東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月10日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月10日(土曜日)

みなさま。

あけましておめでとうございます。

ことしもすべてのひとびとが。すべとのことがらが。

しあわせになられ。しあわせにはこび。

しあわせを達成できますように

あけましておめでとうございます。
「新年」も「10日」たちました。

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今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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今は「新年」の「1月」です。
「初春」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

今は「新年」。「初春」です。
「新年」をむかえても。

これからいよいよに。
もっと深くふかまる「冬」。
ふかまる「冬」をすぎれば。
そこは雪国の「冬」です。

「冬」。
「冬」をむかえ。
そして。
「さらにふかい冬」を。
むかえようとしています。

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。

自在に「かんがえる」。
「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せ者です。

「新年」の「初春」だけれども。

「ひたひた」とさらに深まりゆく「冬」。
「さくさく」とひびく日々の過ぎ去る足音は。

「とぼとぼ」と。
朝早くまだ暗い街中に聞こえるようにとおざかり。

「冬」にいすわらぬ「冬役者」があらわれる。
「冬の戯曲」の「冬役者」。

「冬将軍」の「冬役者」かけあしの音がきこえます。

「冬将軍」
とはだれのつくった「ことば」か。
すごい言葉と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた
比較的新しい伝承であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)がゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版した『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味ではアイルランドのバンシーに似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。

別の解釈としては妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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「新年」「初春」。

早いです。
速いものです。
速いのか早いのか。
はやいのか。

けさ暗いうち
地をはうような「木枯らし」の
風がふきました。

「山茶花(さざんか)」と「木枯らし」は相性が。
よくないようです。

「或は」極めて相性がよいのかもしれません。
どちらかです。

暗い寒い朝に。
山茶花(さざんか)の花びらが。
夜の間に木枯しの。
弓風に射られて。
白鷺の羽が舞いおりているようです。

晩秋に聞こえたろうろうと鳴く。
こうろぎののなきごえ。
晩秋には早朝から
遠くにきこえました。

冬のこうろぎ。
「ろうろう」(朗々)と鳴いていました。
さびさびとした。

宙を舞う前の
「むささび」の声のような。
「なきごえ」でした。

「冬」になり
いまはもう「こうろぎ」の声もきこえません。

いまは。
「木枯らし」の鳴き声にかわりました。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に霜柱の音」
が聞こえました。

不思議な「冬の霜柱の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」だけになりました。

「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」は。
早朝暗いうちになくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」です。
面白いが「おそろしい」情景であるような気が致します。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王」のようになるのでしょうか。

「冬の霜柱の音」の声。
冬に「こうこう」と鳴く。
そして木枯らしの風音がくわわっていきます。

その木枯らし音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「冬のふゆかぜ」のこえは。
暗闇の「冬の足音」のように聞こえる。
暗い冬の日に。
「雪の降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
冬のあさの「あしおと」と「冬」のよるあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
木枯らしはトッカータ。


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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防寒衣としては
なくてはならないものです。

「新年」
冬の夜明(よあけ)の空から。
冬の陽がのぼり。
冬の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く冬雲です。

あさの06:00AMころに。

東の空
ほのかにあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる冬の気配」を感じます。

冬野路はた見たりビロードのしだ
冬わらべのごときビロードのしだ
冬わらびのごとく輝けりビロードのしだ
冬山奥にひそむビロードのしだ
冬しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
冬めずらしき羊歯ビロードのしだ
冬ときわの緑のほのほビロードのしだ
冬山奥のしだのビロードのしだ
冬「まち」にもいきるビロードのしだ
冬けなげなりもあはれなりビロードのしだ
冬生い立ちしらずビロードのしだ
冬されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

冬いざいまこそは

冬よき季節にあらむ

冬ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は短くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「樹氷の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらにもっと深い冬」の気配がうつろいて。
うつります。

