東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月10日(水曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月10日(水曜日)

あと「20日そこそこ」で「来年」になります。

「12月」の「冬」です。
今は「冬」。

冬の前の晩秋には
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きます。

今は晩秋がおわり「冬」。
「銀木犀:きんもくせい」も「銀木犀:きんもくせい」も
はるかかなたに。
「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は今。
冬越しの準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。
「冬」になると。
「葉色」と「葉のあつさ」がかわります。
「木枯らしに耐える厚さ」になります。

山茶花のつぼみがみえます。

「やぶつばき」のつぼみがみえます。

「金木犀:きんもくせい」は不思議な木です。
「金木犀:きんもくせい」の真下では何も
「金木犀:きんもくせい」の花の香(はなのか)
はしません。
遠く離れると「香ります」。
今は「冬」。
はるか昔に花はおわりました。
そしてはるか昔に「香り」もおわりました。

けれども。
「花」こそみえませんが。
「金木犀:きんもくせい」「銀木犀:きんもくせい」
の芳香が。
いまなおとくとくと。
遠くただよっているかのごとくです。

今は12月の冬になりました。
常緑の。
「木犀:もくせい」は元気です。

「木犀:もくせい」は。
「椿」のように花が落ちて。
「木の下」に「フェルマータ"fermata"」*がありません。

「落花生」のような「木」です。

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C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。
ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
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旧暦では「11月」から「冬」です。
だから今現在は。

深まり行く「晩秋」はおわり。
「冬」です。

今朝早朝の真っ暗な時間に
「吐息」が「白く」みえました。
急速に。
かけあしで「さむくなってきました」。

今朝早朝は
暗いうち晴れて。
霧雨の合間に。
久方ぶりにたくさんのたくさんの
星をみました。

そして天井の空高くひさしぶりに「月」の
かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」とはなるほどと考えます。

「木枯らし」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。
グラスハープの。
オーケストラを聴いているようです。

そして「12月」になり
「木枯らし」の鳴き声は「アリア」
次第に出番が多くなりました。

寒い中でも
「極めて大きな声でないている」
「木枯らし」が
「1-2匹」はいるのが不思議です。

山茶花の上空でないています。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「12月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「冬将軍」の気配にあと押しされて。
「しずかな初冬」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はまだあたたかい
小春の陽射しを感じることも
あります。

五月(さつき)がおわり。
六月がおわりました。
七月もうおわりました。
「8月」もおわりました。
夏はおわりました。

そして
「あきの「秋」「9月」がおわりました。
中秋の「10月」がおわりました。
「11月」です。

そして「12月」。

雪国の冬です。

そして。
「今年も残す所「1ヶ月」を
すごそうとしています。

12月の初冬の気配が
あっというまに。
冬の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように変化して。
次第に「初冬」の気配がうつろいていく。
「井戸のつるべ」がおちるようです。

「冬の12月」。
ふかまりゆく
「初冬からの冬将軍の登場」は。
威風堂々と。
感じられるような気がします。

そしてさらに。

初冬そしてさらに。

「もっと深い冬」のピアニッシモppで。
しのびよる深い冬の気配が
かんじられます。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの「くれゆくあきいろ」が感じられます。

冬陽射し(ひさし)やさしき秋。
冬空にも地にも天高くはれ。
冬の大気のひそみかくれ。
冬そらにみちてあふれれば。
冬吐息(ためいき)となり。
冬吐息が霧雨か霞になり。
冬おりてくるような感じです。
冬「冬はふかまりゆく」気配
になりました。

「10月おわりました。」
そして「11月」「深まる秋」になりました。

冬なお「力強い」の木々のめぶきは
初冬の息吹から深い冬への息吹への。
変化(へんげ)を感じます。

早朝は「肌寒い」です。
今年は「寒い」です。

百姓のうまれなので「冷冬」が心配です。

街路樹はしっかりと
枝木の穂先もたわわにつよく
中秋の萌黄色から中秋の若葉そして
晩秋のあおい「木」にかわりました。
そしてあきのあおい「木」は。
「実りの秋」のおとづれを。
そしてさらなる「秋の深まり」を超えて。

そしていま冬。
いま冬をむかえようとしてています。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

冬山椒(さんしょう)の木の芽が
冬にも若葉はそだち。
冬若葉は冬の若枝となり。
冬若枝は天高くすこやかにのび。
冬のふかまりにますますすこやかに。
冬山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
冬空に燃えるが如くの炎葉です。

