東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月17日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月17日(土曜日)

あけましておめでとうございます。
「新年」も「17日」たちました。

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今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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今は「新年」の「1月」です。
「初春」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

今は「新年」。「初春」です。
「新年」をむかえても。

これからいよいよに。
もっと深くふかまる「冬」。
ふかまる「冬」をすぎれば。
そこは雪国の「冬」です。

「冬」。
「冬」をむかえ。
そして。
「さらにふかい冬」を。
むかえようとしています。

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。

自在に「かんがえる」。
「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せ者です。

「新年」の「初春」だけれども。

「ひたひた」とさらに深まりゆく「冬」。
「さくさく」とひびく日々の過ぎ去る足音は。

「とぼとぼ」と。
朝早くまだ暗い街中に聞こえるようにとおざかり。

「冬」にいすわらぬ「冬役者」があらわれる。
「冬の戯曲」の「冬役者」。

「冬将軍」の。
「冬役者」かけあしの音がきこえます。

「冬将軍」
とはだれのつくった「ことば」か。
すごい言葉と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた
比較的新しい伝承であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味ではアイルランドのバンシーに似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。

別の解釈としては妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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「新年」「初春」。

早いです。
速いものです。
速いのか早いのか。
はやいのか。

けさ暗いうち
地をはうような「木枯らし」の
暴風がふきました。

「山茶花(さざんか)」と「木枯らし」は相性が。
よくないようです。

「或は」極めて相性がよいのかもしれません。
どちらかです。

暗い寒い朝に。
山茶花(さざんか)の花びらが。
夜の間に木枯しの。
弓風に射られて。
白鷺の羽が舞いおりているようです。

晩秋に聞こえたろうろうと鳴く。
こうろぎののなきごえ。
晩秋には早朝から
遠くにきこえました。

冬のこうろぎ。
「ろうろう」(朗々)と鳴いていました。
さびさびとした。

宙を舞う前の
「むささび」の声のような。
「なきごえ」でした。

「冬」になり
いまはもう「こうろぎ」の声もきこえません。

いまは。
「木枯らし」の鳴き声にかわりました。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に霜柱の音」
が聞こえました。

不思議な「冬の霜柱の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」だけになりました。

「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」は。
早朝暗いうちになくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」です。
面白いが「おそろしい」情景であるような気が致します。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王」のようになるのでしょう。

「冬の霜柱の音」の声。
冬に「こうこう」と鳴く。
そして木枯らしの風音がくわわっていきます。

その木枯らし音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「冬のふゆかぜ」のこえは。
暗闇の「冬の足音」のように聞こえる。
暗い冬の日に。
「雪の降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
冬のあさの「あしおと」と「冬」のよるあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
木枯らしはトッカータ。


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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防寒衣としては
なくてはならないものです。

「新年」
冬の夜明(よあけ)の空から。
冬の陽がのぼり。
冬の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く冬雲です。

あさの06:00AMころに。

東の空
ほのかにあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる冬の気配」を感じます。

冬野路はた見たりビロードのしだ
冬わらべのごときビロードのしだ
冬わらびのごとく輝けりビロードのしだ
冬山奥にひそむビロードのしだ
冬しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
冬めずらしき羊歯ビロードのしだ
冬ときわの緑のほのほビロードのしだ
冬山奥のしだのビロードのしだ
冬「まち」にもいきるビロードのしだ
冬けなげなりもあはれなりビロードのしだ
冬生い立ちしらずビロードのしだ
冬されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

冬いざいまこそは

冬よき季節にあらむ

冬ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は短くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「樹氷の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらにもっと深い冬」の気配がうつろいて。
うつります。

冬まちなみ蒼く(あおく)
冬いろどりて
冬木々の榛葉のかがやけり
冬暑さの夏秋をうつろひて
冬ふかまるみどりの冬木なり
冬しずまるみどりの冬木なり
冬みのりの冬こそありがたし
冬みのりの冬こそこひしかり
冬虫なきてささやけり
冬木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月23日(火曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