冬まちなみ蒼く(あおく)
冬いろどりて
冬木々の榛葉のかがやけり
冬暑さの夏秋をうつろひて
冬ふかまるみどりの冬木なり
冬しずまるみどりの冬木なり
冬みのりの冬こそありがたし
冬みのりの冬こそこひしかり
冬虫なきてささやけり
冬木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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平成21年2月23日(火曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。
ガリレオ・ガリレイから。
結果数日遅れで「木星の惑星4つ」
を発見し。
優先権でガリレオ・ガリレイと論争になったが。

面白いことに。
名前のない木星のガリレオ衛星の。
名前を与えた天文学者。

(木星(ユピテル*、ギリシア神話のゼウス)
に伴っていることから。

ギリシア神話からとった
ゼウスの愛人たちの名前が付けられました)
(*「ユピテル」という
電子機器(電話が多い)は「木星」のことです)

また。
今現在
かつてはアンドロメダ星雲、アンドロメダ大星雲の名称で知られる
アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy (M31またはNGC224として知られる)*
を1612年に初めて望遠鏡で観測した天文学者。

(渦巻きの発見は1888年ロバートにより
3時間にもおよぶ撮影を行い渦状構造を確認)

但しアンドロメダ銀河は、
肉眼でも観測することが出来るため。
964年には既に。
ブド・アル・ラフマン・アル・スーフィーによって
"小さな雲"と記述されたのが「発見」。

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)
に関しては怖いことがあります。

アンドロメダ銀河のスペクトルは青方偏移を持ちます。
我々の銀河系に対して秒速約300kmで接近しています 。

約30億年後にはアンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)
と我々の銀河系「この2つの銀河」は衝突して合体致します。
1つの巨大な楕円銀河を形成すると予想されています。
(ただし1990年代後半に確認された宇宙の加速膨張を考慮に入れると、
両銀河の衝突時期はこれよりいくらか延びるという予測もあります。)

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)
の初めての望遠鏡観測と。
木星の「4つの惑星」の「命名」で有名な。

1573年 - シモン・マリウス、天文学者(+ 1624年)

の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

シモン・マリウス
(ラテン語名Simon Marius:
ドイツ語名 ジーモン・マイヤー Simon Mayr、
グンツェンハウゼンのマイヤー Mayer von Gunzenhausen ともいう
1573年1月10日 - 1624年12月26日)はドイツの天文学者です。

