東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月18日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月18日(日曜日)

「新年」になりました。平成21年です。

今日は(日曜日)ですが。

もう「18日」もたちました。

とてもとても。
とても「寒い日々」が続いています。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
そのむかし晩秋のころ。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「新年」。「初春」。

今は私の「大好き」な。

「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」

の「蕾(つぼみ)」と「花」のふくらむ

季節になりました。

山本クリニックの庭園には。
「野生」の。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」が
とても沢山群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみるうちに。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「山茶花(さざんか)」は
蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。
暗い朝にちっていることが
多いです。

「種の保存」の理論からすれば
昆虫の少ない「寒い冬」の日々に。

「寒い冬」に「花粉」を運んでくれる
昆虫はとても少ないはずだから。

花期はながければ長いほど「実」「種」
が「たくさん実る確率は高くなる」
はずです。

だから。
花期が「極めて短命」とは。
とても不思議なことです。

山茶花(さざんか)は

ぬばたまの

闇夜の暗きに

木枯らしの

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

ささんかは

ぬばたまの

やみよのくらきに

こからしの

かせにいられて

はなそまいちる

早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

年が改まれば。

今度はいよいよ。

「冬」「初春」
つぼみを日々
大きくしている。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」
の季節の。
「初春」「新年」。

そして。
「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」
をみまもるのは
「みかんの木」の「丸いみかん」の
「丸い群れ」。まるで「ぶどう」のようです。

お互いに「植物語」で話しをしているに
ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

堂々たる。
木枯らしの吹く。
「1月」
本物の「冬」になりました。

さらに「冬」がふかまり。

「もっと深い冬」のトンネルをこえれば。

そこは「雪国の冬」です。

「木枯らし」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

に聞こえます。

近くに「トンネル」があることも

わかります。

「魔王:Erlkönig」の吹く「オカリナ」

のような鳴き声です。

きょうは。
とてもとても寒い。

「木枯らし」が吹いています。
「木枯らし」は「夜」は「木」にとまって
一晩をすごすようにすらみえます。
「木枯らし」の鳴き声が。
きこえます。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

冬霧雨(ふゆきりさめ)の。
冬霞(ふゆかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
「合唱」から「独唱」になりました。
「ろうろう」と鳴いていました。
そしていまは「こおろぎ」は
もうとっくにきこえないです。

「こうろぎ」の「ろうろう」は
木枯らしの「音」にかわりました。
「ろうろう」「こうこう」
「木枯らし」の鳴き声

朝暗く寒いいうちの「木枯らし」の合唱は。
「初冬」の「ふうりん」のごとし。
あれ沢山の「ふうりん」かな。
「冬」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。
さびさびと「さむい音」です。
「こうこう」

わびわびと
「たき火をよんでいる音」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「冬ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何匹ものふくろうが。
何かを考えているようにみえます。

「雪」がつもれば。
「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch
の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

「きょう」と「あす」しか。

いません。

「きょう」と「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「中冬」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる冬からの大気。

「ふかまる冬」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「新年」の「1月」になりました。
今年も平成21年がはじまりました。
「初春」「新年」。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく冬の樹木」にうつろうように
変化しています。

「初春」の「冬」にも。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「冬」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。

「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「晩秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「「冬」のわかば」の「めばえ」がみえました。
今もみえます。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきます。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていくのは。
「夜の魔法」のようです。
「葉の去った枝」にはもう「「初春」の若芽のつぼみ」
がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は

「おせどのこおろぎはなきやみ」

「電線に「木枯らし」がとまってないている」

「深い冬」です。

「新年」「初春」の「中冬」です。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉が消えていくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきえるころ
です。

紅葉から。
「木枯らし」

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年と毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてが黄金色」に
かがやき。
朝陽をしっかりと。
「絵になるように」受け止めています。

「冬の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「枯れ葉散る」。
ちったあと枝の根元には。
「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。
冬になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。
「冬木」へとかわりました。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎えそして「冬」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまいなりけり

にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

冬きらきらラピス・ラズリの空(そら)
冬紺碧のカクテルいろの空(そら)
冬ミルクをそそそいだ空(そら)
冬トルコいしのプリンの空(そら)
冬はるかにとほくたかい空(そら)
冬ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
冬プリンの上のクリームのような空(そら)
冬睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
冬睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
冬空(そら)の向こうにまた空(そら)
冬そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに
緑木いらかをかぜはやみ
青風ひるむやうつろひの
四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに
緑木いらかのつねなりて
赤き空(そら)にて炎えたたむ
四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜさやか
秋風かたれるやすらきの
四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに
緑木いらかにかぜつよし
冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの
四季のつきひははやいくとせ

冬椎木(しいのき)は枝高し
冬そらに吼える若葉の穂束
冬そらに吼える蒼き獅子のごとし
冬天にも地にもみどりはさける
冬のあさふかまりて
冬陽の光ゆたかなりけり
冬いふことのなし
冬いふことがなし
冬いふことはなし
冬いふこともなし
冬ゆたかなるかな秋冬

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

イギリスの政治に影響を受け。
フランス絶対王政を批判し政治権力を分割して。
均衡と抑制による権力分立制の基礎を築いた。

法とは「事物の本性に由来する必然的な関係」
であると定義して。

権力を分割しない統治形態による法からは
政治的自由が保障されないと考えた法学者的哲学者。

執筆に20年かけたといわれる著作『法の精神』で。
権力を立法・行政・司法に分割する三権分立論を唱えた
フランスの哲学者。

7歳のときに母が亡くなり母の遺産を継いで
「7歳」でラ・ブレード男爵となった哲学者。
1716年、「27歳」で伯父の死により得た。
モンテスキュー男爵の爵位とボルドー高等法院副院長の官職に
ついた哲学者。

1689年 - シャルル・ド・モンテスキュー、哲学者(+ 1755年)
の生誕日です。

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シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー
(Charles-Louis de Montesquieu,
1689年1月18日 - 1755年2月10日)は。
啓蒙期のフランスの哲学者・政治思想家です。

本名は、シャルル=ルイ・ド・スゴンダ
(Charles-Louis de Secondat, baron de la Brède et de Montesquieu)
であり。
ラ・ブレード(La Brède)とモンテスキュー(Montesquieu)
を領地とする男爵(baron)でもありました。

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シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー:
Charles-Louis de Montesquieu

1689年1月18日にボルドー近郊で生まれました。

7歳のときに母が亡くなり、母の遺産を継いで
ラ・ブレード男爵となりました。

ボルドー大学法学部を卒業した後。
1709年からパリに遊学し、1713年末、
父の訃報により帰郷致します。

翌年1710年25歳でボルドーの高等法院の参事官となりました。

1716年、伯父の死により、
モンテスキュー男爵の爵位と
ボルドー高等法院副院長の官職を継ぎました。

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シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー:
Charles-Louis de Montesquieu
は。
1716年、伯父の死により得た。
モンテスキュー男爵の爵位とボルドー高等法院副院長の官職に。
実務面には関心がありませんでした。

1721年には『ペルシア人の手紙』を匿名で出版致しました。
1726年、37歳で辞職。
以後、学究生活に入りました。

1728年1月、アカデミー・フランセーズの会員に選出された直後、
4月から諸国遍歴の旅に出ました。

1731年に帰国。
1734年、『ローマ人盛衰原因論』、
1748年、『法の精神』を出版致しました。

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シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー:
Charles-Louis de Montesquieu
は。

イギリスの政治に影響を受けました。
フランス絶対王政を批判し政治権力を分割して。
均衡と抑制による権力分立制の基礎を築きました。

法とは「事物の本性に由来する必然的な関係」
であると定義致しました。

権力を分割しない統治形態による法からは
政治的自由が保障されないと考え。
執筆に20年かけたといわれる著作『法の精神』で。

権力を立法・行政・司法に分割する三権分立論を
唱えました。

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シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー:
Charles-Louis de Montesquieu
は。

晩年は視力の減退に悩まされました。
そんな中『百科全書』のために
「趣味論」の執筆に取り組みました。

けれども完成することなく1
755年2月10日にパリで逝去致しました。

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シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー:
Charles-Louis de Montesquieu
は。

社会学の父 (pères de la sociologie) と
考えられています。

「離婚は進んだ文明にとって必要である」
との格言があります。
(私はこの意味は理解できません)

