東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年2月19日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年2月19日(木曜日)

★★★
「新年」になり。
もう。
「1月」がもうとうにおわりました。
最後の「冬月」「2月」になりました。
「19日目」です。

そして。

あと「9日」で本物の「初春」の。
「春」の「3月」
の「おとずれ」になります。

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」がくれば。
今年ももうすぐに春がきて。
ひなまつりがおわり。

たんぽぽが咲き。すみれが咲き。
おたまじゃくしが泳ぎ。

春分の日もすぎれば。
「さくら咲き」
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

最後の「晩冬」から。
今は「2月」。「初春」。

「はつはる」の「3月」は間近です。
「晩冬」の冬になりました。
最後の冬月になりました。

「雪国の冬」になりました。

「12月」の冬至を。
すぎて「陽」はもうすでに
日々たかくなりつつあります。

「1月」「2月」の寒い雪の「冬」
もおわれば。

「春」がきてそして「夏」に向かう。

「初春」「新年」。

今現在は「冬の真最中」「晩冬」の

「2月」です。

けれども「昨年」12月の冬至は

おわりました。

陽は日々たかくなっているのです。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリーの

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から「かけあし」の足音のきこえるような

「かけあし」

のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」です。
です。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようにうつろいました。

一方
「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいてきます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「初春」「新年」。

平成21年になりました。

去年はおわりました。

「晩冬」「2月」

もうすぐ「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「晩冬」の「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ような「寒月」です。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「朝焼け色」の線描です。

朝の「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽射し」の「めぐみ」のありがたさです。

「そら一杯の青空の天井(てんじょう)」と
「太陽のひかりのひざし」は。
なによりもの「生きとし生けるもの」への。
まことの。
「ごほうび」であるのでしょう。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」です。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくむもの。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえるもの。
「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる「はるかかなた」までの。
「いきるちから」を「いま」さずけるものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。

「2月」です。

「春」間近し。

病院の庭園に「何本」もある
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように
枝にみのらせています。

「やぶつばき」は。
「はつはな」で初々しいたです。
けれども。
「やぶつばき」や山茶花(さざんか)は。
は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花致します。

くれない色としろ色の積雪のようです。

「山茶花(さざんか)」「やぶつばき」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「やぶつばき」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「やぶつばき」や山茶花(さざんか)が。
蕾をふくらませています。
「やぶつばき」の蕾がふくらんでいます。

山茶花(さざんか)の「はなびら」が
闇夜のあいだに。
今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
また地に舞い下りていました。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちったようです。

みつめれば。
木枯らしに弓射られた白鷺(しらさぎ)
のはねが舞っているようでした。

この寒い冬も。
「昆虫」の少ない時期に。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
は花をさかせ
どのように授粉して「実る」のだろう。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちる。
「やぶつばき」も「花」はすぐに
落下する。
このあたりに。

「山茶花(さざんか)」

と「やぶつばき」

にも。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野草の花は一般的には。
香らない花が多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は「矢車菊色」=
「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころには。
「木枯らし」が
鳴いている。

木枯らしがかわりばんこに。
あちこちで
「ろうろう」「こうこう」とないています。

「木枯らし」の「声」を聞いていると。

ふと。
いにしえの
「寒さにおびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」や「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべき雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

が園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

かなしさの「おもかげ」と。

光さし輝きはずむ。

いまだお若い「御婦人」の「知」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

「やぶつばき」の大木が4本と山茶花(さざんか)が4本
あります。

「初春」をつたえるがごとく。
「においつばき」の木が
「香り花」が開花致しました。

「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。

山茶花(さざんか)も「やぶつばき」も私は「大好き」
な花木です。

「花」はみえない頃からもう
「においつばき」
は「香っています」。
「やぶつばき」は冬にも若葉をだします。
「やぶつばき」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「山茶花(さざんか)」は
のんびりやの気がする。

山茶花(さざんか)の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えるまえにちります。

考えれば山茶花(さざんか)の蕾が
思い出せない。
ひらけばちるからかしら。
花の咲く存在感のない植物は
「山茶花(さざんか)」です。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この「2月」時期になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。
今現在は冬。
はだか木です

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常に寒くなりました。

冬春やま中さまよいて
冬春やま中をわけいらば
冬春やま中大樹の根元に隠れたり
冬春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
冬春やま中みつけたりやまの秋の華。
冬春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
冬春やま中大樹の根元に隠れたり
冬春山はぜの葉木。
冬春やま中やまうるしの葉木。
冬春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
冬春こす「はだか木」。
冬春こす元気な木。たくましき木。

