東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年12月25日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年12月25日(木曜日)

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月もおわりました。
夏はすぎました。
9月の秋はおわりました。
中秋10月がおわりました。
「11月」になりました。
今は晩秋「11月」もおわり「冬」。
「12月」です。

冬です。雪国の冬です。
けれどももうすぐ「冬至」を
むかえ冬至をすぐれば「陽」は日々たかくなり。
「1月」「2月」は寒い雪の「冬」
でも。
「春」そして「夏」に向かい
陽はたかくなっているのです。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ

です。

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリーの

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語: 

If winter comes, can spring be far behind? )

「秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」
のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
いまは「12月」です。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようにうつろいました。

一方
「春」はゆっくりとあるいてきます。
「春」をまつのであれば。
「春」のゆっくりと歩いてくるのをまたねば
なりません。

「あと6日足らずで」で。
「今年」はおわります。
そして。
「来年」になります。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてくる。

「来年」。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれません。
「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「秋雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ような「寒月」です。

06:30amころ日があければ。
くらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「朝焼け色」の線描です。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯は。
「よくえがかけたものです」。

この「あおぞら」をみていると。

とても
信じられないくらいに。
元気がわいてくることに気が付きました。
「陽射し」の「めぐみ」のおかげでしょう。

「そら一杯の青空の天井(てんじょう)」と
「太陽のひかりのひざし」は。
なによりもの「生きとし生けるもの」への。
「ごほうび」であるのでしょう。
そして「太陽のひかりのひざし」は
「いのちのめぐみ」です。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくむもの。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえるもの。
「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば
今年も「12か月」が
終わります。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」です。

病院の庭園に「4本」ある
「金木犀:きんもくせい」の大木の
いずれもがこがねの花を

たんぽぽ
のように
枝にみのらせていました。
まだ「はつはな」で初々しかったです。
けれども「金木犀:きんもくせい」
は雨に打たれると。
花は地面にオレンジの緋色毛氈(ひいろもうせん)
のように落下致します。
オレンジ色の積雪のようです。

「金木犀:きんもくせい」に変わって
「銀木犀:きんもくせい」のプラチナ色の香りが

致しました。

冬になり。
「金木犀:きんもくせい」も
「銀木犀:きんもくせい」
も花はおわりました。

今は。
山茶花が蕾をふくらませています。
「やぶつばき」が蕾をふくらませています。

山茶花(さざんか)の「はなびら」が
闇夜のあいだに。
今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
また地に舞い下りていました。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちったようです。
みつめれば。
木枯らしに弓射られた白鷺(しらさぎ)
のはねのようでした。

この寒い冬も。
「昆虫」の少ない時期に。
「山茶花(さざんか)」や椿は花をさかせ
どのように授粉して「実る」のだろう。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちる。
「やぶつばき」も「花」はすぐに
落下する。
このあたりに山茶花(さざんか)と「やぶつばき」
の「人生」の「解答」があるような
気が致します。

ふと野草の花は一般的には。
香らない花が多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」で色は紫です。

ツタンカーメン王のまだ幼な子王妃が
「亡きツタンカーメンンにささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かぶ。
これは。
「野菊」です。
けれども「野菊」は香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころに
「木枯らし」がないていました。
「こおろぎ」はいずこかに去りました。
「こおろぎ」の声も聞こえなくなりました。

「こおろぎ」のかわりに「木枯らし」が
鳴いている。

木枯らしがかわりに。
「ろうろう」「こうこう」とないています。

「木枯らし」の「声」を聞いていると。
ふと。
「寒さにおびえる」ひとの気配を感じました。
はてだれだろう。

うら若く苦労に苦労をかさねて
24歳にして世を去った「樋口一葉」。

樋口一葉の「わかき」「冬の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべき雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

「24歳」の「とても貧しい乙女」が。
かなしさの「おもかげ」と。
すばらしいお若い「御婦人」の「知」が。
「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました
これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

「冬至」はすでにすぎました。
しだいに陽がながくなる・
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣です。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