ガリレオと独立して木星の4つの衛星を
発見したと主張したことで有名です。

ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領の
グンツェンハウゼン[1]出身です。

++++++++++++++++++++++

シモン・マリウス :ラテン語名Simon Mariusは。

596年の彗星を観測し、同地の主任数学者になりました。
1605年ころまでパドゥア大学で医学を学びました。

1610年ガリレオと同時期に望遠鏡で木星を観測致しました。

1614年マリウスは De Mundo Joviali (木星の世界について)
を著しました。

その中でガリレオよりも
数日早く木星の主要な4つの衛星を発見したと主張致しました。

これがガリレオとの論争となりました。

マリウスは同書において
1609年の11月末から木星の衛星の観測を開始したと主張して
いましたが。
観測記録の日付は12月29日から始まっています。

今日では、マリウスはユリウス暦を使用したと考えられており。
これをグレゴリオ暦に換算すると翌年の1月8日になります。

そのため、ガリレオが先に発見し。
その数日後にマリウスが独立して
発見したとされています。

++++++++++++++++++++++

シモン・マリウス :ラテン語名Simon Mariusは。

木星のガリレオ衛星の名前は。

マリウスが与えたものです。

木星(ユピテル、ギリシア神話のゼウス)に
侍っていることから。
ギリシア神話からとった
ゼウスの愛人たちの名前が付けられました。

++++++++++++++++++++++

シモン・マリウス :ラテン語名Simon Mariusは。

その他にむしろ。
1612年にアンドロメダ銀河*を初めて望遠鏡観観測した
ことで知られています。

++++++++++++++++++++++

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)は。

アンドロメダ座に位置する目視で確認可能な渦巻銀河です。

さんかく座銀河、銀河系(天の川銀河)、
大マゼラン銀河、小マゼラン銀河
などとともに。

局部銀河群を構成致します。

++++++++++++++++++++++

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)
は。
地球から約230万光年の距離に位置致します。

およそ1兆個[1]の恒星から成る渦巻銀河です。
恒星の密度が濃く一見して銀河と判ります。

(近年発見されたディスクの拡張部分を含まない)
分の見た目の直径は約13万光年(※1)であり、
直径8〜10万光年の我々の銀河系(天の川銀河)よりも大きい。

局部銀河群で最大の銀河です。

かつては、アンドロメダ星雲、アンドロメダ大星雲
などとも呼ばれていました。

見かけは一時期銀河系(天の川銀河)と
似ていると言われていました。

けれどもバルジに2つの巨大ブラックホールが存在し、
連星系を成している事が観測より明らかになりました

また、我々の銀河系のバルジと比べてガスや暗黒物質が
非常に少ない事が判ってきました。

さらに。
我々の銀河系の方のバルジに棒構造が発見された事により
分類上でも両者は渦巻銀河と棒渦巻銀河に区別されるなど
違いがより明確に解明されてきました。

++++++++++++++++++++++

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)
は。

アンドロメダ銀河は、
肉眼でも観測することが出来るため。

964年には既にブド・アル・ラフマン・アル・スーフィーによって
"小さな雲"と記述されています。

望遠鏡による観測はドイツの天文学者
シモン・マリウス (Simon Marius, 1573-1624)が
1612年に行ったのが初めてとされています。

シモン・マリウスは。
しばしば誤ってアンドロメダ銀河の発見者として
紹介されることがあります。

ウィリアム・ハーシェルは
「核は星雲状。星に分かれそうだ」と記しています。
ボンドは1847年暗黒帯がある詳しいスケッチを残しました。
1864年ハギンスはスペクトルを観測致します。

1888年ロバートは3時間にもおよぶ
撮影を行い渦状構造を確認致しました。

1885年ハルトウィッヒは
新星、セファイド変光星、散開星団、球状星団を発見し、
さらに自転速度を測定致しました。

バーデはパロマー山200インチ望遠鏡で。
第二次世界大戦によるロサンゼルスの灯火管制の中、
星の種族を確認しています。

++++++++++++++++++++++

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)

初めてM31までの距離を測定したのは
アメリカのハッブルです。
彼は1923年M31の中にあるセファイド変光星を利用して
距離を見積もりました。

その結果。
M31は銀河系の外にある天体であることが分かりました。
彼は1929年この研究を発表致しました。

アンドロメダ銀河の周囲には伴銀河として
M32、M110 (NGC205)が観測できます)。

これらの伴銀河は
いずれアンドロメダ銀河と衝突し吸収されてしまうと
考えられている
ものです。

++++++++++++++++++++++

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)

アンドロメダ銀河のスペクトルは青方偏移を持ちます。
我々の銀河系に対して秒速約300kmで接近しています 。

約30億年後にはこの2つの銀河は衝突して合体し。
1つの巨大な楕円銀河を形成すると予想されています。

(ただし1990年代後半に確認された宇宙の加速膨張を考慮に入れると、
両銀河の衝突時期はこれよりいくらか延びるという予測もあります。)
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アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy
(M31またはNGC224として知られる)
は。

M31は肉眼で見ることができます。
双眼鏡では、長い楕円形のはっきりした光芒に映ります。

大口径の望遠鏡でも意外に見え方は良くならず
中心部分の明るいところしか見えません。

条件の良い場所で口径20cmの望遠鏡でやっと渦巻き構造が見え始めます。

++++++++++++++++++++++

球状星団G1
アンドロメダの近傍には銀河の他にも多数の星団も観測されます。
その中で最大のものはアンドロメダ銀河の周囲を巡っている
球状星団G1です。

Mayall IIの名称でも知られるG1は。
アンドロメダ銀河の中心から13万光年の距離にあります。

宇宙の始まりから比較的早い時期に誕生した
古い星々が数10万個以上集まって構成されていると考えられています。

局部銀河群の中ではおそらく最も明るい球状星団であり。
地球から観測した見かけの等級は13等級です。

絶対等級としては天の川銀河で最も明るい
オメガ星団(NGC 5139、視等級3.7)よりも明るいです。

++++++++++++++++++++++

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
シモン・マリウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9

