東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年11月9日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月9日(日曜日)

「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄色
が見えてから「10日間」で。
一回目の花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面に広がりました。

「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。
「金木犀:きんもくせい」の後を追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっています。

山本クリニックには「野生」の。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
沢山はえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみると。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみを大きくしています。

「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

かおりがされば。
今度はいよいよ。
つぼみを日々
大きくしている。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
次の出番です。

堂々たる。
「11月」の「晩秋」になりました。
あっというまに。
「10月の「秋」もすぎさりました。

もう既に「11月」。
あるいは。
「晩秋」を通り越し「もっと奥の深い秋」
を歩んでいるのかもしれません。
きょうは。
「木枯らし」が吹いていました。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「あゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

晩秋霧雨(あききりさめ)の。
晩秋霞(あきかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
「独唱」から「合唱」になりました。
「ろうろう」と鳴いています。

朝暗いうちの「こおろぎ」の合唱は。

「晩秋・初冬」の「ふうりん」のごとし。
あれ沢山の「ふうりん」かな。
と思われる音色です。

「ろうろう」。
とても「優雅」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」は「ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何かを考えている様にみえます。

「雨」にぬれれば「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

私も「日々を旅いく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は
「日々を道連れにして。
「時」を旅をする旅人(たびびと)」です。

「きょう」と「あす」しか。
私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「秋」の気配
もあるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと。
深く深まる秋からの大気。

「ふかまる秋」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭はっきりと。

感じられるようになりました。

「11月」になりました。
今年平成20年(2008年)も。
「6分の5」がおわりました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく秋の樹木」にうつろうように
変化しています。

「秋」にも「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「秋」の葉木。
「秋」の木々の「葉」
へと。
「みのりの秋」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「中秋」にも「若葉」が。
ハンカチをふるように
「秋のわかば」の「めばえ」がみえます。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」にあわせて。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていきます。

ハンカチは。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地になります。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は「おせどにこおろぎのなく」
「深い秋冬」。

秋の濃い緑の葉になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじるようになった。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉がふえているのに
きがつきます。

紅葉。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年「旅をしている」のでしょう。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。

秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋になりました。
そよかぜに揺れる葉は
招き誘われるような気すら致します。

やはり夏桜の木は
シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

秋になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕暮れ陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」の
陽射しにもにあいません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。
そして「すすき」もくわわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。
もう。
はださむいような気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには「古代の種子」から
2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス】です。
「有名な古代ハス」です。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

-------------------------------
・睡蓮(すいれん)科。
・学名 Nelumbo nucifera(蓮)
Nelumbo : ハス属
nucifera : 堅果を持った
学名 N へ

  • インド原産。
  • すごくきれいな色。
  • 蓮は「蜂巣(はちす)」の略。
    実の入った花床(花中央の黄色部分)は
    たくさんの穴があいていて
    蜂の巣に似ていることから。
    漢字の「蓮」は漢名からで、種子が連なって
    つくことからといわれる。
  • 夏の朝に水面まで花茎を立てて開花。
    朝早く開き午後3時頃には閉じる。
    花の開閉は3回繰り返し、
    4日目には花びらが散る(不思議!)。
  • アジアの多くの国の国花となっている。
  • 仏教では西方浄土の極楽は神聖な蓮の池、と
    信じられているため、寺の境内にハス池を
    つくって植えるようになった。
    また多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で
    登場し、仏像の台座にもその形がよく使われる。
    (”蓮華草”ではなく、こちらの「蓮」です)
    ちなみに、古代エジプトで神聖視されたのは
    蓮ではなく熱帯睡蓮(スイレン)です。
    (参考) 蓮華草 睡蓮

  • 泥の中にある根の部分は
    ふくらんで蓮根(レンコン)になる。
    サクサクしてて、おいしい。
    花、葉、茎、種子なども食用になる。

・「荷葉飯(かようはん)」とは、ハスの葉で
包んで蒸した加薬飯(かやくめし)のこと。
(加薬飯(かやくめし) → 関西の表現で、
五目飯などに入れる肉や野菜の具のこと)
・葉は蝋状になっているため水をはじく。
雨水のしずくが水玉になるため、葉っぱを
持って水玉移動させる遊びが楽しいです。

