東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月7日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月7日(日曜日)

冬間近。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色の
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

今は私の「大好き」な。
「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」
の「とき」です。

山本クリニックの庭園には。
「野生」の。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
沢山群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみると。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみを大きくしています。

山茶花(さざんか)の白山茶花(さざんか)は
暗い闇夜に
木枯らし風に弓射られ
花は舞い散る

さざんかのしろさざんかは
くらいやみよに
こからしかせにゆみいられ
はなはまいちる

早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降りています。

「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「木犀:もくせい」たちのかおりがされば。
今度はいよいよ。

つぼみを日々
大きくしている。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が
出番になります。

みまもるのは
「みかんの木」の「丸いみかん」の丸い群れ。

私は山茶花(さざんか)よりも
「やぶつばき」がすきです。

いずれも野生の「やぶつばき」と
「山茶花(さざんか)」です。

堂々たる。
木枯らしの吹く。
「11月」の「晩秋」から。
本物の「冬」になりました。

「冬」がふかまり。

「もっと深い冬」のトンネルをこえれば。

そこは「雪国の冬」です。

「木枯らし」が

蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

です。

きょうは。
とても寒い。
「木枯らし」が吹いていました。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

冬霧雨(ふゆきりさめ)の。
冬秋霞(ふゆかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
「合唱」から「独唱」になりました。
「ろうろう」と鳴いていました。
そしてもはや「こうろぎ」の「ろうろう」は
木枯らしの「音」にかわっています。

朝暗く寒いいうちの「木枯らし」の合唱は。
「初冬」の「ふうりん」のごとし。
あれ沢山の「ふうりん」かな。
と思われる音色です。

「ろうろう」。
さびさびと「さむい音」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「冬ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何匹ものふくろうが。
何かを考えているようにみえます。

「雪」がつもれば。
「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch
の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

「きょう」と「あす」しか。

いません。

「きょう」と「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「初冬」の気配
もあるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる冬からの大気。

「ふかまる冬」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭はっきりと。

感じられるようになりました。

「12月」になりました。
今年平成20年(2008年)も。
「あと30日たらず」でおわります。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく冬の樹木」にうつろうように
変化しています。

「冬」にも「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「冬」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。

「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「中秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「秋のわかば」の「めばえ」がみえます。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「ラフマニノフのコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていきます。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地になります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていくのは。
「夜」のようです。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は
「おせどにこおろぎがなき」
「電線に「木枯らし」がなく」
「深い冬」です。

冬の濃い緑の葉になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじるようになった。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉がふえているのに
きがつきます。
さくらから。
さくらはのきえるころ
です。

紅葉。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年と毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてが黄金色」に
かがやき。
朝陽をしっかりと。
「絵になるように」受け止めています。

「冬の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。

秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋になりました。
そよかぜに揺れる葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は
シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。
そして「すすき」もくおわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。
もう。
はださむいような気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。
翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまいなりけり

にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

冬きらきらラピス・ラズリの空(そら)
冬紺碧のカクテルいろの空(そら)
冬ミルクをそそそいだ空(そら)
冬トルコいしのプリンの空(そら)
冬はるかにとほくたかい空(そら)
冬ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
冬プリンの上のクリームのような空(そら)
冬睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
冬睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
冬空(そら)の向こうにまた空(そら)
冬そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに
緑木いらかをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜさやか
秋風かたれるやすらきの
四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜつよし
冬風弓(ゆみ)射る木枯らしに
四季のつきひははやいくとせ

冬椎木(しいのき)は枝高し
冬そらに吼える若葉の穂束
冬そらに吼える蒼き獅子のごとし
冬天にも地にもみどりはさける
冬のあさふかまりて
冬陽の光ゆたかなりけり
冬いふことのなし
冬いふことがなし
冬いふことはなし
冬いふこともなし
冬ゆたかなるかな秋冬

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

11月 3日(月曜日)は。
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

12月23日(火曜日)は祝祭日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

構造主義的アプローチ
(構造主義言語学、または構造言語学という。)
からさらに発展して。
言語を人間の生物学的な器官であると考え。

全ての人間の言語に普遍的な特性があるという
「生成文法」の理論をもとに。
言語学を構築した言語学者。

私が大変興味をもっている言語学者。
1928年 - ノーム・チョムスキー、言語学者
の生誕日です。

(現代の言語学を語る上でチョムスキーの言語理論を
避けて通ることはできず、その影響は自然言語研究だけでなく
コンピュータ言語や哲学、数学などの分野にも及びます。)