東京都世田谷区山本クリニックは
平成20年12月30日(火曜日)
まで診療を行います。
来年は。
平成21年1月5日(月曜日)から
診療を行います。

冬季休診は12月31日(火曜日)から
平成21年1月4日(日曜日)までです。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。
1712年 - ジョン・スタンリー、作曲家(+ 1786年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

チャールズ・ジョン・スタンリー
(Charles John Stanley,
1712年1月17日 - 1786年5月19日)は。
イギリスの作曲家、オルガン奏者です。

幼い頃から盲目でした。
モーリス・グリーンに音楽を学びました。

数々の演奏会をロンドンで行いました。

++++++++++++++++++++++

チャールズ・ジョン・スタンリー:
Charles John Stanleyは。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの友人でした。

ヘンデルの死後に。
初めジョン・クリストファー・スミスと共に。
後にトーマス・リンリーと共にヘンデルの設立した
オラトリオコンサートを
続けました。

++++++++++++++++++++++

チャールズ・ジョン・スタンリー:
Charles John Stanleyは。

1779年、ウィリアム・ボイスのあとを継ぎ
「国王の音楽師範」*になりました。

主な作品に。
オペラ「テラミンタ」、
劇的カンタータ「ヘラクレスの選択」、
ジョン・ホーキンズによるテクストを含む12のカンタータ、
オラトリオ「エフタ」、
「The Fall of Egypt and Zimri」、
「トランペットヴォランタリー」などがあります。

++++++++++++++++++++++

チャールズ・ジョン・スタンリー:Charles John Stanley
の。

トランペットヴォランタリーは
オルガンの為に書かれています。
パイプオルガンの「トランペット管」を主用する楽曲です。
トランペットのストップ奏法を活用している事が名前の由来です。

「トランペットヴォランタリー」は。
近代ではトランペットと室内楽団への編曲もされています。

++++++++++++++++++++++

「英国:United Kingdom UK」の
国王の音楽師範。

女王の音楽師範(または国王の音楽師範、英国王室楽長)
(Master of the Queen's Music (or Master of the King's Music))
は英国王室(en:Monarchy of the United Kingdom)
内の役職の1つです。

クラシック音楽の作曲家に与えられます。
桂冠詩人のそれに概ね相当致します。

その職務は明確には述べることは困難なことです。

この職に任命された者には王室の重要な行事。
たとえば記念祭、結婚、葬式、それに伴う儀式などを
記念する音楽を作曲することが求められています。

++++++++++++++++++++++
「英国:United Kingdom UK」の
国王の音楽師範。

女王の音楽師範(または国王の音楽師範、英国王室楽長)
(Master of the Queen's Music (or Master of the King's Music))

この称号は。
1626年にチャールズ1世によって作られました。
その時はMaster of the King's Musickという綴りで
(この綴りは
マルコム・ウィリアムソンの任命まで使われました)。

