東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年2月24日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年2月24日(火曜日)

平成21年の「2月」も「24日」たちました。
あと「4日」で最後の「冬」。
「晩冬」の「2月」はおわります。

そして。
あと「4日」で。
「春」の「3月」になります。
「初春」

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。
今は
「初春」です。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」です。
もう少しで「3月」「春」です。

「初春」の。
「冬」「晩冬」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。
「おきなのあゆみ」のように。
そそとした「冬舞台」の上を。
さらにふかまりつつ冬の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。
「冬」から「春」の「3月」にむかっています。

「初春」です。「晩冬」です。

「春」間近です。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「晩冬」から「初春」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

木枯らしの声。

毎朝の暗いうちの木枯らしの「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
木枯らしの鳴き声は。
「独唱」から次第に「合唱」に
なってきました。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「木枯らし」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

木枯らしも
「もっと深冬(ふかふゆ)」。
そして「もっと深い冬の先」
の季節「春」 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

もうすぐ「「春」いちばん」に
衣替えするでしょう。

「木枯らし」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

木枯らしは

「街路樹」にとまって。

「冬」を過ごすのでしょう。

もうすぐ「春」です。

陽ののぼる時刻はとても遅くなりました。
そして
陽のおりる夕暮れは。
とてもはやくなりました。
つるべがおちるようにすとんと
暗くなります。

朝の04:30amにはふたたび「真っ暗」
の時期になりました。
あさの06:00amでもなお暗い東空
です。

けれども「昨年」冬至もおわり。

これから日々ゆっくりと

日は長くなります。陽はたかくなります。

よるは短くなりはじめます。

これからは天上の太陽は。
「冬」から「春」に向かいます。

けれども「地上」では。
「今」まだ「晩冬」であり「真冬」です。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私はさむいのがつらい
です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「冬」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「冬」にも。

「初春」の「中冬」「晩冬」の。
「春」の間近い。
「若芽」をまもる
「冬」の太陽から。さらなる恵みを
「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。
「ソフトフイルター」の役目を。
深い「冬」の「おぼろくもりそら」が
しているようです。

自然とは。
とてもよくできたものです。

変幻自在であり
そして規則も正しい。
なおかつにして。
自由が自在。

春夏秋冬。
大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(こころ)が。

とてもよくわかります。

冬の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

そして冬の。
紅葉の冬。
枯れ葉も冬をむかえています。
木々のまとう枯れ葉は木々の
セーターのようです。
少しでも暖かければ。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。
晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「晩冬」の「からまつ」です。

そしていま。
「春」をまつ「からまつ」の時期になりました。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
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      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

いまは
「冬」です。
もうすぐ「春」です。

「初春」「晩冬」ながら。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「春」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります。
冬の木枯らしが若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
冬草に変貌して。

「木枯らし」になり。
道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
冬草へと変貌しつつながらえています。
「春」をまつ「冬」の雑草です。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

木枯らしいてつく冬竹(ふゆたけ)の
笹葉は蒼くふるえたり
みどり葉笹葉にかぜはやみ
冬陽をうつすやうつろひの
竹の葉木枯らしはやいくとせ

冬春地にも空にも
冬春みどり葉ひらき
冬春みどり木冬空
冬春天高くひろがりけり
冬春ゆたかなりけり
冬春いふことのなし
冬春いふことがなし
冬春いふことはなし
冬春ゆたかなりけりふゆはる

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
語学に堪能であり。
プラトンをギリシャ語で。
旧約聖書をヘブライ語で読んだ。

博識で才気にあふれ。
メディチ家のプラトン・アカデミーの
中心的な人物の一人。

非ユダヤ人としては。
はじめてカバラを極めた人文学者。

1463年 - ピコ・デラ・ミランドラ、人文主義者(+ 1494年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ
(Giovanni Pico della Mirandola、
1463年2月24日 - 1494年11月17日)は。

イタリア・ルネサンス期の人文主義者です。

「人間の尊厳」を高らかに主張したと
されてきたとされています。

近年では、ピコのもちいる
「尊厳」の語には「序列」という意味しかなく。
今日でいう「尊厳」の意味はなかったとも
言われています。

ともあれピコにとって。
人間とはなんにでもなれる変幻自在の良い意味で
カメレオンのごときものであったと考えられています。

なお、ピーコ・デッラ・ミランドラとも
表記されることもあります。

++++++++++++++++++++++

ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ:Giovanni Pico della Mirandola
は。
北イタリアの貴族の家に生まれました。
ボローニャの法律学校を経て各地を放浪したのち。
フィレンツェへ行き人文主義者として高名な
マルシリオ・フィチーノの元へ身を寄せました。

++++++++++++++++++++++

ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ:Giovanni Pico della Mirandola
は。