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

冬深まりたり
冬空たかく
冬あやにしき
冬みどり木
冬さんしょう木
冬陽をあびてかがやけり
冬いざいまこそは
冬金色(かがね)にかわり
冬赤き秋空に燃えたたむ

冬さんしょう木
冬もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
冬わかば葉はいずるは花ならむ
冬(ふゆ)こす枝は幹ならむ
冬いざいまこそは
冬空(そら)たかくもえたたむ
冬金色(こがねいろ)なる
冬さんしょう木
冬(ふゆ)深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

冬ふかく草を浮かべる水面(おも)に
冬めだかのむれのひかりたり
冬むれておよげるひめだかの
冬みずのなかなるちいさないのち
冬みずのなかなるおおきないのち
冬みのりてあまたにとほときいのちこそ
冬いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなふゆみつけたから
しだいに大きなあきみつけた
大きなふゆみつけたから
大きな大きなふゆみつけたは

ちょっと「こころしずまる気」がします
「初冬」です
「冬」になります。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
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GWの予定ですが。
平成20年4月29日(火曜日)
は祝日です。(はおわりました)
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平成20年5月 3日(土曜日)
平成20年5月 5日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
(4・29 5・3 5.5)
=>

平成20年5月 6日(火曜日)
は同じく祝日ですが
は「お休み」を頂く予定です。
は終わりました。
5月7日(水曜日)より「定常どおり」
になります。
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7月21日(月曜日)は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
=>
は終わりました。

-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
医師である傍らに物理学者として実験を重ねた
ことで有名な物理学者。
エストニアの物理学者。

1821年偶然発見された
「各々2種類の金属」よりなる「2種類の電線」
で。
「電流の発生」を発見した物理学者。

金属棒の内部に温度勾配があるときに。
両端間に電圧が発生することに気づき。

また2種類の金属からなるループの接点に温度差を設けると。
近くに置いた方位磁針の針が振れること発見した
物理学者。

1831年 - トーマス・ゼーベック、物理学者(* 1770年)
の没日です。

++++++++++++++++++++++
トーマス・ゼーベック(Thomas Johann Seebeck,
1770年4月9日 -
1831年12月10日)はドイツの物理学者、医師です。
1821年にゼーベック効果を発見致しました。

++++++++++++++++++++++

トーマス・ゼーベック:Thomas Johann Seebeckの生涯

エストニアでバルト。
ドイツ人商人の家庭に生まれました。

ギムナジウム卒業後は。
ベルリン大学とゲッティンゲン大学で医学を学びました。

1802年にはゲッティンゲン大学から
医学博士の学位を受けました。

++++++++++++++++++++++

トーマス・ゼーベック:Thomas Johann Seebeckは。
ゼーベックは医業のかたわら物理実験を行ないました。

最初イェーナで光学の研究を始め。
1・
太陽スペクトルの異なる色における熱効果や化学作用を調べました。
2・
また圧力を受けたガラス片中での偏光の問題を研究致しました。

1814年にはベルリン・アカデミー会員に選ばれました。

その後ベルリンに移り、

3・
磁気現象の研究を行いました。

4・
アラゴーの減衰法則やヒステリシスの初期兆候を見いだした。

++++++++++++++++++++++

トーマス・ゼーベック:Thomas Johann Seebeckは。

また銅とビスマスのような異なる2種類の金属ワイヤの両端を
繋いでリングにして。

接続部の片方を熱するとワイヤ中に電流が発生して
磁場が発生することを発見致しました。

これは彼の名を冠してゼーベック効果と呼ばれます。
ゼーベック効果は熱電対などに応用されています。

++++++++++++++++++++++

トーマス・ゼーベック:Thomas Johann Seebeckは。

ゼーベックは同時代人のゲーテやヘーゲルとも親交がありました。

++++++++++++++++++++++

トーマス・ゼーベック:Thomas Johann Seebeckと
ゼーベック効果

ゼーベック効果(Seebeck effect)は。
物体の温度差が電圧に直接変換される現象です。

熱電効果の一種です。

逆に電圧を温度差に変換するペルティエ効果もあります。

類似の現象としてトムソン効果やジュール熱があります。

++++++++++++++++++++++

トーマス・ゼーベック:Thomas Johann Seebeckの。

ゼーベック効果を利用して温度を測定することができます
(→熱電対)。
ゼーベック効果、ペルティエ効果、トムソン効果は可逆です。
但しジュール熱はそうではありません。