★ 【大賀ハス】
古代ハスの研究者、東京大学農学部教授の
大賀一郎さんが、千葉市の東大厚生農場
(現、東大検見川総合運動場)で、1951年に
弥生時代の地層からこの蓮の実を発見。
なんと2000年も前の実だった。
そして発芽、開花に成功、
その後、全国に広まった。
・略・

http://www.hana300.com/oogaha.html
より引用させていただきました。
-------------------------------

ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の
朝晴れて
はじめて気づく
にわの小ささ

にちようの
あさはれて
はじめてきづく
にわのちいささ

にわの小ささ
気づかぬときは
病(やまい)なりけり
日曜の朝

にわのちいささ
きづかぬときは
やまいなりけり
にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

秋きらきらラピス・ラズリの空(そら)
秋紺碧のカクテルいろの空(そら)
秋ミルクをそそそいだ空(そら)
秋トルコいしのプリンの空(そら)
秋はるかにとほくたかい空(そら)
秋ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
秋プリンの上のクリームのような空(そら)
秋睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
秋睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
秋空(そら)の向こうにまた空(そら)
秋そのまたむこうにももっと空(そら)

春のうららのこもれびに
緑木いらかをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜさやか
秋風かたれるやすらきの
四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜつよく
冬風こごれる木枯らしに
四季のつきひははやいくとせ

秋椎木(しいのき)は枝高し
秋そらに吼える若葉の穂束
秋そらに吼える蒼き獅子のごとし
秋天にも地にもみどりはさける
秋のあさふかまりて
秋陽の光ゆたかなりけり
秋いふことのなし
秋いふことがなし
秋いふことはなし
秋いふこともなし
ゆたかなるかな秋

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

11月 3日(月曜日)はおわりました。
-------------------------------

11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

ロシア中部オリョールの
地主貴族の家庭の次男として生まれ。
貧しい農奴の生活を描きいて。
農奴制を批判したことで逮捕・投獄。

この作品により農奴解放に大きな役割を果たした小説家。

1883年、パリ郊外で歿し。
ペテルブルクでは国葬が営まれた小説家。
世界的な大文豪。

ロシアは「世界の大文豪」が多いのですが。
1818年 - イワン・ツルゲーネフ、小説家(+ 1883年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ
(イヴァン・セルゲーエヴィチ・トゥルゲーネフ;
Иван Сергеевич Тургеневイ
ヴァーン・スィルギェーイェヴィチュ・トゥルギェーニェフ;
ラテン文字転写の例:
Ivan Sergeyevich Turgenev、
1818年11月9日(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では10月28日) -
1883年9月3日(ユリウス暦8月22日))は、

19世紀ロシアの代表的な小説家の一人です。
ロシア帝国の貴族です。

なお、以前は「ツルゲーネフ」と
書かれることが多かったです。

最近ではロシア語の発音に近い
「トゥルゲーネフ」という表記が用いられるように
なっています。

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イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ:
イヴァン・セルゲーエヴィチ・トゥルゲーネフの
概要

イワン・ツルゲーネフは。
ロシア中部オリョールの地主貴族の家庭の次男として
生まれました。

15歳でモスクワ大学教育学部に入学、
1年後、ペテルブルク大学哲学部に転じました。

1838年から1841年までベルリン大学で
哲学や古典語を学びました。

1843年、内務省に職を得るが翌年に辞しました。

1842年、批評家ベリンスキーに会いました。
以後、親交を続けました。

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イワン・ツルゲーネフは。
1843年、叙事詩『パラーシャ』を発表致しました。

その年、夫と子のあるオペラ歌手、
ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドに一目惚れ致します。

彼女を追ってパリに移り住みました。

それ以後西欧とロシアを往復する生活が終生続きました。

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イワン・ツルゲーネフは。

1847年から雑誌に発表された『猟人日記』(1852年)で。

貧しい農奴の生活を描きました。
農奴制を批判したことで逮捕・投獄されました。

けれどもこの作品は農奴解放に大きな役割を果たしました。

その後も、1854年の『ムムー』でも
地主のもとで使われる農奴たちの悲劇と精神の
解放を描いています。

続く1856年の『ルージン』では。

高い理想と教養をもちながらも現実に対しては
無力ないわゆる「余計者」を描きました。

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イワン・ツルゲーネフは。

その後も、政治社会的な問題を主題とした
『貴族の巣』(1859年)、
『その前夜』(1860年)、
『処女地』(1877年)
などを次々と発表して社会論争を巻き起こしました。

