東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年11月17日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月17日(月曜日)

夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

今現在は
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆく。

そろそろ とぼとぼと。

深まり行く。
「確かな」「晩秋」のかおりや。
「確かな」「晩秋」の。
あゆみのしらべが。

ただよいはじめています。

「中秋」から「晩秋」へとかわる・かおり。
この。
「秋のかおりの変化(へんげ)」は。
毎年ちがいます。

「秋のかおりの変化(へんげ)」は。
「毎年」新しい。
「うれしい新品のかおり」
がします。

大気織り成す季節とり「新たなる新品のかおり」
を恵まれることは。
とても幸せなことです。

暗い早朝に。
「こおろぎ」の鳴き声が聞こえます。

次第に「こおろぎ」の声は多くなってきました。
そして「こおろぎの合唱」になり聞こえます。
けれども
晩秋になり「声はまばらになります」。

「こおろぎ」の鳴き声は「せみ」と異なり
「いわにしみいる」ことは
ないように思えます。

「ふうせん」のような。
「風にとばされる」
風鈴をおもわせる鳴き声です。

「ろうろう」。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「深い秋のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「深い秋のおとずれ」の「大気」が
何かを。行く先を。
照らすかのようにさまよいいることが
わかります。

「晩秋」です。

五月(さつき)がおわり。
六月がおわり。
そして「7月」
「7月」も終わりました。
「8月」も終わりました。
「秋」の「9月」です。
「9月」も終わりました。
「中秋」の「10月」も終わりました。
「晩秋」の「11月」です。

はやいものです。
はやいものです。

「11月」の晩秋には。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
感じられるようです。
不思議な感しが致します。

木々は
「初秋のおわり」までの準備をすませて。

これからの「実り」に向けての。
息吹が力強く感じられます。

今早朝は肌寒い」です。
今年は「寒い」です。

街路樹はしっかりと
枝木の穂先もたわわにつよく
萌黄色から若葉そして
夏に青葉の「木」に
かわりました。

そしていま。
「秋の葉」の木に。
「晩秋」にも若葉を抱き
さらにうつろいてかわろうと
しています。

「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども去年よりは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声も今年は多いように
おもえます。
「ろうろう」とないています。

こうろぎの声の上はみかんの木。

みかんの木は。
とても沢山の実をつけています。

秋の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
秋の若葉にすくすくとそだち。
若枝も秋天高くすこやかにのび。
ますますに。ますますに。
「秋の陽」をあびて。
秋の山椒(さんしょう)の葉の。
みどりがとても。
奇麗です。

山椒のことを
「きのめ」=木の芽とはなるほどと
かんがえる。

秋さんしょう木
秋萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
秋みどり葉わか葉いずる花のごと
秋夏(なつ)こすわか枝は幹ならむ
秋なりてたゆまずとまらず
秋あゆみそだちて
秋幹は天たかくそだちたり
秋いざいまこそは
秋空(そら)にもえたたむ
秋金色(こがね)の炎
秋さんしょう木秋

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな秋みつけた」から
しだいに「大きな秋みつけた」
「大きな秋みつけた」から。
そして「大きな大きな秋」みつけた・は。

ちょっと「安心する気」が致します。
もう「晩秋」です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
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GWの予定ですが。
平成20年4月29日(火曜日)
は祝日です。(はおわりました)
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平成20年5月 3日(土曜日)
平成20年5月 5日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
(4・29 5・3 5.5)
=>

平成20年5月 6日(火曜日)
は同じく祝日ですが
は「お休み」を頂く予定です。
5月7日(水曜日)より「定常どおり」
になります。

7月21日(月曜日)は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。
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9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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11月 3日(月曜日)はおわりました。

11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
私の「大好き」な彫刻家。
極度の近視で黒板の字も見えないほどで。
眼鏡もなく。、
そのせいで学校での成績は芳しくなかった彫刻家。
古代ギリシアのペイディアスと
ルネサンスのミケランジェロを師にして
ほぼ独学で彫刻を学んだ彫刻家。

1917年 - オーギュスト・ロダン、彫刻家(* 1840年)
の没日です。

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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン
(Francois-Auguste-Rene Rodin,
1840年11月12日 - 1917年11月17日)は
フランスの彫刻家です。

19世紀を代表する彫刻家とされ、
『近代彫刻の父』と称されています。

代表作に『地獄の門』があります。
『地獄の門』からその一部を抜き出した『考える人』など
は極めてつとに有名です。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
の生涯

