東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年11月14日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月14日(金曜日)

初秋から中秋。
そして「晩秋」です。

「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」も「31日」たちました。
「10月」最後の日もおわり。

秋の最後の「11月」です。
「晩秋」です。

「夏」はとうにおわりました。
「初秋」「9月」もおわりました。
「10月」の「31日間」はあっというまに。
過ぎ去りました。

「11月」です。
今年も。
もう「五十日たらず」でおわります。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
恐怖さえをも感じます。

大気は「秋」。
地には「霜の花」。

天には
「山茶花」と「椿」の「つぼみ」。

そしてこの時期には樹木の「落ち葉」
は「ぴたり」ととまります。
落葉ぎりぎりまで。
冬のそなえて。
太陽の陽射しをえるためでしょう。

白山茶花(さざんか)の花びらが
花も見えぬうちに。
朝暗く落下しています。

木々の若葉のいろは
秋の深緑に。
深まる秋緑がますますあざやかになり。

そして「黄色」の紅葉葉も。
混じるようになりました。

霜柱の「晩秋」の気配ははっきりと。
葉木にも感じられます。

「山茶花」の若花のつぼみが
たわわにみえます。
いつでも咲きそうなつぼみです。

「金木犀:きんもくせい」の残り香は
とおくから。
「とぼとぼ」と歩いてくるように。
ほのかに漂い。
また「とぼとぼ」と歩き去っていった
ような。
感じです。

空の色も。
まさしくも
「晩秋」の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

陽ののぼるのは遅くなりました。
陽がくれるのは早くなりました。

あさの06:30AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

今の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
「なにかが深まりゆく」。
そして秋の訪れから。

さらにさらに。
深い秋に向かい。
そしてさらに。
深い秋の向こう側にむかう
気配のあることが。
良くわかります。

秋池面(いけも)の水面(みずも)
秋おさなき小さなわかみどり
秋なもしらぬ
秋小さな緑の浮き草
秋若草うきつあつまりて
秋つらなり水面(みずも)
秋水面(みずも)をおおいたり
秋水面(みずおも)にて
秋風にきそいてさまよえり
秋ちひさきわらべのごとし
秋池面の水面(みずおも)の。
秋小さきちひさなわかみどり

秋いざいまこそは
秋よき季節にあらむ
秋水面(みずも)なるそら
秋ふと空をみる

秋早朝(はやあさ)に
秋けふもはだのさむけれど
秋ぬくもりのあさ
秋陽のありがたき
秋われあゆむがごと
秋陽はあたかくなりけり
秋葉木は秋木にかわりたり
秋みちをあかるくてらせ
秋がいだく木
秋はぐくむ木
秋みどり木あおし
秋実りの木紅し
秋来(きた)るらむ

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
みかんのわか実
みかんの木の秋
橘木いらかをかぜはやみ
あきかぜひるむや
うつろひの
みかん木つきひ
もはやいくとせ

秋地にも木にも
秋みどり葉ひらき
秋みどり木ときわ木
秋ひろがりて
秋いふことのなし
秋いふことがなし
秋いふことはなし
秋ゆたかなりけり秋

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「秋はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行いました。
はおわりました。
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11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝です。

「今日は何の日」は
「発掘された」「大音楽家」

この「音楽家」の「名」は死後から忘れ去られ。
20世紀までは一部の曲を除いて知られていませんでした。
近年その研究が進み、演奏・録音も増えてきました。

この時代の作曲家にあっては人気を勝ち得ています。
そこで明らかになったことは。

生前にあっては、ヨーロッパ最高の作曲家であり。
ピアノ奏者の一人に数えられていたこと。
ベートーヴェンと並び称される巨匠の一人として
音楽界に君臨したこと。

シューベルト、フェリックス・メンデルスゾーン、
カール・ツェルニー、
フレデリック・ショパンらと交流を持ち。
かつ彼らに多大な影響を与えたこと。

フェルディナント・ヒラー、アドルフ・ヘンゼルト、
ジギスモント・タールベルクらの優れた弟子を通じて。

19世紀全般のピアノ奏法に大きな影響を与えたこともわかりました。
「発掘された名音楽家」です。

1778年 - ヨハン・ネポムク・フンメル、作曲家(+ 1837年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル(Johan Nepomuk Hummel,
1778年11月14日
プレスブルク - 1837年10月17日 ヴァイマル)
は当時で言うハンガリー(現在はスロヴァキア)出身の。

オーストリア系作曲家。
ピアニストです。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelの生涯。

プレスブルク(現スロヴァキアのブラティスラヴァ)に生まれ。

指揮者で弦楽器奏者でもあった
父・ヨハネスに音楽の手ほどきを受けました。

八歳のときアウフ・デア・ヴィーデン劇場の指揮者に就任した
父に従ってウィーンへ移りました。

なんとモーツァルトの家に住込みで
2年間に渡ってピアノを師事致しました。

1789年から父と共にヨーロッパ各地を巡演し、
神童として喝采を浴びました。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelは。