最初に国王の音楽師範に任命されたのは
ニコラス・ラニエー。

その時には、王室の私的な楽団の管理も任され。
それは、楽団が解散する1901年まで続けられました。

2004年3月に女王の音楽師範に就任した
サー・ピーター・マックスウェル・デイヴィスは
10年間の任期だが、それ以前は終身でした。

++++++++++++++++++++++

女王の音楽師範にはこれまで
以下の人々が就任しています(括弧内の年は任期)。

ニコラス・ラニエー(en:Nicholas Lanier, 1626年 - 1649年、1660年 - 1666年)
ルイス・グラビュ(en:Louis Grabu, 1666年 - 1674年)
Nicholas Staggins(en:Nicholas Staggins, 1674年 - 1700年)
ジョン・エックルス(en:John Eccles (composer), 1700年 - 1735年)
モーリス・グリーン(1735年 - 1755年)
ウィリアム・ボイス(1755年 - 1779年)
ジョン・スタンリー(1779年 - 1786年)
ウィリアム・パーソンズ(William Parsons, 1786年 - 1817年)
ウィリアム・シールド(en:William Shield, 1817年 - 1829年)
クリスチャン・クレイマー(Christian Kramer, 1829年 - 1834年)
フランツ・クラーマー(Franz Cramer, 1834年 - 1848年)
ジョージ・フレデリック・アンダーソン(George Frederick Anderson, 1848年 - 1870年)
Sir William George Cusins(en:William George Cusins, 1870年 - 1893年)
サー・ウォルター・パラット教授 KCVO(en:Walter Parratt, 1893年 - 1924年)KCVOはナイト・コマンダーのこと。en:Royal Victorian Order参照。
サー・エドワード・エルガー准男爵 OM GCVO( 1924年 - 1934年)GCVOはナイト・グランドクロスのこと。en:Royal Victorian Order参照。
サー・ウォルフォード・デーヴィス KCVO OBE(en:Walford Davies, 1934年 - 1941年)
サー・アーノルド・バックス KCVO(1942年 - 1952年)
サー・アーサー・ブリス CH KCVO(1953年 - 1975年)CHはen:Order of the Companions of Honour参照。
マルコム・ウィリアムソン CBE AO(1975年 - 2003年)AOはen:Order of Australiaを参照。
サー・ピーター・マックスウェル・デイヴィス CGE(en:Peter Maxwell Davies, 2004年 - )
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%B8%AB%E7%AF%84" より作成

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
ジョン・スタンリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC

チャールズ・ジョン・スタンリー(Charles John Stanley, 1712年1月17日 - 1786年5月19日)は、イギリスの作曲家、オルガン奏者。幼い頃から盲目で、モーリス・グリーンに音楽を学び、数々の演奏会をロンドンで行った。ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの友人で、ヘンデルの死後、初めジョン・クリストファー・スミスと共に、後にトーマス・リンリーと共にヘンデルの設立したオラトリオコンサートを続けた。

1779年、ウィリアム・ボイスのあとを継ぎ「国王の音楽師範」になる。

主な作品に、オペラ「テラミンタ」、劇的カンタータ「ヘラクレスの選択」、ジョン・ホーキンズによるテクストを含む12のカンタータ、オラトリオ「エフタ」、「The Fall of Egypt and Zimri」、「トランペットヴォランタリー」などがある。トランペットヴォランタリーはオルガンの為に書かれており、トランペットのストップ奏法を活用している事が名前の由来である。近代ではトランペットと室内楽団への編曲もされている。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
女王の音楽師範
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%B8%AB%E7%AF%84

女王の音楽師範(または国王の音楽師範、英国王室楽長)(Master of the Queen's Music (or Master of the King's Music))は英国王室(en:Monarchy of the United Kingdom)内の役職の1つ。

クラシック音楽の作曲家に与えられ、桂冠詩人のそれに概ね相当する。その職務は、明確には述べられないものの、この職に任命された者には、王室の重要な行事、たとえば記念祭、結婚、葬式、それに伴う儀式などを記念する音楽を作曲することが求められている。

この称号は1626年にチャールズ1世によって作られた。その時はMaster of the King's Musickという綴りで(この綴りはマルコム・ウィリアムソンの任命まで使われた)、最初に国王の音楽師範に任命されたのはニコラス・ラニエーだった。その時には、王室の私的な楽団の管理も任され、それは、楽団が解散する1901年まで続けられた。