季節には「大気の音」があるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

「つつじ」の「花」が「春に」おわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

金木犀の大木が4本と銀木犀が2本
あります。

「中秋」をつたえるがごとく。
モクセイの木が「香り花」が開花致しました。

今は
「晩秋」。
「木犀:もくせい」の「花」は通り過ぎました。
「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。
山茶花(さざんか)も「やぶつばき」も私は「大好き」
な花木です。

「花」はみえない頃からもう
「金木犀:きんもくせい」
は「香っています」。
モクセイも秋にも若葉をだします。
「木犀:モクセイ」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この時期になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉する
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。
またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の紅葉の時期から。
そして冬の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「秋」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「秋若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる秋」がすぎさり「冬」。
「紅葉」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宇宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」
ならばよいです。

けれども
早朝は非常に寒くなりました。

冬やま中さまよいて
冬やま中をわけいらば
冬やま中大樹の根元に隠れたり
冬やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
冬やま中みつけたりやまの秋の華。
冬やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
冬やま中大樹の根元に隠れたり
冬山はぜの葉木。
冬やま中やまうるしの葉木。
冬やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
冬こす「はだか木」。
冬こす元気な木。たくましき木。

秋冬山萩(やまはぎ)の
秋冬花をかくして燃えたたむ
秋冬に実りの祭りなり
秋冬山はぜの葉炎
秋冬天高く燃ゆ

あきふゆやまはぎの
あきふゆはなをかくしてもえたたむ
あきふゆにみのりのまつりなり
あきふゆやまはせのほのほ
あきふゆてんたかくもゆ

ふゆひろくなりけり空(そら)たかし
ふゆさとやまに木々のみどり木
ふゆこもれびうけて燃えるがごとし
ふゆみどりの炎(ほのほ)
ふゆほのほうちけさむかすみはあおし
ふゆほのほにかすみにただよひて
ふゆうるわしくかがやきたり
ふゆあたたかくかおりたり
ふゆあざやかなりけり 
ふゆやまさとのやまみどり
ふゆやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++

平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。
5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。
5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------

7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。
けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました
++++++++++++++++++++++

9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

10月13日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

++++++++++++++++++++++

11月 3日(月曜日)
11月24日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

12月23日(火曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

磁場の電子線に対するレンズ作用を実験で示した
1927年ドイツのハンス・ブシュ (Hans Busch) の
電子線レンズ作用をコロンブスの卵のように応用した
物理学者。

最初の電子顕微鏡 (TEM) を1931年にベルリン工科大学の
マックス・クノールと共にが開発した物理学者。

さらに電子顕微鏡の性能を高め。
この功績で1986年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者。
そして
1938年にシーメンスから電子顕微鏡が売り出されるのに
深くかかわった。

「電子顕微鏡(でんしけんびきょう):electron-microscope:EM」
の「メカニズム」の「発明者」。

1906年 - エルンスト・ルスカ、物理学者(+1988年)
の生誕日です。
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エルンスト・ルスカ
(Ernst August Friedrich Ruska、
1906年12月25日 - 1988年5月27日)はドイツの物理学者です。

ハイデルベルクで生まれました。

ミュンヘン工科大学を卒業した後に。
ベルリン工科大学に進みました。

マックス・クノールと1931年電子顕微鏡*を製作致しました。

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「電子顕微鏡(でんしけんびきょう):electron-microscope:EM」の
特徴

高分解能の観察が可能に致します。

光学顕微鏡の分解能
(2つの点が「2つの点」として分離して観察される最短の距離)
の限界は、可視光線の波長によって理論的に
100ナノメートル程度に制限されています。
それより小さな対象(例:ウイルス)を観察することは不可能です。

一方。
電子顕微鏡では電子線の持つ波長が
可視光線のものよりずっと短いために。
理論的には分解能は0.3ナノメートル程度にもなります。
(透過型電子顕微鏡の場合)。

光学顕微鏡では見ることのできない
微細な対象を観察(観測)
できるのが利点です。

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「電子顕微鏡(でんしけんびきょう):electron-microscope:EM」

光学顕微鏡より高倍率? というわけでは
まったくありません。

一般に誤解されがちです。
電子顕微鏡の光学顕微鏡に対する利点は
「倍率ではなく分解能」
であるのです。

現在では、高分解能の電子顕微鏡を用いた場合。
原子レベルの大きさのものを観察(観測)可能です。

光学顕微鏡でも写真を拡大したり。
高倍率の接眼レンズや中間レンズを用いれば。
理論的には無限に高倍率の画像は得られるはずです。
ただし分解能以下の対象はどれだけ倍率を上げても
細部は見えてこないので
「拡大自体」は無意味になります。

