東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月20日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月20日(土曜日)

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今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
今は「冬」です。

「あと10日たらず」で今年が終わります。

これからいよいよに。
もっと深くふかまる「冬」。
ふかまる「冬」をすぎれば。
そこは雪国の「冬」です。
「冬」。
「冬」をむかえ。
そして。
「さらにふかい冬」を。
むかえようとしています。

「ふゆ」を「むかえよう」。
「くるとしつき」は「無我のうちにむかえよう」。

自在に「かんがえる」「自然」の「時の流れ」は。
真(まこと)の幸せ者です。

「ひたひた」とさらに深まりゆく「冬」。
「さくさく」とひびく日々の過ぎ去る足音は。

「とぼとぼ」と。
朝早くまだ暗い街中に聞こえるようにとおざかり。

「冬」にいすわらぬ「冬役者」があらわれる。
「冬の戯曲」の。

「冬将軍」のかけあしの音がきこえます。
「冬将軍」とはだれのつくった「ことば」か。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王」は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

早いです。
速いものです。
速いのか早いのか。
はやいのか。

けさ暗いうち
地をはうような「木枯らし」の
風がふきました。

「山茶花(さざんか)」と「木枯らし」は相性が。
よくないようです。

「或は」極めて相性がよいのか。
どちらかです。

暗い寒い朝に。
山茶花(さざんか)の花びらが。
夜の間に木枯しの。
弓風に射られて。
白鷺の羽が舞いおりているようです。

ろうろうと鳴く。
こうろぎののなきごえ。

晩秋には早朝から
遠くにきこえました。
冬のこうろぎ。

「ろうろう」(朗々)と鳴いていました。
さびさびとした。

宙を舞う前の
「むささび」の声のような。
「なきごえ」でした。

そのこえも「いっぴき」くらいになり。
いまはもう「こうろぎ」の声もきこえません。
いまは。
「木枯らし」の鳴き声にかわりました。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に霜柱の音」
が聞こえました。

不思議な「冬の霜柱の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」だけになりました。

「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」は。
早朝暗いうちになくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたいです。
面白い情景であるような気が致します。

「冬の霜柱の音」の声。
冬に「こうこう」と鳴く。
そして木枯らしの風音がくわわっていきます。

その木枯らし音の。
背景に流れる「通奏低音:
Generalbass;ゲネラル・バス」*
「冬のふゆかぜ」のこえは。
暗闇の「冬の足音」のように聞こえる。
暗い冬の日に。
「雪の降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
冬のあさの「あしおと」と「冬」のよるあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
木枯らしはトッカータ。


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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。

冬の夜明(よあけ)の空から。
冬の陽がのぼり。
冬の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く冬雲です。

あさの06:30AMころに。

東の空
ほのかにあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる冬の気配」を感じます。

冬野路はた見たりビロードのしだ
冬わらべのごときビロードのしだ
冬わらびのごとく輝けりビロードのしだ
冬山奥にひそむビロードのしだ
冬しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
冬めずらしき羊歯ビロードのしだ
冬ときわの緑のほのほビロードのしだ
冬山奥のしだのビロードのしだ
冬「まち」にもいきるビロードのしだ
冬けなげなりもあはれなりビロードのしだ
冬生い立ちしらずビロードのしだ
冬されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

冬いざいまこそは

冬よき季節にあらむ

冬ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は短くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「樹氷の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらにもっと深い冬」の気配がうつろいて。
うつります。

冬まちなみ蒼く(あおく)
冬いろどりて
冬木々の榛葉のかがやけり
冬暑さの夏秋をうつろひて
冬ふかまるみどりの冬木なり
冬しずまるみどりの冬木なり
冬みのりの冬こそありがたし
冬みのりの冬こそこひしかり
冬虫なきてささやけり
冬木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

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平成20年3月20日(木曜日)
は祝日です。
けれどもこの日は「もともと「休診日」」
なのです。

平成20年3月20日(木曜日は
休日診療は行いません。
は終わりました

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平成20年
4月29日(火曜日)はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。

7月21(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は終わりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。
私の「大好き」なピアニストのお一人。