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー
(Avram Noam Chomsky, 1928年12月7日 - )は。
言語学者、思想家です。

マサチューセッツ工科大学教授でもあります。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyの。

チョムスキーの提唱する生成文法とは。

全ての人間の言語に普遍的な特性があるという仮説
をもとにした言語学の一派です。

具体的にはその普遍的特性は。

人間が持って生まれた、
すなわち生得的なそして生物学的な特徴であるとする
言語生得説を唱えました。

そして。
言語を人間の生物学的な器官と捉えました。

初期の理論である
変形生成文法に用いた演繹的な方法論により。

チョムスキー以前の言語学に比べて
飛躍的に言語研究の質と精密さを高めました。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomsky。

チョムスキー以前の言語学では。
フェルディナン・ド・ソシュールの学説や
レナード・ブルームフィールドのアメリカ構造主義を
基盤とする言語形式を観察・記述する
構造主義的アプローチ
(構造主義言語学、または構造言語学という。)
が支配的であったのです。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomsky
の。

これに対し生成文法は。

言語を作り出す人間の能力(あるいはそのメカニズム)
に着目した点が極めて画期的でありましたた。

より具体的に言えば。
-------------------------------
1・
適切な言語形式を産出する能力
(linguistic competence: 言語能力)と。
2・
実際に産出された言語形式(linguistic performance: 言語運用)
-------------------------------
とを厳密に区別致します。

前者を研究の焦点としています。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyは。

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomsky
チョムスキー自身は
ソシュールの熱烈なファンであり熱心な読者でもありました。

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomsky以降は。
言語学は認知科学や情報処理と強い親近性を獲得致しました。

統語論の自律性を主張したことで。

かえって意味論や語用論などの
隣接分野も浮き彫りにする形となりました。

この生成文法はチョムスキーがハーバード大学で
ジュニア・フェローとして過ごした時期の考察に端を発します。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyは。

一方で、生成文法の徹底した演繹的な手法や
言語の自律性を強調する点に関しては。

いくつかの立場から批判もなされています。

たとえば「認知言語学」は言語を人間の認知体系から。

自律させて考えることに批判的な立場であり、
人間の脳内に自律的に言語を司るモジュールが存在するとする
生成文法の仮説を批判しています。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyは。

現代の言語学を語る上でチョムスキーの言語理論を
避けて通ることはできず、その影響は自然言語研究だけでなく
コンピュータ言語や哲学、数学などの分野にも及びます。

言語学においてはチョムスキーは
いまでも中心的話題のひとつであることは間違いありません。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyの。

しかしながら影響をあたえた周辺学問からは
疑問が呈されつつあります。

たとえば機械翻訳へチョムスキーモデルを応用から、
メタ言語の普遍モデルの存在は実験的に懐疑視されています。

チョムスキー理論による
機械翻訳では収束モデルをつくることができなかったためです。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyは。

社会哲学的にはヴィルヘルム・フォン・フンボルトや
ジョン・デューイから。

思想的にはスペイン内戦時のカタルーニャ地方
バルセロナにおける極度に民主的な労働者自治による
アナキスト革命から強い影響を受けています。

権威主義的な国家を批判する自由至上社会主義(アナキズム)
に関わり。

アメリカに台頭する
ネオコン勢力によるアフガン侵攻・イラク侵攻や
アメリカ主導のグローバル資本主義を批判しています。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyの。

特に2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降は
その傾向を強めており、
政治関係の著作も多数あります。

ポル・ポトを擁護していた過去があり
そのことを隠蔽しているとよく説明されるが
これは正しくはありません。

この件についてチョムスキー自身は。

「私は国連においてアメリカが支援していた
ティモールでの虐殺について証言を行なったことがあり、
そのとき、それとポル・ポトの虐殺とが類似しうることを
たまたま述べた。実際それは類似していたのだ」
と説明しています。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomsky
は。
自国が行なう「大義 (just cause)」の名の下での
虐殺をチョムスキーは常々非難しているように。
この国連での証言は
「自国が行なっているからポル・ポトの行為も容認されるべき」
と述べたのではなく。

「互いの虐殺的行為を非難する趣旨で行なわれたもの」
です。

++++++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー:
Avram Noam Chomskyは。
チョムスキーはフィラデルフィアのユダヤ系家庭の出身です。

イスラエルによるパレスチナ入植政策および、
パレスチナ人への弾圧や人権侵害を批判し続けています。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928年12月7日 - )は、言語学者、思想家。マサチューセッツ工科大学教授。