2004年3月に女王の音楽師範に就任したサー・ピーター・マックスウェル・デイヴィスは10年間の任期だが、それ以前は終身だった。

女王の音楽師範にはこれまで以下の人々が就任している(括弧内の年は任期)。

ニコラス・ラニエー(en:Nicholas Lanier, 1626年 - 1649年、1660年 - 1666年)
ルイス・グラビュ(en:Louis Grabu, 1666年 - 1674年)
Nicholas Staggins(en:Nicholas Staggins, 1674年 - 1700年)
ジョン・エックルス(en:John Eccles (composer), 1700年 - 1735年)
モーリス・グリーン(1735年 - 1755年)
ウィリアム・ボイス(1755年 - 1779年)
ジョン・スタンリー(1779年 - 1786年)
ウィリアム・パーソンズ(William Parsons, 1786年 - 1817年)
ウィリアム・シールド(en:William Shield, 1817年 - 1829年)
クリスチャン・クレイマー(Christian Kramer, 1829年 - 1834年)
フランツ・クラーマー(Franz Cramer, 1834年 - 1848年)
ジョージ・フレデリック・アンダーソン(George Frederick Anderson, 1848年 - 1870年)
Sir William George Cusins(en:William George Cusins, 1870年 - 1893年)
サー・ウォルター・パラット教授 KCVO(en:Walter Parratt, 1893年 - 1924年)KCVOはナイト・コマンダーのこと。en:Royal Victorian Order参照。
サー・エドワード・エルガー准男爵 OM GCVO( 1924年 - 1934年)GCVOはナイト・グランドクロスのこと。en:Royal Victorian Order参照。
サー・ウォルフォード・デーヴィス KCVO OBE(en:Walford Davies, 1934年 - 1941年)
サー・アーノルド・バックス KCVO(1942年 - 1952年)
サー・アーサー・ブリス CH KCVO(1953年 - 1975年)CHはen:Order of the Companions of Honour参照。
マルコム・ウィリアムソン CBE AO(1975年 - 2003年)AOはen:Order of Australiaを参照。
サー・ピーター・マックスウェル・デイヴィス CGE(en:Peter Maxwell Davies, 2004年 - )
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%B8%AB%E7%AF%84" より作成

++「続きを読むです3」++++++++++++++++++

1月17日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8817%E6%97%A5

できごと
1268年(文永5年1月17日) - モンゴル帝国の使者が通交を求めて来日。
元寇のきっかけとなる。

1400年(応永6年12月21日) - 応永の乱が終結し、大内義弘が戦死する。

1594年(文禄2年11月26日) - 日本初の木製活字本となる古文孝経が印刷される。

1798年(寛政9年1月17日) -
湯島聖堂を「昌平坂学問所」と改称し、同時に幕府の直轄とする。

1874年 - 板垣退助・後藤象二郎らが日本政府に民撰議院設立建白書を提出。

1881年 - 明治大学が創立。

1887年 - 皇后美子(のちの昭憲皇太后)、婦人の洋装を奨める思召書を伝達。

1893年 - ハワイ王国でアメリカ人が支援する革命が起こり、
女王リリウオカラニが退位。カメハメハ王朝が倒れる。

1899年 - アメリカ合衆国がウェーク島を取得。

1912年 - イギリスのロバート・スコットらが南極点に到達。
ロアール・アムンセンの南極点到達の約1か月後。

1917年 - アメリカ合衆国がデンマークからヴァージン諸島を2,500万ドルで買収。

1961年 - ドワイト・D・アイゼンハワー米大統領が退任演説の中で
軍産複合体が国家におよぼす影響力について警告。

1966年 - 水素爆弾を搭載したアメリカのB-52爆撃機が
スペインパロマレス沖でKC-135空中給油機と衝突、
水爆を搭載したまま墜落(パロマレス米軍機墜落事故)。

1971年 - 精進湖で氷が割れ、スケート客9人が死亡。

1973年 - フィリピンのマルコス大統領によって新憲法発布、
同時に戒厳令の無期限延長を発表。

1979年 - 第二次オイルショック。

1991年 - 多国籍軍の空爆により湾岸戦争の端緒が開かれる。

1991年 - オーラヴ5世の崩御によりハーラル5世がノルウェー国王に即位。

1993年 - 陸上自衛隊にミサイル部隊発足。

1994年 - ロサンゼルスでマグニチュード6.8規模の「ノースリッジ地震」発生。

1995年 - 午前5時46分、「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」発生。

1996年 - チェコがEUへの加盟を申請。

2006年 - ライブドア・ショック発生

誕生日
1504年 - ピウス5世、ローマ教皇(+ 1572年)

