東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年2月1日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年2月1日(日曜日)

「新年」になりました。平成21年です。

「2月」になりました。

平成21年も。

もう「一ヶ月」もたちました。

「晩冬」「2月1日」の

今日は(日曜日)です。

とてもとても。

とても「寒い日々」が続いています。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前の「晩秋」のころ。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「新年」。「初春」。

今は私の「大好き」な。

「やぶつばき」と「山茶花(さざんか)」

の「蕾(つぼみ)」と「花」のふくらむ

「やぶつばき」の季節になりました。

山本クリニックの庭園には。
大昔は。
雑木林であったそうです。

「野生」の。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」が
とても沢山群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。
みるみるうちに。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」が。
つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「山茶花(さざんか)」は
蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。
暗い寒い朝にちっていることが
多いです。

「種の保存」の理論からすれば
昆虫の少ない「寒い冬」の日々に。

「寒い冬」に「花粉」を運んでくれる
昆虫はとても少ないはずだから。

花期はながければ長いほど「実」「種」
が「たくさん実る確率は高くなる」
はずです。

だから。
「花期」が「極めて短命」とは。
とても不思議なことです。

山茶花(さざんか)は

ぬばたまの

闇夜の暗きに

木枯らしの

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

ささんかは

ぬばたまの

やみよのくらきに

こからしの

かせにいられて

はなそまいちる

早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

年が改まれば。

今度はいよいよ。

「晩冬」「初春」
つぼみを日々
大きくしている。

山茶花(さざんか)や「やぶつばき」
の季節の。
「初春」の「新年」。

そして。
「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」
をみまもるのは。

「みかんの木」の「丸いみかん」の
「丸い群れ」。
「丸いみかんん」はたわわになりて。
まるで「ぶどう」のようです。

お互いに「植物語」で話しをしているに
ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

堂々たる。
木枯らしの吹く。
「1月」
本物の「冬」になりました。

さらに「冬」がふかまり。

「もっと深い冬」のトンネルをこえれば。

そこは「雪国の冬」です。

「木枯らし」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

に聞こえます。

近くに「トンネル」があることも

わかります。

「魔王:Erlkönig」の吹く「オカリナ」

のような鳴き声です。

そして。

「木枯らし」をなだめるように。

「粉雪」が舞います。

「粉雪」のほうが「役者」は上です。

「粉雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

ます。

そして遠くから

春の姫君「佐保姫(さほひめ)」

が春のころもをまといながめています。

きょうは。
とてもとても寒い。

「木枯らし」が吹いています。
「木枯らし」は「夜」は「木」にとまって
一晩をすごすようにみえます。

「木枯らし」の鳴き声が。
きこえます。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

冬霧雨(ふゆきりさめ)の。
冬霞(ふゆかすみ)の大気。

こおろぎの「なきごえ」はいつしか。
もうとっくにきこえなくなり。

「こうろぎ」の「ろうろう」は
木枯らしの「音」にかわりました。
「ろうろう」「こうこう」
「木枯らし」の鳴き声

朝暗く寒いいうちの「木枯らし」の合唱は。

「冬」の「ふうりん」のごとし。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「冬」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さびさびと「さむい音」です。

「こうこう」

わびわびと。

「たき火をよんでいる音」です。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「深い晩秋・初冬」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「冬ふくろう」が
何匹も集ってつどい。
何匹ものふくろうが。
皆で何かを真剣に考えているようにみえます。

「雪」がつもれば。
「ススキの穂先」は。
「しあわせと幸福を手招き」している
何本もの「手」のように。
みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch
の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

「きょう」と「あす」しか。

いません。

「きょう」と「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「中冬」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる冬からの大気。

「ふかまる冬」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「新年」の「2月」になりました。
今年も平成21年がはじまり
「一ヶ月」がたちました。
「初春」「新年」。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「ふかまりゆく冬の樹木」にうつろうように
変化しています。

「初春」の「冬」にも。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっていました。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝はみえました。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きました。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。
今現在は落ち着いた「冬」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。

「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「晩秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「「冬」のわかば」の「めばえ」がみえました。
今もみえます。
今は「「冬」のわかば」の「めばえ」は
すこし大きくなりました。

そして「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきます。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていくのは。
「夜の魔法」「夜のガスパール」
のようです。

