東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月11日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月11日(木曜日)

ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月もおわりました。
夏はすぎました。
9月の秋はおわりました。
中秋10月がおわりました。
「11月」になりました。
今は晩秋もおわり「冬」。
「12月」です。

冬です。雪国の冬です。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
いまは「12月」です。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようでした。
「春」はゆっくりとあるいてきます。
「春」がゆっくりと歩いてくるのをまたねば
なりません。

「あと20日足らずで」で。
「今年」はおわります。
そして。
「来年」になります。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてくる。

「来年」。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれません。
「考えずにいるつけ」がまわって
くるかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすめば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「秋雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ような「寒月」です。

06:30amころ日があければ。
くらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいがない「朝焼け色」の線描です。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「青空」が透けてみえます。

この「あおぞら」をみているととても
信じられないくらいに。
元気がわいてくることに気が付きました。
「めぐみ」の「陽射し」のおかげです。

「そら一杯の青空の天井」と
「太陽のひかりのひざし」は。
なによりもの「生きとし生けるもの」への。
「ごちそう」です。
そして「太陽のひかりのひざし」は
「めぐみ」です。

ありとあらゆる「生命」をはぐくむもの。
ありとあらゆる「生命」をなぐさめるもの。
「生きとし生けるもの」に。
「いきるちから」をさずけるものです。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

そのものを彷彿させますです。
東山魁夷画伯は。
「よくえがかけたものです」。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば
今年も「11か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや「寒月」の「12月」です。

病院の庭園に「4本」ある
「金木犀:きんもくせい」の大木の
いずれもがこがねの花を
たんぽぽのように
枝にみのらせていました。
まだ「はつはな」で初々しかったです。
けれども「金木犀:きんもくせい」
は雨に打たれると。
花は地面にオレンジの緋色毛氈(ひいろもうせん)
のように落下致します。
オレンジ色の積雪のようです。

「金木犀:きんもくせい」に変わって
「銀木犀:きんもくせい」のプラチナ色の香りが
致しました。

冬になり。
「金木犀:きんもくせい」も
「銀木犀:きんもくせい」
も花はおわりました。

山茶花が蕾をふくらませています。
「やぶつばき」が蕾をふくらませています。

山茶花(さざんか)の「はなびら」が
そして今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
地に舞い下りていました。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちったようです。
みつめれば。
木枯らしに弓射られた白鷺のはねのようでした。

ふと野草の花は一般的には。
香らない花が多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」 といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」で色は紫です。

ツタンカーメン王のまだ幼な子王妃が
「亡きツタンカーメンンにささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮びます。
「野菊」です。
けれども「野菊」は香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころに
「木枯らし」がないていました。
「こおろぎ」のほかの。
「こおろぎ」の声も聞こえなくなりました。

「こおろぎ」のかわりに「木枯らし」が
鳴いている。

木枯らしがかわりに。
「ろうろう」「こうこう」とふいています。

ふと。
「寒さにおびえる」ひとの気配がかんじられました。
はてだれだろうとおもえば。
うら若く苦労に苦労をかさねて
24歳にして世を去った「樋口一葉」。
樋口一葉の「わかき」「冬の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべき雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

「24歳」の「とても貧しい乙女」の
かなしさの「おもかげ」と。
すばらしいうら若い「御婦人」の「知」が。
如実によみとれます。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは速くなる。

しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵感」と「落胆感」は。
表裏一体。
両羽(もろば)の剣です。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものかもしれません。
「短くなる陽」は両羽(もろば)の剣を
持っています。

季節には「大気の音」があるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

「つつじ」の「花」が「春に」おわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

金木犀の大木が4本と銀木犀が2本
あります。

「中秋」をつたえるがごとく。
モクセイの木が「香り花」が開花致しました。

今は
「晩秋」。
「木犀:もくせい」の「花」は通り過ぎました。
「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。
山茶花(さざんか)も「やぶつばき」も私は「大好き」
な花木です。

