「ここをおして」をクリックされてください。


東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科

山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)



東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月6日(木曜日)



ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月もおわりました。
夏はすぎました。
9月の秋はおわりました。
中秋10月です。
あと「2日」で「11月」冬間近です。



「秋」になりました。
「9月」の初秋がおわり。

「10月」になり「30日目」です。
「10月もおわり」です。
もう「11月」。
ことしも「あと63日」で。
「来年」になります。

考えると「おそろしいもの」です。
考えなければ「なおおおそろしい」。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「秋雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ような「寒月」です。


日があければ。
朝日を背に。
西のコバルトの空高くの。
高い成層圏近くの高い高度に。

「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」が
西のコバルトの空高に
描かれていました。
見事な筆裁きです。
ためらいがない「朝焼け色」の線描です。
高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「あな」があり
「青空」がみえます。

さながらにして。
皇室は赤坂迎賓館の。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。
そのものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば
今年も「10ヶ月」が
終わりました。
そして中秋から晩秋。
「寒月」です。



病院の庭園に「4本」ある
「金木犀:きんもくせい」の大木の
いずれもがこがねの花を
たんぽぽ
のように
枝にみのらせていました。
まだ「はつはな」で初々しかったです。
けれども「金木犀:きんもくせい」
は雨に打たれると。
花は地面にオレンジの緋色毛氈(ひいろもうせん)
のように落下致します。
オレンジ色の雪のようでし。

「金木犀:きんもくせい」に変わって
「銀木犀:きんもくせい」のプラチナ色の香りが

致しました。
「金木犀:きんもくせい」も
「銀木犀:きんもくせい」
も花はおわりました。
山茶花が蕾をふくらませています。



ふと野草の花は香らないこよに気づきました。



伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
(Corn lower, Bachelor's-button)です。


因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑の中に 咲いていたことから「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」 なのですが
実はまったく違う植物です
「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花。



古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」で色は紫です。



ツタンカーメン王のまだ幼な子王妃が
「亡きツタンカーメンンにささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮ぶ「野菊」です。
けれども「野菊」は香りません


毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころに
「こおろぎ」がないています
「こおろぎ」のほかの。
「秋の虫」も
鳴き声はきこえているようです。
「秋の虫たち」がないています。
こおろぎたちの合唱がきこえてきます。
こおろぎが
「夏のせみより大きな鳴き声」で
鳴く時期のあることに。
びっくりいたしました。
「ろうろう」「こうこう」です。
けれども「虫たちの鳴き声」
は次第に小さく少なく聞こえる
ようになりました。


秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

あききぬとめにはさやかにみえねども
かぜのおとにぞおどろかれぬる

これは「今現在の秋」よりもう少し手前の
「旧暦初秋或は晩夏」の時期に詠まれた
昔の短歌です。

「来(き)ぬ」「着ぬ」「絹」の
最初の「韻:いん」で衝撃的
なインパクトを伝える「うた」です。

そして
「みえね」「美え音」で「第2主題」の伏線をはり。
突如として。
「かぜの音」にて「第2主題」の旋律。
「音」を響かせてフオルレッシモ
ff

季節そのものの感覚を「音」にあらわした
名歌です。

ジプシーのチャルダッシュの
ラッサン・フリスカのような「うた」です。


これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは速くなる。


しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。
けれども「安堵感」と「落胆感」は
表裏一体。両羽(もろば)の剣です。
「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
性格を「短くなる陽」は持っています。

季節には「大気の音」があるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

「つつじ」の「花」が「春に」おわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。



金木犀の大木が4本と銀木犀が2本
あります。

「中秋」をつたえるがごとく。
モクセイの木が「香り花」が開花致しました。
今は
「晩秋」。
「木犀:もくせい」の「花」は通り過ぎました。


「花」はみえない頃からもう
「金木犀:きんもくせい」
は「香っています」。

モクセイも秋にも若葉をだします。
「木犀:モクセイ」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。


「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。



この時期になり。
私は森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉する
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈ほどもある群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

里山の紅葉の時期になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。


*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。


邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。


「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を.
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。


木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「秋」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「秋若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる秋」をまちます。
「紅葉」の炎が。
くすぶりまちわびてています。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えていました。


桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。


明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。


今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。


「幸せ色」=「しあわせいろ」
ならばよいです。

けれども
早朝ははだ寒くなりました。




秋やま中さまよい
秋わけいらば
秋大樹の根元に隠れたり
秋あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
秋みつけたりやまの華。
秋やまの葉木のかくれんぼ
秋大樹の根元に隠れたり
秋山はぜの葉木。
秋やまうるしの葉木。
秋あきやまはぜとあきやまうるし。

秋山萩(やまはぎ)の
秋花をかくして燃えたたむ
秋に実りの祭りなり
秋山はぜの葉炎
秋天高く燃ゆ

あきやまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
あきにみのりのまつりなり
あきやまはせのほのほ
あきてんたかくもゆ




あきひろくなりけり空(そら)たかし
あきさとやまに木々のみどり木
あきこもれびうけて燃えるがごとし
あきみどりの炎(ほのほ)
あきほのほうちけさむかすみはあおし
あきほのほにかすみにただよひて
あきうるわしくかがやきたり
あきあたたかくかおりたり
あきあざやかなりけり 
あきやまさとのやまみどり
あきやまさとのふかみどり


ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。






「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」


私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。


-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------


平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。

-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++


平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。

5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------


7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。


++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。

けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++


9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。


はおわりました。


++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)はおわりました。
-------------------------------
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++


★★★


今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により



肺炎球菌ワクチン

が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------


成人の風疹急増。

御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------


学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。


麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」
マーチ・行進曲で有名な。
100曲を越える行進曲を作曲したことから、マーチ王とよばれる。
行進曲はヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカと同じように
クラシック音楽の吹奏楽作品としては群を抜いて優れたものであり。

吹奏楽の行進曲だけで名を残し、なおかつそれは1曲や2曲だけに留まらず。
何曲もの行進曲が世界各地で演奏されている。
そのようなクラシック音楽の作曲家の事例は「唯一」といわれる。

1854年 - ジョン・フィリップ・スーザ、作曲家(+ 1932年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa,
1854年11月6日 - 1932年3月6日)は
アメリカの作曲家、指揮者です。

100曲を越える行進曲を作曲したことから、マーチ王と呼ばれます。
またオペレッタも多く作曲致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザの生涯
ワシントンD.C.に生まれました。
父はスペイン出身で、大統領直属ワシントン海兵隊楽団のトロンボーン奏者でした。
母はドイツ系です。

