東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年2月10日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年2月10日(火曜日)

平成21年の「2月」も「10日」たちました。
あと「18日」で最後の「冬」。
「晩冬」の「2月」はおわります。

そして。
あと「18日」で。
「春」の「3月」になります。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。
今は
「初春」です。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」です。

「初春」の。
「冬」「晩冬」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。
「おきなのあゆみ」のように。
そそとした「冬舞台」の上を。
さらにふかまりつつ冬の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。
「冬」から「春」にむかっています。

「初春」です。「晩冬」です。
深い「冬」です。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「晩冬」から「初春」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

木枯らしの声。

毎朝の暗いうちの木枯らしの「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
木枯らしの鳴き声は。
「独唱」から次第に「合唱」に
なってきました。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「木枯らし」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

木枯らしも
「もっと深冬(ふかふゆ)」。
そして「もっと深い冬の先」
の季節 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「木枯らし」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

木枯らしは

「街路樹」にとまって。

「冬」を過ごすのでしょう。

陽ののぼる時刻はとても遅くなりました。
そして
陽のおりる夕暮れは。
とてもはやくなりました。
つるべがおちるようにすとんと
暗くなります。

朝の04:30amにはふたたび「真っ暗」
の時期になりました。
あさの06:00amでもなお暗い東空
です。

けれども「昨年」冬至もおわり。

これから日々ゆっくりと

日は長くなります。陽はたかくなります。

よるは短くなりはじめます。

これからは天上の太陽は。
「冬」から「春」に向かいます。

けれども「地上」では。
「今」「晩冬」であり「真冬」です。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私はさむいのがつらい
です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「冬」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「冬」にも。

「初春」の「中冬」「晩冬」の。
「若芽」をまもる
「冬」の太陽から。さらなる恵みを
「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。
「ソフトフイルター」の役目を。
深い「冬」の「おぼろくもりそら」が
しているようです。

自然とは。
とてもよくできたものです。

変幻自在であり
そして規則も正しい。
なおかつにして。
自由が自在。

春夏秋冬。
大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(こころ)が。

とてもよくわかります。

冬の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

そして冬の。
紅葉の冬。
枯れ葉も冬をむかえています。
木々のまとう枯れ葉は木々の
セーターのようです。
少しでも暖かければ。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。
晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るなやはり野におけ蓮華草」

のように。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「晩冬」の「からまつ」です。

そしていま。
「春」をまつ「からまつ」の時期になりました。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

いまは
「冬」です。

「初春」「晩冬」ながら。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「春」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります。
冬の木枯らしが若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
冬草に変貌して。

「木枯らし」になり。
道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
冬草へと変貌しつつながらえています。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

木枯らしいてつく冬竹(ふゆたけ)の
笹葉は蒼くふるえたり
みどり葉笹葉にかぜはやみ
冬陽をうつすやうつろひの
竹の葉木枯らしはやいくとせ

冬春地にも空にも
冬春みどり葉ひらき
冬春みどり木冬空
冬春天高くひろがりけり
冬春ゆたかなりけり
冬春いふことのなし
冬春いふことがなし
冬春いふことはなし
冬春ゆたかなりけりふゆはる

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

『ドクトル・ジバゴ』で。
世界的に知られるロシアの詩人・小説家。

「ノーベル文学賞」受賞者であり。
なおかつアレクサンドル・スクリャービンに師事
したピアニストでもあったロシアの作家。

1890年 - ボリス・パステルナーク、詩人(+ 1960年)

の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナーク
(Борис Леонидович Пастернак,
Boris Leonidovich Pasternak,
1890年2月10日(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では
1月29日)-1960年5月30日)は。