「花」はみえない頃からもう
「金木犀:きんもくせい」
は「香っています」。
モクセイも秋にも若葉をだします。
「木犀:モクセイ」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この時期になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉する
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。
またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の紅葉の時期から。
そして冬の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「秋」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「秋若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる秋」をまちます。
「紅葉」の炎が。
樹木の上方で。
くすぶりまちわびてています。
冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宇宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」。
「秋から冬」
にむかう四季の。
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」
ならばよいです。

けれども
早朝は非常に寒くなりました。

冬やま中さまよいて
冬やま中をわけいらば
冬やま中大樹の根元に隠れたり
冬やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
冬やま中みつけたりやまの秋の華。
冬やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
冬やま中大樹の根元に隠れたり
冬山はぜの葉木。
冬やま中やまうるしの葉木。
冬やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
冬こす「はだか木」。
冬こす元気な木。たくましき木。

秋冬山萩(やまはぎ)の
秋冬花をかくして燃えたたむ
秋冬に実りの祭りなり
秋冬山はぜの葉炎
秋冬天高く燃ゆ

あきふゆやまはぎの
あきふゆはなをかくしてもえたたむ
あきふゆにみのりのまつりなり
あきふゆやまはせのほのほ
あきふゆてんたかくもゆ

ふゆひろくなりけり空(そら)たかし
ふゆさとやまに木々のみどり木
ふゆこもれびうけて燃えるがごとし
ふゆみどりの炎(ほのほ)
ふゆほのほうちけさむかすみはあおし
ふゆほのほにかすみにただよひて
ふゆうるわしくかがやきたり
ふゆあたたかくかおりたり
ふゆあざやかなりけり 
ふゆやまさとのやまみどり
ふゆやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
国民的英雄・ルパン”の創造)によって
レジオンドヌール勲章を授与され。

アーサー・コナン・ドイルと同じく
「犯罪小説」の「主人公」を創造したことで
苦しんだ。紳士的な振る舞いの
「泥棒にして探偵」
「アルセーヌ・ルパン(Arsene Lupin)
の生みの親
1864年 - モーリス・ルブラン、小説家(+ 1941年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

モーリス・ルブラン(Maurice Leblanc,
1864年12月11日 - 1941年11月6日) は。
フランスの小説家です。

紳士的な振る舞いの
「泥棒にして探偵」
「アルセーヌ・ルパン(Arsene Lupin)
の生みの親として良く知られています。

(和訳版では「ルパン」の表記が一般的だが、
よりフランス語の発音に近い「リュパン」
という表記のものも存在到ります)。

ルブランの「ルパン」は。
モーリス・ルブラン:Maurice Leblanも
アーサー・コナン・ドイルの両者ともも全くお互いに
何ら「干渉」はありませんでした。

けれども読者或は世間では。

モーリス・ルブラン:Maurice Leblanの
「ルパン」と。
しばしばイギリスの作家コナン・ドイルの生んだ
「シャーロック・ホームズ」と対比されたり比較されたり
致します。

++++++++++++++++++++++

モーリス・ルブラン:Maurice Leblanは。
ルブランはフランス・ノルマンディー地方の都市
ルーアンで生まれました。

数ヵ国で学びました。
ロースクールを落第後に。
パリに居を構えて純文学系の心理小説を書きはじめました。

ルブランのこの時期の小説は
フローベールやモーパッサンらに影響されました。
文壇でこそ上々の評判を獲得しました。

けれども商業的には不成功に終わりました。

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モーリス・ルブラン:Maurice Leblanの。
転機はルブラン40代のときに訪れました。