ゼーベック効果はエストニアの物理学者、
トーマス・ゼーベックによって。
1821年、偶然発見されました。

ゼーベックは金属棒の内部に温度勾配があるときに。
両端間に電圧が発生することに気づきました。

また2種類の金属からなるループの接点に温度差を設けると。
近くに置いた方位磁針の針が振れることも発見致しました。

これは2種類の金属が温度差に対して異なる反応をしたため、
ループに電流が流れ、磁場を発生させたためです。

++++++++++++++++++++++

ペルティエ効果(ペルティエこうか、Peltier effect)は。
異なる金属を接合し電圧をかけると、
接合点で熱の吸収・放出が起こる効果です。

ゼーベック効果、トムソン効果とともに熱電効果の1つであす。
ペルチエ効果、ペルチェ効果と表記することもある。

ペルティエ効果
ペルティエ効果はゼーベック効果の逆であり電圧から
温度差を作り出す現象です。

ペルティエ効果は次のような場合に起こる。
異なる2種類の金属または半導体(n型とp型)を
2つの点で接合したものに電流を流す。
電流は片方の接点からもう一方に動くとき熱も輸送する。
片方の接点は冷やされ、もう一方は温められる。

++++++++++++++++++++++

ペルティエ効果
ペルティエ効果はゼーベック効果の逆であり
電圧から温度差を作り出す現象です。

この効果はゼーベックの最初の発見から13年後の1834年、
ジャン=シャルル・ペルティエによって観察されました。

電流 I は回路を流れる間、上の接点 (点 T2)で熱を放出し、
下の接点 (点 T1)で熱を吸収する。
単位時間当たりに下の接点で吸収される熱量 は以下のようになる。

ここで Π は一方の接点で熱を吸収しもう一方で放出致します。
熱電対は直列につなぐことで、効果を強めることができます。

熱が移動する方向は電流の向きによって制御できます。

電流の向きを変えると電子の移動の方向が変わり、
熱の吸収・放出量の正負も変わります。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

トーマス・ゼーベック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF

トーマス・ゼーベック(Thomas Johann Seebeck, 1770年4月9日 - 1831年12月10日)はドイツの物理学者、医師。1821年にゼーベック効果を発見した。

生涯
エストニアでバルト・ドイツ人商人の家庭に生まれ、ギムナジウム卒業後はベルリン大学とゲッティンゲン大学で医学を学び、1802年にはゲッティンゲン大学から医学博士の学位を受けた。ゼーベックは医業のかたわら物理実験を行なった。最初イェーナで光学の研究を始め、太陽スペクトルの異なる色における熱効果や化学作用を調べた。また圧力を受けたガラス片中での偏光の問題を研究、1814年にはベルリン・アカデミー会員に選ばれた。その後ベルリンに移り、磁気現象の研究を行い、アラゴーの減衰法則やヒステリシスの初期兆候を見いだした。また銅とビスマスのような異なる2種類の金属ワイヤの両端を繋いでリングにして、接続部の片方を熱するとワイヤ中に電流が発生して磁場が発生することを発見した。これは彼の名を冠してゼーベック効果と呼ばれる。ゼーベック効果は熱電対などに応用されている。

ゼーベックは同時代人のゲーテやヘーゲルとも親交があった。

関連事項
ゼーベック効果 - ゼーベック素子
ペルティエ効果 - ペルティエ素子
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

ゼーベック効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C

ゼーベック効果(Seebeck effect)は物体の温度差が電圧に直接変換される現象で、熱電効果の一種。逆に電圧を温度差に変換するペルティエ効果もある。類似の現象としてトムソン効果やジュール熱がある。ゼーベック効果を利用して温度を測定することができる(→熱電対)。ゼーベック効果、ペルティエ効果、トムソン効果は可逆であるが、ジュール熱はそうではない。

ゼーベック効果はエストニアの物理学者、トーマス・ゼーベックによって、1821年、偶然発見された。ゼーベックは金属棒の内部に温度勾配があるとき、両端間に電圧が発生することに気づいた。