冬春山萩(やまはぎ)の
冬春花をかくして燃えたたむ
冬春に実りの祭りなり
冬春山はぜの葉炎
冬春天高く燃ゆ

ふゆはるやまはぎの
ふゆはるはなをかくしてもえたたむ
ふゆはるにみのりのまつりなり
ふゆはるやまはせのほのほ
ふゆはるてんたかくもゆ

ふゆはるひろくなりけり空(そら)たかし
ふゆはるさとやまに木々のみどり木
ふゆはるこもれびうけて燃えるがごとし
ふゆはるみどりの炎(ほのほ)
ふゆはるほのほうちけさむかすみはあおし
ふゆはるほのほにかすみにただよひて
ふゆはるうるわしくかがやきたり
ふゆはるあたたかくかおりたり
ふゆはるあざやかなりけり 
ふゆはるやまさとのやまみどり
ふゆはるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。
今は「冬」

もうすぐに。

もうすぐ。

「小さい春」がみつかるはずです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

20世紀の抽象彫刻に決定的な影響を与え。
ミニマル・アートの先駆的作品も残した。
ルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家。

著名な言葉で。
”create like god, command like king, work like slave”

「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」
を残している彫刻家。

1876年 - コンスタンティン・ブランクーシ、彫刻家(+ 1957年)
の生誕日です。

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コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brancusi,
1876年2月19日 - 1957年3月16日)は。

ルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家です。

20世紀の抽象彫刻に決定的な影響を与えました。
ミニマル・アートの先駆的作品も残しました。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusiは。
1876年2月19日、ルーマニア南西部のオルテニア地方
(ワラキア地方の西半分)の
ゴルジュ県のホビツァに生まれました。

1894年から1898年まで。
ワラキア地方のクラヨヴァの美術工芸学校で美術を学びました。

1898年から1901年までブカレストの国立美術学校で美術を学んだ後。
しばらくは故郷で大工仕事などに従事致しました。

1904年、パリ美術学校に入学し彫刻を学びます。
この頃はオーギュスト・ロダンの影響を受けていました。

1907年、ロダンの工房で数ヶ月働きました。
抽象化への転機となる作品『祈る人』を製作致しました。

1908年、『接吻』シリーズ、
『マイアストラ』シリーズの制作開始を致しました。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusi
は。

写実的方法を離れて。
極めて単一で純粋なフォルムの抽象的作品に至りました。

1913年、アメリカで最新のヨーロッパ美術を紹介する展覧会
「アーモリーショー」に出品致しました。

1924年、代表作『空間の鳥』シリーズを製作開始致します。

1957年3月16日、パリにて死去致しました。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusi
は。

ブランクーシの作品は抽象化が進み。
代表作である『新生児』や『空間の鳥』では。

幼児の頭部や飛ぼうとする鳥が
ほとんど単純な卵形やプロペラ型の形態にまで至っています。

ただし彼の作品は、描写の対象物の本質を捉えています。

それを効果的に単純な形態に写すものであり。

対象物の形態から完全に離れてしまうものではありません。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusi
は。

このような単純化のため。
1926年に作品販売のため『空間の鳥』を
アメリカ合衆国に輸出した際に。

税関で美術品とみなされずに工業製品とみなされてしまい
高い関税を課せられてしまいました。

購入者と税関が裁判で争うという前代未聞の事件
に到りました。
そして
購入者が最終的に勝訴する事件が起こっています。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusiの。

ブランクーシの独創的な作品は。
後の現代彫刻、絵画、デザインなどへ多大なる影響を与えました。
特に代表作でもある『無限柱』シリーズは。
単純なユニットの反復により構成されています。

本人が友人のマン・レイに語ったところでは。
「どこで切断しても無限の柱としての特性を失わないもの」
とされます。

この思想はカール・アンドレなどの
ミニマル・アートへ強い影響を与え
ました。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusi
は。

ブランクーシは朴訥な人柄でした。
様々なアーティストから慕われました。
マルセル・デュシャンやマン・レイとも親交がありました。

デュシャンは、ニューヨークでブランクーシの作品を
売買することで生活していた時期もありました。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusi
は。
マン・レイから写真術を教わったブランクーシは。
自分のアトリエ内に暗室をつくり
自らの作品を写真に記録することに熱中したこともありました。

