東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年10月12日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年10月12日(日曜日)

「金木犀:きんもくせい」の花の蕾が淡い黄色
でにはじめて見えました。
「芳香」は蕾のみえるまえから
ありました。
堂々たる。
「10月」の「中秋」になりました。
あっというまに。
「9月の「秋」もすぎさりました。
もう既に「中秋」を通り越し「深い秋」
を歩んでいるのかもしれません。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。
「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで伝えます。
返事がかえってくるようです。

夏場の早朝のくらい時には明星はみえなかった。
季節が「あゆみ」。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

秋霧雨(あききりさめ)の。
秋霞(あきかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
「独唱」から「合唱」になりました。

朝暗いうちの「こおろぎ」の合唱は。

「秋」の「ふうりん」のごとし。
あれ沢山の「ふうりん」かなと思われる音色です。
とても「感動的」です。
「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い秋」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」は「ふくろう」が
何匹も集い(つどい)考えているようにみえます。

私も「日々を旅いく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたりました。

私は
「日々を旅いく旅人(たびびと)」です。
「きょう」と「あす」しか。
私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
まだかすかにも。
のこる「はつ秋」の気配
もあるけれども。

あきらかにそしてしっかりと。
しのびよる深まる秋の大気。

「ふかまる秋」の気配が「確かに」。
そして明らかに。
感じられるようになりました。

「10月」も「12日」がおわりました。
今年平成20年(2008年)も。
「四分の三」がおわりました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく秋の樹木」にうつろうように
変化しています。

「秋」にも「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月。
今現在は落ち着いた「秋」の葉木。
「秋」の木々の「葉」
へと。
「みのりの秋」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポピラも。つばきもくすのきも。
「秋」にも「若葉」が。
ハンカチをふるように
「秋のわかば」の「めばえ」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は「おせどにこおろぎのなく」
「秋」。

秋の濃い緑の葉になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
黄色い葉もまじるようになった。
しだいにしだいに。
黄色調の葉がふえているのに
きがつきます。
紅葉。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。

秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは秋になりました。
そよかぜに揺れる葉は
招き誘われるような気すら致します。

やはり夏桜の木は
シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

秋になり人生になれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
針葉樹から常緑樹に「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕暮れ陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」の
陽射しにもにあいません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。

木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。
そして「すすき」もくわわり。

夏草から秋草へのたたずまいをしています。
そしてもう秋草へと黄金色に転した
街角の雑草もあります。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。
もう。
はださむいような気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

「蓮(ハス)」があります。
ハスの花がさき。
「はすの花」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。
「姫睡蓮(ひめすいれん)」でも
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

日曜の
朝晴れて
はじめて気づく
にわの小ささ

にちようの
あさはれて
はじめてきづく
にわのちいささ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

秋きらきらラピス・ラズリの空(そら)
秋紺碧のカクテルいろの空(そら)
秋ミルクをそそそいだ空(そら)
秋トルコいしのプリンの空(そら)
秋はるかにとほくたかい空(そら)
秋ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
秋プリンの上のクリームのような空(そら)
秋睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
秋睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
秋空(そら)の向こうにまた空(そら)
秋そのまたむこうにももっと空(そら)

春のうららのこもれびに
緑木いらかをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜさやか
秋風かたれるやすらきの
四季のつきひははやいくとせ

秋椎木(しいのき)は枝高し
秋そらに吼える若葉の穂束
秋そらに吼える蒼き獅子のごとし
秋天にも地にもみどりはさける
秋のあさふかまりて
秋陽の光ゆたかなりけり
秋いふことのなし
秋いふことがなし
秋いふことはなし
秋いふこともなし
ゆたかなるかな秋

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
現在のハンガリー出身で
主にドイツで活躍した20世紀初期の大指揮者の一人。
また、現在チャイコフスキーの曲*が
ドイツ・オーストリア系の作曲家の作品と
同等の扱いで演奏されているのはこの音楽家の
尽力によると評価されている指揮者。

1855年 - アルトゥル・ニキシュ、指揮者(+ 1922年)
の生誕日です。
(*
ピョートル・チャイコフスキーの「作品」の楽譜
では「指定楽器」では
「演奏不能」な或は
「極めて音を出すのが困難な音域」
或は「楽器の構造上この旋律は無理」
という「楽譜」が少なくないのです。)

