東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年2月12日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年2月12日(木曜日)

★★★
「新年」になり。
もう。
「1月」がもうとうにおわりました。
最後の「冬月」「2月」になりました。
「12日目」です。

そして。

あと「16日」で本物の「初春」の。
「春」の「3月」
になります。

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」がくれば。
今年ももうすぐに春がきて。
ひなまつりがおわり。
たんぽぽが咲き。すみれが咲き。
おたまじゃくしが泳ぎ。
春分の日もすぎれば。
「さくら咲き」
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になりそして9月がおわり。
中秋10月なりそして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

最後の「晩冬」から。
今は「2月」。「初春」。

「はつはる」の「3月」は間近です。
「晩冬」の冬になりました。
最後の冬月になりました。

雪国の冬になりました。

「12月」の冬至を。
すぎて「陽」は日々たかくなりつつありす。

「1月」「2月」の寒い雪の「冬」
もおわれば。

「春」そして「夏」に向かう。

「初春」「新年」。

今現在は「冬の真最中」「晩冬」の

「2月」です。

けれども「昨年」12月の冬至は

おわりました。

陽は日々たかくなっているのです。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりえうのは遅くなりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリーの

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階で足音のきこえるような

「かけあし」

のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
「2月」「晩冬」です。
です。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようにうつろいました。

一方
「春」はゆっくりと。

ゆっくりとあるいてきます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」のゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「初春」「新年」。

平成21年になりました。

去年はおわりました。

「晩冬」「2月」

もうすぐ「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「晩冬」の「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ような「寒月」です。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「朝焼け色」の線描です。

朝の「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽射し」の「めぐみ」のおかげ。

「そら一杯の青空の天井(てんじょう)」と
「太陽のひかりのひざし」は。
なによりもの「生きとし生けるもの」への。
まことの。
「ごほうび」であるのでしょう。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」です。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくむもの。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえるもの。
「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる「はるかかなた」までの。
「いきるちから」を「いま」さずけるものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。

「2月」です。

「春」間近し。

病院の庭園に「何本」もある
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように
枝にみのらせています。

「やぶつばき」は。
「はつはな」で初々しいたです。
けれども。
「やぶつばき」や山茶花(さざんか)は。
は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花致します。

くれない色としろ色の積雪のようです。

「山茶花(さざんか)」「やぶつばき」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「やぶつばき」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「やぶつばき」や山茶花(さざんか)が。
蕾をふくらませています。
「やぶつばき」の蕾がふくらんでいます。

山茶花(さざんか)の「はなびら」が
闇夜のあいだに。
今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
また地に舞い下りていました。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちったようです。

みつめれば。
木枯らしに弓射られた白鷺(しらさぎ)
のはねが舞っているようでした。

この寒い冬も。
「昆虫」の少ない時期に。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
は花をさかせ
どのように授粉して「実る」のだろう。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちる。
「やぶつばき」も「花」はすぐに
落下する。
このあたりに。

「山茶花(さざんか)」

と「やぶつばき」

にも。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野草の花は一般的には。
香らない花が多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」で色は紫です。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンにささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かぶ。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころには。
「木枯らし」が
鳴いている。

木枯らしがかわりばんこに。
あちこちで
「ろうろう」「こうこう」とないています。

「木枯らし」の「声」を聞いていると。

ふと。
いにしえの
「寒さにおびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「冬の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべき雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

が園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

かなしさの「おもかげ」と。

光さし輝きはずむいまだお若い「御婦人」の「知」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

「やぶつばき」の大木が4本と山茶花(さざんか)が4本
あります。

「初春」をつたえるがごとく。
「においつばき」の木が
「香り花」が開花致しました。

「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。

山茶花(さざんか)も「やぶつばき」も私は「大好き」
な花木です。

「花」はみえない頃からもう
「においつばき」
は「香っています」。
「やぶつばき」は冬にも若葉をだします。
「やぶつばき」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「山茶花(さざんか)」は
のんびりやの気がする。