周囲に音楽があふれている環境の中で、スーザは
自然に音楽と親しむようになりました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは
7歳のとき音楽の勉強を始め、楽器演奏のほかに声楽にも熱中致しました。
熱中するあまり、勝手に楽団にもぐりこんで演奏に加わったりしもしました。

加わった先の一つが少々ならず者の集団だったこともあり、
父の紹介で13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。
にワシントン海兵隊楽団に5年間在籍したが、
やがてワシントン海兵隊楽団を退団致しました。

各地のオーケストラやバンドを転々とするようになりました。

その最中にはアーサー・サリヴァンなどと親しくなったりもしました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。

1880年に古巣のワシントン海兵隊楽団から指揮者に指名され
楽団に復帰致しました。

「ワシントン・ポスト」や「雷神」はこの時期の作品です。

1892年、デヴィッド・ブレイクリーという興行師の誘いで楽団を辞任し、
「スーザ吹奏楽団」を結成致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。
9月26日にニュージャージー州プレインフィールドで第1回の公演を行い
、そのまま全米各地への演奏旅行に出発致しました。

ブレイクリーの根回しが少々雑だったのか、
公演は必ずしもすべて成功とは行かなかったと言われます。

1896年、ブレイクリーが急死し、その報を聞いて帰る船の中で
浮かんだメロディーを元に作曲されたのが「星条旗よ永遠なれ」でした。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザの。
「スーザ吹奏楽団」は全米各地のみならず、
ハワイや南半球のオーストラリア、南アフリカなどへの演奏旅行に出かけたが、
1914年、第一次世界大戦の勃発に伴い、吹奏楽団を解散致しました。

スーザ自身も海軍大尉に任官致します。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。
終戦後、少佐で退役後吹奏楽団を再結成し、
レコーディングや演奏旅行、そして1922年から始まったラジオへの出演など、
大戦前以上に精力的に活動致しました。

1932年3月6日、ペンシルバニア州リーディングで
コンサートを開いた後、帰ってきたホテルで急死。
吹奏楽団も解散となりました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。
スーザは音楽以外にも多彩な才能を見せており、
3篇の小説と自伝を著しています。

クレー射撃においても高い技術を有していました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザと行進曲

スーザの行進曲はヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカと同じように
クラシック音楽の吹奏楽作品としては群を抜いて優れたものでした。

吹奏楽の行進曲だけで名を残し、
なおかつそれは1曲や2曲だけに留まらず、
何曲もの行進曲が世界各地で演奏されている。

そのようなクラシック音楽の作曲家の事例はスーザのみであろう
と考えます。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>

おわり・おわり・おわり・おわり・おわり・おわり・

-------------------------------



「ここをおして」をクリックされてください。


東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科

山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)


++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B6

ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa, 1854年11月6日 - 1932年3月6日)はアメリカの作曲家、指揮者。100曲を越える行進曲を作曲したことから、マーチ王と呼ばれる。またオペレッタも多く作曲した。

目次
1 生涯
2 作品
2.1 行進曲
2.2 その他の作品
3 関連項目
4 関連記事
5 参考文献
6 外部リンク

生涯
ワシントンD.C.に生まれる。父はスペイン出身で、大統領直属ワシントン海兵隊楽団のトロンボーン奏者だった。母はドイツ系である。周囲に音楽があふれている環境の中で、スーザは自然に音楽と親しむようになる。7歳のとき音楽の勉強を始め、楽器演奏のほかに声楽にも熱中した。熱中するあまり、勝手に楽団にもぐりこんで演奏に加わったりした。加わった先の一つが少々ならず者の集団だったこともあり、父の紹介で13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団した。5年間在籍したが、やがてワシントン海兵隊楽団を退団して各地のオーケストラやバンドを転々とするようになる。その最中にはアーサー・サリヴァンなどと親しくなったりもした。1880年に古巣のワシントン海兵隊楽団から指揮者に指名され楽団に復帰する。「ワシントン・ポスト」や「雷神」はこの時期の作品である。
1892年、デヴィッド・ブレイクリーという興行師の誘いで楽団を辞任し、「スーザ吹奏楽団」を結成。9月26日にニュージャージー州プレインフィールドで第1回の公演を行い、そのまま全米各地への演奏旅行に出発した。ブレイクリーの根回しが少々雑だったのか、公演は必ずしもすべて成功とは行かなかったと言われる。1896年、ブレイクリーが急死し、その報を聞いて帰る船の中で浮かんだメロディーを元に作曲されたのが「星条旗よ永遠なれ」である。
「スーザ吹奏楽団」は全米各地のみならず、ハワイや南半球のオーストラリア、南アフリカなどへの演奏旅行に出かけたが、1914年、第一次世界大戦の勃発に伴い、吹奏楽団を解散。スーザ自身も海軍大尉に任官する。終戦後、少佐で退役後吹奏楽団を再結成し、レコーディングや演奏旅行、そして1922年から始まったラジオへの出演など、大戦前以上に精力的に活動した。1932年3月6日、ペンシルバニア州リーディングでコンサートを開いた後、帰ってきたホテルで急死。吹奏楽団も解散となった。

スーザは音楽以外にも多彩な才能を見せており、3篇の小説と自伝を著している。クレー射撃においても高い技術を有していた。

作品

行進曲
スーザの行進曲はヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカと同じように
、クラシック音楽の吹奏楽作品としては群を抜いて優れたものであり、
吹奏楽の行進曲だけで名を残し、
なおかつそれは1曲や2曲だけに留まらず、何曲もの行進曲が世界各地で演奏されている。
そのようなクラシック音楽の作曲家の事例はスーザのみであろう。

