東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月16日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月9日(日曜日)

「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色の
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。
「金木犀:きんもくせい」の後を追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっています。

山本クリニックには「野生」の。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
沢山はえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみると。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみを大きくしています。

山茶花(さざんか)の八重咲き白山茶花(さざんか)
は木枯らしで暗い中花は舞い。
早朝には「白鷺の羽」のように地面に
舞い降りています。

「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

かおりがされば。
今度はいよいよ。

つぼみを日々
大きくしている。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
次の出番です。
私は山茶花(さざんか)よりも
「やぶつばき」がすきです。
いずれも野生の「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」です。

堂々たる。
木枯らしの吹く。
「11月」の「晩秋」になりました。
あっというまに。
「10月の「中秋」もすぎさりました。

もう既に「11月なかば」。

あるいは。
「晩秋」を通り越し「もっと奥の深い秋」
を歩んでいるのかもしれません。
「晩秋」のトンネルをこえればそこは雪国の冬
です。

きょうは。
「木枯らし」が吹いていました。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「あゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

晩秋霧雨(あききりさめ)の。
晩秋霞(あきかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
「独唱」から「合唱」になりました。
「ろうろう」と鳴いています。

朝暗いうちの「こおろぎ」の合唱は。

「晩秋・初冬」の「ふうりん」のごとし。
あれ沢山の「ふうりん」かな。
と思われる音色です。

「ろうろう」。
とても「優雅」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何匹ものふくろうが。
何かを考えている様にみえます。

「雨」にぬれれば「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は
「日々の自然」を道連れにして。
「時」を旅をするひとりの旅人(たびびと)」です。

「きょう」と「あす」しか。
ひとりの私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「秋」の気配
もあるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと。
深く深まる秋からの大気。

「ふかまる秋」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭はっきりと。

感じられるようになりました。

「11月」になりました。
今年平成20年(2008年)も。
「6分の5」がおわりました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく秋の樹木」にうつろうように
変化しています。

「秋」にも「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「秋」の葉木。
「秋」の木々の「葉」
へと。
「みのりの秋」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「中秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「秋のわかば」の「めばえ」がみえます。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「ラフマニノフのコンチエルト」にあわせて。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていきます。

ハンカチは。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地になります。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は「おせどにこおろぎのなく」
「深い秋冬」。

秋の濃い緑の葉になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじるようになった。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉がふえているのに
きがつきます。

紅葉。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年まいとし。
「旅をしている」のでしょう。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。

秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋になりました。
そよかぜに揺れる葉は
招き誘われるような気すら致します。

やはり夏桜の木は
シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

秋になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。
そして「すすき」もくわわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。
もう。
はださむいような気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から
2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとても美しくたとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。
翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の
朝晴れて
はじめて気づく
にわの小ささ

にちようの
あさはれて
はじめてきづく
にわのちいささ

朝晴れて
にわの小さき
気づかぬときは
病(やまい)なりけり
日曜の朝

あさはれて
にわのちいさき
きづかぬときは
やまいなりけり
にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

秋きらきらラピス・ラズリの空(そら)
秋紺碧のカクテルいろの空(そら)
秋ミルクをそそそいだ空(そら)
秋トルコいしのプリンの空(そら)
秋はるかにとほくたかい空(そら)
秋ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
秋プリンの上のクリームのような空(そら)
秋睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
秋睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
秋空(そら)の向こうにまた空(そら)
秋そのまたむこうにももっと空(そら)

春のうららのこもれびに
緑木いらかをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜさやか
秋風かたれるやすらきの
四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜつよく
冬風弓(ゆみ)打つ木枯らしに
四季のつきひははやいくとせ

秋冬椎木(しいのき)は枝高し
秋冬そらに吼える若葉の穂束
秋冬そらに吼える蒼き獅子のごとし
秋冬天にも地にもみどりはさける
秋冬のあさふかまりて
秋冬陽の光ゆたかなりけり
秋冬いふことのなし
秋冬いふことがなし
秋冬いふことはなし
秋冬いふこともなし
秋冬ゆたかなるかな秋冬