1793年ウィーンへ戻り、
アルブレヒツベルガーに対位法、
サリエリに声楽作品、
ヨーゼフ・ハイドンにオルガンを学びました。

またベートーヴェンと親交を結びました。

1804、ハイドンの推薦で
エステルハージー公のコンサートマスターに就任。

ハイドンが引退すると宮廷楽長となりました。

1811年までこの地位にあって劇作品や礼拝堂用の宗教作品を手がけ、
少年聖歌隊の指導や楽団の指揮にあたりました。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelは。

辞職後ウィーンに戻りました。

ピアノ作品、室内楽、劇作品の創作に専念致しました。
けれども。
1814年、妻・ロッケェルの後押しもあって。

ピアノ奏者として復帰、ウィーン会議に出演しセンセーションを
巻き起こすなどめざましい活躍を見せました。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelは。

1816年よりシュトゥットガルト。
1819年よりヴァイマル宮廷の楽長を
歴任する一方。

作曲のみならず出版や演奏など活発な活動を展開致しました。
ゲーテとともに。
芸術の街・ヴァイマルの発展に貢献致しました。

ピアニストとしては1830年の
パリ・ロンドン演奏旅行でキャリアの絶頂を築きました。

1834年のウィーン旅行を最後に病のため
演奏活動に終止符を打ち、3年間の闘病生活の後。

任地ヴァイマルで息を引き取りました。

++++++++++++++++++++++

フンメルの名は死後から忘れ去られ、
20世紀までは一部の曲を除いて知られていませんでした。

近年その研究が進み、演奏・録音も増えてきました。

この時代の作曲家にあっては人気を勝ち得ている。
そこで明らかになったことは。

生前にあっては、ヨーロッパ最高の作曲家。
ピアノ奏者の一人に数えられていたこと。

ベートーヴェンと並び称される
巨匠の一人として音楽界に君臨したこと。

シューベルト、フェリックス・メンデルスゾーン、
カール・ツェルニー、
フレデリック・ショパンらと交流を持ち。
かつ彼らに多大な影響を与えたこと。

フェルディナント・ヒラー、アドルフ・ヘンゼルト、
ジギスモント・タールベルクらの優れた弟子を通じて。

19世紀全般のピアノ奏法に大きな影響を与えたことも
わかりました。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelは。

世紀の変わり目にあって。

古い職人気質と新しい企業家との両面を合わせ持ちました。

音楽市場の動向に敏感でした。

流行作家として成功致しました。

あらゆる演奏媒体を通じていました。

職務のためにまたフリーの立場で、
幅広いジャンルに作品を残しました。

形式的にはウィーン古典派の最晩期に属します。

ホモフォニックな構造とイタリア風の装飾的な旋律が見られます。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelの作品

フンメルの生涯に出版された作品は127にものぼります。
ピアノ曲はその半数以上を占めます。

また未出版作品(WoO.)は39作品、
遺作(Op.posth.)は9作品で、
その他作品番号のないものも含めて体系的な
作品リスト(S.=ザックスナンバー)を作成したのは、
フンメル研究家のJoel.Sachsです。
(A Check List Works of J.N.Hummel)。

作品は、交響曲を除いてすべてのジャンル跨り
200曲以上にも上ります。

ピアニストとしてだけではなく
当時の人気作曲家としての片鱗をうかがわせます。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelの。
近年、録音も多くなり、
ピアノとオーケストラの為の作品(全18曲)をはじめ、
協奏曲や室内楽はほぼ全曲を聴くことができるようになりました。

また、Chandos(英)やNAXOS(香)などの
レーベルが積極的に新譜を発売し、
ミサ曲、バレエ音楽なども聴くことができます。

けれども
17曲あるオペラ(含ジングシュピール)作品は序曲を除くと
ほとんど聴くことができません。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelは。

教育者としても積極的に弟子を育て。

ファランク、ヒラー、ヘンゼルト、タールベルクなどの
弟子を輩出しました。

著作にも
「モーツァルト回想録」、「自伝」、
「ピアノ奏法の理論と実践詳論」などがあります。

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ヨハン・ネポムク・フンメル:Johan Nepomuk Hummelの。
 
フンメルの作品には。
時折過去の音楽から主題を借用したものが見受けられます。

たとえば、『ピアノソナタ第2番』Op.13の第1楽章では
グレゴリオ聖歌の「アレルヤ」が用いられています。

『ピアノソナタ第3番』Op.20終楽章では
師匠モーツァルトの交響曲第41番終楽章の主題により
フーガが展開されています。

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ヨハン・ネポムク・フンメル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%9D%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%AB

ヨハン・ネポムク・フンメル(Johan Nepomuk Hummel, 1778年11月14日 プレスブルク - 1837年10月17日 ヴァイマル)は当時で言うハンガリー(現在はスロヴァキア)出身のオーストリア系作曲家、ピアニスト。

