の中に 咲いていたことから「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」 なのですが
実はまったく違う植物です
「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」です。

ツタンカーメン王のまだ幼な子王妃が
「亡きツタンカーメンンにささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮ぶ「野菊」です。
けれども「野菊」は香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころに
「こおろぎ」がないています
「こおろぎ」のほかの。
「秋の虫」も
鳴き声はきこえているようです。
「秋の虫たち」がないています。
こおろぎたちの合唱がきこえてきます。
こおろぎが
「夏のせみより大きな鳴き声」で
鳴く時期のあることに。
びっくりいたしました。

秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

あききぬとめにはさやかにみえねども
かぜのおとにぞおどろかれぬる

これは「今現在の秋」よりもう少し手前の
「旧暦初秋或は晩夏」の時期に詠まれた
昔の短歌です。

「来(き)ぬ」「着ぬ」「絹」の
最初の「韻:いん」で衝撃的
なインパクトを伝える「うた」です。

そして
「みえね」「美え音」で「第2主題」の伏線をはり。
突如として。
「かぜの音」にて「第2主題」の旋律。
「音」を響かせてフオルレッシモ
ff。

季節そのものの感覚を「音」にあらわした
名歌です。

ジプシーのチャルダッシュの
ラッサン・フリスカのような「うた」です。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは速くなる。

しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

季節には「大気の音」があるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

「つつじ」の「花」が「春に」おわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

金木犀の大木が4本と銀木犀が2本
あります。

「中秋」をつたえるがごとく。
モクセイの木が「香り花」が開花致しました。

「花」はみえない頃からもう「金木犀:きんもくせい」
は「香っています」。
モクセイも秋にも若葉をだします。
「木犀:モクセイ」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この時期になり。
私は森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉する
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈ほどもある群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が病院の林の一角に生い茂っています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

里山の紅葉の時期になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「秋」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「秋若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる秋」をまちます。
「紅葉」の炎が。
くすぶりまちわびてています。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
昔々里山(さとやま)であそび。
昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
昔々里山(さとやま)でまなんだ。
昔々のその日々の思い出は。
黄金(こがね)か。あるいは。
銀か。いぶし銀か。
もしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
重さは鉛のようになり。
心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」
ならばよいです。

けれども
早朝ははだ寒くなりました。

やま中さまよい
わけいらば
大樹の根元に隠れたり
あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
みつけたりやまの華。
やまの葉木のかくれんぼ
大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やまうるしの葉木。
あきやまはぜとあきやまうるし。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
実りの祭り
山はぜの葉炎天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
ものりのまつり
やまはせのほのほてんたかくもゆ

あきひろくなりけり空(そら)たかし
あきさとやまに木々のみどり木
あきこもれびうけて燃えるがごとし
あきみどりの炎(ほのほ)
あきほのほうちけさむかすみはあおし
あきほのほにかすみにただよひて
あきうるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
あきやまさとのやまみどり
あきやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
モーツァルトと並び称される
神童タイプの作曲家。

2歳でピアノを弾き3歳で作曲をした。
10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン
の演奏会を開き。
16歳ではじめての交響曲を書いている
「神童」作曲家。

音楽家として
作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍したほかに。
少年のころからさまざまな分野に興味を持ちその才能を発揮し
一流のレベルとしても知られる
天文学数学のカテゴリーでも「一流」であり有名な作曲家。
詩、絵画のカテゴリーでも「一流U」であり有名な作曲家。
「動物の謝肉祭」で有名な。

1835年 -
カミーユ・サン=サーンス、作曲家(+ 1921年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンス
(Charles Camille Saint-Saëns,
1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、
フランスの作曲家、
オルガニスト、ピアニストです。

現在では、組曲『動物の謝肉祭』、
交響曲第3番『オルガン付き』、
交響詩『死の舞踏』などが特に有名です。

シャルル・カミーユ・サン=サーンスの
作風は折衷的、
あるいは穏健かつ知的であるといわれます。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスの略歴

1835年に官吏の家庭に生まれました。
モーツァルトと並び称される神童タイプで
有名です。

2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われています。

また、
10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの演奏会を開き、
16歳ではじめての交響曲を書いています。

1848年に13歳でパリ音楽院に入学致しました。
作曲とオルガンを学びました。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは。
やがて作曲家兼オルガニストとして活躍致しました。