シモン・マリウス (ラテン語名Simon Marius:ドイツ語名 ジーモン・マイヤー Simon Mayr、グンツェンハウゼンのマイヤー Mayer von Gunzenhausen ともいう、1573年1月10日 - 1624年12月26日)はドイツの天文学者。ガリレオと独立して木星の4つの衛星を発見したと主張していた。

ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領のグンツェンハウゼン[1]出身。1596年の彗星を観測し、同地の主任数学者になった。1605年ころまでパドゥア大学で医学を学んだ。1610年ガリレオと同時期に望遠鏡で木星を観測した。1614年マリウスは De Mundo Joviali (木星の世界について)[2]を著し、その中でガリレオよりも数日早く木星の主要な4つの衛星を発見したと主張した。これがガリレオとの論争となった。マリウスは同書において1609年の11月末から木星の衛星の観測を開始したと主張していたが、観測記録の日付は12月29日から始まっている。今日では、マリウスはユリウス暦を使用したと考えられており、これをグレゴリオ暦に換算すると翌年の1月8日になる。そのため、ガリレオが先に発見し、その数日後にマリウスが独立して発見したとされている。木星のガリレオ衛星の名前は、マリウスが与えたものである。木星(ユピテル、ギリシア神話のゼウス)に侍っていることから、ギリシア神話からとったゼウスの愛人たちの名前が付けられた。

その他に、1612年にアンドロメダ銀河を観測したことでも知られる。


^ 現在のバイエルン自由州ミッテルフランケン行政管区ヴァイセンブルク=グンツェンハウゼン郡
^ 正式名称 Mundus Iovialis anno M.DC.IX. Detectus Ope Perspicilli Belgici

外部リンク
シモン・マリウスの経歴 ? ガリレオ・プロジェクト(英語)
Mundus iovalis = Die Welt des Jupiter ? ドイツ国立図書館蔵書目録(ドイツ語)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

アンドロメダ銀河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%80%E9%8A%80%E6%B2%B3

アンドロメダ銀河Andromeda Galaxy (M31またはNGC224として知られる)は、アンドロメダ座に位置する目視で確認可能な渦巻銀河である。さんかく座銀河、銀河系(天の川銀河)、大マゼラン銀河、小マゼラン銀河などとともに局部銀河群を構成する。

目次
1 概要
2 球状星団G1
3 脚注
4 フィクション

概要
地球から約230万光年の距離に位置し、およそ1兆個[1]の恒星から成る渦巻銀河で、恒星の密度が濃く一見して銀河と判る(近年発見されたディスクの拡張部分を含まない)分の見た目の直径は約13万光年(※1)であり、直径8〜10万光年の我々の銀河系(天の川銀河)よりも大きく、局部銀河群で最大の銀河である。かつては、アンドロメダ星雲、アンドロメダ大星雲などとも呼ばれていた。

見かけは、一時期銀河系(天の川銀河)と似ていると言われていたが、バルジに2つの巨大ブラックホールが存在し、連星系を成している事が観測より明らかになった。[1]また、我々の銀河系のバルジと比べてガスや暗黒物質が非常に少ない事が判ってきた。[2]さらに、我々の銀河系の方のバルジに棒構造が発見された事により分類上でも両者は渦巻銀河と棒渦巻銀河に区別されるなど違いがハッキリしてきている。

