東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月21日(水曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月21日(水曜日)

「初春」「新年」の「1月」も
「21日」たちました。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。

まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「新年」「初春」です。
「21日」たちました。

今現在は
「1月」。
「新年」「初春」の「中冬」です。

「昨年」の晩秋には。
晩秋の花木。
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きました。

今は「新年」「初春」の「1月」。

「銀木犀:きんもくせい」も「銀木犀:きんもくせい」も

はるかかなたに。

「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は今「初春」「新年」を迎え。

さらなる深い冬越しの準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。

「冬」になると。

「葉色」と「葉のあつさ」がかわります。

「木枯らしに耐える葉っぱの厚さ」になります。

「初春」の「新年」の。

山茶花のつぼみがみえます。

「やぶつばき」のつぼみがみえます。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」は
不思議な木です。

「山茶花(さざんか)」や。
「やぶつばき」の「花」は。

「夜の「木枯らし」」に
弓射られて地上に落花致します。

「冬」の「花粉」を運ぶ「昆虫」の少ない
時期に「花は咲きます」。
「花ひらく」と同時にちります。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
の木下には「毛氈(もうせん)花壇」のように。
「紅白の花びら」が。
舞いおりてています。

その地面の上の。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
の存在を誇示するがごとくです。

「やぶつばき」や「山茶花(さざんか)」
一夜での落花現象は「謎」です。

「初春」の「新年」の「中冬」に。
花粉を授粉してくれる
昆虫は極めて少ないはずです。

「種の保存」から。
なんらかの「方法」で。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」は。

地上の「紅白」のはなびらで。
昆虫にその存在を
探知させているのかもしれません。

地面の上の「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
が「花びら」で存在を誇示しても。

木々の「花」は天上。
「花」こそみえません。

けれども
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
の「いのちの芳香」は。

とくとくと。
遠くまでただよっているかのごとくです。

「新年」「初春」。
1月の冬になりました。
常緑の。
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」は元気です。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」は
花が落ちて。
「木の下」に「フェルマータ"fermata"」*
が楽譜のように記録されているようです。

「落花生」のような「木」です。

-------------------------------
C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。

ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
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旧暦では「11月」から「冬」です。
「昨年」12月が終わり。

今現在は。
「1月」は「初春」「新年」の「中冬」です。

「冬将軍」のくる
「冬」です。

今朝早朝の真っ暗な時間に
「吐息」が「白く」みえます。

急速に。
とりわけ朝暗いうちは。
かけあしで
「とてもとてもさむくなってきました」。

今朝早朝は
暗いうち晴れて。
霧雨の合間に。
久方ぶりにたくさんのたくさんの
星をみました。

そして天井の空高くひさしぶりに「月」の
かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」とはなるほどと考えます。

「木枯らし」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。
グラスハープの。
オーケストラを聴いているようです。

そして「12月」になり
「木枯らし」の鳴き声は「アリア」として。
次第に出番が多くなりました。

寒い中でも
「極めて大きな声でうたっている」
「木枯らし」が
「1-2」はいるのが不思議です。

山茶花の木の上か。
電線にとまったり。
またさらに
上空で「木枯らし」は歌っているようです。

うっすらと「ドア」を開けると。

不協和音の「魔王:Erlkönig」のふく。

オカリナのような。

音色ではいりこもうとします。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「1月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「冬将軍」の気配にあと押しされて。
「確かな冬」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はあたたかい
小春の陽射しを感じることが
あります。

「初春」「新年」の「1月」。

雪国の冬です。

1月の冬の気配は。
あっというまに。
冬の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように変化して。
次第に「深い冬」の気配にうつろいていく。
「井戸のつるべ」がおちるようです。

「冬の1月」。
ふかまりゆく
「冬からの冬将軍の登場」は。
威風堂々と。
感じられるような気がします。

そしてさらに。

冬そしてさらに。

「もっと深い冬」のピアニッシモ。
ppで。
しのびよる深い冬の気配が
かんじられます。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの
「くれゆくふゆいろ」が感じられます。

冬陽射し(ひさし)やさしき冬。
冬空にも地にも天高くはれ。
冬の大気のひそみかくれ。
冬そらにみちてあふれれば。
冬吐息(ためいき)となり。
冬吐息が霧雨か霞になり。
冬おりてくるような感じです。
冬「冬はふかまりゆく」気配
になりました。