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イワン・ツルゲーネフの。
理想主義的な父の世代と、唯物論的な子の世代の
相克を描いた『父と子』(1862年)は。

19世紀のロシア小説の最高傑作の一つに挙げられています。

自伝的な作品として
『アーシャ』(1858年)、
『初恋』(1860年)なども残しています。

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イワン・ツルゲーネフは。

長く住んだパリで西欧の作家・芸術家たちとの
幅広い交友関係を築きました。

西欧へのロシア文学の紹介に大きな役割を果たしました。

1883年、パリ郊外で歿しました。
ペテルブルクでは国葬が営まれました。

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イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ:
イヴァン・セルゲーエヴィチ・トゥルゲーネフ
は。

日本ではいち早く二葉亭四迷によって翻訳・紹介されました。

特に国木田独歩や田山花袋らの自然主義に
大きな影響を与えました。

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イワン・ツルゲーネフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%95

イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(イヴァン・セルゲーエヴィチ・トゥルゲーネフ;Иван Сергеевич Тургеневイヴァーン・スィルギェーイェヴィチュ・トゥルギェーニェフ;ラテン文字転写の例:Ivan Sergeyevich Turgenev、1818年11月9日(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では10月28日) - 1883年9月3日(ユリウス暦8月22日))は、19世紀ロシアの代表的な小説家の一人。ロシア帝国の貴族。なお、以前は「ツルゲーネフ」と書かれることが多かったが、最近ではロシア語の発音に近い「トゥルゲーネフ」という表記が用いられるようになっている。

概要
ロシア中部オリョールの地主貴族の家庭の次男として生まれる。15歳でモスクワ大学教育学部に入学、1年後、ペテルブルク大学哲学部に転じる。1838年から1841年までベルリン大学で哲学や古典語を学ぶ。1843年、内務省に職を得るが翌年に辞す。1842年、批評家ベリンスキーに会い、以後、親交を続けた。1843年、叙事詩『パラーシャ』を発表。その年、夫と子のあるオペラ歌手、ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドに一目惚れし、彼女を追ってパリに移り住んだ。それ以後、西欧とロシアを往復する生活が終生続いた。

1847年から雑誌に発表された『猟人日記』(1852年)で、貧しい農奴の生活を描き、農奴制を批判したことで逮捕・投獄される。この作品は農奴解放に大きな役割を果たした。その後も、1854年の『ムムー』でも地主のもとで使われる農奴たちの悲劇と精神の解放を描いている。続く1856年の『ルージン』では、高い理想と教養をもちながらも現実に対しては無力ないわゆる「余計者」を描いた。その後も、政治社会的な問題を主題とした『貴族の巣』(1859年)、『その前夜』(1860年)、『処女地』(1877年)などを次々と発表し、社会論争を巻き起こした。理想主義的な父の世代と、唯物論的な子の世代の相克を描いた『父と子』(1862年)は、19世紀のロシア小説の最高傑作の一つに挙げられる。自伝的な作品として『アーシャ』(1858年)、『初恋』(1860年)なども残している。

長く住んだパリで、西欧の作家・芸術家たちとの幅広い交友関係を築き、西欧へのロシア文学の紹介に大きな役割を果たした。1883年、パリ郊外で歿し、ペテルブルクでは国葬が営まれた。

日本ではいち早く二葉亭四迷によって翻訳・紹介され、特に国木田独歩や田山花袋らの自然主義に大きな影響を与えた。

外部リンク
ツルゲーネフ イワン:作家別作品リスト(青空文庫)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%95" より作成
カテゴリ: ロシアの小説家 | ロシアの劇作家 | 1818年生 | 1883年没

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11月9日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%889%E6%97%A5