オルガンの即興演奏に素晴らしい腕を見せた
シャルル・カミーユ・サン=サーンスは。

1857年に、当時のパリのオルガニストの最高峰といわれた
マドレーヌ教会のオルガニストに就任致しました。

1871年にはフランス音楽普及のために、
フランク、フォーレらとともに。

フランス国民音楽協会を設立致しました。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスの天才

音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニスト
として活躍した音楽家以外のほかの分野でも業績
があります。

少年のころからさまざまな分野に興味を持ち、
その才能を発揮致しました。

一流のレベルとして知られるのは
詩、天文学、数学、絵画などです。

特に詩人としての活動は多岐にわたり。
自作の詩による声楽作品も少なからず
存在致します。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは。

その博識ゆえの「嫌味?」
と誤解されることははからずも
ありました

人々の良く知るところであり、
アルフレッド・コルトーに向かって
「へぇ、君程度でピアニストになれるの?」
といった話は有名です。

これはシャルル・カミーユ・サン=サーンスが
「超一流の真実しか眼中になかったこと」
或は
「完璧な卓越性を追求する姿勢」を示す
エピソードでもあります。

シャルル・カミーユ・サン=サーンスには
他意はありませんでした。

実際にサン=サーンスが完璧と評した生徒の中に
ピアニストのレオポルド・ゴドフスキーがいます。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは
晩年、印象主義音楽の台頭の中で、
近代音楽を批判して。
古典主義、ロマン主義を貫いたことも
彼の孤立を強めました。

このため、
楽界の大御所としての世間的な評価は不遇でした。

++++++++++++++++++++++

因みに
若き日のドビュッシーはシャルル・カミーユ・サン=サーンス
の典型的な批判者でした。

もちろんこのことは
シャルル・カミーユ・サン=サーンス
とドビュッシーの目指す音楽に。
あまりにも
大きな差があったというのも一つの原因です。

一方
シャルル・カミーユ・サン=サーンス
はドビュッシーの交響組曲『春』に対して。

嬰ヘ長調であることを理由に
管弦楽に適さないとして酷評しています。

(*これは音楽的には極めてシャルル・カミーユ・サン=サーンス
が正しいです。
ピアノで弾けば「ドビュッシーの交響組曲『春』」
は嬰ヘ長調のほうが「運指ははるかに楽」です。
管弦楽器のすべての楽器では「嬰ヘ長調」は
「辛く」「酷」です。
「半音さげてヘ長調」にすべきです)

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは。
ミヨーに至ってはその複調による不協和音の衝突に対
し「精神病院行きの代物」と切り捨てています。

しかしながら、
シャルル・カミーユ・サン=サーンス自身は
『動物の謝肉祭』では和音の平行移動などの
印象主義の技法を使っており(「水族館」)、
現代音楽の興隆には賛成していたと見られています。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは。
当時ですら、
「楽譜が重箱の隅をつつくように
システマティックすぎる」
書法もドビュッシー以下の若手作曲家の
批判の的となっていました。

しかし、
彼は必ずしも古典音楽に隷属していたわけではなく、
むしろロマン主義の枠内で新しい形の音楽を
創造しようとしただけなのです。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは。

もし彼の出生が30年早ければ。
あるいは彼の死が20年早ければまごうことなくフランスにおける
ヨハン・セバスティアン・バッハや
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの如き
大作曲家と云う。

全く違う評価がされであろうたともいわれています

(事実生前は国家プロジェクトとしての
音楽家の地位を得ていたわけであるし、
フランスにおける
歴史上唯一の国葬を受けた音楽家です)。

そういう意味で「すべからくの創造の世界」
すなわち「芸術」や「物理学」同様に。

彼は歴史の転換点における犠牲者のひとりでもある
のです。

++++++++++++++++++++++

音楽史における
シャルル・カミーユ・サン=サーンスの最も重要な役割は、
ロマン主義と現代音楽の過渡期に於いて
その「明確な方向性」を提示したことであるのです。

けれども
結果として当時のフランスには受け入れられませんでした。

しかし最近になってようやく、フランス国内でも
サン=サーンスの果たした
役割を再評価する動きも出始めています。

サン=サーンスのピアノ作品全集の出版が開始されたのが、
2007年であることにも現れています。

++++++++++++++++++++++

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは
1921年に旅行先のアルジェリアで
亡くなっています。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
カミーユ・サン=サーンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9

シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns, 1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、フランスの作曲家、オルガニスト、ピアニスト。現在では、組曲『動物の謝肉祭』、交響曲第3番『オルガン付き』、交響詩『死の舞踏』などが特に有名。その作風は折衷的、あるいは穏健かつ知的といわれる。

目次
1 略歴
2 作風と評価
3 主要作品
3.1 歌劇
3.2 劇音楽
3.3 バレエ音楽
3.4 交響曲
3.5 協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
3.5.1 ヴァイオリンと管弦楽のための作品
3.5.2 ピアノと管弦楽のための作品
3.5.3 チェロと管弦楽のための作品
3.5.4 その他
3.6 管弦楽作品
3.7 室内楽作品
3.8 ピアノ作品
3.8.1 オリジナル作品(自編を含む)
3.8.2 編曲作品(再構成作品も含む)
3.8.3 2台のピアノのための作品
3.9 合唱を含む作品
3.10 歌曲
4 著作
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク

略歴
1835年に官吏の家庭に生まれる。モーツァルトと並び称される神童タイプで、2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われている。また、10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの演奏会を開き、16歳ではじめての交響曲を書いている。1848年に13歳でパリ音楽院に入学して作曲とオルガンを学ぶ。やがて作曲家兼オルガニストとして活躍。とくにオルガンの即興演奏に素晴らしい腕を見せた彼は1857年に、当時のパリのオルガニストの最高峰といわれたマドレーヌ教会のオルガニストに就任する。1871年にはフランス音楽普及のために、フランク、フォーレらとともにフランス国民音楽協会を設立した。

1921年に旅行先のアルジェリアで亡くなっている。

作風と評価
音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍したほか、少年のころからさまざまな分野に興味を持ち、その才能を発揮した。一流のレベルとして知られるのは詩、天文学、数学、絵画などである。特に詩人としての活動は多岐にわたり、自作の詩による声楽作品も少なからず存在する。

その博識ゆえの嫌味な性格は人々の良く知るところであり、アルフレッド・コルトーに向かって「へぇ、君程度でピアニストになれるの?」といった話は有名である[要出典]。これは彼が超一流しか眼中になかったことを示すエピソードでもあった。実際にサン=サーンスが完璧と評した生徒の中に、ピアニストのレオポルド・ゴドフスキーがいる。

晩年、印象主義音楽の台頭の中で、近代音楽を批判して古典主義、ロマン主義を貫いたことも彼の孤立を強めた。このため、楽界の大御所としての世間的な評価は不遇であった。若き日のドビュッシーは、サン=サーンスの典型的な批判者であった。もちろんこのことは、彼とドビュッシーの目指す音楽に、あまりに大きな差があったというのも一つの原因であろう。当のサン=サーンスはドビュッシーの交響組曲『春』に対して嬰ヘ長調であることを理由に管弦楽に適さないとして酷評しているし、ミヨーに至ってはその複調による不協和音の衝突に対し「精神病院行きの代物」と切り捨てている。しかしながら、『動物の謝肉祭』では和音の平行移動などの印象主義の技法を使っており(「水族館」)、現代音楽の興隆には賛成していたと見られている。当時ですら、「楽譜が重箱の隅をつつくようにシステマティックすぎる」書法もドビュッシー以下の若手作曲家の批判の的となっていた。

しかし、彼は必ずしも古典音楽に隷属していたわけではなく、むしろロマン主義の枠内で新しい形の音楽を創造しようとした、といえるだろう。もし彼の出生が30年早ければ、あるいは彼の死が20年早ければまごうことなきフランスにおける大作曲家と云う全く違う評価がされたともいわれている(事実生前は国家プロジェクトとしての音楽家の地位を得ていたわけであるし、フランスにおける歴史上唯一の国葬を受けた音楽家である)。そういう意味で、彼は歴史の転換点における犠牲者のひとりでもある。音楽史における彼の最も重要な役割は、ロマン主義と現代音楽の過渡期に於いて、その例を提示したことであり、結果として当時のフランスには受け入れられなかった。しかし最近になってようやく、フランス国内でもサン=サーンスの果たした役割を再評価する動きも出始めている。サン=サーンスのピアノ作品全集の出版が開始されたのが、2007年であることにも現れていよう。

