東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月18日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月18日(木曜日)

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月もおわりました。
夏はすぎました。
9月の秋はおわりました。
中秋10月がおわりました。
「11月」になりました。
今は晩秋「11月」もおわり「冬」。
「12月」です。

冬です。雪国の冬です。
けれどももうすぐ「冬至」を
むかえ冬至をすぐれば「陽」は日々たかくなり。
「1月」「2月」は寒い雪の「冬」
でも。
「春」そして「夏」に向かい
陽はたかくなっているのです。

まことに。
冬来たりなば春遠からじ
です。

(出 典は。
 イギリスの詩人シェリーの
『西風に寄せる歌』の一節。
英 語: 
If winter comes, can spring be far behind? )

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」
のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
いまは「12月」です。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようでした。
「春」はゆっくりとあるいてきます。
「春」をまつのであれば。
「春」のゆっくりと歩いてくるのをまたねば
なりません。

「あと14日足らずで」で。
「今年」はおわります。
そして。
「来年」になります。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてくる。

「来年」。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれません。
「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすめば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「秋雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ような「寒月」です。

06:30amころ日があければ。
くらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいがない「朝焼け色」の線描です。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

この「あおぞら」をみていると。

とても
信じられないくらいに。
元気がわいてくることに気が付きました。
「陽射し」の「めぐみ」のおかげでしょう。

「そら一杯の青空の天井」と
「太陽のひかりのひざし」は。
なによりもの「生きとし生けるもの」への。
「ごほうび」です。
そして「太陽のひかりのひざし」は
「いのちのめぐみ」です。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくむもの。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえるもの。
「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる
「いきるちから」をさずけるものです。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画を
彷彿とさせますです。
東山魁夷画伯は。
「よくえがかけたものです」。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば
今年も「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや「寒月」の「12月」です。

病院の庭園に「4本」ある
「金木犀:きんもくせい」の大木の
いずれもがこがねの花を

たんぽぽ
のように
枝にみのらせていました。
まだ「はつはな」で初々しかったです。
けれども「金木犀:きんもくせい」
は雨に打たれると。
花は地面にオレンジの緋色毛氈(ひいろもうせん)
のように落下致します。
オレンジ色の積雪のようです。

「金木犀:きんもくせい」に変わって
「銀木犀:きんもくせい」のプラチナ色の香りが

致しました。

冬になり。
「金木犀:きんもくせい」も
「銀木犀:きんもくせい」
も花はおわりました。

山茶花が蕾をふくらませています。
「やぶつばき」が蕾をふくらませています。

山茶花(さざんか)の「はなびら」が
そして今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
また地に舞い下りていました。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちったようです。
みつめれば。
木枯らしに弓射られた白鷺のはねのようでした。

ふと野草の花は一般的には。
香らない花が多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」で色は紫です。

ツタンカーメン王のまだ幼な子王妃が
「亡きツタンカーメンンにささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かぶ。
これは。
「野菊」です。
けれども「野菊」は香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころに
「木枯らし」がないていました。
「こおろぎ」のほかの。
「こおろぎ」の声も聞こえなくなりました。

「こおろぎ」のかわりに「木枯らし」が
鳴いている。

木枯らしがかわりに。
「ろうろう」「こうこう」とないています。

ふと。
「寒さにおびえる」ひとの気配がかんじられました。
はてだれだろうとおもえば。
うら若く苦労に苦労をかさねて
24歳にして世を去った「樋口一葉」。
樋口一葉の「わかき」「冬の短歌」がきこえるようです。

<

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべき雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

「24歳」の「とても貧しい乙女」の
かなしさの「おもかげ」と。
すばらしいお若い「御婦人」の「知」が。
如実によみとれます。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは速くなる。

しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵感」と「落胆感」は。
表裏一体。
両羽(もろば)の剣です。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものかもしれません。

「短くなる陽」は両羽(もろば)の剣を
持っています。

季節には「大気の音」があるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

「つつじ」の「花」が「春に」おわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

金木犀の大木が4本と銀木犀が2本
あります。

「中秋」をつたえるがごとく。
モクセイの木が「香り花」が開花致しました。

今は
「晩秋」。
「木犀:もくせい」の「花」は通り過ぎました。
「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。
山茶花(さざんか)も「やぶつばき」も私は「大好き」
な花木です。