山茶花(さざんか)の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えるまえにちります。

考えれば山茶花(さざんか)の蕾が
思い出せない。
ひらけばちるからかしら。
花の咲く存在感のない植物は
「山茶花(さざんか)」です。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この「2月」時期になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。
今現在は冬。
はだか木です

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常に寒くなりました。

冬春やま中さまよいて
冬春やま中をわけいらば
冬春やま中大樹の根元に隠れたり
冬春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
冬春やま中みつけたりやまの秋の華。
冬春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
冬春やま中大樹の根元に隠れたり
冬春山はぜの葉木。
冬春やま中やまうるしの葉木。
冬春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
冬春こす「はだか木」。
冬春こす元気な木。たくましき木。

冬春山萩(やまはぎ)の
冬春花をかくして燃えたたむ
冬春に実りの祭りなり
冬春山はぜの葉炎
冬春天高く燃ゆ

ふゆはるやまはぎの
ふゆはるはなをかくしてもえたたむ
ふゆはるにみのりのまつりなり
ふゆはるやまはせのほのほ
ふゆはるてんたかくもゆ

ふゆはるひろくなりけり空(そら)たかし
ふゆはるさとやまに木々のみどり木
ふゆはるこもれびうけて燃えるがごとし
ふゆはるみどりの炎(ほのほ)
ふゆはるほのほうちけさむかすみはあおし
ふゆはるほのほにかすみにただよひて
ふゆはるうるわしくかがやきたり
ふゆはるあたたかくかおりたり
ふゆはるあざやかなりけり 
ふゆはるやまさとのやまみどり
ふゆはるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。
今は「冬」

もうすぐに。

もうすぐ。

「小さい春」がみつかるはずです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

ミハイル・フォーキンが振付けた
「瀕死の白鳥」の「バレー」で極めて有名なバレリーナ。

「瀕死の白鳥」として。
歴史の名を残す名バレリーナ

1881年 - アンナ・パヴロワ、バレリーナ(+ 1931年)
の生誕日です。

日本にバレエが本格的に
定着し普及するきっかけとなったバレリーナ
のおひとり。

(何故か日本のバレーに貢献したバレリーナは
「パヴロワ」という「御婦人名称」がわが国では多く。

エリアナ・パヴロワ、
オリガ・パヴロワ(オリガ・サファイア)
とともに日本バレエ界の恩人
「三人のパヴロワ」の一人に数えられます。)

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アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова;
ラテン文字転写:
Anna Pavlovna Pavlova、
1881年2月12日(ユリウス暦1月31日) -
1931年1月26日)は。

20世紀初頭のロシアの天才バレリーナです。

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アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова

生い立ち
サンクトペテルブルクの貧しい農民の家庭に生まれました
(裕福な銀行家の私生児だという説があります)。

本名はアンナ・マトヴェーヴナ・パヴロワですが。
芸名として
「パヴロフナ」という名をミドル・ネームに使いました。

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アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова
は。

ロシア帝室バレエ学校に学び18歳で卒業致しました。

1899年にサンクトペテルブルクバレエ団
(現マリインスキー・バレエ)
に入団致しました。

「ジゼル」のタイトルロールで大成功を収めました。

ロシア・バレエ団の草創期において
一時期セルゲイ・ディアギレフに協力致しました。

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アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова
は。
ミハイル・フォーキンが彼女のために振付けた
「瀕死の白鳥」の演目で極めて有名です。
(曲はサン=サーンスの〈白鳥〉
(《動物の謝肉祭》より)を用いている)

「白鳥」よりも「白鳥らしい」
凄い「バレー」だと思います。

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アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова
は。

