東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年11月23日(日曜日)祝祭日

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年11月23日(日曜日)祝祭日

冬間近。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色の
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

今は「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」
の「とき」です。

山本クリニックには。
「野生」の。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
沢山はえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみると。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみを大きくしています。

山茶花(さざんか)の八重咲き白山茶花(さざんか)
は木枯らしで暗い中花は舞い。

早朝には「白鷺の羽」のように地面に
舞い降りています。

「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

かおりがされば。
今度はいよいよ。

つぼみを日々
大きくしている。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
出番になります。

みまもるのは「みかんの木」の「丸いみかん」。

私は山茶花(さざんか)よりも
「やぶつばき」がすきです。
いずれも野生の「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」です。

堂々たる。
木枯らしの吹く。
「11月」の「晩秋」になりました。
あっというまに。
「10月の「中秋」もすぎさりました。

もう既に「11月もあと7日」。

あるいは。
「晩秋」を通り越して。
「もっと奥の深い秋あるいは冬のてまえ」
を歩んでいるのかもしれません。

「晩秋」のトンネルをこえればそこは「雪国の冬」
です。

きょうは。
「木枯らし」が吹いていました。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

晩秋霧雨(あききりさめ)の。
晩秋霞(あきかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
「合唱」から「毒症」になりました。
「ろうろう」と鳴いています。

朝暗いうちの「こおろぎ」の合唱は。

「晩秋・初冬」の「ふうりん」のごとし。
あれ沢山の「ふうりん」かな。
と思われる音色です。

「ろうろう」。
さびさびと「優雅」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何匹ものふくろうが。
何かを考えているようにみえます。

「雨」にぬれれば「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は
「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの旅人(たびびと)」です。

だから「たびびとのつれあい」は。

「きょう」と「あす」しか。

ひとりの私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「冬」の気配
もあるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと。
深く深まる冬からの大気。

「ふかまる秋冬」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭はっきりと。

感じられるようになりました。

「11月」になりました。
今年平成20年(2008年)も。
「あと40日たらず」でおわります。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく冬の樹木」にうつろうように
変化しています。

「冬」にも「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「秋冬」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。
「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「中秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「秋のわかば」の「めばえ」がみえます。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「ラフマニノフのコンチエルト」にあわせて。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていきます。

樹木のハンカチは。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地になります。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は「おせどにこおろぎのなく」
「深い秋冬」。

あきの濃い緑の葉になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじるようになった。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉がふえているのに
きがつきます。
さくらからさくらはのきえるころ
です。

紅葉。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年まいとし。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。

秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋になりました。
そよかぜに揺れる葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

やはり夏桜の木は
シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

秋になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。
そして「すすき」もくおわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。
もう。
はださむいような気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から
2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。
翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の
朝晴れて
はじめて気づく
にわの小ささ

にちようの
あさはれて
はじめてきづく
にわのちいささ

朝晴れて
にわの小さき
気づかぬときは
病(やまい)なりけり
日曜の朝

あさはれて
にわのちいさき
きづかぬときは
やまいなりけり
にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

冬きらきらラピス・ラズリの空(そら)
冬紺碧のカクテルいろの空(そら)
冬ミルクをそそそいだ空(そら)
冬トルコいしのプリンの空(そら)
冬はるかにとほくたかい空(そら)
冬ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
冬プリンの上のクリームのような空(そら)
冬睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
冬睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
冬空(そら)の向こうにまた空(そら)
冬そのまたむこうにももっと空(そら)

春のうららのこもれびに
緑木いらかをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜさやか
秋風かたれるやすらきの
四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜつよし
冬風弓(ゆみ)射る木枯らしに
四季のつきひははやいくとせ

秋冬椎木(しいのき)は枝高し
秋冬そらに吼える若葉の穂束
秋冬そらに吼える蒼き獅子のごとし
秋冬天にも地にもみどりはさける
秋冬のあさふかまりて
秋冬陽の光ゆたかなりけり
秋冬いふことのなし
秋冬いふことがなし
秋冬いふことはなし
秋冬いふこともなし
秋冬ゆたかなるかな秋冬

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

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平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
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7月21日(月曜日)は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

