東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月30日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月30日(金曜日)

「初春」「新年」の。
1月も「30日」たちました。
あと「1日」で。
最後の「冬」月の「2月」。

そしてあと「29日」で「春」=「3月」
になります。

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

平成21年になりました。
「新年」「初春」です。
「初春」「新年」の。
1月も「23日」たちました。

昨年。
「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」もおわり。
秋の最後の
「11月」「晩秋月」もおわり。
そして「12月」になり「冬」になった。
「12月」もほとんどが過ぎたかな
とおもったら。
12月31日になり。

あっというまに。
「年があらたまりました」。
「新年」「初春」です。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
恐怖さえをも感じます。

大気は「冬」の「木枯らし」。
地には「霜の花」。

天には「新年」と「初春」の。
「山茶花」と「やぶつばき」の
「つぼみ」そして「花」。

そして「新年」「初春」のこの時期には。
樹木の「落ち葉」はおちきり。

「落ち葉」は「ぴたり」ととまります。
落葉ぎりぎりまで。

雪のふる冬にそなえて。
せめてもの。
太陽の陽射しをえるためであるのしょう。

「新年」「初春」の。
白山茶花(さざんか)の花びらが
「やぶつばき」の「花」が。

花も見ぬうちに。
暗い寒い夜中のあいだに。
いてつく木枯らしに弓を射られて。
朝暗く地に落下しています。

木々は
「新年」のしずかなる。
「冬木」としてのたたずまいのなりました。

「黄色」から
「紅色」の紅葉葉もほとんどが。
冬の散りゆく「枯れ葉」。
枯れ葉になりました。

そして「新年」「初春」の。
「冬木」としてのたたずまい。

冬樹でも。
夜間照明のある樹木は「緑葉」
をしています。

霜柱の「冬」です。
「木枯らし」の「冬」です。

霜柱の「冬」の気配は。
はっきりと。
「冬」の葉木にも感じられます。

でも「新年」「初春」は
木々の
「木枯らし」もなにやら静かです。

新年の。
「山茶花」の若花のつぼみが。
「やぶつばき」の若花のつぼみが。
たわわにみえます。
いつでも咲きそうなつぼみばかりです。

昨年の「晩秋」
「金木犀:きんもくせい」の残り香は
とおくから。
「とぼとぼ」と歩いてくるように。
ほのかに漂い。
また「とぼとぼ」と歩き去っていった
ようにいなくなりました。

「新年」の。
「山茶花(さざんか)」の花びらは。
「やぶつばき」の花びらは。
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに蕾膨らみ
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花咲き
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花びらが舞う。

「初春」「新年」の。
空の色も。
まさしくも
「冬」の「空色」になってきました。
ミルクのはいったコバルトのような
空色です。

陽ののぼるのは遅くなりました。
陽がくれるのは早くなりました。

けれども冬至はおわり。
これから次第に陽ののぼるのははやくなり。
陽がくれるのはおそくなるはず。

けれども
今は「新年」。
「中冬」です。
まだこれから「深い「冬」」です。
「晩冬」の「2月」からは。
「春」にむかいます。

あさの06:00AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

「初春」「新年」の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
さらに「なにかが深まりゆく」。
そして「冬」の訪れから。

さらにさらに。
深い冬に向かい。
そしてさらに。
深い冬の向こう側にむかう
気配のあることが。
良くわかります。

いまは川端康成の。
「雪国」。
「新年」ですが。
まだまだ。
いまはそのトンネルの中です。
「向こう側」は「雪国」です。

冬池面(いけも)の水面(みずも)
冬おさなき小さなわかみどり
冬なもしらぬ
冬小さな緑の浮き草
冬若草うきつあつまりて
冬つらなり水面(みずも)
冬水面(みずも)をおおいたり
冬水面(みずおも)にて
冬風にきそいてさまよえり
冬ちひさきわらべのごとし
冬池面の水面(みずおも)の。
冬小さきちひさなわかみどり

冬いざいまこそは
冬よき季節にあらむ
冬水面(みずも)なるそら
冬ふと空をみる

冬早朝(はやあさ)に
冬けふもはだのさむけれど
冬ぬくもりのあさ
冬陽のありがたき
冬われあゆむがごと
冬陽はあたかくなりけり
冬葉木は冬木にかわりたり
冬みちをあかるくてらさむ
冬がいだく木
冬はぐくむ木
冬みどり木あおし
冬実りの木紅し(あかし)
冬来(きた)るらむ

道端の冬野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
みかんのわか実
みかんのふゆの実
蜜柑のいらかをかぜはやみ
ふゆかぜぜひるむや
木枯らしの
うつろひの
みかん実つきひ
はやいくとせ

冬地にも木にも
冬みどり葉ひらき
冬みどり木ときわ木
冬ひろがりて
冬いふことのなし
冬いふことがなし
冬いふことはなし
冬ゆたかなりけり冬

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「冬はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日日(月曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝です。

「今日は何の日」は。

1741年(44歳) フリードリヒ2世が王位に就き。
専属宮廷音楽家として人生を仕え演奏と作曲を続けた
フルーティスト。

大王から固定給のほかに。
フルート曲を1曲作るたびに。
特別の謝礼金を支払われて厚遇された
フルーティスト。

1752年(55歳)「フルート奏法試論」を著述。

当時の音楽スタイルや
演奏法などを知る恰好の教本として
今でも読まれている(邦訳あり)。

1697年 -
ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ:
Johann Joachim Quantz
(+ 1773年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ:
Johann Joachim Quantzは。