今現在は「英国:United Kingdom UK」で活躍され。
2001年、英国エリザベス女王より。
「サー」に続くCBE勲章(大英帝勲章)を
授与された「御婦人」の日本人ピアニスト。
1972年以来、ロンドンに居住され。

「世界最高の知性100人」にも選ばれた。
EU理事会対外・政治軍事総局長である
ロバート・クーパー氏を私生活上での
パートナーとしているピアニスト。

「世界的ピアニスト」の。
「意義」と「特性」とは「何か」という命題から
興味深い。

1948年 - 内田光子、ピアニスト
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++
内田 光子(うちだ みつこ、1948年12月20日 - )
は。
静岡県熱海市生まれです。

イギリス在住の日本人ピアニストです。
オランダ・フィリップス社所属。

福山賞受賞。第3回飛騨古川音楽大賞受賞。
1990年ロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティ・
チャーールズ・ハイドシェック特別賞受賞。
1986年度サントリー音楽賞受賞、
1996年度朝日賞受賞。

2001年、英国エリザベス女王より
「サー」に続くCBE勲章(大英帝勲章)を授与。

2005年文化功労者に選出。

++++++++++++++++++++++

内田 光子:うちだ みつこ氏の早年期

桐朋学園の「子供のための音楽教室」にて。
松岡貞子に学びました。
父親が外交官であったため12歳で渡欧致しました。

1961年からオーストリアのウィーン音楽院で
リヒャルト・ハウザーに師事致しました。

同時期に、留学中の寺田悦子が同音楽院に在籍し、
互いに切磋琢磨したということです。

その後もヴィルヘルム・ケンプ、
ステファン・アスケナーゼ、
ニキタ・マガロフらの薫陶を受けました。

その後、一時帰国するが、再び渡欧。

ロンドンでは一時、マリア・クルチオなどにも
師事致しました。

++++++++++++++++++++++

内田 光子:うちだ みつこ氏の受賞歴

1960年代からのいわゆる“コンクール荒らし”は有名です。
1966年のミュンヘン国際音楽コンクールで1位なしの第3位、
1968年のエリザベート王妃国際コンクールで第10位、
1969年のウィーン・ベートーヴェン国際コンクールで第1位、
1970年のショパン国際ピアノコンクールで第2位銀賞
(現在まで日本人最高位)。
1973年のルツェルン音楽祭でのクララ・ハスキル・コンクール
で第2位、
1975年のリーズ国際コンクールとレーヴェントリット国際コンクール
で第2位となりました。

++++++++++++++++++++++

内田 光子:うちだ みつこ氏の。
ロンドンから世界へ。

1972年に活動の本拠地をウィーンからロンドンに移しました。

以後はここを中心に活躍到ります。

演奏会も自主開催し大手レコード会社からの
オファーもありませんでした。

帰国しては少しでも生活の足しにと。
公開レッスンなども行っていた様に。
70年代は不遇でした。

++++++++++++++++++++++

内田 光子:うちだ みつこ氏は。
しかし、1982年、ロンドン、ウィグモア・ホールでの
モーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」。

続いて1984年にイギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏した
モーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏会を契機に。

フィリップスにモーツァルトのピアノ・ソナタと
ピアノ協奏曲全曲録音を行いました。

これら一連のチクルスは空前の大成功を収めました。

名実ともに「世界のウチダ」として。
一躍世界的な名声を不動のものと致しました。

++++++++++++++++++++++

内田 光子:うちだ みつこ氏は。

世界のUchidaとして
1971年、英国ウィグモア・ホールでの演奏会にて。
ロンドン・デビュー。

1984年、小澤征爾の指揮する
ベルリン・フィル定期演奏会
(バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番、メシアン:異国の鳥たち)
にデビュー致しました。

それ以降、世界の全てのメジャー・オーケストラの定期演奏会、
そしてザルツブルク音楽祭、
プロムス、タングルウッド音楽祭、
ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となりました。