目次
1 人物
2 日本語訳著書
2.1 言語学関係
2.2 政治批評
2.3 メディア論
2.4 映画・ビデオ・音声
3 参考文献・注釈
4 関連項目
5 外部リンク

人物
チョムスキーの提唱する生成文法とは全ての人間の言語に普遍的な特性があるという仮説をもとにした言語学の一派である。その普遍的特性は人間が持って生まれた、すなわち生得的な、そして生物学的な特徴であるとする言語生得説を唱え、言語を人間の生物学的な器官と捉えた。初期の理論である変形生成文法に用いた演繹的な方法論により、チョムスキー以前の言語学に比べて飛躍的に言語研究の質と精密さを高めた。チョムスキー以前の言語学ではフェルディナン・ド・ソシュールの学説やレナード・ブルームフィールドのアメリカ構造主義を基盤とする言語形式を観察・記述する構造主義的アプローチ(構造主義言語学、または構造言語学という。)、が支配的であったが、これに対し生成文法は言語を作り出す人間の能力(あるいはそのメカニズム)に着目した点が画期的であった。より具体的に言えば、適切な言語形式を産出する能力(linguistic competence: 言語能力)と、実際に産出された言語形式(linguistic performance: 言語運用)とを厳密に区別し、前者を研究の焦点としている。

チョムスキー自身はソシュールの熱烈なファンであり、熱心な読者でもある。

彼以降、言語学は認知科学や情報処理と強い親近性を獲得した。また、統語論の自律性を主張したことで、かえって意味論や語用論などの隣接分野も浮き彫りにする形となった。この生成文法はチョムスキーがハーバード大学でジュニア・フェローとして過ごした時期の考察に端を発する。

一方で、生成文法の徹底した演繹的な手法や言語の自律性を強調する点に関して、いくつかの立場から批判がなされている。たとえば、認知言語学は言語を人間の認知体系から自律させて考えることに批判的な立場であり、人間の脳内に自律的に言語を司るモジュールが存在するとする生成文法の仮説を批判している。

現代の言語学を語る上でチョムスキーの言語理論を避けて通ることはできず、その影響は自然言語研究だけでなくコンピュータ言語や哲学、数学などの分野にも及んだ。

言語学においてはチョムスキーはいまでも中心的話題のひとつであるが、影響をあたえた周辺学問からは疑問が呈されつつある。たとえば機械翻訳へチョムスキーモデルを応用から、メタ言語の普遍モデルの存在は実験的に懐疑視されている。チョムスキー理論による機械翻訳では収束モデルをつくることができなかったためである。

社会哲学的にはヴィルヘルム・フォン・フンボルトやジョン・デューイから、思想的にはスペイン内戦時のカタルーニャ地方バルセロナにおける極度に民主的な労働者自治によるアナキスト革命から強い影響を受け、権威主義的な国家を批判する自由至上社会主義(アナキズム)に関わり、アメリカに台頭するネオコン勢力によるアフガン侵攻・イラク侵攻やアメリカ主導のグローバル資本主義を批判している。特に2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降はその傾向を強めており、政治関係の著作も多数ある。

ポル・ポトを擁護していた過去がありそのことを隠蔽しているとよく説明されるが[1]、これは正しくない。この件についてチョムスキー自身は、「私は国連においてアメリカが支援していたティモールでの虐殺について証言を行なったことがあり、そのとき、それとポル・ポトの虐殺とが類似しうることをたまたま述べた。実際それは類似していたのだ」と説明している[2]。自国が行なう「大義 (just cause)」の名の下での虐殺をチョムスキーは常々非難しているように[3]、この国連での証言は「自国が行なっているからポル・ポトの行為も容認されるべき」と述べたのではなく、互いの虐殺的行為を非難する趣旨で行なわれたものである。