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「電子顕微鏡(でんしけんびきょう):electron-microscope:EM」

大がかりな装置
電子線を発生させるのに用いられる電子銃の性質から。
数キロボルトから数百キロボルト。
時にはそれ以上の高電圧が必要になります。

また安定した電子線の照射のため
顕微鏡内は真空に保たれていなければなりません。

したがって高電圧の発生装置や真空ポンプ。
また顕微鏡自体は耐圧構造でなければなりません。

装置が大がかりになりがちで専用の部屋が必要なことが
大部分です。

市販されている電子顕微鏡の価格も種類によって
数百万円から数億円程度です。

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「電子顕微鏡(でんしけんびきょう):
electron-microscope:EM」

電子顕微鏡には、大きく分けて下記の2種類があります。
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1・
透過型電子顕微鏡 (Transmission Electron Microscope; TEM)

観察対象に電子線をあてそれを透過してきた電子を拡大して観察する顕微鏡。
対象の構造や構成成分の違いによりどのくらい電子線を透過させるかが異なります。

場所により透過してきた電子の密度が変わりこれが顕微鏡像となります。

電磁コイルを用いて透過電子線を拡大し。
電子線により光る蛍光板にあてて観察したり。
フィルムやCCDカメラで写真を撮影致します。

観察対象を透かして観察することになるため。
試料をできるだけ薄く切ったりする「特技」や。
電子を透過するフィルムの上に塗りつけたりして観察致します。

2・
走査型電子顕微鏡 (Scanning Electron Microscope; SEM)

観察対象に電子線をあて。
そこから反射してきた電子(または二次電子)から
得られる像を観察する顕微鏡です。

走査型の名は、対象に電子線を当てる位置を少しずつずらして
スキャン(走査)しながら顕微鏡像が形づくられることから由来致します。
電子は検出器に集められ、コンピュータを用いて2次元の像が表示されます。

対象の表面の形状や凹凸の様子や
比較的表面に近い部分の内部構造を観察するのに優れています。
観察対象が導電性のないものの場合は。
電子線をあて続けると表面が帯電してしまい反射する電子のパターンが乱れるため。

観察対象の表面をあらかじめ導電性を持つ物質で薄く
コーティングしておくことが行われます。

3・
また、両者の特徴を合わせ持つ
走査型透過電子顕微鏡 (Scanning Transmission Electron Microscope; STEM) も近年注目されつつあります。

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電子顕微鏡の歴史
磁場の電子線に対するレンズ作用を実験で示したの
は1927年ドイツのハンス・ブシュ (Hans Busch) でした。

最初の電子顕微鏡 (TEM) は1931年にベルリン工科大学の
マックス・クノールとエルンスト・ルスカが開発致しました。

さらにルスカは性能を高め、
この功績で1986年にノーベル物理学賞を受賞致しました。
1938年にシーメンスから電子顕微鏡が売り出されました。

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走査形電子顕微鏡 (SEM) は
1937年マンフレート・フォン・アルデンヌ
(Manfred von Ardenne)
によって製作されました。

1950年代から多くの分野で活用されてきました。

さらに短波長の電子線(加速電圧の向上)
などによって性能は向上致しました。

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エルンスト・ルスカ:Ernst August Friedrich Ruskaは。

1937年から1955年までジーメンス・ハルスケ社で働きました。

その後1972年までフリッツ・ハーバー研究所の所長となりました。

1986年電子顕微鏡の基礎研究と開発の業績で
ノーベル物理学賞を受賞致しました。

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エルンスト・ルスカ:Ernst August Friedrich Ruskaは。


1960年:アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
1986年:ノーベル物理学賞

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エルンスト・ルスカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AB

ノーベル賞受賞者
受賞年: 1986年
受賞部門: ノーベル物理学賞
受賞理由: 電子顕微鏡の基礎研究と開発

エルンスト・ルスカ(Ernst August Friedrich Ruska、1906年12月25日 - 1988年5月27日)はドイツの物理学者。1986年電子顕微鏡の基礎研究と開発の業績でノーベル物理学賞を受賞した。