閲兵(1873)
挨拶(1873)
フェニックス・マーチ(1875)
名誉の死(1876)
復活マーチ(1876)
ドナウ渡河(1877)
団結心(1878)
再開マーチ(1879)
職探し(1879)
地球と鷲(1879)
我々の恋愛ごっこ(1880)
承認(1880ごろ)
マザーグース(1880)
ガーフィールド大統領就任式マーチ(1881)
ライト・フォワード(1881)
右へ倣え(1881)
ウルヴァリン・マーチ(1881)
追憶(1881)
ヨークタウン100年祭(1881)
議事堂(1882)
金星の日面通過(1883)
愛しいアニー・ローリー(1883)
ご婦人方のお気に入り(1883)
ライト・レフト(1883)
白い羽毛飾り(1884)
家路(1885)
ミカド・マーチ(1885、サリヴァンの作品による)
マザー・ハバード・マーチ(1885)
時の勝利(1885)
サウンド・オフ(1885)
剣闘士(1886)
小銃歩兵連隊(1886)
西洋人(1887)
十字軍戦士(1888)
国防軍(1888)
忠誠(1888)
ベン・ボルト(1888)
ワシントン・ポスト(1889)
騎馬闘牛士(1889)
キルティング・パーティー・マーチ(1889)
雷神(1889)
ハイスクール・カデッツ(1890)
日本では一般に「士官候補生」と訳されているが、誤訳である。
忠誠軍団(1890)
コーコラン・カデッツ(1890)
オン・パレード(1892)
シカゴの美人(1892)
トリトン(1892)
ロイヤル・トランペットのマーチ(1892)
理想美(1893)
自由の鐘(1893)
マンハッタン・ビーチ(1893)
理事会(1894)
キング・コットン(1895)
エル・カピタン(1896)
星条旗よ永遠なれ(1896)
許嫁(1897)
詐欺師(いかさま師)(1898)
海を越えた握手(1899)
銃後の男(1899)
自由の精神万歳(1900)
無敵の鷲(1901)
ピッツバーグの誇り(1901)
エドワード皇帝(1902)
船乗り(1903)
外交官(1904)
フリーランス(1906)
パウワタンの娘(1907)
美中の美(1908)
ヤンキー海軍の栄光(1909)
イギリス連邦(1910)
メイン州からオレゴン州まで(1913)
子羊のマーチ(1914)
コロンビアの誇り(1914)
パナマの開拓者(1915)
ニューヨーク曲馬場(1915)
パンアメリカン・マーチ(1915)
アメリカ・ファースト(1916)
ボーイスカウト・アメリカ連盟(1916)
白バラ(1917)
進めウィスコンシンよ永遠に(1917)
海軍予備役(1917)
自由公債(1917)
アメリカ野砲隊(1917)
ヴォランティアたち(1918)
強者は前線へ(1918)
チャンティマンのマーチ(1918)
アメリカ陸軍航空団マーチ(1918)
サーベルと拍車(1918)
結婚行進曲(1918)
錨と星(1918)
自由諸国の旗(1918)
銃弾と銃剣(1918)
ゴールデン・スター(1919)
海軍紳士録(1920)
在郷軍人会の戦友たち(1920)
キャンパスにて(1920)
合衆国と歩調をそろえて(1921)
勇敢な第7連隊(1922)
不屈の大隊(1922)
神秘な聖堂の貴族たち(1923)
ミトンの男たちのマーチ「力と栄光」(1923)
由緒ある砲兵中隊(1924)
マーケット大学マーチ(1924)
黒馬騎兵中隊(1924)
国技(1925)
150年祝祭博覧会マーチ(1926)
全世界の平和(1925or1926ごろ)
グリッドアイアン・クラブ(1926)
ウルヴァリンの誇り(1926)
オールド・アイアンサイズ(1926)
ミネソタ・マーチ(1927)
マグナカルタ(1927)
国旗に捧げし騎兵隊(1927)
アトランティックシティー・ページェント(1927)
ネブラスカ大学(1928)
50年祝祭(1928)
ニューメキシコ(1928)
魅惑の王子(1928)
セヴィリアの花(1929)
イリノイ大学(1929)
デントンの娘たち→ワシントン記念フォシェイ・タワー(1929)
テキサスの娘たち(1929)
ロイヤル・ウェールズ・フュージリア連隊第1番(1929)
ロイヤル・ウェールズ・フュージリア連隊第2番(1930)
(タイトルなし)(1930)
ジョージ・ワシントン200年祭(1930)
救世軍(1930)
ハーモニカの魔術師(1930)
在郷軍人(1930)
進歩の1世紀(1931)
ワイルドキャッツ(1930or1931ごろ)
カンザス・ワイルドキャッツ(1931)
飛行士(1931)
北部の松(1931)
周航者クラブ(1931)

その他の作品
オペレッタ
キャサリーン(上演はされなかった)
我々の恋愛ごっこ
フローリン(未完成)
密輸業者
デジレ
エル・カピタン
1896年4月13日、ボストンで初演。17世紀のペルーを支配していた臆病な総督が主役の3幕もののオペレッタである。同名の行進曲は、第1幕の主題と第3幕の幕切れを活用している。スーザのオペレッタの中では一番成功した作品であるが、行進曲のほうが有名になってからは忘れ去られていた。しかし、1992年にブロードウェイで久しぶりに上演されている。
アイルランドの竜騎兵
許婚
いかさま師
フリーランス
ペンザンスの海賊(サリヴァン原曲)
ワルツ
ポトマック川の月光(1872、最初の作品)
その他
グライディング・ガール・タンゴ
ピーチとクリームのフォックストロット
ガーシュウィンの「スワニー」によるユモレスク
ユモレスク「希望のきざしを求めて」
組曲「キューバランド」
組曲「北米の人々」
ミルラ・ガヴォット
描写曲「シェリダンの騎行」

関連項目
古関裕而(日本のスーザと言われた作曲家)

関連記事
スーザフォン

参考文献
ポール・E・バイアリー(鈴木耕三訳)『スーザ・マーチ大全 全曲完全解説版』2001年、音楽之友社、ISBN 4-276-14720-4

外部リンク
IMSLP - International Music Score Library Project 内のジョン・フィリップ・スーザのページ。無料で楽譜が入手可能。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
11月6日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%886%E6%97%A5

できごと
1860年 - エイブラハム・リンカーンが共和党の大統領候補に指名され、
第16代アメリカ大統領に51歳で当選。

1868年 - (明治元年9月22日) - 会津戦争で会津藩が降伏。

1888年 - 東京薬科大学の前身である私立薬学校設立。

1945年 - 持株会社解体令。
三井、三菱、住友、安田の四大財閥を解体するという政府案をGHQが承認。

1958年 - 詩人の山之口貘が34年振りに沖縄に帰郷。

1972年 - 北陸本線の北陸トンネルで列車火災事故が発生(北陸トンネル火災事故参照)

1972年 - 羽田空港発福岡空港行きの日航機がハイジャックされる。

1985年 -コロンビアで最高裁判所がゲリラに占拠され、
国会議員ら500人以上が人質となる。(コロンビア最高裁占拠事件参照)