主要作品
歌劇
黄色い王女 作品30 (1872年)
「サムソンとデリラ」 (Samson et Dalila) 作品47(1869年 - 1872年) ※同作品中「バッカナール」は、フィギュアスケートで有名選手が用いるなど 特に広く知られた楽曲である
銀の音色 (1877年)
エティエンヌ・マルセル (1879年)
ヘンリー八世 (1883年)
ガブリエッラ・ディ・ヴェルジ (1885年)
プロセルピーヌ (1887年)
アスカニオ (1890年)
フリーネ (1893年)
フレデゴント (1895年)
野蛮人 (1901年)
エレーヌ (1904年)
祖先 (1906年)
デジャニール (1911年)
ロッシュ・カルドンの城、または過酷な運命

劇音楽
アンティゴネ (1893年)
デジャニール (1898年)
パリザティス (1902年)
アンドロマク (1903年)
象牙細工師の娘(疑作説あり)(1909初演)
戯れに恋はすまじ (1917年)
誓い 作品130 (1908年)

バレエ音楽
ジャヴォット (1896年)

交響曲
交響曲変ロ長調(未完、1848年)
交響曲ニ長調(未完、1850年)
イ長調(1850年頃、第1版あり)
第1番変ホ長調 作品2(1851年)
ヘ長調「ローマ」(Urbs Roma)(1856年)
第2番イ短調 作品55(1858年)
第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」(1886年)

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)

ヴァイオリンと管弦楽のための作品
ヴァイオリン協奏曲第1番イ長調 作品20(1859年)
ヴァイオリン協奏曲第2番ハ長調 作品58(1858年)
ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調 作品61(1880年)
序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28(1863年)
ロマンス 変ニ長調 作品37(1874年) ※フルートでも演奏される
「ノアの洪水」(Deluge)作品45 から「前奏曲」
ロマンス ハ長調 作品48(1874年)
演奏会用小品 ト長調 作品62(1880年)
ハバネラ ホ長調 作品83(1887年)
アンダルシア奇想曲(Caprice andalou)ト長調 作品122(1904年)

ピアノと管弦楽のための作品
ピアノ協奏曲第1番ニ長調 作品17(1858年)
ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品22(1868年)
ピアノ協奏曲第3番変ホ長調 作品29(1869年)
ピアノ協奏曲第4番ハ短調 作品44(1875年)
ピアノ協奏曲第5番ヘ長調 作品103「エジプト風」(1896年)
幻想曲「アフリカ」作品89(1891年)
アレグロ・アパショナート ロ短調 作品43(1874年)
「ウェディング・ケーキ」(カプリース・ワルツ)作品76(1886年)

チェロと管弦楽のための作品
チェロ協奏曲第1番イ短調 作品33(1873年)
チェロ協奏曲第2番ニ短調 作品119(1902年)
組曲 作品16(1862)
ロマンス ヘ長調 作品36(1874年) ※ホルンでも演奏される(下記に再掲)

その他
「ミューズと詩人たち」(La Muse et le poete)(ヴァイオリン、チェロと管弦楽)作品132(1910)
演奏会用小品ト長調 作品154(1918年 - 1919年) (ハープと管弦楽)
糸杉と月桂樹(Sypres et hauriers)作品156(1919年) (オルガンと管弦楽)
抒情的小品(オデレット)(Odelette)作品162(1920年) (フルートと管弦楽)
ロマンス ヘ長調 作品36(1874年) (ホルンとピアノ、またはホルンと管弦楽)
ロマンス ホ長調 作品67 (ホルンとピアノ、またはホルンと管弦楽)
演奏会用小品 ヘ短調 作品94(Morceau de concert) (ホルンとピアノ、またはホルンと管弦楽)

管弦楽作品
交響詩「オンファールの糸車」(Le rouet d'Omphale)作品31(1871年)
交響詩「ファエトン」(Phaeton)作品39(1873年)
交響詩「死の舞踏」(Danse macabre)作品40(1874年)
交響詩「ヘラクレスの青年時代」作品50
英雄行進曲(Marche héroïque)作品34(1871年)
アルジェリア組曲(Suite algerienne)作品60(1879年 - 1880年)(4曲)
組曲「動物の謝肉祭」(Le carnaval des animaux)(1886年) ※近年は室内楽編成で演奏されることも多い
行進曲「東洋と西洋」作品25 (1869年) (吹奏楽)