1697年1月30日-1773年7月12日)は
ドイツのハノーバーの近くの
オーバーシェーデンで生まれました。

ポツダムで没した18世紀の
ヨーロッパを代表する名フルート演奏家で作曲家です。

フリードリヒ大王のフルート教師として有名です。

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ヨハン・バプティスト・シェンクの年賦

1707年(10歳) 鍛冶屋の父が亡くなる。
ライプチヒの西に位置するメルゼブルクに住む
楽師の叔父に引き取られて
ヴァイオリン、オーボエ、チェンバロなどを学びました。

1716年(19歳) ドレスデンの楽隊に入ります。
ゼレンカに対位法を学びました。
またウィーンでフックスに師事致しました。

1718年(21歳) 
ドレスデンとワルシャワの両都市で活動していた
ポーランド王アウグスト3世
(ザクセン強健侯の息子)の楽団のオーボエ奏者となりました。

1719年(22歳) 
当時フルートの最高の名手と言われていた
ビュファルダン(Pierre Gabriel Buffardin)に
フルートを勧められ学びました。

フルート奏者として再出発。
後パリを含む各地で演奏し絶賛されました。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ:
Johann Joachim Quantz
は。

1723年(26歳) 
プラハにて、ジュゼッペ・タルティーニの
演奏会に加わります。

1724年(27歳) イタリアへ旅行致しました。
ローマでガスパリーニ(Francesco Gasparini)に
対位法を学びました。

1726年(29歳) 
ロンドンに旅行しヘンデルに会います。

1727年(30歳) 
ドレスデン王宮礼拝堂のオーケストラとフルート独奏で共演
致しました。

1728年(31歳) 
フリードリヒ2世にフルート教師として仕えました。

1741年(44歳) フリードリヒ2世が王位に就くと
専属宮廷音楽家として残りの人生を仕えました。
演奏と作曲を続けました。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ:
Johann Joachim Quantzは。

フリードリヒ大王の宮廷には。
当時の第一級の音楽家が集いました。

クヴァンツのほか。
大バッハの次男で1740年から1767年まで
チェンバロを担当した作曲家CPEバッハ(1714-1788)。

1732年から大王に仕えた
ヴァイオリンの名手で作曲家
グラウン(Johann Gottlieb Graun 1703-1771)。
同じくヴァイオリンの名手で作曲家
フランツ・ベンダ(1709-1786)らがいました。

++++++++++++++++++++++

ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ:
Johann Joachim Quantzは。

大王はクヴァンツに固定給のほかに。
フルート曲を1曲作るたびに特別の謝礼金を支払って
厚遇致しました。

1752年(55歳) 「フルート奏法試論」を著述。

当時の音楽スタイル、演奏法などを知る恰好の教本として
今でも読まれています(邦訳あり)。

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ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ:
Johann Joachim Quantzは。
作品
300曲を超えるフルート協奏曲、約200曲のフルートを含む
室内楽曲や無伴奏曲があり、今日でも演奏されています。

ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ:Johann Joachim Quantz
は。
1773年7月12日(76歳) ポツダムで没しました。

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ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%84

ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(Johann Joachim Quantz, 1697年1月30日-1773年7月12日)はドイツのハノーバーの近くのオーバーシェーデンで生まれポツダムで没した18世紀のヨーロッパを代表する名フルート演奏家で作曲家。フリードリヒ大王のフルート教師として有名である。

1707年(10歳) 鍛冶屋の父が亡くなる。ライプチヒの西に位置するメルゼブルクに住む楽師の叔父に引き取られてヴァイオリン、オーボエ、チェンバロなどを学ぶ。
1716年(19歳) ドレスデンの楽隊に入る。ゼレンカに対位法を学び、またウィーンでフックスに師事。
1718年(21歳) ドレスデンとワルシャワの両都市で活動していたポーランド王アウグスト3世(ザクセン強健侯の息子)の楽団のオーボエ奏者となる。
1719年(22歳) 当時フルートの最高の名手と言われていたビュファルダン(Pierre Gabriel Buffardin)にフルートを勧められ学び、フルート奏者として再出発。後パリを含む各地で演奏し絶賛された。
1723年(26歳) プラハにて、ジュゼッペ・タルティーニの演奏会に加わる。
1724年(27歳) イタリアへ旅行し、ローマでガスパリーニ(Francesco Gasparini)に対位法を学ぶ。
1726年(29歳) ロンドンに旅行し、ヘンデルに会う。
1727年(30歳) ドレスデン王宮礼拝堂のオーケストラとフルート独奏で共演する。
1728年(31歳) フリードリヒ2世にフルート教師として仕える。
1741年(44歳) フリードリヒ2世が王位に就くと専属宮廷音楽家として残りの人生を仕え、演奏と作曲を続けた。
フリードリヒ大王の宮廷には当時の第一級の音楽家が集い、クヴァンツのほか、大バッハの次男で1740年から1767年までチェンバロを担当した作曲家CPEバッハ(1714-1788)、1732年から大王に仕えたヴァイオリンの名手で作曲家グラウン(Johann Gottlieb Graun 1703-1771)、同じくヴァイオリンの名手で作曲家フランツ・ベンダ(1709-1786)らがいた。大王はクヴァンツに固定給のほかに、フルート曲を1曲作るたびに特別の謝礼金を支払って厚遇した。
1752年(55歳) 「フルート奏法試論」を著述。当時の音楽スタイル、演奏法などを知る恰好の教本として今でも読まれている(邦訳あり)。
1773年7月12日(76歳) ポツダムで没する。

