東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月9日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月9日(火曜日)

「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり「12月」。

「冬」もしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。
「おきなのあゆみ」のように。
そそとした「冬舞台」の上を.
さらにふかまりつつ冬を.
あゆみつつあります。
「くれ」にむかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

早朝には
「秋の虫の音」は。
「こおろぎ」だけになりました。
そのこえの声もきこえなくなりました。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえました。

それは。
木枯らしの声でした。

毎朝の暗いうちの木枯らしの「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
木枯らしの鳴き声は。
「ソロ」から次第に「合唱」に
なっていました。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一匹一匹の
「木枯らし」の鳴いている場所がわかるように。
なってきました。

木枯らしも
「もっと深冬(ふかふゆ)」。
そして「もっと深い冬の先」
「の季節にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

木枯らしは
「街路樹」にとまって冬を越すのでしょう。

陽ののぼる時刻はとても遅くなりました。
そして
陽のおりる夕暮れは。
とてもやくくなりました。

朝の04:30amにはふたたび「真っ暗」
の時期になりました。
あさの06:30amでもなお暗い東空
です。

これからは太陽は。
「冬」に向かいます。

「冬」こそ「冬」です。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。
雪国うまれの私はさむいのがつらい
です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「冬」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。
夏至もおわり。
真夏もおわり。
ゆたかなみのりの
「秋」の「9月」がはじまり。
そして「9月」が「おわり」。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「12月」です。

「実りの秋」から「収穫の秋」に向けて
そして「冬」に。
「若実」をまもる
「晩秋冬」の太陽から。さらなる恵みを
「実る木の実」にあたえる。

「空」こそは。
「ソフトフイルター」の役目を。
深い「冬」の「おぼろくもりそら」が
しているようです。

自然とは。
とてもよくできたものです。

変幻自在であり
そして規則も正しい。
なおかつにして。
自由が自在。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境が。

とてもよくわかります。

冬の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々になってきました。
そして冬の。
紅葉の冬。枯れ葉も冬をむかえています。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。
晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって「からまつ」をうえられても
叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐいません。

やはり野におけ蓮華草と同じく。
「からまつ」も蓮華草と同じくに
清楚な華やかさとはかなさを
もっています。

やはり野におけ。
蓮華草とからまつ。

秋冬の「からまつ」です。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
紅葉の「秋」です。
紅葉を過ぎた「秋」です。
「冬」です。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。
まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
紅葉も「鮮烈」なことと見守ります。
そして冬の木枯らしがふきます。

街角の雑草も花はおわり。
夏の草花・
「ひるがお」「つるくさ」が
秋から冬草に変貌して。

「小金」に山芋の葉は紅葉し。
ますます姿を大きくしています。

けれども。
「秋風」から「木枯らし」になり。
道端のくさばなは。
「遠慮がち」になりました。

雑草も。
冬草へと変貌しつつあります。

朝暗いうちは。
はださむい気が致します。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

木枯らしいてつく秋竹(あきたけ)の
笹葉みどりにふるえたり
みどりのいらかをかぜはやみ
冬陽をうつすやうつろひの
竹の葉うもれしはやいくとせ

冬地にも空にも
冬みどり葉ひらき
冬みどり木秋空
冬天高くひろがりけり
冬ゆたかなりけり
冬いふことのなし
冬いふことがなし
冬いふことはなし
冬ゆたかなりけりふゆ

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない場合
に限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成20年

4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわちました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂き。5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行います。

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

第一次世界大戦時に塩素を始めとする
各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから。

不名誉ながら。
「化学兵器の父」「毒ガス兵器の父」と呼ばれる。
そしてユダヤ人でありながら「自らの毒ガス」で。

ナチスから追放をうけるとともに。
「親族一同」が。
「彼のつくった毒ガス」で「命」を他のユダヤ人
同様に命をおとした。

自身も科学者であった妻クララは夫が恐ろしい
殺人兵器の開発に携わることに反対致し。

初めてそれが実戦で使われた1915年4月22日。
妻クララは自ら命を絶ち妻を失った化学者。

1918年にノーベル化学賞を受賞をした科学者。

1868年 - フリッツ・ハーバー、物理化学者、電気化学者(+ 1934年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー(Fritz Haber,
1868年12月9日 ? 1934年1月29日)は。

ポーランド(当時はドイツ)
ヴロツワフ出身の物理化学者、電気化学者です。
ユダヤ人から改宗したプロテスタントです。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haberは。