『ドクトル・ジバゴ』
で世界的に知られるロシアの詩人・小説家です。

++++++++++++++++++++++

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークは。

モスクワに生まれました。
父はユダヤ系(ただしキリスト教に改宗していた)の
有名な画家・レオニード・パステルナークです。
母はピアニストでした。

最初ボリス・レオニードヴィチ・パステルナーク
は。
アレクサンドル・スクリャービンに師事して
作曲家を志すも挫折致します。

モスクワ大学やマールブルク大学で哲学を学びました。

++++++++++++++++++++++

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークは。

1914年、最初の詩集
『雲の中の双生児』を出版致します。
その後も次々と詩や散文を発表致しました。

早くから高く評価されていましたが。

1930年代には政治的非難を受け沈黙を強いられましたた。

この間にシェークスピアや『ファウスト』、
グルジアの詩人などの翻訳を手がけました。

++++++++++++++++++++++

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークは。

1957年その体制批判を含む内容のために
ソビエト連邦での公刊を拒否されmしたが。
「大名作」の
『ドクトル・ジバゴ』がイタリアで出版されました。

++++++++++++++++++++++

『ドクトル・ジバゴ』により。
ボリス・レオニードヴィチ・パステルナーク
は。

1958年にノーベル文学賞の受賞者に選出されました。

(選考理由『現代風の叙情的な詩、
および大ロシアの歴史的伝統に関する分野における、
彼の重要な功績に対して』;
"for his important achievement both
in contemporary lyrical poetry
and in the field of the great Russian epic tradition.")

++++++++++++++++++++++

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークは。

しかし、ソビエト当局の圧力により
受賞の辞退を余儀なくされました
(但し、委員会側が一方的に賞を贈り、
後に遺族がこれを受取っています)。

『ドクトル・ジバゴ』がソビエト連邦で刊行されたのは
「イタリア」での出版から。
「30年後」の
1987年のことでした。

++++++++++++++++++++++

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナーク。

なお2007年1月、
英サンデー・タイムズ紙が報じたところによると。

ジバゴの西側出版にあたり
ロシア語原稿の奪取など
「米中央情報局」
が積極的に関与したということです。

++++++++++++++++++++++

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークは。

少年時代に作曲した曲としては、
「ピアノソナタ」や「前奏曲」など
少数のピアノ曲が残っており録音もあります。

++++++++++++++++++++++

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ボリス・パステルナーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%AF

ボリス・レオニードヴィチ・パステルナーク(Борис Леонидович Пастернак, Boris Leonidovich Pasternak, 1890年2月10日(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では1月29日)-1960年5月30日)は、『ドクトル・ジバゴ』で世界的に知られるロシアの詩人・小説家。

モスクワに生まれる。父はユダヤ系(ただしキリスト教に改宗していた)の有名な画家・レオニード・パステルナーク、母はピアニスト。 最初、アレクサンドル・スクリャービンに師事して作曲家を志すも挫折。モスクワ大学、マールブルク大学で哲学を学ぶ。1914年、最初の詩集『雲の中の双生児』を出版した。その後も次々と詩や散文を発表し、早くから高く評価されていたが、1930年代には政治的非難を受け、沈黙を強いられた。この間にシェークスピアや『ファウスト』、グルジアの詩人などの翻訳を手がける。

1957年、その体制批判を含む内容のためにソビエト連邦での公刊を拒否された『ドクトル・ジバゴ』が、イタリアで出版される。

1958年にノーベル文学賞の受賞者として発表される(選考理由『現代風の叙情的な詩、および大ロシアの歴史的伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して』; "for his important achievement both in contemporary lyrical poetry and in the field of the great Russian epic tradition.")

しかし、ソビエト当局の圧力により受賞の辞退を余儀なくされた(但し、委員会側が一方的に賞を贈り、後に遺族がこれを受取っている)。『ドクトル・ジバゴ』がソビエト連邦で刊行されたのは1987年のことである。