できごと
1799年 - ナポレオンが総裁政府を倒す。ブリュメールのクーデタ

1867年(慶応3年10月14日) - 大政奉還

1888年 - 切り裂きジャックが売春婦のメアリー・ジェイン・ケリーを殺害。

1918年 - ドイツ皇帝がオランダに亡命し、
マクス首相が皇帝の退位を表明・社会民主党政権樹立(ドイツ革命)

1923年 - ドイツのミュンヘンでナチスが起こした
ミュンヘン一揆が鎮圧される(首謀者であるヒトラーは2日後に逮捕)。

1935年 - アメリカ産業別労働組合会議(CIO)設立

1938年 - ドイツでユダヤ人の組織的迫害が始まる。「水晶の夜」(クリスタルナハト)

1945年 - 旧立憲政友会を中心に日本自由党を結成

1962年 - 廖承志・高碕達之助、「日中長期総合貿易に関する覚書」(LT貿易覚書)に調印

1963年 - 東海道線鶴見列車多重衝突事故(鶴見事故を参照)

1963年 - 三井三池鉱山で坑内爆発事故。
458人死亡(三井三池三川炭鉱炭じん爆発を参照)

1965年 - 1965年北アメリカ大停電

1967年 - 武満徹作曲の『ノヴェンバー・ステップス』がニューヨークで初演

1967年 - 米軍が押収していた原爆記録映画が22年ぶりに返還

1974年 - 東京湾でLPG・石油タンカー「第十雄洋丸」が
衝突炎上事故を起こす(第十雄洋丸事件)。

1987年 - 東京ドーム建設の為、後楽園球場の解体を開始。

1989年 - 東西ドイツの国境検問所で市民の通行が自由化。
ベルリンの壁崩壊(ただし、壁が物理的に壊され始めたのは翌日)。

2004年 - Firefox 1.0リリース。

2006年 - 水星が太陽の前を日面通過。

誕生日
1731年 - ベンジャミン・バネカー、天文学者(+ 1806年)

1818年 - イワン・ツルゲーネフ、小説家(+ 1883年)

1841年 - エドワード7世、イギリス王(+ 1910年)

1876年 - 野口英世、細菌学者(+ 1928年)

1883年 - 伊勢ノ濱慶太郎、大相撲の力士(+ 1928年)

1922年 - 高村章子、声優

1931年 - 白石一郎、作家(+ 2004年)

1933年 - 横内章次、作曲家

1934年 - カール・セーガン、天文学者・作家(+ 1996年)

1935年 - ボブ・ギブソン、元メジャーリーガー

1936年 - ミハイル・タリ、第10代チェスの公式世界チャンピオン(+ 1992年)

1955年 - 平田恒雄、元プロ野球選手

1960年 - 石田えり、女優

1962年 - ディオン・ジェームス、元プロ野球選手

1969年 - 小嶋敬二、競輪選手・自転車競技選手

1971年 - デビッド・デュバル、プロゴルファー

1972年 - 進藤 尚美、声優

1973年 - ニック・ラシェイ、歌手

1974年 - アレッサンドロ・デル・ピエロ、サッカー選手

1976年 - 栃東親方、元大関
1978年 - ジェイソン・スタンドリッジ、プロ野球選手
1979年 - 三宅梢子、タレント
1979年 - 庄田隆弘、プロ野球選手
1979年 - アダム・ダン、メジャーリーガー
1981年 - 田淵裕章、フジテレビアナウンサー
1981年 - 大口兼悟、俳優
1982年 - 山田雅人(シュノーケル)、ミュージシャン
1983年 - YU、男性歌手
1984年 - えなりかずき、男性タレント
1984年 - ジョエル・ズマヤ、メジャーリーガー
1984年 - SE7EN、歌手
1986年 - いしいすぐる、俳優
1988年 - 草場恵、グラビアアイドル
1988年 - 伊藤将大、サッカー選手
1998年 - 鈴木理子、女優

忌日
959年 - コンスタンティノス7世、東ローマ皇帝(* 905年?)