オーギュスト・ロダン
『カレーの市民』パリの下町で
警視庁の書記の息子として生まれました。

14歳で工芸実技学校に入学致します。

ロダンは極度の近視で黒板の字も見えないほどでした。
眼鏡もなく。、
そのせいで学校での成績は芳しくありませんでした。

++++++++++++++++++++++

そのロダンの良き理解者であった
2歳年長の姉・マリアの援助により。

帝国素描・算数専門学校に入学して美術を学びました。

さらに芸術家の登竜門であった国立美術学校
エコール・デ・ボザールの入学試験に臨みましたが。
三度受けて三度落ち遂に断念致しました。

それ以後は。
フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
は。

古代ギリシアのペイディアスと
ルネサンスのミケランジェロを師にして
ほぼ独学で彫刻を学びました。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodinの姉の死。

ロダンに悲劇が訪れました。
1863年姉マリアが修道院で自殺したのです。

マリアはロダンの友人の画家と恋愛をしていたのだが、
その男に捨てられ、傷心の余り修道院に入りました。

そこでも心の傷は癒されずに自殺に至ったのす。

敬愛する姉の死にロダンは自らを責め。
聖サクラメント修道会に
見習い修道士として1年余りを過ごし
ました。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
は。

そして1864年に『鼻のつぶれた男』をサロンに出品するが
まったく評価されませんでした。

当時の彫刻とは
貴族たちのために作る美しい彫刻が当たり前でした。

鼻のつぶれた醜い男をモデルにした醜い彫刻など。
当時の審査員にとっては。
本等にふざけているとしか思えなかったでしょう。

++++++++++++++++++++++

酷評にショックを受けたロダンは
以後、12年もの長い間作品を発表しませんでした。

この年に生涯の伴侶となる
ローズ・ブーレと出会い内縁関係を結びました。

正式に結婚するのは。
ロダンもローズも70台の老齢になってからのことでした。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Augus
te-Rene Rodin
は。
イタリア旅行に出て。
ミケランジェロの作品を見て強い感銘を受けました。
1877年に長い沈黙を破って『青銅時代』を出展致しました。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:François-Auguste-René Rodinの
『青銅時代』はオーギュスト・ネイトと言う人物を
モデルにした等身大の男性像で極めて緻密でリアルな作品でした。

ところがそのあまりのリアルさのために
「実際の人間から型を取ったのではないか」
との疑いをかけられ。

憤慨したロダンは
2年後に人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を
新たに作りました。

型を取ったのではなかったと解った審査員たちは。
ロダンの彫刻に対して賞賛の言葉を送りました。
ロダンの名は一気にフランス中に広まりました。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
への「依頼」

1880年、ロダンの元に国立美術館を建てるので。
そのモニュメントを作って欲しいとの依頼が来ました。

そのテーマとしてロダンが選んだのが。
ダンテの『神曲』地獄篇に登場する
『地獄の門』でした。

ロダンはこの大作品に取り組むに当たり。
粘土や水彩画などでデッサンを重ねていったが、
中々構想はまとまりませんでした。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
が。

『地獄の門』この悩める時期に
教え子のカミーユ・クローデルと出会い。

この若き才能と魅力に夢中になりました。
だが優柔不断なロダンは、カミーユと
妻ローズの間で絶えず揺れました。

数年後ローズが病に倒れカミーユがローズと自分との
選択を突付けるまで決断できませんでした。

ローズの元に逃げ帰るロダン。

(ショックを受けたカミーユは以後
徐々に精神のバランスを欠き。
ついには精神病院に入院。
死ぬまでそこで過ごす事になりました。)

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
の。

1888年、美術館の建設計画は白紙に戻り
(予定地だった所には現在はオルセー美術館が建っている)、
ロダンに『地獄の門』の製作中止命令が届きました。

ロダンはこれを断り。
金を払って『地獄の門』を自らの物とし彫り続けました。

ロダンにとって
最早『地獄の門』とは単なる作品ではなく。
『神曲』の中の物語でもなく。
ほかならぬロダン自身となっていたのです。

++++++++++++++++++++++

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
は。

そして1889年、
『地獄の門』を覗き込む男を「一つの彫刻として発表」
致しました。

はじめこの彫刻には
「詩想を練るダンテ」と名づけられていたが、
発表するときは「詩人」と名づけられました。

この「地獄の門」の一部が有名な「考える人」です。

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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:François-Auguste-René Rodin。

