東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月25日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月25日(日曜日)

「新年」になりました。平成21年です。

今日は(日曜日)ですが。

もう「25日」もたちました。

とてもとても。

とても「寒い日々」が続いています。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前の「晩秋」のころ。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「新年」。「初春」。

今は私の「大好き」な。

「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」

の「蕾(つぼみ)」と「花」のふくらむ

季節になりました。

山本クリニックの庭園には。
「野生」の。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」が
とても沢山群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみるうちに。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「山茶花(さざんか)」は
蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。
暗い朝にちっていることが
多いです。

「種の保存」の理論からすれば
昆虫の少ない「寒い冬」の日々に。

「寒い冬」に「花粉」を運んでくれる
昆虫はとても少ないはずだから。

花期はながければ長いほど「実」「種」
が「たくさん実る確率は高くなる」
はずです。

だから。
花期が「極めて短命」とは。
とても不思議なことです。

山茶花(さざんか)は

ぬばたまの

闇夜の暗きに

木枯らしの

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

ささんかは

ぬばたまの

やみよのくらきに

こからしの

かせにいられて

はなそまいちる

早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

年が改まれば。

今度はいよいよ。

「冬」「初春」
つぼみを日々
大きくしている。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」
の季節の。
「初春」「新年」。

そして。
「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」
をみまもるのは
「みかんの木」の「丸いみかん」の
「丸い群れ」。まるで「ぶどう」のようです。

お互いに「植物語」で話しをしているに
ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

堂々たる。
木枯らしの吹く。
「1月」
本物の「冬」になりました。

さらに「冬」がふかまり。

「もっと深い冬」のトンネルをこえれば。

そこは「雪国の冬」です。

「木枯らし」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

に聞こえます。

近くに「トンネル」があることも

わかります。

「魔王:Erlkönig」の吹く「オカリナ」

のような鳴き声です。

そして。

「木枯らし」をなだめるように。

「粉雪」が舞います。

「粉雪」のほうが「役者」は上です。

「粉雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

ます。

きょうは。
とてもとても寒い。

「木枯らし」が吹いています。
「木枯らし」は「夜」は「木」にとまって
一晩をすごすようにすらみえます。
「木枯らし」の鳴き声が。
きこえます。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

冬霧雨(ふゆきりさめ)の。
冬霞(ふゆかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
もうとっくにきこえなくなり。

「こうろぎ」の「ろうろう」は
木枯らしの「音」にかわりました。
「ろうろう」「こうこう」
「木枯らし」の鳴き声

朝暗く寒いいうちの「木枯らし」の合唱は。

「冬」の「ふうりん」のごとし。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「冬」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さびさびと「さむい音」です。

「こうこう」

わびわびと。

「たき火をよんでいる音」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「冬ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何匹ものふくろうが。
皆で何かを真剣に考えているようにみえます。

「雪」がつもれば。
「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch
の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

「きょう」と「あす」しか。

いません。

「きょう」と「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「中冬」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる冬からの大気。

「ふかまる冬」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「新年」の「1月」になりました。
今年も平成21年がはじまりました。
「初春」「新年」。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく冬の樹木」にうつろうように
変化しています。

「初春」の「冬」にも。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「冬」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。

「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「晩秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「「冬」のわかば」の「めばえ」がみえました。
今もみえます。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきます。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていくのは。
「夜の魔法」のようです。
「葉の去った枝」にはもう「「初春」の若芽のつぼみ」
がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は

「おせどのこおろぎはなきやみ」

「電線に「木枯らし」がとまってないている」

「深い冬」です。

「新年」「初春」の「中冬」です。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉が消えていくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきえるころ
です。

紅葉から。
「木枯らし」

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年と毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてが黄金色」に
かがやき。
朝陽をしっかりと。
「絵になるように」受け止めています。

「冬の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「枯れ葉散る」。
ちったあと枝の根元には。
「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。
冬になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。
「冬木」へとかわりました。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎えそして「冬」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なるらむ

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまいなるらむ

にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

冬きらきらラピス・ラズリの空(そら)
冬紺碧のカクテルいろの空(そら)
冬ミルクをそそそいだ空(そら)
冬トルコいしのプリンの空(そら)
冬はるかにとほくたかい空(そら)
冬ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
冬プリンの上のクリームのような空(そら)
冬睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
冬睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
冬空(そら)の向こうにまた空(そら)
冬そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

想いのいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

冬椎木(しいのき)は枝高し
冬そらに吼える若葉の穂束
冬そらに吼える蒼き獅子のごとし
冬天にも地にもみどりはさける
冬のあさふかまりて
冬陽の光ゆたかなりけり
冬いふことのなし
冬いふことがなし
冬いふことはなし
冬いふこともなし
冬ゆたかなるかな秋冬

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
稀代の大天才数学者
1736年 - ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、数学者(+ 1813年)
の生誕日です。
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange,
1736年1月25日 - 1813年4月10日)は。
イタリアのトリノで生まれフランスで活動した
数学者、天文学者です。

オイラーと並んで18世紀最大の数学者です。

彼の初期の業績は微分積分学の物理学への応用。

特に「力学」への応用でした。

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrangeは。

その後さらに「力学」を一般化して。

「最小作用の原理」に基づく
「解析力学(ラグランジュ力学)」をつくり出しました。

ラグランジュの『解析力学』は。
ラプラスの『天体力学』と共に。
18世紀末の古典的名高い著作となりました。

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrangeは。

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ解析力学の研究では。
ラグランジュはそれまでの幾何学的方法を排除して。
1・ダランベールの原理
2・仮想速度の原理を基礎として。

純粋な解析学の構築を行いました。

エネルギー保存則からは。
最小作用の原理を導出致しました。

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrange
の。

また数論に関する業績も傑出しています。
「全ての自然数が高々四つの平方数の和によって表される」
という定理は。

「ラグランジュの四平方定理」と呼ばれます(1770年)。

また。
ウィルソンの定理(の逆?)を証明した(1771年?)のも
ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrange
でした。

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrangeは。

さらに彼は。
「五次以上の方程式がベキ根によっては解けないこと」
についても研究致しました。

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrangeは。

根の置換など「群論の先駆けとなるような研究」
も行っています。

この問題は後にアーベルによって証明されました。

(もっともラグランジュ自身は
解けるための条件を示したのであり。
可解という可能性は捨てていなかったのです)

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrangeは。

度量衡の標準化に尽力したことでも有名です。

彼はフランス革命を目撃し。
フランスの化学者だった
アントワーヌ・ラヴォアジエの処刑について
「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが
彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」
と嘆き語ったと言うことは有名です。

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrange
は。
またマリー・アントワネットの数学教師でもありました。

「なぜ私が残されたのかわからない」と
彼女やラヴォアジエの処刑を嘆きました。
一生苦しみました。

私には。
ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ:Joseph-Louis Lagrange
の「純粋な頭脳」からの「この苦しみ」が
とてもよくわかります。

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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A5

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange, 1736年1月25日 - 1813年4月10日)は、イタリアのトリノで生まれフランスで活動した数学者、天文学者である。オイラーと並んで18世紀最大の数学者。彼の初期の業績は、微分積分学の物理学、特に力学への応用である。その後さらに力学を一般化して、最小作用の原理に基づく、解析力学(ラグランジュ力学)をつくり出した。ラグランジュの『解析力学』はラプラスの『天体力学』と共に18世紀末の古典的著作となった。

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ解析力学の研究では、ラグランジュはそれまでの幾何学的方法を排除して、ダランベールの原理、仮想速度の原理を基礎として、純粋な解析学の構築を行った。エネルギー保存則からは、最小作用の原理を導出した。

また数論に関する業績もある。全ての自然数が高々四つの平方数の和によって表されるという定理はラグランジュの四平方定理と呼ばれる(1770年)。また、ウィルソンの定理(の逆?)を証明した(1771年?)のも彼である。

さらに彼は、五次以上の方程式がベキ根によっては解けないことについても研究し、根の置換など群論の先駆けとなるような研究も行っている。この問題は後にアーベルによって証明された。(もっともラグランジュ自身は解けるための条件を示したのであり、可解という可能性は捨てていなかった)

彼は、度量衡の標準化に尽力したことでも有名である。彼はフランス革命を目撃し、フランスの化学者だったアントワーヌ・ラヴォアジエの処刑について「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」と語ったと言う。またマリー・アントワネットの数学教師でもあり、「なぜ私が残されたのかわからない」と彼女やラヴォアジエの処刑を嘆き、一生苦しんだ。

関連項目
ラグランジュ点
ラグランジュ力学
ラグランジュの未定乗数法

参考文献
数学をつくった人びと上 E.T.ベル著 田中勇・銀林浩訳 東京図書 ISBN 4-489-00528-8

外部リンク
伝記(英文)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A5" より作成
カテゴリ: イタリアの数学者 | イタリアの物理学者 | 18世紀の学者 | 18世紀の数学者 | 19世紀の数学者 | 数学に関する記事 | 1736年生 | 1813年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
1月25日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8825%E6%97%A5