ロシア革命の騒乱を逃れて1912年に。
イギリスのロンドンに移住致しました。

その後は自前のバレエ団を作って
積極的に海外での公演も行いました。

++++++++++++++++++++++

アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова
は。

日本での来日公演も行っている他世界中で活躍致しました。

1922年(大正11年)の
全国8都市で行われた来日公演はバレエという
西洋舞踏を日本に広く知らしめました。

日本にバレエが本格的に定着・普及するきっかけとなりました。

このため。
エリアナ・パヴロワ、
オリガ・パヴロワ(オリガ・サファイア)
とともに日本バレエ界の恩人
「三人のパヴロワ」の一人に数えられています。

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アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова
は。

ツアー中にオランダの
デン・ハーグで胸膜炎のために急死致しました。

その夜の公演は通常通り行われました。

「瀕死の白鳥」の曲が流れると共に彼女がいつも踊っていた
軌跡をたどるようにスポットライトが
無人の舞台を照らしました。

観客は彼女の早い死を全員涙して
悼んだということです。

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アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:
Анна Павловна Павлова
の没後。

彼女の名を汚さぬよう。

「瀕死の白鳥」は。

以後20年間誰も踊ることがなかったのです。
遺体はロンドンで火葬されました。

遺族によって2001年に、1944年に亡くなった
夫のビクター・ダンドレの遺灰と共に
モスクワのノヴォジェヴィチー墓地に改葬されました。

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「パヴロワ」
パヴロワというデザートがあります。

彼女の名にちなんでいるのです。

由来については議論が多く。

ニュージーランドとオーストラリアが
発祥地をめぐって争っています。

だが最も古い記録はニュージーランド
で見つかっています。

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アンナ・パヴロワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%83%AD%E3%83%AF

アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ:Анна Павловна Павлова;ラテン文字転写:Anna Pavlovna Pavlova、1881年2月12日(ユリウス暦1月31日) - 1931年1月26日)は20世紀初頭のロシアのバレリーナ。

目次
1 プロフィール
1.1 生い立ち
1.2 デビュー
1.3 亡命
1.4 死去
2 「パヴロワ」
3 関連項目

プロフィール

生い立ち
サンクトペテルブルクの貧しい農民の家庭に生まれる(裕福な銀行家の私生児だという説がある)。本名はアンナ・マトヴェーヴナ・パヴロワだが、芸名として「パヴロフナ」という名を使った。

デビュー
ロシア帝室バレエ学校に学び18歳で卒業する。1899年にサンクトペテルブルクバレエ団(現マリインスキー・バレエ)に入団し、「ジゼル」のタイトルロールで大成功を収める。ロシア・バレエ団の草創期において一時期セルゲイ・ディアギレフに協力する。ミハイル・フォーキンが彼女のために振付けた「瀕死の白鳥」の演目で有名(曲はサン=サーンスの〈白鳥〉(《動物の謝肉祭》より)を用いている)。

亡命
ロシア革命の騒乱を逃れて1912年にイギリスのロンドンに移住した。その後は自前のバレエ団を作って積極的に海外での公演も行い、日本での来日公演も行っている他世界中で活躍した。1922年(大正11年)の全国8都市で行われた来日公演はバレエという西洋舞踏を日本に広く知らしめ、日本にバレエが本格的に定着・普及するきっかけとなった。このため、エリアナ・パヴロワ、オリガ・パヴロワ(オリガ・サファイア)とともに日本バレエ界の恩人「三人のパヴロワ」の一人に数えられる。

死去
ツアー中にオランダのデン・ハーグで胸膜炎のために急死。その夜の公演は通常通り行われ、「瀕死の白鳥」の曲が流れると共に彼女がいつも踊っていた軌跡をたどるようにスポットライトが無人の舞台を照らし、観客は彼女の早い死を悼んだという。また、彼女の名を汚さぬよう、「瀕死の白鳥」は以後20年間誰も踊ることがなかった。

遺体はロンドンで火葬されたが、遺族によって2001年に、1944年に亡くなった夫のビクター・ダンドレの遺灰と共にモスクワのノヴォジェヴィチー墓地に改葬された。

「パヴロワ」
パヴロワというデザートは、彼女の名にちなんでいるが、
由来については議論が多く、
ニュージーランドとオーストラリアが発祥地をめぐって争っている。
だが最も古い記録はニュージーランドで見つかっている。