チョムスキーはフィラデルフィアのユダヤ系家庭の出身だが、イスラエルによるパレスチナ入植政策および、パレスチナ人への弾圧や人権侵害を批判し続けている。

日本語訳著書

ノーム・チョムスキー(World Social Forum - 2003

言語学関係
『現代言語学の基礎』(大修館書店, 1972年)−M・ハレとの共著
『言語と精神』(河出書房新社, 1980年)
『生成音韻論概説』(泰文堂, 1983年)−M・ハレとの共著
『チョムスキー』 (岩波書店「20世紀思想家文庫」、1983年)
『ことばと認識——文法からみた人間知性』(大修館書店, 1984年)
『文法理論の諸相』(研究社出版, 1984年)
『統率・束縛理論』(研究社出版, 1986年)
『言語と知識——マナグア講義録(言語学編)』(産業図書, 1989年)
『障壁理論』(研究社出版, 1994年)
『言語と精神』(河出書房新社「現代の名著」, 1996年)
『ミニマリスト・プログラム』(翔泳社, 1998年)
『言語と思考』(松柏社, 1999年)
『デカルト派言語学——合理主義思想の歴史の一章』(みすず書房, 2000年)
『生成文法の企て』(岩波書店, 2003年)
『言語と認知——心的実在としての言語』(秀英書房, 2004年)

政治批評
『アメリカン・パワーと新官僚——知識人の責任』(太陽社, 1970年)
『お国のために(1・2)』(河出書房新社, 1975年)
『アメリカが本当に望んでいること』(現代企画室, 1994年)
『9.11——アメリカに報復する資格はない!』(文藝春秋, 2001年/文春文庫, 2002年)
『アメリカの「人道的」軍事主義——コソボの教訓』(現代企画室, 2002年)
『チョムスキー、世界を語る』(トランスビュー, 2002年)
『金儲けがすべてでいいのか——グローバリズムの正体』(文藝春秋, 2002年)
『「ならず者国家」と新たな戦争——米同時多発テロの深層を照らす』(荒竹出版, 2002年)
『ノーム・チョムスキー』(リトルモア, 2002年)
『グローバリズムは世界を破壊する——プロパガンダと民意』(明石書店, 2003年)
『新世代は一線を画す——コソボ・東ティモール・西欧的スタンダード』(こぶし書房, 2003年)
『テロの帝国アメリカ——海賊と帝王』(明石書店, 2003年)
『抗う勇気—ノーム・チョムスキー+浅野健一対談』(現代人文社, 2004年)
『チョムスキー、21世紀の帝国アメリカを語る——イラク戦争とアメリカの目指す世界新秩序』(明石書店, 2004年)
『秘密と嘘と民主主義』(成甲書房, 2004年)
『覇権か、生存か——アメリカの世界戦略と人類の未来』(集英社[集英社新書], 2004年)
『中東——虚構の和平』(講談社、2004年)
『チョムスキー、民意と人権を語る——レイコ突撃インタビュー』(集英社[集英社新書], 2005年)
『G8—G8ってナンですか?』(ブーマー, 2005年) −スーザン・ジョージらとの共著
『知識人の責任』(青弓社, 2006年)
『チョムスキーの「教育論」』(明石書店, 2006年)
『お節介なアメリカ』(筑摩書房[ちくま新書], 2007年)

メディア論
『メディア・コントロール——正義なき民主主義と国際社会』(集英社[集英社新書], 2003年)
『マニュファクチャリング・コンセント——マスメディアの政治経済学(1・2)』(トランスビュー, 2007年)

映画・ビデオ・音声
 ※ 以下では、映画はM、ビデオはV、音声はAと省略

M Manufacturing Consent :Noam Chomsky and the Media(カナダ、1992年)(邦題「チョムスキーとメディア−マニュファクチャリング・コンセント」 - SIGLO)解説は英語版Wikipedia記事を参照
M 「ノーム・チョムスキー イラク後の世界を語る」(SIGLO、2003年)
M 「チョムスキー9.11」(SIGLO、2007年)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

12月7日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%887%E6%97%A5

できごと
1280年(弘安3年11月14日) - 鎌倉で火災が起こり、鶴岡八幡宮が焼失。

1787年 - デラウェア州がアメリカ合衆国憲法を批准した第1の州になる。

1800年(寛政12年10月21日) - 伊能忠敬が日本地図の作成を開始。

1857年(安政4年10月21日)-
ハリス駐日アメリカ総領事が江戸城に登城、江戸幕府13代将軍徳川家定に謁見。

1917年 - 第一次世界大戦でアメリカがオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。

1941年 - 真珠湾攻撃。(米国時間)