ハイデルベルクで生まれた。ミュンヘン工科大学を卒業した後、ベルリン工科大学に進み、マックス・クノールと1931年電子顕微鏡を製作した。

1937年から1955年までジーメンス・ハルスケ社で働き、その後1972年までフリッツ・ハーバー研究所の所長となった。1986年ノーベル物理学賞を受賞した。


1960年:アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
1986年:ノーベル物理学賞

外部リンク
Ernst Ruska
Homepage of the Ruska family

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電子顕微鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A1%95%E5%BE%AE%E9%8F%A1

電子顕微鏡(でんしけんびきょう)とは、通常の顕微鏡(光学顕微鏡)では、
観察したい対象に光(可視光線)をあてて拡大するのに対し、
光の代わりに電子(電子線)をあてて拡大する顕微鏡のこと。
電子顕微鏡は、物理学、化学、工学、生物学、医学(診断を含む)
などの各分野で広く利用されている。

目次
1 特徴
2 種類
3 電子顕微鏡の歴史
4 利用
5 関連項目

特徴
高分解能の観察が可能
光学顕微鏡の分解能(2つの点が「2つの点」として分離して観察される最短の距離)
の限界は、可視光線の波長によって理論的に
100ナノメートル程度に制限されており、
それより小さな対象(例:ウイルス)を観察することはできない。

一方、電子顕微鏡では、電子線の持つ波長が可視光線のものよりずっと短いので、
理論的には分解能は0.3ナノメートル程度にもなる
(透過型電子顕微鏡の場合)。
光学顕微鏡では見ることのできない微細な対象を観察(観測)
できるのが利点である。

現在では、高分解能の電子顕微鏡を用いれば、
原子レベルの大きさのものを観察(観測)可能である。
光学顕微鏡より高倍率?
一般に誤解されがちであるが、電子顕微鏡の光学顕微鏡に対する利点は倍率ではなく分解能である。光学顕微鏡でも写真を拡大したり、高倍率の接眼レンズや中間レンズを用いれば、理論的には無限に高倍率の画像は得られる。ただし分解能以下の対象はどれだけ倍率を上げても細部は見えてこないので無意味である。
大がかりな装置
電子線を発生させるのに用いられる電子銃の性質から、数キロボルトから数百キロボルト、時にはそれ以上の高電圧が必要である。また、安定した電子線のため、顕微鏡内は、真空に保たれていなければならない。したがって、高電圧の発生装置や真空ポンプ、顕微鏡自体は耐圧構造でなければならないなど、装置が大がかりになりがちで専用の部屋が必要なこともある。市販されている電子顕微鏡の価格も種類によって数百万円から数億円程度である。

種類
電子顕微鏡には、大きく分けて下記の2種類がある。

透過型電子顕微鏡 (Transmission Electron Microscope; TEM)
観察対象に電子線をあて、それを透過してきた電子を拡大して観察する顕微鏡。対象の構造や構成成分の違いにより、どのくらい電子線を透過させるかが異なるので、場所により透過してきた電子の密度が変わり、これが顕微鏡像となる。電磁コイルを用いて透過電子線を拡大し、電子線により光る蛍光板にあてて観察したり、フィルムやCCDカメラで写真を撮影する。観察対象を透かして観察することになるため、試料をできるだけ薄く切ったり、電子を透過するフィルムの上に塗りつけたりして観察する。
走査型電子顕微鏡 (Scanning Electron Microscope; SEM)
観察対象に電子線をあて、そこから反射してきた電子(または二次電子)から得られる像を観察する顕微鏡。走査型の名は、対象に電子線を当てる位置を少しずつずらしてスキャン(走査)しながら顕微鏡像が形づくられることから。電子は検出器に集められ、コンピュータを用いて2次元の像が表示される。
対象の表面の形状や凹凸の様子、比較的表面に近い部分の内部構造を観察するのに優れている。観察対象が導電性のないものの場合、電子線をあて続けると表面が帯電してしまい、反射する電子のパターンが乱れるため、観察対象の表面をあらかじめ導電性を持つ物質で薄くコーティングしておくことが行われる。
また、両者の特徴を合わせ持つ走査型透過電子顕微鏡 (Scanning Transmission Electron Microscope; STEM) も近年注目されつつある。