アンドロメダ銀河は、肉眼でも観測することが出来るため、964年には既に、アブド・アル・ラフマン・アル・スーフィーによって"小さな雲"と記述されている。望遠鏡による観測はドイツの天文学者シモン・マリウス (Simon Marius, 1573-1624)が1612年に行ったのが初めてとされる。シモン・マリウスは、しばしば誤ってアンドロメダ銀河の発見者として紹介されることがある。ウィリアム・ハーシェルは「核は星雲状。星に分かれそうだ」と記している。ボンドは1847年暗黒帯がある詳しいスケッチを残した。1864年ハギンスはスペクトルを観測する。1888年ロバートは3時間にもおよぶ撮影を行い、渦状構造を確認した。1885年ハルトウィッヒは新星、セファイド変光星、散開星団、球状星団を発見し、さらに自転速度を測定した。バーデはパロマー山200インチ望遠鏡で、第二次世界大戦によるロサンゼルスの灯火管制の中、星の種族を確認している。初めてM31までの距離を測定したのはアメリカのハッブルである。彼は1923年M31の中にあるセファイド変光星を利用して距離を見積もった。その結果、M31は銀河系の外にある天体であることが分かった。彼は1929年この研究を発表した。

アンドロメダ銀河の周囲には伴銀河としてM32、M110 (NGC205)が観測できる(図1)。これらの伴銀河はいずれアンドロメダ銀河と衝突し吸収されてしまうと考えられている。

アンドロメダ銀河のスペクトルは青方偏移を持ち、我々の銀河系に対して秒速約300kmで接近している [1]。約30億年後にはこの2つの銀河は衝突して合体し、1つの巨大な楕円銀河を形成すると予想されている。(ただし1990年代後半に確認された宇宙の加速膨張を考慮に入れると、両銀河の衝突時期はこれよりいくらか延びるという予測もある。)

M31は肉眼で見ることができる。双眼鏡では、長い楕円形のはっきりした光芒に映る。大口径の望遠鏡でも意外に見え方は良くならず中心部分の明るいところしか見えない。条件の良い場所で口径20cmの望遠鏡でやっと渦巻き構造が見え始める。

※1…アンドロメダ銀河の物理的性質としての実際の直径は22〜26万光年でこれまでの推定より格段に大きいものである事が判った。
これは近年の観測結果[3]によって、これまでアンドロメダ銀河のハロー部分(銀河周辺領域)であると見なされていた領域の星々が、実はアンドロメダ銀河のディスク(銀河の円盤部分)の一部であると判明した事によってディスク構造が既知の範囲より大きく拡がっているのが判った為である。

<参考URL>

実は3倍の大きさだった、M31アンドロメダ座大銀河 :2005年AstroArts
アンドロメダ銀河の直径は約26万光年 :2006年日本惑星協会

球状星団G1
アンドロメダの近傍には銀河の他にも多数の星団も観測され、その中で最大のものはアンドロメダ銀河の周囲を巡っている球状星団G1である(図1右下、図2)。Mayall IIの名称でも知られるG1は、アンドロメダ銀河の中心から13万光年の距離にあり、宇宙の始まりから比較的早い時期に誕生した古い星々が数10万個以上集まって構成されていると考えられている。局部銀河群の中ではおそらく最も明るい球状星団であり、地球から観測した見かけの等級は13等級である。絶対等級としては天の川銀河で最も明るいオメガ星団(NGC 5139、視等級3.7)よりも明るい。

2002年のハッブル宇宙望遠鏡の観測では、太陽の約2万倍の質量を持つブラックホールがG1とM15の中心に存在している可能性が示唆された。 (参考:HubbleSite)

球状星団G1

脚注
^ a b http://www.astroarts.co.jp/news/2006/06/08m31/index-j.shtml
^ これは、伴銀河が数十億年前にアンドロメダ銀河に飲み込まれ、巨大ブラックホールの連星系が誕生して以降、その連星系にバルジ周辺のガスや暗黒物質が喰らい尽くされたものと推測されている。
^ http://mr.caltech.edu/media/Press_Releases/PR12703.html

フィクション
ウィキメディア・コモンズには、アンドロメダ銀河 に関連するマルチメディアがあります。松本零士の漫画『銀河鉄道999』において、「機械の体をタダでくれる星」のある銀河系として登場している。
SFアニメ『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』・『宇宙戦艦ヤマト2』に登場する白色彗星帝国ガトランティスが銀河系(作品内では「アンドロメダ星雲」と呼ばれている)にある星々を全て制圧している事になっている。

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1月10日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8810%E6%97%A5