この像は誰を表しているのか。
ダンテであると言う説もあるが。

ロダン自身であると言う説もあります。

その姿は地獄の中を覗き込み、苦悩している姿であり。
その地獄の中にはカミーユ、ローズとの間に出来た息子
(この子のことをロダンは認知せず世間にも隠していた)
の姿がありました。

なお『考える人』と言う名はこの像を鋳造した
リュディエがつけたものです。

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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin
は。

1917年ロダンは死期の迫った
ローズと遂に結婚の手続きを致しました。
ロダン77歳、ローズ73歳でした。
その16日後にローズは死去し、
更に9ヵ月後の11月17日にロダンも死去致しました。

ロダンの末期の言葉は
『パリに残した、若い方の妻に逢いたい。』でした。

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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodi

結局『地獄の門』は未完に終わりました。

その弟子として
アントワーヌ・ブールデル・シャルル・デスピオがいます。

その作品群は世界的に人気があります。

特に『考える人』は数多く鋳造され、世界中に存在致します。

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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン:
Francois-Auguste-Rene Rodin

作品を収蔵する主な美術館

ロダン美術館 フランス・パリ
ロダン美術館 アメリカ・フィラデルフィア
新潟市美術館『死の顔・花子』『空想する女・花子』『バルザックの頭部』
静岡県立美術館(ロダン館)
国立西洋美術館『考える人』『地獄の門』『カレーの市民』
大原美術館『歩く人』

作品リスト
『地獄の門』(未完)
『考える人』
『カレーの市民モニュメント』
『大聖堂』
『接吻』
『バルザック記念像』
『青銅時代』

など

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オーギュスト・ロダン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%80%E3%83%B3

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(Francois-Auguste-Rene Rodin, 1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』など。

目次
1 生涯
2 作品を収蔵する主な美術館
3 作品リスト
4 関連項目

生涯

オーギュスト・ロダン
『カレーの市民』パリの下町で警視庁の書記の息子として生まれる。14歳で工芸実技学校に入学。ロダンは極度の近視で黒板の字も見えないほどだったと言い、そのせいで学校での成績は芳しくなかった。

そのロダンの良き理解者であった2歳年長の姉・マリアの援助により帝国素描・算数専門学校に入学して美術を学ぶ。さらに芸術家の登竜門であった国立美術学校エコール・デ・ボザールの入学試験に臨むが、三度受けて三度落ち、遂に断念した。

それ以後は古代ギリシアのペイディアスとルネサンスのミケランジェロを師にして、ほぼ独学で彫刻を学んだ。

が、しかし、そのロダンに悲劇が訪れる。1863年、姉マリアが修道院で自殺したのである。マリアはロダンの友人の画家と恋愛をしていたのだが、その男に捨てられ、傷心の余り修道院に入ったが、そこでも心の傷は癒されずに自殺に至ったのである。敬愛する姉の死にロダンは自らを責め、聖サクラメント修道会に見習い修道士として1年余りを過ごした。

そして1864年に『鼻のつぶれた男』をサロンに出品するが、まったく評価されなかった。当時の彫刻とは貴族たちのために作る美しい彫刻が当たり前だったのが、鼻のつぶれた醜い男をモデルにした醜い彫刻など、当時の審査員にとってはふざけているとしか思えなかったのである。

酷評にショックを受けたロダンは以後、12年もの長い間作品を発表しなかった。この年に生涯の伴侶となるローズ・ブーレと出会い、内縁関係を結ぶ。正式に結婚するのはロダンもローズも老齢になってからである。

京都国立博物館の『考える人』1875年、イタリア旅行に出て、ミケランジェロの作品を見て強い感銘を受け、1877年に長い沈黙を破って『青銅時代』を出展する。

この『青銅時代』はオーギュスト・ネイトと言う人物をモデルにした等身大の男性像で、極めて緻密でリアルな作品であった。ところがそのあまりのリアルさのために「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられ、憤慨したロダンは2年後に人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を新たに作った。型を取ったのではなかったと解った審査員たちは、ロダンの彫刻に対して賞賛の言葉を送り、ロダンの名は一気にフランス中に広まった。

1880年、ロダンの元に国立美術館を建てるので、そのモニュメントを作って欲しいとの依頼が来た。そのテーマとしてロダンが選んだのがダンテの『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』である。ロダンはこの大作品に取り組むに当たり、粘土や水彩画などでデッサンを重ねていったが、中々構想はまとまらなかった。