目次
1 生涯
2 作品
3 主要作品リスト
3.1 オーケストラ作品(序曲、劇音楽など)
3.2 オーケストラ作品(バレエ・パントマイム音楽)
3.3 オーケストラ作品(舞曲)
3.4 協奏曲(ピアノとオーケストラ)
3.5 協奏曲(その他)
3.6 室内楽
3.7 器楽曲
3.8 ピアノ曲(4手用)
3.9 ピアノ曲(ソナタ)
3.10 ピアノ曲(変奏曲)
3.11 ピアノ曲(その他小品)
3.12 オルガン
3.13 声楽曲(オペラ)
3.14 声楽曲(宗教楽曲)
4 外部リンク

生涯
プレスブルク(現スロヴァキアのブラティスラヴァ)に生まれ、指揮者で弦楽器奏者でもあった父・ヨハネスに音楽の手ほどきを受ける。八歳のとき、アウフ・デア・ヴィーデン劇場の指揮者に就任した父に従ってウィーンへ移り、モーツァルトの家に住込みで2年間に渡ってピアノを師事。1789年から父と共にヨーロッパ各地を巡演し、神童として喝采を浴びた。1793年ウィーンへ戻り、アルブレヒツベルガーに対位法、サリエリに声楽作品、ヨーゼフ・ハイドンにオルガンを学び、またベートーヴェンと親交を結ぶ。1804、ハイドンの推薦でエステルハージー公のコンサートマスターに就任。ハイドンが引退すると宮廷楽長となり、1811年までこの地位にあって劇作品や礼拝堂用の宗教作品を手がけ、少年聖歌隊の指導や楽団の指揮にあたった。辞職後ウィーンに戻り、ピアノ作品、室内楽、劇作品の創作に専念するが、1814年、妻・ロッケェルの後押しもあってピアノ奏者として復帰、ウィーン会議に出演しセンセーションを巻き起こすなどめざましい活躍を見せる。1816年よりシュトゥットガルト、1819年よりヴァイマル宮廷の楽長を歴任する一方、作曲のみならず出版、演奏など活発な活動を展開して、ゲーテとともに芸術の街・ヴァイマルの発展に貢献、ピアニストとしては1830年のパリ・ロンドン演奏旅行でキャリアの絶頂を築いた。1834年のウィーン旅行を最後に病のため演奏活動に終止符を打ち、3年間の闘病生活の後、任地ヴァイマルで息を引き取った。
フンメルの名は死後から忘れ去られ、20世紀までは一部の曲を除いて知られていなかったが、近年その研究が進み、演奏・録音も増えてきて、この時代の作曲家にあっては人気を勝ち得ている。生前にあっては、ヨーロッパ最高の作曲家、ピアノ奏者の一人に数えられ、ベートーヴェンと並び称される巨匠の一人として音楽界に君臨した。シューベルト、フェリックス・メンデルスゾーン、カール・ツェルニー、フレデリック・ショパンらと交流を持ちかつ多大な影響を与え、フェルディナント・ヒラー、アドルフ・ヘンゼルト、ジギスモント・タールベルクらの優れた弟子を通じて、19世紀全般のピアノ奏法に大きな影響を与えた。世紀の変わり目にあって古い職人気質と新しい企業家との両面を合わせ持ち、音楽市場の動向に敏感で、流行作家として成功した。あらゆる演奏媒体を通じ、職務のためにまたフリーの立場で、幅広いジャンルに作品を残した。形式的にはウィーン古典派の最晩期に属し、ホモフォニックな構造とイタリア風の装飾的な旋律が見られる。

作品
フンメルの生涯に出版された作品は127にものぼり、ピアノ曲はその半数以上を占める。また未出版作品(WoO.)は39作品、遺作(Op.posth.)は9作品で、その他作品番号のないものも含めて体系的な作品リスト(S.=ザックスナンバー)を作成したのは、フンメル研究家のJoel.Sachsである(A Check List Works of J.N.Hummel)。作品は、交響曲を除いてすべてのジャンル跨り200曲以上にも上る。ピアニストとしてだけではなく当時の人気作曲家としての片鱗をうかがわせる。
近年、録音も多くなり、ピアノとオーケストラの為の作品(全18曲)をはじめ、協奏曲や室内楽はほぼ全曲を聴くことができるようになった。また、Chandos(英)やNAXOS(香)などのレーベルが積極的に新譜を発売し、ミサ曲、バレエ音楽なども聴くことができるが、17曲あるオペラ(含ジングシュピール)作品は序曲を除くとほとんど聴くことができない。
教育者としても積極的に弟子を育て、ファランク、ヒラー、ヘンゼルト、タールベルクなどの弟子を輩出した。著作にも「モーツァルト回想録」、「自伝」、「ピアノ奏法の理論と実践詳論」などがある。 
フンメルの作品には、時折過去の音楽から主題を借用したものが見受けられる。たとえば、『ピアノソナタ第2番』Op.13の第1楽章ではグレゴリオ聖歌の「アレルヤ」が用いられ、『ピアノソナタ第3番』Op.20終楽章では師匠モーツァルトの交響曲第41番終楽章の主題によりフーガが展開される。