彼の肖像は旧フランス・フランの
200フラン紙幣に描かれたことが
ありました。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
シャルル・ド・モンテスキュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC

シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu, 1689年1月18日 - 1755年2月10日)は、啓蒙期のフランスの哲学者・政治思想家である。本名は、シャルル=ルイ・ド・スゴンダ(Charles-Louis de Secondat, baron de la Brède et de Montesquieu)で、ラ・ブレード(La Brède)とモンテスキュー(Montesquieu)を領地とする男爵(baron)でもあった。

人物
1689年1月18日、ボルドー近郊で生まれた。7歳のときに母が亡くなり、母の遺産を継いでラ・ブレード男爵となる。ボルドー大学法学部を卒業した後、1709年からパリに遊学し、1713年末、父の訃報により帰郷する。翌年、25歳でボルドーの高等法院の参事官となる。1716年、伯父の死により、モンテスキュー男爵の爵位とボルドー高等法院副院長の官職を継ぐ。しかし実務面には関心がなく、1721年には『ペルシア人の手紙』を匿名で出版。1726年、37歳で辞職。以後、学究生活に入る。1728年1月、アカデミー・フランセーズの会員に選出された直後、4月から諸国遍歴の旅に出る。1731年に帰国。1734年、『ローマ人盛衰原因論』、1748年、『法の精神』を出版。

イギリスの政治に影響を受け、フランス絶対王政を批判し政治権力を分割し、均衡と抑制による権力分立制の基礎を築いた。

法とは「事物の本性に由来する必然的な関係」であると定義し、権力を分割しない統治形態による法からは政治的自由が保障されないと考え、執筆に20年かけたといわれる著作『法の精神』で、権力を立法・行政・司法に分割する三権分立論を唱えた。

晩年は視力の減退に悩まされた。そんな中『百科全書』のために「趣味論」の執筆に取り組んだが、完成することなく1755年2月10日にパリで逝去した。

社会学の父 (pères de la sociologie) と考えられている。

「離婚は進んだ文明にとって必要である」との格言がある[要出典]。

彼の肖像は旧フランス・フランの200フラン紙幣に描かれたことがあった。

著作
『ペルシア人の手紙』 Les lettres persanes, 1721年
岩波文庫全2冊、世界文学大系・筑摩書房、ただし新訳要

Pensées suivies de Spicilège

『ローマの隆盛と衰退の原因についての考察』
Considérations sur les causes de la grandeur des Romains et
de leur décadence, 1734年

岩波文庫、中公クラシックス

『法の精神』 L'esprit des lois, 1748年
岩波文庫全3冊

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
1月18日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8818%E6%97%A5

できごと
1020年(寛仁3年12月21日) - 藤原頼通が関白に就任する。

1615年(慶長19年12月19日) - 大坂冬の陣で和議が成立する。

1871年 - ヴェルサイユ宮殿においてヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位、
ドイツ帝国が成立する。

1911年 - 幸徳秋水事件(大逆事件)で幸徳秋水ら24名に死刑、2名に有期刑の判決が下される。

1915年 - 日本が対華21ヶ条要求を発する。

1919年 - 第一次世界大戦後処理のパリ講和会議がはじまる。

1952年 - 韓国の李承晩大統領が李承晩ラインを宣言。

1976年 - 前年7月20日から沖縄で開かれていた沖縄国際海洋博覧会が閉幕。
総入場者数は約349万人。

1977年 - グランヴィル鉄道事故が発生、死者83名、重軽傷者210名以上の大惨事に。

1981年 - 新潟県湯之谷村で雪崩が発生。死者6名、負傷者7名、倒壊家屋1戸。

1984年 - 福岡県の三井三池鉱業所の有明鉱坑内火災、一酸化炭素中毒で83人死亡。

1990年 - 長崎市長銃撃事件。

2006年 - ライブドア株の売り注文が殺到し、東京証券取引所の全銘柄が取引停止に。

誕生日
1689年 - シャルル・ド・モンテスキュー、哲学者(+ 1755年)

1782年 - ダニエル・ウェブスター、アメリカ合衆国国務長官(+ 1852年)