冬なお「力強い」の木々のめぶきは
初冬の息吹から深い冬への息吹への。
変化(へんげ)を感じます。

早朝は「とても寒い」です。
今年は「寒い」です。

百姓のうまれなので「冷冬」が心配です。

街路樹はしっかりと
冬ながらも枝木の穂先もたわわにつよく
「中冬」の萌黄色の若芽もち。
「初春」のあおい「木」にかわりました。
「新年」のあおい「木」は。
「実りの冬」のおとづれを。
そしてさらなる「冬の深まり」を超えて。

そしていま厳しい冬をがんばって。
「あたたかい「春」」をむかえようとしています。

「本物の冬」から「もともっと寒い冬」

「新年」「初春」の「中冬」
です。

初冬の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

冬山椒(さんしょう)の木の芽が
冬にも若葉はそだち。
冬若葉は冬の若枝となり。
冬若枝は天高くすこやかにのび。
冬のふかまりにますますすこやかに。
冬山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
冬空に燃えるが如くの炎葉です。

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

冬深まりたり
冬空たかく
冬あやにしき
冬みどり木
冬さんしょう木
冬陽をあびてかがやけり
冬いざいまこそは
冬金色(かがね)にかわり
冬赤き秋空に燃えたたむ

冬さんしょう木
冬もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
冬わかば葉はいずるは花ならむ
冬(ふゆ)こす枝は幹ならむ
冬いざいまこそは
冬空(そら)たかくもえたたむ
冬金色(こがねいろ)なる
冬さんしょう木
冬(ふゆ)深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

冬ふかく草を浮かべる水面(おも)に
冬めだかのむれのひかりたり
冬むれておよげるひめだかの
冬みずのなかなるちいさないのち
冬みずのなかなるおおきないのち
冬みのりてあまたにとほときいのちこそ
冬いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなふゆみつけたから
しだいに大きなあきみつけた
大きなふゆみつけたから
大きな大きなふゆみつけたは

ちょっと「こころしずまる気」がします
「初冬」です
「冬」になります。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(水曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
私のフランスでは好きな作曲家のお一人。

歌曲は、シャルル・ボードレール、
テオフィル・ゴーティエ、
シャルル・ルコント・ド・リール、
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテなどの詩に
作曲され。

いずれも繊細な叙情表現や
リヒャルト・ヴァーグナーの影響を受けた
劇的表現に優れていて。

歌曲の最高傑作作曲家に数える者も少なくない
作曲家。

1848年 - アンリ・デュパルク、作曲家(+ 1933年)
の生誕日です。
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アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク、
Eugène Marie Henri Fouques Duparc、
1848年1月21日パリ
1933年2月12日モン=ド=マルサン)は
フランス後期ロマン派の作曲家です。

大部分の作品を自ら破棄してしまったので。
歌曲を中心にごく少数の作品しか残されていないのですが。

「旅へのいざない」などの残された作品のいくつかは。
フランス歌曲を代表する歌曲とみなされています。

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アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク)
は。
デュパルク(1880年)パリに生まれました。

ヴォージラール(Vaugirard)地区にあったイエズス会の
コレージュにてセザール・フランクに
ピアノと作曲を師事致しました。

デュパルクはフランクの
最初の作曲の弟子の一人にあたるのです。

++++++++++++++++++++++

アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク)
は。

普仏戦争への従軍後。

1871年11月9日にスコットランド出身の
エレン・マクスウィニー(Ellen MacSwinney)
と結婚致しました。

同年、カミーユ・サン=サーンスおよ
びロマン・ビュシーヌとともに。
音楽国民協会(Société Nationale de Musique)
を設立致しました。

ヴァンサン・ダンディとも交流が深かったのです。

++++++++++++++++++++++

アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク)は。

今日デュパルクといえば17曲の歌曲が極めて有名です。

これらの歌曲は、シャルル・ボードレール、
テオフィル・ゴーティエ、
シャルル・ルコント・ド・リール、
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテなどの詩に。

作曲されたものです。

いずれも繊細な叙情表現や
リヒャルト・ヴァーグナーの影響を受けた
劇的表現に優れています。

歌曲の最高傑作に数える者も少なくありません。

++++++++++++++++++++++

アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク)
は。

歌曲のほか少数のピアノ曲、管弦楽曲を作曲致しました。
(全部で約500曲といわれる)