『地獄の門』この悩める時期に教え子のカミーユ・クローデルと出会い、この若き才能と魅力に夢中になった。だが優柔不断なロダンは、カミーユと妻ローズの間で絶えず揺れた。数年後ローズが病に倒れ、カミーユがローズと自分との選択を突付けるまで決断できなかった。ローズの元に逃げ帰るロダン。ショックを受けたカミーユは以後、徐々に精神のバランスを欠き、ついには精神病院に入院、死ぬまでそこで過ごす事になる。

1888年、美術館の建設計画は白紙に戻り(予定地だった所には現在はオルセー美術館が建っている)、ロダンに『地獄の門』の製作中止命令が届くが、ロダンはこれを断り、金を払って『地獄の門』を自らの物とし、彫り続けた。

ロダンにとって最早『地獄の門』とは単なる作品ではなく、『神曲』の中の物語でもなく、ほかならぬロダン自身のモノとなっていたのである。

そして1889年、『地獄の門』を覗き込む男を一つの彫刻として発表した。はじめこの彫刻には「詩想を練るダンテ」と名づけられていたが、発表するときは「詩人」と名づけられた。この像は誰を表しているのか、ダンテであると言う説もあるが、ロダン自身であると言う説もある。その姿は地獄の中を覗き込み、苦悩している姿であり、その地獄の中にはカミーユ、ローズとの間に出来た息子(この子のことをロダンは認知せず、世間にも隠していた)の姿がある。なお『考える人』と言う名はこの像を鋳造したリュディエがつけたものである。

1917年、ロダンは死期の迫ったローズと遂に結婚の手続きをした。ロダン77歳、ローズ73歳であった。その16日後にローズは死去し、更に9ヵ月後の11月17日にロダンも死去した。ロダンの末期の言葉は『パリに残した、若い方の妻に逢いたい。』だった。

結局『地獄の門』は未完に終わった。その弟子としてアントワーヌ・ブールデル・シャルル・デスピオがいる。

その作品群は世界的に人気があり、特に『考える人』は数多く鋳造され、世界中に存在する。

作品を収蔵する主な美術館
ロダン美術館 フランス・パリ
ロダン美術館 アメリカ・フィラデルフィア
新潟市美術館『死の顔・花子』『空想する女・花子』『バルザックの頭部』
静岡県立美術館(ロダン館)
国立西洋美術館『考える人』『地獄の門』『カレーの市民』
大原美術館『歩く人』

作品リスト
『地獄の門』(未完)
『考える人』
『カレーの市民モニュメント』
『大聖堂』
『接吻』
『バルザック記念像』
『青銅時代』
Rodin-Web.org: independent academic platform on Rodin, with collections overview, biography, photos, books, events
など

関連項目
ウジェーヌ・カリエール

ウィキメディア・コモンズには、オーギュスト・ロダン に関連するマルチメディアがあります。"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%80%E3%83%B3" より作成
カテゴリ: フランスの彫刻家 | 19世紀の美術家 | 1840年生 | 1917年没

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11月17日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8817%E6%97%A5

11月17日(じゅういちがつじゅうななにち、じゅういちがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から321日目(閏年では322日目)にあたり、年末まであと44日ある。

毎年この日ごろしし座流星群が観測できる。

できごと
1292年 - ジョン・バリオール、スコットランド国王として即位

1585年 - エリザベス朝始まる。イングランド女王メアリー1世死去、妹エリザベス1世即位。

1796年 - ナポレオン戦争: アンコレの戦い - フランス軍、イタリアでオーストリアを破る。

1800年 - アメリカ合衆国、ワシントンD.C.ではじめての連邦議会がはじまる。

1845年 - ヴィクトル・ユーゴー、『レ・ミゼール』(のちの『レ・ミゼラブル』)の執筆を始める。

1869年 - スエズ運河開通式。地中海と紅海がつながれる。

1922年 - 前オスマン帝国皇帝メフメト6世、イタリアへ亡命する。

1965年 - プロ野球の第1回ドラフト会議が開かれる。

1948年 - 東京都、正月用食料配給の計画を発表、翌日から実施。

1969年 - 冷戦: アメリカ合衆国とソビエト連邦の代表団ヘルシンキで会合、
SALT I 交渉が始まる。

1970年 - ソ連の無人月探査機「ルナ17号」が月面に着陸。
世界初の月面車による探査を開始する。

1989年 - チェコスロバキア、ビロード革命の始まり。
プラハで共産党に抗議する学生デモが鎮圧される(12月29日まで)