関連項目
ダンス
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%83%AD%E3%83%AF" より作成
カテゴリ: ロシアのバレエダンサー | 1881年生 | 1931年没

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2月12日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8812%E6%97%A5

できごと
754年(天平勝宝6年1月16日) - 唐の高僧・鑑真が遣唐副使・大伴古麻呂に伴われて来朝

1541年 - サンティアゴ市(チリ)が建設される。

1736年 - マリア・テレジアとロートリンゲン公子フランツ・シュテファン
(後の神聖ローマ皇帝)が婚礼を挙げる

1912年 - 中国清朝皇帝宣統帝が退位。清滅亡。

1913年 - メアリー・フェルプス・ジェイコブ(Mary Phelps Jacob)が
ブラジャーの特許をとった。 

1934年 - オーストリアで2月内乱始まる。

1984年 - 植村直己が北米・マッキンレーの冬季単独登頂に成功。
下山途中に消息を絶つ。

1994年 - 第17回冬季オリンピック、リレハンメル大会開催。2月27日まで。

2003年 - ウィキペディア日本語版が1000ページを達成。

2005年 - 自衛隊第五次イラク派兵。自衛隊イラク派遣

誕生日
41年 - ブリタンニクス、ローマ帝国の帝位後継者(+55年)

1218年(建保6年1月16日) - 藤原頼経、鎌倉幕府第4代将軍、摂家将軍(+ 1256年)

1785年 - ピエール・ルイ・デュロン、化学者、物理学者(+1838年)

1804年 - ハインリヒ・レンツ、物理学者(+ 1865年)

1809年 - エイブラハム・リンカーン、第16代アメリカ合衆国大統領(+ 1865年)

1809年 - チャールズ・ダーウィン、科学者(+ 1882年)

1836年(天保6年12月26日) - 五代友厚、実業家(+ 1885年)

1843年(天保14年1月14日) - 新島襄、同志社大学創立者(+ 1890年)

1828年 - ジョージ・メレディス、小説家(+1909年)

1881年 - アンナ・パヴロワ、バレリーナ(+ 1931年)

1891年 - 直木三十五、小説家(+ 1934年)

1905年 - 田辺茂一、紀伊國屋書店創業(+ 1981年)

1906年 - 薮内清、天文学者・科学史家(+ 2000年)

1907年 - 豊田三郎、小説家(+ 1959年)

1909年 - 佐分利信、俳優(+ 1982年)

1912年 - 武田泰淳、小説家(+ 1976年)

1913年 - 金子一平、政治家(+ 1989年)

1917年 - 松野頼三、政治家(+ 2006年)

1918年 - ジュリアン・シュウィンガー、物理学者(+1994年)

1920年 - 山口淑子、女優、政治家

1921年 - 大松博文、バレーボール指導者・元自由民主党参議院議員(+ 1978年)

1924年 - 村田敬次郎、政治家(+ 2003年)

1926年 - 久喜勲、元プロ野球選手(+ 1993年)

1935年 - 豊田泰光、元プロ野球選手・野球解説者

1936年 - 西岡武夫、民主党参議院議員

1938年 - 木村太郎、ジャーナリスト

1941年 - 石丸博也、声優

1941年 - 植村直己、冒険家(+ 1984年)

