東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月13日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月13日(土曜日)

「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
今は「冬」です。

「あと20日たらず」で今年が終わります。

これからいよいよに。
もっと深くふかまる「冬」。
ふかまる「冬」をすぎれば。
そこは雪国の「冬」です。
「冬」。
「冬」をむかえ。
そして。
「さらにふかい冬」を。
むかえようとしています。

「ふゆ」を「むかえよう」。
「くるとしつき」は「無我のうちにむかえよう」。

自在に「かんがえる」「自然」の「時の流れ」は。
真(まこと)の幸せ者です。

「ひたひた」とさらに深まりゆく「冬」。
「さくさく」とひびく日々の過ぎ去る足音は。

「とぼとぼ」と。
朝早くまだ暗い街中に聞こえるようにとおざかり。

「冬」にいすわらぬ「冬役者」があらわれる。
「冬の戯曲」の。

「冬将軍」のかけあしの音がきこえます。
「冬将軍」とはだれの「ことば」か。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王」は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

早いです。
速いものです。
速いのか早いのか。
はやいのか。

けさ暗いうち
地をはうような「木枯らし」の
風がふきました。

山茶花と「木枯らし」は相性が。
よくないようです。

「或は」極めて相性がよいのか。
どちらかです。

暗い寒い朝に。
山茶花(さざんか)の花びらが。
夜の間に木枯しの。
弓風に射られて。
白鷺の羽が舞いおりているようです。

ろうろうと鳴く。
こうろぎののなきごえ。

晩秋には早朝から
遠くにきこえました。
冬のこうろぎ。

「ろうろう」(朗々)と鳴いていました。
さびさびとした。

宙を舞う前の
「むささび」の声のような。
「なきごえ」でした。

そのこえも「いっぴき」くらいになり。
いまはもう「こうろぎ」の声もきこえません。
「木枯らし」の鳴き声にかわりました。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に霜柱の音」
が聞こえました。

不思議な「冬の霜柱の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」だけになりました。

「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」は。
早朝暗いうちになくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたいです。
面白い情景であるような気が致します。

「冬の霜柱の音」の声。
冬に「こうこう」と鳴く。
そして木枯らしの風音がくわわっていきます。

その木枯らし音の。
背景に流れる「通奏低音:
Generalbass;ゲネラル・バス」*
「冬のふゆかぜ」のこえは。
暗闇の「冬の足音」のように聞こえる。
暗い冬の日に。
「雪の降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
冬のあさの「あしおと」と「冬」のよるあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
木枯らしはトッカータ。


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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。

冬の夜明(よあけ)の空から。
冬の陽がのぼり。
冬の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く冬雲です。

あさの06:30AMころに。

東の空
ほのかにあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる冬の気配」を感じます。

冬野路はた見たりビロードのしだ
冬わらべのごときビロードのしだ
冬わらびのごとく輝けりビロードのしだ
冬山奥にひそむビロードのしだ
冬しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
冬めずらしき羊歯ビロードのしだ
冬ときわの緑のほのほビロードのしだ
冬山奥のしだのビロードのしだ
冬「まち」にもいきるビロードのしだ
冬けなげなりもあはれなりビロードのしだ
冬生い立ちしらずビロードのしだ
冬されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

冬いざいまこそは

冬よき季節にあらむ

冬ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は短くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「樹氷の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらにもっと深い冬」の気配がうつろいて。
うつります。

冬まちなみ蒼く(あおく)
冬いろどりて
冬木々の榛葉のかがやけり
冬暑さの夏秋をうつろひて
冬ふかまるみどりの冬木なり
冬しずまるみどりの冬木なり
冬みのりの冬こそありがたし
冬みのりの冬こそこひしかり
冬虫なきてささやけり
冬木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

1784年 - サミュエル・ジョンソン、文学者(* 1709年)
の没日です。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson,
1709年9月18日(ユリウス暦では9月7日) -
1784年12月13日)はイギリス(イングランド)の文学者です。
「英語辞典」(1755年)の編集で知られます。