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

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平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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11月 3日(月曜日)はおわりました。
-------------------------------

11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は
ムソルグスキー
『ボリス・ゴドゥノフ』の端役(僧侶役)で。
同公演のプログラム印刷の際に「御自分」の名の
「spelling:スペリング:綴り」を
誤植されてしまったが。
以降その名を舞台上だけでなく私生活でも使った歌手。

1896年 - ローレンス・ティベット、バリトン歌手(+ 1960年)
の生誕日です。

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ローレンス・ティベット(Lawrence Mervil Tibbett,
1896年11月16日 - 1960年7月15日)は。
アメリカ合衆国のバリトン歌手です。

強靭な声、大声量、滑らかなレガート。
優れた演技力によって。

第二次世界大戦前の
最も有名なバリトン歌手の一人として知られています。

ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(「メト」)
を本拠に
多くのの名演を残しました。
なお本来の姓はTibbet*と綴ります。

(メトでの初舞台は1923年11月24日、ムソルグスキー
『ボリス・ゴドゥノフ』の端役(僧侶役)でした。

なお同公演のプログラムにティベットの名は
"Tibbett"と誤植されてしまいました。

彼は以降その名を
舞台上だけでなく私生活でも使いました。)

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbett
の西海岸時代

1896年、カリフォルニア州ベーカーズフィールドに
同地の副保安官の三男として生まれました。

7歳のとき父親はギャングとの撃ち合いで殉職。

ティベットは寡婦となった母および兄姉とともに
ロサンジェルスに転居致します。
やがて同市の演劇・音楽学校に進みました。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbettは。
同校で音楽ばかりでなく演技。
フランス語やドイツ語も習得できたことは
後年役立つことになりました。

けれども
1915年、19歳で卒業した当時のティベット青年は
演劇俳優かバリトン歌手いずれの道に進むか。
決めかねていたらしいです。

サンフランシスコで歌手としてのリサイタルを催し成功する一方。
西海岸の諸演劇場でシェイクスピア劇への出演も続けていました。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbett
とメトロポリタン歌劇場(メト)

1922年になり、ようやく歌手としてののキャリアを
自らの進路に定めたティベットはニューヨークに移りました。

苦労しつついくつかのリサイタルの機会を得ました。
そしてその美声で注目を集めた彼はメトロポリタン歌劇場(メト)
との1923年-24年シーズンの契約に成功致します。

メトでの初舞台は1923年11月24日、ムソルグスキー
『ボリス・ゴドゥノフ』の端役(僧侶役)でした。

なお同公演のプログラムにティベットの名は
"Tibbett"と誤植されてしまいました。

彼は以降その名を
舞台上だけでなく私生活でも使いました。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbettの
ティベットのキャリアが飛躍を遂げたのは1925年1月2日、
メトでのヴェルディ『ファルスタッフ』公演でした。

メトにとって15年振りの『ファルスタッフ』公演でした。

指揮トゥリオ・セラフィン、
題名役に名バリトン、アントニオ・スコッティなど
有名キャストを配したこの舞台で。

ティベットは第二バリトンとしてフォード役を歌い
ました。

第2幕でのモノローグ
「夢か、現実か?」(E sogno? o realta?)で、
主役スコッティをも「食う」ほどの大絶賛を受けました。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbett
栄光

この『ファルスタッフ』以降。
ティベットはメトの筆頭バリトン歌手として
イタリア物、フランス物を中心として活躍致します。

豊かな肺活量を生かした大声量、滑らかなレガート、
声質を役柄に応じて器用に変化させる能力の高さには
定評がありました。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbettは。

特に、代表的な「ヴェルディ・バリトン」として。

『リゴレット』の題名役、『椿姫』の父ジェルモン、
『シモン・ボッカネグラ』の題名役、
『運命の力』のカルロ役、
そして『オテロ』のヤーゴ役で高い評価を得ました。

それらの公演の多くは、メトが1931年から開始した
ラジオ生中継のエア・チェック音源によって
今日でも鑑賞可能です
(ティベット本人が自らの記録・
検討用に録音させたものが多い)。

