東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月24日(水曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月24日(水曜日)

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

あと「7日間そこそこ」で「来年」になります。

「12月」の「冬」です。
今は「冬」。

冬の前の晩秋には。
晩秋の花木。
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きます。

今は晩秋がおわり「冬」。
「銀木犀:きんもくせい」も「銀木犀:きんもくせい」も
はるかかなたに。
「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は今。
冬越しの準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。
「冬」になると。
「葉色」と「葉のあつさ」がかわります。
「木枯らしに耐える厚さ」になります。

山茶花のつぼみがみえます。

「やぶつばき」のつぼみがみえます。

「金木犀:きんもくせい」は不思議な木です。
「金木犀:きんもくせい」の真下では何も
「金木犀:きんもくせい」の花の香(はなのか)
はしません。
遠く離れると「香ります」。
今は「冬」。
はるか昔に花はおわりました。
そしてはるか昔に「香り」もおわりました。

けれども。
「花」こそみえませんが。
「金木犀:きんもくせい」「銀木犀:きんもくせい」
の芳香が。
いまなおとくとくと。
遠くただよっているかのごとくです。

今は12月の冬になりました。
常緑の。
「木犀:もくせい」は元気です。

「木犀:もくせい」は。
「椿」のように花が落ちて。
「木の下」に「フェルマータ"fermata"」*がありません。

「落花生」のような「木」です。

-------------------------------
C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。
ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
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旧暦では「11月」から「冬」です。
だから今現在は。

深まり行く「晩秋」はとうにおわり。
「冬」です。

今朝早朝の真っ暗な時間に
「吐息」が「白く」みえました。

急速に。
かけあしで
「さむくなってきました」。

今朝早朝は
暗いうち晴れて。
霧雨の合間に。
久方ぶりにたくさんのたくさんの
星をみました。

そして天井の空高くひさしぶりに「月」の
かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」とはなるほどと考えます。

「木枯らし」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。
グラスハープの。
オーケストラを聴いているようです。

そして「12月」になり
「木枯らし」の鳴き声は「アリア」として。
次第に出番が多くなりました。

寒い中でも
「極めて大きな声でうたっている」
「木枯らし」が
「1-2」はいるのが不思議です。

山茶花の木の上か。
上空で「木枯らし」は歌っているようです。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「12月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「冬将軍」の気配にあと押しされて。
「確かな冬」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はまだあたたかい
小春の陽射しを感じることも
あります。

五月(さつき)がおわり。
六月がおわりました。
七月もうおわりました。
「8月」もおわりました。
夏はおわりました。

そして
「あきの「秋」「9月」がおわりました。
中秋の「10月」がおわりました。
「11月」です。
「11月」がおわりました。

そして「12月」。

雪国の冬です。

そして。
「今年も残す所「わずか」を
すごそうとしています。

12月の冬の気配が
あっというまに。
冬の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように変化して。
次第に「深い冬」の気配にうつろいていく。
「井戸のつるべ」がおちるようです。

「冬の12月」。
ふかまりゆく
「冬からの冬将軍の登場」は。
威風堂々と。
感じられるような気がします。

そしてさらに。

冬そしてさらに。

「もっと深い冬」のピアニッシモppで。
しのびよる深い冬の気配が
かんじられます。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの「くれゆくあきいろ」が感じられます。

冬陽射し(ひさし)やさしき秋。
冬空にも地にも天高くはれ。
冬の大気のひそみかくれ。
冬そらにみちてあふれれば。
冬吐息(ためいき)となり。
冬吐息が霧雨か霞になり。
冬おりてくるような感じです。
冬「冬はふかまりゆく」気配
になりました。

冬なお「力強い」の木々のめぶきは
初冬の息吹から深い冬への息吹への。
変化(へんげ)を感じます。

早朝は「とても寒い」です。
今年は「寒い」です。

百姓のうまれなので「冷冬」が心配です。

街路樹はしっかりと
枝木の穂先もたわわにつよく
中秋の萌黄色から中秋の若葉そして
晩秋のあおい「木」にかわりました。
そしてあきのあおい「木」は。
「実りの秋」のおとづれを。
そしてさらなる「秋の深まり」を超えて。