「葉の去った枝」には。
もう「「初春」の若芽のつぼみ」
がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

けれども今は

「おせどのこおろぎはなきやみ」

「電線に「木枯らし」がとまってないている」

「深い冬」です。

「新年」「初春」の「晩冬」です。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に黄色い葉もまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉が消えていくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきえるころ
です。

紅葉から。
「木枯らし」

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
受け止めています。

「冬の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「枯れ葉散る」。
ちったあと枝の根元には。
「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。
冬になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。
「冬木」へとかわりました。
「冬木」から春の「春木」への準備
もしています。

街角の雑草も花は咲き終わり。
盛夏の姿となりそして秋を迎えそして「冬」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

夏草から秋草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

ツツジは潅木。
ツツジの花の葉の優しさには
あらためてびっくりしました。
黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。
何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれてそのまま地に落ちた
ツツジの若葉は幾何学的に裏側を下にむけて
逆さじょうごのように
落下していることに気がつきました。
まるで
「若草色」のキノコが沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝黄金に晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさこがねにはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なるらむ

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまいなるらむ

にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

冬春きらきらラピス・ラズリの空(そら)
冬春紺碧のカクテルいろの空(そら)
冬春ミルクをそそそいだ空(そら)
冬春トルコいしのプリンの空(そら)
冬春はるかにとほくたかい空(そら)
冬春ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
冬春プリンの上のクリームのような空(そら)
冬春睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
冬春睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
冬空春空(そら)の向こうにまた空(そら)
冬春空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

冬春椎木(しいのき)は枝高し
冬春そらに吼える若葉の穂束
冬春そらに吼える蒼き獅子のごとし
冬春天にも地にもみどりはさける
冬春のあさふかまりて
冬春陽の光ゆたかなりけり
冬春いふことのなし
冬春いふことがなし
冬春いふことはなし
冬春いふこともなし
冬春ゆたかなるかな冬春

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

「合衆国USA」の。
ジークムント・フロイトらに代表される。
「合衆国USA」の分析精神医学の体系を。

当初はマオナーに考えられていた
「合衆国USA」精神医学を.
「世界の精神医学」*まで持上げた心理学者。

(*今現在
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1・ドイツ主流のヤスパース精神医学
2・「合衆国USA」の分析精神医学*
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(ちなみに「合衆国USA」では精神科の先生は
「analyst:アナリスト」と言います。
有名な映画でマフイアのボスがノイローゼになる
ロバート・デ・ニーロが主役の。
「analyze me!」という
タチトルは
「先生診てください!」という意味です))

1844年 - スタンレー・ホール、心理学者(+ 1924年)
の生誕日です。
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グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hall,
1844年2月1日 - 1924年4月24日)
はアメリカの心理学者です。

19世紀末から。
20世紀初頭にかけての
心理学草創期に活躍した心理学者です。

++++++++++++++++++++++

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hallは。

マサチューセッツ州アシュフィールド
に生まれました。

1867年、ウィリアムズ大学を卒業致しました。

その後ユニオン神学校に学びました。

++++++++++++++++++++++

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hallは。

ヴィルヘルム・ヴントの
『生理学的心理学綱要』に触発されて心理学を志し
ました。

ハーヴァード大学の
ウィリアム・ジェームズの下で学位を取得致しました。

さらに、ライプツィヒ大学に留学して。
ヴィルヘルム・ヴントに直接教えを受けました。

++++++++++++++++++++++

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hallは。

ジョンズ・ホプキンズ大学教授を経て。
1888年にクラーク大学の初代総長に就任致します。

また1892年にはアメリカ心理学会を
組織して初代会長に就任致しました。

++++++++++++++++++++++

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hallは。

教育心理学、児童心理学、青年心理学、宗教心理学などの
新しい研究領域を精力的に
開拓致しました。

また「応用心理学」の振興に力を尽くしました。

++++++++++++++++++++++

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hall
は。

1909年。
ホールはクラーク大学の創立20周年記念式典に。

ジークムント・フロイトらの
「合衆国USA」を始め欧州の。
精神分析運動の主導者たちを招き
ました。
そして講演の機会を与えました。

++++++++++++++++++++++

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hallの
この一見ささいなイヴェントは予想外の
結末を得ることになりました。