1835年 - ツェーザリ・キュイ、作曲家・ロシア5人組の一人(+ 1918年)

1847年(弘化3年12月2日)- 松平定敬、桑名藩主・京都所司代(+ 1908年)

1849年 - エドモンド・バートン、初代オーストラリア首相(+ 1920年)

1854年(嘉永6年12月20日)- 片山東熊、建築家(+ 1917年)

1868年(慶応3年12月24日) - 鈴木貫太郎、第42代内閣総理大臣(+ 1948年)

1879年 - アンリ・ジロー、軍人(+ 1949年)

1882年 - A・A・ミルン、児童文学作家(+ 1956年)

1884年 - アーサー・ランサム、児童文学作家・ジャーナリスト(+ 1967年)

1889年 - 石原莞爾、軍人(+ 1949年)

1894年 - 高群逸枝、詩人・民俗学者(+ 1964年)

1911年 - 坂田昌一、物理学者(+ 1970年)

1913年 - ダニー・ケイ、俳優・歌手・コメディアン(+ 1987年)

1928年 - 角田達郎、西日本旅客鉄道初代社長(+ 2006年)

1930年 - 倉田準二、映画監督

1932年 - 宮地惟友、元プロ野球選手

1931年 - 全斗煥、第11・12代大韓民国大統領

1934年 - レイモンド・ブリッグズ、作家・漫画家・イラストレーター

1937年 - ジョン・ヒューム、政治家

1937年 - 上田利治、元プロ野球選手

1940年 - ペドロ・ロドリゲス、F1ドライバー(+ 1971年)

1944年 - 小椋佳、歌手

1944年 - 高畠導宏、元プロ野球選手(+ 2004年)

1944年 - 池辺巌、元プロ野球選手

1945年 - おすぎ、タレント・映画評論家
1945年 - ピーコ、タレント・服飾評論家
1947年 - 衣笠祥雄、元プロ野球選手
1947年 - 鈴木誠一 (声優)(+ 1997年)
1947年 - ビートたけし(北野武)、漫才師・映画監督・俳優
1948年 - 笑福亭鶴光、落語家
1948年 - 森山良子、歌手
1949年 - 伊原春樹、元プロ野球選手・監督
1949年 - フィリップ・スタルク、建築家、デザイナー
1950年 - ジル・ヴィルヌーヴ、F1ドライバー(+ 1982年)
1953年 - 石川サブロウ、漫画家
1955年 - ケビン・コスナー、俳優
1956年 - 水島裕、声優
1957年 - 秋野暢子、女優
1960年 - 桑江知子、歌手
1961年 - 栗岡英智、元プロ野球選手
1961年 - 小田真也、元プロ野球選手
1963年 - 片桐はいり、女優
1963年 - 松田優、俳優
1966年 - 宮沢和史、ミュージシャン(ロックバンド・THE BOOMのボーカリスト)
1967年 - ヴィン・ディーゼル、俳優
1969年 - ジム・オルーク、ミュージシャン
1971年 - ジョゼップ・グアルディオラ、元サッカー選手
1973年 - 中山忍、女優
1973年 - 永田能隆、元プロ野球選手
1974年 - 荒川良々、俳優
1975年 - たまこ、お笑い芸人
1977年 - 相川良太、プロ野球選手(オリックス)
1977年 - 山本みゆき、演歌歌手
1978年 - アレクセイ・イグナショフ、プロフェッショナルファイター
1979年 - 小島幸子、声優
1979年 - 小川将俊、プロ野球選手
1981年 - つちやみえこ、元声優
1981年 - 實松一成、プロ野球選手
1981年 - カン・ドンウォン、俳優
1982年 - バレー、サッカー選手
1982年 - 寶智山幸観、大相撲力士
1982年 - 塚本浩二、プロ野球選手
1983年 - 井上聡、プロバスケットボール選手
1984年 - 長谷部誠、サッカー選手
1965年 - 後藤聖子(en:Shoko Goto)、AV女優
1987年 - 原田朋実、タレント
1988年 - 王一梅、バレーボール選手
1991年 - 鮎川太陽、ジャニーズJr.(Ya-Ya-yah)
1991年 - 七菜香、ファッションモデル
1991年 - 渡辺茉莉絵、元AKB48
1992年 - 加東希望、ファッションモデル
1992年 - 石津悠、女優、ダンサー
1993年 - 森部万友佳、元女優