作品
300曲を超えるフルート協奏曲、約200曲のフルートを含む室内楽曲や無伴奏曲があり、今日でも演奏される。

外部リンク
IMSLP - International Music Score Library Project 内のヨハン・ヨアヒム・クヴァンツのページ。無料で楽譜が入手可能。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%84" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

1月30日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8830%E6%97%A5

できごと
1165年(長寛2年12月17日) - 蓮華王院本堂(三十三間堂)が落慶する。

1573年(元亀3年12月27日) - 将軍・足利義昭が織田信長討伐のため挙兵する。

1649年 - 絶対王政を強行し議会と対立した英国王チャールズ1世が、
清教徒革命で処刑される。

1703年(元禄15年12月14日)-
大石内蔵助ら旧赤穂藩士47人が吉良上野介邸に討ち入り(元禄赤穂事件)。

1810年(文化6年12月25日) - 大日本史が江戸幕府に献上される。

1877年 - 西郷隆盛が鹿児島で主宰していた私学校生徒が新政府に反発し
政府の武器を奪取(西南戦争の発端)

1902年 - 日英同盟がロンドンで締結。

1933年 - ドイツでヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に指名。

1948年 - マハトマ・ガンディーがヒンドゥー至上主義者によって暗殺される。

1948年 - 第5回冬季オリンピック、サンモリッツ大会開催。2月8日まで。

1950年 - 国鉄が「湘南型電車」を完成。長距離用電車の基本となる。

1952年 - モスクワ地下鉄5号線カリツェヴァーヤ線がベラルースカヤ駅まで延伸。

1957年 - 相馬ヶ原演習場のアメリカ軍射撃場内で薬莢拾いの農婦が
アメリカ軍兵士ジラードにより射殺(ジラード事件)

1968年 - 南ベトナム解放民族戦線がサイゴン・フエなど
南ベトナムの主要都市で大攻勢(テト攻勢)

1969年 - ビートルズが予告無しでイギリス・ロンドンにあるアップル社屋上にて、
最後のライブ「ルーフトップ・コンサート」を行う。いわゆるゲリラライブである。
ゲット・バックなどを演奏し、騒音公害などの理由で警官に制止させられるまでの間続いた。

1970年 - 日本にてこの日から公衆電話の市内通話料金が3分10円になる。

1972年 - 北アイルランド・ロンドンデリーで
カトリック系住民のデモとイギリス治安部隊が衝突。市民13人死亡(血の日曜日事件)

1974年 - 「日韓大陸棚条約」締結

1976年 - ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官に就任。1977年1月20日まで。

1979年 - ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故

1987年 - 東京証券取引所の平均株価が初めて2万円の大台を突破。

2004年 - 東急東横線のうち、横浜駅〜桜木町駅間の運行終了。

2007年 - Windows Vista発売。

誕生日
133年 - ディディウス・ユリアヌス、ローマ皇帝(+ 193年)

1697年 - ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ、フルート演奏家(+ 1773年)

1879年 - 鳥井信治郎、経営者・サントリー創業者(+1962年)

1882年 - フランクリン・ルーズベルト、第32代アメリカ合衆国大統領(+ 1945年)

1888年 - 緒方竹虎 政治家、自由党総裁(+ 1956年)

1889年 - 賀屋興宣、政治家(+ 1977年)

1894年 - ボリス3世、ブルガリア王(+ 1943年)

1895年 - ヴィルヘルム・グストロフ、スイス・ナチスの指導者(+ 1936年)

1903年 - 近藤真柄、社会主義者(+ 1983年)

1907年 - 高見順、小説家(+ 1965年)

1912年 - 川上源一、経営者・ヤマハ発動機創業者(+ 2002年)

1915年 - ジョン・プロヒューモ、イギリス陸相(+ 2006年)

1916年 - 下畑卓、児童文学作家(+ 1944年)

1920年 - 長谷川町子、漫画家(+ 1992年)

1924年 - ロイド・アリグザンダー、児童文学・ファンタジー作家(+ 2007年)

1925年 - ダグラス・エンゲルバート、マウス発明者

1926年 - 駒田桂二、元プロ野球選手

1931年 - ジーン・ハックマン、俳優

1932年 - 横山ノック、元大阪府知事・漫才師(+ 2007年)

1932年 - 稲盛和夫、経営者・京セラ創業者

1935年 - リチャード・ブローディガン、詩人(+ 1984年)