語学に堪能であり。
プラトンをギリシャ語で。
旧約聖書をヘブライ語で読んでいました。

博識で才気にあふれ。
メディチ家のプラトン・アカデミーの
中心的な人物の一人になりました。

++++++++++++++++++++++

ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ:Giovanni Pico della Mirandola
は。
人間は小さな宇宙であり。
その中には元素から動植物、理性、神の似姿に至るまで
が含まれると考えました。

人間が動物と異なるのは。
自由意志によって何者にも
(神のようにも獣のようにも)
なることができる点だと致しました。

「人間の尊厳」を主張致しました。

1486年、ローマで哲学・神学の討論会を企画し。
討論会のために書いた原稿が
『人間の尊厳について』 (Oratio De Dignitate hominis) です。
ピコの主著である。

++++++++++++++++++++++

ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ:Giovanni Pico della Mirandola
は。

討論会では聖体変化などについての議論も予定しており。
ローマ教皇から異端の疑いをかけられ。
討論会は中止。

ピコも逃亡後、捕えられてしまうが。

メディチ家のロレンツォ・デ・メディチの
努力により釈放されフィレンツェに戻りました。

ジロラモ・サヴォナローラとも親交があったという。

31歳で死去。

++++++++++++++++++++++

ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ:Giovanni Pico della Mirandola
は。

フィチーノと同様。
近年は異教的な神秘主義の側面が注目されています。

自然を支配する業としての魔術を信じていました。
占星術については、人間の運命が定められている
というのは人間の自由意志に反するとして反対するようになりました。

師・フィチーノの説を批判した
「反占星術論」を執筆しています。

また非ユダヤ人としては。
はじめてカバラを極めたとされています。

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ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ:Giovanni Pico della Mirandola

その他
ピーコ・デッラ・ミランドラ賞
イタリア文化会館主催でイタリア語作品の翻訳に対して贈られる。
これまでに。
作家の須賀敦子、
ルネサンス美術史の岡田温司(京大教授)、
『マキァヴェッリ全集』を編集した
永井三明(同志社大名誉教授)らが受賞。
(イタリア文化に関する著作に贈られるマルコ・ポーロ賞もある)

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ピコ・デラ・ミランドラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9

ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ(Giovanni Pico della Mirandola、
1463年2月24日 - 1494年11月17日)は、イタリア・ルネサンス期の人文主義者である。「人間の尊厳」を高らかに主張したとされてきたが、近年では、ピコのもちいる「尊厳」の語には「序列」という意味しかなく、今日でいう「尊厳」の意味はなかった、とも言われている。ともあれ、ピコにとって人間とは、なんにでもなれる変幻自在のカメレオンのごときものであった。なお、ピーコ・デッラ・ミランドラとも表記される。

生涯
北イタリアの貴族の家に生まれる。ボローニャの法律学校を経て各地を放浪したのち、フィレンツェへ行き、人文主義者として高名なマルシリオ・フィチーノの元へ身を寄せた。語学に堪能であり、プラトンをギリシャ語で、旧約聖書をヘブライ語で読んだ。博識で才気にあふれ、メディチ家のプラトン・アカデミーの中心的な人物の一人になった。

人間は小さな宇宙であり、その中には元素から動植物、理性、神の似姿に至るまでが含まれると考え、人間が動物と異なるのは、自由意志によって何者にも(神のようにも獣のようにも)なることができる点だとして、「人間の尊厳」を主張した。1486年、ローマで哲学・神学の討論会を企画し、討論会のために書いた原稿が『人間の尊厳について』 (Oratio De Dignitate hominis) で、ピコの主著である。

しかし、討論会では聖体変化などについての議論も予定しており、ローマ教皇から異端の疑いをかけられ、討論会は中止。ピコも逃亡後、捕えられてしまうが、メディチ家のロレンツォ・デ・メディチの努力により釈放され、フィレンツェに戻る。ジロラモ・サヴォナローラとも親交があったという。31歳で死去。

フィチーノと同様、近年は異教的な神秘主義の側面が注目されている。自然を支配する業としての魔術を信じていたが、占星術については、人間の運命が定められているというのは人間の自由意志に反する、として反対するようになり、師・フィチーノの説を批判した「反占星術論」を執筆している。また非ユダヤ人としては、はじめてカバラを極めたとされる。

その他
ピーコ・デッラ・ミランドラ賞
イタリア文化会館主催でイタリア語作品の翻訳に対して贈られる。これまでに作家の須賀敦子、ルネサンス美術史の岡田温司(京大教授)、『マキァヴェッリ全集』を編集した永井三明(同志社大名誉教授)らが受賞。(イタリア文化に関する著作に贈られるマルコ・ポーロ賞もある)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