++++++++++++++++++++++

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュ
(Nikisch Artúr, Arthur Nikisch,
1855年10月12日 
モション県レーベーニ近郊レーベーニ・セントミクローシュ
Lébényi Szent-Miklós
(現在のモションセントミクローシュ Mosonszentmiklós) -
1922年1月23日)は。

現在のハンガリー出身で
主にドイツで活躍した20世紀初期の大指揮者の一人です。

++++++++++++++++++++++

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュは。
リヒャルト・シュトラウスやマーラー等
同時代の作品の演奏も積極的に行いました。

また、現在チャイコフスキーの曲が
ドイツ・オーストリア系の作曲家の作品と
同等の扱いで演奏されているのは、
ニキシュの貢献によるものだと言われています。

これはピョートル・チャイコフスキーの「作品」の楽譜
では「指定楽器」では
「演奏不能」な或は
「極めて音を出すのが困難な音域」
或は「楽器の構造上この旋律は無理」
という「楽譜」が少なくないのです。

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュは
これを「見抜き」。
一番最適な「楽器」を
ピョートル・チャイコフスキーの「指定楽器」に置換えて
指揮をすることができたからです。

++++++++++++++++++++++

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュは。
ハンガリー西部、レーベーニ近郊に
ハンガリー出身の父とモラヴィア出身の母のもと生まれました。

略歴

1866年、10歳でウィーン音楽アカデミーに入学し
ヴァイオリン並びに作曲を学びました。

1873年、17歳で同アカデミーを優秀な成績で卒業。

1874年、18歳でウィーン宮廷歌劇場管弦楽団
(現ウィーン国立歌劇場管弦楽団)に
ヴァイオリン奏者として入団。

以後、同オーケストラで。
リスト、ヴェルディ、ワーグナー、ブラームスなどの
作曲家たちに接します。

1878年(22歳)にライプツィヒ市立歌劇場に指揮者として就職。
以後、各地のオーケストラを指揮致しました。

1885年(29歳) 12月30日、
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮して
ブルックナーの交響曲第7番の初演を行いました。

1895年(39歳)にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者になります。
亡くなるまで、ライプツィヒ歌劇場の音楽監督を務めました。

++++++++++++++++++++++

現在残されているニキシュの指揮姿を記録した
サイレント映画では。
ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュは。
腕を顔の近くまで高く上げて指揮をしています。

ニキシュの指揮は、チャイコフスキー曰く。

”魔術に没頭するような”指揮でありました。

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュが
一度指揮をすると
「旋律」は「極めて神秘的な音楽」として再現され
「魔術を使うが如く」と評されています。

++++++++++++++++++++++

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュの
指揮によるオーケストラが
生み出す響きは非常に神秘的な色彩を帯びています。

当時の作曲家たちは皆一様に自らの作品が
その色に染まっていく様を。
驚きを持って聴き入っていたということです。

++++++++++++++++++++++

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュは。

ピョートル・チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第1楽章で。

ファゴットが指定されているにもかかわらず。
演奏不可能な箇所を、
バスクラリネットに演奏させる方法を考案致しました。

++++++++++++++++++++++

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュの録音
1913年にベートーヴェンの運命交響曲を
ベルリン・フィルと録音致しました。
これがベルリンフィルの最初の録音とされています。

アコースティック録音であり、
トスカニーニはこの録音について。

「私の知るニキシュの演奏とは違う」と語ったといわれています。

ベルリンフィルとの数点の録音以外には。
ロンドン交響楽団との録音や。

ピアノ演奏(特に有名なものが、ニキシュの見出した
メゾ・ソプラノ歌手エレナ・ゲルハルトの伴奏をしているもの)
が遺されています。

いずれも1904年から1921年の間の旧
吹き込み(アコースティック録音)です。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
アルトゥル・ニキシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A5

ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュ(Nikisch Artúr, Arthur Nikisch, 1855年10月12日 モション県レーベーニ近郊レーベーニ・セントミクローシュ Lébényi Szent-Miklós(現在のモションセントミクローシュ Mosonszentmiklós) - 1922年1月23日)は、現在のハンガリー出身で主にドイツで活躍した20世紀初期の大指揮者の一人。