そしていま冬。
いま冬をむかえようとしてています。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

冬山椒(さんしょう)の木の芽が
冬にも若葉はそだち。
冬若葉は冬の若枝となり。
冬若枝は天高くすこやかにのび。
冬のふかまりにますますすこやかに。
冬山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
冬空に燃えるが如くの炎葉です。

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

冬深まりたり
冬空たかく
冬あやにしき
冬みどり木
冬さんしょう木
冬陽をあびてかがやけり
冬いざいまこそは
冬金色(かがね)にかわり
冬赤き秋空に燃えたたむ

冬さんしょう木
冬もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
冬わかば葉はいずるは花ならむ
冬(ふゆ)こす枝は幹ならむ
冬いざいまこそは
冬空(そら)たかくもえたたむ
冬金色(こがねいろ)なる
冬さんしょう木
冬(ふゆ)深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

冬ふかく草を浮かべる水面(おも)に
冬めだかのむれのひかりたり
冬むれておよげるひめだかの
冬みずのなかなるちいさないのち
冬みずのなかなるおおきないのち
冬みのりてあまたにとほときいのちこそ
冬いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなふゆみつけたから
しだいに大きなあきみつけた
大きなふゆみつけたから
大きな大きなふゆみつけたは

ちょっと「こころしずまる気」がします
「初冬」です
「冬」になります。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
-------------------------------

GWの予定ですが。
平成20年4月29日(火曜日)
は祝日です。(はおわりました)
-------------------------------

平成20年5月 3日(土曜日)
平成20年5月 5日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
(4・29 5・3 5.5)
=>

平成20年5月 6日(火曜日)
は同じく祝日ですが
は「お休み」を頂く予定です。
は終わりました。
5月7日(水曜日)より「定常どおり」
になります。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
=>
は終わりました。

-------------------------------

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
-------------------------------

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました

-------------------------------

10月13日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

その「実力」ゆえに。
当時の時の人である。
ワーグナーやフランツ・リストとの深い交流にもかかわらず。
またその他のドイツ文化人との交流も多く。
元来「成功する音楽家」であるはずですが。

ドイツ作曲家のなかでも「人間付き合い」が
極端にへたであった作曲家。

結果。
いわゆる「新ドイツ楽派」との
関係はぎくしゃくしたもの
のくりかえしであった作曲家。

1824年 - ペーター・コルネリウス、作曲家(+ 1874年)

の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス
(Carl August Peter Cornelius,
1824年12月24日 - 1874年10月26日 マインツ)は。
ドイツの作曲家です。

詩人・翻訳家としても活動し音楽に関する著作も残しています。

++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius
について。

生涯
少年時代からヴァイオリンを弾きました。

歌曲の作曲をしていましたが。
初めて作曲を学んだのは17歳の1841年になってからでした。

1844年から1852年まで
おじで画家のペーター・フォン・コルネリウス
(1784年〜1867年)のベルリンの家に身を寄せておりました。

その間にアレクサンダー・フォン・フンボルトや
グリム兄弟やフリードリヒ・リュッケルト。
フェリックス・メンデルスゾーンら、
同地の文化人に出逢い交流をしたためました。

++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius
は。

ベルリン時代の終わりに。
いくつかの雑誌に音楽評論を寄稿しています。

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフや
パウル・ハイゼ、ハンス・フォン・ビューローらと
親交を結びました。

++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius
の。

コルネリウスの最初の成熟した作品群は。
喜歌劇《バグダッドの理髪師》を含めて。
短いヴァイマル時代(1852年 - 1858年)
に書かれています。

次にウィーンに進出して、5年間を過ごしました。

リヒャルト・ワーグナーと親交を結びました。

++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius
は。

ワーグナーのしきりの催促で。
1864年にミュンヘンに定住致しました。

この地で結婚して四児の父親となりました。

++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius
は。

ワーグナーやフランツ・リストとの
深い交流にもかかわらず。

いわゆる「新ドイツ楽派」との関係は
ぎくしゃくしたものであったようです。

自作の歌劇《ル・シッド》の初演を口実に。
ワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》の初演
に出席していません。