11月 3日(月曜日)はおわりました。
-------------------------------

11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

12月23日(火曜日)は祝祭日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は

オランダのライデンに生まれ。
ほとんど独学で科学を学び。

中学校の教諭になり。
「大学入試」の資格もないため「大学にも」始めは
はいれず(語学ができなかった)。

けれども。
*「御自分」の名前が付加されるような
物理学的業績を
次々とあげ。

中学教諭でありながら。
「ノーベル物理学賞」をも受賞した
偉大なる物理学者。

1837年 -
ヨハネス・ファン・デル・ワールス、物理学者(+ 1923年)
の生誕日です。

(*ファンデルワールス結合
ファンデルワールス力
ファンデルワールスの状態方程式
ファンデルワールス半径 )

++++++++++++++++++++++

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールス
(Johannes Diderik van der Waals、
1837年11月23日 - 1923年3月8日)は。
オランダの物理学者です。

分子の大きさと分子間力を考慮した
気体の状態方程式を発見致しました。

1910年にオランダ人として
3人目のノーベル物理学賞を受賞致しました。

++++++++++++++++++++++

ヨハネス・ファン・デル・ワールスの
業績の重要さは以下の項目で表現されます。

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールス
の状態方程式は気体と液体を区別なく扱うことができました。

これは気体と液体が連続であるということを示しています。
全く新しい考え方であったのです。

彼の状態方程式は多くの気体・液体に当てはまりました。
きわめて普遍性が高いものでした。

++++++++++++++++++++++
ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールス
の状態方程式。

この普遍性による理論からは。

当時液化されていなかった
水素やヘリウムの状態方程式を
予言することができました。

またさらに低温物理学への道が拓かれました。

更にこの研究を発展させた混合気体の理論や。
液体の表面張力に関する研究もあります。

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ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスの
略歴と業績

1837年11月23日、オランダのライデンに生まれました。
ほとんど独学で科学知識を身に付けました。
学校の先生になりましたた。

1862年からライデン大学で聴講。

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは。
ラテン語やギリシア語ができないため。

正規の試験を受ける資格がなかったのです。

1865年まで余暇を見つけてはここで勉強していました。

++++++++++++++++++++++

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは。
1864年、
デヴェンターの中学校に赴任。
のちこの町で中学校の校長になっています。

それからしばらくして法改正がありました。
ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは。
古典学の試験を免除されました。
ライデン大学に入学致しました。

++++++++++++++++++++++

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは。

1873年に。
『液体と気体の連続性について
(On the Continuity of the Liquid and Gaseous States)』
と題する博士論文を発表致しました。

この中で。

分子間力と分子自身の体積を考慮し
気体と液体の両方を含む状態方程式を示しました。

++++++++++++++++++++++

マクスウェルは。

ネイチャーでこの論文を以下のように激賞しています。

「ファン・デル・ワールスの名は
まもなく分子科学の最先端に記されるであろう」
「この論文はオランダ語を勉強しようという気運
を起こさせるであろう」

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは。
1876年に新設された
アムステルダム大学の物理学教授に任命されました。

ファント・ホッフやド・フリースとともに
この大学の育成に努めました。

他からの招きを断って引退までとどまりました。

++++++++++++++++++++++

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは。

1890年に。
ギブズの熱力学理論を分子系に用いて。

二成分系(混合気体)の理論を発表
致しました。

1893年、表面張力に関する論文を発表。

この論文による、
「表面張力は(Tc ? T)αに比例する」

という式はファンデルワールスの式と呼ばれています。

1895年には熱力学ポテンシャルを運動論の立場から扱った
論文を発表致しました。

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ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは。
1910年、「液体及び気体の物理学的状態に関する研究」
によりノーベル物理学賞受賞致しました。

1923年3月9日、アムステルダムで死去。

1937年には。
アムステルダムでファン・デル・ワールス生誕百年を記念する
国際会議が開かれました。

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ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスの
背景と影響

彼の研究の始まりは。
分子運動論から理想気体の法則を
導いたクラウジウスの論文でした。

これに触発され、二酸化炭素の状態を詳しく調べて
臨界温度を求めていたアンドリューズの実験(1869年)
を分子論的に説明できないかと考えたのです。

そして、理想気体の状態方程式に分子間の引力
(ファンデルワールス力)と
分子の大きさをそれぞれ表す
二つの定数(ファンデルワールス定数と呼ばれる)
を導入することで実験結果を。