電子顕微鏡の歴史
磁場の電子線に対するレンズ作用を実験で示したの
は1927年ドイツのハンス・ブシュ (Hans Busch) である。
最初の電子顕微鏡 (TEM) は1931年にベルリン工科大学の
マックス・クノールとエルンスト・ルスカが開発した。

さらにルスカは性能を高め、
この功績で1986年にノーベル物理学賞を受賞した。
1938年にシーメンスから電子顕微鏡が売り出された。

走査形電子顕微鏡 (SEM) は
1937年マンフレート・フォン・アルデンヌ (Manfred von Ardenne)
によって製作された。1950年代から多くの分野で活用された。
さらに短波長の電子線(加速電圧の向上)などによって性能は向上した。

利用
生物学の分野では、電子顕微鏡の利用は大きな影響を与えた。
ウイルスの発見や、細胞小器官の構造など、得られたものは大きい。
電子顕微鏡によって観察できるような微細な構造のことを
微細構造 (Ultrastructure) という。

関連項目
電子銃
電子レンズ
電子線回折
反射高速電子線回折
格子像
電子線エネルギー損失分光
電子線描画装置
イオン顕微鏡
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%A1%95%E5%BE%AE%E9%8F%A1" より作成
カテゴリ: 顕微鏡

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12月25日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8825%E6%97%A5

できごと
800年 - フランク王カール、西ローマ皇帝として戴冠。

1066年 - イングランド王ウィリアム1世即位。

1878年 - 東京・米津風月堂がチョコレートを発売。

1897年 - 志賀潔、赤痢の病原体を発見。

1926年 - 大正天皇が崩御。裕仁親王(昭和天皇)が即位し、元号が昭和に改元。

1926年 - 浜松高等工業学校の高柳健次郎が機械・電子折衷式テレビを開発。
「イ」の字を表示させる。

1941年 - 香港のイギリス軍、日本軍に降伏。

1944年 - 日本軍航空隊 、サイパンのアメリカ軍基地を空襲。

1951年 - 東京で初の民間放送ラジオ局、ラジオ東京(JOKR、現・TBSラジオ)開局。

1952年 - 日本初の電話リクエストがラジオ関西で行われる。

1958年 - 東海テレビ開局。

1975年 - 子門真人の「およげ!たいやきくん」発売、空前のヒットに。

1991年 - ソビエト連邦崩壊。

1991年 - ソ連ゴルバチョフ大統領が、辞任を表明。

1997年 - 浜松市が日本で初めてオムニバスタウンに認定される。

2000年 - 錦糸町そごう閉店。

2005年 - 山形県東田川郡庄内町のJR羽越本線で脱線事故発生(JR羽越本線脱線事故)。
死者5人、負傷者33人。

誕生日
1458年(長禄2年11月20日) - 尼子経久、戦国武将(+ 1541年)

1642年 - アイザック・ニュートン、物理学者・数学者(+ 1727年)

1717年 - ピウス6世、カトリック教会の司祭(+ 1799年)

1815年 - テミストークレ・ソレーラ、オペラ台本作家(+ 1878年)

1849年(嘉永2年11月11日)- 乃木希典、明治時代の日本陸軍軍人(+ 1912年)

1861年 - ウォルター・ウェストン、登山家、宣教師(+ 1840年)

1876年 - ムハンマド・アリー・ジンナー、パ
キスタン建国の父として有名なインド・ムスリム連盟指導者(+ 1948年)

1883年 - モーリス・ユトリロ、画家(+ 1955年)

1891年 - 堂本印象、画家(+ 1975年)

1895年 - 金子光晴、詩人(+ 1975年)

1899年 - ハンフリー・ボガート、映画俳優(+ 1957年)

1899年 - 尾崎一雄、小説家(+1983年)

1901年 - アリス (グロスター公爵夫人)、イギリス王室(+ 2004年)

1904年 - 舟橋聖一、小説家(+1976年)

1905年 - オルドリッヒ・ネイエドリー、サッカー選手(+1990年)

1906年 - エルンスト・ルスカ、物理学者(+1988年)