ベルリン大学やハイデルベルク大学、
イェーナ大学で修学致しました。

1894年にカールスルーエ大学の助手となりました。

1904年に平衡論を利用した窒素分子からの
アンモニアの合成法の開発に着手致しました。
これは1912年にBASFで実用化されました。

現在「アンモニアの合成法」として。
ハーバー・ボッシュ法として知られています。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haberは。
1906年にカールスルーエ大学の大学教授となりました。

1909年にカイザー・ヴィルヘルム物理化学研究所
(現在のマックス・プランク研究所)の所長となりました。

第一次世界大戦中は毒ガス開発に携わりました。

自身も科学者であった妻クララは夫が恐ろしい
殺人兵器の開発に携わることに反対致しました。

初めてそれが実戦で使われた1915年4月22日。
妻クララは自ら命を絶ちました。

その頃ハーバーはこの塩素ガス作戦の指揮を執っていました。

そのため、終戦後は激しい非難に晒されました
戦争犯罪人の候補に挙げられてしまいました。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haber。
1918年にノーベル化学賞を受賞して名誉を回復致しました。

1919年にはボルン・ハーバーサイクルを提唱致しました。

さらに1923年に西回りの世界一周の旅に出て、
日本にも二ヶ月滞在。
函館で。
叔父ルートヴィヒの遭難50周年追悼行事に参加致しました。

この日本滞在中に「星一」との知遇を得ました。
生涯に亘る親交を結ぶこととなりました。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haberが。

西回りで旅行したのは。

ハーバー・ボッシュ法により。
チリ硝石が売れなくなったことから。
チリの国民に嫌われており。
チリへ行くのを避けるためだったということです。

また1928年にドイツの賠償金返済のために。
海水から金を回収する実験を試みたが
これは失敗に終わりました。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haberは。

名声の絶頂にあったハーバーでした。

1933年にその生涯は暗転致しました。

ナチスによってユダヤ人公職追放令が出されました。

それを受け、カール・ボッシュはアドルフ・ヒトラーに対し
「ユダヤ人の学者を追放することは、
ドイツから物理や化学を追放するのと同じことだ」
と抗議致しました。

だがヒトラーは。
「それなら、これから百年はドイツでは物理や化学無しで
やっていこうではないか」と放言致しました。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haberは。
直後の4月30日にハーバーはマックス・プランク研究所所長を
辞任致しました。

病気療養を理由にスイスへ出国致しました。

一旦イギリスに行く「毒ガスの件」で風当たりが極めて強く。

気候の問題もあって再びスイスに渡りました。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haberは。

翌1934年、亡命先のバーゼルで冠状動脈硬化症により
、睡眠中に死去した致しました。

現在は、妻のクララとともにバーゼルの
Hornli Cemeteryに埋葬されています。

++++++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー:Fritz Haberは。

第一次大戦当時に彼は青酸化合物を用いた
ツィクロンBを開発致しました。

後に殺虫剤として販売されました。

皮肉なことにユダヤ人の
彼の親戚たちの多くはこのガスで命を奪われること
になりました。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

フリッツ・ハーバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868年12月9日 ? 1934年1月29日)はポーランド(当時はドイツ)ヴロツワフ出身の物理化学者、電気化学者。ユダヤ人から改宗したプロテスタントである。第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼ばれることもある。

ベルリン大学やハイデルベルク大学、イェーナ大学で修学した。1894年にカールスルーエ大学の助手となり、1904年に平衡論を利用した窒素分子からのアンモニアの合成法の開発に着手した。これは1912年にBASFで実用化され、現在ハーバー・ボッシュ法として知られている。

1906年に同大学教授となる。1909年にカイザー・ヴィルヘルム物理化学研究所(現在のマックス・プランク研究所)の所長となった。第一次世界大戦中は毒ガス開発に携わる。自身も科学者であった妻クララは夫が恐ろしい殺人兵器の開発に携わることに反対し、初めてそれが実戦で使われた1915年4月22日、自ら命を絶った。その頃ハーバーはこの塩素ガス作戦の指揮を執っていた[1][2][3]。そのため、終戦後は激しい非難に晒され、戦争犯罪人の候補に挙げられてしまう。

1918年にノーベル化学賞を受賞して名誉を回復。1919年にはボルン・ハーバーサイクルを提唱した。さらに1923年に西回りの世界一周の旅に出て、日本にも二ヶ月滞在。函館で叔父ルートヴィヒの遭難50周年追悼行事に参加した。この日本滞在中に星一との知遇を得、生涯に亘る親交を結ぶ。なお、西回りで旅行したのは、ハーバー・ボッシュ法によりチリ硝石が売れなくなったことからチリへ行くのを避けるためだったという。また、1928年にドイツの賠償金返済のために海水から金を回収する実験を試みたが、これは失敗に終わる。