概要
リヒャルト・シュトラウスやマーラー等、同時代の作品の演奏も積極的に行っていた。 また、現在チャイコフスキーの曲がドイツ・オーストリア系の作曲家の作品と同等の扱いで演奏されているのは、ニキシュの貢献によるものだと言われている。

ハンガリー西部、レーベーニ近郊にハンガリー出身の父とモラヴィア出身の母のもと生まれる。

現在残されているニキシュの指揮姿を記録したサイレント映画では、腕を顔の近くまで高く上げて指揮をしている。ニキシュの指揮は、チャイコフスキー曰く”魔術に没頭するような”指揮であったらしい。彼の生み出す響きは非常に神秘的な色彩を帯び、当時の作曲家たちは自らの作品がその色に染まっていく様を、驚きを持って聴き入っていたという。また、彼は交響曲第6番「悲愴」の第1楽章で、ファゴットが指定されているにもかかわらず演奏不可能な箇所を、バスクラリネットに演奏させる方法を考案した。

略歴
ハンガリーに生まれる。

1866年、10歳でウィーン音楽アカデミーに入学しヴァイオリン並びに作曲を学ぶ。

1873年、17歳で同アカデミーを優秀な成績で卒業。

1874年、18歳でウィーン宮廷歌劇場管弦楽団(現ウィーン国立歌劇場管弦楽団)にヴァイオリン奏者として入団。以後、同オーケストラでリスト、ヴェルディ、ワーグナー、ブラームスなどの作曲家たちに接する。

1878年(22歳)にライプツィヒ市立歌劇場に指揮者として就職。以後、各地のオーケストラを指揮する。

1885年(29歳) 12月30日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮してブルックナーの交響曲第7番の初演を行う。

1895年(39歳)にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者になる。亡くなるまで、ライプツィヒ歌劇場の音楽監督を務めた。

録音
1913年にベートーヴェンの運命交響曲をベルリン・フィルと録音した。これがベルリンフィルの最初の録音とされている。アコースティック録音であり、トスカニーニはこの録音について、「私の知るニキシュの演奏とは違う」と語ったといわれている。ベルリンフィルとの数点の録音以外には、ロンドン交響楽団との録音や、ピアノ演奏(特に有名なものが、ニキシュの見出したメゾ・ソプラノ歌手エレナ・ゲルハルトの伴奏をしているもの)が遺されている。いずれも1904年から1921年の間の旧吹き込み(アコースティック録音)である。

先代:
カルル・ライネッケ ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
常任指揮者
1895 - 1922 次代:
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
先代:
ハンス・フォン・ビューロー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
常任指揮者
1895 - 1922 次代:
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

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10月12日
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できごと
1492年 - クリストファー・コロンブス率いるスペイン船隊が
西インド諸島に初上陸、新大陸アメリカを発見。

1881年 - 1890年に国会を開設する旨の詔書を発布。

1928年 - 東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇団)を設立。

1940年 - 新体制運動推進の為の大政翼賛会が発足。

1943年 - 教育戦時非常措置を決定、理工系・教員養成系以外の徴兵猶予を停止。

1956年 - 立川基地拡張の為の砂川町第二次強制測量で
警官と反対派が衝突(砂川事件)。

1957年 - 中日ドラゴンズの大矢根博臣が甲子園での対阪神タイガース戦で、
ノーヒットノーラン達成。

1959年 - 日本が国連経済社会理事国に当選。

1960年 - 日比谷公会堂で行われていた三党立会演説会で
右翼青年の山口二矢が浅沼稲次郎日本社会党委員長を刺殺(浅沼稲次郎暗殺事件)。

1968年 - 赤道ギニアがスペインから独立。

1968年 - 第19回夏季オリンピック・メキシコシティオリンピックが開幕。

1974年 - 中日ドラゴンズが大洋ホエールズを破り2度目のセリーグ制覇。
巨人の10連覇を阻止。

1974年 - 読売ジャイアンツの長嶋茂雄が現役引退を表明。

1976年 - 江青ら4人組を逮捕、首相の華国鋒が中国共産党主席に就任。

1978年 - 国土計画がプロ野球球団クラウンライターライオンズを買収し、
西武ライオンズとする。本拠地も福岡から埼玉・所沢へ移転。

1982年 - ロッテオリオンズの落合博満が史上4人目の三冠王。

1983年 - ロッキード事件裁判(丸紅ルート)の第一審で、
元内閣総理大臣の田中角栄に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決。