なお2007年1月、英サンデー・タイムズ紙が報じたところによると、ジバゴの西側出版にあたりロシア語原稿の奪取など米中央情報局が積極的に関与したということである。

少年時代に作曲した曲としては、「ピアノソナタ」や「前奏曲」など少数のピアノ曲が残っており、録音もある[1]。

[

作品
詩集『雲の中の双生児』(Близнец в тучах, 1914年)
詩集『我が妹 人生』(Сестра моя ? жизнь, 1922年)
詩集『1905年』(Девятьсот пятый год, 1926年)
韻文小説『スペクトルスキー』(Спекторский, 1931年)
詩集『早朝の列車にて』(На ранних поездах, 1943年)
翻訳『ファウスト』(1953年)
翻訳『シェークスピア戯曲集』(1953年)
小説『ドクトル・ジバゴ』(Доктор Живаго, 1958年/1987年)

外部リンク
「ドクトル・ジバゴ」(ロシア語)
詩集(ロシア語)
1958 Nobel Prize in Literature
Homegrown Doctor Zhivago to Debut on Russian Television
PBS biography of Pasternak
Read Pasternak's interview with The Paris Review

表・話・編・歴 ノーベル文学賞受賞者

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

2月10日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8810%E6%97%A5

できごと
1653年(承応2年1月13日) - 江戸幕府が町人建議による水路(のちの玉川上水)
の着工を許可する。

1870年 - ニューヨークでYWCAが設立される。

1906年 - 英海軍の戦艦「ドレッドノート」が進水。

1948年 - ソ連でジダーノフ批判始まる。

1963年 - 北九州5市(門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・若松市)
の合併により北九州市が発足。

1988年 - ファミコンソフト『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』発売。

1991年 - ZARDがシングル『Good-bye My Loneliness』でデビュー。

1993年 - 高エネルギー物理学研究所
(KEK, 現在の高エネルギー加速器研究機構)が
日本初のWWWサーバ http://kekux.kek.jp/kek.html を開設。

1996年 - IBMのコンピューターディープ・ブルーがガリー・カスパロフにチェスで初勝利。

1996年 - 北海道の豊浜トンネルで岩盤崩落、20人死亡。

2006年 - 第20回冬季オリンピック、トリノ大会開催。2月26日まで。

2008年 - 韓国・ソウル市にある崇礼門(南大門)が火災により焼失。

誕生日
1541年(天文10年1月15日) - 足利義氏、第5代古河公方(+ 1583年)

1775年 - チャールズ・ラム、児童文学作家(+ 1834年)

1791年(寛政3年1月8日) - 太田垣蓮月、尼、歌人(+ 1875年)

1886年 - 平塚らいてう、作家・フェミニスト・女性解放運動家(+ 1971年)

1890年 - ボリス・パステルナーク、詩人(+ 1960年)

1894年 - ハロルド・マクミラン、イギリス首相(+ 1986年)

1898年 - ベルトルト・ブレヒト、劇作家・思想家(+ 1956年)

1899年 - 田河水泡、漫画家(+ 1989年)

1909年 - 伊東多三郎、歴史家(+ 1984年)

1929年 - ジェリー・ゴールドスミス、映画音楽作曲家(+ 2004年)

1930年 - ロバート・ワグナー、俳優・プロデューサー

1930年 - E・L・カニグズバーグ、児童文学作家

1933年 - ミッキー安川、タレント

1934年 - 金平正紀、ボクシング指導者、協栄ジム初代会長(+ 1999年)