友人の編集者ピエール・ラフィットに依頼されて嫌々書いた
「ルパン逮捕される」が突然に大評判を博したのです。

以来。
ルブランは次々と「ルパンもの」を書き続けることになりました。

明らかにコナン・ドイルの一連のホームズ作品の
影響を受けています。

またそれに対する反動として描かれたはずの。
「いたずら好きで魅惑的なルパン」は。
驚くべき成功を収めました。

そして「ルパン」のおかげで。
ルブランは巨大な名声と大きな富を得ました。

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モーリス・ルブラン:Maurice Leblanの。

1907年までにルパン小説は。
短編としての形式を脱しました。

評判と売り上げが上々であったため。

結果的にルブランはその後。
作家としての経歴と情熱のほとんどをルパンシリーズへ
注ぎ込む事になりました。

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モーリス・ルブラン:Maurice Leblanの
「ルパン成功に嬉々とする」に比較して。

アーサー・コナン・ドイルは。
ホームズシリーズの成功に対しては。
「シャーロック・ホームズ」に
むしろ困惑しておりました。

アーサー・コナン・ドイルが。
「シャーロック・ホームズ」のために。
生活を妨害されているようでさえあったという点は
モーリス・ルブラン:Maurice Leblan
と著しく異なることです。

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アーサー・コナン・ドイルは。
またドイル自身も、自分が犯罪小説で成功することを。
より「尊敬に値する」文学的情熱から
遠ざけるものと見ていた、
ともいわれています。

よって「シャーロック・ホームズ」をモリアーティ教授と
「滝つぼ」に放り込み。
「シャーロック・ホームズ」を「抹殺しよう」とするに到りました。

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モーリス・ルブラン:Maurice Leblanは。

けれども
モーリス・ルブラン:Maurice Leblanも実際は。
アーサー・コナン・ドイルと同様に。

ルブランももともと純文学・心理小説作家を志していた事もあり。
犯罪小説、探偵小説であるルパンシリーズで
名声を博する事に心を痛めていたといわれます。

ドイルがホームズをライヘンバッハの滝に落としたのと同様、
ルブランもルパンを1度自殺させています(「813」)。

また。
「ルパンが私の影なのではなく、私がルパンの影なのだ」
という言葉などにもその苦悩の跡が見られます。

ですが晩年になって
その自分の経歴も受け入れられるようになったと思われ、
「ルパンとの出会いは事故のようなものだった。
しかし、それは幸運な事故だったのかも知れない。」
との言葉も残しています。

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モーリス・ルブラン:Maurice Leblanの。

ルブランは文学への貢献
(直接の理由は“国民的英雄・ルパン”の創造)によって
レジオンドヌール勲章を授与さました。

1941年にペルピニャンで亡くなりました。

亡くなる数週間前に、
「ルパンが私の周りに出没して何かと邪魔をする」
という趣旨の被害届を警察署に出しました。

そのため警察官が二十四時間態勢で警備し、
最期の日々の平穏を守られました。

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モーリス・ルブラン:Maurice Leblanは。

クロード・モネの絵で有名な大西洋岸の町エトルタには
彼の住居を基にした。
モーリス・ルブラン記念館、
通称「アルセーヌ・ルパンの隠れ家」があります。

またモネの絵の題材にもなった
有名なエトルタの岸壁はその頂上に登ると
崖の内部に潜れるようになっており、
「奇巌城で出てきた暗号」が。

そのまま金属プレートで掲示されています。

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モーリス・ルブラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3

モーリス・ルブラン(Maurice Leblanc, 1864年12月11日 - 1941年11月6日) は、フランスの小説家。紳士的な振る舞いの泥棒にして探偵「アルセーヌ・ルパン(Arsene Lupin)の生みの親として良く知られる(和訳版では「ルパン」の表記が一般的だが、よりフランス語の発音に近い「リュパン」という表記のものも存在する)。ルブランの「ルパン」は、しばしばイギリスの作家コナン・ドイルの生んだ「シャーロック・ホームズ」と対比される。