「花」はみえない頃からもう
「金木犀:きんもくせい」
は「香っています」。
モクセイも秋にも若葉をだします。
「木犀:モクセイ」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この時期になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉する
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。
またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の紅葉の時期から。
そして冬の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「秋」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「秋若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる秋」をまちます。
「紅葉」の炎が。
樹木の上方で。
くすぶりまちわびてています。
冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宇宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」。
「秋から冬」
にむかう四季の。
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」
ならばよいです。

けれども
早朝は非常に寒くなりました。

冬やま中さまよいて
冬やま中をわけいらば
冬やま中大樹の根元に隠れたり
冬やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
冬やま中みつけたりやまの秋の華。
冬やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
冬やま中大樹の根元に隠れたり
冬山はぜの葉木。
冬やま中やまうるしの葉木。
冬やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
冬こす「はだか木」。
冬こす元気な木。たくましき木。

秋冬山萩(やまはぎ)の
秋冬花をかくして燃えたたむ
秋冬に実りの祭りなり
秋冬山はぜの葉炎
秋冬天高く燃ゆ

あきふゆやまはぎの
あきふゆはなをかくしてもえたたむ
あきふゆにみのりのまつりなり
あきふゆやまはせのほのほ
あきふゆてんたかくもゆ

ふゆひろくなりけり空(そら)たかし
ふゆさとやまに木々のみどり木
ふゆこもれびうけて燃えるがごとし
ふゆみどりの炎(ほのほ)
ふゆほのほうちけさむかすみはあおし
ふゆほのほにかすみにただよひて
ふゆうるわしくかがやきたり
ふゆあたたかくかおりたり
ふゆあざやかなりけり 
ふゆやまさとのやまみどり
ふゆやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
私が非常に興味をもっている。
妖艶な女性作曲家の生誕日です。
いわゆる「カリスマ性」をもっていたと
かんがえられますが。
それが「具体的には何かはわかえらない」。

かの有名な
ルノアールの絵画の
「ピアノの前のマンデスの娘たち」1888年
の絵画の女の子全員の「実の母親」といえば
おわかりいただけるでしょう。
(みな「アンデス」の正妻の子供ではなく
この「御婦人」の作曲家の「御嬢様」です)

今現在では「忘れ去られた女性作曲家」。

1847年 - オーギュスタ・オルメス、作曲家(+ 1903年)
の生誕日です。
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オ(ー)ギュスタ・オルメス
(Augusta Mary Anne Holmes,
1847年12月18日 - 1903年1月28日)は。
19世紀フランスの女性作曲家の先駆者です。

母親はアイルランド人でした。

オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmesは。
熱烈なワグネリアンだったことや。

また女性が職業芸術家になることが
はしたないとされた当時の風潮から。

当初は「ヘルマン・ゼンタ」
という偽名で作品を発表していました。

1871年に正式にフランスに帰化致します。

姓の綴りもホームズ(Holmes)から
オルメス(Holmes)に改めました。

主に舞台音楽や声楽曲の作曲家でありました。

自作の歌曲やオラトリオ、合唱交響曲やオペラに、
ワーグナーよろしく手ずから台本を執筆致します。

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmes
は。

現在では忘れられた作曲家の一人です。

けれども音楽家としての実力は大変なものでした。
オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmès
が亡くなった時。

クロード・ドビュッシーは音楽評論において
オルメスの訃報を「特集号」としてとりあげました。
これは非常に「異例なこと」です。
またクロード・ドビュッシーは
その作品を「健康な音楽である」と評しています。
「意味が判りません」。

またエセル・スマイスは。
最晩年のオルメスに表敬訪問を行なっています。

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:Augusta Mary Anne Holmes
は。

早期から楽才を示したにもかかわらず。

当時はパリ音楽院に女性の入学が許可
されてはいませんでした。

音楽学習への母親の強い反対があったことから。

母親の没後に。
個人教授についてピアノやオルガン、音楽理論を学びました。

フランツ・リストに作品を見せてフランツ・リストは
非常に驚き彼女を激励したということです。

1876年からセザール・フランクに作曲を師事致します。

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:Augusta Mary Anne Holmes
は。

カミーユ・サン=サーンスは。
音楽雑誌『和声と旋律 Harmonie et Melodie』にて
オ(ー)ギュスタ・オルメス:Augusta Mary Anne Holmès
のことを
次のように論じています。