上手く説明できることを発見致しました。

++++++++++++++++++++++

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールス。

分子間力や分子の大きさは気体によって異なるため、
当初彼の発見した状態方程式の定数は気体ごとに
異なった値を持っていました。

しかし彼はさらに研究を進め、
温度・圧力・体積の尺度を変えるだけで
多くの気体や液体の性質が同じ状態方程式であらわされるという
法則を導き出しました。

この成果によって、
デュワーの水素液化や
カメルリング・オネスのヘリウム液化
の方法が開発されました。

++++++++++++++++++++++

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスのその後。

この後、ファンデルワールスの
状態方程式の誤差を埋めるべく。

クラウジウスほか多くの物理学者によって
様々な方程式が提案されていますが。

分子間力と分子の大きさを考慮するという
ファン・デル・ワールスの直感は今でもそのまま残っています。

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ファン・デル・ワールスの名がついた用語
ファンデルワールス結合
ファンデルワールス力
ファンデルワールスの状態方程式
ファンデルワールス半径

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ヨハネス・ファン・デル・ワールス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールス(Johannes Diderik van der Waals、1837年11月23日 - 1923年3月8日)は、オランダの物理学者。分子の大きさと分子間力を考慮した気体の状態方程式を発見し、1910年にオランダ人として3人目のノーベル物理学賞を受賞した。

ヨハネス・ファン・デル・ワールスの業績の重要さは以下の点にある。

彼の状態方程式は気体と液体を区別なく扱うことができた。これは気体と液体が連続であるということを示しており、全く新しい考え方であった。
彼の状態方程式は多くの気体・液体に当てはまり、きわめて普遍性が高かった。
この普遍性により、当時液化されていなかった水素やヘリウムの状態方程式を予言することができ、低温物理学への道が拓かれた。
他に、この研究を発展させた混合気体の理論や、液体の表面張力に関する研究もある。

目次
1 略歴と業績
1.1 背景と影響
2 ファン・デル・ワールスの名がついた用語
3 関連項目

略歴と業績
1837年11月23日、オランダのライデンに生まれる。
ほとんど独学で科学知識を身に付け、学校の先生になった。
1862年からライデン大学で聴講。
ラテン語やギリシア語ができないため正規の試験を受ける資格がなかったが、1865年まで余暇を見つけてはここで勉強していた。
1864年、デヴェンターの中学校に赴任。のち、この町で中学校の校長になっている。
それからしばらくして法改正により古典学の試験を免除され、ライデン大学に入学。
1873年、『液体と気体の連続性について(On the Continuity of the Liquid and Gaseous States)』と題する博士論文を発表。
この中で、分子間力と分子自身の体積を考慮し気体と液体の両方を含む状態方程式を示す。
マクスウェルは、ネイチャーでこの論文を以下のように激賞している。
「ファン・デル・ワールスの名はまもなく分子科学の最先端に記されるであろう」
「この論文はオランダ語を勉強しようという気運を起こさせるであろう」
1876年、新設されたアムステルダム大学の物理学教授に任命される。
ファント・ホッフやド・フリースとともにこの大学の育成に努め、他からの招きを断って引退までとどまった。
1890年、ギブズの熱力学理論を分子系に用い、二成分系(混合気体)の理論を発表。
1893年、表面張力に関する論文を発表。
この論文による、「表面張力は(Tc ? T)αに比例する」という式はファンデルワールスの式と呼ばれている。
1895年、熱力学ポテンシャルを運動論の立場から扱った論文を発表。
1910年、「液体及び気体の物理学的状態に関する研究」によりノーベル物理学賞受賞。
1923年3月9日、アムステルダムで死去。
1937年、アムステルダムでファン・デル・ワールス生誕百年を記念する国際会議が開かれる。

背景と影響
彼の研究の始まりは分子運動論から理想気体の法則を導いたクラウジウスの論文である。これに触発され、二酸化炭素の状態を詳しく調べて臨界温度を求めていたアンドリューズの実験(1869年)を分子論的に説明できないかと考えた。そして、理想気体の状態方程式に分子間の引力(ファンデルワールス力)と分子の大きさをそれぞれ表す二つの定数(ファンデルワールス定数と呼ばれる)を導入することで実験結果を上手く説明できることを発見した。