室内楽作品
ピアノ五重奏曲イ短調 作品14(1858年)
ピアノ四重奏曲ロ長調 作品41(1875年)
ピアノ三重奏曲第1番ヘ長調 作品18(1869年)
ピアノ三重奏曲第2番ホ短調 作品92(1892年)
七重奏曲変ホ長調 作品65(1881年) (トランペット、弦五部、ピアノ)
弦楽四重奏曲第1番ホ短調 作品112(1899年)
弦楽四重奏曲第2番ト長調 作品153(1919年)
ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調 作品75(1885年)
ヴァイオリン・ソナタ第2番変ホ長調 作品102(1896年)
チェロ・ソナタ第1番ハ短調 作品32(1871年 - 1872年)
チェロ・ソナタ第2番ヘ長調 作品123(1905年)
オーボエ・ソナタ ニ長調 作品166(1921年)
クラリネット・ソナタ変ホ長調 作品167(1921年)
バスーン・ソナタ ト長調 作品168(1921年)
カヴァティーナ 作品144(1915年) (トロンボーンとピアノ)
幻想曲イ長調 作品124(1907年) (ヴァイオリンとハープ)
2つのエレジー 作品143、160 (ヴァイオリンとピアノ)
デンマークとロシアの歌による奇想曲 作品79(1887年) (ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット)
映画「ギーズ公の暗殺」(L'assassinat du Duc de Guise)の音楽 作品128(1908年) ※世界最初の映画音楽と言われる。

ピアノ作品

オリジナル作品(自編を含む)
6つのバガテル 作品3
マズルカ第1番 作品21
ガヴォット 作品23
マズルカ第2番 作品24
メヌエットとワルツ 作品56
6つの練習曲 第1集 作品52
オンファールの糸車 作品31(自編)
マズルカ第3番 作品66
アレグロ・アパショナート 作品70
アルバム 作品72               
イタリアの思い出 作品80
夕べの鐘 作品85
カナリアのワルツ 作品88
アフリカ 作品89
組曲 作品90
主題と変奏 作品97
イスマイリアの想い出 作品100
かわいいワルツ 作品104
のんきなワルツ 作品110       
6つの練習曲 第2集 作品111
弱々しいワルツ 作品120
左手のための6つの練習曲 作品135
愉快なワルツ 作品139
6つのフーガ 作品161    
アルバムのページ 作品169

編曲作品(再構成作品も含む)
ベルリオーズの《ファウストの劫罰》より賛歌
D.ルイ・ミランのリュートのための2つの幻想曲
グノーの《ファウスト》より祭典とワルツ
グルックの《アルチェステ》のエール・ド・バレエによるカプリス
リストの《ベートーヴェン・カンタータ》による即興曲
バッハ編曲集 全2集

2台のピアノのための作品
ベートーヴェンの主題による変奏曲 作品35(1874年)
ポロネーズ 作品77(1886年)
スケルツォ 作品87(1890年)
アラビア幻想曲 作品96(1894年)

合唱を含む作品
クリスマス・オラトリオ 作品12(1858年)
カンタータ「プロメテの結婚」作品19(1887年)
オラトリオ「ノアの洪水」(Deluge)作品45(1874年)
レクイエム 作品54(1878年)

歌曲
歌曲集「ペルシャの歌」(Melodies persanes)作品26(1870年) (A.ルノー詞、6曲)
「見えない笛」(Une flûte invisible)(1885年) (V.ユゴー詞、フルートのオブリガード付き)
「鼓手の婚約者」(La fiancée du timbalier)作品82(1887年) (V.ユゴー詞)

著作
日本語訳があるものは次の通り。

『音楽の十字街に立つ』(馬場二郎訳/新潮社/1925年)
ジャン=ミシェル・ネクトゥー編著『サン=サーンスとフォーレ 往復書簡集1862-1920』(大谷千正、日吉都希惠、島谷眞紀訳/新評論/1993年)

参考文献
ミヒャエル・シュテーゲマン著『サン=サーンス』(西原稔訳/音楽之友社/1993年)

関連項目
Category:サン=サーンスの楽曲

外部リンク
サン=サーンスの墓 - フランス音楽のウェブサイト
IMSLP - International Music Score Library Project 内のカミーユ・サン=サーンスのページ。無料で楽譜が入手可能。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9" より作成
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | フランスの作曲家 | ロマン派の作曲家 | オペラ作曲家 | 映画音楽の作曲家 | フランスのクラシック音楽のピアニスト | オルガニスト | 1835年生 | 1921年没