オペラの第3作にして最後の試みとなった
《グンレート》は、北欧のエッダに基づいていりいわば編曲です。
けれども作曲者の(糖尿病による)急死によって、
未完成に終わりました。

++++++++++++++++++++++

このような実力にもかかわらず。

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius
のような。

俗にいう「人間付き合い」の「下手」な。
音楽家の「特性」に私は興味をもちます。

逆に。
実力のないが「人間付き合い」の上手な
「音楽家」は「成功した音楽家」ととばれます。
このような「音楽家」にも私は興味をもちます。

++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius
の作品。

コルネリウスの作品数は比較的少ないのです。

約100曲のリート、
23曲の二重唱や、合唱曲(主に男声合唱のための作品)が中心です。

多くの声楽曲とすべてのオペラは、
コルネリウス自身のテクストに曲付けされています。
ピアノ曲も少しく手懸けており1848年のピアノ・ソナタなどがあります。

++++++++++++++++++++++

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス:
Carl August Peter Cornelius

室内楽・器楽曲
オーボエとピアノのための《序奏、アンダンテとポロネーズ》作品1 (1840年)
3つのヴァイオリン・ソナタ 作品2
第1番 ハ長調 (1840年)
第2番 変ホ長調 (1844年)
第3番 ホ長調 (1846年)
4つの弦楽四重奏曲
第1番 変イ長調 (1841年)
第2番 ハ長調 (1841年)
第3番 ト長調 (1842年)
第4番 ニ長調 (1842年)
++++++++++++++++++++++

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
ペーター・コルネリウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス(Carl August Peter Cornelius, 1824年12月24日 - 1874年10月26日 マインツ)はドイツの作曲家。詩人・翻訳家としても活動し、音楽に関する著作も残している。

目次
1 生涯
2 作品
2.1 室内楽・器楽曲
2.2 歌劇
2.3 合唱曲

生涯
少年時代からヴァイオリンを弾き、歌曲の作曲をしていたが、初めて作曲を学んだのは1841年になってからだった。1844年から1852年まで、おじで画家のペーター・フォン・コルネリウス(1784年〜1867年)のベルリンの家に身を寄せ、その間にアレクサンダー・フォン・フンボルトやグリム兄弟、フリードリヒ・リュッケルト、フェリックス・メンデルスゾーンら、同地の文化人に出逢う。ベルリン時代の終わりに、いくつかの雑誌に音楽評論を寄稿し、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフやパウル・ハイゼ、ハンス・フォン・ビューローらと親交を結んだ。

コルネリウスの最初の成熟した作品群は、喜歌劇《バグダッドの理髪師》を含めて、短いヴァイマル時代(1852年 - 1858年)に書かれている。次にウィーンに進出して、5年間を過ごし、リヒャルト・ワーグナーと親交を結ぶ。ワーグナーのしきりの催促で1864年にミュンヘンに定住し、この地で結婚して四児の父親となった。

ワーグナーやフランツ・リストとの交流にもかかわらず、いわゆる「新ドイツ楽派」との関係はぎくしゃくしたものだった。自作の歌劇《ル・シッド》の初演を口実に、ワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》の初演に出席していない。オペラの第3作にして最後の試みとなった《グンレート》は、北欧のエッダに基づいているが、作曲者の(糖尿病による)急死によって、未完成に終わった。

作品
コルネリウスの作品数は比較的少なく、
約100曲のリート、
23曲の二重唱や、合唱曲(主に男声合唱のための作品)が中心である。
多くの声楽曲とすべてのオペラは、
コルネリウス自身のテクストに曲付けされている。
ピアノ曲も少しく手懸けており、1848年のピアノ・ソナタなどがある。