またサミュエル・ジョンソン:Samuel Johnsonは
シェイクスピアの研究家としても知られます。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnsonの生涯
スタッフォードシャー州のリッチフィールド市生まれです。

父は書店主でありました。
オックスフォード大学で学ぶのですが中退致しました。

故郷に戻り教員になりました。
1735年、20歳年上で未亡人の
エリザベス・ポーター
(Elizabeth Porter 1689-1752年)と結婚に到ります。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnsonは。

1737年、ロンドンに出て、
悲劇を書いたり、新聞への寄稿を行いました。
1746年、「英語辞典」刊行計画を公表致しました。

アカデミー・フランセーズが
フランス語辞典(1694年)を
完成させるのに40年かかったことから。

個人で行うのは無理だと考えられました。
けれども
1755年に「英語辞典」2巻を完成させました。

この業績によりオックスフォード大学より
文学修士号を得ました。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnsonは。

1754年、キングスカレッジ
(後にコロンビア大学と改称)創立とともに。
初代学長兼教授に就任致しました。

1759年、小説『ラセラス』を執筆。

1763年、30歳年下のジェイムズ・ボズウェルと知り合い、
以後交友を結びました。

1765年、シェイクスピアの戯曲集を刊行致しました。

1776年に法学博士号をも得ました。
1784年に逝去。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnsonは。

クラブ向きの男
ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)
と呼ばれました。

クラブでの談論風発を好みました。

生涯にいくつかのクラブに加入しています。

特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの
呼びかけで創設された。
文学クラブ(The Literary Club)です。

創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、
エドマンド・バーク、
オリヴァー・ゴールドスミスら9人でした。

後にギャリック(David Garrick、俳優)、
ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わり、
ジョンソンの晩年には35人程になりました。

週1回の夜、居酒屋(tavern)で
食事の後に文学談義などを楽しむ集まりでした。

機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心でした。

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サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnsonの。
「エピソード」

弟子のスコットランド人、ジェイムズ・ボズウェルが著した
『サミュエル・ジョンソン伝』は。
数々の警句で知られるジョンソンを生き生きと描いており
人物伝の名著とされています。

「英語辞典」には時として偏見に満ちた記述も見られます。
(エンバクを参照)

ロンドンの高等法院近くにジョンソンの暮らした家
(ジョンソン博士の家[1])が保存されています。
「英語辞典」を完成させた家でもあります。

++++++++++++++++++++++

サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnsonの。

名言
When a man is tired of London, he is tired of life;
for there is in London all that life can afford.
- ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。
ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。
(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)

Hell is paved with good intentions.
- 地獄は善意で敷き詰められている。

Patriotism is the last refuge of a scoundrel.
- 愛国心は悪党が最後に逃げ込む場所だ。

There can be no friendship without confidence, and no confidence without integrity.
- 信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。

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サミュエル・ジョンソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3

サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson, 1709年9月18日(ユリウス暦では9月7日) - 1784年12月13日)はイギリス(イングランド)の文学者。「英語辞典」(1755年)の編集、シェイクスピアの研究で知られる。

目次
1 生涯
2 クラブ向きの男
3 エピソード
4 名言
5 文献
6 外部リンク
7 関連項目

生涯
スタッフォードシャー州のリッチフィールド市生まれ。父は書店主であった。オックスフォード大学で学ぶが中退し、故郷に戻り教員になった。1735年、20歳年上で未亡人のエリザベス・ポーター(Elizabeth Porter 1689-1752年)と結婚。1737年、ロンドンに出て、悲劇を書いたり、新聞への寄稿を行った。1746年、「英語辞典」刊行計画を公表。アカデミー・フランセーズがフランス語辞典(1694年)を完成させるのに40年かかったことから、個人で行うのは無理だと考えられたが、1755年に「英語辞典」2巻を完成させた。この業績によりオックスフォード大学より文学修士号を得た。

1754年、キングスカレッジ(後にコロンビア大学と改称)創立とともに、初代学長兼教授に就任。

1759年、小説『ラセラス』を執筆。1763年、30歳年下のジェイムズ・ボズウェルと知り合い、以後交友を結んだ。1765年、シェイクスピアの戯曲集を刊行。1776年に法学博士号を得た。1784年に逝去。