「合衆国USA」の「分析精神医学」は。

ヨーロッパのアカデミズムからほ
とんど無視されていたのです。

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hallの
この一見ささいなイヴェントは。

精神分析がアメリカにおいて
社会的認知を得るきっかけとなった
出来事に発展致しました。

++++++++++++++++++++++

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hall

「クラーク大学の創立20周年記念式典に。
ジークムント・フロイトらの
「合衆国USA」を始め欧州の。
精神分析運動の主導者たちを招き
ました。
そして講演の機会を与えました。」

「機会を与えること」が「物事の発展」に
大きく寄与するとういう
「合衆国USA」の「たましい:spirit*」
の「代表例」ともいえましょう。

グランヴィル・スタンレー・ホール:
Granville Stanley Hall
は。
偉大な「合衆国USA」の心理学者であったと
考えます。

++++++++++++++++++++++

The English word "spirit" comes from t
he Latin "spiritus" (breath).
The term is commonly used to
refer to a supernatural being which is
transcendent and therefore metaphysical in nature.

For many people, however, spirit, like soul,
is a natural part of a being, and is identified with mind,
or consciousness, or the brain

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

スタンレー・ホール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB

グランヴィル・スタンレー・ホール(Granville Stanley Hall, 1844年2月1日 - 1924年4月24日)は、アメリカの心理学者。19世紀末から20世紀初頭にかけての心理学草創期に活躍した。

マサチューセッツ州アシュフィールドに生まれる。1867年、ウィリアムズ大学を卒業し、その後ユニオン神学校に学ぶ。ヴィルヘルム・ヴントの『生理学的心理学綱要』に触発されて心理学を志し、ハーヴァード大学のウィリアム・ジェームズの下で学位を取得。さらに、ライプツィヒ大学に留学し、ヴィルヘルム・ヴントに直接教えを受けた。

ジョンズ・ホプキンズ大学教授を経て、1888年にクラーク大学の初代総長に就任。また1892年にはアメリカ心理学会を組織して初代会長に就任した。

教育心理学、児童心理学、青年心理学、宗教心理学などの新しい研究領域を開拓し、また応用心理学の振興に力を尽くした。

1909年、ホールはクラーク大学の創立20周年記念式典にジークムント・フロイトら精神分析運動の主導者たちを招き、講演の機会を与えた。当時、ヨーロッパのアカデミズムからほとんど無視されていた精神分析が、アメリカにおいて社会的認知を得るきっかけとなった出来事である。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

2月1日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%881%E6%97%A5

できごと
1268年(文永5年1月17日) - モンゴル帝国の使者が通交を求めて来日。
元寇のきっかけとなる。

1793年 - フランス国民公会がイギリス・オランダに宣戦布告。

1872年 - 壬申戸籍完成

1874年 - 佐賀の乱

1890年 - 徳富蘇峰が『國民新聞』を創刊。

1895年 - 京都電気鉄道(後の京都市電)・
塩小路東洞院通〜伏見町下油掛6.4kmが開業(日本初の電気鉄道)

1896年 - ジャコモ・プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』がトリノで初演。

1899年 - 東京〜大阪で初の長距離電話が開通。1通話1円60銭。

1902年 - 清朝政府が纏足禁止令を発布。

1906年 - 第二次日韓協約に基づいて日本の被保護国となった韓国に韓国統監府が開庁。

1911年 - 徳富蘆花、一高弁論部大会で「謀反論」を講演。

1928年 - 日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」創刊。

1938年 - 山川均・大内兵衛・美濃部亮吉ら労農派教授グループ
約30人が検挙(第二次人民戦線事件)

1946年 - 第一次農地改革を実施。

1946年 - NHKラジオで平川唯一の『英会話教室』が放送開始。

1948年 - 沢田美喜が大磯に混血児救済施設
「エリザベス・サンダースホーム」を開設。

1953年 - NHKが東京地区で日本で初めてのテレビ本放送を開始。

1954年 - マリリン・モンローとジョー・ディマジオが新婚旅行で初来日。

1956年 - 「自動車損害賠償保障法」(自賠責法)施行。自賠責保険の強制加入を実施。

1958年 - エジプトとシリアがアラブ連合共和国を結成。

1959年 - 日本教育テレビ(現テレビ朝日)が開局

1960年 - 東京・丸の内に日本初の地下駐車場を開設。

1961年 - 深沢七郎『風流夢譚』の雑誌『中央公論』への掲載をめぐって、
嶋中・中央公論社社長邸を大日本愛国党の右翼少年が襲撃。
家事手伝いの女性を刺殺(嶋中事件)