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10月9日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%889%E6%97%A5

できごと
1799年 - ナポレオンがエジプト遠征からパリに帰還。

1831年 - イオアニス・カポディストリアス暗殺。

1874年 - 万国郵便連合が発足。

1885年 - 日本がメートル条約に加入。

1905年 - 日露反戦論を展開した平民社が弾圧により解散、幸徳秋水らが入獄。

1916年 - 寺内正毅内閣が成立。

1945年 - 幣原喜重郎内閣が成立。

1945年 - GHQが新聞の事前検閲を在京5紙に対して開始。

1952年 - 黒澤明監督の映画『生きる』が封切り。

1962年 - ウガンダ独立。

1962年 - 厚生省の「麻薬Gメン」が初出動。

1967年 - チェ・ゲバラがボリビアの山中で政府軍に射殺。

1981年 - フジテレビでドラマ『北の国から』が放送開始。

1981年 - 京都市議会で日本初の「空き缶回収条例」が可決される。

1983年 - ビルマ(現ミャンマー)・ラングーン(現ヤンゴン)の
アウン・サン廟で北朝鮮工作員による爆弾テロ、
韓国の要人17人とビルマ人4人が死亡(ラングーン事件)。

1984年 - 柔道の山下泰裕に国民栄誉賞。

1989年 - 千葉市に日本コンベンションセンター(現:幕張メッセ)が開場。

1992年 - 社団法人全日本トラック協会と47都道府県トラック協会が「トラックの日」を制定。

1995年 - 新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面対抗戦が東京ドームで行われる

1996年 - 北海道の人気テレビ番組「水曜どうでしょう」放送開始。

2000年 - さいたま市にジョン・レノン・ミュージアムが開館。

2000年 - ハロー!プロジェクトの音楽ユニット、T&Cボンバー(太陽とシスコムーン)が解散。

2002年 - 田中耕一島津製作所社員にノーベル化学賞を贈られることが決定する。

2004年 - 台風22号が静岡県の伊豆半島に上陸。
石廊崎で最大瞬間風速67.6m(観測史上最高)を観測。

2006年 - 北朝鮮が咸鏡北道花郡で核実験を実施(→北朝鮮の核実験)。

誕生日
1757年 - シャルル10世、フランス王(+ 1836年)

1782年 - ルイス・カス、アメリカ合衆国国務長官(+ 1866年)

1835年 - カミーユ・サン=サーンス、作曲家(+ 1921年)

1840年(天保11年9月14日)- 松本楓湖、日本画家(+ 1923年)

1873年 - カール・シュヴァルツシルト、天文学者(+ 1916年)

1892年 - 水原秋桜子、俳人、医学博士(+ 1981年)

1897年 - 大佛次郎、小説家(+ 1973年)

1908年 - ヴェルナー・フォン・ヘフテン、ドイツ陸軍少尉(+ 1944年)

1919年 - 皆川定之、元プロ野球選手(+ 1986年)

1924年 - 春日八郎、歌手(+ 1991年)

1925年 - 関口清治、元プロ野球選手・監督(+2007年)

1933年 - ピーター・マンスフィールド、物理学者

1940年 - ジョン・レノン、元ビートルズ、ミュージシャン(+ 1980年)

1940年 - ジョー・ペピトーン、元メジャーリーガー

1943年 - 星野勘太郎、プロレスラー

1944年 - ジョン・エントウィッスル、ミュージシャン(ザ・フー)(+ 2002年)