1935年 - 二見伸明、政治家、元衆議院議員

1938年 - 鈴木史朗、元TBSアナウンサー

1939年 - ロバータ・フラック、歌手

1941年 - 鈴木恒夫、自民党衆議院議員

1941年 - 須貝彦三、元騎手・調教師

1942年 - 坂田晃一、作曲家

1942年 - ローレンス・ウェイナー、コンセプチュアル・アーティスト

1943年 - 韓鶴子、宗教家、文鮮明夫人

1944年 - 赤座美代子、女優

1944年 - 高橋英樹、俳優

1947年 - 円より子、民主党参議院議員

1949年 - 若草恵、作曲家
1950年 - 島田洋七、漫才師(B&B)
1952年 - 西村知江子、フリーアナウンサー(元ニッポン放送)
1952年 - 渡辺茂樹、音楽プロデューサー
1952年 - 森信雄、将棋棋士
1952年 - 宇野輝幸、元プロ野球選手
1955年 - グレグ・ノーマンゴルファー
1956年 - 西和彦、アスキー創業者
1957年 - 山田章博、イラストレーター
1958年 - 芹澤名人、俳優、元たけし軍団
1959年 - 小森田実、シンガーソングライター
1960年 - 及川眠子、作詞家
1961年 - アレクサンダー・ペイン、映画監督、脚本家
1961年 - 池田成、アニメーション監督
1962年 - 野村正育、NHK アナウンサー
1965年 - 井上あずみ、歌手
1965年 - 知久寿焼、ミュージシャン(たま)
1965年 - 馬場敏史、元プロ野球選手
1965年 - 山中賢次、元プロ野球選手
1968年 - 安達哲、漫画家
1968年 - 谷口徹、プロゴルファー
1970年 - 菊沢隆徳、騎手
1970年 - アルベルト・カスティーヨ、メジャーリーガー
1971年 - 中島ひろ子、女優 
1971年 - 高村良嘉、元プロ野球選手
1972年 - 鷲尾直広、メカニックデザイナー、イラストレーター
1975年 - 黒田博樹、メジャーリーガー(ロサンゼルス・ドジャース)
1975年 - 北原梨奈、AV女優
1976年 - 秋山久美、声優・歌手
1976年 - カルロス・ヒメネス、バスケットボール選手
1978年 - 山崎みちる、声優
1978年 - 長友光弘、響(お笑いタレント)
1978年 - セドリック・バワーズ、メジャーリーガー
1979年 - 根本美緒、フリーアナウンサー、(元東北放送)気象予報士
1979年 - 黒坂真美、女優
1981年 - 棟田康幸、柔道選手
1982年 - 渡辺亮、プロ野球選手(阪神タイガース)
1983年 - 近藤信政、ミュージシャン(ロードオブメジャー)
1986年 - 市川由衣、女性アイドル、女優、歌手
1987年 - 石田卓也、俳優
1988年 - 風子、グラビアアイドル
1989年 - 福田秀平、プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)
1989年 - 森安真弓、タレント
1991年 - エマ・ロバーツ、女優
1992年 - 仲川遥香、AKB48
1994年 - 増山加弥乃、AKB48

忌日
1126年 - ギヨーム9世、アキテーヌ公・トルバドゥール(* 1071年)

1153年(仁平3年1月15日) - 平忠盛、武将、平清盛の父(* 1096年)

1242年 - ハインリヒ7世、ドイツ王(* 1211年)

1242年(仁治3年1月9日)- 四条天皇、日本の第87代天皇(* 1231年)

1660年 - ユディト・レイステル、画家(* 1609年)

1702年(元禄15年1月14日)- 萱野重実(萱野三平)、
忠孝の板挟みで討ち入り前に自害した赤穂浪士(* 1675年)

1722年 - バーソロミュー・ロバーツ、海賊(* 1682年)

1755年 - シャルル・ド・モンテスキュー、哲学者・政治思想家(* 1689年)

1772年 - ヨーゼフ・ヴェンツェル、リヒテンシュタイン公(* 1696年)

1810年(文化7年1月7日)- 前田治脩、第10代加賀藩主(* 1745年)

1817年 - サミュエル・メレディス、アメリカ独立戦争期の大陸軍准将(* 1741年)

1817年 - カール・テオドール・フォン・ダールベルク、
マインツ大司教選帝侯・神聖ローマ帝国宰相(* 1744年)

1829年 - レオ12世、第252代ローマ教皇(* 1760年)

1837年 - アレクサンドル・プーシキン、詩人・作家(* 1799年)

1865年 - ハインリヒ・レンツ、物理学者(* 1804年)

1868年 - ディヴィッド・ブリュースター、光学者(* 1781年)

1879年 - オノレ・ドーミエ、画家(* 1808年)

1883年 - マーシャル・ジュウェル、
第29代および第31代オハイオ州知事、第28代アメリカ合衆国郵政長官(* 1825年)

