東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年2月23日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年2月23日(月曜日)

平成21年です。

「初春」です。

もう「2月」は「23日」たちました。

「2月」。

最後の「冬」月です。

あと「5日」で。「2月」がおわります。

あと「5日」で。

「初春」の「春」の「3月」になります。

もう「春」なのかもしれません。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種を行います。

御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

「新年」「初春」になり。
「1月」がおわると。
「2月」。

けれども
「春」の「3月」はもうすぐです。
「春」間近にして
きゅうにさむくなりました
とてもとてもさむくなりました

「昨年」
夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

そして
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆき。
「11月」がおわりました。
昨年の「冬」「12月」が過ぎれば。
今は。
「新年」「初春」の「2月」「晩冬」
です。
そして「3月」の「春」をむかえようとしています。

そろそろ とぼとぼと。

「春」にむかって深まり行く。
「たしかなる」「冬のさる」のかおり。
「あきらかなる」「「春」」の。
あゆみのしらべから。

「新年」「2月」の「冬おわり」の気配が。
手応えはしっかりと。

いてつくようなさむさで。

「木枯らし」に。
おわれながら。
ただよっています。

「初春」の「冬」へとかわり

「春」「3月」にむけて。

深まる「2月」の「かおり」。

この

「初春」の

「冬のかおりへの変化(へんげ)」は。

毎年ちがいます。

「冬」から「春」へのかおりの変化(へんげ)」は。

「毎年」新しい。

「うれしい新品のかおり」

がします。

寒い大気の織り成す(たいきのおりなす)。

冬の季節の風から。

「新たなる新品のかおり」の「冬」から。

「春」を恵まれることは。

とても幸せなことなのではないかと考えます。

けれども

きゅうにさむくなりました

とてもとてもさむくなりました。

「初春」「新年」「晩冬」の「2月」。

もうすぐ「春」ですね。

暗い早朝に。
「昨年」「12月」には
「木枯らし」の鳴き声が聞こえました。

陽がのぼるにつれ。
「木枯らし」の声は小さくなってゆきます。
そして「「木枯らし」のつぶやき」になり。
聞こえなくなりました。

こおろぎの鳴き声はとうに
聞こえません。

「初春」の。「2月」の「冬」の。
「木枯らし」の鳴き声にかわりました。

「冬」の「木枯らし」の鳴き声は。
「夏」の「せみ」と異なり
「いわにしみいる」ねいろでは
ありません。

「ふうせん」のような。
「寒い風にとばされる」
冬の風鈴(ふうりん)をおもわせる鳴き声です。
「寒い風」にとばされるように。

「木枯らしの声」の
声楽4声(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。
混声の合唱で聞こえます。

「ろうろう」。
この「木枯らし」も間もなく。
「春かぜ」にかわります。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「深い冬のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「初春」の「深い冬のおとずれ」の「大気」が。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。
ゆきさきは「春かぜ」の「春」。

「冬」です。

「初春」です。

昨年も終わり
「新年」「初春」です。

はやいものです。

はやいものです。

「2月」の「晩冬」から「3月」にかけては。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
感じられるようです。
不思議な感しが致します。

木々は
「冬の終わり」までの準備をすませて。

これからの。
「初春」の。
「冬へのあらたな実り」に向けての。
息吹が力強く感じられます。

今早朝は「とても肌寒い」です。
今年はとてもとても「寒い」です。

街路樹はしっかりと。
「初春」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「春」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえ
「冬」の「木」に
かわりました。

そしていま。
「冬」にも若葉を抱こうと。
さらに「春」に。

うつろいてかわろうと
しています。

「昨年」はあっというまに
「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。
「12月」木枯らしの冬です。

「12月」がおわり。

「初春」「新年」の「2月」です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声も「一昨年」より
「昨年」は多かったように
おもえました。

今は。
「初春」「新年」の「晩冬」「2月」
の木枯らしの「こえ」。

「ろうろう」。

みかんの木に「木枯らし」
がとまっているようです。

「鳥」(とり)の様です。
「木枯らし」の声はいつもかわります。

みかんの木は。
とても沢山の実をつけています。

冬ですから
いずれみかんのみのうえにも。
みかんの白い雪が積もると。
黄金にプラチナのみかんになります。

「初春」の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
「初春」の若葉にすくすくとそだち。
若枝も冬天高くすこやかにのび。
ますますに。ますますに。
「冬の陽」をあびて。
「初春」の山椒(さんしょう)の葉の。
みどりがとても。
奇麗です。