またレコードの商業録音も豊富に残されています

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbettは。

メトの舞台には生涯で49役。
延べ602回登場致します。

また。
シカゴや地元サンフランシスコのオペラ・ハウスにも
頻繁に出演致しました。

豊富な舞台経験を生かして
ハリウッド映画にも多く登場致しました。

うち1930年のミュージカル映画
『悪漢の唄』(The Rogue Song)で、
主役を演じたティベットは
同年度アカデミー賞主演男優賞にノミネートされています。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbettは。

ところが、1940年頃からその美声には急速に翳りが生じました。

同年春に悪天候下の屋外で行ったコンサートに起因する
声帯の障害からとも、
女性問題、離婚など私生活の乱れを遠因とする
アルコール依存症が
原因とも想像されています。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbett
の「下落」

1941年-42年のシーズン頃からは
レナード・ウォーレン(1911年生)など、
より若手のアメリカ人バリトン歌手が台頭し、
音楽批評でもティベットは
次第に「過去の人」扱いをされることになりましたた。

戦後はメトでも二線級の扱いに甘んじ、
1950年3月24日ムソルグスキー『ホヴァーンシチナ』の
イヴァーン・ホヴァーンスキィ公役を
最後にメトを去りました。

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ローレンス・ティベット:Lawrence Mervil Tibbettは。

その後ティベットは細々とオペラ出演を続けました。

時にはブロードウェイでミュージカルや
舞台劇に出演するなどしたが。

飲酒に起因するトラブルでの収監や。
保護治療施設への入所などを繰り返しました。

ほとんど社会から忘れ去られた存在として
極貧のうちに。
1960年7月15日他界致しました。

自宅の床で滑り。
テレビ受像機の角に頭を強打したことによる
傷害事故死でした。

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ローレンス・ティベット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88

ローレンス・ティベット(Lawrence Mervil Tibbett, 1896年11月16日 - 1960年7月15日)はアメリカ合衆国のバリトン歌手。強靭な声、大声量、滑らかなレガート、優れた演技力によって第二次世界大戦前の最も有名なバリトン歌手の一人として知られ、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場を本拠に多くの名演を残した。なお本来の姓はTibbetと綴る。

目次
1 生涯
1.1 西海岸時代
1.2 メト
1.3 栄光と没落
2 参考書籍

生涯

西海岸時代
1896年、カリフォルニア州ベーカーズフィールドに、同地の副保安官の三男として生まれる。7歳のとき父親はギャングとの撃ち合いで殉職、ティベットは寡婦となった母および兄姉とともにロサンジェルスに転居し、やがて同市の演劇・音楽学校に進んだ。

同校で音楽ばかりでなく演技、フランス語やドイツ語も習得できたことは後年役立つことになるが、1915年、19歳で卒業した当時のティベット青年は演劇俳優、歌手いずれの道に進むか決めかねていたらしい。サンフランシスコで歌手としてのリサイタルを催し成功する一方、西海岸の諸演劇場でシェイクスピア劇への出演も続けていた。

メト
1922年になり、ようやく歌手としてののキャリアを自らの進路に定めたティベットはニューヨークに移る。苦労しつついくつかのリサイタルの機会を得、その美声で注目を集めた彼はメトロポリタン歌劇場(メト)との1923年-24年シーズンの契約に成功する。メトでの初舞台は1923年11月24日、ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』の端役(僧侶役)だった。なお同公演のプログラムにティベットの名は"Tibbett"と誤植され、彼は以降その名を舞台上だけでなく私生活でも使った。

ティベットのキャリアが飛躍を遂げたのは1925年1月2日、メトでのヴェルディ『ファルスタッフ』公演であった。メトにとって15年振りの『ファルスタッフ』公演として、指揮トゥリオ・セラフィン、題名役に名バリトン、アントニオ・スコッティなど有名キャストを配したこの舞台で、ティベットは第二バリトンとしてフォード役を歌い、第2幕でのモノローグ「夢か、現実か?」(E sogno? o realta?)で、主役スコッティをも「食う」ほどの大絶賛を受けた。