1944年 - 昭和東南海地震。

1954年 - 吉田内閣総辞職。

1958年 - 東京タワー公開開始。

1961年 - 秋田県秋田市でニセ千円札事件(チ-37号事件)発生。

1972年 - アポロ17号がケネディ宇宙センターから発射される。

1975年 - インドネシアが東ティモールに侵攻。

1983年 - 任天堂よりファミリーコンピュータ専用ソフトベースボールが発売される。

1988年 - アルメニア地震発生。

1990年 - サンリオピューロランド設立。

1997年 - 介護保険法公布。

1999年 - 年金改正法成立。

2001年 - 文化芸術振興基本法施行。

2004年 - ハーミド・カルザイがアフガニスタン大統領に就任。

2006年 - 任天堂の据え置き型ゲーム機、Wiiが豪州で発売開始。

誕生日
1592年(文禄元年/万暦20年11月4日) -
隠元隆琦、明の禅僧・日本黄檗宗の開祖(+ 1673年)

1773年(安政2年10月24日) - 徳川治紀、常陸国水戸藩の第7代藩主(+ 1816年)

1805年 - ロベール・ウーダン、マジシャン(+ 1871年)

1823年 - レオポルト・クロネッカー、数学者(+ 1891年)

1849年(嘉永2年10月23日) - 西園寺公望、第12・14代内閣総理大臣(+ 1940年)

1872年 - ヨハン・ホイジンガ、歴史家(+ 1945年)

1878年 - 与謝野晶子、作家・歌人・女性解放思想家・フェミニスト(+ 1942年)

1888年 - 草鹿任一、海軍中将(+1972年)

1901年 - ジャン・メルモーズ、パイロット(+ 1936年)

1915年 - イーライ・ウォラック、俳優

1928年 - ノーム・チョムスキー、言語学者

1930年 - 俵萌子、評論家

1931年 - ジェームズ・グローガン、フィギュアスケート選手(+2000年)

1941年 - 清水聖義、群馬県太田市長

1946年 - 前田正、郵政政務次官経験者

1947年 - ジョニー・ベンチ、元メジャーリーガー
1948年 - 森下洋子、バレリーナ
1949年 - トム・ウェイツ、ミュージシャン、俳優
1951年 - ポール・デード、元プロ野球選手
1953年 - 水谷新太郎、元プロ野球選手
1954年 - 古舘伊知郎、フリーアナウンサー・キャスター
1957年 - 森博嗣、推理作家
1959年 - すぎ恵美子、漫画家(+ 2007年)
1961年 - 滝本晃司、ミュージシャン・(元たま)
1963年 - 角田美喜、ミュージシャン(SHOW-YA)
1963年 - 寺田克也、イラストレーター
1963年 - シェーン・マック、元プロ野球選手
1965年 - 尾美としのり、俳優
1965年 - 香川照之、俳優
1966年 - 伊藤かずえ、女優
1966年 - 河奈さつき、フリーアナウンサー
1967年 - ティノ・マルティネス、元メジャーリーガー
1968年 - 山中さわお、歌手(the pillows)
1973年 - ホーキング青山、お笑いタレント
1973年 - 高木大成、元プロ野球選手
1974年 - いしだ壱成、俳優
1974年 - メラニー・ベンダー、歌手
1975年 - 鈴木拓、お笑いタレント(ドランクドラゴン)
1975年 - 松尾諭、俳優
1978年 - 一志、ミュージシャン(Kagrra,)
1978年 - Karyu、ミュージシャン(D'espairsRay)
1978年 - さとうやすえ、モデル、女優 
1979年 - 市川寛子、テレビ朝日アナウンサー
1979年 - 大出佐智子、ラジオパーソナリティ
1980年 - 佐藤友哉、作家
1980年 - ジョン・テリー、サッカー選手
1981年 - 松藤裕子、タレント
1981年 - 深野琴美、舞台女優、モデル
1981年 - 文倉十、イラストレーター
1984年 - ロバート・クビサ、F1レーサー
1984年 - リュドミラ・ネリディナ、フィギュアスケート選手
1984年 - ?柯允(カレン・コン)、歌手
1986年 - 青松敬鎔、プロ野球選手
1988年 - Toru、ONE OK ROCK
1994年 - 羽生結弦、フィギュアスケート選手
2000年 - 前田旺志郎(まえだまえだ)、子役

忌日
紀元前43年 - マルクス・トゥリウス・キケロー、古代ローマの政治家(* 紀元前106年)

742年(天平14年11月2日) - 大野東人、奈良時代の武人

847年(承和14年10月26日) - 有智子内親王、平安時代の皇族・漢詩人(* 807年)

948年(天暦2年10月29日) - 源公忠、平安時代の公卿・歌人(* 889年)

983年 - オットー2世、神聖ローマ皇帝(* 955年)

1111年(天永2年11月5日) - 大江匡房、平安時代の公卿(* 1041年)