1911年 - ルイーズ・ブルジョワ、彫刻家

1912年 - 阿部光子、小説家(+ 2008年)

1918年 - アンワル・アッ=サーダート、エジプト大統領(+ 1981年)

1921年 - 宮田輝、NHKアナウンサー(+1990年)

1923年 - 山本正美、作曲家(+ 2003年)

1926年(戸籍上は1927年2月25日) - 植木等、コメディアン、俳優(+2007年)

1926年(戸籍上は1927年3月15日) - 関根潤三、プロ野球選手

1927年 - 花原照子、女優

1928年 - 福永令三、児童文学作家

1932年 - 江藤淳、文学評論家(+1999年)

1933年 - 安西孝之、実業家

1933年 - 岸田秀、心理学者

1939年 - 夏八木勲、俳優

1947年 - 加藤純子、児童文学作家

1951年 - 山本功児、元プロ野球選手・監督
1953年 - 角川博、歌手
1954年 - アニー・レノックス、歌手
1956年 - 小椋冬美、漫画家
1957年 - 森園みるく、漫画家・写真家
1958年 - リッキー・ヘンダーソン - メジャーリーグ選手
1960年 - 西澤保彦、作家
1960年 - トーマス・オマリー、元プロ野球選手
1962年 - 中村大樹、声優
1965年 - 桐島ノエル、タレント
1966年 - 谷中敦、ミュージシャン(東京スカパラダイスオーケストラ)
1968年 - 緒方孝市、プロ野球選手
1968年 - スコット・ブレット、元プロ野球選手
1968年 - ヘレナ・クリステンセン、スーパーモデル
1970年 - 羽生生純、漫画家
1970年 - 佐藤ゆうこ、声優
1971年 - 白石ひとみ、AV女優
1972年 - アニータ・アルバラード、チリの女優、エッセイスト、歌手
1973年 - 三浦大輔、プロ野球選手
1974年 - 貝塚政秀、プロ野球選手
1974年 - 春日由実、フジテレビアナウンサー
1974年 - 中西哲夫、お笑い芸人(笑い飯)
1975年 - 岡島秀樹、メジャーリーガー
1975年 - 香林ゆうき、漫画家
1975年 - 中岡由佳、タレント フリーアナウンサー
1976年 - 猿橋英之、お笑い芸人(5番6番)
1976年 - ツォーマス・ホロパイネン、キーボーディスト(ナイトウィッシュ)
1977年 - 鈴木里沙、舞台女優
1978年 - 高橋みゆき、バレーボール選手
1978年 - 上野裕平、元プロ野球選手
1979年 - 石川竜也、サッカー選手
1980年 - 杉山直久、プロ野球選手
1980年 - 橋本麗香、女優、モデル
1980年 - 朝倉みず希、タレント
1981年 - ウィリー・タベラス、メジャーリーガー
1981年 - すぐる(All Japan Goith)、ミュージシャン
1981年 - 望櫻将太、大相撲力士
1982年 - ルーベン・ゴダイ、野球選手
1985年 - 粕谷雄太、声優
1986年 - 大西由希子、ジャズ・サクソフォーン奏者
1988年 - エリコ、The Do-Nuts
1989年 - 丸山葵、芸能人女子フットサル選手
1991年 - 黒瀬真奈美、女優
生年不明 - 渡辺とおる、漫画家

忌日
紀元前317年 - ピリッポス3世、マケドニア王(* 紀元前359年)

820年 - レオーン5世、東ローマ皇帝

977年(貞元2年11月8日)- 藤原兼通、公卿(* 925年)

1586年(天正14年11月15日)- 吉川元春、戦国武将、毛利元就の次男(* 1530年)

1614年(慶長19年11月25日)- 近衛信尹、公卿(* 1565年)

1635年 - サミュエル・ド・シャンプラン、
地理学者・探検家・ケベック創設者(* 1567年もしくは1570年)

1820年 - ジョゼフ・フーシェ、政治家(* 1759年)

1834年 - ダーヴィト・フリートレンダー、教育家・作家(* 1750年)

1845年 - ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ、作曲家(* 1759年)

1921年 - ハンス・フーバー、作曲家(* 1852年)

1922年 - 鈴木馬左也、実業家(* 1861年)