1945年 - 水前寺清子、歌手

1947年 - 中村泰久、天文学者

1947年 - フランス・ギャル、歌手

1950年 - 仲井戸麗市、ミュージシャン
1950年 - ドン小西、ファッションデザイナー
1951年 - 加藤博一、元プロ野球選手・野球解説者(+2008年)
1957年 - 野沢由香里、女優
1958年 - 市川和正、元プロ野球選手
1960年 - 福田和也、文芸評論家
1961年 - 永田利則、元プロ野球選手
1962年 - 大乃国康、第62代横綱、現・芝田山親方
1962年 - 佐々木修、元プロ野球選手・野球解説者
1962年 - 中山ラマダ、漫画家
1966年 - 斉藤レイ、女優
1967年 - エディ・ゲレロ、プロレスラー(+ 2005年)
1967年 - ジム・テータム、野球選手
1969年 - 秋山準、プロレスラー
1970年 - アニカ・ソレンスタム、ゴルファー
1970年 - なだぎ武、お笑いタレント(ザ・プラン9)
1972年 - 長野博、歌手(V6メンバー)
1972年 - 宮田幸季、声優
1973年 - 夏川りみ、歌手
1974年 - アンソニー・W・森、プロレスラー
1975年 - ショーン・レノン、ミュージシャン
1975年 - 秀島史香、DJ・ナレーター
1977年 - ブライアン・ロバーツ、メジャーリーガー
1979年 - 直井由文、ミュージシャン(BUMP OF CHICKEN)
1979年 - 若林麻衣子、福岡放送アナウンサー
1979年 - 田澤美亜、ファッションモデル
1981年 - 伊調千春、レスリング選手
1981年 - 高橋真麻、フジテレビアナウンサー
1983年 - 寺原隼人、プロ野球選手
1983年 - 阿部玲子、声優
1984年 - 西居幸恵、グラビアアイドル
1997年 - 清水萌々子、女優
生年非公表 - 安蘭けい、宝塚歌劇団星組男役トップスター
生年非公表 - 氏賀Y太、漫画家

忌日
1047年 - クレメンス2世、第149代ローマ教皇(* 1005年)

1253年 - ロバート・グロステスト、神学者(* 1175年?)

1390年 - フアン1世、カスティーリャ王(* 1358年)

1597年(慶長2年8月28日) - 足利義昭、室町幕府最後の征夷大将軍(* 1537年)

1613年(慶長18年8月25日)- 浅野幸長、武将・和歌山藩主(* 1576年)

1709年 - バーバラ・パーマー、イングランド王チャールズ2世の愛妾(* 1640年)

1806年 - ベンジャミン・バネカー、天文学者(* 1731年)

1831年 - イオアニス・カポディストリアス、ギリシャ大統領(* 1776年)

1924年 - ワレリー・ブリューソフ、作家(* 1873年)

1925年 - フーゴー・プロイス、法学者(* 1860年)

1934年 - アレクサンダル1世、ユーゴスラビア王(* 1888年)

1943年 - ピーター・ゼーマン、物理学者(* 1865年)

1945年 - 薄田泣菫、詩人(* 1877年)

1948年 - 佐々弘雄、法学者・参議院議員(* 1897年)

1950年 - 池田成彬、大蔵大臣・第14代日本銀行総裁(* 1867年)

1950年 - ニコライ・ハルトマン、哲学者(* 1882年)

1958年 - ピウス12世、第259代ローマ教皇(* 1876年)

1967年 - アンドレ・モーロワ、作家(* 1885年)

1967年 - シリル・ヒンシュルウッド、化学者(* 1897年)

1967年 - チェ・ゲバラ、革命家、ゲリラの指導者、医師(* 1928年)

1969年 - 正力松太郎、読売新聞社主(* 1885年)

1974年 - オスカー・シンドラー、実業家(* 1908年)

1978年 - ジャック・ブレル、シャンソン歌手・俳優(* 1929年)

1982年 - アンナ・フロイト、精神分析学者(* 1895年)

1987年 - ウィリアム・P・マーフィ、医学者(* 1892年)

1988年 - 山川千秋、ニュースキャスター(* 1933年)

1993年 - 日本橋きみ栄、歌手(* 1915年)

1995年 - アレック・ダグラス=ヒューム、元イギリス首相(* 1903年)

1999年 - ミルト・ジャクソン、ジャズ・ビブラフォン奏者(* 1923年)

2001年 - ハーバート・ロス、映画監督(* 1927年)

2007年 - クルト・シュヴァーエン、作曲家(* 1909年)

2007年 - 西條八束、陸水学者(* 1924年)

記念日・年中行事
世界郵便デー/万国郵便連合記念日
1874年10月9日に、全世界を一つの郵便地域にすることを目的とする
万国郵便連合 (UPU) がスイスで結成されたことに由来。
1969年に「UPUの日」として制定され、1984年に世界郵便デーになった。

寒露(日本)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が195度の時で、霜が冷気によって凍りそうになるころ。

秋の八幡祭(高山祭)
岐阜県高山市で行われる秋の例祭。日本三大美祭の一つに数えられる。

トラックの日
10月9日の「10」(ト)と「9」(ク)の語呂合わせから。