また、2種類の金属からなるループの接点に温度差を設けると、近くに置いた方位磁針の針が振れることも発見した。これは2種類の金属が温度差に対して異なる反応をしたため、ループに電流が流れ、磁場を発生させたためである。

++「続きを読むです3」++++++++++++++++++

ペルティエ効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E5%8A%B9%E6%9E%9C

ペルティエ効果(ペルティエこうか、Peltier effect)は、異なる金属を接合し電圧をかけると、接合点で熱の吸収・放出が起こる効果。 ゼーベック効果、トムソン効果とともに熱電効果の1つである。 ペルチエ効果、ペルチェ効果と表記することもある。

ペルティエ効果
ペルティエ効果はゼーベック効果の逆、電圧から温度差を作り出す現象である。

ペルティエ効果は次のような場合に起こる。異なる2種類の金属または半導体(n型とp型)を2つの点で接合したものに、電流を流す。電流は片方の接点からもう一方に動くとき熱も輸送する。片方の接点は冷やされ、もう一方は温められる。この効果はゼーベックの最初の発見から13年後の1834年、ジャン=シャルル・ペルティエによって観察された。

電流 I は回路を流れる間、上の接点 (点 T2)で熱を放出し、下の接点 (点 T1)で熱を吸収する。単位時間当たりに下の接点で吸収される熱量 は以下のようになる。

ここで Π はペルティエ係数とよばれる係数で、ΠAB は熱電対全体、ΠA と ΠB はそれぞれの物質のペルティエ係数である。特に、p型のシリコンは正のペルティエ係数を持ち、n型のものは負の係数を持つ。

導体は電流が流れる以前の平衡状態に戻ろうとして、一方の接点で熱を吸収し、もう一方で放出する。熱電対は直列につなぐことで、効果を強めることができる。

熱が移動する方向は電流の向きによって制御できる。電流の向きを変えると電子の移動の方向が変わり、熱の吸収・放出量の正負も変わる。

++「続きを読むです4」++++++++++++++++++

12月10日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8810%E6%97%A5

できごと
1336年(建武3年/延元元年11月7日) - 建武式目が制定される。

1901年 - 田中正造が足尾銅山の鉱毒事件について明治天皇に直訴。

1935年 - 株式会社大阪野球倶楽部(大阪タイガース、現在の阪神タイガース)創立

1941年 - マレー沖海戦で日本海軍の陸上攻撃機隊が
イギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈する。
一方で、グアム・タラワ・マキン(現キリバス)を日本軍が占領する。

1954年 - 鳩山一郎内閣成立。

1967年 - 「東京新聞」の編集・発行等の業務を中日新聞社が継承。

1968年 - 東京都府中市で三億円事件が発生。

1991年 - 都営地下鉄12号線(後の大江戸線)練馬駅-光が丘駅間が開業。

1994年 - 新進党結党。

1997年 - 山陽自動車道の神戸JCT〜山口JCT間が全線開通し、
中国自動車道とのダブルネットワークが完成

2005年 - 2006年FIFAワールドカップドイツ大会の組み合わせ抽選会が行われる
(欧州時間では9日)。

2005年 - Xbox 360が日本で発売。

2007年 - 改正遺失物法が施行。

2007年 - レッド・ツェッペリンが19年ぶりに母国・ロンドンの
O2アリーナで一夜限りの再結成コンサートを行う。

誕生日
1815年 - エイダ・ラブレス、世界最初のプログラマ(+ 1852年)

1822年 - セザール・フランク、作曲家(+ 1890年)

1824年 - ジョージ・マクドナルド、小説家・詩人(+ 1905年)

1882年 - 東郷茂徳、外務大臣(+ 1950年)

1891年 - ネリー・ザックス、詩人・作家(+ 1970年)

1896年 - 林武、洋画家(+ 1975年)

1901年 - 浜崎真二、元プロ野球選手(+ 1981年)

1906年 - 伊東静雄、詩人(+ 1953年)

1908年 - オリヴィエ・メシアン、作曲家(+ 1992年)

1908年 - 牛山喜久子、美容家

1913年 - 堺駿二、コメディアン(+ 1968年)

1926年 - ギター・スリム、ギタリスト、シンガー(+ 1959年)

1934年 - 楠部大吉郎、アニメーター(+ 2005年)