ころが作品の大半は自身の手で破棄されました。

残された作品は40に満たないのです。

1922年1月19日付けで弟子で親友でもあった
ジャン・クラに宛てた手紙のなかで。
未完に終わったオペラ『ルサルカ』の破棄に
ついて次のように述べています。

Après avoir vécu 25 ans dans un splendide rêve,
toute idée de représentation m'était je vous le répète devenue odieuse.
L'autre motif de cette destruction, que je ne regrette pas,
c'est la complète transformation morale que Dieu a opéré en moi il y a 20
ans et qui en une seule minute a abolie toute ma vie passée.
Dès lors, la Roussalka n'ayant aucun rapport
avec ma vie nouvelle ne devait plus exister.

(すばらしい夢のうちに25年間生きてきて、
表現するということがなにもかも -- 君にだけ言うが --
嫌になってしまったのだ。
これを破棄するもう一つの理由は
(破棄することは悔いていない)、
20年前に神が私の精神を完全に変えてしまわれ、
一瞬にして私の過去の人生を全て捨て去ってしまわれたからだ。
従って、『ルサルカ』は私の新しい人生とは全く関係がなく、
もはや存在している必要がないのだ。)

++++++++++++++++++++++

アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク)
は。

1885年、37歳の時に突然作曲ができなくなりました。
診断は「神経衰弱」(Neurasthenia)。

その後は家族との時間や、絵画制作に没頭致しました。

20世紀に入ると次第に視力が失われていきました。

++++++++++++++++++++++

アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク)
は。
晩年は主にスイスのヴェヴェイ近くにある。
ラ・トゥール・ドゥ・ペイルス(La Tour-de-Peilz)で過ごし。
1933年、フランス南西部のモン=ド=マルサンにて没しました。
85歳でした。

++++++++++++++++++++++

アンリ・デュパルク
(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク)
は。
デュパルクはパリの。

ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されています。

パリの17区のレヴィ通り近くの一画が。
デュパルクの名前にちなんで名付けられています。

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アンリ・デュパルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%AF

アンリ・デュパルク(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク、Eugène Marie Henri Fouques Duparc、1848年1月21日パリ 1933年2月12日モン=ド=マルサン)はフランス後期ロマン派の作曲家。大部分の作品を自ら破棄したため、歌曲を中心にごく少数の作品しか残されていないが、「旅へのいざない」などの残された作品のいくつかはフランス歌曲を代表する歌曲とみなされている。

目次
1 生涯
2 作品
3 文献
3.1 自著
3.2 書簡
3.3 研究書・単行本
3.4 研究論文・その他
4 外部リンク

生涯

デュパルク(1880年)パリに生まれる。ヴォージラール(Vaugirard)地区にあったイエズス会のコレージュにてセザール・フランクにピアノと作曲を師事する。デュパルクはフランクの最初の作曲の弟子の一人にあたる。

普仏戦争への従軍後、1871年11月9日にスコットランド出身のエレン・マクスウィニー(Ellen MacSwinney)と結婚。同年、カミーユ・サン=サーンスおよびロマン・ビュシーヌとともに音楽国民協会(Société Nationale de Musique)を設立する。ヴァンサン・ダンディとも交流が深かった。

1885年、37歳の時に突然作曲ができなくなる。診断は「神経衰弱」(Neurasthenia)であった。その後は家族との時間や、絵画制作に没頭するが、20世紀に入ると次第に視力が失われていく。

晩年は主にスイスのヴェヴェイ近くにあるラ・トゥール・ドゥ・ペイルス(La Tour-de-Peilz)で過ごし、1933年、フランス南西部のモン=ド=マルサンにて没した。85歳であった。

デュパルクはパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。パリの17区のレヴィ通り近くの一画がデュパルクにちなんで名付けられている。

作品

墓地
クラシック音楽
作曲家
ア-カ-サ-タ-ナ
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ
音楽史
古代 - 中世
ルネサンス - バロック
古典派 - ロマン派
近代 - 現代
楽器
鍵盤楽器 - 弦楽器
木管楽器 - 金管楽器
打楽器 - 声楽
一覧
作曲家 - 曲名
交響曲 - ピアノ協奏曲
ピアノソナタ
ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリンソナタ
チェロ協奏曲
弦楽四重奏曲 - オペラ
指揮者 - 演奏家
オーケストラ - 室内楽団
音楽理論/用語
音楽理論 - 演奏記号
演奏形態
器楽 - 声楽
宗教音楽
イベント
音楽祭
メタ
ポータル - プロジェクト
カテゴリ