山椒のことを
「きのめ」=木の芽とはなるほどと
かんがえる。

春さんしょう木
春萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
春みどり葉わか葉いずる花のごと
春夏(なつ)こすわか枝は幹ならむ
春なりてたゆまずとまらず
春冬あゆみそだちて
春幹は天たかくそだちたり
春いざいまこそは
春空(そら)にもえたたむ
春金色(こがね)の炎
春さんしょう木春

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな冬みつけた」から
しだいに「大きな冬みつけた」
「大きな冬みつけた」から。
そして「大きな大きな冬」みつけた・は。

ちょっと「安心する気」が致します。
もう「晩冬」なのです。
「春」はもうすぐです。

そして「「春」の女神」の。

「佐保姫(さほひめ)」の導く

「春」は間近です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
泣く子も黙る。
ドイツの天才哲学者。

その生涯の時期ともあい合わさり。
「3つの顔を持っている哲学者」。
すなわち。
精神病理学者として。哲学者として。政治評論家として。


活動の「3つの顔」の哲学者として高名な。

1883年 - カール・ヤスパース、哲学者(+ 1969年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース(Karl Theodor Jaspers、1
883年2月23日 オルデンブルク、ドイツ -
1969年2月26日 バーゼル、スイス)は。

ドイツの精神科医、哲学者です。
実存主義の代表者の1人です。

哲学、現代神学、精神医学に。
強い影響を与えました。

主著は『精神病理学総論』(1913年)
『哲学』(1932年)など
があります。
++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspersは。

彼は、その生涯の時期ともあい合わさって。

3つの顔を持っています。

精神病理学者として、哲学者として、政治評論家としての
活動です。

++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspersは。

早い頃から哲学に関心を抱いていたものの。

父が法曹に身を置いていたために。
ヤスパースは大学で法学を学びはじめました。

まもなく1901年には医学の道へ転向致します。

1909年に医学部を卒業した後は
ハイデルベルクの精神病院で医師として働きました。

そこで当時の医学界の精神病に対する姿勢に疑問を抱き。

精神医学の方法論の改良を目指すようになります。

++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspersは。

1913年にはハイデルベルク大学で。
精神医学を教え始めました。

以後、臨床に戻ることはなかったのです。

しかし彼自身の精神医学に対する
関心は終生変わることはなく。

処女作『精神病理学総論』の分量を大幅に増やし。
改訂版第4版として公刊したのは。
第二次世界大戦後でした。

++++++++++++++++++++++

精神医学から哲学に転じたヤスパースは。
1921年から1937年まで同大学哲学教授を務めました。

この時代に
ハンナ・アーレントも彼の教えを受けました。

ナチス台頭後
妻のゲルトルートがユダヤ人であったことや
ナチスに対する反抗で大学を追われたものの。

妻の強制収容所送致については。
自宅に2人で立て籠もり
阻止し通しました。

++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspersは。

大戦も末期の頃、ヤスパース夫妻の
収容所移送が決定されもはや自殺する以外に
打つ手がなくなる
ところまで追い詰められました。

その移送予定日も残すところ数十日程度に迫った頃に
米軍が彼の住むハイデルベルクを占領したため。

後年自ら
「自国の政府により殺される寸前に
敵国の軍隊により命を救われた」
と述懐しています。

この戦争体験は彼の哲学に対して見逃すことのできない
強い影響を与えたと言われています。

戦後、ハイデルベルク大学の復興に尽力するも。
ドイツの戦争責任問題について執筆した
『責罪論』を巡って周囲から心ない非難を浴びせられたため。
ドイツの将来に失望して。
1948年にスイスのバーゼル大学の哲学教授となりました。