1935年 - 寺山修司、劇作家(+ 1983年)

1936年 - 村山実、元プロ野球選手(+ 1998年)

1938年 - ユーリ・テミルカーノフ、指揮者

1941年 - 坂本九、歌手(+ 1985年)

1944年 - 三遊亭圓丈、落語家

1952年 - 坂田おさむ、シンガーソングライター(7代目うたのおにいさん)
1948年 - 桂文珍、落語家
1950年 - 我修院達也、俳優
1957年 - 嶺重慎、天文学者
1957年 - マイケル・クラーク・ダンカン、俳優
1957年 - 日詰昭一郎、シンガーソングライター、作曲家、ベーシスト(+ 2001年)
1958年 - 福本伸行、漫画家
1960年 - 佐藤浩市、俳優
1960年 - ケネス・ブラナー、俳優
1961年 - 川口克己、プロモデラー
1962年 - 桂正和、漫画家
1962年 - 唐沢潤、女優・声優
1964年 - ak(柿原朱美)、歌手
1964年 - 牧原れい子、元AV女優、ストリッパー
1965年 - ヘンリー・アキンワンデ、プロボクサー
1965年 - 福島弓子、元アナウンサー
1965年 - 石田靖、お笑いタレント
1966年 - 田中雅彦、バドミントン選手
1966年 - 小栗左多里、漫画家
1967年 - 有森也実、女優
1967年 - 吉野直子、ハープ奏者
1967年 - 堀江美保、元AV女優
1968年 - 荻野目洋子、歌手
1968年 - 渡辺潤、漫画家
1970年 - 佐藤ひろ美、歌手
1970年 - レイ・ハラカミ、ミュージシャン
1970年 - YUKA、ミュージシャン
1971年 - ラレコ、FLASH職人
1972年 - 村上直、株式会社Blau 代表取締役社長
1974年 - 野村忠宏、柔道選手
1974年 - 進藤実、元プロ野球選手
1974年 - 高野忍、元プロ野球選手
1975年 - 津島亜由子、アナウンサー
1976年 - クロちゃん、安田大サーカス
1976年 - 喜名哲裕、 サッカー選手
1977年 - 峯田和伸、銀杏BOYZ
1977年 - 佐藤萌未、ファッションモデル
1977年 - 三枝実央、AV女優、元グラビアアイドル
1978年 - サマー・フェニックス、俳優
1981年 - 小林且弥、俳優
1981年 - 相馬崇人、 サッカー選手
1981年 - 森大輔、歌手
1982年 - 西島梢(ナナムジカ)、歌手
1982年 - ルイス・ブラウン、元プロ野球選手
1983年 - 太田博久、お笑い芸人(ジャングルポケット)
1983年 - 武内晋一、プロ野球選手
1983年 - 坂本直弥、歌手(ON/OFF)
1983年 - 坂本和哉、歌手(ON/OFF)
1983年 - 篠山輝信、俳優
1985年 - 榎本敏孝、元プロ野球選手
1985年 - クリステン・ロス、フィギュアスケート選手
1986年 - 塚田僚一、ジャニーズJr.、A.B.C.のメンバー
1986年 - 片岡さき、モデル、タレント
1987年 - 初音みのり、AV女優、グラビアアイドル
1987年 - 亜衣里、スパークリング☆ポイント
1989年 - 大前元紀、サッカー選手

忌日
1041年 - ミカエル4世、東ローマ帝国マケドニア王朝皇帝(* 1010年)

1475年 - パオロ・ウッチェロ、画家(* 1397年)

1508年 - ルネ2世、ロレーヌ公(* 1451年)

1573年(天正元年11月16日)- 三好義継、戦国時代の武将(* 1551年)

1603年 - ウィリアム・ギルバート、物理学者(* 1544年)

1618年 - ジュリオ・カッチーニ、作曲家(* 1545年頃)

1665年 - タルクィニオ・メールラ、作曲家(* 1594年頃)

1707年(宝永4年11月17日)- 松平光長、元越後高田藩主(* 1616年)

1831年 - トーマス・ゼーベック、物理学者(* 1770年)

1839年(天保10年11月5日)- 松平斉厚、江戸幕府寺社奉行・館林藩主・浜田藩主(* 1783年)