今日デュパルクといえば、17曲の歌曲が著名である。これらの歌曲は、シャルル・ボードレール、テオフィル・ゴーティエ、シャルル・ルコント・ド・リール、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテなどの詩に作曲されたもので、いずれも繊細な叙情表現やリヒャルト・ヴァーグナーの影響を受けた劇的表現に優れ、歌曲の最高傑作に数える者も少なくない。

歌曲のほか少数のピアノ曲、管弦楽曲を作曲した(全部で約500曲といわれる)が、作品の大半は自身の手で破棄し、残された作品は40に満たない。1922年1月19日付けで弟子で親友でもあったジャン・クラに宛てた手紙のなかで、未完に終わったオペラ『ルサルカ』の破棄について次のように述べている。

Après avoir vécu 25 ans dans un splendide rêve, toute idée de représentation m'était je vous le répète devenue odieuse. L'autre motif de cette destruction, que je ne regrette pas, c'est la complète transformation morale que Dieu a opéré en moi il y a 20 ans et qui en une seule minute a abolie toute ma vie passée. Dès lors, la Roussalka n'ayant aucun rapport avec ma vie nouvelle ne devait plus exister.
(すばらしい夢のうちに25年間生きてきて、表現するということがなにもかも -- 君にだけ言うが -- 嫌になってしまったのだ。これを破棄するもう一つの理由は(破棄することは悔いていない)、20年前に神が私の精神を完全に変えてしまわれ、一瞬にして私の過去の人生を全て捨て去ってしまわれたからだ。従って、『ルサルカ』は私の新しい人生とは全く関係がなく、もはや存在している必要がないのだ。)

歌曲
「悲しき歌」(Chanson triste, 1868、J. Lahor詩)
「ためいき」(Soupir, 1869、シュリ・プリュドム詩)
「ギャロップ」(Le galop, 1869、プリュドム詩)
「ミニョンのロマンス」(Romance de Mignon, 1869、ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」に基づくV. Wilderの詩)
「セレナード」(Sérénade, 1869、G. Marc詩)
「戦っている国へ」(Au pays où se fait la guerre, 1870、テオフィル・ゴーティエ詩)
「旅へのいざない」(L'invitation au voyage, 1870、シャルル・ボードレール詩)
「逃走」(La fuite, 1871、ゴーティエ詩)
「波と鐘」(La vague et la cloche, 1871、François Coppée詩)
「恍惚」(Extase, 1872、J. Lahor詩)
「エレジー」(Elégie, 1874、トマス・ムーア詩)
「ロズモンドの館」(Le manoir de Rosemonde, 1879、R. de Bonnières詩)
「フィレンツェのセレナード」(Sérénade florentine, 1881、J. Lahor詩)
「フィディレ」(Phidylé, 1882、ルコント・ド・リール詩)
「ラメント」(Lamento, 1883、ゴーティエ詩)
「遺書」(Testament, 1883、A. Silvestre詩)
「前世」(La Vie antérieure, 1884、ボードレール詩)
合唱曲
モテット Benedicat vobis nomine(1882)
管弦楽曲
『ゆるやかな踊り』(Danse lente, 1873)
夜想詩曲『星たちへ』(Poème nocturne: aux étoiles, 1874)
交響詩『レノール』(Lénore, 1875)
ピアノ曲
「夢」(Rêveries, 1864)
「風に舞う木の葉」(Feuilles volantes, 1869)
ワルツ組曲(Suites de valses, 1874)
室内楽曲
チェロソナタ(1867)

文献

自著
César Franck pendant le Siège de Paris, in « Revue musicale », Paris, December 1922.
Souvenirs de la Société Nationale, in « Revue de la Société internationale de Musique », Paris, December 1912.

書簡
Lettre à Chausson, in « Revue musicale », December 1925.
Duparc Henri : Une Amitié mystique, d'après ses lettres à Francis Jammes. (Preface and comments by G. Ferchault). Mercure de France, Paris, 1944.
Gérard, Y. (Ed.). Lettres de Henri Duparc à Ernest Chausson, in « Revue de Musicologie » (N° 38) 1956, p. 125.
Sérieyx, M.-L. (Ed.). Vincent d’Indy, Henri Duparc, Albert Roussel : lettres à Auguste Sérieyx. Lausanne, 1961.