1612年 - トーマス・フェアファクス、軍指揮官(+ 1671年)

1706年 - ベンジャミン・フランクリン、政治家・物理学者(+ 1790年)

1712年 - ジョン・スタンリー、作曲家(+ 1786年)

1798年 - オーギュスト・コント、社会学者(+ 1857年)

1814年 - ジェイムズ・コクラン・ドビン、第22代アメリカ合衆国海軍長官(+ 1857年)

1826年 - ジェイムズ・ノウブル・タイナー、第29代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1904年)

1847年 - ニコライ・ジューコフスキー、物理学者・TsAGI創設者 (+ 1921年)

1859年 - 小金井良精、解剖学者、人類学者(+ 1944年)

1863年 - デビッド・ロイド・ジョージ、イギリスの首相(+ 1945年)

1885年 - 大杉栄、アナキスト(+ 1923年)

1885年 - 野辺地天馬、児童文学作家・伝道師(+ 1965年)

1894年 - 北川民次、画家(+ 1989年)

1899年 - アル・カポネ、マフィア(+ 1947年)

1901年 - アロン・ギュルヴィッチ、哲学者(+ 1973年)

1906年 - ギジェルモ・スタービレ、サッカー選手(+ 1966年)

1911年 - ジョージ・スティグラー、経済学者、ノーベル経済学賞受賞者(+ 1991年)

1914年 - 川本泰三、サッカー選手(+1985年)

1922年 - ニコラス・カッツェンバック、政治家、弁護士

1925年 - ロバート・コーミア、小説家(+ 2000年)

1928年 - ヴィダル・サスーン、美容師

1929年 - 村田英雄、歌手(+ 2002年)

1931年 - ドン・ジマー、メジャーリーグコーチ、元監督、内野手

1932年 - 篠原有司男、現代美術家

1934年 - シダー・ウォルトン、ジャズ奏者

1935年 - 大久保清、殺人犯(+ 1976年)