1986年 - サントリーホールが開場。

1987年 - マサチューセッツ工科大学の利根川進がノーベル生理学・医学賞受賞。

1992年 - セビリア万国博覧会が閉幕。

1997年 - JR中央線の大月駅構内で、特急列車と回送列車が衝突し脱線事故(詳細)。

1997年 - 京都市営地下鉄東西線醍醐駅〜二条駅間が開業。
ならびに京阪京津線京津三条駅〜御陵駅間が廃止。

2000年 - 清貴がシングル『No No No』で歌手デビュー。

2002年 - インドネシアバリ島のナイトクラブで爆弾テロ。
202人が死亡、300人以上が重軽傷。

2005年 - 中国が有人宇宙船神舟6号の打ち上げに成功。

2006年 - 北海道日本ハムファイターズが25年振りにパシフィックリーグを制覇。

2007年 - 首都圏の鉄道600以上の駅で日本信号製の自動改札機が起動しないトラブル。

誕生日
1533年(天文元年9月24日) 朝倉義景、戦国時代の大名(+ 1573年)

1537年 - エドワード6世、イングランド国王(+ 1553年)

1685年(貞享2年9月15日)- 石田梅岩、思想家(+ 1744年)

1798年 - ペドロ1世、初代ブラジル皇帝(+ 1834年)

1855年 - アルトゥル・ニキシュ、指揮者(+ 1922年)

1872年 - レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ、作曲家(+ 1958年)

1875年 - アレイスター・クロウリー、神秘主義者(+ 1947年)

1891年 - 近衛文麿、第34,38,39代内閣総理大臣(+ 1945年)

1891年 - エーディト・シュタイン、カルメル会修道女・哲学者(+ 1942年)

1892年 - 南部修太郎、小説家(+ 1936年)

1898年 - 伊藤大輔、映画監督(+ 1981年)

1903年 - 高木恭造、方言詩人(+ 1987年)

1905年 - リック・フェレル、元メジャーリーガー(+ 1995年)

1917年 - 筒井修、元プロ野球選手(+ 1990年)

1929年 - ナッピー・ブラウン、ブルース歌手(+ 2008年)

1930年 - 石渡照久、政治家

1932年 - 三浦雄一郎、スキー選手

1933年 - 竹内啓、経済学者・統計学者

1933年 - 佐々木信也、元プロ野球選手

1934年 - カール・ボレス、プロ野球選手

1934年 - ジェイムズ"シュガー・ボーイ"クロフォード、米国のR&Bシンガー

1935年 - ルチアーノ・パヴァロッティ、テノール歌手(+ 2007年)

1942年 - 中山律子、ボウリング選手

1943年 - 三輪勝恵、声優

1944年 - トン・コープマン、指揮者・チェンバロ奏者・オルガン奏者

1946年 - 秋山仁、数学者

1947年 - 山根一眞、ジャーナリスト
1948年 - 島田荘司、推理作家
1950年 - 鹿賀丈史、俳優
1959年 - 東儀秀樹、雅楽演奏家
1959年 - 本郷みつる、アニメーション監督
1960年 - 真田広之、俳優
1961年 - アレクセイ・クドリン、ロシアの政治家
1964年 - 彦野利勝、プロ野球選手
1966年 - 石森則和、アナウンサー・パーソナリティー
1967年 - 香田晋、歌手
1970年 - Origa、歌手
1970年 - 相模なつき、漫画家
1972年 - 日高明大、ミュージシャン
1975年 - マリオン・ジョーンズ、陸上競技選手
1978年 - 城雅子、声優
1979年 - ともさかりえ、女優
1979年 - 小畑由香里、ファッションモデル
1981年 - 名城信男、プロボクサー
1982年 - 乙黒えり、女優
1985年 - 前田由紀(yukki)、元Whiteberry、歌手
1988年 - 松永裕子、女性アイドル
1990年 - 末永佳子、グラビアアイドル
1994年 - 小林真心、子役
生年不明 - 須永司、アニメーション監督