1852年(嘉永5年10月29日)- 都々逸坊扇歌、都々逸の祖として知られる寄席芸人(* 1804年)

1861年 - トマス・サウスウッド・スミス、公衆衛生の改革者として知られる医師(* 1788年)

1865年 - レオポルト1世、ベルギー初代国王(* 1790年)

1867年(慶応3年11月15日)-
坂本龍馬、薩長同盟の斡旋者として知られる元土佐藩士(* 1836年)

1868年(明治元年10月27日)- 林信太郎、新選組伍長

1875年 - 大田垣蓮月、尼僧・歌人(* 1791年)

1876年 - ジョージ・トレンホルム、第2代アメリカ連合国財務長官(* 1807年)

1889年 - ロレンツォ・レスピーギ、天文学者(* 1824年)

1896年 - アルフレッド・ノーベル、化学者(* 1833年)

1909年 - 本野盛亨、読売新聞創業者のひとりとして知られる実業家・官僚(* 1836年)

1911年 - ジョセフ・ダルトン・フッカー、植物学者(* 1817年)

1916年 - 大山巌、日本陸軍の元帥(* 1842年)

1928年 - チャールズ・レニー・マッキントッシュ、建築家(* 1868年)

1929年 - フランツ・ローゼンツヴァイク、哲学者(* 1886年)

1934年 - セオバルド・スミス、病理学者(* 1859年)

1936年 - ルイジ・ピランデルロ、劇作家・小説家・詩人(* 1867年)

1938年 - マリオ・ピラティ、作曲家(* 1903年)

1946年 - デイモン・ラニアン、小説家・記者(* 1884年)

1946年 - ウォルター・ジョンソン、メジャーリーグベースボール選手(* 1887年)

1949年 - 赤木桁平、評論家・衆議院議員(* 1891年)

1951年 - 波岡惣一郎。歌手(* 1910年)

1963年 - 大田洋子、小説家(* 1906年)

1965年 - ヘンリー・カウエル、作曲家(* 1897年)

1967年 - オーティス・レディング、歌手(* 1941年)

1968年 - カール・バルト、神学者(* 1886年)

1969年 - フランコ・カプアーナ、指揮者(* 1894年)

1969年 - リー・ハーライン、作曲家(* 1907年)

1976年 - 古今亭今輔 (5代目)、落語家(* 1898年)

1978年 - エド・ウッド、映画監督(* 1924年)

1982年 - ロイ・ウェッブ、作曲家(* 1888年)

1986年 - 中村吉治、歴史学者(* 1905年)

1987年 - ヤッシャ・ハイフェッツ、ヴァイオリニスト(* 1901年)

1990年 - アーマンド・ハマー、実業家(* 1898年)

1991年 - 山本七平、評論家(* 1921年)

1991年 - フランコ・マリア・マルファッティ、第3代欧州委員会委員長(* 1927年)

1992年 - 胡喬木、中華人民共和国の政治家(* 1912年)

1993年 - 田中清玄、政治運動家(* 1906年)

1993年 - 中井英夫、小説家(* 1922年)

1994年 - アレックス・ウィルソン、陸上競技選手(* 1905年)

1994年 - ガーネット・シルク、レゲエ歌手(* 1966年)

1999年 - リック・ダンコ、ロックンロールミュージシャン(ザ・バンド)(* 1942年)

2000年 - マリウス・バーサス・ジャンセン、日本学者(* 1922年)

2001年 - 江戸家猫八 (3代目)、ものまね芸人(* 1921年)

2001年 - ハインツ・レーグナー、指揮者(* 1929年)

2005年 - ユージーン・マッカーシー、元アメリカ合衆国上院・下院議員(* 1916年)

2005年 - リチャード・プライヤー、俳優(* 1940年)

2006年 - アウグスト・ピノチェト、チリ共和国の大統領(* 1915年)

2007年 - 竹内ゆうじ、お笑いタレント(* 1971年)

2007年 - 桑原甲子雄、写真家(* 1913年)

記念日・年中行事
ノーベル賞授与式
アルフレッド・ノーベルの忌日に因む。

世界人権デー (Human Rights Day)
1948年12月10日に、パリで行われた第3回国連総会で
「世界人権宣言」が採択されたことに由来し、
1950年の国連総会で制定。国際デーの一つ。

日本では、この日までの一週間を「人権週間」としている。