東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月4日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月4日(日曜日)

みなさま。

あけましておめでとうございます。

ことしもすべてのひとびと。すべとのことがらが。

しあわせになられ。しあわせにはこび。

しあわせを達成できますように。

新年」になりました。平成21年です。

今日は(日曜日)ですが。

明日から平成21年度の診療開始です。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くのそのむかし晩秋のころ。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色の
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「新年」。「初春」。

今は私の「大好き」な。

「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」

の「蕾(つぼみ)」と「花」の季節になりました。

山本クリニックの庭園には。
「野生」の。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」が
沢山群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみると。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「山茶花(さざんか)」は
蕾が大きくなったそのよるに。

花咲き朝ちっていることが
多いです。

「種の保存」の理論からすれば
昆虫の少ない「真冬」も日々に。

開花期はながければ長いほど「実」「種」
が「たくさんできる確率は高くなる」
はずなのです。
不思議なことです。

山茶花(さざんか)は

ぬばたまの

闇夜の暗きに

木枯らしの

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

ささんかは

ぬばたまの

やみよのくらきに

こからしの

かせにいられて

はなそまいちる

早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがされば。
年が改まれば。
今度はいよいよ。

「冬」「初春」
つぼみを日々
大きくしている。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」
の季節になりました。

「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」
をみまもるのは
「みかんの木」の「丸いみかん」の
「ぶどう」のような丸い群れ。
お互いに「植物語」で話しをしているようです。

私は山茶花(さざんか)よりも
「やぶつばき」のほうずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

堂々たる。
木枯らしの吹く。
「1月」
本物の「冬」になりました。

さらに「冬」がふかまり。

「もっと深い冬」のトンネルをこえれば。

そこは「雪国の冬」です。

「木枯らし」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

に聞こえます。

近くに「トンネル」があることも

わかります。

きょうは。
とても寒い。
「木枯らし」が吹いています。
「木枯らし」は「夜」は木にとまって
一晩をすごすようにすらみえます。
「木枯らし」の鳴き声が。
きこえます。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬へとあゆみ」「新年」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

冬霧雨(ふゆきりさめ)の。
冬霞(ふゆかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
「合唱」から「独唱」になりました。
「ろうろう」と鳴いていました。
そしていまは「こおろぎ」は
もうとっくにきこえないです。

「こうろぎ」の「ろうろう」は
木枯らしの「音」にかわりました。
「ろうろう」「こうこう」
「木枯らし」の鳴き声

朝暗く寒いいうちの「木枯らし」の合唱は。
「初冬」の「ふうりん」のごとし。
あれ沢山の「ふうりん」かな。
「冬」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。
さびさびと「さむい音」です。
「こうこう」
わびわびと「たき火のこいしくなる音」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「冬ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何匹ものふくろうが。
何かを考えているようにみえます。

「雪」がつもれば。
「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch
の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

「きょう」と「あす」しか。

いません。

「きょう」と「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「初冬」の気配
もあるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる冬からの大気。

「ふかまる冬」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭はっきりと。

感じられるようになりました。

「新年」の「1月」になりました。
今年も平成21年がはじまりました。
「初春」「新年」。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく冬の樹木」にうつろうように
変化しています。

「初春」の「冬」にも「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「冬」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。

「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「中秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「秋のわかば」の「めばえ」がみえます。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていきます。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地になります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていくのは。
「夜の魔法」のようです。
「葉の去った枝」にはもう「「初春」の若芽のつぼみ」
がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は

「おせどのこおろぎはなきやみ」

「電線に「木枯らし」がとまってないている」

「深い冬」です。

「新年」「初春」の「中冬」です。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉が消えていくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきえるころ
です。

紅葉から。
「木枯らし」

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年と毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてが黄金色」に
かがやき。
朝陽をしっかりと。
「絵になるように」受け止めています。

「冬の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「枯れ葉散る」。
ちったあと枝の根元には。
「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。
「冬木」へとかわりました。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎えそして「冬」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまいなりけり

にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

冬きらきらラピス・ラズリの空(そら)
冬紺碧のカクテルいろの空(そら)
冬ミルクをそそそいだ空(そら)
冬トルコいしのプリンの空(そら)
冬はるかにとほくたかい空(そら)
冬ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
冬プリンの上のクリームのような空(そら)
冬睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
冬睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
冬空(そら)の向こうにまた空(そら)
冬そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに
緑木いらかをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜさやか
秋風かたれるやすらきの
四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜつよし
冬風弓(ゆみ)射る木枯らしに
四季のつきひははやいくとせ

冬椎木(しいのき)は枝高し
冬そらに吼える若葉の穂束
冬そらに吼える蒼き獅子のごとし
冬天にも地にもみどりはさける
冬のあさふかまりて
冬陽の光ゆたかなりけり
冬いふことのなし
冬いふことがなし
冬いふことはなし
冬いふこともなし
冬ゆたかなるかな秋冬

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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平成21年

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

-------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

チェコの作曲家・ヴァイオリニストとして
極めて有名ですが。
チエコの民俗音楽旋律は用いない点。
同郷の作曲家とは非常に異なっている。
チエコの作曲家で「ヴアイオリニスト」。

また「全く同名の孫」は。
世界的なヴァイオリニストの一人です。

日本ではヨゼフ・スークの名で親しまれています。

知る人ぞ少ないですが。

近代オリンピックで

「芸術競技」というものがあった時代が

ありました。

1932年 ロサンゼルスオリンピックにて。

「音楽全般」部門で金メダルを獲得した

チエコの作曲家「ヴアイオリニスト」。

1898年に師匠のドヴォルザークの娘オチルカと結婚した
作曲家・「ヴアイオリニスト」。

1874年 - ヨセフ・スク、作曲家(+ 1935年)
の生誕日です。
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ヨセフ・スク(Josef Suk,
1874年1月4日 - 1935年5月29日) は。
チェコの作曲家・ヴァイオリニストです。

同名の孫は世界的なヴァイオリニストの一人です。
日本ではヨゼフ・スークの名で親しまれています。

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ヨセフ・スク:Josef Sukは。

チエコのクレチョヴィーチェに生まれました。

1885年から1892年までプラハ音楽院で
ドヴォルザークに学びました。
(1898年にドヴォルザークの娘オチルカと結婚致しました)。

同級生と共にチェコ四重奏団を結成して。
第2ヴァイオリン奏者を勤めました。

1922年から母校プラハ音楽院で教鞭を執ました。

ボフスラフ・マルティヌーらを指導致しました。
ベネショフにて逝去致しました。

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ヨセフ・スク:Josef Sukの。

スクの初期作品は。
ドヴォルザークとブラームスの影響を示しています。

その半面、のちの作品では拡張された和声と用いて。
より個性的で複雑な様式を生み出しています。

成熟期の管弦楽曲は。
マーラーやリヒャルト・シュトラウス
からの影響を示唆しています。

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ヨセフ・スク:Josef Sukは。

多くの同郷人とは非常に異なった点がありました。
チェコの民族音楽はめったに使わなかったのです。

第一次世界大戦に前後して。

教育活動に忙殺されるようになると創作のペースが落ちました。

半音階的な書法が複雑になり全体として晦渋な響きになっています。

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ヨセフ・スク:Josef Sukは。

近代オリンピックで「芸術競技」というものがあった時代が
ありました。

1932年 ロサンゼルスオリンピックにて。
「音楽全般」部門で金メダルを獲得しています。

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ヨセフ・スク (作曲家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF_(%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6)

ヨセフ・スク(Josef Suk, 1874年1月4日 - 1935年5月29日) はチェコの作曲家・ヴァイオリニスト。同名の孫は世界的なヴァイオリニストの一人で、日本ではヨゼフ・スークの名で親しまれている。

クレチョヴィーチェに生まれる。1885年から1892年までプラハ音楽院でドヴォルザークに学ぶ(1898年にドヴォルザークの娘オチルカと結婚)。同級生と共にチェコ四重奏団を結成し、第2ヴァイオリン奏者を勤めた。 1922年から母校プラハ音楽院で教鞭を執り、ボフスラフ・マルティヌーらを指導した。ベネショフにて逝去。