分子間力や分子の大きさは気体によって異なるため、当初彼の発見した状態方程式の定数は気体ごとに異なった値を持っていた。しかし彼はさらに研究を進め、温度・圧力・体積の尺度を変えるだけで多くの気体や液体の性質が同じ状態方程式であらわされるという法則を導き出した。この成果によって、デュワーの水素液化やカメルリング・オネスのヘリウム液化の方法が開発された。

この後、ファンデルワールスの状態方程式の誤差を埋めるべく、クラウジウスほか多くの物理学者によって様々な方程式が提案されているが、分子間力と分子の大きさを考慮するというファン・デル・ワールスの直感は今でもそのまま残っている。

ファン・デル・ワールスの名がついた用語
ファンデルワールス結合
ファンデルワールス力
ファンデルワールスの状態方程式
ファンデルワールス半径

関連項目
状態方程式
低温物理学
ルドルフ・クラウジウス
ジェイムズ・デュワー
ヘイケ・カメルリング・オネス
[表示]表・話・編・歴 ノーベル物理学賞受賞者

ヴィルヘルム・レントゲン (1901) - ヘンドリック・ローレンツ / ピーター・ゼーマン (1902) - アンリ・ベクレル / ピエール・キュリー / マリ・キュリー (1903) - ジョン・ウィリアム・ストラット (1904) - フィリップ・レーナルト (1905) - ジョゼフ・ジョン・トムソン (1906) - アルバート・マイケルソン (1907) - ガブリエル・リップマン (1908) - グリエルモ・マルコーニ / フェルディナント・ブラウン (1909) - ヨハネス・ファン・デル・ワールス (1910) - ヴィルヘルム・ヴィーン (1911) - ニルス・グスタフ・ダレーン (1912) - ヘイケ・カメルリング・オネス (1913) - マックス・フォン・ラウエ (1914) - ヘンリー・ブラッグ / ローレンス・ブラッグ (1915) - チャールズ・バークラ (1917) - マックス・プランク (1918) - ヨハネス・シュタルク (1919) - シャルル・エドゥアール・ギヨーム (1920) - アルベルト・アインシュタイン (1921) - ニールス・ボーア (1922) ロバート・ミリカン (1923) - マンネ・シーグバーン (1924) - ジェイムス・フランク / グスタフ・ヘルツ (1925)

1901年 - 1925年 | 1926年 - 1950年 | 1951年 - 1975年 | 1976年 - 2000年 | 2001年 - 2025年

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カテゴリ: オランダの物理学者 | ノーベル物理学賞受賞者 | 1837年生 | 1923年没

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11月23日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8823%E6%97%A5

11月23日(じゅういちがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から327日目
(閏年では328日目)にあたり、年末まであと38日ある。

できごと
1889年 - 世界で初めてジュークボックスがロサンゼルスに設置される。

1941年 - 南雲機動艦隊が単冠湾(ひとかぷわん)に集結する

1945年 - 角川源義が角川書店を設立。

1963年 - 通信衛星による日米間のテレビ中継に成功。
最初の衛星ニュースは同日(米時間22日)のケネディ大統領暗殺事件。

1973年 - 静岡県の富士スピードウェイでの
富士GC最終戦で衝突事故。4台が炎上し、レーサー中野雅晴が死亡。

1976年 - ダイバーのジャック・マイヨールが人類史上初めて素潜りで
100メートルを超える記録を達成。

1978年 - ITU(国際電気通信連合)の取り決めにより、
国際協定時の午前0時[1]を以って、
日本を始めとするアジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ等の地域の一部の局を除く
AMラジオの周波数変更が一斉に行われる
(前記の地域は周波数が9KHz毎に設定することによって、
AM放送帯域内のチャンネルを増やすことにより、
夜間に於ける隣国との放送の混信を避ける対策として実施)。