1987年 - 竹下登内閣が発足。

1994年 - ナリタブライアンが菊花賞を勝ち、
シンボリルドルフ以来10年ぶり、日本競馬史上5頭目の三冠馬となる。

1996年 - 漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の単行本100巻の初版発行。

1999年 - オーストラリアで共和制移行の是非を問う国民投票が行なわれ、
その結果移行反対が多数を占めた。

2005年 - 将棋の強豪アマチュア瀬川晶司が61年ぶりのプロ編入試験に合格。
同日付でプロ四段に。

誕生日
15年 - 小アグリッピナ、ローマ皇帝ネロの母(+ 59年)

1494年 - スレイマン1世、オスマン帝国第10代君主(+ 1566年)

1814年 - アドルフ・サックス、楽器製作者(+ 1894年)

1851年 - チャールズ・ダウ、ジャーナリスト・経済アナリスト(+ 1902年)

1854年 - ジョン・フィリップ・スーザ、作曲家(+ 1932年)

1861年 - ジェームズ・ネイスミス、バスケットボール考案者(+ 1939年)

1880年 - 鮎川義介、実業家・日産コンツェルン創始者(+ 1967年)

1880年 - ロベルト・ムージル、小説家(+ 1942年)

1882年 - 馮玉祥、安徽派軍閥旅団長、北京政変首謀者、
中華民国臨時政府(段祺瑞首班政権)創設メンバー、
国民党中央執行委員・軍事委員会副委員長・国民最高会議委員(+ 1948年)

1887年 - 星島二郎、政治家、元衆議院議長(+ 1980年)

1887年 - ウォルター・ジョンソン、元メジャーリーガー(+ 1946年)

1910年 - 鈴木俊一、元東京都知事

1911年 - 谷豊(ハリマオ)、旧日本陸軍 軍属・諜報員(+ 1942年)

1924年 - ウィリアム・オールド、詩人(+ 2006年)

1925年 - 桂米朝 (3代目)、落語家

1928年 - 松木ひろし、脚本家

1930年 - ポール・ホイタック、元プロ野球選手

1931年 - マイク・ニコルズ、映画監督

1932年 - 佐藤純彌、映画監督

1940年 - 石井紘基、政治家

1942年 - 竹口安芸子、声優

1947年 - 広瀬正志、声優

1948年 - グレン・フライ、ミュージシャン(イーグルス)
1948年 - クリスティアーヌ・ヘッド、調教師
1956年 - 土屋正勝、元プロ野球選手
1959年 - 飛田展男、声優
1960年 - 中西親志、元プロ野球選手
1963年 - 伊原剛志、俳優
1963年 - 鳥海勝美、声優
1966年 - 荒木香恵、声優
1967年 - 瀧本富士子、声優
1967年 - 松岡修造、元プロテニス選手
1968年 - 飯田成一(CRAZE)、ミュージシャン
1968年 - ジェリー・ヤン、実業家
1972年 - 遠藤あど、ダンサー・女優
1973年 - 宍戸留美、声優・歌手
1974年 - 尾関茂雄、実業家
1975年 - 町田昌弘、ミュージシャン
1975年 - 新谷真弓、声優、俳優
1975年 - 福山理子、女性タレント
1976年 - ロブソン・ポンテ、サッカー選手
1976年 - 飯田浩志、声優
1978年 - 小田茜、俳優
1979年 - 稲田直人、プロ野球選手
1981年 - 窪塚俊介、俳優
1981年 - 井口龍太、声優・俳優
1982年 - Sowelu、歌手
1982年 - 渡辺大輔、俳優
1983年 - 山本匠馬、俳優
1983年 - 山本芳彦、プロ野球選手
1990年 - 大矢真那、SKE48
1991年 - 倉持結香、グラビアアイドル
1993年 - バッケス健人、関西ジャニーズJr.
年不明 - 入江紀子、漫画家

忌日
1003年 - ヨハネス17世、ローマ教皇(* 生年不明)

1231年(寛喜3年10月11日) - 土御門天皇、第83代天皇(* 1196年)

1406年 - インノケンティウス7世、ローマ教皇(* 1336年頃)

1600年(慶長5年10月1日) - 石田三成、大名・五奉行の一人(* 1560年)

1614年(慶長19年10月5日) - 教如、真宗大谷派の祖(* 1558年)

1656年 - ジャン=バチスト・モラン、天文学者(* 1583年)

1656年 - ジョアン4世、ポルトガル王(* 1604年)

1672年 - ハインリッヒ・シュッツ、作曲家 (* 1585年)

1771年 - ジョン・ベヴィス、天文学者(* 1693年)

1822年 - クロード・ルイ・ベルトレー、化学者(* 1748年)

1836年 - シャルル10世、フランス国王(* 1757年)

1893年 - ピョートル・チャイコフスキー、作曲家(* 1840年)

1901年 - ケイト・グリーナウェイ、挿絵画家・絵本作家(* 1846年)

1918年 - 出口なお、宗教家(* 1836年)

1925年 - 啓定帝、ベトナム皇帝(* 1885年)

1941年 - モーリス・ルブラン、小説家(* 1864年)

1959年 - ホセ・ラウレル、第3代フィリピン大統領(* 1891年)

1960年 - エーリヒ・レーダー、ドイツ海軍の元帥(* 1876年)

1964年 - ハンス・フォン・オイラー=ケルピン、化学者(* 1873年)

1965年 - エドガー・ヴァレーズ、作曲家(* 1883年)

1968年 - シャルル・ミュンシュ、指揮者(* 1891年)

1968年 - チャールズ・B・マクベイ3世、アメリカ海軍の士官(* 1898年)

1983年 - 金子正次、俳優(* 1949年)

1989年 - 松田優作、俳優(* 1949年 ※戸籍上は1950年生まれ)

1991年 - ジーン・ティアニー、女優(* 1920年)

1995年 - ニコライ・D・クズネツォフ、ロシアの技術者、クズネツォフ・エンジン開発

1998年 - 今井勇、元厚生大臣(* 1919年)

2000年 - L・スプレイグ・ディ=キャンプ、SF作家・ファンタジー作家(* 1907年)

2004年 - 原健三郎、第65代衆議院議長(* 1907年)

2005年 - 本田美奈子.、歌手、女優(* 1967年)

記念日・年中行事
アパート記念日(日本)
1910年11月6日、東京・上野に日本初の木造アパートが完成したことに由来。

お見合い記念日(日本)
1947年11月6日に東京の多摩川河畔で集団お見合いが行われたことに由来。
これは結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、
戦争のために婚期を逃した男女386人が参加した。

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年11月6日(木曜日)

「ここをおして」をクリックされてください。

東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月6日(木曜日)

ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月もおわりました。
夏はすぎました。
9月の秋はおわりました。
中秋10月がおわりました。
今は。
「11月」になりました。
冬間近です。

「晩秋」になりました。
「11月」。
「9月」の初秋がおわり。
「10月もおわり」ました。

もう「11月」。
ことしも「あと60日足らずで」で。
「来年」になります。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ
「なおおおそろしい」
ものかもしれません。
「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えなければ「鬼」は
笑わない。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「秋雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ような「寒月」です。

日があければ。
朝日を背に。
西のコバルトの空高く。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいがない「朝焼け色」の線描です。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「青空」が透けてみえます。

さながらにして。
皇室は赤坂迎賓館の。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。
そのものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば
今年も「10ヶ月」が
終わりました。

そして中秋から晩秋。
「寒月」です。

病院の庭園に「4本」ある
「金木犀:きんもくせい」の大木の
いずれもがこがねの花を
たんぽぽのように
枝にみのらせていました。
まだ「はつはな」で初々しかったです。
けれども「金木犀:きんもくせい」
は雨に打たれると。
花は地面にオレンジの緋色毛氈(ひいろもうせん)
のように落下致します。
オレンジ色の雪のようです。

「金木犀:きんもくせい」に変わって
「銀木犀:きんもくせい」のプラチナ色の香りが
致しました。
「金木犀:きんもくせい」も
「銀木犀:きんもくせい」
も花はおわりました。

山茶花が蕾をふくらませています。

そして今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
白山茶花(さざんか)の「白いはなびら」が
地に舞い下りていました。

ふと野草の花は香らないことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑の中に 咲いていたことから「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」 なのですが
実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」で色は紫です。

ツタンカーメン王のまだ幼な子王妃が
「亡きツタンカーメンンにささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮ぶ「野菊」です。
けれども「野菊」は香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころに
「こおろぎ」がないています
「こおろぎ」のほかの。
「秋の虫」の声は聞こえなくなりました。
「こおろぎ」がないています。
こおろぎたちの合唱がきこえてきます。
こおろぎが
「夏のせみより大きな鳴き声」で
鳴く時期もあることに。
びっくりいたしました。

「ろうろう」「こうこう」です。
けれども「虫たちの鳴き声」
は次第に小さく少なく聞こえる
ようになりました。

秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

あききぬとめにはさやかにみえねども
かぜのおとにぞおどろかれぬる

これは「今現在の秋」よりもう少し手前の
「旧暦初秋或は晩夏」の時期に詠まれた
昔の短歌です。

「来(き)ぬ」「着ぬ」「絹」の
最初の「韻:いん」で衝撃的
なインパクトを伝える「うた」です。

そして
「みえね」「美え音」で「第2主題」の伏線をはり。
突如として。
「かぜの音」にて「第2主題」の旋律。
「音」を響かせてフオルレッシモ
ff。

季節そのものの感覚を「音」にあらわした
名歌です。

ジプシーのチャルダッシュの
ラッサン・フリスカのような「うた」です。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは速くなる。

しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。
けれども「安堵感」と「落胆感」は
表裏一体。両羽(もろば)の剣です。
「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
性格を「短くなる陽」は持っています。

季節には「大気の音」があるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

「つつじ」の「花」が「春に」おわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

金木犀の大木が4本と銀木犀が2本
あります。

「中秋」をつたえるがごとく。
モクセイの木が「香り花」が開花致しました。

今は
「晩秋」。
「木犀:もくせい」の「花」は通り過ぎました。
「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。

「花」はみえない頃からもう
「金木犀:きんもくせい」
は「香っています」。
モクセイも秋にも若葉をだします。
「木犀:モクセイ」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この時期になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉する
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈ほどもある群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

里山の紅葉の時期になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を.
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「秋」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「秋若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる秋」をまちます。
「紅葉」の炎が。
くすぶりまちわびてています。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」
ならばよいです。

けれども
早朝ははだ寒くなりました。

秋やま中さまよい
秋わけいらば
秋大樹の根元に隠れたり
秋あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
秋みつけたりやまの華。
秋やまの葉木のかくれんぼ
秋大樹の根元に隠れたり
秋山はぜの葉木。
秋やまうるしの葉木。
秋あきやまはぜとあきやまうるし。

秋山萩(やまはぎ)の
秋花をかくして燃えたたむ
秋に実りの祭りなり
秋山はぜの葉炎
秋天高く燃ゆ

あきやまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
あきにみのりのまつりなり
あきやまはせのほのほ
あきてんたかくもゆ

あきひろくなりけり空(そら)たかし
あきさとやまに木々のみどり木
あきこもれびうけて燃えるがごとし
あきみどりの炎(ほのほ)
あきほのほうちけさむかすみはあおし
あきほのほにかすみにただよひて
あきうるわしくかがやきたり
あきあたたかくかおりたり
あきあざやかなりけり 
あきやまさとのやまみどり
あきやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)はおわりました。
-------------------------------
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
泣く子も黙る。
マーチ作曲家・行進曲作曲家で有名な。
100曲を越える行進曲を作曲したことから。
マーチ王とよばれる。
作曲された行進曲の音楽性は。
ヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカと同じように。
クラシック音楽の吹奏楽作品
としては群を抜いて優れたものであり。

吹奏楽の行進曲だけで名を残し。
なおかつそれは1曲や2曲だけに留まらず。

今現在でも
何曲もの行進曲が世界各地で演奏されている。

そのようなクラシック音楽の
作曲家の事例は「唯一」といわれる。
「行進曲作曲家」。

(クレー射撃においても
オリンピック選手クラスの高い技術を有していました。)

1854年 - ジョン・フィリップ・スーザ、作曲家(+ 1932年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa,
1854年11月6日 - 1932年3月6日)は
アメリカの作曲家、指揮者です。

100曲を越える行進曲を作曲したことから。
マーチ王と呼ばれます。

またオペレッタも多く作曲致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザの生涯

ジョン・フィリップ・スーザは。
ワシントンD.C.に生まれました。

父はスペイン出身で大統領直属ワシントン海兵隊楽団の
トロンボーン奏者でした。
母はドイツ系です。

周囲に音楽があふれている環境の中で。
スーザは
自然に音楽と親しむようになりました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは
7歳のとき音楽の勉強を始めました。
楽器演奏のほかに声楽にも熱中致しました。

熱中するあまり勝手に楽団にもぐりこんで
演奏に加わったりしもしました。

加わった先の一つが
少々ならず者の集団だったこともあり。

両親は心配して。
父の紹介で13歳のときに
ワシントン海兵隊楽団に入団致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。