「「御婦人」と「子供」は同じ特徴がある。
障害物をものともせず。
「御婦人」の意志力はあらゆる障壁をぶち破る。
マドモワゼル・オルメスは「御婦人」である。
それも過激な。」

シャルル・カミーユ・サン=サーンスは
「けなされる」音楽家ですら
「ほめる」ことで有名です。

シャルル・カミーユ・サン=サーンスが
これほど「辛口の批評」
をするからには。
オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmes
はやはり相当に。
「よくいえば」
「個性の強い」なかたであったと思います。
(ただし
サン=サーンスはオルメスの妖艶な女性美に魅入られ
ました。
たびたび結婚を申し入れています。)

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmes
は。

オルメスと有名な男性作曲家との関係については。

しばしば興味本位に取り上げられてきました。

例えば、サン=サーンスはオルメスの妖艶な女性美に魅入られ
ました。
たびたび結婚を申し入れました。

あるいは交響詩《オンファールの糸車》は
彼女をモデルとして作曲された・
といった逸話すら残されています。

サン=サーンスが初演した
フランクの《ピアノ五重奏曲 ヘ短調》は。
フランクのオルメスに対する
激情が隠されていると言われています。

またフランクの遺作となった
オルガンのための《3つのコラール》のうち第2番は。
オルメスに献呈されています。

だからといって。
フランクとオルメスが師弟以上の感情で結ばれていた
という確証があるわけではありません。

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmes
の子供達。

ルノアールの有名な絵画「ピアノの前のマンデスの娘たち」
1888年
の「御嬢様」はみな
オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmès
の「娘」です。

(みな正妻の子供でなく
オルメスに生ませた子供である)
オルメスは結婚しなかったのですが。

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmès
は。

妻子持ちの詩人カテュール・マンデスと同棲致します。
5人の子供をもうけました。

オルメスとマンデスは
ともに熱烈なワグネリアンであり。

オルメスがマンデスともうけた娘たちは。

同じく
ワグネリアンのルノアールのモデルをつとめました。

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmès
の失敗

オルメスは。

歌劇《黒い山 La Montagne Noire 》
(モンテネグロを舞台とした革命オペラ)の
大失敗によって負債を抱えるとともに。

これがもとでマンデスに捨てられました。

最晩年を借金返済と
養育のために過ごして健康を失いました。

++++++++++++++++++++++

オ(ー)ギュスタ・オルメス:
Augusta Mary Anne Holmes
は。
パリ万博の記念音楽を委嘱され。
1889年から、フランス革命100周年記念のカンタータ
《勝利のオード Ode Triomphale 》
に着手致しました。

これは演奏者と合唱を含めて。
1200人を要する文字通りの大作でした。

2つの交響詩《アイルランド Irlande 》や
《ポーランド Pologne 》は。
政治的な意図のある標題音楽です。

フランス新古典主義音楽が隆盛を極める時期まで。
フランスのオーケストラにたびたび取り上げられました。

最後の交響詩《アンドロメダ》は。

20世紀初頭に勃興しつつあった
フェミニズム運動を称揚する意図が含まれています。

これらの
オ(ー)ギュスタ・オルメス:Augusta Mary Anne Holmès
の自筆譜はパリ音楽院に遺贈されました。

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オーギュスタ・オルメス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B9

オ(ー)ギュスタ・オルメス(Augusta Mary Anne Holmes, 1847年12月18日 - 1903年1月28日)は19世紀フランスの女性作曲家の先駆者。母親はアイルランド人。熱烈なワグネリアンだったことや、女性が職業芸術家になることがはしたないとされた当時の風潮から、当初は「ヘルマン・ゼンタ」という偽名で作品を発表した。1871年に正式にフランスに帰化し、姓の綴りもホームズ(Holmes)からオルメス(Holmes)に改めた。主に舞台音楽や声楽曲の作曲家であり、自作の歌曲やオラトリオ、合唱交響曲やオペラに、ワーグナーよろしく手ずから台本を執筆した。現在では忘れられた作曲家の一人であるが、ドビュッシーは音楽評論においてオルメスの訃報をとりあげ、その作品を「健康な音楽である」と評している。またエセル・スマイスは、最晩年のオルメスに表敬訪問を行なっている。