室内楽・器楽曲
オーボエとピアノのための《序奏、アンダンテとポロネーズ》作品1 (1840年)
3つのヴァイオリン・ソナタ 作品2
第1番 ハ長調 (1840年)
第2番 変ホ長調 (1844年)
第3番 ホ長調 (1846年)
4つの弦楽四重奏曲
第1番 変イ長調 (1841年)
第2番 ハ長調 (1841年)
第3番 ト長調 (1842年)
第4番 ニ長調 (1842年)

歌劇
バグダッドの理髪師(2幕のコミック・オペラ、1855年〜1858年作曲、1858年12月15日初演、於ヴァイマル)
ル・シッド(3幕のリリック・オペラ、1860年〜1865年作曲、1865年5月21日初演、於ヴァイマル)

合唱曲
ドリア旋法の定旋律によるミサ曲の試み(Versuch einer Messe uber den Cantus firmus in der dorischen Tonart)、混声四部合唱とオルガン (1852年)
3つの合唱曲(3 Chorgesange)作品11 (1871年)
死、そは冷たき夜(Der Tod, das ist die kuhle Nacht)混声四部の二重合唱(詩:ハインリヒ・ハイネ)
(An den Sturmwind)混声四部の二重合唱(詩:リュッケルト)
若さ、笑い、そして恋(Jugend, Rausch und Liebe)混声六部(詩:リュッケルト)
3つの男声合唱曲(3 Mannerchore)作品12 (1872-3年)
老兵(Der alte Soldat)テノール6、バス3 (詩:ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)
騎士の歌(Reiterlied)二重合唱(両陣ともテノール2部とバス2部)(詩:同上)
(Der deutsche Schwur)(テノールとバス各2部)(詩:コルネリウスの自作)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9" より作成
カテゴリ: ロマン派の作曲家 | オペラ作曲家 | ドイツの作曲家 | ドイツの音楽評論家 | 1824年生 | 1874年没

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12月24日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8824%E6%97%A5

12月24日(じゅうにがつにじゅうよっか、じゅうにがつにじゅうよんにち)
はグレゴリオ暦で年始から358日目(閏年では359日目)にあたり、年末まであと7日ある。

2008年12月(師走)
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目次
1 できごと
2 誕生日
3 忌日
4 記念日・年中行事
5 フィクションのできごと
5.1 誕生日
5.2 忌日
6 関連項目

できごと
1798年 - 第二次対仏大同盟結成。

1871年(明治4年11月13日) -
宍戸・水戸・笠間・下館・下妻・松岡の各県の合併で茨城県が成立する。

1906年 - アメリカ・マサチューセッツで世界初のラジオ放送。

1951年 - リビアがイタリアから独立(リビア連合王国)。

1952年 - 神戸放送(現・ラジオ関西)が日本の放送局
では初めての電話リクエスト番組をクリスマス特番として実施。

1968年 - アポロ8号、世界初の月探査周回飛行を開始。

1969年 - 日本初の民放FM放送局、エフエム愛知 (FM AICHI) が開局。

1970年 - 公職選挙法改正公布。

1975年 - 国鉄最後の蒸気機関車牽引による
定期貨物列車が夕張線(現・石勝線)で運転(本線上での最後の定期SL牽引列車)。

1979年 - ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻。

1988年 - 消費税法案成立。

1999年 - W3CがHTML4.01を勧告。

誕生日
紀元前3年 - ガルバ、ローマ皇帝(+ 69年)

1167年 - ジョン、イングランド王(+ 1216年)

1573年(天正元年12月1日) - 沢庵宗彭、臨済宗の僧(+ 1646年)

1782年(天明2年11月20日)- 毛利斉房、第10代長州藩主(+ 1809年)

1818年 - ジェームズ・プレスコット・ジュール、物理学者(+ 1889年)

1824年 - ペーター・コルネリウス、作曲家(+ 1874年)

1837年 - エリーザベト皇后、
オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后(+ 1898年)