栄光と没落
この『ファルスタッフ』以降、ティベットはメトの筆頭バリトン歌手としてイタリア物、フランス物を中心として活躍した。豊かな肺活量を生かした大声量、滑らかなレガート、声質を役柄に応じて器用に変化させる能力の高さには定評があった。

特に、代表的な「ヴェルディ・バリトン」として、『リゴレット』の題名役、『椿姫』の父ジェルモン、『シモン・ボッカネグラ』の題名役、『運命の力』のカルロ役、そして『オテロ』のヤーゴ役で高い評価を得た。それらの公演の多くは、メトが1931年から開始したラジオ生中継のエア・チェック音源によって今日でも鑑賞可能である(ティベット本人が自らの記録・検討用に録音させたものが多い)。またレコードの商業録音も豊富に残されている。

メトの舞台には生涯で49役、延べ602回登場した他、シカゴや地元サンフランシスコのオペラ・ハウスにも頻繁に出演した一方、豊富な舞台経験を生かしてハリウッド映画にも多く登場、うち1930年のミュージカル映画『悪漢の唄』(The Rogue Song)で、主役を演じたティベットは同年度アカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。

ところが、1940年頃からその美声には急速に翳りが生じる。同年春に悪天候下の屋外で行ったコンサートに起因する声帯の障害からとも、女性問題、離婚など私生活の乱れを遠因とするアルコール依存症が原因とも想像されている。

1941年-42年のシーズン頃からはレナード・ウォーレン(1911年生)など、より若手のアメリカ人バリトン歌手が台頭し、音楽批評でもティベットは次第に「過去の人」扱いをされることになった。戦後はメトでも二線級の扱いに甘んじ、1950年3月24日ムソルグスキー『ホヴァーンシチナ』のイヴァーン・ホヴァーンスキィ公役を最後にメトを去った。

その後ティベットは細々とオペラ出演を続け、時にはブロードウェイでミュージカルや舞台劇に出演するなどしたが、飲酒に起因するトラブルでの収監、保護治療施設への入所などを繰り返し、ほとんど社会から忘れ去られた存在として1960年7月15日他界した。自宅の床で滑り、テレビ受像機の角に頭を強打したことによる傷害事故死であった。

参考書籍
Hertzel Weinstat and Bert Wechsler, "Dear Rogue: A Biography of the American Baritone Lawrence Tibbett", Amadeus Press (ISBN 1-57467-008-5)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88" より作成
カテゴリ: バリトン歌手 | 1896年生 | 1960年没

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11月16日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8816%E6%97%A5

できごと
1874年 - 学校法人青山学院の前身である、
女子小学校がD.E.スクーンメーカー宣教師によって創設(現在、青山学院創立記念日)。

1920年 - カンタス航空設立。

1934年 - 群馬県桐生市で昭和天皇誤導事件。

1939年 - アル・カポネがアルカトラズ刑務所から釈放。

1946年 - 内閣が「現代かなづかい」と「当用漢字表」1850字を告示。

1957年 - エド・ゲインによる連続猟奇殺人事件が発覚

1972年 - 世界遺産条約が成立。

1985年 - 国鉄明知線、明知鉄道に転換。

1990年 - 創価学会会長・池田大作、
日蓮正宗宗門批判を開始。本件を11.16と呼称。

1993年 - ソニー・コンピュータエンタテインメント設立

1997年 - サッカー日本代表が、
W杯フランス大会に向けたアジア第3代表決定戦に勝利、
W杯初出場を決める(ジョホールバルの歓喜)。

2004年 - 富士急行線の谷村町駅〜十日市場駅間に都留文科大学前駅が開業。

2006年 - NHKが世界初となるハイビジョン宇宙中継を開始。

誕生日
紀元前42年 - ティベリウス、第2代ローマ皇帝(+ 37年)

1770年 - エティエンヌ・ピヴェール・ド・セナンクール、小説家(+ 1846年)