できごと
1077年 - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、
教皇グレゴリウス7世による教会破門の許しを乞うため
カノッサ城の門前で立ちつくし始める(3日後に赦免。「カノッサの屈辱」)

1573年(元亀3年12月22日) -
遠江国の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市内)で武田信玄と徳川家康の軍が戦い、
武田軍が勝利する(三方ヶ原の戦い)。

1682年(天和2年12月28日) - 江戸でお七火事が起こる。

1858年(安政4年12月11日) -
南部藩の大島高任が日本初の精錬高炉(現在の新日鉄釜石)を建設する。

1879年 - 「朝日新聞」を大阪で創刊。

1902年 - 北海道旭川市で最低気温マイナス41℃を観測。
(日本に於ける公式の最低気温の記録)

1911年 - 幸徳秋水事件(大逆事件)で管野スガが処刑される。

1924年 - 第1回冬季オリンピック、
シャモニー・モンブラン大会開催。2月5日まで。

1936年 - 「東京朝日新聞」で横山隆一の漫画
『江戸っ子健ちゃん』が連載開始(10月に『養子のフクちゃん』と改題)

1945年 - ソ連が東欧6か国経済相互援助会議(コメコン、COMECON)設置を発表。

1973年 - プロボクサーの大場政夫が交通事故死。

1977年 - 松山千春がシングル『旅立ち』で歌手デビュー。

1979年 - 上越新幹線の大清水トンネルが貫通。
22228mで貫通当時は世界最長のトンネルであった。

1981年 - 中国で、文化大革命の責任者「四人組」に対する裁判の判決。
江青・元政治局員(毛沢東夫人)と張春嬌・元副首相に死刑宣告
(1983年同日に無期懲役に減刑)。

1981年 - 大相撲初場所で千代の富士が初の優勝。

1990年 - パキスタンのベナジル・ブット首相が出産。現職首相の出産は世界初。

2003年 - 大相撲の朝青龍が前場所に続き優勝し、横綱昇進を決める。

誕生日
1477年 - アンヌ、ブルターニュ公(+ 1514年)

1505年 - ジョヴァンニ・モローネ(en:Giovanni Morone)、枢機卿(+ 1580年

1615年 - ホーファールト・フリンク(en:Govert Flinck)、画家(+ 1660年)

1627年 - ロバート・ボイル、化学者・物理学者(+ 1691年)

1736年 - ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、数学者(+ 1813年)

1759年 - ロバート・バーンズ、詩人(+ 1796年)

1770年 - フランシス・バーデット、イギリスの政治家(+ 1844年)

1837年 - 富岡鉄斎、画家、儒学者(+ 1924年)

1868年 - フベンティーノ・ローサス、作曲家(+ 1894年)

1874年 - サマセット・モーム、小説家・劇作家(+ 1965年)

1881年 - エーミール・ルートヴィヒ、小説家(+ 1948年)

1882年 - ヴァージニア・ウルフ、小説家(+ 1941年)

1885年 - 北原白秋、詩人・歌人・童謡作家(+ 1942年)

1886年 - ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、指揮者(+ 1954年)

1900年 - 石坂洋次郎、作家(+ 1986年)

1902年 - 中野重治、小説家・評論家・詩人(+ 1979年)

1911年 - メイ牛山、美容家(+ 2007年)

1917年 - イリヤ・プリゴジン、化学者・物理学者(+ 2003年)

1917年 - 斎藤隆介、作家(+ 1985年)

1921年 - アルフレッド・リード、作曲家(+ 2005年)

1923年 - 池波正太郎、小説家(+ 1990年)

1923年 - 西村晃、俳優(+ 1997年)

1927年 - アントニオ・カルロス・ジョビン、作曲家 (+ 1994年)

1928年 - エドゥアルド・シェワルナゼ、ソ連外相・グルジア大統領

1930年 - ターニャ・サヴィチェワ、『ターニャの日記』の著作者 (+ 1944年)

1933年 - コラソン・アキノ、元フィリピン大統領

1935年 - 市川雄一、元公明党書記長

1938年 - 石ノ森章太郎、漫画家(+ 1998年)