研究書・単行本
Northcote, S. The Songs of Henri Duparc. London: D. Dobson, 1949. 124 pp.
Von der Elst, N. Henri Duparc : l’homme et son oeuvre. (Thesis). Paris: Université de Paris, 1972, & Utrecht, 1972.
Fabre, M. L'image de Henri Duparc dans sa correspondance avec Jean Cras. 1973.

研究論文・その他
Fellot, H. Lieder français : Henri Duparc, in « Revue Musicale de Lyon ». Lyon, March 30, 1904.
Chantavoine, J. Henri Duparc, in « La Revue Hebdomadaire », Paris, May 5, 1906.
Aubry, G.-J. Henri Duparc, in « La vie musicale de Lausanne », Lausanne, February 1, 1908.
Jammes, Francis. L'Amour, les Muses et la Chasse, in « Mercure de France », Paris, 1922, p. 172 et al.
Fauré, Gabriel. Opinions musicales. Paris: Rieder, 1930.
Imbert, M. Henri Duparc, in « La Petite Maîtrise », Schola Cantorum de París, March 1933.
Ansermet, Ernest. Un émouvant témoignage sur la destinée d'Henri Duparc, in « Revue Musicale », Paris, April 1933.
Bréville, P. Henri Fouques Duparc 1848-1933, in « La Musique Française », Paris, May 1933.
Merle, F. Psychologie et Pathologie d'un artiste: Henri Duparc. Bordeaux: Imprimerie de l'Université (Bordeaux), 1933.
Oulmont, C. Henri Duparc, ou de L'Invitation au Voyage à la Vie éternelle. Paris: Desclée de Brouwer & Cie, 1935.
Oulmont, C. Un Duparc inconnu, in « Revue musicale », Paris, July-August 1935.
Stricker, R. Henri Duparc et ses mélodies. (Thesis). Paris: Conservatoire national de musique, 1961.
Rigault, J.-L. Les mélodies de Duparc, Autour de la mélodie française. Rouen, 1987, p. 71-86.
Stricker, R. Les mélodies de Duparc. Arles, 1996.

外部リンク
あんぐらCD博物館「アンリ・デュパルク Henri Duparc (1848-1933)」(個人サイト)
山崎与次兵衛のちょっとクラシック「アンリ・デュパルク(1848-1933)」(個人サイト)
IMSLP - International Music Score Library Project 内のアンリ・デュパルクのページ。無料で楽譜が入手可能。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%AF" より作成
カテゴリ: フランスの作曲家 | 1848年生 | 1933年没

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1月21日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

できごと
304年 - ローマで聖アグネスが殉教する。

754年(天平勝宝5年12月20日) - 鑑真が仏舎利を携え薩摩坊津に来日する。

928年(延長5年1月21日) - 藤原忠平が延喜式を奏進する。

1187年(文治2年12月10日) - 鎌倉幕府が鎮西奉行を設置する。

1793年 - フランス国王ルイ16世が断頭台で処刑される。

1899年 - オペル自動車が事業を開始。

1937年 - 衆議院本会議において浜田国松が軍部批判(腹切り問答)。

1952年 - 札幌市警警備課長・白鳥一雄警部が帰宅途中で射殺される(白鳥事件)。

1954年 - 世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が進水。

1968年 - 韓国で青瓦台襲撃未遂事件発生。

1976年 - 超音速旅客機のコンコルドが定期運航を開始。

1995年 - 未遂に終わったテロの計画「ボジンカ計画」の決行が予定されていた日。

2001年 - 東京都田無市と保谷市が合併し、西東京市が発足。

2006年 - ICOCAとPiTaPaの相互利用を開始。

2006年 - 新潟近郊区間でSuicaの使用を開始。

2007年 - 宮崎県知事に元タレントのそのまんま東が初当選。

誕生日
1338年 - シャルル5世、フランス王(+ 1380年)

1716年(正徳5年12月27日) - 徳川宗武、徳川吉宗の三男・田安徳川家初代当主(+ 1771年)

1840年(天保10年12月17日)- 阿部正教、備後福山藩主(+ 1861年)

1848年 - アンリ・デュパルク、作曲家(+ 1933年)

1895年 - 伊藤野枝、婦人解放運動家、アナキスト(+ 1923年)

1895年 - クリストバル・バレンシアガ、ファッションデザイナー(+ 1972年)