できごと
紀元前49年 - ガイウス・ユリウス・カエサルが、
元老院の命令を無視してルビコン川を渡りイタリアに侵入。

1593年(天正20年12月8日)- 元号を天正から文禄に改元。

1723年(享保7年12月4日) - 小石川養生所が開設される。

1776年 - トマス・ペインの政治評論パンフレット
『コモン・センス』が発行。アメリカ独立の機運を高める。

1863年 - ロンドンのパディントン〜ファリントン5.5kmで世界初の地下鉄が開業。

1946年 - 第1回国際連合総会がロンドンで開幕。

1949年 - アメリカのビクターが45回転レコード(ドーナツ盤)を開発・公開。

1959年 - NHK教育テレビが放送開始。

1985年 - グリコ・森永事件で大阪府警が「キツネ目の男」の似顔絵を公開。

1990年 - 講談専門の寄席、上野本牧亭が閉館。

2000年 - アメリカ・オンラインが米タイム・ワーナー買収を発表。

2000年 - 多摩都市モノレール線 立川北駅〜多摩センター駅間、開業。

誕生日
1480年 - マルガレーテ(マルグリット)、
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘(+ 1530年)

1573年 - シモン・マリウス、天文学者(+ 1624年)

1638年 - ニコラウス・ステノ、地質学者(+ 1686年)

1729年 - ラザロ・スパランツァーニ、博物学者(+ 1799年)

1745年 - イサーク・ティチング、オランダのカピタン(+ 1812年)

1769年 - ミシェル・ネイ、ナポレオン戦争期のフランス軍元帥(+ 1815年)

1770年 - シャルル・アンドレ・メルダ、軍人(+ 1812年)

1810年 - ジェレマイア・ブラック、第23代アメリカ合衆国国務長官(+ 1883年)

1835年(天保5年12月12日) - 福澤諭吉、思想家(+ 1901年)

1835年 - ハリー・ライト、メジャーリーグベースボール選手・監督(+ 1895年)

1853年 - ジョン・マーチン・シェバーリ、天文学者(+ 1924年)

1867年 - ゲアハルト・アンシュッツ、法学者(+ 1948年)

1868年(慶応3年12月16日)- 尾崎紅葉、小説家(+ 1903年)

1869年(明治元年11月28日)- 月亭小文都、落語家(+ 1902年)

1873年 - ジョージ・オートン、陸上競技選手(+ 1958年)

1883年 - アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ、小説家(+ 1945年)

1884年 - 山村暮鳥、詩人・児童文学者(+ 1924年)

1894年 - 石田茂作、考古学者(+ 1977年)

1903年 - ジャン・モレル、指揮者(+ 1975年)

1907年 - 日守新一、俳優(+ 1959年)

1908年 - 伴淳三郎、喜劇俳優(+ 1981年)

1908年 - バーナード・リー、俳優(+ 1981年)

1913年 - 田中英光、小説家(+ 1949年)

1913年 - グスターフ・フサーク、チェコスロヴァキアの指導者(+ 1991年)

1916年 - スネ・ベリストローム、生化学者(+ 2004年)

1924年 - マックス・ローチ、ジャズミュージシャン(+ 2007年)

1926年 - 北村正利、天文学者

1926年 - 織井茂子、歌手(+ 1996年)

1928年 - 森毅、数学者

1929年 - 三代目三遊亭圓歌、落語家

1930年 - 三宅久之、政治評論家

1930年 - 山下耕作、映画監督(+ 1998年)

1933年 - 田口計、俳優、声優

1933年 - アントン・ロジャース、俳優(+ 2007年)

1934年 - 長門裕之、俳優

1934年 - 松橋慶季、元プロ野球選手

1935年 - 浜村淳、タレント、ラジオパーソナリティ、映画評論家

1935年 - 塙嘉彦、編集者(+ 1980年)

1938年 - ドナルド・クヌース、数学者・コンピュータ科学者

1939年 - 村田満、釣り人

1942年 - 小松政夫、タレント

1942年 - ウォルター・ヒル、映画監督

1943年 - 江尻亮、元プロ野球選手

1945年 - ロッド・スチュワート、ロック歌手

1946年 - 中村文弥、俳優(+ 2001年)