++++++++++++++++++++++

内田 光子:うちだ みつこ氏は。
1991年、殿堂カーネギー・ホールにてデビューリサイタル。

現在はリチャード・グードとともに。
米国マールボロ音楽祭のディレクターを務めています。

最近では、室内楽への取り組み、マスタークラス、
そして若手音楽家への支援に力を注いでいます。

++++++++++++++++++++++

内田 光子:うちだ みつこ氏の。

レパートリー&レコーディング
レパートリーは、バッハからメシアン
に至るまで幅広いです。

最近では、クルターク、リゲティ、バートウィッスル、
そして武満徹なども取り上げています。

レコーディングには大変慎重です。

現在までに、モーツァルト、ショパン、シューベルト、シューマン、
ベートーヴェン、ドビュッシー、シェーンベルク、ヴェーベルン、
ベルクなどの作品を録音しており。

米国グラミー賞ノミネート、
英国グラモフォン賞、
BBCディスク大賞、
日本レコードアカデミー賞など
世界各国の賞を授与されています。

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内田 光子:うちだ みつこ氏の。

演奏活動

来シーズン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の
レジデンス・ピアニストに選ばれました。

数々の室内楽や協奏曲公演を行います。
2009年1月には、ザルツブルグのモーツァルト週間に登場致します。
リサイタルや。
小澤征爾指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演。

夏には、ルツェルン音楽祭、
そして三年連続でザルツブルグ音楽祭に登場。

クレメンス・ハーゲン、マーク・スタインバーグとの室内楽演奏会、
マグダレナ・コジェナーとの歌曲リサイタル。

そして2009年11月には、待望の来日公演が予定されています。

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内田 光子:うちだ みつこ氏は。

1972年以来、ロンドンに居住されています。

私生活上でのパートナーは、
「世界最高の知性100人」にも選ばれた。

EU理事会対外・政治軍事総局長である
ロバート・クーパー氏。

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内田 光子:うちだ みつこ氏の。

余談
1977年、NHK-FMでの
「最初の自主制作に於いてのPCMデジタル録音」
(東京ローカルの「FMリクエストアワー」での放送用)の
ピアノ演奏をしたのは彼女でした。
曲目は、ハイドン作曲のピアノソナタでした。

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内田光子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%85%89%E5%AD%90

内田 光子(うちだ みつこ、1948年12月20日 - )は、静岡県熱海市生まれ、イギリス在住の日本人ピアニスト。オランダ・フィリップス社所属。福山賞受賞。第3回飛騨古川音楽大賞受賞。1990年ロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティ・チャーールズ・ハイドシェック特別賞受賞。1986年度サントリー音楽賞受賞、1996年度朝日賞受賞。2001年、英国エリザベス女王より「サー」に続くCBE勲章(大英帝勲章)を授与。2005年文化功労者に選出。

目次
1 略歴
1.1 早年期
1.2 受賞歴
1.3 ロンドンから世界へ
1.4 世界のUchidaとして
2 レパートリー&レコーディング
3 演奏活動
3.1 来シーズン
3.2 私生活
4 余談

略歴

早年期
桐朋学園の「子供のための音楽教室」にて、松岡貞子に学ぶ。父親が外交官であったため、12歳で渡欧。1961年からオーストリアのウィーン音楽院でリヒャルト・ハウザーに師事する。同時期に、留学中の寺田悦子が同音楽院に在籍し、互いに切磋琢磨したという。その後もヴィルヘルム・ケンプ、ステファン・アスケナーゼ、ニキタ・マガロフらの薫陶を受ける。その後、一時帰国するが、再び渡欧。 ロンドンでは一時、マリア・クルチオなどにも師事する。

受賞歴
1960年代からのいわゆる“コンクール荒らし”は有名で、1966年のミュンヘン国際音楽コンクールで1位なしの第3位、1968年のエリザベート王妃国際コンクールで第10位、1969年のウィーン・ベートーヴェン国際コンクールで第1位、1970年のショパン国際ピアノコンクールで第2位銀賞(現在まで日本人最高位)。1973年のルツェルン音楽祭でのクララ・ハスキル・コンクールで第2位、1975年のリーズ国際コンクールとレーヴェントリット国際コンクールで第2位となった。