ドイツに対する裏切り者呼ばわりされ。
彼は深く傷ついたということです。

++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspersの。

しかし彼の多彩な活動はとどまるところを知らず。

特に戦争体験を機に彼は政治哲学的著作を数多く執筆致します。

既述されている『責罪論』もその1つです。

また戦後に始まった
資本主義と社会主義の二大陣営による
東西冷戦が核武装競争と化す過程に対して。

核兵器という全人類を絶滅させる恐れのある兵器。
及びその破壊力に対する恐れから
両陣営ともが気にかける手詰まり状況。

このような状況を彼自らの概念である
「限界状況」と捉えました。

政治的な対話を「交わり」と捉えるなど。

単なる学問としての哲学にとどまらない積極的な活動を。

展開していたことも彼の戦争体験が
深く関わっていると考えられます。

++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspers

思想

限界状況のうちに超越者との遭遇が隠されており
自己の存在と超越者を求める努力は。
挫折致しました。

しかし挫折を暗号として
解読することに超越者の存在が証言されると
致しました。

彼はキルケゴールの影響を強く受け。

特に著作『世界観の心理学』においては。

キルケゴールの著作『不安の概念』及び『死に至る病』
から多くを引用した
「キルケゴール報告」の1章を設けています。
そこからヤスパースは。
神へと向かう人間存在(実存)についての
「心理学的研究」というキルケゴールの方法論を見出し。
その際の心的状態が「不安」及び「絶望」であると致しました。

ヤスパースの主著『哲学』第2巻『実存開明』において。

<交わり><限界状況><絶対的意識>の3つが。
彼の哲学の目標とするところの「存在意識の変革」へと
達するための重要な概念です。
1・
まず<交わり>とは自己開示であり、
各人が自らに閉じこもることなく他者へと向かい、
それにより自己自身の存在に対する意識を反省するのである。
2・
次に<限界状況>とは誰もが突き当たる壁のようなものであり。
それの典型的なものが「自己の死」であるとされ。
それに突き当たることによって。
各人がそれまで意識していた自己自身の存在に対する
確実性の挫折を自覚させられるのである。
3・
そして最後の<絶対的意識>とは自己自身の存在確信にして、
超越的な存在に面している意識である。
<限界状況>により自己存在の有限性は意識させられたが、
それはまだ消極的な有限性の意識であり、
「無制約的なもの」という超越的存在に面することにより
自らの有限的な存在が反省させられ、
そのような超越的存在に面している自己自身という
存在確信が得られるのである。
4・
そしてキルケゴールから得た<不安>とは
ヤスパースによると「絶対的意識の動因」となります。
なぜなら我々は自己存在の確実性をいかなるものからも得られず。

このような心的状態が不安であり。

他者や財産及び自己自身の肉体のあらゆるものをもってしても
この不安が解消されないので。

そのために人間は「超越的なもの」へと向かって
自己存在の確信を得るとともにこ
の不安を克服する勇気をも得るのです。

++++++++++++++++++++++

カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspersは。

精神医学分野では、エトムント・フッサールの唱えた

「奥にある本質病理に関する直観的推測」を排し。
ひたすら患者の言葉の正確な記述に徹する
「記述精神病理学」
を試みました。

++++++++++++++++++++++
カール・ヤスパース:Karl Theodor Jaspers

1959年、エラスムス賞受賞。
主な著書
『人間とは何か』 (Was ist der Mensch?)
『教育とは何か』 (Was ist Erziehung?)
『現代の精神的状況』 (Die geistige Situation der Zeit)
『哲学』
『哲学とは何か』 (Was ist Philosophie?)
『哲学入門』 (Einführung in die Philosophie)
『哲学的論理学第1部 真理について』
『理性と実存』
『偉大な哲学者たち』 (Die grossen Philosophen)
『ニーチェ』 (Nietzsche)
『世界観の心理学』 (Psychologie der Weltanschauungen)
『歴史の起源と目標』 (Vom Ursprung und Ziel der Geschichte)
『ヤスパース・アレント往復書簡』 (Briefwechsel 1926-1969, Hannah Arendt, Karl Jaspers)
『ヤスパース・ハイデッガー往復書簡』 (Briefwechsel 1920-1963, Martin Heidegger, Karl Jaspers)
『神の暗号』 (Chiffren der Transzendenz)

++++++++++++++++++++++

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カール・ヤスパース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9

カール・ヤスパース(Karl Theodor Jaspers、1883年2月23日 オルデンブルク、ドイツ - 1969年2月26日 バーゼル、スイス)は、ドイツの精神科医、哲学者。実存主義の代表者の1人。哲学、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。主著は『精神病理学総論』(1913年)、『哲学』(1932年)など。