目次 [非表示]
1 生涯
2 作品
2.1 ルパンシリーズ
2.2 その他の小説
3 余談
4 外部リンク
5 関連項目

ルブランはフランス・ノルマンディー地方の都市ルーアンで生まれた。数ヵ国で学び、ロースクールを落第後、パリに居を構えて純文学系の心理小説を書きはじめた。ルブランのこの時期の小説はフローベールやモーパッサンらに影響され、文壇でこそ上々の評判を獲得したが、商業的には不成功に終わる。

転機はルブラン40代のときに訪れる。友人の編集者ピエール・ラフィットに依頼されて嫌々書いた「ルパン逮捕される」が大評判を博したのだ。以来、ルブランは次々とルパンものを書き続けることになる。明らかにコナン・ドイルの一連のホームズ作品の影響を受け、またそれに対する反動として描かれた、いたずら好きで魅惑的なルパンは驚くべき成功を収め、ルブランは名声と富を得た。1907年までにルパン小説は短編としての形式を脱し、評判と売り上げが上々であったため、結果的にルブランはその後、作家としての経歴と情熱のほとんどをルパンシリーズへ注ぎ込む事になった。

コナン・ドイルはホームズシリーズの成功に対してむしろ困惑し、生活を妨害されているようでさえあったという。またドイル自身も、自分が犯罪小説で成功することを、より「尊敬に値する」文学的情熱から遠ざけるものと見ていた、ともいわれている。

それと同様、ルブランももともと純文学・心理小説作家を志していた事もあり、犯罪小説、探偵小説であるルパンシリーズで名声を博する事に心を痛めていたといわれる。ドイルがホームズをライヘンバッハの滝に落としたのと同様、ルブランもルパンを1度自殺させている(「813」)。また、「ルパンが私の影なのではなく、私がルパンの影なのだ」という言葉などにもその苦悩の跡が見られる。が、晩年になってその自分の経歴も受け入れられるようになったと思われ、「ルパンとの出会いは事故のようなものだった。しかし、それは幸運な事故だったのかも知れない。」との言葉も残している。

ルブランは文学への貢献(直接の理由は“国民的英雄・ルパン”の創造)によってレジオンドヌール勲章を授与され、1941年にペルピニャンで亡くなった。 亡くなる数週間前に、「ルパンが私の周りに出没して何かと邪魔をする」という趣旨の被害届を警察署に出し、そのため警察官が二十四時間態勢で警備し、最期の日々の平穏を守った。

クロード・モネの絵で有名な大西洋岸の町エトルタには彼の住居を基にしたモーリス・ルブラン記念館、通称「アルセーヌ・ルパンの隠れ家」がある。[1]またモネの絵の題材にもなった有名なエトルタの岸壁はその頂上に登ると崖の内部に潜れるようになっており、奇巌城で出てきた暗号がそのまま金属プレートで掲示されている。

作品

ルパンシリーズ
アルセーヌ・ルパンを参照。

その他の小説
"Les Trois Yeux"(1920年)
『三つの眼』
"Le Formidable Evenement"(1921年)
『驚天動地』
『ノー・マンズ・ランド』
"Le Cercle rouge"(1922年)
『赤い輪』
"Dorothee, Danseuse de Corde"(1923年)
『女探偵ドロテ』
『綱渡りのドロテ』
"La Vie extravagante de Balthazar"(1925年)
『バルタザールの風変わりな毎日』
『バルタザールのとっぴな生活』
"Le Prince de Jericho"(1930年)
『ジェリコ公爵』
"De minuit a sept heures"(1932年)
『真夜中から七時まで』
"Le Chapelet rouge"(1934年)
『赤い数珠』

余談
モーリス・ルブランの妹ジョルジェット・ルブランは、
女優・歌手として活躍し、
一時期モーリス・メーテルリンクの愛人にもなった。
メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」を
オペラ化したドビュッシー作曲の同名作品の初演の際、
彼女の起用を巡って原作者と作曲家の両名が不和になったことが知られている。