1938年 - 松本零士、漫画家

1939年 - 黒田征太郎、イラストレーター

1942年 - エウゼビオ、サッカー選手

1943年 - 干刈あがた、小説家

1943年 - トビー・フーパー、映画監督

1943年 - 樋浦勉、俳優

1944年 - 江守徹、俳優

1945年 - 山口豪久(山口暁)、俳優(+ 1986年)

1949年 - さとう宗幸、歌手

1949年 - 鈴木勉、書体デザイナー(+ 1998年)

1950年 - マドモアゼル・愛、占星術者、エッセイスト

1951年 - ビル・ヴィオラ、現代美術家
1952年 - 藤原辰雄、調教師
1954年 - 津山登志子、女優
1957年 - 楠みちはる、漫画家
1959年 - 北野誠、タレント
1959年 - キム・ヨンジャ、演歌歌手
1960年 - ならはしみき、声優
1960年 - JILL、PERSONZ
1960年 - 平谷美樹、小説家
1960年 - 中村時広、愛媛県松山市長
1960年 - 荒木由美子、女優
1960年 - 里吉美紀、女優
1961年 - カトリーヌあやこ、漫画家
1964年 - 妹尾青洸、俳優
1964年 - レパード玉熊、ボクサー
1965年 - 瀬戸山正二、ビーチバレー選手
1967年 - 佐々木望、声優
1968年 - t-kimura、ミュージシャン(m.o.v.e)
1968年 - 古屋兎丸、漫画家
1970年 - マキタスポーツ、お笑い芸人
1970年 - 千原せいじ、千原兄弟、お笑い芸人
1972年 - 竹原慎二、元プロボクサー
1972年 - 濱野谷憲尚、騎手
1974年 - ダン・セラフィニ、元プロ野球選手
1975年 - 竹岡和宏、プロ野球選手
1975年 - ミア・カーシュナー、女優
1977年 - 樋口和之、5番6番
1977年 - とーどーゆーた、お笑い芸人
1978年 - 菅原卓磨、俳優
1978年 - デニス・メンショフ、ロードレース選手
1978年 - ジェイソン・ロバーツ、サッカー選手
1978年 - デリック・ターンボウ(en:Derrick Turnbow)、メジャーリーガー
1979年 - クリスティーン・レイキン(en:Christine Lakin)、女優
1979年 - 皮紅艶(en:Pi Hongyan)、バドミントン選手
1980年 - フィル・ストックマン、野球選手
1980年 - 黒河奈美、声優
1980年 - アリシア・キーズ、歌手
1980年 - シャビ、サッカー選手
1980年 - ミシェル・マクール、女子プロレスラー
1980年 - エフスタティオス・タブラリディス(en:Efstathios Tavlaridis)、サッカー
1981年 - トシェ・プロエスキ、歌手(+ 2007年)
1982年 - 櫻井翔、嵐
1982年 - 中村真実、サッカー選手
1982年 - 庄子知美、タレント
1983年 - 今野泰幸、サッカー選手
1983年 - 豊岡真澄、タレント
1983年 - 仲間リサ、ファッションモデル
1983年 - アンドレ・ワッターズ(en:Andree Watters)、歌手
1984年 - 皆藤愛子、お天気キャスター
1984年 - ロビーニョ、サッカー選手
1984年 - 野田澤彩乃、女流棋士
1985年 - 前田優香、AV女優
1985年 - 本橋優華、タレント
1985年 - チーナ・カーロリ、歌手
1985年 - ユウスケ、ミュージシャン(HIGH and MIGHTY COLOR)
1985年 - エーシー・ロー(en:Acie Law)、バスケットボール選手
1985年 - パトリック・ウィリス(en:Patrick Willis)、アメリカンフットボール選手
1986年 - 武井択也、サッカー選手
1987年 - マリア・キリレンコ、テニス選手
1988年 - タチアナ・ゴロビン、テニス選手
1989年 - 多部未華子、女優
1989年 - 竹内友哉、俳優
1989年 - 渡辺舞、ファッションモデル、女優
1989年 - シェリファ・ルナ(en:Sheryfa Luna)、歌手
1990年 - かれん、女優
1990年 - 古賀涼子、ファッションモデル
1990年 - 益山司、サッカー選手
1992年 - 有末麻祐子、ファッションモデル
1992年 - 寉岡萌希、女優
1993年 - 藤江まみ、グラビアアイドル
1993年 - 冨田麻友、AKB48
1993年 - 小林航也、ファッションモデル
生年不詳 - 我妻正崇、声優
生年不詳 - 石原浩樹、声優

忌日
1019年(寛仁2年12月17日)- 敦康親王、平安時代の皇族(* 999年)

1214年(建保元年12月13日) -
平徳子(建礼門院徳子)、平清盛の娘、安徳天皇の母(* 1155年)

1494年 - フェルディナンド1世、ナポリ王(* 1423年)

1559年 - クリスチャン2世、デンマーク王(* 1481年)

1573年(元亀3年12月22日)- 鳥居忠広、戦国武将(* 1540年?)