1990年 - 長崎県の雲仙普賢岳の山頂部で水蒸気爆発が起こり、200年ぶりに噴火。

1997年 - エジプト、ルクソールのハトシュプスト葬祭殿外で、イスラム過激派7人が62人を殺害。

1997年 - 北海道拓殖銀行が経営破綻。戦後初の都市銀行破綻。

2000年 - アルベルト・フジモリ、ペルー大統領を退陣。

2001年 - 日本人キックボクサー佐藤嘉洋が
ドイツでWKA世界ムエタイウェルター級王座決定戦に出場し
ミラン・ステビッチ(ユーゴスラビア)と対戦。4R目でKO勝ちし王座獲得。

2004年 - 奈良小1女児殺害事件発生。

2005年 - 姉歯建築設計事務所がマンション、
ホテルの構造計算書を偽造したと国土交通省が発表し、
構造計算書偽造問題として社会問題になる。

誕生日
9年 - ウェスパシアヌス、ローマ皇帝(+ 79年)

1650年 (慶安3年10月24日)
島津綱貴、島津氏第20代当主、薩摩藩の第3代藩主(+ 1704年)

1717年 - ジャン・ル・ロン・ダランベール、数学者・思想家(+ 1783年)

1755年 - ルイ18世、フランス国王(+ 1824年)

1790年 - アウグスト・フェルディナント・メビウス、数学者(+ 1868年)

1897年 - 坂口謹一郎、応用微生物学者・東大農学部部長(+1994年)

1901年 - リー・ストラスバーグ、俳優(+ 1982年)

1904年 - イサム・ノグチ、彫刻家(+ 1988年)

1906年 - 本田宗一郎、本田技研工業設立(+ 1991年)

1922年 - スタンリー・コーエン 1986年ノーベル生理学・医学賞

1929年 - 五島勉、作家、ルポライター

1929年 - 納谷悟朗、声優

1934年 - 井上ひさし、小説家

1935年- トニー・ザイラー、スキー選手

1936年 - 井川比佐志、俳優

1936年 - 山口崇、俳優

1939年 - 内田裕也、ミュージシャン、俳優

1946年 - 金田留広、元プロ野球選手

1947年 - 伊藤祐一郎、鹿児島県知事

1947年 - 萩原康弘、元プロ野球選手
1948年 - 星ルイス、漫才師(+ 2005年)
1949年 - 安原義人、声優
1951年 - 妹尾和夫、演劇俳優
1956年 - 佐々木隆、元ドラマー
1959年 - 小野みゆき、俳優
1963年 - 武野功雄、俳優
1965年 - 川崎ヒロユキ、脚本家
1966年 - 杉本沙織、声優
1968年 - 岡田圭右、タレント・ますだおかだ
1968年 - 牧田衞活、アナウンサー
1968年 - 大浦龍宇一、俳優
1969年 - 置鮎龍太郎、声優
1969年 - 木村一八、元俳優
1969年 - 柳田勝、ライフル射撃選手
1970年 - 城島茂、TOKIO
1975年 - 池田渉、ラグビー選手
1975年 - ユンソナ、タレント
1977年 - アレックス・グラマン、プロ野球選手
1978年 - 堂珍嘉邦、歌手・CHEMISTRYの一人
1981年 - 長尾麻由、グラビアアイドル
1983年 - 水谷さくら、グラビアアイドル、レースクイーン
1983年 - ライアン・ブラウン、メジャーリーガー
1983年 - 林泉水、AV女優・ストリッパー
1983年 - ジョディ・ヘンリー、競泳選手
1984年 - 佐藤めぐみ、女優
1986年 - 亀田興毅、プロボクサー・亀田三兄弟の長男
1986年 - 島沙織、PLIME
1989年 - 秦みずほ、グラビアアイドル
1991年 - 米森もも花、タレント

忌日
375年 - ウァレンティニアヌス1世、ローマ帝国皇帝(* 321年)

474年 - レオ2世、東ローマ帝国皇帝(* 467年?)

594年 - トゥールのグレゴリウス、聖職者・歴史家(* 538年)

641年(舒明天皇13年10月9日)- 舒明天皇、第34代天皇(* 593年?)