1941年 - マーク・ブラウンスタイン、元プロ野球選手

1948年 - 井出智香恵、漫画家

1949年 - やまざきかずお、アニメーター

1955年 - 伊丹幸雄、歌手
1955年 - さとうあい、声優
1955年 - グレッグ・ジョンストン、元プロ野球選手
1957年 - 武部聡志、作曲家・音楽プロデューサー
1959年 - 岡田奈々、女優
1961年 - 花山佳子、女優
1965年 - 後藤明美、元プロ野球す縁主
1967年 - 梶原真弓、タレント(元シェイプUPガールズ)
1967年 - 岩田徹、元プロ野球選手
1969年 - 洪明甫、元サッカー選手
1969年 - メイヤ、歌手
1971年 - トニア・クワイトコウスキー、フィギュアスケート選手
1973年 - 下平さやか、テレビ朝日アナウンサー
1974年 - 高木虎之介、レーシングドライバー
1975年 - スコット・ポラード、プロバスケットボール選手
1976年 - ひぐち君、お笑いタレント(髭男爵)
1976年 - パディ・ヤング、騎手
1978年 - ヒイズミマサユ機、ミュージシャン(PE'Z)
1979年 - 荒井健一、歌手(RAGFAIR)
1979年 - 金剛弘樹、プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
1980年 - 大谷大、ミュージシャン(World chord)
1980年 - ファン=カルロス・フェレーロ、テニス選手
1980年 - クリスティーナ・リッチ、女優
1982年 - 鈴来直人、騎手
1982年 - 齊藤信介、プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
1983年 - 南井大志、騎手
1984年 - 田辺裕信、騎手
1985年 - 加藤美佳、女優、タレント、モデル
1985年 - 原田まりる、タレント、アイドル(中野腐女子シスターズ)、モデル、女優、元グラビアアイドル、元レーサー
1987年 - みうな、元カントリー娘。
1988年 - 榮倉奈々、女優、ファッションモデル
1989年 - 関山藍果、ボーカリスト
1989年 - 内田莉紗、女優、アイドル
1990年 - 小林美穂、ファッションモデル
1992年 - 佐々木大介、レーサー
1992年 - 市川春樹、タレント・女優
1994年 - 薄井千織、女優
1996年 - 千葉一磨、子役

忌日
890年(寛平2年1月19日) - 遍照、歌人、六歌仙・三十六歌仙の一人(* 816年)

1185年(元暦2年1月11日) - 藤原隆季、平安時代の公卿(* 1127年)

1518年 - カタリナ、ナバラ女王(* 1468年)

1538年 - アルブレヒト・アルトドルファー、画家(* 1480年頃)

1554年 - ジェーン・グレイ、イングランド女王(* 1537年)

1559年 - オットー・ハインリヒ、プファルツ選帝侯(* 1502年)

1578年 - カタリナ・デ・アウストリア、ポルトガル王ジョアン3世の妃(* 1507年)

1612年 - クリストファー・クラヴィウス、天文学者(* 1538年)

1619年 - ピエール・ド・ラリヴェ、劇作家(* 1541年)

1627年 - カール1世、リヒテンシュタイン公(* 1569年)

1689年 - マリー・ルイーズ・ドルレアン、
スペイン王カルロス2世の妃(* 1662年)

1692年 - ヘンドリック・ハメル、
「朝鮮幽囚記」を著したオランダ東インド会社書記(* 1630年)

1696年(元禄9年1月10日)- 月舟宗胡、曹洞宗の僧(* 1618年)

1712年 - マリー・アデライード・ド・サヴォワ、ブルゴーニュ公ルイの妃(* 1685年)

1728年 - アゴスティーノ・ステッファーニ、作曲家(* 1653年)

1763年 - ゴットフリート・ハインリヒ・バッハ、作曲家(* 1724年)

1771年 - アドルフ・フレドリク、スウェーデン王(* 1710年)

1789年 - イーサン・アレン、アメリカ独立戦争の活動家(* 1738年)

1798年 - スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ、ポーランド王(* 1732年)

1799年 - ラザロ・スパランツァーニ、博物学者(* 1729年)

1799年 - フランティシェク・クサヴェル・デュシェック、作曲家(* 1731年)

1804年 - イマヌエル・カント、哲学者(* 1724年)

1834年 - フリードリヒ・シュライアマハー、神学者・哲学者(* 1768年)

1837年 - ルートヴィヒ・ベルネ、評論家(* 1786年)