1858年(安政5年11月20日) - 尾崎行雄、政治家、衆議院名誉議員(+ 1954年)

1887年 - ルイ・ジューヴェ、俳優、演出家(+ 1951年)

1894年 - ジョルジュ・ギンヌメール、エース・パイロット(+ 1917年)

1905年 - ハワード・ヒューズ、アメリカの実業家(+ 1976年)

1910年 - フリッツ・ライバー、小説家(+ 1992年)

1917年 - 金正淑、金日成の妻、金正日の母(+ 1949年)

1920年 - 阿川弘之、小説家

1920年 - デイブ・バーソロミュー、ジャズミュージシャン

1922年 - ジョナス・メカス、前衛映像作家、詩人

1924年 - リー・ドーシー、R&Bミュージシャン(+ 1986年)

1927年 - メアリ・H・クラーク、作家

1937年 - 平尾昌晃、作曲家

1937年 - 畑隆幸、元プロ野球選手

1943年 - タルヤ・ハロネン、フィンランドの大統領

1945年 - レミー・キルミスター、ミュージシャン(モーターヘッド)

1946年 - ヤン・アッカーマン、ミュージシャン(フォーカス)

1946年 - 山本優、脚本家

1946年 - アンドリュー・チーチー・ヤオ、計算機科学者

1950年 - 生島ヒロシ、フリーアナウンサー
1950年 - 伊藤銀次、ミュージシャン
1950年 - 白都真理、女優
1955年 - 福島瑞穂、社会民主党党首・弁護士
1956年 - アンソニー・クルーズ、調教師
1957年 - ハーミド・カルザイ、アフガニスタンの大統領
1959年 - トミーズ雅、お笑い芸人
1960年 - 小野不由美、小説家
1961年 - イルハム・アリエフ、アゼルバイジャンの大統領
1961年 - 北川悦吏子、脚本家
1962年 - 長野智子、フリーアナウンサー
1962年 - 結城信輝、イラストレーター
1962年 - 石本貴昭、元プロ野球選手
1963年 - 高須光聖、放送作家・ラジオパーソナリティ
1968年 - ネブ?、トルコのポップスのミュージシャン
1970年 - 緒方剛志?、イラストレーター
1971年 - 小川知子、TBSアナウンサー
1971年 - アレックス・カブレラ、プロ野球選手
1971年 - 大寳智子、女優
1972年 - あらいすみれ、女優・モデル
1977年 - 吉田好太、元プロ野球選手
1978年 - 王蓉(ワン・ロン)、中国の歌手
1979年 - 赤坂七恵、女優
1979年 - ジョー・バレンタイン、元プロ野球選手
1980年 - 吉田由莉、グラビアアイドル、女優、タレント
1982年 - 相葉雅紀、タレント・嵐のメンバー
1982年 - 柿原徹也、声優
1982年 - 木下ココ、ファッションモデル
1986年 - 石原さとみ、タレント
1986年 - 小田瑞穂、タレント
1986年 - 森理世、2007年度ミス・ユニバース
1988年 - 土井康平、サッカー選手
1993年 - 西内まりや、モデル
1994年 - 尾関きはる、SKE48
1998年 - 小林翼、子役

忌日
1263年(弘長3年11月22日)- 北条時頼、第5代鎌倉幕府執権(* 1227年)

1317年 - ジャン・ド・ジョアンビル、伝記作家(* 1224年)

1332年(正慶元年/元弘2年12月6日)- 九条忠教、鎌倉時代の公卿(* 1248年)

1453年 - ジョン・ダンスタブル、作曲家(* 1390年頃)

1494年 - 成宗、第9代李氏朝鮮国王(* 1457年)

1524年 - ヴァスコ・ダ・ガマ、探検家(* 1469年頃)

1660年 - メアリー・ヘンリエッタ・ステュアート、
オラニエ公ヴィレム2世の妻(* 1631年)

1692年 - マリア・アントニア、
バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルの妃(* 1669年)