1962年 - 東京都の人口が一千万人を突破。世界初の一千万都市に。

1965年 - 原水協から社会党・総評系が分裂し、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を結成。

1967年 - 大阪府東部の布施市、河内市、枚岡市の3市が合併、東大阪市が発足。

1969年 - 内山田洋とクール・ファイブがシングル
『長崎は今日も雨だった』でレコードデビュー。

1979年 - イランのアヤトラ・ホメイニが亡命先のパリから帰国。

1983年 - 老人福祉法改正。70歳以上の医療無料制を廃止。

1984年 - 国鉄で貨物列車の大整理を伴う大規模ダイヤ改正を実施。

1984年 - 吉川晃司がシングル「モニカ」でデビュー。

1987年 - 北海道の国鉄広尾線(帯広〜広尾84.0km)がこの日限りで廃止。
ブームになった愛国駅と幸福駅が廃止に。

1988年-九州地方にあったJR山野線が廃止された。
なお、当線は、九州で唯一の通過可能な大川ループがあったことで有名だった。
2008年度で20周年を迎えた。

2003年 - STS-107スペースシャトルコロンビア号がテキサス州上空で空中分解事故。
乗員7名が全員死亡。

2004年 - みなとみらい線(横浜〜元町・中華街間)開業。

2004年 - 岐阜県吉城郡の古川町、神岡町、河合村、宮川村が合併。飛騨市が誕生。

2005年 - サッカーJリーグの「ジェフユナイテッド市原」が
「ジェフユナイテッド市原・千葉」に改称。

2008年 - 日本たばこ産業が成人識別自動販売機で
たばこを購入する際に利用するICカードtaspoの発行受付がスタート。

2019年 - 直径2キロの小惑星が地球に接近すると予測されている。

誕生日
1394年(応永元年1月1日) - 一休宗純、禅僧(+ 1481年)

1546年(天文15年1月1日)- 最上義光、出羽国の戦国大名・山形藩主(+ 1614年)

1552年 - エドワード・コーク、法律家(+ 1634年)

1690年 - フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ、作曲家(+ 1768年)

1706年(宝永2年12月18日) - 山脇東洋、医学者(+ 1762年)

1825年 - フランシス・ジェームズ・チャイルド、文献学者(+ 1896年)

1844年 - スタンレー・ホール、心理学者(+ 1924年)

1859年 - ヴィクター・ハーバート、作曲家(+ 1924年)

1874年 - フーゴ・フォン・ホーフマンスタール、劇作家(+ 1929年)

1892年 - 子母沢寛、小説家(+ 1968年)

1894年 - ジョン・フォード、映画監督(+ 1973年)

1901年 - クラーク・ゲーブル、俳優(+ 1960年)

1905年 - 岩倉具実、言語学者(+ 1978年)

1915年 - スタンリー・マシューズ、サッカー選手(+ 2000年)

1917年 - 澤村榮治、元プロ野球選手(+ 1944年)

1920年 - 林義一、元プロ野球選手・監督(+ 2008年)

1922年 - レナータ・テバルディ、ソプラノ歌手(+ 2004年)

1925年 - 大友工、元プロ野球選手

1926年 - 榊莫山、書道家

1927年 - ギュンター・ギヨーム、東ドイツ情報機関の情報員(+ 1995年)

1928年 - 佐藤孝行、政治家

1929年 - 鳥海尽三、脚本家、小説家(+ 2008年)

1931年 - ボリス・エリツィン、ロシア初代大統領(+ 2007年)

1932年 - 海老一染太郎、曲芸師(+ 2002年)

1932年 - 広田良吾、工学者・物理学者・数学者

1932年 - 箱田淳、元プロ野球選手

1933年 - 渡辺貞夫、ジャズミュージシャン

1937年 - 谷本稔、元プロ野球選手

1939年 - ジョー・サンプル、ジャズピアニスト

1940年 - 藤井栄治、元プロ野球選手

1942年 - 今井通子、登山家

1943年 - 吉村作治、考古学者

1943年 - ロナルド・ウッズ、元プロ野球選手

1944年 - 猫田勝敏、バレーボール選手(+ 1983年)