1937年 - 斑目力曠、実業家

1937年 - ボリス・スパスキー、チェスプレイヤー

1937年 - ヴァネッサ・レッドグレイヴ、女優

1938年 - イスラム・カリモフ、ウズベキスタン大統領

1941年 - ディック・チェイニー、政治家

1941年 - グレゴリー・ベンフォード、SF作家

1941年 - みつはしちかこ、漫画家

1943年 - デーブ・ジョンソン、元メジャーリーガー

1949年 - 団時朗、俳優

1951年 - フィル・コリンズ、ミュージシャン
1956年 - 土屋圭市、レーシングドライバー
1958年 - 石川さゆり、歌手
1959年 - セルゲイ・バブーリン、政治家
1962年 - アブドゥッラー2世、ヨルダン国王
1963年 - 鮫島克也、騎手
1964年 - 川添智久、ミュージシャン(元リンドバーグ)
1965年 - 青山穣、声優
1968年 - 松本典子、アイドル、タレント
1968年 - ぜんじろう、芸人・お笑いタレント
1970年 - 鈴木麻里子、声優
1970年 - 岸川登俊、元プロ野球選手
1973年 - 加藤紀子、女優
1974年 - 上月啓市、実業家、俳優
1975年 - 吉村由美、(PUFFY)・歌手
1976年 - 北林実季、女優
1977年 - 新井貴浩、プロ野球選手(阪神タイガース)
1977年 - 夕樹舞子、AV女優・ストリッパー
1978年 - 板倉俊之、お笑いタレント
1978年 - 梅津弥英子、フジテレビアナウンサー
1979年 - 川島令美、タレント
1980年 - 菅野文、漫画家
1981年 - 久保田智之、プロ野球選手(阪神タイガース)
1981年 - 樋口智恵子、声優
1982年 - 徳山秀典、俳優・歌手
1984年 - 会田有志、プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
1984年 - 琴奨菊和弘、大相撲力士
1984年 - 葛岡碧、ファッションモデル
1985年 - 中込真理子、山梨放送アナウンサー
1985年 - 森下悠里、グラビアアイドル
1986年 - as (歌手)、歌手
1986年 - 下田麻美、声優
1987年 - 高梨桃子、PLIME
1988年-鈴原あいみ、モデルタレント
1991年 - あすか、アイドル
1993年 - 赤間信一、関西ジャニーズJr.
1994年 - 佐藤頼子、ファッションモデル
1995年 - 高橋悠那、タレント
生年不明 - 大藪拓、三枝夕夏IN dbメンバー
生年不明 - 川庄美雪、声優

忌日
757年(天平勝宝9年1月6日) - 橘諸兄、政治家・歌人(* 684年)

1649年 - チャールズ1世、イングランド王(* 1600年)

1743年(寛保3年1月5日) - 生島新五郎、歌舞伎役者(* 1671年)

1781年(安永10年1月7日)- 曾我蕭白、絵師(* 1730年)

1867年(慶応2年12月25日) - 孝明天皇、第121代天皇(* 1831年)

1914年 - 石井十次、岡山孤児院創設者(* 1865年)

1945年 - 橋本進吉、言語学者(* 1882年)

1946年 - 河上肇、経済学者(* 1879年)

1948年 - マハトマ・ガンディー、インドの宗教家・独立運動家(* 1869年)

1948年 - オーヴィル・ライト、飛行機の発明者(* 1871年)

1951年 - フェルディナント・ポルシェ、自動車エンジニア(* 1875年)

1958年 - エルンスト・ハインケル、飛行機設計者(* 1888年)

1962年 - グスタフ・ストレームベリ、天文学者(* 1882年)

1963年 - フランシス・プーランク、作曲家(* 1899年)

1981年 - 宮本常一、民俗学者(* 1907年)

1991年 - 河文雄、元プロ野球選手(* 1924年)

1993年 - 服部良一、作曲家(* 1907年)

1994年 - 豊田穣、小説家(* 1920年)

1998年 - サミュエル・アイレンベルグ、数学者(* 1913年)

2007年 - シドニィ・シェルダン、脚本家・小説家(* 1917年)

記念日・年中行事

孝明天皇祭

宮中祭祀の一つ。
孝明天皇が死去した日で、皇居内の皇霊殿と孝明天皇の陵所である
京都の月輪東山陵で祭典が行われる。
孝明天皇が死去したのは慶応2年12月25日(旧暦)で、
当初は仏式で行われ、明治3年から神式で行われるようになった。
明治5年の太陽暦採用に伴い、
新暦に換算した1月30日に行われるようになった。

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年1月31日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年1月31日(土曜日)

「新年」の「1月」も「31日」たちました。

あしたから。
最後の「冬」月の「2月」。
そしてあと「28日」四週間で。

「春」=「3月」になります。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

「新年」の「1月」がおわります。
いよいよ「晩冬」の「2月」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

今は「新年」。「初春」です。
「新年」をむかえても。

これからいよいよに。
もっと深く。
ふかまる「冬」。
ふかまる「冬」をすぎれば。
そこは雪国の「冬」です。

雪国の「冬」。

「冬」をむかえ。
そして。
「さらにふかい冬」を。
むかえようとしています。

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。

自在に「かんがえる」。
「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せ者です。

「新年」の「初春」だけれども。

「1月」は去り「2月」。

「ひたひた」とさらに深まりゆく「冬」。

「さくさく」とひびく日々の過ぎ去る足音は。

「とぼとぼ」と。

朝早くまだ暗い街中に聞こえるようにとおざかり。

「冬」にいすわらぬ「冬役者」があらわれる。

「冬の戯曲」の「冬役者」。

「冬将軍」の。

「冬役者」かけあしの怒涛のような。

音がきこえます。

「冬将軍」

とはだれのつくった「ことば」か。

すごい言葉と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

-------------------------------

『魔王』はデンマークで生まれた
比較的新しい伝承であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味ではアイルランドのバンシーに似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。

別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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「新年」「初春」。