1888年 - 松浦武四郎、探検家(* 1818年)

1891年 - ソフィア・コワレフスカヤ、数学者(* 1850年)

1896年 - 若松賤子、翻訳家(* 1864年)

1897年 - アントニオ・バッジーニ、作曲家(* 1818年)

1907年 - アグネス・クラーク、天文学書の著作家(* 1842年)

1907年 - 本因坊秀栄、囲碁棋士(* 1852年)

1912年 - ジョゼフ・リスター、外科医(* 1827年)

1917年 - ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、画家(* 1849年)

1918年 - エルネスト・テオドロ・モネータ、平和運動家(* 1833年)

1918年 - アブデュルハミト2世、オスマン帝国第34代スルタン(* 1842年)

1918年 - 蜂須賀茂韶、第14代徳島藩主・東京府知事・貴族院議長・文部大臣(* 1846年)

1923年 - ヴィルヘルム・レントゲン、物理学者(* 1845年)

1939年 - ピウス11世、第259代ローマ教皇(* 1857年)

1944年 - ユジェーヌ・ミカエル・アントニアディ、天文学者(* 1870年)

1946年 - 小栗虫太郎、推理作家(* 1901年)

1947年 - 平野万里、歌人・詩人(* 1885年)

1949年 - 安部磯雄、社会主義思想家・元社会大衆党衆議院議員(* 1865年)

1950年 - マルセル・モース、社会学者(* 1872年)

1952年 - ヘンリー・D・デーキン、化学者(* 1880年)

1957年 - ローラ・インガルス・ワイルダー、作家(* 1867年)

1980年 - 山口慎一、翻訳家・文芸評論家(* 1907年)

1984年 - デビッド・フォン・エリック、プロレスラー(* 1958年)

1986年 - 山本丘人、日本画家(* 1900年)

1990年 - 福永陽一郎、指揮者・クラシック音楽評論家(* 1926年)

1990年 - トニー・ソレイタ、元プロ野球選手(* 1947年)

1991年 - ワルター・クリーン、ピアニスト(* 1928年)

1992年 - 岡田嘉子、女優(* 1902年)

1992年 - アレックス・ヘイリー、作家(* 1921年)

2000年 - 姫鵬飛、中華人民共和国外交部長(* 1910年)

2001年 - 木原太郎、物理学者(* 1917年)

2002年 - トラウデル・ユンゲ、
ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの元秘書(* 1920年)

2003年 - カート・ヘニング、プロレスラー(* 1958年)

2005年 - アーサー・ミラー、劇作家(* 1915年)

2006年 - J Dilla、ラッパー(* 1974年)

2007年 - 式守錦太夫 (10代)、大相撲の行司(* 1940年)

2007年 - すぎ恵美子、漫画家(* 1959年)

2007年 - チョン・ダビン、女優(* 1980年)

2008年 - ロイ・シャイダー、俳優(* 1932年)

記念日・年中行事
海の安全祈念日(日本)
2001年2月10日のえひめ丸の沈没事故を契機に、
全国水産高校長協会が2003年に制定。

ふとんの日
全日本寝具寝装品協会が1997年に制定。
ふ(2)とん(10)の語呂合わせから来ている。

キタノ記念日
漫才コンビツービートにありとの判断から、
ツー(2)ビート(10)の語呂合わせでこの日を記念日としている。
ちなみに芸能人個人の記念日登録は史上初。

簿記の日
簿記の原点である福澤諭吉の訳本
「帳合之法」が1873年2月10日に
慶應義塾出版局から発行されたことにちなんで、
全国経理教育協会(旧・全国経理学校協会)が2004年に制定

左利きの日
左利きの生活環境の向上に向けられた日。
本来は8月13日であるが日本のお盆と重なるため2月10日となった。

ニットの日
に(2)、と(10)の語呂合わせ。
横浜手作りニット友の会が1988年に制定。
1994年には全国的な記念日として日本ニット工業組合連合会も制定した。