ワシントン海兵隊楽団に5年間在籍した。
やがてワシントン海兵隊楽団を退団致しました。

各地のオーケストラやバンドを転々とするようになりました。

その最中には
アーサー・サリヴァンなどと親しくなったりもしました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。

1880年に
古巣のワシントン海兵隊楽団から指揮者に指名され
呼び戻されて楽団に復帰致しました。

「ワシントン・ポスト」や
「雷神」はこの時期の作品です。

1892年に。
デヴィッド・ブレイクリーという興行師の誘いで楽団を辞任
致します。

「スーザ吹奏楽団」を結成致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。

9月26日にニュージャージー州プレインフィールドで
第1回の公演を行い
、そのまま全米各地への演奏旅行に出発致しました。

ブレイクリーの根回しが少々雑だったのか、
公演は必ずしも
すべて成功とは行かなかったと言われます。

++++++++++++++++++++++

1896年に。
興行師デヴィッド・ブレイクリーと
が急死致しました。

その報を聞いて帰る船の中で
浮かんだメロディーを元に作曲されたのが
「星条旗よ永遠なれ」でした。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザの。

「スーザ吹奏楽団」は全米各地のみならず、
ハワイや南半球のオーストラリア、
南アフリカなどへの演奏旅行に出かけました。

けれども。
1914年、第一次世界大戦の勃発に伴い、
吹奏楽団を解散致しました。

スーザ自身も海軍大尉に任官致しました。

++++++++++++++++++++++

第一次世界大戦終戦後。

ジョン・フィリップ・スーザは。

少佐で退役後吹奏楽団を再結成致しました。

レコーディングや演奏旅行、
そして1922年から始まったラジオへの出演など、
大戦前以上に精力的に活動致しました。

1932年3月6日、ペンシルバニア州リーディングで
コンサートを開いた後に。

帰ってきたホテルで急死。
吹奏楽団も解散となりました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザは。
スーザは音楽以外にも多彩な才能を見せており、
3篇の小説と自伝を著しています。

クレー射撃においても高い技術を有していました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザと行進曲

スーザの行進曲は。
ヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカと同じように
クラシック音楽の吹奏楽作品としては
群を抜いて優れたものでした。

吹奏楽の行進曲だけで名を残し。
なおかつそれは1曲や2曲だけに留まらず、
何曲もの行進曲が世界各地で演奏されている。

そのような
クラシック音楽の作曲家の事例はスーザのみであろう
と考えます。
++++++++++++++++++++++

吹奏楽はほぼ「金管楽器」で構成されています。
「管楽器」の「金管」は音量が大きいです。

大勢で弾けば「上手・下手」が隠れるものも
「学生ブラス」などではありますが。

「テクニック」のある
「カナディアン・ブラス」級の「テクニック」の
メンバーで
「吹奏楽団」を奏でれば「大変美しい大迫力」
ものです。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ジョン・フィリップ・スーザ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B6

ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa, 1854年11月6日 - 1932年3月6日)はアメリカの作曲家、指揮者。100曲を越える行進曲を作曲したことから、マーチ王と呼ばれる。またオペレッタも多く作曲した。

目次
1 生涯
2 作品
2.1 行進曲
2.2 その他の作品
3 関連項目
4 関連記事
5 参考文献
6 外部リンク

生涯
ワシントンD.C.に生まれる。父はスペイン出身で、大統領直属ワシントン海兵隊楽団のトロンボーン奏者だった。母はドイツ系である。周囲に音楽があふれている環境の中で、スーザは自然に音楽と親しむようになる。7歳のとき音楽の勉強を始め、楽器演奏のほかに声楽にも熱中した。熱中するあまり、勝手に楽団にもぐりこんで演奏に加わったりした。加わった先の一つが少々ならず者の集団だったこともあり、父の紹介で13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団した。5年間在籍したが、やがてワシントン海兵隊楽団を退団して各地のオーケストラやバンドを転々とするようになる。その最中にはアーサー・サリヴァンなどと親しくなったりもした。1880年に古巣のワシントン海兵隊楽団から指揮者に指名され楽団に復帰する。「ワシントン・ポスト」や「雷神」はこの時期の作品である。
1892年、デヴィッド・ブレイクリーという興行師の誘いで楽団を辞任し、「スーザ吹奏楽団」を結成。9月26日にニュージャージー州プレインフィールドで第1回の公演を行い、そのまま全米各地への演奏旅行に出発した。ブレイクリーの根回しが少々雑だったのか、公演は必ずしもすべて成功とは行かなかったと言われる。1896年、ブレイクリーが急死し、その報を聞いて帰る船の中で浮かんだメロディーを元に作曲されたのが「星条旗よ永遠なれ」である。
「スーザ吹奏楽団」は全米各地のみならず、ハワイや南半球のオーストラリア、南アフリカなどへの演奏旅行に出かけたが、1914年、第一次世界大戦の勃発に伴い、吹奏楽団を解散。スーザ自身も海軍大尉に任官する。終戦後、少佐で退役後吹奏楽団を再結成し、レコーディングや演奏旅行、そして1922年から始まったラジオへの出演など、大戦前以上に精力的に活動した。1932年3月6日、ペンシルバニア州リーディングでコンサートを開いた後、帰ってきたホテルで急死。吹奏楽団も解散となった。

スーザは音楽以外にも多彩な才能を見せており、3篇の小説と自伝を著している。クレー射撃においても高い技術を有していた。

作品

行進曲
スーザの行進曲はヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカと同じように
、クラシック音楽の吹奏楽作品としては群を抜いて優れたものであり、
吹奏楽の行進曲だけで名を残し、
なおかつそれは1曲や2曲だけに留まらず、何曲もの行進曲が世界各地で演奏されている。
そのようなクラシック音楽の作曲家の事例はスーザのみであろう。