主要作品リスト
フンメルの作品カタログについては、ニューグローヴ音楽大辞典、ジンマーシードの(Zimmerschied)の冒頭音符付カタログやザックス(Joel Saches)の作品表があるが、日本語ではアマチュア研究家のMikio Tao氏の作品目録が存在する。以下の作品目録は上記Mikio Tao氏の表による。

オーケストラ作品(序曲、劇音楽など)
管弦楽変奏曲「おお、いとしのアウグスティン」ハ長調 WoO.2(S.47)*1803
歌劇『フィンランドのヨハン』のための序曲 ニ短調 Op.43*(1811?)
序曲(Premium Overture) 変ロ長調 Op.101*1824
祝典序曲「Freudenfest Overture」S.148*1815
劇音楽『ピュグマリオン』WoO.33(S.62)*1805〜15
付随音楽『マールファ』S.31*1800〜1810
付随音楽『クルディスターンのライオン』WoO.35(S.99)*1812
付随音楽『クルディスターンのライオン』WoO.35への追加曲 S.201*1834
ヴァイグルの『皇帝ハドリアヌス』挿入用の行進曲Op.106c*1819
「ウィーンの賞賛すべき市民砲兵隊」の為の行進曲S.26*1798
3つの軍隊行進曲 S.83*1810?

オーケストラ作品(バレエ・パントマイム音楽)
バレエ音楽『ヘレネとパリス』Op.26*1807
バレエ音楽『生きている絵』Op.33*1809
バレエ音楽「『ポールとヴァルジニ』のための5人の黒人の踊り」Op.41(34)*1809
パントマイム音楽『魔法の指輪』Op.46*1811
バレエ音楽『ミュティレネのサッフォー』Op.68*1812
バレエ音楽「エロールの『魔法の鐘』」WoO.31(S.206)*1837
バレエ音楽『魔法の城』WoO.32(S.88)*1814
パントマイム音楽『魔法の戦い』WoO.34(S.92)*1812
3つのバレエまたはパントマイム用の音楽 S.84*1810

オーケストラ作品(舞曲)
6つのドイツ舞曲 Op.16*1804
7つのハンガリー舞曲Op.23*1806
舞踏会用12のメヌエットOp.24*1806
12のドイツ舞曲とバッターリャ・コーダOp.25*1807
アポロザールのための舞曲第一集Op.27*1808
アポロザールのための舞曲第二集Op.28*1808
レドゥーテンザールのための12のドイツ舞曲集Op.29*1808
アポロザールのための舞曲第三集 Op.31*1809
アポロザールのための舞曲第四集Op.39*1811
ローマ皇帝のための12のドイツ舞曲Op.40*1811
聖カタリナ祝日用レドゥーンザールのための12のドイツ舞曲とコーダOp.44*1811
アポロザールのための舞曲第五集Op.45*1811
6つのポロネーズ Op.70*1814
アポロザールのための舞曲第六集Op.91*1820
12のレントラーワルツOp.112*1828
コントルダンス 変ロ長調S.80*1810?
5つのエコセーズ S.81*1810?
7つのレントラー S.82*1810?
12のワルツとコーダ S.104*1817

協奏曲(ピアノとオーケストラ)
ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 Op.44(Op.36)*c1811
ピアノ協奏曲 第2番 イ短調 Op.85*c1821(1816)
ピアノ協奏曲 第3番 ロ短調 Op.89*c1821(1819)
ピアノ協奏曲 第4番 ホ長調『告別』Op.110*1826(c1814年)
ピアノ協奏曲 第5番 変イ長調Op.113*1830(1825)
ピアノ協奏曲 ヘ長調Op.posth.1*1839(1825)
ピアノ協奏曲 イ長調WoO.24(S.4)*1790年代
ピアノ協奏曲 イ長調WoO.24a(S.5)*1790年代
ピアノとオーケストラの為の変奏曲 ヘ長調Op.6 *c1798
ピアノとオーケストラの為の序奏とロンド・ブリランテ イ長調Op.56*c1814(1812)
ピアノとオーケストラの為のコンチェルティーノト長調Op.73*c1816
ピアノとオーケストラの為の変奏曲 ヘ長調Op.97*c1821-22
ピアノとオーケストラの為のロンド・ブリランテ 変ロ長調Op.98*c1824
ピアノとオーケストラの為の大変奏曲 変ロ長調 Op.115*1830
ピアノとオーケストラの為のオベロン「魔法の角笛」による幻想曲Op.116*1830
ピアノとオーケストラの為の社交のロンド ロ短調Op.117*1830
ピアノとオーケストラの為の序奏とロンド・ブリランテ「ロンドンからの帰還」ヘ短調Op.127*1831(1830)