スクの初期作品は、ドヴォルザークとブラームスの影響を示しているが、その半面、のちの作品では、拡張された和声と用いて、より個性的で複雑な様式を生み出している。成熟期の管弦楽曲は、マーラーやリヒャルト・シュトラウスからの影響を示唆している。多くの同郷人とは異なり、チェコの民族音楽はめったに使わなかった。第一次世界大戦に前後して、教育活動に忙殺されるようになると創作のペースが落ちたが、半音階的な書法が複雑になり、全体として晦渋な響きになっている。 近代オリンピックで「芸術競技」というものがあった時代、1932年 ロサンゼルスオリンピックにて、「音楽全般」部門で金メダルを獲得している。

主要作品一覧
ピアノ四重奏曲 イ短調 作品1
ピアノ三重奏曲 ハ短調 作品2
弦楽セレナーデ 作品6(1892年)
ピアノ曲《愛の歌》作品7-1(作品7は《ピアノ小曲集》)
劇付随音楽《ラドゥースとマフレナ》作品13(1898年)
交響曲 第1番 ホ長調 作品14
管弦楽組曲《おとぎ話》作品16(1900年)
管弦楽組曲《りんごの木の下で》作品20
ピアノ曲集《春》作品22a
ピアノ曲集《夏の印象》作品22a
ピアノ三重奏のための《悲歌》 作品23(原曲はハープつき九重奏のための劇付随音楽)
ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲 ト短調 作品24
幻想的スケルツォ 作品25
交響詩《プラハ》作品26
アスラエル交響曲 作品27(1906年)
ピアノ曲集「母について」作品28(1909年)
連作交響詩《夏物語》作品29(1909年)
ピアノ曲集《命と夢》作品30(1909年)
弦楽四重奏曲 第2番 作品31
ピアノ曲集《子守唄》作品33
交響詩《人生の実り》作品34(1917年)
交響詩《エピローグ》作品37(1929年、合唱つき)がある。
愛国的三部作 作品35
コラール「聖ヴァーツラフ」の主題による瞑想曲(1914年、op.35-1は弦楽合奏版、op.35aは弦楽四重奏版)
大管弦楽のための伝説曲 op.35-2
祖国新生に向けて(ソコル祭典行進曲) op.35-3

外部リンク
IMSLP - International Music Score Library Project 内のヨセフ・スクのページ。無料で楽譜が入手可能。
この「ヨセフ・スク (作曲家)」は、クラシック音楽に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF_(%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6)" より作成
カテゴリ: 1874年生 | 1935年没 | ロマン派の作曲家 | チェコの作曲家 | クラシック音楽関連のスタブ

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

1月4日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%884%E6%97%A5

できごと
1879年 - 明治政府、平安時代から実施されていた梟首刑(さらし首)を廃止。

1882年 - 「軍人勅論」が発布される。

1894年 - 露仏同盟が正式に成立。

1932年 - 佐々木隆興、吉田富三が、肝臓がんの人工発生に成功。

1932年 - マハトマ・ガンディー逮捕。国民会議派非合法化する。

1937年 - 名古屋城の金鯱の尾のウロコ58枚が盗まれる。

1944年 - 東條英機首相が「官吏の戦陣訓」を公布する。

1946年 - GHQが軍人・戦犯・軍国主義者・政治家などの公職追放を指示。

1948年 - ビルマ(現在のミャンマー)がイギリスから独立し、ビルマ連邦共和国が成立。

1948年 - 日米間国際電話開通。

1955年 - ビキニ被災補償でアメリカ合衆国が200万ドルの慰謝料を支払う事が
日米の間で公文交換される。

1956年 - アメリカ政府が在日米地上軍の削減を発表。

1958年 - 前年に打ち上げられた人工衛星スプートニク1号が地球に墜落。

1966年 - 日本社会党が政権獲得構想を発表。

1968年 - 東証株価指数の基準日。この日の時価総額を100として算出する。

1977年 - 青酸コーラ無差別殺人事件発生。

1988年 - ソ連がソウル五輪への参加を表明。

1991年 - 中華人民共和国梅里雪山で、日中合同登山隊が大量遭難死。

1992年 - 東京ドームで新日本プロレスの興行が開催される。
これ以降、新日本プロレスは毎年1月4日に東京ドーム興行を開催する。

1995年 - オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件。

2003年 - 読売新聞土曜日の朝刊で大江健三郎の『二百年の子供』連載開始。

2005年 - 軽自動車のナンバープレートの分類番号3桁化、
希望番号制を実施(自家用のみ)。

2006年 - 東京三菱銀行とUFJ銀行とが合併した「三菱東京UFJ銀行」が営業開始。

誕生日
968年(乾徳5年12月2日) - 真宗、北宋第3代皇帝(+ 1022年)