忌日
1203年(建仁3年9月6日)- 仁田忠常、武将(* 1168年)

1320年 - ミカエル9世パレオロゴス、東ローマ皇帝(* 1277年)

1492年 - ピエロ・デラ・フランチェスカ、画家

1576年 - マクシミリアン2世、神聖ローマ皇帝(* 1527年)

1590年(天正18年9月4日) - 狩野永徳、狩野派絵師(* 1543年)

1632年(寛永9年8月29日)- 朽木元綱、戦国武将(* 1549年)

1730年 - フレデリク4世、デンマーク王(* 1671年)

1746年(延享3年8月28日)- 富永仲基、思想家(* 1715年)

1774年(安永3年9月8日)- 徳川治察、田安徳川家第2代当主(* 1753年)

1825年 - ミュラー・フォン・ライヒェンシュタイン、化学者(* 1740年)

1858年(安政5年9月6日)- 歌川広重、浮世絵師(* 1797年)

1859年 - ロバート・スチーブンソン、鉄道技術者・英国保守党下院議員(* 1803年)

1870年 - ロバート・E・リー、アメリカ連合国陸軍総司令官(* 1807年)

1920年 - 柳寛順、三・一独立運動の運動家(* 1902年)

1924年 - アナトール・フランス、小説家(* 1844年)

1931年 - 桜井勉、日本の天気予報創始者(* 1843年)

1943年 - マックス・ヴェルトハイマー、心理学者(* 1880年)

1946年 - ジョセフ・スティルウェル、アメリカ陸軍の将軍(* 1883年)

1949年 - 河上清、ジャーナリスト(* 1873年)

1960年 - 浅沼稲次郎、社会党委員長(* 1898年)

1965年 - パウル・ヘルマン・ミュラー、化学者(* 1899年)

1969年 - ソニア・ヘニー、フィギュアスケート選手(* 1912年)

1971年 - ディーン・アチソン、第51代アメリカ合衆国国務長官(* 1893年)

1971年 - ジーン・ヴィンセント、
ロカビリー歌手(ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップス)(* 1935年)

1979年 - キャサリン・ブロジェット、化学者(* 1898年)

1983年 - アーニー・ロス、プロレスマネージャー(* 1929年)

1987年 - アルフレッド・M・ランドン、カンザス州知事(* 1887年)

1989年 - カーメン・キャバレロ、ピアニスト(* 1913年)

1991年 - アルカジイ・ストルガツキー、SF作家ストルガツキー兄弟の兄(* 1925年)

1996年 - ルネ・ラコステ、テニス選手・ラコステ創業者(* 1904年)

1997年 - ジョン・デンバー、シンガーソングライター(* 1943年)

1999年 - 三浦綾子、小説家(* 1922年)

1999年 - ウィルト・チェンバレン、バスケットボール選手(* 1936年)

2000年 - ミヤコ蝶々、女優・漫才師(* 1920年)

2002年 - 桃井望、AV女優 (* 1978年)

2003年 - ウィリー・シューメーカー、騎手(* 1931年)

2004年 - 山平和彦、シンガーソングライター(* 1952年)

2005年 - 角梨枝子、女優(* 1928年)

2006年 - ジッロ・ポンテコルヴォ、映画監督(* 1919年)

2007年 - 黒川紀章、建築家 (* 1934年)

2007年 - ソー・ウィン、第10代ミャンマー首相(* 1948年?)

記念日・年中行事
コロンブス・デー (w:Columbus Day)
/ディスカバリー・デー/大陸発見記念日/新大陸発見の日(アメリカ大陸の各国)、
イスパニアの日(スペイン)
1492年10月12日に、サンタマリア号で航海していたコロンブスが
新大陸アメリカに到達したことに由来。

芭蕉忌/時雨忌/桃青忌/翁忌(日本)
元禄7年10月12日(1694年11月28日)に松尾芭蕉が亡くなったことに由来。