またイサム・ノグチはパリでブランクーシの助手となることで
抽象彫刻家としてのキャリアに方向性を見出しました。

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コンスタンティン・ブランクーシ:Constantin Brancusi
の。

著名な言葉で。
”create like god, command like king, work like slave”

「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」
を残しています。

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今日の東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
の記事は「続きを読む」をどうぞ。これで終了です。

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コンスタンティン・ブランクーシ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%B7

コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brancusi, 1876年2月19日 - 1957年3月16日)は、ルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家である。20世紀の抽象彫刻に決定的な影響を与え、ミニマル・アートの先駆的作品も残した。

生涯
1876年2月19日、ルーマニア南西部のオルテニア地方(ワラキア地方の西半分)のゴルジュ県のホビツァに生まれる。
1894年から1898年まで、ワラキア地方のクラヨヴァの美術工芸学校で美術を学ぶ。
1898年から1901年までブカレストの国立美術学校で美術を学んだ後、しばらくは故郷で大工仕事などに従事。
1904年、パリ美術学校に入学し彫刻を学ぶ。この頃はオーギュスト・ロダンの影響を受けていた。
1907年、ロダンの工房で数ヶ月働く。抽象化への転機となる作品『祈る人』を製作。
1908年、『接吻』シリーズ、『マイアストラ』シリーズの制作開始。写実的方法を離れ、極めて単一で純粋なフォルムの抽象的作品に至った。
1913年、アメリカで最新のヨーロッパ美術を紹介する展覧会「アーモリーショー」に出品。
1924年、代表作『空間の鳥』シリーズを製作開始。
1957年3月16日、パリにて死去。

作品と人物
ブランクーシの作品は抽象化が進み、代表作である『新生児』や『空間の鳥』では、幼児の頭部や飛ぼうとする鳥がほとんど単純な卵形やプロペラ型の形態にまで至っている。ただし彼の作品は、描写の対象物の本質を捉え、それを効果的に単純な形態に写すものであり、対象物の形態から完全に離れてしまうものではない。

このような単純化のため、1926年に作品販売のため『空間の鳥』をアメリカ合衆国に輸出した際、税関で美術品とみなされずに工業製品とみなされてしまい高い関税を課せられてしまったため、購入者と税関が裁判で争い、購入者が最終的に勝訴する事件が起こっている。

ブランクーシの独創的な作品は、後の現代彫刻、絵画、デザインなどへ、多大なる影響を与えた。特に代表作でもある『無限柱』シリーズは、単純なユニットの反復により構成され、本人が友人のマン・レイに語ったところでは、どこで切断しても無限の柱としての特性を失わないものとされる。この思想はカール・アンドレなどのミニマル・アートへ強い影響を与えた。

ブランクーシは朴訥な人柄で様々なアーティストから慕われ、マルセル・デュシャンやマン・レイとも親交があった。デュシャンは、ニューヨークでブランクーシの作品を売買することで生活していた時期もあった。マン・レイから写真術を教わったブランクーシは自分のアトリエ内に暗室をつくり、自らの作品を写真に記録することに熱中したこともあった。またイサム・ノグチはパリでブランクーシの助手となることで抽象彫刻家としてのキャリアに方向性を見出した。

著名な言葉で、”create like god, command like king, work like slave”「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」を残している。

代表作
接吻
空間の鳥
無限柱
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%B7" より作成

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2月19日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8819%E6%97%A5

できごと
1833年 -マルディグラ。ヴィクトル・ユーゴー、
女優ジュリエット・ドルーエと愛人関係になる。

1865年(元治2年1月24日) - 長崎に大浦天主堂が完成する。

1878年 - レコードプレーヤーの特許が取得される。

1945年 - 海兵隊を主力とするアメリカ軍が、硫黄島に上陸(硫黄島の戦い)。

1954年 - 蔵前国技館で、日本初の本格的なプロレス国際試合が開催
(メインは力道山・木村政彦組対シャープ兄弟)。

1972年 - 連合赤軍メンバー5名が人質1名を取って浅
間山荘に立てこもるあさま山荘事件が発生(2月28日に立て篭もり犯全員を逮捕)。

1986年 - ソビエト連邦が宇宙ステーションミールを打ち上げ。

1993年 - 連合赤軍事件で最高裁判所は連合赤軍幹部の
永田洋子と坂口弘の上告を棄却し、死刑判決。

1998年 - 株取引に絡む利益要求疑惑を追及されていた新井将敬代議士が自殺。

2008年 - イージス艦あたごが漁船と衝突事故を起こす
(イージス艦衝突事故)。
漁船の船員2名が行方不明(5月20日に認定死亡)。

誕生日
1473年 - ニコラウス・コペルニクス、天文学者(+ 1543年)