1076年 - 哲宗、北宋第7代皇帝(+ 1100年)

1602年(慶長6年閏11月11日)- 藤堂高次、第2代津藩主(+ 1676年)

1643年 - アイザック・ニュートン、科学者(+ 1727年)

1710年 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ、作曲家(+ 1736年)

1753年(宝暦2年12月1日)- 黒田治之、第7代福岡藩主(+ 1781年)

1785年 - ヤーコプ・グリム、文献学者・グリム兄弟の兄(+ 1863年)

1809年 - ルイ・ブライユ、点字の開発者(+ 1852年)

1848年(弘化4年11月28日)- 桂太郎、第11・13・15代内閣総理大臣(+ 1913年)

1874年 - ヨセフ・スク、作曲家(+ 1935年)

1882年 - 梅津美治郎、陸軍大将(+ 1949年)

1886年 - 高畠素之、社会思想家(+ 1928年)

1889年 - 夢野久作、小説家(+ 1936年)

1896年 - エヴァレット・ダークセン、アメリカ合衆国上院少数党院内総務(+ 1969年)

1901年 - C・L・R・ジェームズ、作家・ジャーナリスト(1989年)

1902年 - 阿部武雄、作曲家(+ 1968年)

1912年 - 小柳勇、政治家(+ 2005年)

1913年 - マリエトア・タヌマフィリ2世、サモア大首長(+ 2007年)

1919年 - 平野愛子、歌手(+ 1981年)

1922年 - 山田風太郎、小説家(+ 2001年)

1929年 - 草間彌生、美術家

1929年 - ギュンター・シャボウスキー、ドイツ社会主義統一党政治局員

1930年 - 武井保雄、元武富士会長(+ 2006年)

1932年 - カルロス・サウラ、映画監督

1933年 - ポール・ヴィリリオ、哲学者

1933年 - 市川昭介、作曲家(+ 2006年)

1935年 - フロイド・パターソン、プロボクサー(+ 2006年)

1938年 - 藤田小女姫、占い師(+ 1994年)