1388年(元中5年/嘉慶2年10月2日)- 春屋妙葩、僧(* 1311年)

1550年(天文19年10月1日)- 横田高松、戦国武将

1573年(天正元年10月15日)- 島津勝久、薩摩国の戦国大名(* 1503年)

1613年(慶長18年9月27日)- 大久保忠佐、戦国武将・沼津藩主(* 1537年)

1630年(寛永7年10月5日)- 藤堂高虎、初代津藩主(* 1556年)

1641年 - 枢機卿フェルナンド、スペイン領ネーデルラント総督(* 1609年)

1699年 - オルタンス・マンチーニ、イングランド王チャールズ2世の愛妾(* 1646年)

1766年 - ウニコ・ヴィルヘルム・ファン・ヴァッセナール、作曲家(* 1692年)

1769年(明和6年10月12日)- 青木昆陽、蘭学者(* 1698年)

1773年(安永2年9月25日)- 吉益東洞、漢方医(* 1702年)

1778年 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ、版画家・建築家(* 1720年)

1873年 - スティーヴン・マロリー、アメリカ連合国海軍長官(* 1813年)

1910年 - 大塚楠緒子、歌人(* 1875年)

1918年 - ギヨーム・アポリネール、詩人(* 1880年)

1924年 - ヘンリー・カボット・ロッジ、アメリカ合衆国上院議員(* 1850年)

1927年 - 南条文雄、仏教学者(* 1849年)

1929年 - 斎藤秀三郎、英語学者(* 1866年)

1930年 - 浅野総一郎、実業家・浅野財閥創業者(* 1848年)

1932年 - ナジェージダ・アリルーエワ、ソビエト連邦指導者スターリンの妻(* 1901年)

1937年 - ラムゼイ・マクドナルド、イギリス首相(* 1866年)

1938年 - ヴァシーリー・ブリュヘル、ソ連邦元帥(* 1889年)

1940年 - ネヴィル・チェンバレン、第60代イギリス首相(* 1869年)

1944年 - フランク・マーシャル、チェスプレーヤー(* 1877年)

1951年 - シグマンド・ロンバーグ、作曲家(* 1887年)

1952年 - ハイム・ヴァイツマン、初代イスラエル大統領(* 1874年)

1953年 - アブドゥルアズィーズ・イブン=サウード、初代サウジアラビア国王(* 1880年)

1953年 - ディラン・トーマス、詩人(* 1914年)

1959年 - 竹脇昌作、アナウンサー(* 1910年)

1961年 - 正田貞一郎、実業家・日清製粉創業者(* 1870年)

1963年 - 勝沼精蔵、医学者(* 1886年)

1963年 - 三枝博音、哲学者(* 1892年)

1966年 - 小沢治三郎、第31代連合艦隊司令長官(* 1886年)

1970年 - シャルル・ド・ゴール、フランス大統領(* 1890年)

1970年 - 川島正次郎、元自由民主党幹事長・副総裁・専修大学学長(* 1890年)

1980年 - 白井喬二、小説家(* 1889年)

1988年 - 茅誠司、物理学者・小さな親切運動提唱者(* 1898年)

1988年 - ジョン・N・ミッチェル、元アメリカ合衆国司法長官(* 1913年)

1991年 - イヴ・モンタン、俳優 (* 1921年)

1995年 - ルイ・マル、映画監督(* 1932年)

1999年 - 八木義徳、小説家(* 1911年)

2000年 - 東千代之介、俳優(* 1926年)

2000年 - 茶川一郎、俳優(* 1927年)

2001年 - ジョヴァンニ・レオーネ、第6代イタリア大統領(* 1908年)

2001年 - 千葉耕市、声優、音響監督 (* 1931年)

2004年 - アイリス・チャン、ジャーナリスト(* 1968年)

2005年 - コチェリル・ラーマン・ナラヤナン、第10代インド大統領(* 1921年)

2006年 - マルクス・ヴォルフ、旧東ドイツの対外諜報総局長(* 1923年)

2007年 - 天城一、小説家・数学者(* 1919年)

記念日・年中行事
独立記念日(カンボジア)

読書週間の最終日(日本)

119番の日(日本)
消防の電話番号が119番であることから。消防庁が1987年に制定。

太陽暦採用記念日(日本)
明治5年11月9日(旧暦)に、
それまでの太陰太陽暦をやめて太陽暦を採用するという布告が行われたことに由来。

ギネス世界記録の日
ギネス・ワールド・レコード社が2005年に制定。

換気の日
「119」で「いい空気」の語呂あわせに由来する。
日本電機工業会が1987年に制定。