1855年(安政2年1月3日)- 西ノ海嘉治郎、第16代横綱(+ 1908年)

1859年 - スヴァンテ・アレニウス、化学者(+ 1927年)

1864年 - 同慶帝、ベトナム皇帝(+ 1889年)

1865年 - スヴェン・ヘディン、探検家(+ 1952年)

1876年 - コンスタンティン・ブランクーシ、彫刻家(+ 1957年)

1890年 - 橋本欣五郎、軍人(+ 1957年)

1893年 - セドリック・ハードウィック、俳優(+ 1964年)

1896年 - アンドレ・ブルトン、文学者(+ 1966年)

1899年 - ルーチョ・フォンタナ、美術家(+ 1968年)

1902年 - 鶴田知也、小説家(+ 1988年)

1907年 - 武田文吾、騎手・調教師(+ 1986年)

1911年 - マール・オベロン、女優(+ 1979年)

1912年 - 谷口千吉、映画監督(+ 2007年)

1914年 - 内海五十雄、元プロ野球選手(+ 1992年)

1919年 - 児玉利一、元プロ野球選手(+ 2008年)

1924年 - 長崎源之助、児童文学作家

1924年 - リー・マーヴィン、俳優(+ 1987年)

1930年 - ジョン・フランケンハイマー、映画監督(+ 2002年)

1934年 - ピエール・バルー、音楽家、俳優

1937年 - 杉本清、元関西テレビアナウンサー・競馬ジャーナリスト

1940年 - サパルムラト・ニヤゾフ、トルクメニスタン初代大統領(+ 2006年)

1940年 - スモーキー・ロビンソン・ミュージシャン

1942年 - 園田博之、政治家

1942年 - ドリー・ファンク・ジュニア、プロレスラー

1942年 - ハワード・ストリンガー、ソニー代表取締役会長 兼 最高経営責任者(CEO)

1946年 - 藤岡弘、、俳優
1948年 - 財津和夫、ミュージシャン

1949年 - 益子修、三菱自動車工業代表取締役社長

1950年 - 貴ノ花健士、大相撲元大関、先代二子山親方(+ 2005年)

1950年 - 安井潤一郎、政治家
1951年 - 藤岡真、作家
1952年 - 村上龍、作家
1953年 - クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル、アルゼンチン大統領
1954年 - ソクラテス、サッカー選手
1956年 - 如月小春、劇作家、演出家(+ 2000年)
1957年 - ファルコ、ミュージシャン (+ 1998年)
1959年 - 星野充昭、俳優、声優
1960年 - アンドルー王子、イギリス女王エリザベス2世の次男
1962年 - 山崎理、アニメーション監督
1963年 - 島朗、将棋棋士
1963年 - 林田浩文、実業家、作家・翻訳家(林田レジリ浩文のペンネームで)
1964年 - 樋口雅子、声優
1964年 - 和田ラヂヲ、漫画家
1964年 - 月山栄珠、元プロ野球選手
1966年 - 薬丸裕英、タレント・元シブがき隊
1967年 - ベニシオ・デル・トロ、俳優
1969年 - かとうれいこ、タレント
1970年 - 笠原弘子、声優
1972年 - 大森南朋、俳優
1972年 - 中上雅巳、タレント
1973年 - 河口正史、アメリカンフットボール選手
1974年 - 坪井智哉、プロ野球選手(北海道日本ハムファイターズ)
1974年 - 森且行、オートレース選手・元SMAPメンバー
1975年 - あべこうじ、お笑い芸人
1975年 - 山本高広、ものまねタレント
1975年 - 喜安浩平、声優
1977年 - 吉本峰之(ストリーク)、お笑い芸人
1978年 - 平田宏美、声優
1979年 - 呂建剛、プロ野球選手
1980年 - フリーディア・ニムラ、タレント
1981年 - 森麻季、日本テレビアナウンサー
1981年 - 白濱賢吾、the strange drama ミュージシャン
1982年 - 阿部進之介、俳優
1982年 - 伊藤久美子、女優
1983年 - 琴欧洲勝紀、大相撲力士(大関)
1983年 - ささきのぞみ、声優
1983年 - 中島美嘉、歌手
1983年 - 山口翔悟、俳優
1983年 - 小林大悟、サッカー選手
1984年 - 福田淳子、タレント・グラビアアイドル
1985年 - アリエル・ケベル、女優
1985年 - 浅見紘子、バレエダンサー
1986年 - かでなれおん、グラビアアイドル
1986年 - ガリガリガリクソン、お笑い芸人
1986年 - 幸坂ゆか、タレント
1986年 - 萬代宏樹、サッカー選手
1988年 - 入野自由、声優
1990年 - マリエル・ミラー、フィギュアスケート選手
1991年 - 永瀬麻帆、タレント
1992年 - 桑原瑞希、SKE48
1993年 - 波多野桃子、女優、声優
生年不詳 - 深見じゅん、漫画家