790年(延暦9年10月3日)- 佐伯今毛人、奈良時代の貴族(* 719年)

1231年 - エルジェーベト、ルートヴィヒ4世 (テューリンゲン方伯)の妃(* 1207年)

1494年 - ピコ・デラ・ミランドラ、人文主義者(* 1463年)

1558年 - メアリー1世、イングランド女王(* 1516年)

1558年 - レジナルド・ポール、枢機卿・カンタベリー大司教(* 1500年)

1562年 - アントワーヌ、ナバラ王(* 1518年)

1600年(慶長5年10月12日)- 九鬼嘉隆、戦国武将(* 1542年)

1624年 - ヤーコプ・ベーメ、神秘主義思想家(* 1575年)

1720年 - ジョン・ラカム、海賊船船長

1768年 - ニューカッスル公トーマス・ペラム・ホールズ、元イギリス首相(* 1693年)

1794年 - ジャック・フランソワ・デュゴミエ、フランスの軍人(* 1738年)

1796年 - エカチェリーナ2世、ロマノフ朝第8代ロシア帝国皇帝(* 1729年)

1815年 - ジョセフ・ハーバーシャム、第6代アメリカ合衆国郵政長官(* 1751年)

1856年(安政3年10月20日)- 二宮尊徳、農政家(* 1787年)

1858年 - ロバート・オウエン、空想的社会主義思想家・運動家(* 1771年)

1893年 - アレクサンダル、ブルガリア公(* 1857年)

1905年 - アドルフ、ルクセンブルク大公(* 1817年)

1912年 - リチャード・ノーマン・ショウ、建築家(* 1831年)

1913年 - 弘世助三郎、実業家・日本生命創業者(* 1843年)

1917年 - オーギュスト・ロダン、彫刻家(* 1840年)

1929年 - ハーマン・ホレリス、発明家(* 1860年)

1936年 - エルネスティーネ・シューマン=ハインク、アルト歌手(* 1861年)

1939年 - 田中智學、日蓮宗思想家・国柱会創設者(* 1861年)

1945年 - フリードリヒ・フランツ4世 (メクレンブルク=シュヴェリーン大公)(* 1882年)

1952年 - 弘田龍太郎、作曲家(* 1892年)

1956年 - ジョン・エヴァシェッド、天文学者(* 1864年)

1958年 - 谷山豊、数学者(* 1927年)

1959年 - エイトル・ヴィラ=ロボス、作曲家(* 1887年)

1959年 - 堀米日淳、僧侶、大石寺第65代法主(* 1898年)

1961年 - 森田素夫、小説家(* 1911年)

1963年 - 近藤平三郎、薬学者(* 1877年)

1965年 - 蔭山和夫、元プロ野球選手(* 1927年)

1968年 - 二見甚郷、元宮崎県知事・参議院議員(* 1888年)

1968年 - マーヴィン・ピーク、ファンタジー作家(* 1911年)

1969年 - 徳川圀順、第7代貴族院議長・第7代日本赤十字社社長(* 1886年)

1972年 - ウジェーヌ・ミンコフスキー、精神科医(* 1885年)

1972年 - トーマス・C・キンケイド、アメリカ海軍の提督(* 1888年)

1973年 - 浜田廣介、童話作家(* 1893年)

1973年 - 楢橋渡、元運輸大臣(* 1902年)

1982年 - エドゥアルド・トゥビン、作曲家(* 1905年)

1982年 - レオニード・コーガン、ヴァイオリニスト(* 1924年)

1985年 - ロン・ノル、カンボジアの指導者(* 1913年)

1986年 - 木村義雄、将棋棋士(* 1905年)

1987年 - 川口浩、俳優、探検家(* 1936年)

1990年 - ロバート・ホフスタッター、物理学者(* 1915年)

1991年 - エイドリアン・クイスト、テニス選手(* 1913年)

1995年 - 平岡一郎、元プロ野球選手(* 1945年)

1997年 - 今澄勇、元民社党衆議院議員・経済評論家(* 1913年)

1998年 - コルネリア・ボウマン、テニス選手(* 1903年)

2000年 - ルイ・ネール、物理学者(* 1904年)

2001年 - 保井浩一、元プロ野球選手・プロ野球監督(* 1921年)

2002年 - アバ・エバン、元イスラエル外相(* 1915年)

2003年 - 江見俊太郎、俳優(* 1923年)

2006年 - 六代目神田伯龍、講談師(* 1926年)

2006年 - フェレンツ・プスカシュ、サッカー選手(* 1927年)

2006年 - ルース・ブラウン、R&B歌手(* 1928年)

記念日・年中行事
将棋の日(日本) -
日本将棋連盟が1975年に制定。江戸時代、
将棋好きであった徳川吉宗が、毎年旧暦11月17日を「お城将棋の日」とし、
御城将棋をさせていたことに由来。

蓮根の日