彼は、その生涯の時期ともあい合わさって、3つの顔を持っている。精神病理学者として、哲学者として、政治評論家としての活動である。

目次
1 来歴
2 思想
3 主な著書
4 関連項目
5 外部リンク

来歴
早い頃から哲学に関心を抱いていたものの、父が法曹に身を置いていたため、ヤスパースは大学で法学を学びはじめる。まもなく1901年には医学の道へ転向。1909年に医学部を卒業した後はハイデルベルクの精神病院で医師として働く。そこで当時の医学界の精神病に対する姿勢に疑問を抱き、精神医学の方法論の改良を目指すようになる。1913年にはハイデルベルク大学で精神医学を教え始め、以後、臨床に戻ることはなかった。しかし彼自身の精神医学に対する関心は終生変わることはなく、処女作『精神病理学総論』の分量を大幅に増やし、改訂版第4版として公刊したのは第二次世界大戦後である。

精神医学から哲学に転じたヤスパースは1921年から1937年まで同大学哲学教授を務める。この時代にハンナ・アーレントも彼の教えを受けた。ナチス台頭後、妻のゲルトルートがユダヤ人であったことやナチスに対する反抗で大学を追われたものの、妻の強制収容所送致については自宅に2人で立て籠もり、阻止し通す。大戦も末期の頃、ヤスパース夫妻の収容所移送が決定されもはや自殺する以外に打つ手がなくなるところまで追い詰められたが、その移送予定日も残すところ数十日程度に迫った頃に米軍が彼の住むハイデルベルクを占領したため、後年自ら「自国の政府により殺される寸前、敵国の軍隊により命を救われた」と述懐しており、この戦争体験は彼の哲学に対して見逃すことのできない強い影響を与えたと言われている。戦後、ハイデルベルク大学の復興に尽力するも、ドイツの戦争責任問題について執筆した『責罪論』を巡って周囲から心ない非難を浴びせられたため、ドイツの将来に失望して、1948年にスイスのバーゼル大学の哲学教授となった。ドイツに対する裏切り者呼ばわりされ、彼は深く傷ついたという。

しかし彼の多彩な活動はとどまるところを知らず、特に戦争体験を機に彼は政治哲学的著作を数多く執筆し、既述されている『責罪論』もその1つである。また戦後に始まった資本主義と社会主義の二大陣営による東西冷戦が核武装競争と化す過程に対して、核兵器という全人類を絶滅させる恐れのある兵器、及びその破壊力に対する恐れから両陣営ともが気にかける手詰まり状況、このような状況を彼自らの概念である「限界状況」と捉え、政治的な対話を「交わり」と捉えるなど、単なる学問としての哲学にとどまらない積極的な活動を展開していたことも、彼の戦争体験が深く関わっていると考えられる。

1959年、エラスムス賞受賞。

思想
限界状況のうちに超越者との遭遇が隠されており自己の存在と超越者を求める努力は、挫折する。しかし挫折を暗号として解読することに超越者の存在が証言されるとした。

彼はキルケゴールの影響を強く受け、特に著作『世界観の心理学』においては、キルケゴールの著作『不安の概念』及び『死に至る病』から多くを引用した「キルケゴール報告」の1章を設けている。そこからヤスパースは、神へと向かう人間存在(実存)についての「心理学的研究」というキルケゴールの方法論を見出し、その際の心的状態が「不安」及び「絶望」である。ヤスパースの主著『哲学』第2巻『実存開明』において、<交わり><限界状況><絶対的意識>の3つが彼の哲学の目標とするところの「存在意識の変革」へと達するための重要な概念である。まず<交わり>とは自己開示であり、各人が自らに閉じこもることなく他者へと向かい、それにより自己自身の存在に対する意識を反省するのである。次に<限界状況>とは誰もが突き当たる壁のようなものであり、それの典型的なものが「自己の死」であるとされ、それに突き当たることによって、各人がそれまで意識していた自己自身の存在に対する確実性の挫折を自覚させられるのである。そして最後の<絶対的意識>とは自己自身の存在確信にして、超越的な存在に面している意識である。<限界状況>により自己存在の有限性は意識させられたが、それはまだ消極的な有限性の意識であり、「無制約的なもの」という超越的存在に面することにより自らの有限的な存在が反省させられ、そのような超越的存在に面している自己自身という存在確信が得られるのである。そしてキルケゴールから得た<不安>とはヤスパースによると「絶対的意識の動因」となる。なぜなら我々は自己存在の確実性をいかなるものからも得られず、このような心的状態が不安であり、他者や財産及び自己自身の肉体のあらゆるものをもってしてもこの不安が解消されないので、そのために人間は「超越的なもの」へと向かって自己存在の確信を得るとともにこの不安を克服する勇気をも得るのである。