1866年 - イニャーツィオ・カランドレッリ、天文学者(* 1792年)

1872年(明治5年1月4日)- 島津久治、薩摩藩家老(* 1841年)

1889年 - 森有礼、日本の文部大臣(* 1847年)

1894年 - ハンス・フォン・ビューロー、指揮者(* 1830年)

1896年 - アンブロワーズ・トマ、作曲家(* 1811年)

1904年 - アントニオ・ラブリオーラ、哲学者・社会主義者(* 1843年)

1907年 - ミュリエル・ロブ、テニス選手(* 1878年)

1912年 - アルマウェル・ハンセン、医学者(* 1841年)

1915年 - エミール・ワルトトイフェル、作曲家(* 1837年)

1916年 - リヒャルト・デーデキント、数学者(* 1831年)

1931年 - 飯沼貞吉、白虎隊士(* 1854年)

1933年 - アンリ・デュパルク、作曲家(* 1848年)

1935年 - オーギュスト・エスコフィエ、フランス料理の料理人(* 1846年)

1943年 - 倉田百三、劇作家・評論家(* 1891年)

1947年 - クルト・レヴィン、心理学者(* 1890年)

1954年 - 本多光太郎、物理学者(* 1870年)

1954年 - ジガ・ヴェルトフ、映画監督(* 1896年)

1969年 - 木村惇、京都府知事(* 1891年)

1969年 - 福澤幸雄、レーサー(* 1943年)

1976年 - サル・ミネオ、俳優(* 1939年)

1979年 - ジャン・ルノワール、映画監督(* 1894年)

1979年 - 十勝岩豊、大相撲の力士(* 1919年)

1982年 - 森曉、実業家・民主自由党衆議院議員(* 1907年)

1983年 - 手塚富雄、ドイツ文学者(* 1903年)

1983年 - 桶谷繁雄、冶金学者・評論家(* 1910年)

1984年 - アンナ・アンダーソン、
ロシア皇女アナスタシアを自称した人物(* 1900年?)

1984年 - フリオ・コルタサル、小説家(* 1914年)

1985年 - ジョルジュ・ゴーチ、フィギュアスケート選手(* 1904年)

1985年 - 瀧花久子、女優(* 1906年)

1986年 - パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、映画監督(* 1927年)

1987年 - 野溝七生子、小説家(* 1897年)

1987年 - 牧野正蔵、競泳選手(* 1915年)

1989年 - トーマス・ベルンハルト、小説家(* 1931年)

1993年 - 今城誼子、香淳皇后の女官(* 1908年)

1994年 - レイ・ダンドリッジ、元プロ野球選手(* 1913年)

1994年 - ドナルド・ジャッド、画家・彫刻家・美術評論家(* 1928年)

1996年 - 司馬遼太郎、小説家(* 1923年)

1998年 - 長谷川善三、元プロ野球選手(* 1923年)

2000年 - ジャクリーン・オリオール、パイロット(* 1917年)

2000年 - チャールズ・モンロー・シュルツ、漫画家(* 1922年)

2003年 - 富士川英郎、ドイツ文学者(* 1909年)

2004年 - マーティン・ブース、作家(* 1944年)

2005年 - ニコライ・ルイシコフ、ソビエト連邦・ロシアの政治家(* 1925年)

2006年 - 日下圭介、小説家(* 1940年)

2007年 - 大久保怜、司会者(* 1920年)

2008年 - 前田正男、日本の科学技術庁長官(* 1913年)

2008年 - 渡邊二郎、哲学者(* 1931年)

2008年 - 横田昭夫、行田市長(* 1942年)

2008年 - 竹花光範、法学者(* 1943年)

記念日・年中行事
リンカーン誕生日(アメリカの30州)

旧正月(2002年)

菜の花忌
小説家司馬遼太郎の忌日

ペニシリン記念日/ペニシリンの日
1941年2月12日に、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、
世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功したことに由来。

ブラジャーの日