ロンドンから世界へ
1972年に活動の本拠地をウィーンからロンドンに移し、以後はここを中心に活躍するが、演奏会も自主開催し大手レコード会社からのオファーもなく、帰国しては少しでも生活の足しにと、公開レッスンなども行っていた様に、70年代は不遇であった。しかし、1982年、ロンドン、ウィグモア・ホールでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」、続いて1984年にイギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏会を契機に、フィリップスにモーツァルトのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲全曲録音を行う。 これら一連のチクルスは空前の大成功を収め、名実ともに「世界のウチダ」として、一躍世界的な名声を不動のものとした。

世界のUchidaとして
1971年、英国ウィグモア・ホールでの演奏会にて、ロンドン・デビュー。1984年、小澤征爾の指揮するベルリン・フィル定期演奏会(バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番、メシアン:異国の鳥たち)にデビューする。それ以降、世界の全てのメジャー・オーケストラの定期演奏会、そしてザルツブルク音楽祭、プロムス、タングルウッド音楽祭、ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となった。1991年、殿堂カーネギー・ホールにてデビューリサイタル。現在はリチャード・グードとともに、米国マールボロ音楽祭のディレクターを務めている。最近では、室内楽への取り組み、マスタークラス、そして若手音楽家への支援に力を注いでいる。

レパートリー&レコーディング
レパートリーは、バッハからメシアンに至るまで幅広く、最近では、クルターク、リゲティ、バートウィッスル、そして武満徹なども取り上げている。 レコーディングには大変慎重で、現在までに、モーツァルト、ショパン、シューベルト、シューマン、ベートーヴェン、ドビュッシー、シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクなどの作品を録音しており、米国グラミー賞ノミネート、英国グラモフォン賞、BBCディスク大賞、日本レコードアカデミー賞など世界各国の賞を授与されている。

演奏活動

来シーズン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のレジデンス・ピアニストに選ばれ、数々の室内楽や協奏曲公演を行う。2009年1月には、ザルツブルグのモーツァルト週間に登場。リサイタルや、小澤征爾指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演、夏には、ルツェルン音楽祭、そして三年連続でザルツブルグ音楽祭に登場。クレメンス・ハーゲン、マーク・スタインバーグとの室内楽演奏会、マグダレナ・コジェナーとの歌曲リサイタル。そして2009年11月には、待望の来日公演が予定されている。

私生活
1972年以来、ロンドンに居住。私生活上でのパートナーは、
「世界最高の知性100人」にも選ばれた、
EU理事会対外・政治軍事総局長であるロバート・クーパー氏。

余談
1977年、NHK-FMでの最初の自主制作に於いてのPCMデジタル録音
(東京ローカルの「FMリクエストアワー」での放送用)の
ピアノ演奏をしたのも彼女だった。曲目は、ハイドン作曲のピアノソナタであった。

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12月20日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8820%E6%97%A5

できごと
69年 - ローマ皇帝ウィテリウスが対抗皇帝ウェスパシアヌスに敗れて殺害される。
内乱期の終結。

1582年 - フランスがグレゴリオ暦を採用する(後に中断)。

1857年(安政4年11月5日) - 吉田松陰が松下村塾を開講する。

1904年 - 三越呉服店創立。三井との連名で「デパートメントストア」宣言を行う。

1914年 - 東京駅開業。横浜の高島町駅までとの間で京浜線電車の運行を開始。

1917年 - ソ連初の秘密警察「チェーカー」設立。

1940年 - 小田原市市制施行。

1948年 - 「日本専売公社法」「日本国有鉄道法」公布。

1952年 - 東京・青山に東京ボウリングセンターが開場。日本初の民間ボウリング場。

1961年 - 国連総会で、宇宙空間の平和利用の為の国際協力を決議。

1968年 - 長野放送がサービス放送を開始(1969年3月31日まで)