名声の絶頂にあったハーバーだが、1933年にその生涯は暗転する。ナチスによってユダヤ人公職追放令が出された。それを受け、カール・ボッシュはアドルフ・ヒトラーに対し「ユダヤ人の学者を追放することは、ドイツから物理や化学を追放するのと同じことだ」と抗議。だが、ヒトラーは「それなら、これから百年はドイツでは物理や化学無しでやっていこうではないか」と放言。直後の4月30日にハーバーはマックス・プランク研究所所長を辞任し、病気療養を理由にスイスへ出国。一旦イギリスに行くが、毒ガスの件で風当たりが強く、気候の問題もあって再びスイスに渡る。

翌1934年、亡命先のバーゼルで冠状動脈硬化症により、睡眠中に死去した[4]。現在は、妻のクララとともにバーゼルのHornli Cemeteryに埋葬されている。

第一次大戦当時、彼は青酸化合物を用いたツィクロンBを開発。後に殺虫剤として販売された。皮肉なことに彼の親戚たちの多くはこのガスで命を奪われることになる。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

12月9日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%889%E6%97%A5

できごと
887年(仁和3年11月21日) - 藤原基経が初の人臣関白に就く。

1851年 - 北アメリカ州初めてのYMCAがケベック州モントリオールに設立される。

1915年 - 三毛別羆事件発生。

1931年 - スペインが共和国になる。

1941年 - 中国が日本、ドイツ、イタリアに対して宣戦布告。

1945年 - GHQが農地改革を指示。

1962年 - タンガニーカ(現在のタンザニアの一部)が共和国になる。

1963年 - ザンジバル独立。

1974年 - 金脈問題で田中首相辞任。三木武夫内閣発足。

1986年 - ビートたけしとたけし軍団によるフライデー襲撃事件が起こる。

1992年 - ダイアナ妃とチャールズ王子の離婚が発表される。

1993年 - 屋久島・白神山地・法隆寺地域の仏教建造物・姫路城の4か所が世界遺産に決定。

1993年 - 将棋の公式戦史上初めて女流棋士(中井広恵)が
男性棋士(池田修一)から白星を挙げる。

1995年 - アメリカ海軍のニミッツ級航空母艦の7番艦である
ジョン・C・ステニスがサンディアゴ港にて就役。

1998年 - 宇多田ヒカルが「Automatic」でCDデビュー。

2005年 - 日本政府がイラク派兵の一年間延長を決定。

2005年 - 立川反戦ビラ配布事件第二審逆転有罪判決。

誕生日
1608年 - ジョン・ミルトン、詩人(+ 1674年)

1837年 - エミール・ワルトトイフェル、作曲家(+ 1915年)

1860年 - 嘉納治五郎、講道館柔道創始者(+ 1938年)

1868年 - フリッツ・ハーバー、物理化学者、電気化学者(+ 1934年)

1885年 - 高橋勝四郎、獣医師(+ 1972年)

1889年 - ハンネス・コーレマイネン、陸上競技選手(+ 1966年)

1895年 - ランスロット・ホグベン、動物学者・遺伝学者(+ 1975年)

1903年 - 宇佐美毅、宮内庁長官(+ 1991年)

1906年 - グレース・ホッパー、計算機科学者(+ 1992年)

1915年 - エリーザベト・シュヴァルツコップ、ソプラノ歌手(+ 2006年)

1916年 - カーク・ダグラス、俳優

1926年 - 宮脇俊三、紀行作家(+ 2003年)

1931年 - 岩下守道、元プロ野球選手

1933年 - ペギー葉山、歌手

1934年 - ジュディ・デンチ、女優

1939年 - 市川猿之助 (3代目)、歌舞伎役者

1941年 - 白石加代子、女優

1941年 - ボー・ブリッジス、俳優

1942年 - 川合稔、レーシングドライバー(+ 1970年)