外部リンク
伝記。 書誌学(フランス語)
ルブラン モーリス:作家別作品リスト(青空文庫)

関連項目
アルセーヌ・ルパン (「ルパン」シリーズの一覧) 
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3" より作成
カテゴリ: フランスの小説家 | フランスの推理作家 | SF作家 | 1864年生 | 1941年没

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12月11日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8811%E6%97%A5

できごと
1087年(寛治元年11月14日) - 後三年の役が終結する。

1637年(寛永14年10月25日) - 島原の乱が勃発する。

1816年 - インディアナ州がアメリカ合衆国に加入。19番目の州となる。

1913年 - 京都法政学校が私立立命館大学に改称。

1931年 - ウェストミンスター憲章がイギリス議会で採択されイギリス連邦発足。

1936年 - イギリス王エドワード8世退位。

1937年 - イタリアが国際連盟脱退。

1941年 - ドイツ・イタリアがアメリカ合衆国に宣戦布告。

1946年 - ユニセフ発足。

1957年 - 百円硬貨を発行。

1961年 - 大阪市営地下鉄中央線大阪港駅〜弁天町駅間が開業。

1967年 - 佐藤栄作首相が非核三原則を表明。

1971年 - アメリカ・リバタリアン党発足。

1972年 - アポロ17号月面着陸。

1977年 - 国鉄気仙沼線全線開通

1981年 - モハメド・アリ引退。

1994年 - 第一次チェチェン紛争勃発。

1994年 - 南大東島沖上空のフィリピン航空434便内で爆弾が爆発、日本人男性1名が死亡。

1996年 - 大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線心斎橋駅〜京橋駅間が延伸開業。
ならびに路線名を鶴見緑地線から改称。

1997年 - 地球温暖化防止京都会議(COP3)が閉幕、京都議定書が採択される。

1998年 - タイ国際航空のエアバスA310がスラタニ空港付近で墜落、101名が死亡。

2001年 - 中華人民共和国が世界貿易機関(WTO)加盟。

誕生日
1465年(寛正6年11月23日) - 足利義尚、室町幕府9代将軍(+ 1489年)

1725年 - ジョージ・メイソン、政治家(+ 1792年)

1803年 - エクトル・ベルリオーズ、作曲家(+ 1869年)

1843年 - ロベルト・コッホ、細菌学者(+ 1910年)

1856年(ユリウス暦11月29日)- ゲオルギー・プレハーノフ、ロシアの社会主義者(+ 1918年)

1864年 - モーリス・ルブラン、小説家(+ 1941年)

1892年 - ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ、テノール歌手(+ 1979年)

1898年 - 東海林太郎、歌手(+ 1972年)

1907年 - 佐伯千仭、刑法学者(+ 2006年)

1913年 - ジャン・マレー、俳優(+ 1998年)

1918年 - アレクサンドル・I・ソルジェニーツィン、小説家

1929年 - バーナード・クリック、政治学者

1930年 - 佐々淳行、初代内閣安全保障室長・評論家

1930年 - 松田清、元プロ野球選手(+ 2007年)

1931年 - オショウ、神秘家(+ 1990年)

1931年 - 山本富士子、女優

1935年 - フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ、インダストリアルデザイナー

1936年 - 山崎拓、政治家

1943年 - 加賀まりこ、女優

1945年 - ヤルノ・サーリネン - 元バイクレーサー(+ 1973年)