協奏曲(その他)
ヴァイオリンとピアノの為の協奏曲《ダブル・コンチェルト》ト長調Op.17*c1805
ヴァイオリン協奏曲 ト長調 (1790年代後半)
ヴァイオリンとオーケストラの為の序奏とロンド・ポラッカ
ヴィオラとオーケストラの為の幻想曲 ト短調Op.94*c1821(1820作)
チェロとオーケストラの為のポプリ ト短調Op.95
オーボエとオーケストラの為の幻想曲および主題と変奏 ヘ短調Op.102*c1824
トランペット協奏曲ホ長調 WoO.1(S.49)*1803
ファゴット協奏曲 ヘ長調WoO.23(S.63)*1805
マンドリン協奏曲 ト長調S.28*1799 (後にピアノ協奏曲に改作)

室内楽
グランド・セレナーデ第1番 ト長調 Op.63*c1814-15
グランド・セレナーデ第2番変ホ長調 Op.66*c1814-15
管楽八重奏曲 変ホ長調S.48*(1803?)
七重奏曲 第1番 ニ短調Op.74*c1816
七重奏曲 第2番 ハ長調『軍隊』Op.114*1830(1829)
ピアノ五重奏曲 変ホ短調Op.87*c1822
ピアノ四重奏曲 ト長調<序奏とアレグロ>Op.posth.4(WoO.6)*1839(1811)
ピアノ四重奏曲 ニ長調S.3*1790年代
クラリネット四重奏曲 変ホ長調WoO.5(S.78)*1808
3つの弦楽四重奏曲Op.30*c1808(1804)
弦楽三重奏曲 第1番 変ホ長調WoO.3(S.30)*1799
弦楽三重奏曲 第2番 ト長調WoO.4(S.46)*1801
ピアノ、フルート、チェロの為の三重奏曲 変ロ長調Op.2a-1*1792
ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調Op.3a*1792
ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調Op.12*c1803
ピアノ三重奏曲 第3番 ヘ長調Op.22*c1807(1799)
ピアノ三重奏曲 第4番 ト長調Op.35*c1811(1808)
ピアノ三重奏曲 第5番 ト長調Op.65*c1814-15
ピアノ三重奏曲 第6番 ホ長調Op.83*1819
ピアノ三重奏曲 第7番 変ホ長調Op.93*c1822
ピアノ三重奏曲 第8番 変ホ長調Op.96*c1822
ピアノ、フルート、チェロの為の「美しいミンカの主題によるアダージョおよび変奏曲とロンド」イ長調Op.78*1818
ピアノ、ヴァイオリン、チェロの為の3つの易しい小品Op.111a*1828

器楽曲
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為のソナタ ト長調Op.2a-2 *1792
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為のソナタ 変ロ長調Op.5-1*c1798
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為のソナタ ヘ長調Op.5-2*c1798
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為のソナタ ニ長調Op.50*c1811-14
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為のソナタ イ長調Op.64*c1814-15
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為の変奏曲 ト長調Op.14*c1803
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為の「娯楽」ヘ長調Op.108*1826(1825)
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為の大ロンド・ブリランテ ロ短調Op.126*1835(1834)
ヴァイオリン(又はフルート)とピアノの為の変奏曲 ヘ長調Op.posth.2*1839
ヴィオラとピアノの為のソナタ 変ホ長調Op.5-3*c1798
チェロとピアノの為の変奏曲 ニ短調 Op.54*c1810〜14
チェロとピアノの為のポプリOp.86
チェロとピアノの為のソナタ イ長調 Op.104*1826(1824)
マンドリンとピアノの為のソナタ ハ短調Op.37a*c1810
ギターとピアノの為のポプリ ト短調 Op.53*c1810〜11
ギターとピアノの為の国民的大ポプリ Op.79*c1819
ハープとピアノの為の小ロンド 変ホ長調S.146*1820年代
フルートのための小品 ト長調S.147*1820年代

ピアノ曲(4手用)
ソナタ 変ホ長調Op.51*(1811〜15)
ソナタ 変イ長調Op.92*c1821
ノクターン および 主題と変奏曲 ヘ短調Op.99*c1824
序奏とロンド 変ホ長調Op.posth.5*1839
即興曲 ハ長調S.205*1836?

ピアノ曲(ソナタ)
ピアノソナタ 第1番 ハ長調Op.2a-3*1792
ピアノソナタ 第2番 変ホ長調Op.13*c1803(1805)
ピアノソナタ 第3番 ヘ短調Op.20*c1807
ピアノソナタ 第4番 ハ長調『ディ・ブィラブーラ』Op.38*c1808
ピアノソナタ 第5番 嬰ヘ短調Op.81*c1819
ピアノソナタ 第6番 ニ長調Op.106*c1824(1825)
ピアノ・ソナタ ヘ短調S.23*1800?
ピアノ・ソナタ 変イ長調Op.92a