1946年 - 飯田明弘、元騎手・調教師

1947年 - 安彦良和、漫画家・キャラクターデザイナー
1950年 - 綾小路きみまろ、漫談家
1952年 - ブルース・ボウクレア、元プロ野球選手
1953年 - 落合博満、元プロ野球選手
1953年 - ジョン・マルコヴィッチ、俳優
1953年 - ジル・セイワード、ミュージシャン(シャカタク)
1955年 - 渡辺裕之、俳優 
1955年 - 高砂親方、元大関朝潮
1959年 - 春風亭昇太、落語家
1960年 - 南牟礼豊蔵、元プロ野球選手
1963年 - 皇太子妃雅子、日本の皇族
1965年 - 五味孝氏、ミュージシャン(T-BOLAN)
1966年 - 勝恵子、ニュースキャスター
1967年 - 小林勝、ミュージシャン(SADS)
1968年 - カート・アングル、プロレスラー
1970年 - トニー・タラスコ、元プロ野球選手
1971年 - 佐野瑞樹、フジテレビアナウンサー
1971年 - せがわきり、タレント・児童文学作家
1972年 - トレ・クール、ミュージシャン(グリーン・デイ)
1975年 - bird、ミュージシャン
1976年 - 福永祐一、騎手
1978年 - ISSA(辺土名一茶)、歌手
1979年 - OLIVIA、歌手
1979年 - 上村愛子、モーグル選手
1979年 - ジリ・ヴァンソン、俳優
1981年 - 落合祐里香、声優
1980年 - 高橋一生、俳優
1982年 - 岡本綾、女優
1982年 - 玉手みずき、女優
1982年 - 上野貴久、プロ野球選手
1983年 - ネスリハン・ダルネル、バレーボール選手
1983年 - エゴール・ゴロフキン、フィギュアスケート選手
1983年 - G-YUN(GOLLBETTY)、ミュージシャン
1984年 - 小出祐介(Base Ball Bear)、ミュージシャン
1985年 - 松本さゆき、グラビアアイドル
1987年 - AYAKA(ユーフォーリア)、ミュージシャン

忌日
1165年 - マルカム4世、スコットランド王(* 1142年)

1416年(応永23年11月20日) -
伏見宮栄仁親王、南北朝・室町時代の皇族・伏見宮始祖(* 1351年)

1437年 - ジギスムント、神聖ローマ帝国皇帝(* 1368年)

1565年 - ピウス4世、第224代ローマ教皇(* 1499年)

1641年 - アンソニー・ヴァン・ダイク、画家(* 1599年)

1662年(寛文2年10月29日) - 水野勝貞、第3代福山藩主(* 1625年)

1669年 - クレメンス9世、第238代ローマ教皇(* 1600年)

1706年 - ペドロ2世、ポルトガル王(* 1648年)

1793年 - ポリニャック伯夫人、マリー・アントワネットの寵臣(* 1749年)

1806年(文化3年10月30日) - 市川團十郎 (5代目)、歌舞伎役者(* 1741年)

1864年(元治元年11月11日) - 益田兼施、長州藩家老(* 1833年)

1864年(元治元年11月11日) - 国司親相、長州藩家老(* 1842年)

1882年 - 佐田介石、浄土真宗本願寺派の僧(* 1818年)

1901年 - 木村芥舟、元江戸幕府軍艦奉行(* 1830年)

1916年 - 夏目漱石、小説家(* 1867年)

1930年 - ルーブ・フォスター、プロ野球選手(* 1879年)

1932年 - カール・ブロスフェルト、写真家・植物学者(* 1865年)

1935年 - 川田正澂、教育者(* 1864年)

1937年 - ニルス・グスタフ・ダレーン、エンジニア・実業家(* 1869年)

1945年 - 尹致昊、大韓帝国の政治家・朝鮮貴族・貴族院議員(* 1865年)

1951年 - 芦田惠之助、教育者(* 1873年)

1953年 - イサイ・ドブローウェン、指揮者(* 1893年)

1954年 - 吉田茂、内務官僚・貴族院議員(* 1885年)

1957年 - 下村宏、元内閣情報局総裁(* 1875年)

1966年 - ユーリ・シャポーリン、作曲家(* 1887年)

1975年 - ウィリアム・A・ウェルマン、映画監督(* 1896年)

1977年 - 中尾碩志、元プロ野球選手(* 1919年)

1989年 - 開高健、作家(* 1930年)

1991年 - ベレニス・アボット、写真家(* 1898年)

1994年 - 坂口謹一郎、応用微生物学者・東大農学部部長(* 1897年)

1995年 - 鈴木竹雄、法学者(* 1905年)

1997年 - 趙方豪、俳優(* 1956年)

2001年 - 原智恵子、ピアニスト(* 1914年)

2002年 - 千葉茂、プロ野球選手・監督(* 1919年)

2005年 - シャーンドル・ジェルジ、ピアニスト(* 1912年)

2005年 - ロバート・シェクリイ、SF作家・脚本家(* 1928年)

2006年 - まさお君、「ペット大集合!ポチたま」に出演していた
ラブラドール・レトリバー(* 1999年)

記念日・年中行事
障害者の日
1975年に国連総会で「障害者の権利宣言」が採択されたことを記念し、
国際障害者年であった1981年の12月9日に開催された
総理府(現内閣府)主催の中心記念事業「広がる希望の集い」で制定。

独立記念日(タンザニア)