閲兵(1873)
挨拶(1873)
フェニックス・マーチ(1875)
名誉の死(1876)
復活マーチ(1876)
ドナウ渡河(1877)
団結心(1878)
再開マーチ(1879)
職探し(1879)
地球と鷲(1879)
我々の恋愛ごっこ(1880)
承認(1880ごろ)
マザーグース(1880)
ガーフィールド大統領就任式マーチ(1881)
ライト・フォワード(1881)
右へ倣え(1881)
ウルヴァリン・マーチ(1881)
追憶(1881)
ヨークタウン100年祭(1881)
議事堂(1882)
金星の日面通過(1883)
愛しいアニー・ローリー(1883)
ご婦人方のお気に入り(1883)
ライト・レフト(1883)
白い羽毛飾り(1884)
家路(1885)
ミカド・マーチ(1885、サリヴァンの作品による)
マザー・ハバード・マーチ(1885)
時の勝利(1885)
サウンド・オフ(1885)
剣闘士(1886)
小銃歩兵連隊(1886)
西洋人(1887)
十字軍戦士(1888)
国防軍(1888)
忠誠(1888)
ベン・ボルト(1888)
ワシントン・ポスト(1889)
騎馬闘牛士(1889)
キルティング・パーティー・マーチ(1889)
雷神(1889)
ハイスクール・カデッツ(1890)
日本では一般に「士官候補生」と訳されているが、誤訳である。
忠誠軍団(1890)
コーコラン・カデッツ(1890)
オン・パレード(1892)
シカゴの美人(1892)
トリトン(1892)
ロイヤル・トランペットのマーチ(1892)
理想美(1893)
自由の鐘(1893)
マンハッタン・ビーチ(1893)
理事会(1894)
キング・コットン(1895)
エル・カピタン(1896)
星条旗よ永遠なれ(1896)
許嫁(1897)
詐欺師(いかさま師)(1898)
海を越えた握手(1899)
銃後の男(1899)
自由の精神万歳(1900)
無敵の鷲(1901)
ピッツバーグの誇り(1901)
エドワード皇帝(1902)
船乗り(1903)
外交官(1904)
フリーランス(1906)
パウワタンの娘(1907)
美中の美(1908)
ヤンキー海軍の栄光(1909)
イギリス連邦(1910)
メイン州からオレゴン州まで(1913)
子羊のマーチ(1914)
コロンビアの誇り(1914)
パナマの開拓者(1915)
ニューヨーク曲馬場(1915)
パンアメリカン・マーチ(1915)
アメリカ・ファースト(1916)
ボーイスカウト・アメリカ連盟(1916)
白バラ(1917)
進めウィスコンシンよ永遠に(1917)
海軍予備役(1917)
自由公債(1917)
アメリカ野砲隊(1917)
ヴォランティアたち(1918)
強者は前線へ(1918)
チャンティマンのマーチ(1918)
アメリカ陸軍航空団マーチ(1918)
サーベルと拍車(1918)
結婚行進曲(1918)
錨と星(1918)
自由諸国の旗(1918)
銃弾と銃剣(1918)
ゴールデン・スター(1919)
海軍紳士録(1920)
在郷軍人会の戦友たち(1920)
キャンパスにて(1920)
合衆国と歩調をそろえて(1921)
勇敢な第7連隊(1922)
不屈の大隊(1922)
神秘な聖堂の貴族たち(1923)
ミトンの男たちのマーチ「力と栄光」(1923)
由緒ある砲兵中隊(1924)
マーケット大学マーチ(1924)
黒馬騎兵中隊(1924)
国技(1925)
150年祝祭博覧会マーチ(1926)
全世界の平和(1925or1926ごろ)
グリッドアイアン・クラブ(1926)
ウルヴァリンの誇り(1926)
オールド・アイアンサイズ(1926)
ミネソタ・マーチ(1927)
マグナカルタ(1927)
国旗に捧げし騎兵隊(1927)
アトランティックシティー・ページェント(1927)
ネブラスカ大学(1928)
50年祝祭(1928)
ニューメキシコ(1928)
魅惑の王子(1928)
セヴィリアの花(1929)
イリノイ大学(1929)
デントンの娘たち→ワシントン記念フォシェイ・タワー(1929)
テキサスの娘たち(1929)
ロイヤル・ウェールズ・フュージリア連隊第1番(1929)
ロイヤル・ウェールズ・フュージリア連隊第2番(1930)
(タイトルなし)(1930)
ジョージ・ワシントン200年祭(1930)
救世軍(1930)
ハーモニカの魔術師(1930)
在郷軍人(1930)
進歩の1世紀(1931)
ワイルドキャッツ(1930or1931ごろ)
カンザス・ワイルドキャッツ(1931)
飛行士(1931)
北部の松(1931)
周航者クラブ(1931)

その他の作品
オペレッタ
キャサリーン(上演はされなかった)
我々の恋愛ごっこ
フローリン(未完成)
密輸業者
デジレ
エル・カピタン
1896年4月13日、ボストンで初演。17世紀のペルーを支配していた臆病な総督が主役の3幕もののオペレッタである。同名の行進曲は、第1幕の主題と第3幕の幕切れを活用している。スーザのオペレッタの中では一番成功した作品であるが、行進曲のほうが有名になってからは忘れ去られていた。しかし、1992年にブロードウェイで久しぶりに上演されている。
アイルランドの竜騎兵
許婚
いかさま師
フリーランス
ペンザンスの海賊(サリヴァン原曲)
ワルツ
ポトマック川の月光(1872、最初の作品)
その他
グライディング・ガール・タンゴ
ピーチとクリームのフォックストロット
ガーシュウィンの「スワニー」によるユモレスク
ユモレスク「希望のきざしを求めて」
組曲「キューバランド」
組曲「北米の人々」
ミルラ・ガヴォット
描写曲「シェリダンの騎行」

関連項目
古関裕而(日本のスーザと言われた作曲家)

関連記事
スーザフォン

参考文献
ポール・E・バイアリー(鈴木耕三訳)『スーザ・マーチ大全 全曲完全解説版』2001年、音楽之友社、ISBN 4-276-14720-4

外部リンク
IMSLP - International Music Score Library Project 内のジョン・フィリップ・スーザのページ。無料で楽譜が入手可能。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
11月6日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%886%E6%97%A5

できごと
1860年 - エイブラハム・リンカーンが共和党の大統領候補に指名され、
第16代アメリカ大統領に51歳で当選。

1868年 - (明治元年9月22日) - 会津戦争で会津藩が降伏。

1888年 - 東京薬科大学の前身である私立薬学校設立。

1945年 - 持株会社解体令。
三井、三菱、住友、安田の四大財閥を解体するという政府案をGHQが承認。

1958年 - 詩人の山之口貘が34年振りに沖縄に帰郷。

1972年 - 北陸本線の北陸トンネルで列車火災事故が発生(北陸トンネル火災事故参照)

1972年 - 羽田空港発福岡空港行きの日航機がハイジャックされる。

1985年 -コロンビアで最高裁判所がゲリラに占拠され、
国会議員ら500人以上が人質となる。(コロンビア最高裁占拠事件参照)