精神医学分野では、エトムント・フッサールの唱えた「奥にある本質病理に関する直観的推測」を排し、ひたすら患者の言葉の正確な記述に徹する「記述精神病理学」を試みた。

主な著書
『人間とは何か』 (Was ist der Mensch?)
『教育とは何か』 (Was ist Erziehung?)
『現代の精神的状況』 (Die geistige Situation der Zeit)
『哲学』
『哲学とは何か』 (Was ist Philosophie?)
『哲学入門』 (Einführung in die Philosophie)
『哲学的論理学第1部 真理について』
『理性と実存』
『偉大な哲学者たち』 (Die grossen Philosophen)
『ニーチェ』 (Nietzsche)
『世界観の心理学』 (Psychologie der Weltanschauungen)
『歴史の起源と目標』 (Vom Ursprung und Ziel der Geschichte)
『ヤスパース・アレント往復書簡』 (Briefwechsel 1926-1969, Hannah Arendt, Karl Jaspers)
『ヤスパース・ハイデッガー往復書簡』 (Briefwechsel 1920-1963, Martin Heidegger, Karl Jaspers)
『神の暗号』 (Chiffren der Transzendenz)

関連項目
セーレン・キェルケゴール
ハンナ・アーレント

外部リンク
日本ヤスパース協会

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9" より作成
カテゴリ: ドイツの哲学者 | 実存主義 | 精神科医 | エラスムス賞 | 1883年生 | 1969年没 | ヤスパース哲学

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2月23日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8823%E6%97%A5

できごと
990年(正暦元年1月25日) - 藤原兼家の孫である定子が入内する。

1836年 - アラモ砦に立て篭もる約200人のテキサス義勇軍に
約4000人のメキシコ正規軍が攻撃を開始(アラモの戦い)

1854年 - 横浜のペリー応接所の庭で日本で初めて模型の機関車が運転される

1886年 - チャールズ・マーティン・ホール、アルミニウムの電気分解法を発明

1929年 - 説教強盗・妻木松吉が東京で逮捕

1932年 - 全国一斉に婦人選挙権獲得の為の「婦選デー」運動を実施

1939年 - 理化学研究所が原子実験室を設置

1942年 - 「税務代理士法」制定(税理士記念日)

1942年 - 翼賛政治体制協議会結成

1943年 - 陸軍省が戦意昂揚の為、「撃ちてし止まむ」のポスター5万枚を配布

1944年 - 竹槍事件。

1945年 - アメリカ海兵隊所属の兵士たちが、硫黄島山頂に星条旗を掲揚した。

1949年 - プロ野球にコミッショナー制を導入。正力松太郎が初代コミッショナーに就任

1964年 - 国鉄の電子式座席予約システムMARS101が稼動開始

1970年 - 英領ギニアがガイアナ共和国として独立。

1977年 - 宇宙開発事業団が技術試験衛星「きく2号」を打上げ(日本初の静止衛星)。

1981年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日(ローマ教皇として初の来日)。

1987年 - カミオカンデで大マゼラン星雲でおきた超新星爆発を検出。

1997年 - イギリスの研究所でクローン羊の開発に成功したことが判明。

2006年 - トリノオリンピック第14日目、女子フィギュアスケートにて
荒川静香がアジア初の金メダルに輝く。

2007年 - 鹿児島地方裁判所で志布志事件の被告人12名全員に無罪判決が下される。

2008年 - 新名神高速道路の草津田上IC〜亀山JCTが部分開通。
新名神高速道路の初の開通区間となる。

誕生日
1646年(正保3年1月8日) - 徳川綱吉、江戸幕府第5代将軍(+ 1709年)

1685年 - ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル、作曲家(+ 1759年)

1817年 - ジョージ・フレデリック・ワッツ、画家・彫刻家(+ 1904年)

1823年 - グスタフ・ナハティガル、探検家(+ 1885年)

1840年 - カール・メンガー、経済学者(+ 1921年)

1863年 - フランツ・フォン・シュトゥック、画家・版画家・彫刻家・建築家(+ 1928年)

1868年 - W・E・B・デュボイス、公民権運動指導者(+ 1963年)