早期から楽才を示したにもかかわらず、当時はパリ音楽院に女性の入学が許可されていなかったことと、音楽学習への母親の強い反対があったことから、母親の没後に、個人教授についてピアノやオルガン、音楽理論を学んだ。フランツ・リストに作品を見せて激励される。1876年からセザール・フランクに作曲を師事。

カミーユ・サン=サーンスは、音楽雑誌『和声と旋律 Harmonie et Melodie』において、次のように論じている。「女は子供と同じで、障害物をものともせず、女の意志力はあらゆる障壁をぶち破る。マドモワゼル・オルメスは女性である。それも過激な。」

オルメスと有名な男性作曲家との関係については、しばしば興味本位に取り上げられてきた。例えば、サン=サーンスはオルメスの妖艶な女性美に魅入られ、たびたび結婚を申し入れた、あるいは交響詩《オンファールの糸車》は彼女をモデルとして作曲された、といった逸話が残されている。サン=サーンスが初演したフランクの《ピアノ五重奏曲 ヘ短調》は、フランクのオルメスに対する激情が隠されていると言われており、またフランクの遺作となったオルガンのための《3つのコラール》のうち第2番は、オルメスに献呈されている。だからといってフランクとオルメスが師弟以上の感情で結ばれていたという確証があるわけではない。

ルノアール「ピアノの前のマンデスの娘たち」1888年(みな正妻の子供でなく、オルメスに生ませた子供である)オルメスは結婚しなかったが、妻子持ちの詩人カテュール・マンデスと同棲し、5人の子供をもうけた。オルメスとマンデスはともに熱烈なワグネリアンであり、オルメスがマンデスともうけた娘たちは、同じくワグネリアンのルノアールのモデルをつとめた。オルメスは歌劇《黒い山 La Montagne Noire 》(モンテネグロを舞台とした革命オペラ)の大失敗によって負債を抱えるとともに、これがもとでマンデスに捨てられ、最晩年を借金返済と養育のために過ごし、健康を失った。

パリ万博の記念音楽を委嘱され、1889年から、フランス革命100周年記念のカンタータ《勝利のオード Ode Triomphale 》に着手。これは演奏者と合唱を含めて、1200人を要する文字通りの大作であった。2つの交響詩《アイルランド Irlande 》や《ポーランド Pologne 》は、政治的な意図のある標題音楽であるが、フランス新古典主義音楽が隆盛を極める時期まで、フランスのオーケストラにたびたび取り上げられた。最後の交響詩《アンドロメダ》は、20世紀初頭に勃興しつつあった、フェミニズム運動を称揚する意図が含まれている。

オルメスの自筆譜はパリ音楽院に遺贈された。

参照項目
女性学
ジェンダー
以下の女性作曲家の生涯や作品についても参照のこと。
エリザベト=クロード・ジャケ=ド=ラ=ゲール
ファニー・メンデルスゾーン
クララ・シューマン
セシル・シャミナード
エセル・スマイス
エイミー・ビーチ
アルマ・マーラー
ナディア・ブーランジェ
リリ・ブーランジェ
ジェルメーヌ・タイユフェール

[編集] 評伝
『女性作曲家列伝』(平凡社、1999年03月、ISBN 4-582-84189-9)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B9" より作成
カテゴリ: ロマン派の作曲家 | オペラ作曲家 | フランスの作曲家 | アイルランド系フランス人 | 1847年生 | 1903年没表示本文 ノート 編集 履歴 個人用ツールログインまたはアカウント作成 ナビゲーション

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12月18日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8818%E6%97%A5