1725年(享保10年11月20日)- 鷹司兼熙、江戸時代の公卿(* 1660年)

1806年 - フェルディナント、オーストリア=エステ大公(* 1754年)

1813年(文化10年閏11月2日)- 後桜町天皇、第117代天皇(* 1740年)

1863年 - サッカレー、小説家(* 1811年)

1872年 - ウィリアム・ランキン、物理学者(* 1820年)

1873年 - ハインリヒ・グスタフ・ホトー、美学者(* 1802年)

1887年 - ダニエル・マニング、第37代アメリカ合衆国財務長官(* 1831年)

1902年 - 高山樗牛、文芸評論家(* 1871年)

1910年 - 3代目桂文枝、落語家(* 1864年)

1917年 - イワン・ゴレムイキン、ロシア帝国首相(* 1839年)

1921年 - 三須宗太郎、日本海軍の大将(* 1855年)

1924年 - 中村彝、画家(* 1887年)

1927年 - 澤柳政太郎、教育者・成城学園創立者(* 1865年)

1935年 - アルバン・ベルク、作曲家(* 1885年)

1938年 - ブルーノ・タウト、建築家(* 1880年)

1940年 - 湯浅倉平、内大臣(* 1874年)

1941年 - 大江季雄、陸上競技選手(* 1914年)

1942年 - コンスタンチン・バリモント、詩人(* 1867年)

1945年 - テオドール・エードラー・フォン・レルヒ、
オーストリア・ハンガリー帝国の軍人(* 1869年)

1955年 - ウィリアム・グリーブス、天文学者(* 1897年)

1957年 - 大川周明、思想家(* 1886年)

1959年 - エドマンド・グールディング、映画監督(* 1891年)

1962年 - ヴィルヘルム・アッカーマン、数学者(* 1896年)

1970年 - ニコライ・シュヴェルニク、ソビエト連邦最高会議幹部会議長(* 1888年)

1975年 - バーナード・ハーマン、作曲家(* 1911年)

1978年 - 巴潟誠一、大相撲の力士・元小結(* 1911年)

1980年 - カール・デーニッツ、ナチス・ドイツ大統領(* 1891年)

1980年 - ヘイッキ・リーマタイネン、陸上競技選手(* 1894年)

1982年 - ルイ・アラゴン、小説家・詩人・評論家(* 1897年)

1984年 - 美濃部亮吉、東京都知事・参議院議員(* 1904年)

1984年 - ピーター・ローフォード、俳優(* 1923年)

1985年 - 加藤唐九郎、陶芸家(* 1897年)

1985年 - 佐々木更三、日本社会党委員長(* 1900年)

1986年 - リチャード・ウーリー、天文学者(* 1906年)

1987年 - 福井慶三、実業家(* 1900年)

1988年 - 山田無文、僧(* 1900年)

1993年 - 厳家淦、第5代中華民国総統(* 1905年)

1994年 - 清水雅、実業家(* 1901年)

1994年 - ロッサノ・ブラッツィ、俳優(* 1916年)

1997年 - 三船敏郎、俳優(* 1920年)

1999年 - モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル、フランス首相(* 1907年)

1999年 - 大谷光紹、浄土真宗東本願寺派第25世法主(* 1925年)

1999年 - 菅原謙次、俳優(* 1926年)

2000年 - ジョン・クーパー、自動車技術者(* 1923年)

2001年 - 黒木博、宮崎県知事(* 1907年)

2004年 - 金城次郎、陶芸家(* 1912年)

2005年 - コンスタンス・キーン、ピアニスト(* 1921年)

2006年 - フランク・スタントン、実業家(* 1908年)

2006年 - ボー・ミャ、カレン民族同盟議長(* 1927年)

2006年 - ケネス・シーヴァートセン、ミュージシャン(* 1961年)

記念日・年中行事
クリスマス・イヴ
イエス・キリスト誕生を祝うクリスマス前夜。

納めの地蔵
地蔵菩薩の年内最後の縁日

終い愛宕
愛宕権現の年内最後の縁日