1948年 - 谷村新司、歌手

1948年 - サモ・ハン・キンポー、香港アクションスター
1952年 - 秋本治、漫画家
1954年 - 北原憲彦、元バスケットボール選手
1956年 - 原由子、ミュージシャン
1957年 - 松井五郎、作詞家
1958年 - 宮崎美子、女優
1959年 - 井手らっきょ、コメディアン
1961年 - 山岡勝、元プロ野球選手
1963年 - 田村直美、歌手
1964年 - 寺西秀人、元プロ野球選手
1965年 - 近田豊年、元プロ野球選手
1967年 - 保坂尚希、俳優
1969年 - 町田公二郎、元プロ野球選手、阪神タイガースコーチ
1970年 - 林家いっ平、落語家
1973年 - 小渕優子、政治家
1973年 - 石母田史朗、俳優・声優
1974年 - レイ・ミステリオ、プロレスラー
1975年 - 黒谷友香、女優
1975年 - 箕内拓郎、ラグビー選手
1978年 - TENN、MC(ET-KING)
1978年 - 洋介、ファッションモデル
1983年 - YOH、ミュージシャン(ORANGE RANGE)
1985年 - 田中康平、サッカー選手
1985年 - 嘉陽愛子、歌手
1986年 - 末吉秀太、歌手、AAAメンバー
1986年 - 若山愛美、タレント
1987年 - 颯太、俳優
1988年 - 長谷川徹、サッカー選手
2001年 - 小林海人、子役

忌日
1282年 - ルウェリン・アプ・グリフィズ、ウェールズ・グウィネズ公(* 1228年頃)

1282年 - ミカエル8世パレオロゴス、東ローマ帝国パレオロゴス王朝初代皇帝(* 1225年)

1474年 - エンリケ4世、カスティーリャ王国国王(* 1425年)

1784年 - アンダース・レクセル、天文学者(* 1740年)

1817年 - マリア・ヴァレフスカ、ナポレオンの愛人として知られる人物(* 1786年)

1826年 - マリア・レオポルディナ、ブラジル帝国皇后(* 1797年)

1840年(天保11年11月18日)- 光格天皇、第119代天皇(* 1771年)

1864年(元治元年11月13日)- 福原元僴、長州藩家老(* 1815年)

1909年 - ルードウィッヒ・モンド、化学者・実業家(* 1839年)

1932年 - 森恪、政友会衆議院議員(* 1882年)

1945年 - シャルル・ファブリ、天文学者(* 1867年)

1949年 - 堀尾文人、元プロ野球選手(* 1911年)

1950年 - 長岡半太郎、物理学者(* 1865年)

1956年 - 宮武三郎、元プロ野球選手(* 1907年)

1964年 - アルマ・マーラー、マーラーの夫人として知られる人物(* 1879年)

1964年 - サム・クック、ソウルミュージック・R&Bの歌手(* 1931年)

1967年 - ヴィクトル・デ・サバタ、指揮者(* 1892年)

1976年 - エルミア・デ・ホーリー、贋作画家(* 1906年)

1978年 - ヴィンセント・デュ・ヴィニョー、生化学者(* 1901年)

1981年 - 田辺茂一、出版事業家・紀伊國屋書店創業者(* 1905年)

1983年 - 斎藤佐次郎、児童文学雑誌出版者・金の星社創業者(* 1893年)

1984年 - 中西悟堂、野鳥研究家(* 1895年)

1986年 - 皆川定之、元プロ野球選手(* 1919年)

1989年 - 森川公也、俳優・声優(* 1932年)

1992年 - 岸洋子、歌手(* 1935年)

1993年 - 五来重、民俗学者(* 1908年)

2000年 - 白石勝巳、元プロ野球選手・監督(* 1918年)

2004年 - ノーザンテースト、競走馬(* 1971年)

2005年 - 小柳勇、元日本社会党参議院議員(* 1912年)

2005年 - 塩田晋、元民社党・新進党・自由党衆議院議員(* 1926年)

2007年 - 島岡達三、陶芸家(* 1919年)

記念日・年中行事
百円玉記念日(日本)
1957年12月10日に、補助貨幣として戦後最初の百円硬貨が発行されたことに由来。

ユニセフ創立記念日
1946年に国連児童基金(ユニセフ)の前身である
国連国際児童緊急基金が創立されたことに由来。

胃腸の日
「胃に良い→いにいい(1211)」
の語呂合わせに由来。日本大衆薬工業協会が2002年に制定。