2月24日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8824%E6%97%A5

できごと
1184年(元暦元年1月11日) - 源義仲が征夷大将軍に任じられる。

1848年 - 二月革命でフランス王ルイ・フィリップが退位

1873年 - 明治政府がキリシタン禁制の高札を取り除き、キリスト教を黙認

1898年 - 日本鉄道の機関手ら400人が同盟罷業、上野〜青森が運休(初の鉄道スト)

1904年 - 日露戦争第1回旅順口閉塞作戦

1918年 - エストニアがソヴィエト連邦からの独立を宣言

1920年 - ナチスが初の党大会を開催

1933年 - 国際連盟総会で日本軍の満洲撤退勧告案を採択、
日本全権大使・松岡洋右は連盟脱退を宣言し退場

1933年 - 国鉄山陰本線全通。

1942年 - アメリカの外国向け放送VOA(ボイス・オブ・アメリカ)が放送を開始

1947年 - 「参議院議員選挙法」公布

1952年 - アメリカと西欧10か国が戦略物資の
対共産圏輸出禁止を決定(対共産圏輸出統制委員会)

1958年 - ラジオ東京(現在のTBS)テレビで連続テレビドラマ『月光仮面』の放送開始

1958年 - 第二次南極観測隊が悪天候のため、越冬を断念。
タロとジロら樺太犬15頭を置き去りにして撤退

1972年 - 山陽新幹線・新神戸駅〜相生駅間で行われた
速度向上試験で当時の世界最高記録286km/hを達成
(山陽新幹線のうち新大阪駅〜岡山駅間は1972年3月開通)

1973年 - 古河鉱業が栃木県の足尾銅山を閉山

1976年 - 東京地検がロッキード事件の強制捜査を開始

1989年 - 昭和天皇の大喪の礼(この年のみ国民の休日・公休日扱い)。
163か国9千8百人が参列

1991年 - 湾岸戦争で多国籍軍による大規模地上攻勢
「砂漠の剣作戦」が発動。3日間でクウェートを奪還

2003年 - ノラ・ジョーンズが第45回グラミー賞の
主要4部門を含む8部門で受賞(現地時間は2月23日)

誕生日
1463年 - ピコ・デラ・ミランドラ、人文主義者(+ 1494年)

1500年 - カール5世、神聖ローマ帝国皇帝、スペイン国王(+ 1558年)

1786年 - ヴィルヘルム・グリム、文献学者・グリム兄弟の弟(+ 1859年)

1828年 - ハリー・パークス、外交官(+ 1885年)

1874年 - ホーナス・ワグナー、元メジャーリーガー(+ 1955年)

1885年 - チェスター・ニミッツ、アメリカ海軍の軍人(+ 1966年)

1891年 - 瀧川幸辰、法学者(+ 1962年)

1898年 - クルト・タンク、エンジニア(+ 1983年)

1909年 - オーガスト・ダーレス、小説家(+ 1971年)

1909年 - 知里真志保、言語学者(+1961年)

1910年 - 山村聡、俳優(+ 2000年)

1923年 - 小田稔、天文学者(+ 2001年)

1924年 - 高野裕良、元プロ野球選手

1929年 - ズジスワフ・ベクシンスキー、画家(+ 2005年)

1933年 - 上田敏也、声優

1934年 - ベッティーノ・クラクシ、イタリア首相(+ 2000年)

1939年 - 長田幸雄、元プロ野球選手

1940年 - ジミー・エリス、プロボクサー

1942年 - 小川哲哉、アナウンサー

1943年 - ジョージ・ハリスン、ミュージシャン、(元ビートルズ)(+ 2001年)