忌日
紀元前52年 - プブリウス・クロディウス・プルケル、
古代ローマの政治家(* 紀元前92年)

474年 - レオ1世、東ローマ帝国皇帝(* 400年)

819年(弘仁9年12月19日)- 藤原園人、平安時代の右大臣(* 756年)

1239年(暦仁元年12月12日)- 源智、浄土宗の僧(* 1183年)

1367年 - ペドロ1世、ポルトガル王(* 1320年)

1471年(文明2年12月27日)- 後花園天皇、日本の第102代天皇(* 1419年)

1525年 - イサベル・デ・アウストリア、
デンマーク王クリスチャン2世の王妃(* 1501年)

1646年(正保2年12月2日) - 細川忠興、小倉藩の初代藩主(* 1563年)

1664年(寛文3年12月20日)- 野中兼山、土佐藩の家老(* 1615年)

1747年 - アントニオ・リテレス、作曲家(* 1673年)

1747年(延享3年12月8日)- 前田宗辰、第7代加賀藩主(* 1725年)

1769年(明和5年12月11日)- 白隠慧鶴、臨済宗の僧(* 1686年)

1782年 - ジョン・プリングル、医師・元王立協会会長(* 1707年)

1854年(嘉永6年12月20日)- 前田利友、第11代富山藩主(* 1834年)

1859年 - アルフレッド・ヴェイル、技術者(* 1807年)

1862年 - ジョン・タイラー、第10代アメリカ合衆国大統領(* 1790年)

1867年 - 音吉、漂流民(* 1819年)

1873年 - エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン、小説家・劇作家(* 1803年)

1878年 - アントワーヌ・セザール・ベクレル、電気化学者(* 1788年)

1890年 - アマデオ1世、スペイン王(* 1845年)

1911年 - 奥宮健之、社会運動家(* 1857年)

1919年 - ジョン、イギリスの王族(* 1905年)

1922年 - 吉良平治郎、郵便逓送員(* 1886年)

1936年 - ラドヤード・キップリング、小説家・児童文学者・詩人(* 1865年)

1940年 - 本因坊秀哉、囲碁棋士(* 1874年)

1943年 - 大原孫三郎、実業家・大原美術館創始者(* 1880年)

1957年 - 牧野富太郎、植物学者(* 1862年)

1975年 - 林家染語楼 (3代目)、落語家(* 1918年)

1980年 - 岩田祐吉、俳優(* 1887年)

1980年 - セシル・ビートン、写真家(* 1904年)

1981年 - 和久井節緒、俳優・声優(* 1932年)

1982年 - 三益愛子、女優(* 1910年)

1986年 - 石母田正、歴史学者(* 1912年)

1989年 - ブルース・チャトウィン、小説家(* 1940年)

1990年 - 尾形典男、政治学者(* 1915年)

1990年 - ピエール・バルビゼ、ピアニスト(* 1922年)

1991年 - ジャコモ・マンズー、彫刻家(* 1908年)

1994年 - ロルフ・シンガー、菌類学者(* 1904年)

1995年 - アドルフ・ブーテナント、生化学者(* 1903年)

1996年 - レオノール・フィニ、画家(* 1907年)

1999年 - 土居まさる、アナウンサー(* 1940年)

2001年 - 山本壮一郎、元宮城県知事(* 1919年)

2003年 - ザ・シーク、プロレスラー(* 1924年)

2003年 - ギャビン・ライアル、小説家(* 1932年)

2006年 - クリフォード・ネルソン・パイル、
シエラレオネ国歌「高く我らは汝、自由の国を賞賛する」の作詞者(* 1933年)

2008年 - 南里征典、小説家(* 1939年)

記念日・年中行事
都バス記念日(日本)
1924年1月18日に東京市営乗合バスが営業を開始したことに由来し、
東京都交通局が制定。

振袖火事の日(日本)
明暦3年1月18日(旧暦。新暦では1657年3月2日)、
江戸の大火の一つ「明暦の大火」(振袖火事)が起こったことに由来。