早いです。
速いものです。
速いのか早いのか。
はやいのか。

けさ暗いうち
地をはうような「木枯らし」の
暴風がふきました。

「山茶花(さざんか)」と「木枯らし」は相性が。
よくないようです。

「或は」極めて相性がよいのかもしれません。
どちらかです。

暗い寒い朝に。
山茶花(さざんか)の花びらが。
夜の間に木枯しの。
弓風に射られて。
白鷺の羽が舞いおりているようです。

晩秋に聞こえたろうろうと鳴く。
こうろぎののなきごえ。
晩秋には早朝から
遠くにきこえました。

冬のこうろぎ。
「ろうろう」(朗々)と鳴いていました。
さびさびとした。

宙を舞う前の
「むささび」の声のような。
「なきごえ」でした。
「冬」になり
いまはもう「こうろぎ」の声もきこえません。

いまは。
「木枯らし」の鳴き声にかわりました。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に霜柱の音」
が聞こえました。

不思議な「冬の霜柱の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」だけになりました。

「木枯らし」と。
「冬の霜柱の音」は。
早朝暗いうちになくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」です。

面白いが「おそろしい」情景であるような気が致します。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王」のようになるのでしょう。

「冬の霜柱の音」の声。
冬に「こうこう」と鳴く。
そして木枯らしの風音がくわわっていきます。

その木枯らし音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「冬のふゆかぜ」のこえは。
暗闇の「冬の足音」のように聞こえる。
暗い冬の日に。
「雪の降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
冬のあさの「あしおと」と「冬」のよるあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
木枯らしはトッカータ。


-------------------------------

通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防寒衣としては
なくてはならないものです。

「新年」
冬の夜明(よあけ)の空から。
冬の陽がのぼり。
冬の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く冬雲です。

あさの06:00AMころに。

東の空
ほのかにあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる冬の気配」を感じます。

冬野路はた見たりビロードのしだ
冬わらべのごときビロードのしだ
冬わらびのごとく輝けりビロードのしだ
冬山奥にひそむビロードのしだ
冬しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
冬めずらしき羊歯ビロードのしだ
冬ときわの緑のほのほビロードのしだ
冬山奥のしだのビロードのしだ
冬「まち」にもいきるビロードのしだ
冬けなげなりもあはれなりビロードのしだ
冬生い立ちしらずビロードのしだ
冬されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

冬いざいまこそは

冬よき季節にあらむ

冬ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は短くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「樹氷の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらにもっと深い冬」の気配がうつろいて。
うつります。

冬まちなみ蒼く(あおく)
冬いろどりて
冬木々の榛葉のかがやけり
冬暑さの夏秋をうつろひて
冬ふかまるみどりの冬木なり
冬しずまるみどりの冬木なり
冬みのりの冬こそありがたし
冬みのりの冬こそこひしかり
冬虫なきてささやけり
冬木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月23日(火曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

「事実でない事柄についての科学」を
「病的科学として定義した」ことで知られている
高名な科学者。

極めて興味深い頭脳を有する科学者。

また界面化学(かいめんかがく)における
「ノーベル化学賞」受賞の化学者・物理学者。

1881年 - アーヴィング・ラングミュア、化学者(+ 1957年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

アーヴィング・ラングミュア:
Irving Langmuir
(1881年1月31日 -
1957年8月16日)は。

アメリカ合衆国の化学者であり物理学者です。

1932年に界面化学の分野への貢献でノーベル化学賞を
受賞致しました。

++++++++++++++++++++++

アーヴィング・ラングミュア:
Irving Langmuir
は。

コロンビア大学を卒業後。

ゲッチンゲン大学で。
ヴァルター・ネルンストのもとで化学を学びました。

1909年からゼネラル・エレクトリックの研究所で研究を始め
1950年まで在籍致しました。

++++++++++++++++++++++

アーヴィング・ラングミュア:Irving Langmuir
は。
極めて精緻な頭脳を持ち。

また
「事実でない事柄についての科学」を
「病的科学」
として定義したことでも知られています。

++++++++++++++++++++++

アーヴィング・ラングミュア:
Irving Langmuirは。

非常に独創的なかつ
「創造的な」化学者・物理学者で
あり。
その「業績」は多岐にわたります。

++++++++++++++++++++++

アーヴィング・ラングミュア:
Irving Langmuirの業績

不活性ガス封入による
タングステン電球寿命の延長(1913年)

ラングミュアの吸着式の提出

水素プラズマの研究→プラズマの命名(1928年)、

静電探針を考案

高真空水銀ポンプの発明

ラングミュアの真空計の発明

ルイス−ラングミュアの原子価理論(1919年)→オクテット則

白金の触媒作用の研究

単分子膜(ラングミュア・ブロジェット膜:LB膜)の研究(1934年)

キャサリン・ブロジェットとの共同研究

人工降雨の実験(1946年)

++++++++++++++++++++++

界面化学(かいめんかがく)について。

界面化学(かいめんかがく)は
「二つの物質が接する境界に生じる現象」
を扱う化学の一分野です。

研究領域がコロイド化学と近いため。
学会や雑誌などでは両者を合わせて扱われます。

++++++++++++++++++++++

界面化学(かいめんかがく)の事例

物質の状態により界面化学が扱う現象には
以下のような事例があります。

固体/固体界面;接着、摩擦、固溶など。
液体/液体界面;乳化、拡散など。
気体/気体界面;界面での拡散が速いため
界面現象として扱われることはまれである。
固体/液体界面;浸透、ぬれ、分散、
電気二重層、吸着、腐食など。
固体/気体界面;吸着など。
表面化学として独立の学問分野を形成している。
液体/気体界面;表面張力、起泡、消泡など。