ピアノ曲(変奏曲)
3つの変奏曲Op.1*1791
2つの変奏曲Op.2*1791
3つの変奏曲Op.3*1794
変奏曲ト長調Op.8*c1801
変奏曲ホ長調Op.9*c1802
変奏曲ニ長調Op.10*c1804
変奏曲イ短調Op.15*c1804
変奏曲変ロ長調Op.21*c1806
変奏曲 ハ長調Op.32*-1812
3つの変奏曲Op.34*c1810(1812)
変奏曲ハ長調Op.40a*c1811(1812)
変奏曲ヘ長調Op.57*c1811-15
序奏、変奏曲とロンド変ホ長調Op.75*c1817
変奏曲イ長調Op.76*c1818
3つの変奏曲「ロンドンの魅力」Op.119(Op.120)*1831
変奏曲 イ長調S.1*1789
変奏曲 ハ長調S.2*1790年代
変奏曲 変ロ長調S.16*1791〜93
変奏曲 ニ長調S.18*1794?
変奏曲 ハ長調S.19*1795?
ゴット・セイブ・ザ・キングへの変奏S.145*1820〜30?
ディアベッリのワルツへの変奏 −第16変奏S.161*c1824
変奏曲とラプソディ ホ長調S.164*1825?
「ブルタンニアよ、統治せよ!」への変奏WoO.10(S.187)*c1830

ピアノ曲(その他小品)
幻想曲 変ホ長調Op.18*c1805
幻想曲 ト短調Op.123*1833
幻想曲 ハ長調Op.124*1834
幻想曲「パガニーニの思い出」ハ長調 WoO.8(S.190)*1831
ロンド・ファンタジア ホ長調Op.19*c1806
ロンド・ファヴォリ 変ホ長調Op.11*c1804
3つのロンド形式グランドワルツOp.103*c1824
ロンド・ブリランテ ロ短調 Op.109
2つのワルツ風ロンドOp.109a
優雅なロンド 変ホ長調Op.120(Op.121)*1831(1830)
素朴なロンド 変イ長調Op.122*1831
3つのスコットランド舞曲によるロンド ト長調 Op.posth.3*1839
ポプリ ハ長調Op.47*(1811-15)
ポプリ「ロバの皮」第1番ハ短調Op.58*c1814-15
ポプリ「ロバの皮」第2番ハ長調Op.59*c1814-15
ポロネーズ《気まぐれな美女》 変ロ長調Op.55*c1811
カプリース ヘ長調Op.49*c1811-15
3つのカプリース形式の気晴らしOp.105*c1824
カプリッチョ 変ホ短調Op.posth.6*1839
即興風カノン ト短調WoO.7(S.168)*1828?
24の前奏曲Op.67*c1814-15
6つのバガテルOp.107*c1824
24の練習曲Op.125*1833
3つのヘンデル風フーガOp.7*c1799

オルガン
オルガンのための2つの前奏曲とフーガOp.posth.7*1839
オルガンのためのリチェルカーレ ト長調Op.posth.8*1839

声楽曲(オペラ)
ジングシュピール『都会と田舎』S.85*1810
ジングシュピール『これは売家です』 WoO.28(S.90)*1812
ジングシュピール『粉挽き小屋の王子』S.97*1813
ジングシュピール『ロバの皮』S.101*1814
ジングシュピール『素晴らしい知らせ』(The Good News)Op.61(S.103)*1814
ジングシュピール『皇帝の帰還』Op.69*c1814
ジングシュピール『ギーズ家のマティルド』Op.100*1810
オペラ『愚かな旅人』WoO.30(S.25)*1797
オペラ『救われた女の感謝』S.29*1799
オペラ・ブッファ『デマゴルゴン』S.41*1800?
オペラ・ブッファ『ドン・アンキーゼ・カンピオーネ』S.42*1800?
オペラ・ブッファ『愛の顛末』WoO.26(S.56)*1804
グランドオペラ『メセニール』WoO.29(S.61)*1805〜10?
オペレッタ『二人の天才』S.65*1805
オペラ『挫折した陰謀』WoO.27(S.71)*1806
オペラ『5つは2つ』S.95*1813
オペラ『アッティラ』S.163*1825〜1827

声楽曲(宗教楽曲)
ミサ 変ロ長調Op.77*c1818
ミサ 変ホ長調Op.80*c1819〜20
ミサ ニ長調Op.111*c1830(1805)
荘厳ミサ ハ長調WoO.12(S.74)*1806
ミサ ニ短調WoO.13(S.67)*1805
グレヴァドーレ(昇階唱)『この世の何ものも』 Op.88*c1827
オッフェリトリゥム(奉納唱)『慈悲深き処女』 Op.89a*c1827(1805)
ドミニク・ディオ WoO.14(S.50)*1804〜1810
タントゥム・エルゴWoO.15*1806
テ・デウム ニ長調WoO.16(S.70)*1806
リタニア用のキリエ イ短調 WoO.17(S.51)*1804〜1810
サルヴァ・レジナ(奉納唱) 変ロ長調 WoO.18(S.79)*1809
オッフェリトゥム(奉納唱)『おお、穢れなき処女よ』イ長調WoO.19(S.68)*1806以前
オッフェリトゥム(奉納唱) ヘ長調WoO.20(S.96)*1813
オッフェリトゥム(奉納唱)『慈悲深き聖なる母』ヘ長調WoO.21(S.66)*1805
オッフェリトゥム(奉納唱)『あなたの前で私は息をふき返す』ホ長調WoO.22(S.52)*1804〜1810
アンティフォナ『あなたの保護のもとに』変ロ長調S.53*1800〜1810
サルヴェ・レジナ(奉納唱)『めでたし、元后』ト長調S.54*1800〜1810
オラトリオ『紅海の航行』 WoO.11(S.33)*1800〜1810
カンタータ『ディアナとエンディミオン』WoO.25(S.73)*1806
カンタータ『友情賛歌』WoO.36(S.77)*-1807
カンタータ『朝の犠牲』WoO.37(S.170)*1825〜1831
カンタータ『オイテルペンの別れ』WoO.38(S.91)*1812
カンタータ『Have!』WoO.39(S.175)*1828
カンタータ『エイレネ』S.32*1800〜1810
カンタータ『感謝と喜びの祭り』S.69*1806
カンタータ『愛国者のためのオルフェウスのオード』S.199*1833
ハイドン追悼のためのシェーナ「聞きましたか」S.94*1813