1948年 - あおい輝彦、俳優

1948年 - ベルナール・テブネ、自転車競技選手

1949年 - ジョージ・フォアマン、プロボクサー
1950年 - 北畑隆生、官僚
1952年 - 青木裕史、歌手
1952年 - 高木美也子、生命倫理学者、テレビ出演多数
1952年 - 川端誠、絵本作家
1960年 - ケルビン・トーベ、元プロ野球選手
1961年 - 小林節子、女優
1961年 - 石嶺和彦、元プロ野球選手
1961年 - 大畑徹、元プロ野球選手
1961年 - 近藤満、元プロ野球選手
1963年 - 林あまり、歌人
1963年 - 欠端光則、元プロ野球選手
1963年 - 宣銅烈(ソン・ドンヨル)、元プロ野球選手
1964年 - 福王昭仁、元プロ野球選手
1965年 - 田中裕二、漫才師、漫才コンビ「爆笑問題」のツッコミ
1966年 - 財前直見、女優
1969年 - 野村貴仁、元プロ野球選手
1970年 - 森下直親、イラストレーター
1971年 - フランシスコ・フィリォ、極真空手家
1972年 - 山口達也、歌手(TOKIO)、俳優
1973年 - AKKO、歌手、MY LITTLE LOVERのメンバー
1973年 - ゲーリー・ラス、元プロ野球選手
1973年 - ひじおか誠、漫画家
1974年 - 島崎直也、ケミカルエンターテイナー
1974年 - 柚木涼香、声優
1975年 - 前田剛、声優
1976年 - レミー・ボンヤスキー、プロフェッショナルファイター
1976年 - イアン・ポールター、プロゴルファー
1978年 - 三橋加奈子、声優
1980年 - 仁部智、元プロ野球選手
1981年 - 戎岡淳一、プロボクサー
1981年 - 池田久美子、陸上選手(北京五輪代表、走幅跳)
1982年 - 市来光弘、声優
1982年 - 福圓美里、声優
1986年 - 里中唯、タレント・女優
1987年 - 伊藤千晃、歌手、AAAメンバー
1987年 - 巽真悟、プロ野球選手
1988年 - 笹岡莉紗、ファッションモデル・女優
1989年 - 内藤理沙(美少女クラブ31)、女性アイドル
1989年 - 石黒英雄、俳優
1994年 - 楠本幸登、関西ジャニーズJr.
1994年 - 羽川光彦、ジャニーズJr.
1996年 - Miyu、ロリータアイドル

忌日
976年 - ヨハネス1世ツィミスケス、東ローマ帝国皇帝(* 925年)

1156年(久寿2年12月16日)- 藤原泰子、鳥羽天皇の皇后(* 1095年)

1182年(養和元年12月4日)- 藤原聖子、崇徳天皇の中宮(* 1122年)

1645年 - ウィリアム・ロード、カンタベリー大主教(* 1573年)

1665年(寛文4年11月24日)- 山内忠義、第2代土佐藩主(* 1592年)

1778年 - カール・フォン・リンネ、博物学者(* 1707年)

1794年 - ゲオルク・フォルスター、博物学者・探検家・革命家(* 1754年)

1824年 - ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世、第5代サルデーニャ王(* 1759年)

1833年 - アドリアン=マリ・ルジャンドル、数学者(* 1752年)

1846年 - エティエンヌ・ピヴェール・ド・セナンクール、小説家(* 1770年)

1862年 - サミュエル・コルト、コルト・ファイヤーアームズ創立者(* 1814年)

1895年 - バンジャマン・ゴダール、作曲家(* 1849年)

1904年 - ジャン=レオン・ジェローム、画家・彫刻家(* 1824年)

1917年 - バッファロー・ビル、西部開拓時代のガンマン(* 1846年)

1920年 - 芳川顕正、政治家(* 1842年)

1922年 - 大隈重信、第8代・17代内閣総理大臣・東京専門学校(早稲田大学)創設者
(* 1838年)