1969年 - 営団地下鉄千代田線開業(北千住駅〜大手町駅間)。

1970年 - コザ暴動。

1973年 - 城みちるがシングル『イルカにのった少年』で歌手デビュー。

1984年 - 電電公社民営化法など関連3法が成立。

1991年 - トイザらスの日本第一号店が茨城県稲敷郡阿見町に開店。

1999年 - ポルトガルから中華人民共和国へマカオが返還される。

2000年 - 新潟県民エフエム放送が開局。

誕生日
1537年 - ヨハン3世、スウェーデン・ヴァーサ朝第3代国王(+ 1592年)

1851年 - クヌート・ヴィクセル、経済学者(+ 1926年)

1856年 - アンドリュー・セス、哲学者(+ 1931年)

1858年 - ヤン・トーロップ、画家(+ 1928年)

1864年(元治元年11月22日) - 竹内栖鳳、日本画家(+ 1912年)

1868年 - ハーベイ・ファイアストーン、実業家・ファイアストン社創業者(+ 1938年)

1873年 - 朝河貫一、歴史学者(+ 1948年)

1890年 - 柴田徳次郎、教育者(+ 1973年)

1897年 - 呉茂一、西洋古典学者(+ 1977年)

1901年 - 保利茂、政治家、第59代衆議院議長(+ 1979年)

1902年 - 出羽ヶ嶽文治郎、大相撲力士(+ 1950年)

1904年 - 藤本定義、野球選手・監督(+ 1981年)

1907年 - 藤枝静男、作家(+ 1993年)

1907年 - 竹内理三、歴史学者(+ 1997年)

1921年 - 五味康祐、作家(+ 1980年)

1922年 - ジョージ・ロイ・ヒル、映画監督(+ 2002年)

1925年 - マハティール・ビン・モハマド、マレーシア第4代首相

1927年 - 金泳三、第14代韓国大統領

1935年 - 沢りつお、声優

1935年 - 関口房朗、実業家・競走馬馬主

1938年 - 広瀬襄、映画監督

1940年 - 辻佳紀、元プロ野球選手(+ 1989年)

1940年 - 野口悠紀雄、経済学者

1941年 - タイガー立石、画家・漫画家・絵本作家・陶芸家(+ 1998年)

1942年 - 金子一義、政治家

1942年 - 岩尾正隆、俳優

1942年 - ジャン=クロード・トリシェ、欧州中央銀行総裁

1946年 - ユリ・ゲラー、超能力者

1947年 - 大矢明彦、元プロ野球選手・監督

1948年 - 内田光子、ピアニスト

1949年 - 加藤初、元プロ野球選手
1951年 - 鈴木茂、ギタリスト
1951年 - 高橋寛、元プロ野球選手
1954年 - 高橋正巳、元プロ野球選手
1955年 - マルティン・シュルツ、政治家
1955年 - 野田秀樹、劇作家
1958年 - 桂小米朝(三代目)、落語家
1958年 - 速見圭、声優
1959年 - 草上仁、小説家
1959年 - 中山竹通、ソウルオリンピック・バルセロナオリンピックマラソン代表
1960年 - 桑田茂、元プロ野球選手
1961年 - フレディ・スペンサー、オートバイ・レーサー
1963年 - 奴田原文雄、レーシングドライバー
1963年 - 三井比佐子、元歌手
1964年 - マーク・コールマン、総合格闘家
1965年 - 服部義夫、アナウンサー
1966年 - 葛城七穂、女優・声優
1966年 - 冬馬由美、声優
1968年 - カール・ヴェンドリンガー、レーシングドライバー
1969年 - 池森秀一、ミュージシャン(DEEN)
1969年 - 横山智佐、声優
1969年 - 荻原健司、国会議員
1969年 - 荻原次晴、スポーツコメンテーター
1969年 - ナデジダ・グラチョーワ、バレリーナ
1971年 - マーク・バルデス、元プロ野球選手
1972年 - 力皇猛、プロレスラー・力士
1973年 - 浅越ゴエ、漫談家・お笑いタレント
1973年 - 桜井幸子、女優
1974年 - Die、ギタリスト (Dir en grey)
1975年 - 和佐由紀子、アナウンサー
1975年 - 桜井涼子、元AV女優、ストリッパー
1976年 - 水橋千佳子、女優、舞台制作
1978年 - 三井学、ミュージシャン(カオマイルド)
1978年 - 村田一誠、騎手
1978年 - アマンダ・スウィステン、モデル、女優
1978年 - 矢野良子、バスケットボール選手
1979年 - 増川弘明、ミュージシャン(BUMP OF CHICKEN)
1979年 - 松本賢一、ミュージシャン ベーシスト(元ロードオブメジャー)
1980年 - アシュリー・コール、サッカー選手
1980年 - 池田武央、Helsinki Collision 代表
1981年 - 田原あゆみ、AV女優
1982年 - デビッド・ライト、メジャーリーガー
1982年 - 倉貫匡弘、俳優
1982年 - テミストクレス・レフテリス、フィギュアスケート選手
1983年 - 大島崇行、元プロ野球選手
1983年 - 柴田奈津子、岡山放送アナウンサー
1983年 - 吉田隼人、騎手
1983年 - 寺島拓篤、声優
1983年 - チョメ、ミュージシャン(All Japan Goith)
1987年 - 大久保あすか、AV女優
1987年 - 青山レイラ、ファッションモデル
1988年 - 山下翔央、ジャニーズJr.、Ya-Ya-yahのメンバー