クラブ向きの男
ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設された文学クラブ(The Literary Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にギャリック(David Garrick、俳優)、ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。

エピソード
弟子のスコットランド人、ジェイムズ・ボズウェルが著した『サミュエル・ジョンソン伝』は数々の警句で知られるジョンソンを生き生きと描いており、人物伝の名著とされる。
「英語辞典」には時として偏見に満ちた記述も見られる。(エンバクを参照)
ロンドンの高等法院近くにジョンソンの暮らした家(ジョンソン博士の家[1])が保存されている。「英語辞典」を完成させた家である。

名言
When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. - ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)
Hell is paved with good intentions. - 地獄は善意で敷き詰められている。
Patriotism is the last refuge of a scoundrel. - 愛国心は悪党が最後に逃げ込む場所だ。
There can be no friendship without confidence, and no confidence without integrity. - 信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。

文献
サミュエル・ヂョンスン伝(神吉三郎訳、岩波文庫)
サミュエル・ジョンソン伝 全3巻(中野好之訳、みすず書房)
サミュエル・ジョンソン百科事典(パット・ロジャーズ著、日本ジョンソン・クラブ共訳、ゆまに書房)
James Boswell, The Life of Samuel Johnson, Facsimile Reprint of First Issue of the First Edition, bound with The Principal Corrections and Additions to the First Edition, 2 volumes (ISBN 978-4-901481-69-4) www.aplink.co.jp/synapse/4-901481-69-X.htm
ジョンソン博士の言葉(中野好之訳、みすず書房):ボズウェルの『サミュエル・ジョンソン伝』の簡略版
ジョンソン博士の『英語辞典』(ヘンリー・ヒッチングズ著、 田中京子訳、みすず書房)
シェイクスピア論 (吉田健一訳、創樹社):解題は福原麟太郎   

外部リンク
Life Of Johnson(Project Gutenberg)
PREFACE TO A DICTIONARY OF THE ENGLISH LANGUAGE(Project Gutenberg)

関連項目
イギリス文学
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3" より作成
カテゴリ: イギリス文学者 | イングランドの人物 | 1709年生 | 1784年没

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12月13日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8813%E6%97%A5

12月13日(じゅうにがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から347日目(閏年では348日目)にあたり、年末まであと18日ある。

2008年12月(師走)
日 月 火 水 木 金 土
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14 15 16 17 18 19 20
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目次
1 できごと
2 誕生日
3 忌日
4 記念日・年中行事
5 フィクションのできごと
5.1 誕生日
6 関連項目

できごと
1577年 - イギリスの軍人フランシス・ドレークが艦隊を率いてプリマスから世界周航に出発。

1874年 - 「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とする」
という太政官布告が出された。

1902年 - 哲学館に付与されていた卒業生に対する
教員免許の無試験交付特権が剥奪される(哲学館事件)

1937年 - 日本軍、南京を陥落させる。翌12月14日より
6週間の残敵掃討作戦が南京大虐殺の一端とされ、現在も論争になっている。

1939年 - ラプラタ沖海戦

1950年 - 地方公務員法公布

1973年 - フランスの新興宗教ラエリアン・ムーブメントの設立者
ラエルがエロヒムの啓示を受けたとされる。

1974年 - マルタがイギリス連邦内の共和国となる。

1981年 - ポーランド首相ヤルゼルスキが戒厳令を発令。

1991年 - NECホームエレクトロニクスがPCエンジンLT・SUPER CD-ROM2を発売。

2003年 - 名古屋市営地下鉄名城線 砂田橋駅〜名古屋大学駅間開業。

2003年 - ソニーがPSXを発売。

2004年 - 埼玉県さいたま市内の
量販店ドンキホーテ2店舗が相次いで放火され従業員3人が焼死(ドン・キホーテ放火事件)。

2004年 - ジャスダック証券取引所が
「店頭売買有価証券市場」から「取引所有価証券市場」へと業態転換。

2006年 - 著作権法違反幇助に問われた
Winnyの開発者に京都地方裁判所が罰金150万円の有罪判決を言い渡す。

誕生日
1520年 - シクストゥス5世、第227代ローマ教皇(+ 1590年)