できごと
紀元前218年 - トレビアの戦い(第2次ポエニ戦争中の戦いの一つ)。

1352年 - インノケンティウス6世がローマ教皇に選出される。

1457年(長禄元年12月2日)- 長禄の変

1695年(元禄8年11月13日) -
生類憐れみの令に伴い、徳川綱吉が武蔵・中野村に16万坪の「お犬小屋」を設置する。

1787年 - ニュージャージー州がアメリカ合衆国に加盟。

1865年 - アメリカ合衆国憲法第13修正によってアメリカの奴隷制度が完全に廃止される。

1874年 - 東京の京橋〜銀座〜芝金杉橋の街路の両側に85基のガス燈が点火。

1898年 - 上野公園にある西郷隆盛像の除幕式が行われる。

1914年 - 第一次世界大戦開戦に伴い、
エジプトがオスマン帝国の名目上の宗主権から切り離される。

1914年 - 新橋駅に代わる東海道本線の旅客ターミナル駅として、
東京駅完成。20日より供用開始。

1926年 - 阪急今津線、西宮北口〜今津間開業。
西宮北口駅に神戸線との直角平面交差が生まれる(1984年に廃止)。

1945年 - ウルグアイが国際連合に加盟。

1956年 - 日本が国際連合に加盟。

1965年 - 日韓基本条約が批准され、両国の国交が成立。

1966年 - 土星の衛星エピメテウスが発見される。

1969年 - イギリスが死刑制度を廃止。

1970年 - 京浜安保共闘による上赤塚交番襲撃事件。襲撃犯1名が死亡。

1971年 - スミソニアン博物館での先進十カ国の蔵相会議の結果、
USドルと各国通貨との交換レートの見直しで合意(スミソニアン協定)、
1USドル=308円に切り上げられる。

1972年 - アメリカが北爆を再開(ベトナム戦争)。

1973年 - ソユーズ13号が打ち上げられる。

1978年 - ドミニカ国が国際連合に加盟。

1983年 - 第37回衆議院議員総選挙。

1987年 - ファイナルファンタジーシリーズ第1作発売。

1989年 - 東証株価指数(通称:TOPIX)が史上最高の2884.80ポイントを記録。

1997年 - W3CがHTML4.0を勧告。

1997年 - 大阪港トランスポートシステムテクノポート線・ニュートラムテクノポート線開業。

1997年 - 東京湾アクアライン開通。

1999年 - 大阪工業技術研究所と東北大金属材料研究所の研究グループが、
磁力を用いて完全な球体を作る。

2001年 - アメリカ・カリフォルニア州オーケランドの
統一地区教育委員会が黒人英語を英語に次ぐ第二言語とする決議を採択。

2002年 - 東京地下鉄株式会社法成立。

2005年 - 高松宮妃喜久子が薨去。それに伴い、当日予定されていた
紀宮清子内親王の婚約内定が延期される。

2007年 - 海上自衛隊の護衛艦であるこんごう型護衛艦の1番艦こんごうが
ハワイ・カウアイ島沖での弾道ミサイル迎撃実験で
スタンダードミサイルSM-3により、
高度100キロ以上の大気圏外を飛行する標的ミサイル1発の迎撃に成功。

誕生日
1507年(永正4年11月15日) - 大内義隆、周防国の戦国大名(+ 1551年)

1553年 - セザール・ド・ノートルダム、詩人、歴史家、画家(+ 1630年 ?)

1567年(永禄10年11月18日)- 立花宗茂、戦国武将・柳河藩主(+ 1643年)

1626年 - クリスティーナ、スウェーデン女王(+ 1689年)

1707年 - チャールズ・ウェスレー、メソジストの賛美歌作者(+ 1788年)

1817年(文化14年11月11日)- 杉田成卿、蘭学者(+ 1859年)

1818年(文政元年11月21日)- 岩瀬忠震、江戸幕府外国奉行(+ 1861年)

1847年 - オーギュスタ・オルメス、作曲家(+ 1903年)

1856年 - ジョゼフ・ジョン・トムソン、物理学者(+ 1940年)

1860年 - エドワード・マクダウェル、作曲家(+ 1908年)

1863年 - フランツ・フェルディナント、オーストリア皇太子(+ 1914年)

1865年(慶応元年11月1日)- 村上浪六、小説家(+ 1944年)

1870年 - サキ、作家(+ 1916年)

1879年 - パウル・クレー、画家(+ 1940年)

1886年 - タイ・カッブ、元メジャーリーガー(+ 1961年)

1888年 - 立川談志 (6代目)、落語家(+ 1952年)

1889年 - 熊沢寛道、日本の皇位請求者(+ 1966年)

1890年 - エドウィン・アームストロング、発明家(+ 1954年)

1895年 - 住谷悦治、経済学者(+ 1987年)

1897年 - フレッチャー・ヘンダーソン、ジャズピアニスト(+ 1952年)

1904年 - ジョージ・スティーヴンス、映画監督(+ 1975年)

1906年 - 兼子一、法学者(+ 1973年)

1911年 - ジュールズ・ダッシン、映画監督

1913年 - ヴィリー・ブラント、ドイツ連邦首相(+ 1992年)