1945年 - 高井保弘、元プロ野球選手

1947年 - 小川邦和、元プロ野球選手

1947年 - 梅田邦三、元プロ野球選手

1950年 - 山本譲二、歌手
1950年 - 徳川慶朝、写真家
1951年 - 中村雅俊、歌手、俳優
1954年 - 井沢元彦、小説家
1955年 - 唯川恵、小説家
1958年 - 堀川亮( 現・堀川りょう)、声優
1958年 - みうらじゅん、漫画家・エッセイスト
1959年 - 荘勝雄、元プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズコーチ
1960年 - 山本直樹、漫画家
1961年 - 木戸克彦、元プロ野球選手、阪神タイガースコーチ
1961年 - 黒田アーサー、俳優
1962年 - 布袋寅泰、ギタリスト・ミュージシャン
1962年 - 村上隆、ポップアート作家
1964年 - 磯野貴理、タレント
1966年 - ミシェル・エイカーズ、女子サッカー選手
1967年 - 大久保博元、元プロ野球選手・タレント埼玉西武ライオンズコーチ
1967年 - 土田尚史、元サッカー選手・浦和レッズコーチ
1968年 - 押尾コータロー、ギタリスト
1968年 - リサ・マリー・プレスリー、歌手(エルヴィス・プレスリーの娘)
1968年 - 佐藤祐樹、元騎手
1969年 - ガブリエル・バティストゥータ、元サッカー選手
1969年 - 木内玲子、女優
1969年 - 宮上元克、ミュージシャン・ドラマー(THE MAD CAPSULE MARKETS)
1970年 - 吉本文弘、元プロ野球選手
1970年 - エドウィン・ハタド、元プロ野球選手
1971年 - マイケル・C・ホール、俳優
1971年 - アニエス・ルテステュ、バレエダンサー
1971年 - ズラトコ・ザホヴィッチ、サッカー選手
1973年 - 愛本美穂、女優
1973年 - 川田広樹、お笑い芸人(ガレッジセール)
1974年 - ロベルト・エラス、自転車競技選手
1975年 - エカテリーニ・タヌー、陸上競技選手
1976年 - 菅原加織、女優
1976年 - 土方ひかる、女優
1978年 - 平下晃司、プロ野球選手
1980年 - 蝦名清一、俳優
1982年 - ルキ、ミュージシャン(ガゼット)
1982年 - ジェーン・マチ、メジャーリーガー
1982年 - 高橋実桜、フードファイター、タレント
1983年 - 屋良朝幸、ジャニーズ
1983年 - 綾瀬しおり、女優
1983年 - ケビン・マーティン、女優
1983年 - ユルヘン・ファン・デン・ブルック(en:Jurgen Van Den Broeck)、自転車選手
1984年 - 綿矢りさ、小説家
1984年 - 須江篤史、ミュージシャン(AJISAI)
1984年 - PATRICIO、ファッションモデル
1984年 - ダレン・フレッチャー、サッカー選手
1985年 - KENTARO、ギタリスト(少年カミカゼ)
1985年 - 上原深雪、女優
1985年 - ニキタ・バゼノフ、サッカー選手
1985年 - 桑野東萌、バレエダンサー
1986年 - 西田美歩、グラビアアイドル
1986年 - 田中幸長、野球選手
1986年 - 石原あつ美、女優
1987年 - 鵜久森淳志、プロ野球選手
1987年 - ジュゼッペ・ロッシ、サッカー選手
1988年 - 東出昌大、ファッションモデル
1988年 - 希志あいの、女優
1990年 - 石井香織、グラビアアイドル
1990年 - ローラ・マーリング(en:Laura Marling)、シンガーソングライター
1992年 - 南梨央、女優
1994年 - 藤江れいな、AKB48
1995年 - 木村遼希、子役タレント
生年不明 -Kami、ミュージシャン(MALICE MIZER)

忌日
853年(仁寿2年12月20日) - 源明、平安時代の公卿(* 814年)

1328年 - シャルル4世、フランス王(* 1294年)

1417年(応永24年1月15日) - 冷泉為尹、歌人(* 1361年)

1691年 - アレクサンデル8世、第241代ローマ教皇(* 1610年)

1733年 - アウグスト2世、ポーランド王(* 1670年)