数ナノメートルから数マイクロメートルの粒子(コロイド)
の現象を扱う

化学分野は、その界面現象も重要な要素であることから、
コロイド界面化学と呼ばれます。

++++++++++++++++++++++

界面化学(かいめんかがく)と
アーヴィング・ラングミュア:
Irving Langmuir

1932年にノーベル化学賞を受賞した
アーヴィング・ラングミュアは界面化学(かいめんかがく)
の分野の開拓者の一人として最も有名です。

アメリカ化学会が発行している
界面化学の雑誌には彼の名がついています。

界面化学が扱う最も重要な物質として。

乳化、分散、表面張力などに大きな影響を与える
界面活性剤があります。

++++++++++++++++++++++

界面化学(かいめんかがく)は。

また、化学工業で行われる触媒反応の多くは。

「固体触媒−反応物(液体あるいは気体)」の
不均一系で行われる
界面反応でありの観点からも界面化学は
極めて重要な研究課題と
なっています。

++++++++++++++++++++++

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アーヴィング・ラングミュア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A2

アーヴィング・ラングミュア(Irving Langmuir, 1881年1月31日 - 1957年8月16日)は、アメリカ合衆国の化学者、物理学者である。1932年に界面化学の分野への貢献でノーベル化学賞を受賞した。

コロンビア大学を卒業後、ゲッチンゲン大学で、ヴァルター・ネルンストのもとで化学を学び、1909年からゼネラル・エレクトリックの研究所で研究を始め1950年まで在籍した。また、「事実でない事柄についての科学」を病的科学として定義したことでも知られている。

業績
不活性ガス封入によるタングステン電球寿命の延長(1913年)
ラングミュアの吸着式の提出
水素プラズマの研究→プラズマの命名(1928年)、静電探針を考案
高真空水銀ポンプの発明
ラングミュアの真空計の発明
ルイス−ラングミュアの原子価理論(1919年)→オクテット則
白金の触媒作用の研究
単分子膜(ラングミュア・ブロジェット膜:LB膜)の研究(1934年)
キャサリン・ブロジェットとの共同研究
人工降雨の実験(1946年)

表・話・編・歴 ノーベル化学賞受賞者

テオドール・スヴェドベリ (1926) - ハインリッヒ・ヴィーラント (1927) - アドルフ・ヴィンダウス (1928) - アーサー・ハーデン (1929) - ハンス・フィッシャー (1930) - カール・ボッシュ / フリードリッヒ・ベルギウス (1931) - アーヴィング・ラングミュア (1932) - ハロルド・ユーリー (1934) - フレデリック・ジョリオ=キュリー (1935) - ピーター・デバイ (1936) - ウォルター・ハース / パウル・カラー (1937) - リヒャルト・クーン (1938) - アドルフ・ブーテナント / レオポルト・ルジチカ (1939) - ゲオルク・ド・ヘヴェシー (1943) - オットー・ハーン (1944) - アルトゥーリ・ヴィルタネン (1945) - ジェームズ・サムナー / ジョン・ノースロップ / ウェンデル・スタンリー (1946) - ロバート・ロビンソン (1947) - ウィルヘルム・ティセリウス (1948) - ウイリアム・ジオーク (1949) - オットー・ディールス / クルト・アルダー (1950)

1901年 - 1925年 | 1926年 - 1950年 | 1951年 - 1975年 | 1976年 - 2000年 | 2001年 - 2025年

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A2" より作成
カテゴリ: アメリカ合衆国の化学者 | アメリカ合衆国の物理学者 | ノーベル化学賞受賞者 | ニューヨーク市出身の人物 | 1881年生 | 1957年没

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界面化学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%8C%E9%9D%A2%E5%8C%96%E5%AD%A6

界面化学(かいめんかがく)は、二つの物質が接する境界に生じる現象を扱う化学の一分野。研究領域がコロイド化学と近いため、学会や雑誌などでは両者を合わせて扱われる[1]。

物質の状態により界面化学が扱う現象には以下のような例がある。

固体/固体界面;接着、摩擦、固溶など。
液体/液体界面;乳化、拡散など。
気体/気体界面;界面での拡散が速いため界面現象として扱われることはまれである。
固体/液体界面;浸透、ぬれ、分散、電気二重層、吸着、腐食など。
固体/気体界面;吸着など。表面化学として独立の学問分野を形成している。
液体/気体界面;表面張力、起泡、消泡など。
数ナノメートルから数マイクロメートルの粒子(コロイド)の現象を扱う化学分野は、その界面現象も重要な要素であることから、コロイド界面化学と呼ばれる。

1932年にノーベル化学賞を受賞したアーヴィング・ラングミュアはこの分野の開拓者の一人であり、アメリカ化学会が発行している界面化学の雑誌には彼の名がついている。。

界面化学が扱う最も重要な物質として、乳化、分散、表面張力などに大きな影響を与える界面活性剤がある。また、化学工業で行われる触媒反応の多くは、「固体触媒−反応物(液体あるいは気体)」の不均一系で行われる界面反応であり、この観点からも界面化学は極めて重要な研究課題となっている。

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1月31日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8831%E6%97%A5

できごと
1703年(元禄15年12月15日) -
元禄赤穂事件で赤穂浪士が吉良上野介を暗殺する。

1879年 - 枕探し泥棒が見つかり相手を殺害した高橋お伝が
斬首刑で処刑(日本最後の斬首刑)

1882年 - 前年設立の日本初の生命保険会社・明治生命が、
1月20日に心臓病で急死した警部長の遺族に保険金1000円を支払う
(日本初の生命保険金支払い)