1872年(明治5年1月15日) - 平櫛田中、彫刻家(+ 1979年)

1873年 - アンシ、絵本作家・画家(+ 1951年)

1876年 - 林銑十郎、第33代内閣総理大臣(+ 1943年)

1883年 - カール・ヤスパース、哲学者(+ 1969年)

1889年 - ヴィクター・フレミング、映画監督(+ 1949年)

1891年 - 倉田百三、劇作家、評論家(+ 1943年)

1899年 - エーリッヒ・ケストナー、小説家(+ 1974年)

1901年 - 北島忠治、元明治大学ラグビー部監督(+ 1996年)

1915年 - ポール・ティベッツ、アメリカ空軍退役准将(+ 2007年)

1920年 - 服部受弘、元プロ野球選手(+ 1991年)

1930年 - 志村五郎、数学者

1934年 - 池田満寿夫、作家(+ 1997年)

1935年 - 新野新、放送作家

1936年 - 内海好江、漫才師(+ 1997年)

1936年 - 桑原和男、喜劇俳優(吉本新喜劇)

1937年 - 白木万里、女優

1939年 - ピーター・フォンダ、俳優

1941年 - 大宅映子、評論家

1941年 - 矢ノ浦国満、元プロ野球選手

1942年 - 的川泰宣、宇宙工学者

1943年 - 北大路欣也、俳優

1945年 - 苑田聡彦、元プロ野球選手

1946年 - 宇崎竜童、ミュージシャン

1948年 - 月亭八方、落語家
1951年 - 森重文、数学者
1952年 - 中島みゆき、歌手
1953年 - 中嶋悟、レーシングドライバー
1953年 - フレッド・クハウルア、元プロ野球選手
1955年 - 斉藤明夫、元プロ野球選手・野球解説者横浜ベイスターズコーチ
1955年 - 新堀和男、俳優、殺陣師、アクション監督
1955年 - 吉崎栄泰、プログラマ
1956年 - 野口五郎、歌手、俳優
1956年 - ブラザートム、ミュージシャン・お笑いタレント(小柳トム)
1958年 - とり・みき、漫画家
1958年 - 林マヤ、モデル・タレント
1958年 - 若林健治、フリーアナウンサー(元日本テレビ)
1959年 - 小川美潮、音楽家
1959年 - 遠藤雅伸、ゲームクリエイター
1960年 - 皇太子徳仁親王
1963年 - 飯星景子、タレント・エッセイスト
1964年 - 坂本英三、ミュージシャン
1965年 - マイケル・デル、実業家
1968年 - 山本圭一、元お笑いタレント・元極楽とんぼ
1968年 - 横山典弘、騎手
1968年 - 加藤寛規、レーシングドライバー
1969年 - 後藤ひろひと、俳優・脚本家
1969年 - 宮川一彦、元プロ野球選手
1970年 - 相田翔子、タレント・元Wink
1971年 - 小田井涼平、俳優
1971年 - 私市淳、声優
1975年 - 永田亮子、声優
1976年ー西野恭之助(チョップリン)、お笑いタレント
1977年 - 秀太、プロ野球選手
1978年 - 杉上佐智枝、日本テレビアナウンサー
1980年 - 虹歩、ストリッパー
1981年 - 中原麻衣、声優
1981年 - ボッティ、サッカー選手
1982年 - dorlis、歌手
1983年 - 笹川美和、シンガーソングライター 
1983年 - ミド、サッカー選手
1983年 - 近藤春菜、お笑いタレント・ハリセンボン
1984年 - YUKI(BENNIE K)
1984年 - 高橋真唯、女優
1984年 - 丸居沙矢香、タレント
1985年 - 神戸拓光、プロ野球選手
1986年 - 亀梨和也、タレント(KAT-TUN)
1986年 - 三倉茉奈・三倉佳奈、双子のタレント
1986年 - ベラ・セシナ、新体操選手
1987年 - 高橋徹、プロ野球選手
1987年 - 梅崎司、サッカー選手
1988年 - 潤音、グラビアアイドル
1989年 - エヴァン・ベイツ、フィギアスケートアイスダンス選手
1989年 - 中川美樹、グラビアアイドル
1990年 - 藤井翼、プロ野球選手
1993年 - 石川佳純、卓球選手
1994年 - ダコタ・ファニング、女優
1995年 - ささの堅太、俳優