1749年 - フランソワーズ・マリー、オルレアン公フィリップ2世の妻(* 1677年)

1781年(安永10年1月9日) - 湯浅常山、儒学者(* 1708年)

1851年 - メアリー・シェリー、小説家(* 1797年)

1873年 - 大谷友右衛門 (5代目)、歌舞伎役者(* 1833年)

1882年 - アントワーヌ・ビュシー、化学者(* 1794年)

1903年 - ジョージ・ガブリエル・ストークス、数学者・物理学者(* 1819年)

1908年 - カルルシュ1世、ポルトガル王(* 1863年)

1908年 - ルイス・フィリペ、ポルトガル王(* 1887年)

1909年 - 田中不二麿、日本の文部大輔・司法相(* 1845年)

1920年 - パーヴェル・シュテルンベルク、天文学者(* 1865年)

1922年 - 山縣有朋、日本の第3・9代内閣総理大臣(* 1838年)

1928年 - ヒューイー・ジェニングス、メジャーリーグベースボール選手・監督(* 1869年)

1932年 - アグスティン・ファラブンド・マルティ、エルサルバドルの革命家(* 1893年)

1935年 - 中村鴈治郎 (初代)、歌舞伎役者(* 1860年)

1936年 - 松田源治、日本の拓務大臣・文部大臣(* 1875年)

1937年 - 浅野長勲、第12代広島藩主(* 1842年)

1937年 - 河東碧梧桐、俳人(* 1873年)

1940年 - フィリップ・フランシス・ノーラン、SF作家(* 1888年)

1944年 - ピエト・モンドリアン、画家(* 1872年)

1945年 - ヨハン・ホイジンガ、歴史家(* 1872年)

1945年 - ドブリ・ボジロフ、ブルガリア首相(* 1884年)

1945年 - イヴァン・イヴァノフ・バグリアノフ、ブルガリア首相(* 1891年)

1946年 - 谷本富、教育学者(* 1867年)

1957年 - フリードリヒ・パウルス、ナチス・ドイツの軍人・元帥(* 1890年)

1958年 - クリントン・ディヴィソン、物理学者(* 1881年)

1966年 - バスター・キートン、喜劇俳優(* 1895年)

1976年 - ジョージ・H・ウィップル、医学者(* 1878年)

1976年 - ヴェルナー・ハイゼンベルク、物理学者(* 1901年)

1977年 - エドモンド・ハミルトン、SF作家(* 1904年)

1981年 - ゲイル・トヴェイト、作曲家(* 1908年)

1986年 - アルバ・ライマル・ミュルダール、外交官・作家(* 1902年)

1987年 - 浅原直人、元プロ野球選手(* 1916年)

1988年 - ヘザー・オルーク、子役女優(* 1975年)

1990年 - ヤドヴィガ・ワイス、陸上競技選手(* 1912年)

1993年 - トゥーリョ・カンパニョーロ、カンパニョーロ社創業者(* 1901年)

1994年 - 藤島桓夫、歌手(* 1927年)

1997年 - 篠田康雄、神職(* 1908年)

1998年 - 塚本純子、実業家(* 1922年)

2002年 - 近藤啓太郎、小説家(* 1920年)

2002年 - ヒルデガルト・クネフ、女優・歌手・作家(* 1925年)

2003年 - モンゴ・サンタマリア、ラテンジャズのコンガ奏者(* 1922年)

2007年 - ジャン=カルロ・メノッティ、作曲家(* 1911年)

2008年 - 瀬戸光枝、日本きもの指導者協会名誉会長(* 1913年)

2008年 - シェル・ケプラー(Shell Kepler)、女優(* 1958年)

記念日・年中行事
生活習慣病予防週間(2月7日まで)

テレビ放送記念日
1953年2月1日にNHK東京放送局が日本初のテレビの本放送を開始したことに由来。 

ニオイの日
プロ野球キャンプイン

毎年この日は、
男子御三家(開成・麻布・武蔵)と、
女子御三家(桜蔭・女子学院・雙葉)をはじめとする
東京都、神奈川県の難関中学の入試が開催されます。

そのため複数の御三家の併願受験はできません。

ただし、女子学院については2月1日が
日曜日の年は試験日が2日になるため、
女子御三家は年によって女子学院と他の併願ができるのです。
(サンデーショック)