1901年 - リカルド・サモラ、サッカー選手(+ 1978年)

1905年 - クリスチャン・ディオール、ファッションデザイナー(+ 1957年)

1906年 - 永田雅一、映画製作者・大毎オリオンズオーナー(+ 1985年)

1924年 - 石垣りん、詩人(+ 2004年)

1924年 - テリー・サバラス、俳優(+ 1994年)

1931年 - 久我美子、女優

1940年 - ジャック・ニクラス、プロゴルファー

1940年 - 竜雷太、俳優

1941年 - プラシド・ドミンゴ、テノール歌手

1943年 - 山本亘、俳優

1944年 - 郷原洋行、元騎手、調教師

1947年 - 高田純次、タレント

1947年 - ブレット、元プロ野球選手

1953年 - ポール・アレン、マイクロソフト共同創業者

1954年 - 三浦洋一、俳優(+ 2000年)
1955年 - ジェフ・クーンズ、美術家
1959年 - 京本政樹、俳優
1960年 - 加藤高道、歌手・兄弟デュオ狩人の弟
1965年 - ジャム・マスター・ジェイ、ディスクジョッキー(Run-D.M.C.)
1966年 - 川津泰彦、声優
1967年 - 川上つよし(東京スカパラダイスオーケストラ)、ミュージシャン
1967年 - 宮崎吾朗、映画監督
1968年 - 岡田展和、元プロ野球選手
1969年 - 猫井椿、漫画家グループCLAMPのメンバー
1970年 - 赤木高太郎、騎手
1970年 - ケン・レオン、俳優
1971年 - 桂三ノ助、落語家
1972年 - 光田康典、作曲家
1972年 - ジェームス・ボニチ、元プロ野球選手
1975年 - ka-yu、ミュージシャン(Janne Da Arc)
1975年 - 井出有治、レーシングドライバー
1976年 - SHIGE(ENDLESS)、ミュージシャン
1976年 - 西岡竜一朗、俳優
1976年 - エマ・バントン、 歌手
1979年 - 下窪陽介、プロ野球選手 (横浜ベイスターズ)
1980年 - 水樹奈々、声優、歌手
1980年 - 川原克己(天竺鼠)、お笑い芸人
1981年 - 出合正幸、俳優
1981年 - 鍾欣桐、歌手、女優
1982年 - 西村晋弥(シュノーケル)、ミュージシャン
1982年 - 米野智人、プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
1985年 - サーシャ・ピヴォヴァロヴァ、ファッションモデル
1985年 - 山村隆太 flumpoolのメンバー
1986年 - 角島奈知(サンフラワー)、ローカルアイドル
1987年 - 柴田愛之助、アクション俳優、俳優
1988年 - 辰巳奈都子、グラビアアイドル、女優
1989年 - 西田奈津美、グラビアアイドル、女優
1991年 - 大河、俳優
1999年 - シンボリクリスエス、元競走馬・種牡馬
2004年 - イングリッド・アレクサンドラ、ノルウェー王女

忌日
304年 - 聖アグネス、キリスト教の聖人(* 291年)

790年(延暦8年12月28日)- 高野新笠、光仁天皇の大夫人

991年(正暦元年12月28日) - 平兼盛、歌人、三十六歌仙の一人。

1330年 - ジャンヌ - フィリップ5世の妃(* 1291年)

1344年(興国5年/康永3年1月6日) -
成良親王、征夷大将軍、後醍醐天皇の皇子(* 1326年)

1398年 - フリードリヒ5世、ニュルンベルク城伯(* 1333年頃)

1491年(延徳2年12月12日) - 畠山義就、室町時代の武将

1519年 - バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア、探検家(* 1475年)

1527年 - フアン・デ・グリハルバ、コンキスタドール(* 1489年)

1542年(天文11年1月6日)- 浅井亮政、近江国の戦国大名(* 1491年)

1552年(天文21年1月2日)- 六角定頼、近江国の戦国大名(* 1495年)

1580年(天正8年1月5日)- 北畠具房、伊勢国の国司(* 1547年)

1683年 - シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー、
イングランドの政治家(* 1622年)

1789年 - ポール=アンリ・ティリ・ドルバック、哲学者(* 1723年)

1793年 - ルイ16世、フランス国王(* 1754年)

1795年 - ミシェル・コレット、作曲家(* 1707年)