1987年 - 竹下登内閣が発足。

1994年 - ナリタブライアンが菊花賞を勝ち、
シンボリルドルフ以来10年ぶり、日本競馬史上5頭目の三冠馬となる。

1996年 - 漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の単行本100巻の初版発行。

1999年 - オーストラリアで共和制移行の是非を問う国民投票が行なわれ、
その結果移行反対が多数を占めた。

2005年 - 将棋の強豪アマチュア瀬川晶司が61年ぶりのプロ編入試験に合格。
同日付でプロ四段に。

誕生日
15年 - 小アグリッピナ、ローマ皇帝ネロの母(+ 59年)

1494年 - スレイマン1世、オスマン帝国第10代君主(+ 1566年)

1814年 - アドルフ・サックス、楽器製作者(+ 1894年)

1851年 - チャールズ・ダウ、ジャーナリスト・経済アナリスト(+ 1902年)

1854年 - ジョン・フィリップ・スーザ、作曲家(+ 1932年)

1861年 - ジェームズ・ネイスミス、バスケットボール考案者(+ 1939年)

1880年 - 鮎川義介、実業家・日産コンツェルン創始者(+ 1967年)

1880年 - ロベルト・ムージル、小説家(+ 1942年)

1882年 - 馮玉祥、安徽派軍閥旅団長、北京政変首謀者、
中華民国臨時政府(段祺瑞首班政権)創設メンバー、
国民党中央執行委員・軍事委員会副委員長・国民最高会議委員(+ 1948年)

1887年 - 星島二郎、政治家、元衆議院議長(+ 1980年)

1887年 - ウォルター・ジョンソン、元メジャーリーガー(+ 1946年)

1910年 - 鈴木俊一、元東京都知事

1911年 - 谷豊(ハリマオ)、旧日本陸軍 軍属・諜報員(+ 1942年)

1924年 - ウィリアム・オールド、詩人(+ 2006年)

1925年 - 桂米朝 (3代目)、落語家

1928年 - 松木ひろし、脚本家

1930年 - ポール・ホイタック、元プロ野球選手

1931年 - マイク・ニコルズ、映画監督

1932年 - 佐藤純彌、映画監督

1940年 - 石井紘基、政治家

1942年 - 竹口安芸子、声優

1947年 - 広瀬正志、声優

1948年 - グレン・フライ、ミュージシャン(イーグルス)
1948年 - クリスティアーヌ・ヘッド、調教師
1956年 - 土屋正勝、元プロ野球選手
1959年 - 飛田展男、声優
1960年 - 中西親志、元プロ野球選手
1963年 - 伊原剛志、俳優
1963年 - 鳥海勝美、声優
1966年 - 荒木香恵、声優
1967年 - 瀧本富士子、声優
1967年 - 松岡修造、元プロテニス選手
1968年 - 飯田成一(CRAZE)、ミュージシャン
1968年 - ジェリー・ヤン、実業家
1972年 - 遠藤あど、ダンサー・女優
1973年 - 宍戸留美、声優・歌手
1974年 - 尾関茂雄、実業家
1975年 - 町田昌弘、ミュージシャン
1975年 - 新谷真弓、声優、俳優
1975年 - 福山理子、女性タレント
1976年 - ロブソン・ポンテ、サッカー選手
1976年 - 飯田浩志、声優
1978年 - 小田茜、俳優
1979年 - 稲田直人、プロ野球選手
1981年 - 窪塚俊介、俳優
1981年 - 井口龍太、声優・俳優
1982年 - Sowelu、歌手
1982年 - 渡辺大輔、俳優
1983年 - 山本匠馬、俳優
1983年 - 山本芳彦、プロ野球選手
1990年 - 大矢真那、SKE48
1991年 - 倉持結香、グラビアアイドル
1993年 - バッケス健人、関西ジャニーズJr.
年不明 - 入江紀子、漫画家

忌日
1003年 - ヨハネス17世、ローマ教皇(* 生年不明)

1231年(寛喜3年10月11日) - 土御門天皇、第83代天皇(* 1196年)

1406年 - インノケンティウス7世、ローマ教皇(* 1336年頃)

1600年(慶長5年10月1日) - 石田三成、大名・五奉行の一人(* 1560年)

1614年(慶長19年10月5日) - 教如、真宗大谷派の祖(* 1558年)

1656年 - ジャン=バチスト・モラン、天文学者(* 1583年)

1656年 - ジョアン4世、ポルトガル王(* 1604年)

1672年 - ハインリッヒ・シュッツ、作曲家 (* 1585年)

1771年 - ジョン・ベヴィス、天文学者(* 1693年)

1822年 - クロード・ルイ・ベルトレー、化学者(* 1748年)

1836年 - シャルル10世、フランス国王(* 1757年)

1893年 - ピョートル・チャイコフスキー、作曲家(* 1840年)

1901年 - ケイト・グリーナウェイ、挿絵画家・絵本作家(* 1846年)

1918年 - 出口なお、宗教家(* 1836年)

1925年 - 啓定帝、ベトナム皇帝(* 1885年)

1941年 - モーリス・ルブラン、小説家(* 1864年)

1959年 - ホセ・ラウレル、第3代フィリピン大統領(* 1891年)

1960年 - エーリヒ・レーダー、ドイツ海軍の元帥(* 1876年)

1964年 - ハンス・フォン・オイラー=ケルピン、化学者(* 1873年)

1965年 - エドガー・ヴァレーズ、作曲家(* 1883年)

1968年 - シャルル・ミュンシュ、指揮者(* 1891年)

1968年 - チャールズ・B・マクベイ3世、アメリカ海軍の士官(* 1898年)

1983年 - 金子正次、俳優(* 1949年)

1989年 - 松田優作、俳優(* 1949年 ※戸籍上は1950年生まれ)

1991年 - ジーン・ティアニー、女優(* 1920年)

1995年 - ニコライ・D・クズネツォフ、ロシアの技術者、クズネツォフ・エンジン開発

1998年 - 今井勇、元厚生大臣(* 1919年)

2000年 - L・スプレイグ・ディ=キャンプ、SF作家・ファンタジー作家(* 1907年)

2004年 - 原健三郎、第65代衆議院議長(* 1907年)

2005年 - 本田美奈子.、歌手、女優(* 1967年)

記念日・年中行事
アパート記念日(日本)
1910年11月6日、東京・上野に日本初の木造アパートが完成したことに由来。

お見合い記念日(日本)
1947年11月6日に東京の多摩川河畔で集団お見合いが行われたことに由来。
これは結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、
戦争のために婚期を逃した男女386人が参加した。