外部リンク
日本J.N.フンメル協会
MIDIによるフンメルの音楽
IMSLP - International Music Score Library Project 内のヨハン・ネポムク・フンメルのページ。無料で楽譜が入手可能。
フンメル研究ノート
Mikio Tao氏によるフンメル全作品表(英文PDF)
Mikio Tao氏によるフンメル全作品表(日本語PDF)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

11月14日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8814%E6%97%A5

できごと
1690年(元禄3年10月14日) - 水戸藩の徳川光圀が病気を理由に隠居。

1918年 - チェコスロバキアが共和国宣言。

1930年 - 東京駅の第4ホームにて濱口雄幸首相が右翼青年に狙撃される。

1947年 - 倉敷天文台の本田実氏が新彗星を発見。本田彗星と命名される。

1970年 - 日本で初めてウーマン・リブの大会が開かれる(東京都・渋谷)

1971年 - アメリカの火星探査機「マリナー9号」が火星周回軌道に到達。

1973年 - 関門海峡をまたぐ関門橋が開通

1983年 - 南極観測船「しらせ」が初航海に出発。

2002年 - テレビアニメ「ポケットモンスター」最終話放映

2007年 - 浦和レッズがアジアチャンピオンズリーグで日本のクラブとして初優勝。

誕生日
1650年 - ウィリアム3世、イングランド王(+ 1702年)

1765年 - ロバート・フルトン、発明家(+ 1815年)

1778年 - ヨハン・ネポムク・フンメル、作曲家(+ 1837年)

1782年 - ジョン・ブランチ、アメリカ合衆国海軍長官(+ 1863年)

1840年 - クロード・モネ、画家(+ 1926年)

1879年 - 菊池契月、画家(+ 1955年)

1881年 - 田子一民、政治家(+ 1963年)

1889年 - ジャワハルラール・ネルー、初代インド首相(+ 1964年)

1891年 - ジェームズ・メレディス、陸上選手

1891年 - フレデリック・バンティング、医師、インスリンの発見

1900年 - アーロン・コープランド、作曲家(+ 1990年)

1901年 - 仁木他喜雄、作曲家

1907年 - アストリッド・リンドグレーン、児童文学作家(+ 2002年)

1907年 - ウィリアム・スタイグ、漫画家・児童文学作家(+ 2003年)

1908年 - 南條範夫、作家(+ 2004年)

1921年 - 山根敏子、外交官

1922年 - ブトロス・ブトロス=ガーリ、第6代国連事務総長

1924年 - 力道山光浩、プロレスラー・大相撲力士(+ 1963年)

1924年 - 鈴木登紀子、料理研究家

1926年 - 武智文雄、元プロ野球選手

1928年 - 曽根康治

1932年 - 八木正生、作曲家

1933年 - 遠藤章、化学者

1933年 - 梶原拓、元岐阜県知事

1935年 - フセイン1世、ヨルダン国王(+ 1999年)