1920年 - 全国普選聯合会結成。普通選挙運動が高まる。

1929年 - レフ・トロツキーがソ連国外に追放。

1943年 - スターリングラードのドイツ軍がソ連に降伏。

1947年 - 連合国軍最高司令官総司令部が、
翌日から予定されていた全官公庁労組中心の
「二・一ゼネスト」の中止を共同闘争委員会に命令。

1949年 - 人民解放軍が北京を正式占領。

1956年 - コルチナ=ダンペッツォ冬季五輪のスキー回転で
猪谷千春が銀メダル冬季五輪で日本初のメダル。

1957年 - 前年末に首相に就任した石橋湛山が病気で倒れる。岸信介が臨時首相代理に。

1958年 - アメリカ初の人工衛星、エクスプローラー1号打ち上げ。

1958年 - ジェームズ・ヴァン・アレンがヴァン・アレン帯を発見。

1960年 - アラビア石油,油田開発に成功20年後には5500億円の売上。

1962年 - 東京が世界一の1千万人都市へ。

1968年 - ナウル共和国がオーストラリアから独立。

1971年 - 新婚さんいらっしゃい!(ABCテレビ制作、TBS系→テレビ朝日系)が放送開始。

1976年 - 鹿児島市立病院で日本初の五つ子が誕生。

1979年 - 巨人の小林繁投手が、江川事件のあおりで阪神にトレードされる。

1984年 - 別府鉄道線がこの日限りで全線廃止。

1986年 - 福岡市地下鉄箱崎線延長部(馬出九大病院前駅〜箱崎九大前駅間)が開業。

1988年 - 北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線(木古内〜松前間)この日限り廃止。

1990年 - モスクワにマクドナルド開店。

1997年 - ファイナルファンタジーVII発売でプレイステーションの起爆剤に。

1999年 - 東急百貨店日本橋店閉店。

2003年 - ウィキペディア日本語版がWired Newsで取り上げられる。

2004年 - 東急東横線(横浜〜桜木町間)廃止。反町駅・横浜駅地下化。

誕生日
1512年 - エンリケ1世、ポルトガル王(+ 1580年)

1543年(天文11年12月26日) - 徳川家康、江戸幕府初代征夷大将軍(+ 1616年)

1550年 - アンリ1世、ユグノー戦争期のカトリック同盟主導者(+ 1588年)

1759年 - フランソワ・ドヴィエンヌ、作曲家(+ 1803年)

1797年 - フランツ・シューベルト、作曲家(+ 1828年)

1799年 - ロドルフ・テプフェール、教育者・作家・風刺画家(+ 1846年)

1841年 - サム・ロイド、パズル作家(+ 1911年)

1868年 - セオドア・リチャーズ、化学者(+ 1928年)

1869年 - アンリ・カルトン・ドゥ・ヴィアール、ベルギー首相(+ 1951年)

1872年 - ゼイン・グレイ、小説家(+ 1939年)

1881年 - アーヴィング・ラングミュア、化学者(+ 1957年)

1884年 - テオドール・ホイス、初代西ドイツ大統領(+ 1963年)

1914年 - ジョー・ウォルコット、プロボクサー(+ 1994年)

1918年 - 木暮実千代、女優(+ 1990年)

1919年 - ジャッキー・ロビンソン、元メジャーリーガー(+ 1972年)

1923年 - ノーマン・メイラー、小説家(+ 2007年)

1930年 - 小此木啓吾、精神科医(+ 2003年)

1930年 - ヨアキム・ボニエ、元F1ドライバー(+ 1972年)

1930年 - 川田利美、元調教師

1935年 - 大江健三郎、小説家、ノーベル文学賞受賞者

1935年 - 成田三樹夫、俳優(+ 1990年)

1936年 - 村上孝雄、元プロ野球選手

1937年 - フィリップ・グラス、作曲家

1937年 - スザンヌ・プレシェット、女優(+ 2008年)

1938年 - ベアトリクス (オランダ女王)、オランダ現女王

1941年 - イナ・バウアー、元フィギュアスケート選手

1941年 - ジェラルド・マクダーモット、
絵本作家・イラストレーター・グラフィックデザイナー・映像作家

1942年 - 東野英心、俳優(+ 2000年)