1831年 - アヒム・フォン・アルニム、詩人(* 1781年)

1846年 - フランチェスコ4世、モデナ公(* 1779年)

1851年 - アルベルト・ロルツィング、作曲家(* 1801年)

1857年(安政3年12月26日)- 古今亭志ん生 (初代)、落語家(* 1809年)

1870年 - アレクサンドル・ゲルツェン、哲学者(* 1812年)

1872年 - フランツ・グリルパルツァー、劇作家(* 1791年)

1872年 - トマス・ブラッグ、アメリカ連合国司法長官(* 1810年)

1876年 - 酒井忠氏、第13代小浜藩主(* 1835年)

1892年 - ジョン・クーチ・アダムズ、天文学者・数学者(* 1819年)

1894年 - ギヨーム・ルクー、作曲家(* 1870年)

1899年 - 勝海舟、幕末の政治家(* 1823年)

1901年 - イライシャ・グレイ、発明家(* 1835年)

1919年 - 高宗、大韓帝国皇帝(* 1852年)

1919年 - ミハイル・トゥガン=バラノフスキー、経済学者(* 1865年)

1924年 - ウラジーミル・レーニン、ボリシェヴィキ指導者(* 1870年)

1926年 - カミッロ・ゴルジ、医学者(* 1843年)

1928年 - ジョージ・ワシントン・ゲーソルズ、
技術者・パナマ運河地域初代総督(* 1858年)

1931年 - フェリックス・ブルーメンフェルト、作曲家(* 1863年)

1938年 - ジョルジュ・メリエス、映画監督(* 1861年)

1940年 - ジェフリー・ホール=セイ、フィギュアスケート選手(* 1864年)

1944年 - ラス・ビハリ・ボース、
日本のカレーの父として有名なインド独立運動の指導者(* 1886年)

1946年 - 杉田久女、俳人(* 1890年)

1948年 - エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ、作曲家(* 1876年)

1950年 - ジョージ・オーウェル、作家(* 1903年)

1951年 - 宮本百合子、小説家(* 1899年)

1955年 - アーチー・ハーン、陸上競技選手(* 1880年)

1958年 - アタウルフォ・アルヘンタ、指揮者(* 1913年)

1959年 - セシル・B・デミル、映画監督(* 1881年)

1971年 - リチャード・ラッセル・ジュニア、ジョージア州知事(* 1897年)

1972年 - 磯永吉、農学者(* 1886年)

1974年 - 浜野徹太郎、政治家(* 1885年)

1978年 - ディット・クラッパー、アイスホッケー選手(* 1907年)

1983年 - 里見弴、小説家(* 1888年)

1984年 - ジャッキー・ウィルソン、R&B歌手(* 1934年)

1984年 - 森安重勝、騎手(* 1937年)

1987年 - 梶原一騎、漫画原作者、作家(* 1936年)

1990年 - ヴィルヘルム・フリットナー、教育学者(* 1889年)

1991年 - 桑田武、元プロ野球選手(* 1937年)

1993年 - チャーリー・ゲーリンジャー、メジャーリーグベースボール選手(* 1903年)

1996年 - 横山やすし、漫才師(* 1944年)

1997年 - 伊藤和夫、予備校講師(* 1927年)

1998年 - 近藤喜文、アニメーター(* 1950年)

1999年 - 上田音市、部落解放運動家(* 1897年)

1999年 - チャールズ・ブラウン、ブルースピアニスト・歌手(* 1922年)

2002年 - ペギー・リー、歌手(* 1920年)

2006年 - イブラヒム・ルゴヴァ、コソボ自治州大統領(* 1944年)

2007年 - マリア・チオンカン、陸上競技選手(* 1977年)

2007年 - U;Nee、韓国の歌手・女優(* 1981年)

2008年 - 浜本万三、労働大臣(* 1920年)

2008年 - 加藤博一、元プロ野球選手(* 1951年)

記念日・年中行事

大寒(日本、2004年・2008年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が300度の時で、寒さが最も厳しくなるころ。

ライバルが手を結ぶ日
慶応2年1月21日(旧暦。新暦では1866年3月7日)、
坂本竜馬らの仲介により長州藩と薩摩藩が薩長同盟を結んだ。

料理の日
1937年のこの日、
BBCが世界初の料理番組「夕べの料理」を開始したことにちなむ。

聖アグネスの祝日
聖アグネスが殉教した日にちなむ。