1279年 - ボレスワフ5世、ピャスト朝ポーランド王(* 1226年)

1383年 - ヴェンツェル1世、初代ルクセンブルク公(* 1337年)

1562年 - アドリアン・ヴィラールト、作曲家(* 1490年頃)

1634年(寛永11年10月17日) - 内藤政長、磐城平藩主(* 1568年)

1635年(寛永12年10月28日) - 神谷宗湛、博多の豪商(* 1551年)

1682年(天和2年11月9日) - 井上真改、刀工(* 1630年)

1726年(享保11年11月14日) - 榊原政邦、姫路藩主(* 1675年)

1815年 - ミシェル・ネイ、ナポレオン戦争期のフランス軍元帥(* 1769年)

1869年(明治2年11月5日) - 大村益次郎、
日本陸軍の創設者として有名な兵学者(* 1824年)

1894年 - フェルディナン・ド・レセップス、
スエズ運河の開発者として知られる外交官・実業家(* 1805年)

1902年 - 佐野常民、元老院議官・日本赤十字社創設者(* 1823年)

1912年 - ジョージ・ハワード・ダーウィン、天文学者・数学者(* 1845年)

1917年 - レオン・ミンクス、作曲家(* 1826年)

1931年 - 杉田日布、日蓮宗の僧(* 1856年)

1936年 - ジャン・メルモーズ、パイロット(* 1901年)

1944年 - 井上哲次郎、哲学者(* 1856年)

1946年 - 川上貞奴、女優(* 1871年)

1947年 - ニコラス・バトラー、哲学者・コロンビア大学総長(* 1862年)

1952年 - フォレスト・モールトン、天文学者(* 1872年)

1954年 - 江亢虎、中華民国汪兆銘政権時代の政治家(* 1883年)

1955年 - マンフレッド・ブコフツァー、音楽学者(* 1910年)

1959年 - 久邇朝融、日本の元皇族・香淳皇后の兄(* 1901年)

1960年 - ワルター・ノダック、化学者(* 1893年)

1960年 - クララ・ハスキル、ピアニスト(* 1895年)

1969年 - フランク・オドール、メジャーリーグベースボール選手(* 1897年)

1971年 - 牧田與一郎、実業家・三菱重工業社長(* 1903年)

1972年 - クラウス・プリングスハイム、指揮者(* 1883年)

1973年 - 川俣清音、日本社会党衆議院議員(* 1899年)

1975年 - ソーントン・ワイルダー、劇作家・小説家(* 1897年)

1975年 - 塚原俊郎、元労働大臣(* 1910年)

1975年 - ベアトリクス・ローラン、フィギュアスケート選手(* 1900年)

1976年 - 久保田収、歴史学者(* 1910年)

1979年 - セシリア・ペイン=ガポーシュキン、天文学者(* 1900年)

1982年 - 早川崇、元自由民主党衆議院議員(* 1916年)

1984年 - 大川橋蔵、俳優(* 1929年)

1985年 - ロバート・グレーヴス、詩人・小説家(* 1895年)

1990年 - レイナルド・アレナス、小説家・詩人(* 1943年)

1993年 - 森永勝也、プロ野球選手・監督(* 1934年)

1998年 - マーティン・ロッドベル、生化学者(* 1925年)

2001年 - 小松崎茂、画家、イラストレーター (* 1915年)

2001年 - 木村睦男、自由民主党参議院議員(* 1913年)

2004年 - フレデリック・フェネル、指揮者(* 1914年)

2004年 - 勝鹿北星、漫画原作者(* 1946年?)

2005年 - 阿部未喜男、元日本社会党衆議院議員(* 1919年)

2005年 - 中川嘉美、元公明党衆議院議員・参議院議員(* 1933年)

2006年 - ジーン・カークパトリック、元アメリカ合衆国国連大使(* 1926年)

2007年 - 上柳克郎、法学者(* 1922年)

2007年 - フアド・ハッサン、インドネシア教育文化相(* 1929年)

記念日・年中行事
大雪(日本)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が255度の時で、雪が激しく降り始めるころ。

独立記念日(コートジボワール)

神戸開港記念日(日本)
慶応3年12月7日(新暦1868年1月1日)に神戸港が外国船の停泊地として開港したことに由来し、
神戸市が制定。

クリスマスツリーの日(日本)
1886年12月7日に、横浜で外国人船員のために
日本初のクリスマスツリーが飾られたことに由来している。
国際民間航空デー