1843年(天保14年閏9月25日) -
田中光顕、陸援隊幹部・陸軍少将・宮内大臣(+ 1939年)

1894年 - リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、
汎欧州主義の提唱者として知られる政治家(+ 1972年)

1895年 - パウル・ヒンデミット、作曲家(+ 1963年)

1896年 - ローレンス・ティベット、バリトン歌手(+ 1960年)

1896年 - オズワルド・モズリー、イギリスのファシズム運動指導者(+ 1980年)

1909年 - まど・みちお、詩人

1933年 - 高畠通敏、政治学者(+ 2004年)

1936年 - 石川良照、元プロ野球選手

1950年 - 来生たかお、ミュージシャン
1951年 - オール巨人、漫才師
1952年 - 宮本茂、ゲームクリエイター
1955年 - 平野正人、声優
1955年 - 國村隼、俳優
1958年 - 原口次夫、元騎手・調教師(愛知県競馬組合)
1962年 - 山野井仁、声優
1963年 - 有吉玉青、小説家、エッセイスト
1964年 - 二谷友里恵、女優
1964年 - 松原靖、元プロ野球選手
1964年 - ドワイト・グッデン、元メジャーリーガー
1968年 - 五十嵐いづみ、女優
1968年 - ウィラポン・ナコンルアンプロモーション、タイ人プロボクサー(元ムエタイ選手)。
1972年 - みつみ美里、原画家・グラフィッカー・イラストレーター
1973年 - 杉山マルコス、バレーボール選手
1974年 - 松田匡史、元プロ野球選手
1974年 - ポール・スコールズ、元イングランド代表サッカー選手
1975年 - 内田有紀、女優
1975年 - 結城綾音、AV女優
1976年 - 西村博之、2ちゃんねる管理人
1977年 - 松田樹里、ファッションモデル
1978年 - 村上祐子、テレビ朝日アナウンサー
1978年 - 永山たかし、俳優
1978年 - 谷原秀人、プロゴルファー
1979年 - 村井美樹、女優
1980年 - 小島よしお、お笑い芸人
1981年 - 高山久、プロ野球選手
1981年 - フェルナンド・カブレラ、野球選手
1983年 - K、歌手
1983年 - 大西麻恵、女優
1985年 - 西山茉希、モデル
1985年 - 山本早織、グラビアアイドル
1986年 - 枝村匠馬、サッカー選手
1986年 - サエコ、女優
1988年 - 後藤みゆう、美少女クラブ31
1988年 - 高橋萌木子、陸上競技選手
1991年 - 河西智美、AKB48
1991年 - 青谷優衣、ファッションモデル
1992年-植田志穂、 子役、モデル
1993年 - 伊藤麻衣、子役

忌日
1328年(嘉暦3年10月14日) - 久明親王、鎌倉幕府第8代将軍(* 1276年)

1797年 - フリードリヒ・ヴィルヘルム2世、プロイセン王国国王(* 1744年)

1831年 - カール・フォン・クラウゼヴィッツ、軍事思想家(* 1780年)

1914年 - 押川春浪、作家(* 1876年)

1956年 - 鳳谷五郎、大相撲第24代横綱(* 1887年)

1960年 - クラーク・ゲーブル、俳優(* 1901年)

1962年 - 瀧川幸辰、法学者・元京都大学総長(* 1891年)

1974年 - ウォルサー・マイスナー、物理学者(* 1882年)

1990年 - ノーザンダンサー、競走馬(* 1961年)

1991年 - 伊上勝、脚本家(* 1931年)

2001年 - トミー・フラナガン、ジャズピアニスト(* 1930年)

2005年 - 倉田地三、舞台俳優、劇作家の倉田百三の長男(* 1917年)

2006年 - ミルトン・フリードマン、経済学者(* 1912年)

2006年 - 仲谷昇、俳優(* 1929年)

記念日・年中行事
幼稚園記念日(日本)
1876年11月16日、東京・神田に日本初の官立幼稚園である
東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)が開園したことに由来。