1992年 - 風船おじさんこと鈴木嘉和が、
鳴き砂の保護を訴えて、風船を多数つけたゴンドラでアメリカをめざして出発。
以来消息不明。

1995年 - Microsoft Windows 95の日本語版が発売される。

1996年 - バンダイがたまごっちを発売。

1999年 - 清水エスパルスがJリーグ2ndステージ優勝。

2002年 - ジュビロ磐田がJリーグ初の両ステージ完全制覇。

^ 日本標準時の午前9時。
ただ、日本国内では多くの放送局で午前5時を放送日の切り換え時刻としていたため、
午前5時で周波数を変更し、午前9時ごろまでは「試験放送」として放送した。

誕生日
912年 - オットー大帝、神聖ローマ帝国の皇帝(+ 973年)

1607年(慶長12年10月4日) - 徳川和子、後水尾天皇の中宮(+1678年)

1616年 - ジョン・ウォリス、数学者(+1703年)

1760年 - フランソワ・バブーフ、フランスの革命家(+ 1797年)

1804年 - フランクリン・ピアース、第14代アメリカ合衆国大統領(+ 1869年)

1837年 - ヨハネス・ファン・デル・ワールス、物理学者(+ 1923年)

1876年 - マヌエル・デ・ファリャ、作曲家(+ 1946年)

1891年 - 久米正雄、小説家(+ 1952年)

1893年 - 阿部千一、政治家(+ 1972年)

1896年 - 常ノ花寛市、大相撲第31代横綱(+ 1960年)

1915年 - 江崎真澄、政治家(+ 1996年)

1923年 - 小林桂樹、俳優

1923年 - 白井義男、ボクシング元・世界フライ級チャンピオン(+ 2003年)

1924年 - 川畑博、元プロ野球選手

1928年 - サイババ、宗教指導者

1928年 - 高橋辰夫、政治家(+ 2001年)

1928年 - 松永光、政治家

1932年 - 田中邦衛、俳優

1932年 - 田沢智治、政治家(+ 2006年)

1933年 - クシシュトフ・ペンデレツキ、作曲家・指揮者

1940年 - たこ八郎、ボクシング・タレント(+ 1985年)

1942年 - 十朱幸代、女優

1945年 - 綿引勝彦、俳優

1951年 - ウェイン・ケージ、元プロ野球選手
1959年 - ブルック・ジャコビー、元プロ野球選手
1961年 - 士郎正宗、漫画家
1963年 - 鷹森淑乃、声優
1963年 - 西森博之、漫画家
1965年 - 林田健司、ミュージシャン
1965年 - ドン・フライ、総合格闘家
1966年 - 大道寺俊典、スタントマン、スーツアクター、殺陣師
1969年 - 吉田健一、アニメーター
1969年 - バイロン・モレノ、元サッカー審判員
1973年 - 大野純二、漫画家
1973年 - 細見大輔、俳優
1975年 - 畑野ひろ子、女優
1976年 - 岩崎ひろみ、女優
1976年 - 三瓶、タレント
1976年 - 茶野隆行、サッカー選手
1977年 - クリストファー・アモット、ギタリスト(アーク・エネミー)
1977年 - 井浦愛、声優
1978年 - 田澤孝介、ミュージシャン
1982年 - 松坂恭平、野球選手
1983年 - 井野卓、プロ野球選手
1987年 - 伊達晃二、俳優、タレント
1988年 - 板垣あずさ、グラビア出身のAV女優
1988年 - 竹下百合子、カヌー選手
1989年 - 奥田朱理、女子プロレスラー
1992年 - マイリー・サイラス、歌手、アイドル
1997年 - 吉田理恩、子役

忌日
1366年(正平21年/貞治5年10月20日)- 峨山韶磧、曹洞宗の僧(* 1275年)

1457年 - ラディスラウス・ポストゥムス、
オーストリア公・ボヘミア・ハンガリー王(* 1440年)

1503年 - マーガレット、ブルゴーニュ公シャルルの妃(* 1446年)

1555年(弘治元年閏10月10日)- 太原雪斎、今川氏家臣・僧(* 1496年)

1572年 - アーニョロ・ブロンズィーノ、画家(* 1505年)

1585年 - トマス・タリス、作曲家(* 1505年頃)

1668年(寛文8年10月19日)- 松平定行、初代伊予松山藩主(* 1584年)

1682年 - クロード・ロラン、画家(* 1600年)