1944年 - 草野仁、キャスター、元NHKアナウンサー

1944年 - チト河内、ミュージシャン 

1945年 - 岡本颯子、絵本作家

1945年 - 村上公康、元プロ野球選手

1951年 - フランク・オーテンジオ、元プロ野球選手
1955年 - 斉田敏男、事業家
1955年 - アラン・プロスト、F1ドライバー
1955年 - スティーブ・ジョブズ、企業家
1955年 - 山川猛、元プロ野球選手
1958年 - ASKA(旧称:飛鳥涼)、シンガーソングライター(CHAGE and ASKA)
1958年 - 柏木宏之、毎日放送アナウンサー
1959年 - 米津等史、政治家
1960年 - 平野寿将、料理研究家
1962年 - 阿南健治、俳優
1965年 - バス・ルッテン、格闘家
1965年 - アレッサンドロ・ガスマン、俳優
1966年 - ロッド・ブリューワ、元プロ野球選手
1967年 - コージー冨田、ものまねタレント
1968年 - エマニュエル・ナスペッティ、F1ドライバー
1969年 - 青木光恵、漫画家
1969年 - 野本絵理、声優
1969年 - 朝倉圭矢、俳優
1971年 - ペドロ・デ・ラ・ロサ、F1ドライバー
1972年 - 木部信彦(ビッキーズ)
1972年 - キリト、歌手、(ex.PIERROT、Angelo)
1972年 - 石村知子、声優
1973年 - スタッビー・クラップ、野球選手
1974年 - 北山陽一、ミュージシャン(ゴスペラーズ)
1975年 - 片山大樹、元プロ野球選手
1976年 - 高島郷、元俳優
1976年 - 石井真、声優
1976年 - 加藤奈々絵、声優
1977年 - 濱埜 宏哉、ミュージシャン(野狐禅)
1978年 - 坂本將貴 サッカー選手
1978年 - Shinya、ドラマー (Dir en grey)
1978年 - 竹宮ゆゆこ、小説家
1979年 - 菊地創、ミュージシャン(eufonius)
1979年 - 寿三美、女優
1980年 - 中邑真輔、新日本プロレス
1981年 - レイトン・ヒューイット、テニス選手
1981年 - 奥田恵梨華、女優
1981年 - 森山風歩、作家
1984年 - 松永浩典、プロ野球選手
1985年 - 琴乃、AV女優
1987年 - 岩佐真悠子、タレント
1987年 - 河辺千恵子、タレント 
1987年 - キム・ギュジョン、歌手(SS501)
1988年 - 木村茜、タレント
1988年 - 山下莉奈、グラビアアイドル
1988年 - 銀次、プロ野球選手
1988年 - マイケル・ジョンソン、サッカー選手
1989年 - 千代将太、俳優
1990年 - 伊山伸洋 、タレント
1991年 - 松井蘭丸、タレント
1991年 - マディソン・ハベル、フィギュアスケート選手
1995年 - 鈴木瑠華、子役
1996年 - 渡邉聖斗、子役
1999年 - 西嶋一八、子役
生年不明 - あらきかなお、漫画家

忌日
616年 - エゼルベルト、ケント王(* 560年頃)

1563年 - フランソワ、ギーズ公(* 1519年頃)

1674年 - マティアス・ヴェックマン、作曲家(* 1616年頃)

1704年 - マルカントワーヌ・シャルパンティエ、作曲家(* 1643年)

1777年 - ジョゼ1世、ポルトガル王(* 1714年)

1810年 - ヘンリー・キャヴェンディッシュ、化学者(* 1731年)

1812年 - エティエンヌ・ルイ・マリュス、物理学者・数学者(* 1775年)

1815年 - ロバート・フルトン、発明家(* 1765年)

1856年 - ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキー、数学者(* 1792年)

1876年 - ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ、初代リベリア大統領(* 1809年)

1923年 - エドワード・モーリー、物理学者(* 1838年)

1925年 - カール・ヤルマール・ブランティング、スウェーデン首相(* 1860年)

1929年 - アンドレ・メサジェ、作曲家(* 1853年)

1931年 - 久米邦武、歴史学者(* 1839年)

1934年 - 直木三十五、小説家(* 1891年)

1945年 - 河口慧海、仏教学者(* 1866年)

1953年 - ゲルト・フォン・ルントシュテット、ドイツ国防軍の元帥(* 1875年)

1962年 - 胡適、教育家(* 1891年)

1975年 - ニコライ・ブルガーニン、ソビエト連邦の首相(* 1895年)

1990年 - アレッサンドロ・ペルティーニ、第7代イタリア大統領(* 1896年)

1990年 - マルコム・フォーブス、フォーブス発行者(* 1919年)

1990年 - トニー・コニグリアロ、メジャーリーグベースボール選手(* 1945年)

1993年 - ボビー・ムーア、サッカー選手(* 1941年)

1994年 - ダイナ・ショア、歌手・女優(* 1916年)

1995年 - 兵藤秀子 (前畑秀子)、水泳選手(* 1914年)

2001年 - クロード・シャノン、情報工学者・数学者(* 1916年)

2001年 - 田中久寿男、元プロ野球選手(* 1935年)

2002年 - レオ・オーンスタイン、ピアニスト・作曲家(* 1892年?)

2003年 - ベルナール・ロワゾー、フランス料理の料理人(* 1951年)

2004年 - 石川進、元プロ野球選手(* 1932年)

2005年 - 蔦谷喜一、塗り絵作家 (* 1914年)

2006年 - デニス・ウィーバー、俳優(* 1924年)

記念日・年中行事
南国忌
大衆作家直木三十五の1934年の忌日。

クロスカントリーの日

鉄道ストの日
鉄道ストの日

月光仮面登場の日