1945年 - ジョセフ・コスース、美術家

1947年 - 加古隆、ピアニスト

1947年 - ノーラン・ライアン、元メジャーリーガー

1948年 - 鈴木宗男、政治家、新党大地代表

1953年 - 秋山武史、俳優(+ 1998年)
1954年 - 目黒光祐、声優
1956年 - ジョン・ライドン、ミュージシャン・セックス・ピストルズのボーカル
1959年 - ケリー・リンチ、女優
1961年 - 石野真子、女優
1961年 - 河野誉彦、元プロ野球選手
1964年 - 光原伸、漫画家
1964年 - 和智正喜、小説家
1964年 - 真矢みき、女優
1966年 - 石黒賢、俳優
1966年 - エル・ヒガンテ、プロレス
1966年 - 星野伸之、元プロ野球選手
1967年 - ジョイ・ウォン、女優
1968年 - 新千恵子、声優
1968年 - 酒井光次郎、元プロ野球選手
1971年 - イ・ヨンエ、女優
1974年 - 今村恵子、タレント
1975年 - 氷川へきる、漫画家
1975年 - 木内美穂、女優、元ライブドア広報
1977年 - 香取慎吾、SMAP
1977年 - 白井雄介、ミュージシャン・キンモクセイのベーシスト
1978年 - 中島理帆、シンクロナイズドスイミング
1979年 - 松原由佳、タレント
1981年 - 森本稀哲、プロ野球選手(北海道日本ハムファイターズ)
1981年 - 松井優征、漫画家
1981年 - ジャスティン・ティンバーレイク、歌手
1982年 - 藤田泰成、サッカー選手(徳島ヴォルティス)
1982年 - ユニエスキー・ベタンコート、メジャーリーガー
1982年 - 大田尾竜彦、ラグビー選手(ヤマハ発動機ジュビロ)
1984年 - 内田和也、プロ野球選手
1984年 - 国木剛太、元プロ野球選手
1984年 - 三志郎、マジシャン
1984年 - ウラジミール・ビストロフ、サッカー選手
1985年 - 上原ちえ、女優
1985年 - 仲程仁美、ファッションモデル
1988年 - 真山明大、俳優
1990年 - 薮宏太、俳優、Hey! Say! JUMP(Hey! Say! BEST)、Ya-Ya-yah
1992年 - 林由佳、ファッションモデル
1992年 - 武藤水華、元ハロプロエッグ、元LITTLE GATAS
1992年 - 水橋舞、歌手
1993年 - ジェシカ・ローズ・ペイシュ、フィギュアスケート選手

忌日
985年(永観3年1月3日) - 良源(元三大師)、
厄除け大師、比叡山延暦寺中興の祖(* 912年)

1398年(応永5年1月13日)- 崇光天皇、北朝第3代天皇(* 1334年)

1561年 - メノ・シモンズ、アナバプテストの指導者(* 1496年)

1580年 - エンリケ1世、ポルトガル王(* 1512年)

1615年(慶長20年1月3日)- 宗義智、対馬国の領主(* 1568年)

1632年 - ヨスト・ビュルギ、時計職人・数学者(* 1558年)

1703年(元禄15年12月15日) - 吉良上野介、江戸幕府高家肝煎(* 1641年)

1729年 - ヤーコプ・ロッヘフェーン、探検家(* 1659年)

1736年 - フィリッポ・ユヴァラ、建築家(* 1678年)

1740年(元文5年1月3日)- 志太野坡、俳諧師(* 1662年)

1788年 - チャールズ・エドワード・ステュアート(小僭王)、
イギリスの王位請求者(* 1720年)

1828年 - アレクサンドル・イプシランチ、帝政ロシアの軍人(* 1792年)

1866年 - フリードリヒ・リュッケルト、詩人(* 1788年)

1888年 - ヨハネ・ボスコ、カトリック教会の聖人(* 1815年)

1892年 - チャールズ・ハッドン・スポルジョン、バプテスト派牧師(* 1834年)

1897年 - 西周、啓蒙家・教育者(* 1829年)

1905年 - 副島種臣、日本の内務大臣・外務卿(* 1828年)

1914年 - 広瀬宰平、実業家(* 1828年)

1918年 - 朝吹英二、実業家(* 1849年)

1926年 - ルー・バイアーバウアー、メジャーリーグベースボール選手(* 1865年)

1933年 - ジョン・ゴールズワージー、小説家(* 1867年)

1944年 - ジャン・ジロドゥ、作家(* 1882年)

1945年 - エディ・スロヴィク、アメリカ陸軍の二等兵(* 1920年)

1954年 - 香取秀真、鋳金作家(* 1874年)

1954年 - エドウィン・アームストロング、発明家・電子技術者(* 1890年)

1955年 - ジョン・モット、YMCA指導者(* 1865年)

1956年 - A・A・ミルン、作家(* 1882年)

1967年 - エディ・トーラン、陸上競技選手(* 1908年)

1969年 - メハー・ババ、宗教家(* 1894年)

1973年 - ラグナル・フリッシュ、経済学者(* 1895年)

1974年 - サミュエル・ゴールドウィン、映画プロデューサー(* 1882年)

1979年 - グラント・グリーン、ジャズギタリスト(* 1935年)

1984年 - 林家小染 (4代目)、落語家(* 1947年)

1985年 - 石川達三、小説家(* 1905年)

1985年 - 田中六助、政治家(* 1924年)

1987年 - 渡辺晋、実業家(* 1927年)

1989年 - 芥川也寸志、作曲家(* 1925年)

1999年 - ジャイアント馬場、プロレスラー(* 1938年)

2000年 - 吉川泰雄、日本語学者(* 1917年)

2001年 - ゴードン・R・ディクスン、SF作家・ファンタジー作家(* 1923年)

2002年 - 内藤幸三、元プロ野球選手(* 1916年)

2004年 - 加藤道子、女優(* 1919年)

2004年 - 桂文治 (10代目)、落語家・南画家(* 1924年)

2005年 - 中尊寺ゆつこ、漫画家(* 1962年)

2006年 - モイラ・シアラー、バレエダンサー・俳優(* 1926年)

2007年 - 高橋揆一郎、小説家(* 1928年)

2008年 - フランティシェク・チャペック、カヌー選手(* 1914年)

記念日・年中行事
生命保険の日
1882年のこの日に日本初の生命保険金支払いが行われたことに因む。
これとは別に、11月1日が生命保険協会が定めた生命保険の日となっている。

愛妻家の日
日本愛妻家協会が制定。1月の1を"I"に見立て、
「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから。

晦日正月,晦日節
正月最後の日。この日に、松の内に年始回りをしなかった家を訪ねる地方もある。

そばの日(毎月最終日)