1935年 - 山泉和子、卓球選手

1939年 - 寺内タケシ、ミュージシャン

1940年 - 中野尚弘、バレーボール選手・監督

1940年 - 河内紀、演出家

1940年 - キプチョゲ・ケイノ、陸上選手

1940年 - 陳方安生、香港の元政務司司長

1942年 - モハメド・アリ、プロボクサー

1943年 - 宮史郎、歌手

1943年 - ルネ・ガルシア・プレヴァル、ハイチの大統領

1943年 - ダニエル・ブランデンシュタイン(en:Daniel Brandenstein)、宇宙飛行士

1944年 - 猪口孝、国際政治学者

1947年 - 吉岡一男、天文学者

1947年 - 加藤主税、言語学者

1948年 - ミック・テイラー、ギタリスト、元ローリング・ストーンズ
1948年 - ダビッド・オッドソン、アイルランドの首相
1952年 - 坂本龍一、作曲家・ミュージシャン
1952年 - ピート・ラコック、元プロ野球選手
1953年 - 南井克巳、騎手・調教師
1953年 - 濱田金吾、ミュージシャン
1955年 - 小山茉美、声優
1955年 - 尾崎まゆみ、歌人
1957年 - 野村邦丸、文化放送アナウンサー
1959年 - 山口百恵、元歌手
1959年 - ルッツ・ヘスリッヒ、自転車競技選手
1961年 - 泰葉、ミュージシャン
1962年 - ジム・キャリー、俳優
1962年 - 福島敦子、アナウンサー
1963年 - 五十嵐公太、ドラマー
1963年 - カイ・ハンセン、ミュージシャン
1963年 - 村山早紀、児童文学作家
1964年 - 飯島杏子、声優
1964年 - ミシェル・オバマ(en:Michelle Obama)、バラク・オバマの妻
1965年 - 西俊児、元プロ野球選手
1966年 - ゲーリー・グッドリッジ、格闘家
1966年 - 森川ジョージ、漫画家
1966年 - 小島伸幸、サッカー選手
1967年 - 杉本正志、元プロ野球選手
1968年 - 瀬名秀明、SF作家
1968年 - スベトラーナ・マステルコワ、陸上選手
1969年 - 安芸乃州賢二、大相撲力士
1969年 - ティエスト(en:Tiësto)、DJ
1970年 - 金子哲也、NHKアナウンサー
1971年 - 工藤夕貴、女優
1971年 - キッド・ロック、歌手
1971年 - リチャード・バーンズ、ラリードライバー(+2005年
1972年 - 平井堅、シンガーソングライター
1973年 - りょう、女優
1974年 - 楊晨(en:Yang Chen)、サッカー選手
1975年 - スコット・マレン、元プロ野球選手
1975年 - フレディ・ロドリゲス、俳優
1975年 - ココ・リー、歌手
1976年 - 安壮富士清也、大相撲力士
1977年 - ケビン・ファーティグ、プロレスラー
1977年 - シルビーニョ、サッカー選手
1978年 - あがたゆうな、タレント
1978年 - 鈴平ひろ、イラストレーター
1978年 - 金子貴俊、俳優
1978年 - 紫艶、歌手
1979年 - 川田亜子、フリーアナウンサー(+ 2008年)
1978年 - 西谷岳文、スピードスケート選手
1981年 - 山内健司(鎌鼬)、お笑いタレント
1981年 - 前田有紀、アナウンサー
1981年 - スコット・ミシュロウィック(en:Scott Mechlowicz)、俳優
1982年 - ドウェイン・ウェイド、バスケットボール選手
1983年 - イェール(en:Yelle)、歌手
1983年 - アルバロ・アルベロア、サッカー選手
1983年 - エフゲニー・デメンティエフ(en:Yevgeny Dementyev)、クロスカントリースキー選手
1984年 - 五十嵐俊幸、プロボクサー
1984年 - 池田一真(しずる)、お笑いタレント
1985年 - 堀之内大介(Base Ball Bear)、ミュージシャン
1985年 - 小坂りゆ(BeForU)、歌手
1985年 - シモーネ・シモンズ、歌手
1986年 - 長谷部優、グラビアアイドル・女優・歌手
1987年 - 陽仲壽、プロ野球選手
1988年 - 細谷圭、プロ野球選手
1990年 - 高橋あゆみ、女優
1991年 - 高山睦美、フィギアスケート選手
1992年 - 吉田えり、女子野球選手(神戸9クルーズ)

忌日
395年 - テオドシウス1世、古代ローマ帝国皇帝(* 347年)

983年(天元5年12月26日) - 源高明、平安時代の貴族(* 914年)

1400年(応永6年12月21日) - 大内義弘、守護大名(* 1356年)

1468年 - スカンデルベク、アルバニアの指導者(* 1405年)

1584年(天正11年12月5日)- 観世宗節、能役者(* 1509年)

1654年(承応2年11月29日)- 伏見宮邦尚親王、江戸時代の皇族(* 1615年)

1686年 - カルロ・ドルチ、画家(* 1616年)

1738年 - ジャン=フランソワ・ダンドリュー、作曲家(* 1682年)

1751年 - トマゾ・アルビノーニ、作曲家(* 1671年)

1784年(天明3年12月25日) - 与謝蕪村、俳諧師(* 1716年)

1826年 - ホアン・クリソストモ・アリアーガ、作曲家(* 1806年)

1851年 - スペンサー・コンプトン (第2代ノーサンプトン侯)、元王立協会会長(* 1790年)

1856年(安政2年12月10日) - 千葉周作、剣術家(* 1793年)