1553年 - アンリ4世、フランス国王(+ 1610年)

1797年 - ハインリヒ・ハイネ、詩人(+ 1856年)

1816年 - ヴェルナー・フォン・ジーメンス、電気技術者(+ 1892年)

1841年(天保12年11月1日) - 赤松則良、海軍中将・貴族院議員(+ 1920年)

1880年 - 駒ヶ嶽國力、大相撲力士・元大関(+ 1914年)

1902年 - タルコット・パーソンズ、社会学者(+ 1979年)

1905年 - 島田正吾、俳優(+ 2004年)

1910年 - 入矢義高、中国文学研究家(+ 1998年)

1915年 - クルト・ユルゲンス、俳優(+ 1982年)

1919年 - ハンス・ヨアヒム・マルセイユ、ドイツ空軍のエース・パイロット(+ 1942年)

1923年 - フィリップ・アンダーソン、物理学者

1923年 - ラリー・ドビー、元メジャーリーガー(+ 2003年)

1924年 - 小倉昌男、実業家・ヤマト運輸元会長(+ 2005年)

1927年 - クリストファー・プラマー、俳優

1932年 - 仲代達矢、俳優

1934年 - リチャード・D・ザナック、映画プロデューサー

1943年 - ローカル岡、漫談家(+ 2006年)

1944年 - みなみらんぼう、歌手

1947年 - 山上たつひこ、漫画家

1951年 - 浅田次郎、作家

1952年 - 井筒和幸、映画監督

1957年 - スティーヴ・ブシェミ、俳優

1957年 - 藤正樹、歌手

1958年 - 樋口可南子、女優

1958年 - リン=ホリー・ジョンソン、フィギュアスケート選手・女優

1960年 - ジョー・リノイエ、作曲家・歌手

1961年 - モーリス・スミス、プロフェッショナルファイター

1963年 - 岡崎京子、漫画家

1963年 - 恩田快人、ベーシスト・元JUDY AND MARY

1964年 - hide、ギタリスト・アーティスト(X Japan)(+ 1998年)
1965年 - 園田健一、漫画家
1967年 - 織田裕二、俳優
1969年 - 柴崎浩、ギタリスト
1969年 - 古本新乃輔、俳優
1969年 - 石川英郎、声優
1972年 - 井戸田潤、スピードワゴン
1973年 - 黒木知宏、元プロ野球選手
1973年 - 角田晃広、東京03
1977年 - 綾部祐二、ピース
1978年 - BJペン、総合格闘家
1978年 - マキシマムザ亮君、マキシマムザホルモン
1979年 - 中村九郎、作家
1979年 - タナカ・アイコ、アダルトモデル
1980年 - 妻夫木聡、俳優
1981年 - エイミー・リー、歌手(エヴァネッセンス)
1982年 - 首藤真吾、ラジオDJ
1982年 - 瑛太、俳優
1982年 - 田中幸太朗、俳優
1982年 - 河相巧矢(センチライン)、ミュージシャン
1982年 - 木下あゆ美、女優
1982年 - 恩田美栄、女子フィギュアスケート選手
1982年 - Hi69、プロレスラー
1982年 - きこうでんみさ、タレント
1983年 - 山中美代子、マンゴスティン
1983年 - オティリア・イェジェイチャク、競泳選手
1984年 - 嶋基宏、プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
1985年 - 横峯さくら、プロゴルファー
1985年 - 水橋みく、AV女優
1985年 - アンディー・サイツ、フィギュアスケート選手
1988年 - 中山卓也、俳優
1995年 - 若葉美花子、子役
1998年 - 前田航基、子役

忌日
658年(斉明天皇4年11月11日) - 有間皇子、孝徳天皇の皇子(* 640年)

1204年 - モーシェ・ベン=マイモーン、ユダヤ教のラビ・哲学者(* 1135年)