1940年 - 高行健、小説家

1940年 - ブライアン・ジョゼフソン、物理学者

1940年 - ヘルムート・ヤーン、建築家

1940年 - バート・シャーリー、元プロ野球選手

1940年 - 黒岩秩子、政治家

1944年 - 子門真人、歌手

1944年 - チャーリー・マニエル、元プロ野球選手

1944年 - 山中巽、元プロ野球選手

1948年 - 岡崎彰、天文学者

1948年 - 長井繁夫、元プロ野球選手
1950年 - 丹古母鬼馬二、俳優
1950年 - 山口たか、政治家
1950年 - 横山忠夫、元プロ野球選手
1956年 - バーナード・サムナー、ミュージシャン(ニュー・オーダー)
1957年 - テレサ野田、元女優
1958年 - 宮本亜門、演出家
1958年 - 三田紀房、漫画家
1959年 - 本田優、元騎手・調教師
1960年 - マイケル・スタイプ、ミュージシャン(R.E.M.)
1962年 - ダンシング谷村、ものまねタレント
1963年 - トレイ・ヒルマン、元北海道日本ハムファイターズ監督・カンザスシティ・ロイヤルズ監督
1964年 - 竹内力、俳優
1965年 - 中村達也、ミュージシャン
1965年 - イヴァン・アタル、俳優・映画監督
1965年 - 宮下昌己、元プロ野球選手
1966年 - 上福元勤、元プロ野球選手(+ 2007年)
1967年 - デビッド・トムズ、プロゴルファー
1967年 - インゴ、在日外国人タレント・俳優
1968年 - 松尾潔、音楽プロデューサー
1971年 - 山部太、元プロ野球選手
1971年 - 柿崎順一、芸術家・華道家
1971年 - 佐藤裕幸、元プロ野球選手
1974年 - アンドレアシュ・シュタルケ、騎手
1976年 - グロテス・F・ニポポ、ミュージシャン(元トンガリキッズ)
1977年 - 水田竜子、演歌歌手
1978年 - クリストファー・ギッセル、プロ野球選手
1979年 - 岡上和典、元プロ野球選手
1980年 - 高山梨香、アナウンサー(テレビ西日本)
1980年 - 細川亨、プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)
1981年 - 坂本日登美、女子レスリング選手
1982年 - 落合真理、モデル元バレーボール選手
1983年 - 植村花菜、歌手
1983年 - エバウド・シルバ・ドス・サントス、サッカー選手
1983年 - 中井義樹、サッカー選手
1984年 - 岡田マリア、ラジオDJ、ファッションモデル
1986年 - 柴田菜月、レースクイーン、女性モデル
1992年 - 福永マリカ、女優、ファッションモデル
1994年 - 沖田拡輝、ジャニーズJr.
1995年 - マリア・イサベル、歌手
生年不明 - 立野香菜子、声優
生年不明 - 泉裕子、声優

忌日
1564年(永禄6年12月20日)- 細川氏綱、室町幕府管領(* 1514年)

1672年(寛文11年12月5日)- 佐竹義隆、第2代久保田藩主(1609年)

1786年 - モーゼス・メンデルスゾーン、哲学者(* 1729年)

1825年 - フェルディナンド1世、両シチリア王(* 1751年)

1829年(文政11年11月29日)- 酒井抱一、絵師(* 1761年)

1877年 - コーネリアス・ヴァンダービルト、実業家(* 1794年)

1906年 - 福地源一郎、ジャーナリスト(* 1841年)

1912年 - 東久世通禧、政治家(* 1834年)

1913年 - アルフレート・フォン・シュリーフェン、ドイツ陸軍参謀総長(* 1833年)

1919年 - ゲオルク・フォン・ヘルトリング、第7代ドイツ国首相(* 1843年)

1925年 - 平瀬作五郎、植物学者(* 1856年)

1940年 - 根津嘉一郎 (初代)、実業家・東武鉄道オーナー(* 1860年)

1941年 - アンリ・ベルクソン、哲学者(* 1859年)

1953年 - 秩父宮雍仁親王、日本の皇族(* 1902年)

1956年 - 西村真琴、ロボット学者(* 1883年)

1960年 - アルベール・カミュ、小説家(* 1913年)

1961年 - エルヴィン・シュレーディンガー、物理学者(* 1887年)

1965年 - T・S・エリオット、詩人(* 1888年)

1965年 - 加藤斌、元プロ野球選手(* 1944年)

1969年 - ポール・チェンバース、ジャズベーシスト(* 1935年)

1985年 - 久保寺雄二、元プロ野球選手(* 1958年)

1986年 - フィル・ライノット、
ロックンロール歌手・ベーシスト(シン・リジィ)(* 1949年)

1988年 - リリー・ラスキーヌ、ハープ奏者(* 1893年)

1995年 - エドゥアルド・マータ、指揮者(* 1942年)

2003年 - コンラッド・L・ホール、撮影監督(* 1926年)

2004年 - ジョーン・エイケン、児童文学作家(* 1924年)

2006年 - マクトゥーム・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム、
ドバイアミール・アラブ首長国連邦副大統領(* 1943年)

2007年 - マレー・フィリューン、南アフリカ大統領(* 1915年)

2008年 - 田村秀昭、元参議院議員、国民新党副代表(* 1932年)

記念日・年中行事
正月
官公庁御用始め

官公庁は1873年より、
12月29日から1月3日までを休暇とすることが法律で定められており、
4日が仕事始めとなる。

  なお、民間企業も銀行等ホワイトカラー系はこの日が
仕事始めの所が多い(ブルーカラー系など大体の企業は1月5日)。

取引所大発会

初売り

鏡開き(京都)

独立記念日(ミャンマー)
1948年1月4日にイギリスから独立したため