1869年 - アレクサンドル・ダルゴムイシスキー、作曲家(* 1813年)

1884年 - ヘルマン・シュレーゲル、人類学者・動物学者(* 1804年)

1886年 - アミルカレ・ポンキエッリ、作曲家(* 1834年)

1891年 - ジョージ・バンクロフト、歴史家・第17代アメリカ合衆国海軍長官(* 1800年)

1893年 - ラザフォード・B・ヘイズ、第19代アメリカ合衆国大統領(* 1822年)

1904年 - 天田愚庵、歌人(* 1854年)

1908年 - フェルディナンド4世、元トスカーナ大公(* 1835年)

1910年 - フリードリッヒ・コールラウシュ、物理学者(* 1840年)

1911年 - フランシス・ゴルトン、人類学者・統計学者(* 1822年)

1927年 - ジュリエット・ロー、アメリカ合衆国におけるガールスカウト創設者(* 1860年)

1933年 - ルイス・カムフォート・ティファニー、ティファニー創業者(* 1848年)

1938年 - ウィリアム・ヘンリー・ピッカリング、天文学者(* 1858年)

1938年 - 山口春吉、初代山口組組長(* 1881年)

1947年 - ピョートル・クラスノフ、ロシア内戦時の白軍司令官(* 1869年)

1954年 - レオナード・E・ディクソン、数学者(* 1874年)

1961年 - パトリス・ルムンバ、コンゴ民主共和国初代首相(* 1925年)

1965年 - 河井醉茗、詩人(* 1874年)

1974年 - 朴烈、アナキズム運動家(* 1902年)

1977年 - ゲイリー・ギルモア、犯罪者(* 1940年)

1984年 - 溝渕増巳、元高知県知事(* 1900年)

1984年 - 児玉誉士夫、フィクサー・右翼活動家(* 1911年)

1991年 - オーラヴ5世、ノルウェー国王(* 1903年)

1992年 - 赤坂小梅、芸者歌手(* 1906年)

1992年 - 千葉英二、元プロ野球選手(* 1935年)

1993年 - 下河辺三史、実業家(* 1911年)

1994年 - ジョルジュ・シフラ、ピアニスト(* 1921年)

1994年 - エフゲニー・イワノフ、ソビエト連邦の諜報員(* 1926年)

1997年 - クライド・トンボー、天文学者(* 1906年)

2001年 - 中村文弥、俳優(* 1946年)

2002年 - カミーロ・ホセ・セラ、スペインの小説家、ノーベル賞受賞者(* 1916年)

2003年 - リチャード・クレンナ、俳優(* 1926年)

2005年 - 趙紫陽、元中国共産党総書記・国務院総理(* 1919年)

2005年 - ヴァージニア・メイヨ、女優(* 1920年)

2007年 - 井沢八郎、歌手(* 1937年)

2008年 - 鳥海尽三、脚本家、小説家(* 1929年)

2008年 - エドワード・D・ホック、小説家、推理作家(* 1930年)

2008年 - ボビー・フィッシャー、チェス選手(* 1943年)

2008年 - 林義一、元プロ野球選手・監督(* 1920年)

記念日・年中行事
明治大学創立記念日
1881年(明治14)1月17日、麹町区の数寄屋橋の一角・島原藩邸跡に法学校を開校した。
時あたかも自由民権の風潮の真っ只中、
明治大学(明治法律学校)は「権利自由」を校訓とし、
フランス法を中心として教育に当たっていった。

防災とボランティアの日
1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)をきっかけに
災害が起きた時のボランティア活動や防災活動への参加をもっと広めようということで制定。

国家や地方自治体の危機管理体制の不備をはじめとする
様々な問題が浮き彫りにされた一方で、
ボランティア活動が活発化し「ボランティア元年」とも言われた。

おむすびの日
阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の時に避難所にいる
炊き出しで配られた暖かいおむすびが被災した人の空腹を満たし、
勇気付けられたことから制定された
(「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000年11月に制定)