1250年 - フリードリヒ2世、神聖ローマ皇帝(* 1194年)

1466年 - ドナテッロ、彫刻家(* 1386年)

1521年 - マヌエル1世、ポルトガル王(* 1469年)

1658年(万治元年11月19日) - 千宗旦、茶人(* 1578年)

1784年 - サミュエル・ジョンソン、文学者(* 1709年)

1828年(文政11年11月7日) - 本居春庭、国学者(* 1763年)

1840年 - ルイ・ド・ラ・ブルドンネ、チェスの非公式世界チャンピオン(* 1795年)

1864年(元治元年11月15日) - 中山忠光、江戸時代の公卿(* 1845年)

1867年(慶応3年11月18日) - 伊東甲子太郎、新選組参謀・御陵衛士盟主(* 1835年)

1867年(慶応3年11月18日) - 藤堂平助、新選組8番隊組長・御陵衛士(* 1844年)

1901年 - 中江兆民、思想家(* 1847年)

1911年 - トーマス・ブレーク・グラバー、貿易商(* 1838年)

1919年 - ヴォルデマール・フォークト、物理学者(* 1850年)

1930年 - フリッツ・プレーグル、医化学者(* 1869年)

1935年 - ヴィクトル・グリニャール、化学者(* 1871年)

1944年 - ワシリー・カンディンスキー、画家・美術理論家(* 1866年)

1950年 - エイブラハム・ウォールド、数学者(* 1902年)

1955年 - エガス・モニス、医学者(* 1874年)

1955年 - 赤松克麿、元衆議院議員(* 1894年)

1968年 - 佐藤千夜子、歌手(* 1897年)

1969年 - レイモンド・スプルーアンス、アメリカ海軍大将(* 1886年)

1969年 - 獅子文六、作家(* 1893年)

1977年 - 小原國芳、教育者・玉川学園創設者(* 1887年)

1981年 - コーネリアス・カーデュー、作曲家(* 1936年)

1983年 - 安岡正篤、陽明学者(* 1898年)

1987年 - クロード・トーマス・スミス、作曲家(* 1932年)

1999年 - ロバート・ワーゲンホッファー、フィギュアスケート選手(* 1960年)

2002年 - 小林章良、元プロ野球選手(* 1923年)

2004年 - デビッド・ホイーラー、計算機科学者(* 1927年)

2005年 - 阿子島たけし、音楽評論家(* 1940年)

2006年 - 永山武臣、実業家(* 1925年)

2007年 - メイ牛山、美容研究家(* 1911年)

記念日・年中行事
正月事始め・煤払い・松迎え
正月を迎える準備を始める日。
昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、
お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣があった。

江戸時代中期まで使われていた宣明暦では、
旧暦の12月13日の二十八宿は必ず「鬼」になっており、
鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、
正月の年神様を迎えるのに良いとして、この日が選ばれた。

聖ルチアの日 (Saint Lucy's day)
ヨーロッパに伝わる守護聖人の一人で、
眼・ガラス・農業の守護聖女といわれる聖ルチアの日。

双子の日
1874年(明治7年)に「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とする」
という太政官布告が出されたのを記念してもうけられた。

美容室の日
西洋髪結 正宗 卓 氏が 毎年12月13日を『美容室の日』とし、
美容業界からの社会貢献として2003年からスタート。
一年に一度『美容室の日』に、
お客様への感謝の気持ちをそれぞれのカタチで表現しつつ、
盲導犬の普及という社会貢献をカタチにしていきたいと呼びかける。
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先進国でありながら、
全国で盲導犬として活躍しているのは千頭に満たないという対応の遅れや、
盲導犬育成に様々な課題があるという部分に、
美容業界に通じるものを感じ、寄付の対象に選び、
募金活動で集められたものは、盲導犬協会へ全額寄付される。

ビタミンの日
鈴木梅太郎が、脚気を予防する成分を米糠から抽出し、
アベリ酸(後にビタミンB1)と命名して、
東京化学会で発表したのが、
1910年12月13日であったことを記念して、2000年9月に制定。