1938年 - 島崎春荷、書家

1939年 - 徳大寺有恒、自動車評論家

1939年 - 武田和命、ミュージシャン

1940年 - 岸本光造、政治家 

1941年 - 毛綱毅曠、建築家 

1942年 - 中村勝行、脚本家 

1946年 - 阿藤快、俳優

1947年 - バックウィート・ザディコ、米国のアコーディオン奏者

1948年 - チャールズ皇太子

1948年 - 不知火親方、元関脇青葉城

1949年 - 高岡けい子、歌手
1952年 - 小林繁、元プロ野球選手
1952年 - すわ親治、タレント
1954年 - コンドリーザ・ライス、アメリカ合衆国国務長官
1955年 - 中野浩一、元競輪選手・タレント
1955年 - 早野宏史、元サッカー選手・監督(横浜F・マリノス)
1961年 - 横見浩彦、トラベルライター
1962年 - こおろぎさとみ、声優
1962年 - 田中敦子、声優
1962年 - 小野瀬雅生、ミュージシャン、クレイジーケンバンド
1963年 - あめくみちこ、俳優
1963年 - 山本幸二、元プロ野球選手
1965年 - 立見里歌、おニャン子クラブ会員番号15番
1965年 - 宇仁菅真、俳優
1966年 - 白沢みき、ジャーナリスト
1966年 - カート・シリング、メジャーリーガー(ボストン・レッドソックス)
1966年 - ティム・スコルド、ギタリスト、プロデューサー(マリリン・マンソン)
1966年 - 森本里菜、漫画家
1967年 - 手倉森誠、サッカー選手
1968年 - 雫井脩介、作家
1969年 - 沢木美佳子、タレント・アナウンサー
1969年 - 鈴木英哉、ミュージシャン、Mr.Children
1969年 - 西川弘剛、ミュージシャン、GRAPEVINE/ギター
1970年 - パトリック・ハーラン(パックンマックン)、タレント
1971年 - 森崎博之、TEAM-NACSリーダー、タレント
1972年 - ジョシュ・デュアメル、俳優
1973年 - 郡喜美代、ファッションモデル
1973年 - 川上テルヒサ、パンク演歌シンガーソングライター
1973年 - 朱門みず穂、女優
1973年 - 大沢さやか、女優
1974年 - 鈴康寛、俳優
1975年 - 砂田和俊、ミュージシャン(サンタラ)
1975年 - ガブリエラ・サボー、陸上選手
1977年 - 南周平、俳優
1978年 - 鈴木洋美、ビーチバレー選手
1978年 - 横須賀ゆめな、歌手、タレント
1978年 - Cherry、ミュージシャン、Baby Boo
1979年 - 江崎友香
1979年 - 鈴木サチ、ファッションモデル
1979年 - デュアネル・サンチェス、野球選手
1979年 - 仁井山征弘、ミュージシャン
1979年 - 丹羽努、俳優
1980年 - 木村由姫、歌手
1980年 - カルロス・カベサス、バスケットボール選手
1980年 - 桑原康伸、ミュージシャン、ガガガSP
1980年 - 坂本直子、マラソン選手
1980年 - 藤村春菜、タレント
1981年 - 原科あい、グラビアアイドル・レースクイーン
1981年 - 大久保藍子、声優
1983年 - 秋山良人 、お笑い芸人(あきげん)
1983年 - 高田梢枝、歌手 
1983年 - 野見山晴可、タレント
1984年 - 工藤こずえ、タレント 
1985年 - 園田未来子、ファッションモデル
1986年 - 片岡安祐美、女子野球選手(茨城ゴールデンゴールズ)
1986年 - 森安加代子、タレント
1988年 - 杉林沙織、タレント
1988年 - 星井七瀬、タレント
1988年 - 的場裕加、テニス選手
1989年 - 山本亮太、ジャニーズJr.、M.A.D.のメンバー
1990年 - 赤谷奈緒子、ファッションモデル
1990年 - 岡本みづき、タレント
1990年 - 佐々木蓮、FANTASISTA
1991年 - 藤咲由姫、グラビアアイドル
1991年 - 平松可奈子、SKE48

忌日
565年 - ユスティニアヌス1世、東ローマ皇帝(* 483年)

735年 - 舎人親王、皇族(* 676年)

1710年 - ゴットフリート・ライプニッツ、数学者(* 1646年)

1825年 - ジャン・パウル、小説家(* 1763年)

1831年 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、哲学者(* 1770年)

1898年 - 4代目橘家圓太郎、落語家(* 1845年)

1920年 - 原月舟、俳人(* 1889年)

1929年 - カマラ、野生児(生年不詳)

1966年 - 亀井勝一郎、評論家(* 1907年)

1971年 - 金田一京助、言語学者(* 1882年)

1986年 - 圓地文子、小説家(* 1905年)

1988年 - 三木武夫、第66代内閣総理大臣(* 1907年)

1991年 - トニー・リチャードソン、映画監督(* 1928年)

1993年 - 野坂参三、日本共産党の指導者(* 1892年)

1999年 - 守住有信、元参議院議員(* 1924年)

2000年 - 東野英心、俳優(* 1942年)

2003年 - 清水閏、ミュージシャン(* 1928年)

2006年 - 渡辺謙太郎、アナウンサー(* 1930年)

記念日・年中行事
埼玉県民の日(埼玉県)
明治4年11月14日に廃藩置県によって埼玉県が誕生したことに由来し、
その100年後にあたる1971年に埼玉県が制定。

大分県民の日(大分県)
明治4年11月14日に廃藩置県によって大分県という名称が
初めて用いられたことに由来し、「大分県あすをつくる県民運動推進協議会総会」で決議。

パチンコの日
1930年11月14日に、名古屋市でパチンコ店第1号の営業が許可されたことに由来。
全日本遊技事業協同組合連合会により1979年に制定。

世界糖尿病デー 国連が定めた「世界糖尿病デー」2007年が第一回目。
インスリンを発見したカナダ人医師、フレデリック・バンティングの誕生日にちなんで決められた。