1573年(元亀3年12月22日)- 平手汎秀、戦国武将(* 1553年)

1573年(元亀3年12月22日)- 佐脇良之、戦国武将

1573年(元亀3年12月22日)- 鈴木久三郎、戦国武将

1573年(元亀3年12月22日)- 夏目吉信、戦国武将

1573年(元亀3年12月22日)- 成瀬正義、戦国武将

1670年 - ニコラ2世、ロレーヌ公(* 1612年)

1798年(寛政9年12月9日)- 立花鑑通、第7代柳河藩主(* 1730年)

1821年(文政3年12月22日)- 本多利明、経世家(* 1743年)

1849年 - エライアス・パリシュ・アルヴァーズ、作曲家・ハープ奏者(* 1808年)

1870年(明治2年12月24日)-
田沼意尊、江戸幕府若年寄・相良藩主・小久保藩主(* 1819年)

1891年 - 小笠原長行、江戸幕府老中(* 1822年)

1896年 - フレデリック・レイトン、画家・彫刻家(* 1830年)

1908年 - ウィーダ、小説家(* 1839年)

1911年 - 菅野スガ、政治運動家(* 1881年)

1938年 - エフゲニー・ポリワーノフ、言語学者(* 1891年)

1947年 - 高野辰之、国文学者・作詞家(* 1876年)

1947年 - アル・カポネ、シカゴ=マフィアの大ボス(* 1899年)

1949年 - 牧野伸顕、日本の外交官・内大臣(* 1861年)

1952年 - スヴェイン・ビョルンソン、初代アイスランド大統領(* 1881年)

1956年 - 佐野常羽、日本海軍の少将・ボーイスカウト指導者(* 1871年)

1957年 - 志賀潔、赤痢菌を発見した細菌学者(* 1871年)

1957年 - 小林一三、実業家(* 1873年)

1967年 - エットーレ・バスティアニーニ、バリトン歌手(* 1922年)

1970年 - 円谷英二、映画監督(* 1901年)

1972年 - エアハルト・ミルヒ、元ドイツ空軍元帥(* 1892年)

1973年 - 大場政夫、プロボクサー(* 1949年)

1977年 - 寒川光太郎、小説家(* 1908年)

1982年 - ミハイル・スースロフ、
ソビエト連邦共産党イデオロギー担当書記(* 1902年)

1983年 - 安松京三、昆虫学者(* 1908年)

1985年 - 玉置和郎、日本の総務庁長官(* 1923年)

1989年 - 砂澤ビッキ、彫刻家(* 1931年)

1990年 - エヴァ・ガードナー、女優(* 1922年)

1994年 - スティーヴン・コール・クリーネ、数学者(* 1909年)

1996年 - ジョナサン・ラーソン、作曲家(* 1960年)

1999年 - ロバート・ショウ、指揮者(* 1916年)

1999年 - 三木のり平、喜劇俳優(* 1925年)

1999年 - 土井垣武、元プロ野球選手(* 1921年)

2004年 - フランシナ・ブランカース=クン、陸上競技選手(* 1918年)

2004年 - 白木義一郎、プロ野球選手・公明党副委員長(* 1919年)

2004年 - ミクローシュ・フェヘル、サッカー選手(* 1979年)

2005年 - フィリップ・ジョンソン、建築家(* 1906年)

2008年 - 田沢芳夫、プロ野球選手(* 1936年)

記念日・年中行事
日本最低気温の日
1902年1月25日に、北海道旭川市で日本における
最低気温の記録である-41℃を観測したことに由来。

これに因んで「中華まんの日」、
「ホットケーキの日」にもなっている
(これらを食べて温まろう、という意味)。

お詫びの日
1077年のカノッサの屈辱に因む。

左遷の日
延喜元年1月25日(旧暦。新暦では901年2月16日)、
大宰府に左遷されることになった菅原道真が京を出発したことに因む。

初天神
1年で最初の天神の縁日。