1914年 - 松村達雄、俳優(+ 2005年)

1931年 - 北村弘一、俳優・声優(+ 2007年)

1931年 - アンドレ・S・ラバルト、映画評論家・映画監督・脚本家

1932年 - 吉川文夫、鉄道研究家(+ 2007年)

1934年 - 西崎義展、元プロデューサー

1939年 - マイケル・ムアコック、SF作家

1940年 - ジョン・クーパー、陸上競技選手(+ 1974年)

1943年 - キース・リチャーズ、ミュージシャン(ローリング・ストーンズのギタリスト)

1944年 - 伊勢孝夫、元プロ野球選手

1947年 - スティーヴン・スピルバーグ、映画監督

1947年 - 池田理代子、漫画家

1947年 - 布施明、歌手

1948年 - 福永洋一、JRA元騎手
1950年 - ランディ・カスティロ、ドラマー
1950年 - 佐藤政夫、元プロ野球選手
1953年 - 榎本一夫、ゲーム『桃太郎伝説』『桃太郎電鉄』のキャラクター「貧乏神」のモデルとなった会社社長
1954年 - 毛利八郎、関西テレビアナウンサー
1954年 - ローラント・クラウス、ドイツ左翼党連邦議会議員
1955年 - レイ・リオッタ、俳優
1955年 - 柴本浩行、俳優、声優
1958年 - 金沢次男、元プロ野球選手
1960年 - 植草一秀、経済評論家
1961年 - 伍代夏子、演歌歌手
1961年 - 沢田富美子、元歌手
1962年 - 河野陽吾、ミュージシャン
1963年 - ブラッド・ピット、俳優
1963年 - 小山力也、俳優・声優
1964年 - スティーブ・オースチン、プロレスラー(WWE所属)、俳優
1965年 - 松蔭浩之、現代美術家・写真家
1966年 - 江角マキコ、女優
1967年 - 小浦一優(芋洗坂係長)、お笑いタレント、振付師、ダンサー
1968年 - 山根善伸、元プロ野球選手
1969年 - サンチャゴ・カニサレス、サッカー選手
1969年 - 森田太、TOKYO FM編成製作局番組制作部専任部長
1970年 - DMX、ラッパー
1970年 - 藤本敏史(FUJIWARA)、お笑いタレント
1970年 - マイク・グラン、元プロ野球選手
1971年 - アランチャ・サンチェス、テニス選手
1972年 - 武田真治、俳優
1972年 - 少覚一、SUPER BELL"Zメンバー
1972年 - クリス・シールバック、プロ野球選手
1973年 - ファツマ・ロバ、マラソン選手
1974年 - マザリーヌ・パンジュ、小説家
1974年 - ランス・カーター、プロ野球選手
1974年 - 飯沼誠司、ライフセーバー・俳優
1975年 - 住谷正樹(レイザーラモンHG)、お笑いタレント
1975年 - 栗原由佳、キャスター
1975年 - 宇佐美康広、元プロ野球選手
1976年 - 小雪、女優
1976年 - 佳田玲奈、タレント
1976年 - 葵千智、タレント
1976年 - あだち理絵子、タレント
1977年 - 戸越亜希子、鹿児島テレビアナウンサー
1978年 - ケイティ・ホームズ、女優
1978年 - 三輪ひとみ、女優
1978年 - ナオミ・ラング、フィギュアスケート選手
1979年 - 市野世龍、ファッションモデル
1980年 - 小野寺昭憲、映画監督
1980年 - クリスティーナ・アギレラ、歌手
1980年 - マリアン・ドラグレスク、体操選手
1980年 - 紀谷奈穂、タレント
1980年 - 松元ユウイチ、プロ野球選手
1981年 - 松岡由樹、タレント
1981年 - 駿馬秀二、大相撲力士
1981年 - ジェレミー・アッカード、メジャーリーガー
1983年 - 葉里真央、タレント、お菓子系アイドル
1983年 - 渡邉邦門、俳優
1983年 - 梶本勇介、プロ野球選手
1984年 - 矢吹春奈、タレント
1984年 - 田中大輔、プロ野球選手
1987年 - 安藤美姫、フィギュアスケート選手
1987年 - 迫田さおり、女子バレーボール選手(東レ)
1987年 - 絢香、歌手
1987年 - 於保佐代子、タレント
1989年 - アリーナ・ウシャコワ、フィギュアスケート選手
1990年 - 森下明美、タレント
1991年 - 井上奈瑠、AKB48
1992年 - 鈴木菜絵、AKB48
1996年 - 齋藤隆成、俳優
2000年 - 清水優哉、子役