忌日
69年 - ウィテリウス:ローマ皇帝

217年 - ゼフィリヌス、ローマ教皇(* 生年不明)

1223年(貞応2年11月27日) - 大友能直、武将(* 1172年)

1355年 - ウロシュ4世、セルビア王国国王(* 1308年)

1590年 - アンブロワーズ・パレ、外科医(* 1510年)

1676年(延宝4年11月16日) - 藤堂高次、津藩第2代藩主(* 1601年)

1722年(康熙61年11月13日)- 康熙帝、清の第4代皇帝(* 1654年)

1783年 - アントニオ・ソレール、作曲家(* 1729年)

1858年 - 月照、僧侶(* 1813年)

1892年 - 伊達宗城、宇和島藩第8代藩主・政治家(* 1818年)

1925年 - エドワード・S・モース、生物学者(* 1838年)

1929年 - 岸田劉生、洋画家(* 1891年)

1937年 - エーリヒ・ルーデンドルフ、ドイツ軍の将軍(* 1865年)

1954年 - ジェームス・ヒルトン、小説家(* 1900年)

1968年 - マックス・ブロート、作家・作曲家(* 1886年)

1968年 - ジョン・スタインベック、小説家(* 1902年)

1970年 - 加藤鐐五郎、政治家・第48代衆議院議長(* 1883年)

1974年 - アンドレ・ジョリヴェ、作曲家(* 1905年)

1982年 - アルトゥール・ルービンシュタイン、ピアニスト(* 1887年)

1984年 - ドミトリー・ウスチノフ、政治家(* 1908年)

1984年 - 藤原審爾、作家(* 1921年)

1994年 - ディーン・ラスク、元アメリカ合衆国国務長官(* 1909年)

1996年 - カール・セーガン、天文学者(* 1934年)

1997年 - 伊丹十三、映画監督、俳優(* 1933年)

2001年 - レオポルド・セダール・サンゴール、セネガル初代大統領(* 1906年)

2001年 - 南原宏治、俳優(* 1927年)

2006年 - 青島幸男、タレント、放送作家、元東京都知事、元参議院議員(* 1932年)

2006年 - 中島忠幸、タレント、お笑いコンビ(カンニング)、(* 1971年)

2007年 - 田中和実、声優・ナレーター(* 1951年)

2007年 - 田中徳三、映画監督(* 1920年)

記念日・年中行事
霧笛記念日(日本)
1879年(明治12)尻屋埼灯台(青森県東通村)に、
日本で初めて霧笛が設置されたのを記念。

デパート開業の日
1904年(明治32年)、東京・日本橋の三井呉服店が
三越呉服店と改称。日本初のデパート式の営業を開始。

シーラカンスの日
1952年、コモロ諸島のアンジュアン島で、
シーラカンスが捕獲されたことに由来する。
最初の標本は1938年12月22日に南アフリカ共和国で確認されていたが、
腐敗の為、充分な調査ができなかった。