1926年 - 大正天皇、第123代天皇(* 1879年)

1928年 - 小山内薫、作家(* 1881年)

1938年 - カレル・チャペック、劇作家(* 1890年)

1961年 - オットー・レーヴィ、生理学者(* 1873年)

1961年 - オーウェン・ブリュスター、元メイン州知事(* 1888年)

1961年 - 矢内原忠雄、経済学者(* 1893年)

1973年 - ガブリエル・ヴォアザン、航空機開発者(* 1880年)

1973年 - イスメト・イノニュ、トルコ共和国第二代大統領(* 1884年)

1977年 - チャールズ・チャップリン、喜劇俳優(* 1889年)

1979年 - 富木謙治、合気道・柔道家(* 1900年)

1979年 - マリオ・フィリッペスキ、テノール歌手(* 1907年)

1983年 - ジョアン・ミロ、画家(* 1893年)

1986年 - 梅沢浜夫、医学者(* 1914年)

1988年 - 大岡昇平、作家(* 1909年)

1988年 - エフゲニー・ゴルベフ、作曲家(* 1910年)

1989年 - ニコラエ・チャウシェスク、ルーマニア大統領(* 1918年)

1989年 - エレナ・チャウシェスク、ニコラエ・チャウシェスクの妻(* 1919年)

1993年 - 矢野健太郎、数学者(* 1912年)

1993年 - 藤村隆男、プロ野球選手(* 1920年)

1993年 - 逸見政孝、アナウンサー(* 1945年)

1993年 - ピエール・オージェ、物理学者(* 1899年)

1994年 - 金子信雄、俳優・料理研究家(* 1923年)

1995年 - エマニュエル・レヴィナス、哲学者(* 1906年)

1995年 - ディーン・マーティン、俳優・歌手(* 1917年)

1997年 - 中村真一郎、小説家(* 1918年)

1999年 - 池田貴族、ミュージシャン(* 1963年)

2000年 - ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン、哲学者(* 1908年)

2000年 - 浜口陽三、版画家(* 1909年)

2000年 - 田村勲、元プロ野球選手(* 1957年)

2001年 - 鴨井達比古、脚本家(* 1943年)

2002年 - ガブリエル・アーモンド、政治学者(* 1911年)

2005年 - ビルギット・ニルソン、ソプラノ歌手(* 1918年)

2005年 - 佐々木丸美、小説家(* 1949年)

2006年 - ジェームス・ブラウン、ミュージシャン(* 1933年)

2007年 - ダン池田、バンドマスター(* 1935年)

記念日・年中行事
クリスマス
イエス・キリストの降誕記念日。
ユリウス暦336年にイエス・キリストの降誕の日と定められた。
誕生年数は5年ずれており
、本当の誕生日は12月25日でなはく4月16〜17日あたりと憶測されている。
(4月〜9月の間とされ、確定できているのは12月の寒い時期ではないという事である)

旧習では欧州の冬至祭。
終天神(しまいてんじん)・ 納天神(おさめてんじん)
天満宮で毎月25日に祀られ行われる縁日の一年最後の祭典。

スケートの日
日本スケート場協会が1982(昭和57)年に制定。
各地のスケート場への入場料が安くなるところが多い。
1861年、函館に滞在していた
イギリスの探検家トーマス・ライト・ブラキストンが、
日本で初めてスケートをしたのが由来である。

北九州市デパート受難の日
便宜的にこの名称をつけたが「北九州市のJR小倉駅南口すぐに建つ再開発ビルにある百貨店」はいずれもこの日に閉店もしくは閉店の発表を行っている。

地元商業界では忌み嫌われている。

2000年、小倉そごう(1993年10月開店)がグループ経営破綻の影響で黒崎とともに閉店。2002年にその跡地に現在のリバーウォーク北九州から移転した小倉玉屋も、同年のこの日に閉店した。

その後、1年余り空き店舗状態となり、2004年2月に、大手の伊勢丹が子会社を作って開業したが売り上げ不振から2007年のこの日に撤退することを発表した。

なお、これについては、過去の撤退劇の反省を踏まえ、事実上傘下に収めた地場の井筒屋と競合していた状態を解消し、互いの利益を図ることを目的としている。