忌日
197年 - クロディウス・アルビヌス、ローマ帝国のブリタンニア総督(* 150年)

1445年 - レオノール・デ・アラゴン、ポルトガル王ドゥアルテ1世の妃(* 1402年)

1553年 - エラスムス・ラインホルト、天文学者(* 1511年)

1670年 - フレデリク3世、デンマーク王(* 1609年)

1671年(寛文11年1月10日 ) -
徳川頼宣、徳川家康の10男、水戸藩・駿府藩・紀州藩藩主歴任、紀州徳川家の祖(* 1602年)

1709年(宝永6年1月10日 ) - 徳川綱吉、江戸幕府第5代将軍(* 1646年)

1837年 - ゲオルク・ビュヒナー、劇作家・小説家(* 1813年)

1878年 - シャルル・フランソワ・ドービニー、画家(* 1817年)

1897年 - カール・ワイエルシュトラス、数学者(* 1815年)

1916年 - エルンスト・マッハ、物理学者(* 1838年)

1927年 - ゲーオア・ブランデス、文学史家・評論家(* 1842年)

1927年 - ローベルト・フックス、作曲家(* 1847年)

1929年 - ヴィルヘルム・ライン、教育学者(* 1847年)

1934年 - 伊東巳代治、官僚、政治家(* 1857年)

1934年 - 野呂栄太郎、マルクス経済学者・日本共産党幹部(* 1900年)

1938年 - エトムント・ランダウ、数学者(* 1877年)

1941年 - ハミルトン・ハーティ、指揮者(* 1879年)

1951年 - アンドレ・ジッド、小説家(* 1869年)

1952年 - クヌート・ハムスン、小説家(* 1859年)

1953年 - 近藤信竹、日本海軍の大将(* 1886年)

1957年 - モリス・ガラン、自転車競技選手(* 1871年)

1964年 - 尾崎士郎、小説家(* 1898年)
1972年 - リー・モーガン、ジャズトランペッター(* 1938年)

1973年 - ヨゼフ・シゲティ、ヴァイオリニスト(* 1892年)

1974年 - 宇野哲人、漢文学者(* 1875年)

1975年 - ルイージ・ダッラピッコラ、作曲家(* 1904年)

1988年 - アンドレ・フレデリック・クルナン、医学者(* 1895年)

1988年 - ルネ・シャール、詩人(* 1907年)

1991年 - 小林一喜、ジャーナリスト(* 1934年)

1992年 - 大林辰蔵、宇宙物理学者(* 1926年)

1994年 - デレク・ジャーマン、映画監督(* 1942年)

1997年 - 鄧小平、中華人民共和国の政治家(* 1904年)

1997年 - 埴谷雄高、小説家(* 1909年)

1998年 - マンサー・オルソン、経済学者(* 1932年)

1998年 - 新井将敬、政治家(* 1948年)

2000年 - フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー、芸術家 (* 1928年)

2001年 - スタンリー・クレイマー、映画監督・プロデューサー(* 1913年)

2005年 - 岡本喜八、映画監督(* 1924年)

2007年 - ジャネット・ブレア、女優(* 1921年)

2008年 - 沈殿霞、香港電視藝員(* 1945年)

記念日・年中行事

雨水(日本、2002年・2003年・2004年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が330度の時で、雪が溶け始めるころに当たる。

万国郵便連合加盟記念日(日本)
1877年2月19日に日本が万国郵便連合 (UPU) に加盟したことに由来。

プロレスの日