1931年 - 高島北海、日本画家(* 1850年)

1934年 - マリヌス・ファン・デア・ルッベ、共産主義者(* 1909年)

1935年 - エドウィン・フラック、陸上競技選手(* 1873年)

1941年 - イサイ・シュール、数学者(* 1875年)

1941年 - フランク・ブリッジ、作曲家(* 1879年)

1947年 - 織田作之助、小説家(* 1913年)

1947年 - 長谷川テル、社会運動家・エスペランティスト(* 1912年)

1951年 - 仁科芳雄、物理学者(* 1890年)

1951年 - シンクレア・ルイス、小説家(* 1885年)

1957年 - 有馬頼寧、元農林大臣・日本中央競馬会第2代理事長(* 1884年)

1957年 - ガブリエラ・ミストラル、詩人・教育者(* 1889年)

1961年 - ダシール・ハメット、推理作家(* 1894年)

1963年 - タデウシュ・シェリゴフスキ、作曲家(* 1896年)

1967年 - ラダ・ビノード・パール、インド人法学者・極東国際軍事裁判判事(* 1886年)

1968年 - ネル・ホール・ホップマン、テニス選手(* 1909年)

1970年 - パーヴェル・ベリャーエフ、宇宙飛行士(* 1925年)

1971年 - ココ・シャネル、ファッションデザイナー(* 1883年)

1973年 - 郡司次郎正、小説家・作詞家(* 1905年)

1976年 - ハウリン・ウルフ、ブルース歌手(* 1910年)

1976年 - スティーヴン・ウルマン、言語学者(* 1914年)

1983年 - ロイ・デメイオ、マフィアの構成員(* 1940年)

1985年 - アントーン・カラス、ツィター奏者・作曲家(* 1906年)

1986年 - 猪谷六合雄、スキー指導者・猪谷千春の父(* 1890年)

1986年 - ヤロスラフ・サイフェルト、作家・詩人・ジャーナリスト(* 1901年)

1986年 - 長津義司、作曲家(* 1904年)

1990年 - 栃錦清隆、大相撲第44代横綱(* 1925年)

1990年 - ジュリエット・ベルト、女優・映画監督(* 1947年)

1992年 - 松村喜雄、推理作家・評論家(* 1918年)

1997年 - アレクサンダー・トッド、生化学者(* 1907年)

2002年 - 田中一光、グラフィックデザイナー(* 1930年)

2004年 - 日下章、元プロ野球選手(* 1927年)

2004年 - ジャック・モイヤー、海洋生物学者(* 1929年)

2004年 - アレクサンドラ・リプリー、小説家(* 1934年)

2005年 - ジョゼフィーヌ=シャルロット・ド・ベルジック、
ルクセンブルク大公ジャンの妃(* 1927年)

2007年 - 阿部保、詩人(* 1910年)

2007年 - カルロ・ポンティ、映画プロデューサー(* 1912年)

2007年 - 木暮正夫、児童文学作家(* 1939年)

2008年 - 長沢勝俊、作曲家(* 1923年)

2008年 - クリストファー・ボウマン、フィギュアスケート選手(* 1972年)

記念日・年中行事
110番の日
警察庁が1985年(昭和60年)12月に制定し、
翌1986年(昭和61年)から実施。
全国の警察で、ダイヤル110番の有効・適切な利用を
呼びかけるキャンペーンが行われる。

明太子の日
福岡の食品会社ふくやが制定。
1949年のこの日に販売を開始したのを記念としている。

成人の日(国民の祝日)---2000年、2005年、2011年など
ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月第2月曜日が成人の日と定められている。

十日戎
日本の神、七福神の一柱。
大阪の今宮、兵庫県の西宮などのえびす神社で正月の10日に行われるお祭りで、
地元の人には「えべっさん」と呼ばれ親しまれている。
前日1月9日を「宵戎」、翌日1月11日を「残戎」と言う。

縁起物を沢山つけた笹が「商売繁盛、笹持ってこい!」
という賑やかな掛け声とともに売られ、
商売繁盛願ってお賽銭に一万円札が乱れ飛ぶ。