忌日
807年(大同2年11月12日)- 伊予親王、平安時代の皇族

807年(大同2年11月12日)- 藤原吉子、桓武天皇の夫人

1538年(天文7年11月27日)- 松平信定、戦国武将

1603年(慶長8年11月16日)- 里見義康、館山藩主(* 1573年)

1726年 - ゲオルク・ヴィルヘルム、バイロイト侯領の辺境伯(* 1678年)

1737年 - アントニオ・ストラディバリ、弦楽器製作者(* 1644年)

1752年(宝暦2年11月13日)- 宮川長春、浮世絵師(* 1682年)

1803年 - ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー、哲学者・詩人(* 1744年)

1847年(弘化4年11月11日)- 馬淵嘉平、石門心学者・土佐藩士(* 1789年)

1848年 - ベルナルト・ボルツァーノ、哲学者・数学者(* 1781年)

1869年 - ルイス・モロー・ゴットシャルク、作曲家(* 1829年)

1892年 - リチャード・オーウェン、生物学者(* 1804年)

1910年 - 向山慎吉、日本海軍の中将(* 1856年)

1919年 - ホレイショ・パーカー、作曲家(* 1863年)

1932年 - エドゥアルト・ベルンシュタイン、社会民主主義の思想家(* 1850年)

1944年 - 山本信哉、歴史学者・神道学者(* 1873年)

1944年 - グレン・ミラー、ジャズアーティスト、作曲家、トロンボーン奏者(* 1904年)

1945年 - 皿井立三郎、医師・俳人(* 1870年)

1951年 - 北脇昇、画家(* 1901年)

1952年 - エルンスト・シュトローマー、古生物学者(* 1870年)

1956年 - 猪子一到、実業家(* 1891年)

1960年 - 寿々喜多呂九平、脚本家・映画監督・映画プロデューサー(* 1899年)

1961年 - フリードリッヒ・ドミン、俳優(* 1902年)

1971年 - 佐藤尚武、外交官・外務大臣・第2-3代参議院議長(* 1882年)

1971年 - ボビー・ジョーンズ、ゴルファー(* 1902年)

1974年 - ハリー・フーパー、メジャーリーグベースボール選手(* 1887年)

1976年 - 大野竹二、日本海軍の少将(* 1894年)

1977年 - 西沢道夫、プロ野球選手・監督(* 1921年)

1980年 - アレクセイ・コスイギン、ソビエト連邦首相(* 1904年)

1982年 - ハンス・ウルリッヒ・ルーデル、ドイツ空軍のエース・パイロット(* 1916年)

1984年 - 竜崎勝、俳優(* 1940年)

1987年 - コニー・プランク、音楽プロデューサー(* 1943年)

1990年 - ポール・トルトゥリエ、チェロ奏者(* 1914年)

1990年 - 堀田庄三、元住友銀行頭取(* 1899年)

1990年 - 林忠彦、写真家(* 1918年)

1993年 - サム・ワナメイカー、俳優・映画監督(* 1919年)

1994年 - ロジェ・アペリー、数学者(* 1916年)

1995年 - コンラート・ツーゼ、コンピュータ技術者(* 1910年)

1996年 - 武原英子、女優(* 1946年)

1997年 - 井上正治、法学者(* 1920年)

1997年 - 多摩豊、編集者・ゲーム評論家(* 1962年)

1999年 - ロベール・ブレッソン、映画監督(* 1901年)

2000年 - カースティ・マッコール、ミュージシャン(* 1959年)

2004年 - 宣仁親王妃喜久子、高松宮宣仁親王の妃、徳川慶喜の孫、皇族(* 1911年)

2006年 - ジョセフ・バーベラ、アニメーター(* 1911年)

2007年 - 米田雄介、歴史学者(* 1936年)

2007年 - 宮内和之、ギタリスト(ICE)(* 1964年)

記念日・年中行事
国連加盟記念日/国連加盟承認の日(日本)
1956年12月18日に日本の国際連合加盟案が全会一致で可決され、
国連加盟が承認されたことに由来し、外務省が制定。