1726年 - ゾフィア・ドロテア、英国王ジョージ1世の妃(* 1666年)

1789年(寛政元年10月7日)- 毛利重就、第8代長州藩主(* 1725年)

1814年 - エルブリッジ・ゲリー、第5代アメリカ合衆国副大統領(* 1744年)

1826年 - ヨハン・ボーデ、天文学者(* 1747年)

1841年(天保12年10月11日)- 渡辺崋山、田原藩家老・南画家(* 1793年)

1844年 - トーマス・ヘンダーソン、天文学者(* 1798年)

1890年 - ヴィレム3世、オランダ国王(* 1817年)

1896年 - 樋口一葉、小説家・作家・歌人(* 1872年)

1910年 - オクターヴ・シャヌート、鉄道・航空技術者(* 1832年)

1916年 - エドゥアルド・ナープラヴニーク、指揮者・作曲家(* 1839年)

1946年 - アーサー・ダヴ、画家(* 1880年)

1948年 - ハック・ウィルソン、メジャーリーガー(* 1900年)

1957年 - 堀日亨、僧侶、大石寺第59代法主(* 1867年)

1959年 - 両國梶之助 (瓊ノ浦)、大相撲力士・元関脇(* 1907年)

1967年 - オットー・エーリヒ・ドイチュ、音楽学者(* 1883年)

1970年 - ユソフ・ビン・イサーク、初代シンガポール大統領(* 1910年)

1970年 - アルフ・プリョイセン、児童文学作家(* 1914年)

1973年 - 早川雪洲、俳優(* 1889年)

1973年 - 愛知揆一、元内閣官房長官・外務大臣・法務大臣・文部大臣(* 1907年)

1973年 - 中野雅晴、カーレーサー(* 1949年)

1974年 - コーネリアス・ライアン、ジャーナリスト(* 1920年)

1976年 - アンドレ・マルロー、作家(* 1901年)

1986年 - 増村保造、映画監督(* 1924年)

1986年 - 仁木悦子、小説家(* 1928年)

1988年 - 古畑正秋、天文学者(* 1912年)

1990年 - ロアルド・ダール、作家・脚本家(* 1916年)

1991年 - 上原謙、俳優(* 1909年)

1991年 - クラウス・キンスキー、俳優(* 1926年)

1995年 - ルイ・マル、映画監督(* 1932年)

1996年 - アート・ポーター・ジュニア、ジャズ・フュージョン・サックス奏者(* 1961年)

1997年 - 直井潔、小説家(* 1915年)

2003年 - 竹林明秀、シナリオライター(* 1970年)

2004年 - 石床幹雄、プロ野球選手(* 1947年)

2005年 - 徳川義宣、第21代尾張徳川家当主・徳川美術館館長・美術史家(* 1933年)

2006年 - 灰谷健次郎、児童文学作家(* 1934年)

2006年 - フィリップ・ノワレ、俳優(* 1930年)

2007年 - 大谷一二、サッカー選手・東洋紡績名誉顧問(* 1912年)

2007年 - ウラジーミル・クリュチコフ、ソ連国家保安委員会議長(* 1924年)

記念日・年中行事

勤労感謝の日(日本)
国民の祝日の一つ。

 外食の日(日本)
日本フードサービス協会が創立10周年を記念して1984年に制定。
いつも家事で忙しい母のために、勤労感謝の日と同じ日に設定した形になっている。
 

ゲームの日(日本)
日本アミューズメントマシン工業協会、全日本アミューズメント施設営業者協会連合会、
日本SC遊園協会が制定。仕事や勉強の尊さをはっきり自覚しながら、
ゆとりある遊びとしてのゲームを楽しみ、ゲームと生活との調和が感じられる日として、
勤労感謝の日と同じ日に制定。ゲームセンターでは様々なイベントが行われる。

小雪(日本、2003年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が240度の時で、僅かながら雪が降り始めるころ。

ハートケアの日(日本)
「勤労感謝の日」にちなんで、仕事(勤労)の
資本となる体の核となる心臓(ハート)に関心を持ってもらうための日。
心臓病に関する情報提供を行い、
疾患の予防、早期発見・治療、再発防止の実現を目指すハートケア情報委員会が制定。