忌日
1100年 - 哲宗、北宋第7代皇帝(* 1076年)[要出典]

1442年 - グムンデンのヨハネス、天文学者・数学者

1447年 - エウゲニウス4世、第207代ローマ教皇(* 1383年)

1464年 - 英宗、明第6代皇帝(* 1427年)[要出典]

1507年 - ジェンティーレ・ベリーニ、画家(* 1429年)

1525年(大永5年2月2日)- 実如、浄土真宗の僧(* 1458年)

1572年 - ピエール・セルトン、作曲家

1594年(文禄3年1月4日) - 曲直瀬正盛(道三)、戦国時代の医師(* 1507年)

1632年 - ジャンバティスタ・バジーレ、詩人(* 1575年?)

1641年(寛永18年1月14日)- 諏訪頼水、初代諏訪藩主(* 1571年)

1704年 - ゲオルク・ムッファト、作曲家(* 1653年)

1717年 - マグヌス・ステンボック、スウェーデンの軍人(* 1665年)

1730年 - ベネディクトゥス13世、第245代ローマ教皇(* 1649年)

1766年 - スタニスワフ・レシチニスキ、ポーランド王(* 1677年)

1792年 - ジョシュア・レノルズ、画家(* 1723年)

1821年 - ジョン・キーツ、詩人(* 1795年)

1848年 - ジョン・クィンシー・アダムズ、第6代アメリカ合衆国大統領(* 1767年)

1855年 - カール・フリードリヒ・ガウス、数学者(* 1777年)

1857年(安政4年1月29日)- 姉小路公遂、公卿(* 1794年)

1897年 - ヴォルデマール・バルギール、作曲家(* 1828年)

1917年 - ジーン・ガストン・ダルブー、数学者(* 1842年)

1926年 - 淡島寒月、小説家・画家(* 1859年)

1933年 - 近藤勇五郎、剣術家(* 1851年)

1934年 - エドワード・エルガー、作曲家(* 1857年)

1940年 - 市川左團次 (2代目)、歌舞伎役者(* 1880年)

1944年 - レオ・ベークランド、化学者(* 1863年)

1946年 - 山下奉文、日本の陸軍大将(* 1885年)

1950年 - 野上豊一郎、英文学者(* 1883年)

1962年 - 川口為之助、元千葉県知事・参議院議員(* 1881年)
1969年 - サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ、第2代サウジアラビア国王(* 1902年)
1969年 - コンスタンティン・シルヴェストリ、指揮者(* 1913年)
1974年 - ジョージ・ファン・ビースブルック、天文学者(* 1880年)
1974年 - ウィリアム・F・ノーランド、元アメリカ上院院内総務(* 1908年)
1975年 - ハンス・ベルメール、画家・写真家(* 1902年)
1983年 - ハーバート・ハウエルズ、作曲家(* 1892年)
1984年 - ウーヴェ・ヨーンゾン、小説家(* 1934年)
1994年 - 藤田小女姫、占い師(* 1938年)
1995年 - ジェイムズ・ヘリオット、著作家・獣医師(* 1916年)
1996年 - 小坂徳三郎、実業家・元運輸大臣(* 1916年)
1996年 - ジョセフ・W・バー、第59代アメリカ合衆国財務長官(* 1918年)
1997年 - トニー・ウィリアムス、ジャズミュージシャン(* 1945年)
1999年 - カルロス・ハスコック、アメリカ合衆国の軍人、狙撃手(* 1942年)
2000年 - スタンリー・マシューズ、サッカー選手(* 1915年)
2003年 - ロバート・キング・マートン、社会学者(* 1910年)
2006年 - ロバート・ミラー、疫学者
2007年 - 鳥居滋夫、アナウンサー(* 1933年)
2007年 - パスカル・ヨアジマナジ、チャド首相(* 1950年?)
2007年 - 池田晶子、文筆家(* 1960年)
2008年 - ポール・フレール、自動車評論家・F1レーサー(* 1917年)
2008年 - ヤネス・ドルノウシェク、第2代スロベニア大統領(* 1950年)

記念日・年中行事
共和国の日(ガイアナ)
1966年にイギリス連邦から独立。

税理士記念日(日本)
1942年2月23日に「税理士法」の前身である
「税務代理士法」が制定されたことを記念して、
日本税理士会連合会が1969年に制定。

富士山の日

ふろしきの日